被告人の陳述(13)


富永昌宏被告の、結審法廷での陳述


― 2003.8.28最高裁で長期15年の刑が確定しました。

□ まず初めに、内海正影さんと滝本太郎弁護士に深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。

また内海さんのご家族の方々、滝本弁護士のご家族の方々、青島知事やそのご家族の方々、都庁の職員の方々、そして社会の全ての方々にも謝罪したいと思います。申し訳ありませんでした。

□ とりわけ内海さんには、肉体的にも精神的にも深い、深い傷を負わせてしまいました。両手の指を吹き飛ばし、鼓膜を破り、数多くのやけどや切り傷を負わせてしまいました。私などが軽々しく口にすべきことではないかもしれませんが、内海さんの受けた痛み、苦しみ、怒り、やるせなさは量り知れないものとだと思います。その重さを考えたとき、私は絶望的な思いに至ってしまいます。

□ 決して内海さんの指は戻ってこない。今もって痺れや違和感が残る。日常生活も不便極まりない。内海さんやご家族の方々は、今でも、そしてこれからも、辛く、不自由な生活を強いられます。その現実に思いを馳せると、非常に辛く、悲しく、申し訳ない気持になります。

□ 謝って済む問題ではありませんが、せめてこの場で今一度お詫びの気持を述べさせていただきたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。

□ 滝本弁護士に対しても、身の危険を生じさせ、また脳血管障害になったのではないかという不安を抱かせてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。

□ 社会に対しても、不安を抱かせてしまったことは深くお詫び申し上げます。

 

□ 私には、逮捕されて後、取り調べや裁判の過程を通じて、一つ理解できたことがあります。

□ 今までの私の生き方には、感情を素直に出すという側面が弱かったように思います。とりわけオウム真理教に出家して後は、その教えや修行方法によって、むりやりにでも感情を抑えようとしていたように思います。

□ それが「グルとの合一」の極端な重視、現実世界との往復運動の欠如、「観念の破壊」のフェイル・セーフの欠如を特徴とる、オウム真理教の特異な教義、修行実践と結びついたとき、人々が現実に生きているこの人間社会というものを、実感として理解できなくなってしまっていたのだろうと思います。

□ 逮捕されて以来、多くの人々と接し、親や家族とも面会し、法廷で被害者の方々を目の当たりにし、私は人間の感情というものを様々に突きつけられてきました。それによって人間の感情の深さ、親の愛情の深さ、被害者の怒りの強さといったものを、多少なりとも理解できたように思います。

□ そして、このような一人一人の人間の心を考えた時、オウム真理教の中で私が行なっていたことは、何ら現実的な価値を持たないものだった、かえって今回のように危険なものであるということも分かりました。そこでは、他者の感情や思いを共感するということは、ほぼ完全に否定されていました。

□ この誤りに気付いた今、私に必要なことは、他者への共感や思いやりの心を強めていくことだと思っています。そのためには、他者と触れ合い、また内側から自ずと溢れてくる自己の感情を、抑えるのではなく、そのまま認め、表現し、受け入れていかなければならないのだと思います。

□ 今後、この理解を十分自分のものとして、人間として成長していけるように、しっかりと勤めたいと思っています。

□ また法廷で見た内海さんの悲惨な姿をしっかり胸に刻み付け、一日たりとも被害者の方々やそのご家族の方々の苦しみを忘れることなく、贖罪の念を心に抱き続けていきたいと思っています。


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