被告人の陳述(11)


元プンナ・マンターニプッタ正悟師こと大内利裕被告の陳述


● 意見陳述書 ● 1998年10月22日

私に対する起訴状及び各公訴事実について、私の意見を申し上げます。

 まず、田口修二さんに対する殺人事件について、田口さんが殺害されたとき、私はコンテナの外で見張りをしていました。

 また、追起訴状記載の越智直樹さんに対する死体損壊については、石井久子氏、山本まゆみ氏とともに、追起訴状記載のとおりの行為を行なったことは、間違いありません。

 このように私が、田口さんに対する殺人・越智さんに対する死体損壊に関与したことは間違いなく、御本人と、その御遺族の方々には、想像を絶する大きな悲しみと苦しみを与え、償いきれない罪を犯してしまい、何とお詫びしてよいのか、言葉になりません。本当に申し訳ありませんでした。

 また、オウム真理教の元教団幹部として、教団によって引き起こされたその他数々の犯罪によって被害者となられた方々と、その御遺族の方々、そして教団がかつてない大きな不安を日本全国の皆様に与えましたことを、心からお詫び申し上げます。

 さらに、私を信じ、私の言葉によって、オウム真理教という迷宮に迷い込んでしまった信者の方々にも、私は深くお詫びを致します。

 現在の私は、松本氏の教えが、完全に間違っていることがわかりますが、当時は松本氏を「尊師」と崇めて帰依し、その教えを唯一無二(ゆいいつむに)の真理と信じ、その呪縛に縛られていたために、服従せざるを得ませんでした。

松本氏の教えが完全な誤りであったことを認識した今、言葉では言い表せない悔悟と慚愧の中にあります。

 今の私に出来ることは、田口さんと越智さん、そして、御両名の御遺族に心からお詫びするとともに、なぜ、私が松本氏の教えを信じるに至ったのか、そして、なぜ、田口さん・越智さんに対する犯罪に関与してしまったのか、それを出来る限り明らかにしていくことだと思います。

 また、今でも松本氏の教えを信じている信者に、私がなぜ大きな過(あやま)ちを犯すに至ったかを知ってもらい、私のような過ちを、二度と、決して繰り返してほしくないと願って、この裁判に真摯に臨みたいと思います。

<入会・帰依 そして 出家>

 私が生まれたのは、阿武隈山麓の寒村でした。雑貨屋を営んでいた両親は、困った人を見ると、見ていられない質(たち)で、自分たちの仕入れ代金に困るようなときでも、貸し倒れ承知で、お金を貸したり、店の商品を持たせてあげたり、世のため・人のため・学校のためと尽くしていました。 私も、そんな両親の感化で、子供の頃から、そのような生き方をしなければいけないという、漠然とした強い、救済願望がありました。

 中学生の頃、教科書で平家物語の「盛者必衰の理をあらわす」と言う言葉を、初めてみた時、大きな衝撃が走り、この世の移ろい、無常感が、私の胸を打ち貫きました。私の家も、今は、幸福な家庭かも知れない。しかし、いつまでも、このままなのだろうか?

 私は家に帰り、長男に話してみると、縁起でもないと、一蹴されましたが、この後、変化しないもの・永遠なるもの・真実とは何かと、考えるようになりました。これが、私の精神世界への旅立ちでした。

 その後、私は人並に結婚をし、それなりの幸福な人生が約束されていたように思います。しかし、心の中では、このままでいいのだろうか?何かもっとしなければならないことが、あるのではないだろうかと、思い続けていました。大人になり、本音と建前を使い分けなければ生きていけない、この世界が、自分にはとても苦しかった。ふと、自分を振り返ってみると、私はいつしか、子供の頃の純真な心を失いつつあった。例えば、小さい頃は、饅頭が1個あったら、必ず大きいのと小さいのを作って、大きい方をいつも相手にあげていました。それが年を重ねるごとに、この饅頭の2つに割った比率が、どんどん真ん中によってきている。真ん中によった分だけ何か大切なものを失ったように思い、自分自身を許せないでいたのです。

 何か本当の事がある。そして無常観を越え、嘘のない、本音と建前のない真実の世界があり、他(た)のために何か大事なことをしなければならないのではないか。こうして私は泣き叫ぶほど、霊的指導者である、グルを捜し続けていたのです。

そして私は1985年、松本被告に出会ったのでした。

 当時の松本氏は、静かで謙虚で、清らかで、独特の雰囲気があり、話をすると、すごく心が落ち着きました。それは私にとって迷子になった幼子(おさなご)が母親を見いだしたような喜びで、グルである松本氏を「グル・グル」と寝ても醒めても考えるようになりました。また松本氏の教えは、今まで思い悩んでいたことの、回答を得たような気分にさせてくれ、ヨーガを続けていくと様々な神秘体験もしました。そのひとつに幽体離脱があります。これは臨死体験と言ったら、わかり易いと思います。

 松本氏と出会って間(ま)もなく、私はヨーガの儀式の一種であるシャティ・パットというものを受けました。これはヨーガの指導者が弟子の額に親指を当てて、霊的エネルギーを移入するというものです。この5日後の夜、私が自宅で寝ていると、不思議な、それこそ神秘体験としか、言いようのない経験をしたのです。背骨が火のついたように熱くなり、やがてオレンジ色の光が私の体を包むのが見えました。そして私の幽体は肉体から離れ、純粋な意識が抜け出した肉体を眺めていたのです。この時のこの体験が、その後長年に渡り、私を呪縛することになりました。

 こんなこともあり、増々私はすばらしいグルに、この日本で巡り会えたと松本氏を強く信ずるようになりました。この頃は、というよりこの頃だけ松本氏も道を求め、修行していたと思います。ですから、松本氏の欲望も、野心も、かなり抑えられていました。またこの頃、神秘体験をさせる力があった。

 しかし、だからと言って、彼が釈迦牟尼以来(いらい)の最終解脱者であるというのは、考えてみれば愚かな論理の飛躍でした。 松本氏は「今の世の中は末法である。今後ハルマゲドンがくる。人類救済のために真剣に修行し、解脱・悟り、この世に、真の仏教の経典にある、千年王国を体現しよう」と、言いました。

 それは、今のオウム真理教のように、世界制覇するというような、大それたことではなく。オウムが正しい仏教の教えを実践し、この社会に仏教的なモデルケースとしての空間を作り、社会のお手本になろうという謙虚なものでした。 そして、私は、精神向上の究極(きゅうきょく)である解脱・悟りと、菩薩としての救済、理想社会を説く、松本氏を、真のグルと信じて、出家したのです。

<帰依と依存心について>

 オウムの犯罪とは、人間が自分の倫理観を捨てて、他者に盲目的に従うという、依存心の落とし穴とも言えます。オウムの信者は「グルが自分を解脱させてくれるから、帰依をする」と、言います。しかし、逆を言えば、世間の人は「自分を解脱させてくれるわけではないから、どうなったっていい」のです。

 「グルに、絶対的帰依をし、無思考でいれば、グルのエネルギーによって、ある日突然、智慧が生じ慈悲が生じ解脱できる」これがオウムのばかげた教えです。

 ところが、伝統的仏教では、依存心こそ、解脱の妨げと説かれています。グルに対して、依存することを戒め、代わりに、グルに対して完全に心を開くことを説いているのです。絶対的帰依とは、主従関係を伴います。しかし、正しい仏教徒は、上下関係がなくても、心を開けることができます、法友にも、教団外の人にも、グルと同じように、心を開けるのです。

 仏教の目的とは、究極的には、ブッダになることであり、ブッダになりたいなら、弟子自身が、慈悲心を、日々培う努力をしなければなりません。いくらグルが、慈悲にあふれていても、それはあくまで、他人の慈悲心であり、その他人の慈悲心を、いくら見つめていても、弟子自身(じしん)の慈悲心は、培かわれないのです。また、ずーっとグルの言うことを、盲目的に従い、自分で考える訓練をしないで、どうしてある日突然に、智慧が生じるのでしょうか?

絶対的帰依。オウムは、そして、私は出発の段階で誤った道を選択してしまっていたのです。それはグルを受け入れる代わりに教団外、いや仲間さえも拒絶する道でした。私はその後10年間にわたり松本氏に盲目的に帰依し続けていました。

 時折、松本氏に疑問が生じたことがありました。「グルは、本気なのだろうか」「これは、本当に、救済なのだろうか」等々、様々な思いが錯綜しました。

 しかし、「絶対服従」という考えに呪縛され、その都度、「下から上は見えないのだ」「これは、マハームドラーである観念崩しである」とか。「グルには深いお考えがあるのだ」と考え、盲目的な帰依をし続ける訓練をしました。そしていつしか「グルが言われているのだから・・・・・・」と、自由で健全な意志決定力を完全に失い、自分で物事を考えることができない、自分で判断することに恐怖する人間、松本氏にすべてを依存するロボット人間になっていたのです。

 今の現役信者は、この頃の私です。

<オウムでの松本氏に対する私の帰依>

 クンダリーニ(霊的エネルギー)の覚醒から、幽体離脱の体験を、実際に自分自身で体験して、松本氏の持つ力に驚き、ますます私は、本物であるという確心を持つに至りました。

それは畏怖のようなものでした。私はこの体験以後、松本氏の言うところの全て、その一言(ひとこと)一言の全てを、全身全霊を傾けて信じるようになりました。

これは帰依と言う以外に、どのような言葉も適さないと思います。 松本氏は、私にとって、信仰の対象以外の何ものでもなく、初めのうちは松本氏を通じ、その導きにより仏教的真理に到達したいと思っていたのですが、

松本氏と接するうちに、松本氏こそ真理そのもの、真理を体現した人なのだ、と思うようになりました。

松本氏自身やがては、自分は真理と最終的に合一したというようになりました。 それ故、松本氏を信仰する私達全員にとって、松本氏への帰依は、それ自体喜びであり、松本氏を信じること、それ自体が即ち、真理を実践することだったのです。

 オウムの帰依は、解脱・悟りをあきらめるか、脱会しないかぎり、一生松本氏への絶対的帰依に縛られ続けるという、オウム真理教の信者にとっては、これが帰依のキーワードになってしまいました。この帰依という言葉を言い換えれば、それは完全な思考停止と松本氏に対する絶対服従こそが帰依の証(あかし)となってしまったのです。

 その後、松本氏が悪魔的なまでに、傲慢になり、最終解脱したと称し、自ら神であり・仏陀であり・シヴァ大神の化身であると、称するようになったとき、松本氏に対するこの弟子達の純粋な帰依の念は、松本氏の欲望と野望、それがどんなものであれ、それを実現せずにはおかない、狂気となったのです。 私自身、少なくとも、田口さん事件に関与したときには、このような狂気に捕われていました。しかし、その当時の私は、松本氏の言うことを実現する道具以外の何ものでもなかったのです。例え、松本氏の言うことに、疑念が生じ

たとしても、松本氏に対する絶対帰依・グルの意思の具現化というグルに対する絶対的服従心が、ゆうに、この疑念を封じ込めるほどになっていました。そして、松本氏の言うことに疑念を持つことは、それ自体で真理から遠ざかることなのだ。これが当時の私の帰依の帰結でした。

 現在の時点で、松本氏の教えの誤り、その独善性と欺瞞(ぎまん)性を知ってしまった私は、この当時の私の思いを正確に表現することに、大変な苦痛を覚えます。田口さん、越智さんの事件に関与することに至った、そもそもの出発点が、この時、私が、松本氏に純粋(じゅんすい)な善(ぜん)なる気持ちで信じた結果の帰結だと思うと、深い絶望と、なぜだ!!と松本氏に問いたい、という思いが湧いてくるからです。

<ロシアでの活動について>

 私は教団組織よりも、信徒やサマナ中心に考えてしまう、この性格が疎(うと)ましく思われたのか、最後は、松本氏に「オウムの癌である」とまで言われ、ロシアに飛ばされました。このような経緯で、ロシア支部へ送られたせいか、私は「裏」の非合法活動については、何も聞かされていず、従って私は何も知りませんでした。ロシアでの私は宗教活動のみを担当していたのです。

95年3月の地下鉄サリン事件直後、上祐氏は何の引継ぎもなく、たった一言「一週間で戻る」と言って、日本に帰国していました。その後まもなく、ロシアでは、ロシアオウム真理教に対し、布教禁止令が発令されました。

 私は一人ロシアに残り、何の情報も与えられないまま、ロシアの信者達の行く末を、死ぬほど心配して、後仕末に追われる日々を過ごしていましたが、95年7月、私はモスクワ市警に逮捕されました。逮捕される前、私は苛酷なロシアに残るよりは、日本に戻りたいと思いましたが、私までロシアから逃げたら、次に刑事責任を追求されるのは、ロシアオウム真理教の創立に名を連ねた、ロシアのメンバー達であることは明白でした。私は逮捕され、予審として起訴するかどうか決まるまで、3年間に及ぶロシア検察当局による、いつ果てるともない長く厳しい取り調べを受けたのです。

 聞くところによると、取り調べにあたった捜査官達の間では、「日本人は、皆逃げて、馬鹿が一人残って逮捕され、ロシアの責任者でもないのに、上祐の責任を負わされ、それでもロシア人が好き・ロシアの信者のためにと、この期に及(およ)んでも、走り回っている」と、聞いたことがあります。この馬鹿とは、私のことだったのです。

<脱会について>

 95年の夏頃、ロシアで、坂本弁護士一家の事件が、オウムの犯行であったと知り驚愕しました。この事件は絶対オウムではないと思っていましたので、私は10年来帰依し続けてきた松本氏に対する信仰心が初めて大きく揺らぎました。それと同時に、私は松本氏を信じ、松本氏の力を信じ、松本氏のポワであるという言葉を信じて、心がズタズタになりながら為した、田口さんの事件を瞬間的に思い出していました。

 さらに、地下鉄サリン事件も、オウムであることを知り、これはポワではない無差別殺人であると。ならばあの時の田口さんは本当にポワであったのだろうか?ポワでなかったとしたら・・・・・・ 私は10年来の帰依をかけ、考えたくないと言う思いを退けると、慟哭の思いがわき上がってきました。その心然的に導かれる結論に青ざめ、茫然自失し、愕然としました。そしてそれは、激しい不安を呼び、途方もない侮悟の中でもがき苦しみ、時間を戻してほしいと、痛恨の極みに至りました。

 田口さん事件当日、心に生じた「これはおかしい」という一瞬生じた松本氏への疑念。そして「止めましょう」と喉まで出ていながら、言い出せなかった勇気のなさと、四無量心のなさを自分で責め、侮悟の中ですべてが悲しく、悲しみの思いが深まるばかりでした。

 もはや、ポワであったという宗教的確心は崩れ「なんということをしてしまったのだ」という、後悔の念は、何度も何度も、私の臓腑をえぐり続けました。

 それよりも、そんなことよりも、私が田口さんに与えた苦しみは、幾ばかりか。その悲しみ・苦しみは、私が一生かけても、百生かけても、償いきれるものではない。私は、心が潰れそうになりながらも、私の置かれたこの状況で「私に今何ができますか」と考えました。そして私は、まず、ロシアの法友たちに、出来ることから始めようと思ったのです。

 そんな時、96年3月に、仲の良かった脱会信者が、オウムの教義のでたらめさを完全に悟り、私にその手紙を送ってくれました。

 衝撃的でした。今まで絶対の真理だと信じてきた、オウムの教えは、実は仏教とは、全く異質の方向性を持つ教えであり、尊師しかいないと思い込んでいた精神の師は、実は日本にも、世界にも、多数存在しており、修行だと信じて、今まで実践していたことは、実は心を解放させず、心と閉じこもらせる、実践であり、解脱を遠ざけ、悟りを妨げる実践であったのです。

 現役は自分達も仏教徒であると思っているかもしれないが、実は何も知らないものであり、霊的な覚醒のかわりに、人間の、最も貴重な宝物を失っている事を知ったら、どれほど驚くことでしょう。

 今まで心のどこかで感じていた疑問が氷解しました。なぜオウムがあのような未曾有な犯罪を犯したのか?それはオウムの教えが、ただ自己中心的な愛のない魔物を創り出す教えであり、人間の魂をダメにする教えだからです。

なぜオウムの現状がこのような状況に陥っているのか?それは外道の教えを実践したが故の報いなのです。私は仏陀釈迦牟尼に法にやっと巡り会い、涙があふれそうになりました。

 その後、正しい仏教の修行を行ううちに、やさしい気持ち、他人を思いやる気持ち、人間らしい感情、自分で考える力が除々に自分の中に復活していくことを実感できました。

 そして、今まで敵としか思えなかった教団外の人達が、いい人達であり、同じ地球号に乗っている大切な仲間であることにやっと気がつきました。

それらは、私がオウムで修行しているつもりになっている間に、どこかに、置き忘れていた、人間の大切な宝物であったのです。

 そして、この宝物こそ、私が子供の頃から目指していたはずのものだったのです。 私はこの時、心情的には、完全にオウムを脱会しましたが、正式に脱会表明をしなかったのは、ロシアの状況がそれを許さなかったのです。

 現役信者は、私が脱会をしたのは逮捕され、罪を軽くするため、自己保身のためにやっているのだと思うかもしれない。しかし、私は心の底から「オウムの教えは間違っている」と、確心したから脱会したのです。私はオウム及び、松本氏に対する信仰心は、ただの1パーセントもありません。そして、重罪に問われているかつての高弟達が脱会しているのも、現役信者が考えるような、マハームドラーに負けたからでも、自己保身のためでもなく、いつのまにか忘ていた、人間の心を取り戻したからに他ならないのです。

<脱会後のロシアでの活動>

 それは言葉では言い表すことの出来ない地獄のような日々でした。それは今、私が日本にいて、こうして肉体を持っているのは奇跡であると、このような表現をしたら、わかってもらえるかもしれません。

 ただ不遜に思われても仕方がないのですが、松本氏が誤った教えをロシアに広め、それによって何の罪もない、ロシアの信者達が苦しんでいるのを、私は日本人として、仏教徒として、いや人間として、知らないふりはできませんでした。

 私は、この置かれた状況で何をすべきか考え続け、ロシアにおけるオウム真理教の責任を、責めがあるならば、私一人で受けようと決心しました。もし、有罪判決がでれば、悪環境のロシアの刑務所に行かなければならず、おそらく生きて戻ることはないなと思いました。それでも、罪のない、ロシアの法友達の誰一人をも、責めを追わせるわけにはいかない、と思ったのです。

 ここでもっとも私を苦しめたのは、上祐氏からタントラ・ヴァジラヤーナを説かれていた一部過激サマナ達でした。上祐氏はロシアにいた時、これらのサマナだけを集めて「これはお前達だけに」に密(ひそ)かに授けていたのです。

しかも彼らを、ロシアサマナの上位に置いたために彼らはものすごいエリート意識を持つに至りました。彼らの暴走を止めるには、正悟師というタイトルがどうしても必要だったのです。

 彼らだけが逮捕されるなら自業自得というもので仕方がない。しかし、当時、ロシアのオウム真理教の刑事事件は未だ終了していず、彼らが暴走すれば、善意の仲間達までシベリアに送られてしまうかもしれなかったのです。

 また、誤解に基(もと)づく、様々な理由により、命を狙われた時期もありました。実際あるときなど、ナイフを持った人達に取り囲まれ、もう少しで、命を落としそうになったこともありました。

 しかし、そんな中で、私は、私の囲りにいた良心的な仲間達には、少しずつオウムの誤りを説き、脱会させ、ロシアに来ていた、伝統的仏教や、ヨーガの指導者のところへ教えを学びに行かせました。日本の信者に対しても、国際電話という手段で、脱会の手伝いをしていました。また、97年3月頃には、私と親しい日本の脱会信者の仲介で、江川紹子さんと何度か電話で話しました。国際電話で話せる範囲で、私なりに説明させて頂きました。

 その他のマスコミの方々には、こうした諸々の事情により、結果的に真実を伝えることが出来ずに終わってしまい、申し分けありませんでした。

<現役信者へのメッセージを伝えたい>

 現役信者は、リーダー達に、オウムが引き起こした犯罪が、組織犯罪であったという現実を認識しないように教えられている。しかし、組織の一員である以上、直接的ではなくても関わったのだというカルマを、もう一度見つめ直す時期にきていると思うのです。それはオウムで、功徳を積んだと思っていた、ひとつ、ひとつの行為が結果的にオウムの組織犯罪を引き起こしたからです。

 現役信者は、脱会信者を裏切り者と思うかもしれない。しかし、弟子達は松本氏の言う解脱・悟り・救済を信じ、まさに命がけで帰依をした。その弟子の真心を利用し、弟子達を犯罪に走らせ、不幸にしたのは、松本氏であった。

 あなた方が辿っている道は、私や今、極刑に問われようとしている先輩達が辿ってきた道であり、けっして正しい道ではない。同じ過ちを犯してはならない。「尊師には深いお考えがある」と教えられた先輩である私達が経験したことは、何のお考えもなく、最悪の犯罪を、ただ松本氏のエゴ・野望の為にさせられただけであった。今あなた方は「尊師のお考えは私にはわからない」と思考を放棄してはいけない。自分の頭で考えることをやめた時、人はマインドコントロールされた魔境に陥るのです。

 現役信者は、オウムが伝統に根付かない外道であると言われたら、驚き・怒り・絶対違うと、反論することと思う。それはオウムというフィルターを通してしか仏教を学んでいないからで、今までの観念を捨て、もう一度仏教を学び直してほしい。オウムの教えは、仏教とは完全に「本質」が異質です。なぜなら「空の教え」も「四無量心の教え」も、オウムには存在していないからです。

 そして、オウムの組織犯罪が、タントラ・ヴァジラヤーナの教えに基づいて、と言われているが、タントラ・ヴァジラヤーナの教えは、松本氏の妄想が創り出した、悪魔の教えであり、チベット密教の崇高なヴアジュラヤーナ(ヴアジュラヤーナに下線)の教えとは、縁もゆかりもない。意外かもしれないがオウムにはヴアジュラヤーナ(ヴアジュラヤーナに下線)の修行システムが存在しない。それゆえに、オウムの修行では、一生かかっても、いや、何百生かけても、解脱・悟りや、心の平安をもたらすことはない。

 オウムは「絶対という不完全」「真理という嘘」「戒という破戒」「矛盾はないという矛盾」の二元性に満ちている。そして私達は、何も知らないものであり、最も仏教的なベースを欠いた者であったのです。

 解脱はグルに与えられるものではない。仏性はすでにあなた方の内側で光り輝いている。そして、この世界には、ここかしこに、太陽の暖かさが満ちている。この小さくて、そして大きな暖かさを感じる人間になってほしい。

 私は正悟師ではなく、一人の人間として、この事実を伝えているのです。どうか、自分の目と耳で、頭で、もう一度、事実を確かめてほしい。疑問があるなら、迷うなら、会いに来てほしい。そして話しましょう。

というのも、今の私の接見交通は、全面解除となっています。
どうか、現役の信徒・サマナである人達は、東京拘置所の私の所へ面会に来てほしい。先約がない限り、誰とでも会います。遠い方は手紙で。また脱会して、なお、心の整理がついていない人も訪ねて下さい。

<上祐氏 及びオウムのリーダー達へのメッセージ>

 出所後、オウムを統括するであろう上祐氏には、四無量心に目覚め、オウムを解散してくれるように切に望む、オウムは社会に対して、悪業を積んでしまっただけでなく、弟子の魂を傷つけてしまっただけでなく、崇高なる仏教・ヨーガに対する世間の信頼を、かつてない規模で傷つけてしまいました。

 ヨーガ道場では、聖音「オーム」の真言を唱えることさえ、はばかれるようになったと聞いています。特に、オウムがヴァジラヤーナの名を詐称して、凶悪犯罪を行なったために、チベット仏教に、まるで犯罪背定論が存在しているような、誤解を世間に与えてしまったことを心からお詫びします。

 このような状況の中に於て、上祐氏は、オウム事件について「裁判に委ねよう」などという詭弁は、もう捨てるべきだし、あなたは、すべてを知っていたはずです。松本氏の予言も、すべてが予言通りではなく、当たらなかったことの方が多かったことは、お互いはずれた後の理由づけに駆り出されたことを思えばわかるはずです。「救世主は予言を一つでも、はずしたら、それは救世主・キリストとは言わない」とは、あの松本氏自身が、かつて自から言った言葉であるのに、あなたは、裁判で、「尊師は、救世主であり、すべて予言通りである」などと、嘘をついている。

 オウムのリーダー達も、多くの事実を認識しているはずである。なぜなら、あなた方は、犯罪の一部に手を染めていたり、数々のオウム犯罪が松本氏の下命により行なわれたことや、新人サマナの知らない松本氏の汚れを見聞きしているからです。

それを、大本営発表のように、情報操作し、情報をでっちあげ、自分の可愛い弟妹(きょうだい)弟子、同じ朋友にマインドコントロールをかけるのは、本当にもうやめてほしい。

 私を含めた幹部の社会復帰は、難かしいかもしれない。しかし、弟妹弟子は、あなた方が、この誤った宗教、破壊カルトになってしまった、オウム真理教に縛りつけることさえしなければ、まだ社会復帰できるのだ。それをオウムのリーダー達は、事実から目をそむけさせ、自己を正当化するために、そして教団組織維持のために、弟妹弟子に嘘をつき、そして何よりも自分自身に嘘をつき続けている。解脱・悟り・救済を信じて集ったあの渋谷のたった6畳の道場で、我々が目指していたものは何だったのか。もう一度自分に問い直してほしい。

 やるべきことはひとつ。オウムの犯罪を認め、被害者の方々と社会に対して謝罪し、賠償すべきです。そして、弟子の社会復帰のために、しかるべき措置を取ったあと、一刻も早く、オウムを解散し、オウムの悲劇を終らせるべきです。

 私は現役のオウムのリーダー達に、これを強く、強く訴えたい!!

そしてまた、私と最も強い縁があり、

最も愛したオウムで法友だった、未だ現役で頑張っている信徒・サマナ達の方々へ、

私が必死で訴えかける

この願いを、この想いを、この声を、聞いてほしく

私はこれらを伝えたかった、のです。

最後に

 私と私の所属していたオウム真理教によって、被害者となられた方々と、その御遺族の方々に、重ねて心からお詫びします。

 また田口修二さん、越智直樹さん御両名と、その御遺族の方々には、本当に何とお詫びをしてよいか、何の言葉もみつかりません。

 私は、これから、ご迷惑をおかけしてまった沢山の方々のために、私の出来ることを一つでも多くし続けようと思います。今こうして、身体を拘束され、司法の裁きを受けているのは、誰が悪いのでもなく、四無量心のかけらもなかった私が、私こそが悪かったのです。

    本当に申し分けありませんでした。 大 内 利 裕

【注1】原文は自筆であり、 桜の小さな判子が押されいます。桜の判子は、拘置所の検閲のマークです。 拘置所の中の人から手紙の便箋には、1枚1枚全部に押されています。

【注2】ふりがなは実際は文字の上に書かれていましたが、かっこ書きしました。

【注3】漢字は原文のままとしました。


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