被告人の陳述(10)


元マハー・ケイマこと石井久子被告の陳述


――元ケイマ正大師の陳述が、どこまでが真意か分からない。坂本一家殺人事件で、
自動車が富士山本部道場に戻ったときのこと、麻原さんを前にしたその直後の会議
のことなど、未だ話されていない。そんな情けない御都合主義だと思いたくはない。
 現世は、ケイマさんにとって、あまりに辛すぎるから許してもいいのではないか、
という声も多かった、本物の「真理」に反しようとしまいと。ケイマさんを含め、
矛盾があってはならない「真理」であるのに、目をつぶって妥協をするかどうかが、
「修行」が本物かどうかの試金石になると思う。短い刑務所生活で現世に戻った。
現世の方が辛いこと、今感じているだろう。
 

1998年10月19日   東京地裁  刑事第4部法廷

 

一、                   私は死んだ、と思いました。私は社会的にも精神的にも死んだ、と思いました。
 
二、私が麻原さんに出会ってから一○数年以上経ちます。温厚で、相談しやす
 い人、と思い、また、ヨガの修行者として彼を尊敬し、ヨガを始める中で、や
 はり私のように精神的な暖かみを求めて集まってきた人達と出会いました。
   私はそこで、自分の生きる道を、自分の人生を賭けていい、確かなものを
 見つけたと思いこんでいた頃に、それがたくさんの人を殺める教義や教祖と
 なっていくとは想像もしていませんでした。
 
三、どこから私の尊敬は無批判な崇拝に、信頼が単なる盲信になっていったの
 か、修行とは真実に近づく道と信じていて、修行のつらいことも、苦しいこ
 とも乗り越えなければと励んでいたことが、どこから私の心自体を狂わせて 
 いくことになっていったのか、幾度も、幾度も考え問い続けています。
 
四、子どもの頃、人は死んだらばどうなるのだろう、このまま消えてしまうの
 だろうか、私も消えてなくなってしまうのだろうか、死とは眠ることなのだ
 ろうか、それならば眠るのが怖い、と思っていました。死はとても私の近く
 にあり、私は大人に質問し続けました。「人は死んだらどうなるのか」「死
 ぬってどんなことか」と・・・。
   大人は、こんな質問はうるさがるだけで答えてくれませんでした。「死」
 というのは人に聞いてはいけないことのように感じて、私はずっとこの疑問
 を胸に抱えたまま、大人になっていったのです。心の中では同じ疑問を持ち続けて。
 
五、ヨガを通して精神世界に触れたとき、私は子どもの頃からの疑問への回答
  が見つかるのでは、と興味を感じました。
 むしろ宗教を嫌で避けていた私が、ヨガを通して宗教の世界を開かれたときは、
 そこには私の問いかけへの無限に豊かな答えが用意されているように感じたのです。
   友人に誘われた、お祈りをすれば現世の願い事が叶うなどという宗教では
 なく、宗教とは本当に自分を見つめ直し、より高いものを目指すものだと思
 っていたのです。私は揺さぶられました。今までの、その場限りの生活には
 ない考え方に魅かれました。
 
六、私は、そんな想いを持って宗教者として成長しているのだと信じ切ってき
 た教団内での一○数年が、私の中で全て崩れていったとき、私は死んだと思
  ったのです。私が満たされたと信じていたものは、私の自我を解体し、そそ
 ぎ込まれた麻原の妄想なのだ、彼は真の宗教者ではない、グルでもない、オ
 ウム真理教の教養は間違っているとわかった時、肉体の死とは別の死を体験しました。
 
七、このまま空っぽの自分、自分でない自分を抱えてはいけない。
 私は本を読みました。オウムでは禁じられていた、宗教書や、マインド・
 コントロール、心理学等の本を読みました。そして、宗教とは何かという原
 点に立ち戻りました。本当の宗教とは、生きる喜びを与えてくれるものでは
  ないのか。真理を知りたいというのもその喜びを得るためではないか、それ
 が本当の宗教といえるものではないかと気付いたのです。仏教の修行は自分
 の中に存在する心の本質、すなわち、真の自己を見いだすだめのプロセスで
 すが、オウムの修行は形は似てはいますが、グルヘの依存心を極限まで強め
 ることによって、自己を見失うプロセスであったと気付いたのです。見かけ
 は似ていても、オウムの教義は仏教とは根本から違います。
   真理を知るために、全てを犠牲にし、人間らしい感情を否定し、信じない
 ことは地獄への道と思いこまされ、いつのまにか、麻原の教義は恐怖と猜疑
が中心となっていたのです。この教義も、この教祖も、本来の宗教の原点とは
程遠いものになっていっていったのです。
 
八、私は今、はっきりと、また、何度でも言い切れます。オウム真理教は間違
 っていた、教祖も教義も真の宗教とは言えないものだったと。
   そして私自身、一○数年間の自分の人生を否定し、間違っていたことをこ
  こで述べる勇気を持てました。なぜならば、私はその勇気を、皮肉にも麻原
  との出会いが契機となった、宗教とは何かという勉強をすることによって得
  られたのです。私は、間違った教えによって、一度は死を体験しました。で
  も、私に生を与えてくれたのは、本当の宗教とは何か、という思考でした。
  私自身の勉強はまだまだ未熟です。自分の非力さに、つい安易に人を頼った
  りしてしまわないかと考えるとき、あの「死んだ」という苦しみが蘇ってき
  て、私を引き留めます。自分で考え、自分で苦しみつつ探ることが、生の喜
  びなのです。真理に安直に辿り着くのではなく、その模索の課程こそ、重要なのです。
 
 九、私は一○数年のカルトでの体験を伝え、まず、身近な人から本当の宗教と
  そうでないものを見分けるにはどうすべきか、この教祖も教義も間違ってい
  ることを伝えたいと思っています。
    私は一○数年間を否定しなければなりませんでしたが、まだ入信して間も
  ない人には、そんな長い年月をカルトに奪われて欲しくないのです。
 特に、自分の子どもらも、私が過ちに気付かなければ、一生オウム真理教
  以外の教義も知らず、人間関係も限定された、閉じた人生を送らされたかも
  しれないと思うと、子どもがいる人に目覚めて欲しい、と本当に強く思います。
    子どもには判断カはありません。親の与える世界が、小さな子には全てな
  のですから。私と同じ過ちを繰り返して欲しくない、間違っている道から早
  く引き返して、自分の人生と自分の心を取り戻して欲しいのです。そのため
  に私の出来ることを一刻も早くしたいのです。
   現実の人生は、辛く、私を受け入れてくれる場所はないかもしれません。
  三人の子どもの将来のことを考えると不安が募りますが、私のオウムでの経
  験と、オウムが為したことを深く心に留め、反省の念を持ち続けていこうと
  固く決意しています。私の今後の人生において、出来る限りの贖罪を為して
  いきたいと思います。

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