元被告人の現説法(20)

「上祐ワールドとは???」

2001.7、マイトレーヤこと上祐さんが、返上していたという「正大師」
の返上を撤回しました。下記は、その時の説法内容です。
ついでに、その下に、彼の1988年の説法を出しました。
麻原さん説法の引用癖は変わらずです。
まあ、ご参考までに。

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2001年7月上祐説法
さ あ 再 び 成 就 へ 向 かって

 ご存じのように、シヴァ大神祭では、今後の教団の救済活動の第1の目的は、霊的精神的進化であるということが打ち出されました。

 これは、個々人の幸福にとどまらず、最終的には、霊的精神的に一段高い人類をつくり、我々が理想の未来社会の先駆けとなろうという意味があります。

 そして、その大目標からすれば、相対的には小さな目標になりますが、クンダリニー・ヨーガの新たな成就者の輩出ということになります。

 ところで、そういう流れの中で、ある正悟師の方から、元正大師というわたしの呼ばれ方は元通り、正大師というように改めた方がいいという提案があり、多くの正悟師方(宗教団体アレフの役員を兼ねる)も、それに同意されるということがありました。
 わたしが正大師のタイトルを返上したのは、一昨年の出所時に、一連の事件を背景として団体規制法が導入された際のことです。当然、そういった社会的な要素が主たる理由でした。

 しかし、賠償契約が締結され、社会的な問題も徐々に沈静化に向かう中、教団がその活動の最終的目的を上記のように定めるならば、大乗ヨーガ・正大師という霊的ステージ・瞑想ステージの回復をお受けするべきかなと思うに至りました。

 その理由の一つとして、自分なりに、グルの説法から、大乗のヨーガのステージの意味合い、すなわち、大乗のヨーガがなすべき教団での役割と、そのステージがなすことができることを見直してみたことがあります。

●1988年4月20日 教祖説法

 そして、ジュニアーナ・ヨーガの成就者がそこ で功徳を積んで、ね、次は大乗のヨーガに入って いく。大乗のヨーガに入った成就者は、いいか、 次はスタッフを成就させる役割を演じる。つまり わたしは3万人の成就者を出したいと考えてい る。そのためにわたし1人で3万人の成就者を出 すことはできないだろう。だからここまで上り詰 めてきた人は、ね、大乗のヨーガ――大乗という のはもともと自己の苦しみだけではなくて他の苦 しみ、他の完全なる苦悩というものを取り除く、 それが役割である。で、他の苦しみを取り除くた めに、いいか、この世があるわけだ。そして、 ね、弟{おとうと}弟子たちを成就させることは 最高の功徳になる。いいね。

 だから、もう一度言うよ。大乗のヨーガに入っ た人は、ここでその人のカルマに応じて、ある人 は5人かもしれない、ある人は10人かもしれない けども成就させることになる。

●1987年10月10日 教祖説法

  そして、次に大乗のヨーガに入った段階で、そ の人は一つの軸となって、ね、わたしと離れたパ ートでも自由に動き、救済活動ができるだろう、 ね。

●「レインボー・システム」の表より

  大乗のヨーガとは求道者を成就させる役割を演 じる。これによって大乗の仏陀としての基礎を固 める。

●1993年 (私)マイトレーヤの大乗のヨーガの成就式典

  息子として転生し、弟子として転生してきてい るということは、当然わたしもいずれ彼を離さな ければならない時期が来る。離さなければならな いとは、独り立ちし、そして多くの衆生のリーダ ーとし、その世界の救済をしなければならないと いうことである。そのとき彼がしょわなければな らないいろんな課題、それを今与えることがわた しの慈愛である。

 以上からして、自分のなさなければならない使命とは、グルと物理的に離れたパートである現在の教団において、神々とグル方の祝福を得て、自分のカルマの限り、弟弟子たちの成就のお手伝いをさせていただくことであると確信します。

 しかし、もっと重要なことがあります。
 成就者を出すためには、皆さんの協力と努力が絶対に必要です。
その中で最も必要なものは、信です。

 グルと物理的なコンタクトがない教団では成就者が出ないというのはグルの法則にかなったことなのでしょうか。そういう人は信と帰依があるのでしょうか。

 グルを信じる人は、グルの説く、大乗のヨーガの成就者の、弟弟子を成就に導くカルマというのを信じてください。
 現在の教団に、必要なものは、すべて与えられていると信じてください。
 苦難を経験し、なおも信を持ち続けた皆さん、今再び解脱へ向かいましょう。 以 上


元被告人の元説法(19)

1988年 上祐説法
「核戦争回避の鍵−総本部道場を建てよう!」
−道場建立基金のご案内とご報告

………(前略−まずは麻原さん説法の引用をしています)

「もし、オウムがね、1993年までに世界各国に少なくとも1つないし2つの支部を持っていたら、私の予言は外れることになるだろう。

というのは、各国の支部のリーダー達がね、成就者(仏陀)であれば、釈迦牟尼如来が多くの人々に敬愛されたと同様に、その国の人々に敬愛されていることは想像するに難くない。その国の人々は知りたがるだろう。『仏陀達の根本はどこですか、仏陀達の根元的エネルギ−を発しているところはどこですか。』、とね。『それは日本ですよ、オウムですよ』私達は伝えることができる。そうなったとき、日本は、外国から攻撃を受けないようになるだろう。自分達の根元的城がだよ、日本にあるとしたら、それを誰が攻めることができようか。その国の二割でも三割でもオウムの信者がいたら、日本との戦争は避けるだけのパワーがあるだろう。それは確かだよ。

加えてね、世界各国に成就者がいれば、彼らの発する神聖なヴァイブレーションによって心が穏やかになる。そして、人々の闘争心は無くなり、武器があっても戦争は起こらなくなる。 最後に、成就者が多く集まれば、空間を自由にコントロールできるよ。一瞬にして、空間を無くすこともできるね。そうなれば、核戦争を回避することなんて、核兵器を無力化することなんて簡単だよ、そして、この私の構想を実現するには、3万人の成就者が必要だ。
まずは、経済摩擦の相手国であるアメリカに支部を持とうよ。アメリカは非常に流行するのが速いし、宗教国家だ。もし、成就者が真理の宗教を普及したならば、その宗教の発生の地である日本との闘争は無くなるだろう。アメリカの次はヨーロッパ。最後に私達は、仏教やあるいはヨーガの発祥の地であるヒマラヤに道場を持とう。そして、ひととおり私の仕事は終わる−−。

じゃあ、私達はまず何をすべきなのか。この構想を実現する具体的な方法を考えてみよう。3万人の仏陀を出すためにね。

まずは、『私は解脱をしたいんだ。私は悟りたいんだ。』と願う人に、その場所を提供できるようなね、そういう組織にしていくことが絶対に必要だね。

そして、あなたがた自身がね、仏陀になるために十分な修行をすることだ。それは、大乗仏教の六つの極限だね。布施、持戒、忍辱、精進によって、解脱に必要な功徳を積んでね。そしてオウムの集中修行での瞑想によって成就するんだ。

要するに、核戦争を回避するというのは、私ひとりの力じゃどうしようもない。皆さんの力が必要なんだ。私たちが救われる道は、この方法しか残っていないんだよ。私の見ているヴィジョン、直感知、そしてジュニアーナ・ヨーガによる推理知を総合するとね(尊師)」

オウムの会員の皆様なら、この尊師のお言葉の意味がよくわかると思います。では、具体的に何ができるのか。三万人の仏陀を出すために必要な修行施設を用意し、かつみずからも仏陀になるために十分な功徳を積むにはどうすればいいのか。

そこで、オウムが皆さんにお願いしたいのが、三万人の仏陀を輩出する根拠地となる静岡総本部の建設のためのお布施です。

静岡総本部道場には、解脱に不可欠に集中修行をする独房を何十、何百と備えます。しかも、古来より、神聖な地であると考えられてきた富士山麓に、シヴァ神を常に祭り、最高のヴァイブレーションをもった空間を作ります。質量ともに、解脱者を育成する最高の環境、それが静岡総本部道場なのです。

そして、この道場の建設は、尊師がシヴァ神から命ぜられたものなのです。よって、この道場建設に協力されることは、単に布施のみではなく、大乗仏教の六つの極限の功徳の中の最高位である、精進(神とグルの意思を具現化する形のない修行)にあたるのです。よって、あなた自らが解脱するために必要な大きな功徳を積むことになるでしょう。

私達オウムのスタッフは、給料をもらっていませんから、経済的には無力です。尊師もオウムの最大の欠点は経済力だと言われています。だから、どうしても、あなた方の協力が必要なのです。在家だからでき偉大な功徳の機会、それが今回の道場建設の布施なのです。

ご年輩の方は、お勤めで忙しく、学生の方のように「ボーディーサットヴァの会」に来て、労働力を奉仕されることができないことも多いかと思います。

しかし、お布施という経済的奉仕に関しては、学生の方より、余裕があると思います。労働力の奉仕であろうと、経済的な奉仕であろうと、神とグルの意思を具現化するという点に変わりはありません。これは、普段、東京本部や大阪本部に来れない地方の方にもあてはまることだと思います。学生の方も、ひと月に2000円でも3000円でも結構です。1年で1万円、1000人で1000万円になります。

オウムの会員の皆様なら、お金より、核戦争を回避し、真理の教えをこの地球に残すことがはるかに大切だとお考えになると思います。あとは実行をしてください。

オウムの総力を結集して、静岡の総本部道場を建立しましょう。            以 上


上祐被告の裁判記録の関係は、下記にあります。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/trial/4.html


被告人の陳述(18)

杉 本 繁 郎 被 告 ー 最 終 陳 述

東京地方裁判所にて 2000年3月

私は、冨田さん事件において冨田さんを殺害してしまったあと、警察に捕まれば死刑になると思い、また逮捕直後に太田弁護士からも「死刑になることを覚悟しておくように」と言われておりました。そこで、逮捕されてから以降は、生かしてもらっている間に自分の知っていることは全て伝えたいという気持ちで生きてきました。この法廷でも他の法廷でも、何一つ包み隠さず話してきたのは、私が証言することで少しでも真実が明らかになり、少しでも信者の心に伝わるものがあればという、ただそのことだけを考えてきたからです。

 裁判の最後にあたって、まず申し上げなければならないのは、やはり被害者の方々に対してです。

 私たちは、本当に申し訳ないことを致しました。どんな言葉で謝ってもお許し頂けないと思います。私たちが死刑になっても、それでも許せないと思います。本当に申し訳ありませんでした。私には、無期懲役の求刑がなされました。本日の弁論でも弁護人の先生はいろいろ私のために主張して下さいました。しかし、被害者の方々や残された家族の方々は、私が死刑になることを望んでいると思います。私は、そのお気持ちのとおりだと思います。

 私は逮捕されてからは、自分で死を選ぶことさえできません。最終的には判決という形で私に対する最終判断が下されると思います。私は、そのまま判決に従うつもりでいます。

 実は、私は、今日の意見陳述を大変心苦しい気持ちで行っています。「判決に従う」と言っても、「お前はどうせ死刑にならないと思って安心しているんだ」とお感じになられるだろうと思います。逆に「死刑にして下さい」と言っても、「どうして死刑判決が出ないと思っての言葉だろう」とお感じになられるだろうと思います。私がなしたことは、そのくらいひどいことなのです。

 もし万一、私の命を生き長らえさせて頂けるというのならば、私はこの命が続く限り、私の行った事件やオウム真理教を風化させずに伝えていき、被害者の方々のことを忘れずに、努めていきたいと思います。

 次に、現在の教団のあり方について、私の思いを述べたいと思います。

 上祐が出所して、オウム真理教が改名し、破産管財人にも協力するとの報道がなされております。しかし、麻原を「信仰の対象」として存続させている限り、彼らの危険性はなくなりません。上祐は、自分がかかわらなくても、麻原の行った犯罪を全て知っています。例えば、上祐が指揮を取った亀戸異臭事件などは、自分達が死ぬかもしれないことに思いが至らない幼稚な犯行ですけれども、無差別殺人を実行しようとしたことに間違いありません。上祐が教団のトップに座っている以上、そして、麻原を信仰の対象から捨てない以上、オウムが再度凶悪犯罪を犯す可能性を秘めた団体であることに変わりはありません。

 犯行に手を染めなかった教団幹部は、麻原の狂気に振り回されなかっただけ幸せだったのです。そのことに気付けば、教団を直ちに解体すべきだという結論は簡単に導けるはずです。

 麻原は、私達の法廷で、事件は教団内で起こったことだが、私の知らないところで弟子たちが勝手にやったことだと述べました。教団は、この麻原発言を聞いて、地下鉄サリン事件やその他の事件を、教団の一部の信者の犯行であると認めました。しかし、麻原の教義を信じている者であれば、私達弟子たちが、麻原の指示なしに、勝手にこのような事件を起こすことなど、絶対にあり得ないとお分かりのはずです。全ては、教団の起こした事件なのです。

 私達は、麻原に命じられて、修行の名の下に、教団と関係ない多くの人々に被害を与えました。信者の皆さん、あなた方の信じている教義、あなた方が行っている日々の修行お行き着く先は、第二の地下鉄サリン事件です。

 最近の教団は、「オウム新法」逃れのため、こそくな対応をしているとしか思われません。早く、教団を解体して信者は家族のもとに帰って下さい。仏教等の信仰は、教団にいなくても、一から勉強できます。教団を解体することだけが、安心できる社会を取り戻し、心から国民に謝罪する唯一の方法ではないでしょうか。

 また、この法廷で一緒に裁判を受けた豊田さん、広瀬さんにも一言申し述べたいことがあります。教団にいるときには、お二人とは余り親しくお付き合いをしていませんでしたが、いつの間にか一番古い友人であるような気持ちになっています。この間の求刑のときに、私だけが無期懲役と言われ、今日は顔を合わせることもつらい気持ちです。地下鉄サリン事件の実行役になるか運転手役になるかなど、麻原の一言で決まっただけで、私も実行役に選ばれたなら、豊田さん、広瀬さんと同じように最後まで実行していたと思います。たまたま麻原が誰を指名したかによって、死刑が求刑されたり、無期懲役が求刑されたりするのでは、いたたまれない気持ちです。本当に何と申し上げればよいやら言葉がみつかりません。

 本当に最後になりますが、オウム真理教の事件で被害にあわれた方々に対して、お詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。

 


被告人の陳述(17)

 

豊 田 亨 被 告 ー 最 終 陳 述

東京地方裁判所にて 2000年3月.

今回、発言の機会を与えていただき、一言申し述べさせていただきたいと思います。

 まず、私が殺害してしまった渡辺様、ご遺族の方々、私のまいたサリンによって重大な傷害をおわれた方々、私たちの作った爆弾によってとりかえしのつかない大けがを追わせてしまった内海様、直接間接にご迷惑をおかけした多くの方々におわびの言葉を述べさせていただきたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。

 私には、本来このようなことを言う資格すらありません。私のなした犯罪は、私の犯した罪は、どのような罰もとうてい十分とはいえない、またつぐないにはなりえないほど重いものです。そのことを思うと、私のような者が今現在なお生きていること自体が申し訳なく、また浅ましいことのように思われます。本当に申し訳ありません。

 四年余りにわたって審理をしていただき、事件の事実関係については改めて申し上げることはありません。私のなした犯罪はどれひとつをとっても、決してやってはならない、人間としてとうてい許されないものです。そして、それに加えて、教団の関与した数多くの犯罪行為のうち、自分の関係していないものについても、もちろん当時は知らなかったわけですが、正直なところ、指示されていたら、やらなかっただろう、といえるものはひとつもありません。このように考えるとき、自分のどうしようもない愚かさ、罪深さを痛感いたします。ある遺族の方の調書に、私たちのことを「悪魔のような」と表現されているものがありましたが、まさにそのとおりだと思います。宗教、救済などと言う前に、人のことを思いやるという、人間として極めて基本的な、大切なものが欠けていたと言わざるをえません。

 もちろん、このようになるつもりで教団に入ったわけではありません。また、すべての事件においてグルとされていた松本の指示が極めて大きな位置を占めていたことも事実です。しかし、仏教の方では、「人は自分のレベルに応じたグルに出会う」という言葉があるそうです。わが身をふり返ると、まさにそのとおりかもしれないという気がいたします。自分の愚かさをいくら後悔しても後悔しきれない思いでいっぱいです。

 松本については、今までに何度も意見を述べてまいりましたが、正直なところ、どのように批判の言葉をならべても言いつくせないという気がいたします。特に、この法廷に証人として出廷して来たときの態度を思い出すと、激しい怒り、悲しみ、情けなさ、つらさ等が入りまじった、文字どおり表現しようのない思いがこみ上げてくるのをおさえることができません。以前の私は、初期においては純粋な宗教性を持っていた松本、及び教団が、変容していった、というような見方をしていました。もっとも、今思うと、そのように考えたかった、そう考えなければ耐えられなかった、ということにすぎないのかもしれません。しかし、特に事件後の松本の様子を見るにつけ、教団の初期に存在していたように見えた宗教性すらも、実はうわべだけのものにすぎなかったのではないか、と考えるようになりました。ただ、その欺瞞性を見抜けなかった私には、それを批判する資格がありません。松本が極悪人であるとするならば、それについて行き、とり返しのつかない凶悪犯罪を実行した私もやはり極悪人です。このような犯罪性を見抜けなかった私には、人間として生きていく資格がないと思います。

 私の言うことが彼らの耳にとどくかどうかはわかりませんが、教団のことについても少し述べさせていただきたいと思います。

現在の教団は松本から距離をおき、危険な教義は廃するという方向を示す、少なくとも示したつもりになっているようですが、しかし、教団、教義の性格を考えるならば、そのようなことは不可能であり、自己矛盾にすぎません。おそらくこのことは、そのような主張をしている教団自身が一番よくわかっていることでしょう。その欺瞞そのものに目を向けてほしいと思います。

 私が言いたいことは一つだけです。本当に、反省するとか、一からやり直すというなら、とるべき道は、その場しのぎの姑息な手段をくり返すことではなく、教団の解散以外にはありえないということです。そして、そのためには「松本とは距離をおくけれども、瞑想家としての松本は天才的な修行者として尊敬する」などというどのようにでも解釈できるあいまいな態度をすてて、松本との関係を断ち切ることが当然の前提となるでしょう。このことは、私が改めて言うまでもなく、本当のところは教団としてもわかっている、わかってはいるが一番受け入れたくないことだろうと思います。それでも、現実をしっかりと見つめてほしいと思います。

 私がこのようなことを言うのは、少なくとも今教団に残っている人たちは、まだとり返しのつかない状態には陥っていない、まだやり直すことが可能であると思うからです。言うまでもありませんが、とり返しのつかない状態になってしまってからでは遅いのです。

 新聞報道で、ある教団幹部が、私たち犯罪に関与した者のことを、「祝福された魂」と言っているということを知りました。「祝福」と表現するのは自由かもしれませんが、今教団に残っている人たちの中で、このように「祝福」されたいと思っている者、つまり私たちのようになりたいと思っている者が一人でもいるでしょうか。いないとすれば、教団の言う「祝福」とか「救済」とかいう言葉には大きな問題があると言うべきではないのでしょうか。もう一度よく考えてほしいと思います。

 私は凶悪な犯罪の実行者であり、本来このようなことを言う資格すらありませんが、最後にもう一度、私がとり返しのつかない被害を与えてしまったすべての方々に、おわびの言葉を述べさせていただきたいと思います。

 本当に申し訳ありませんでした。

 


被告人の陳述(16)

井上嘉浩被告の麻原さんへの最後の言葉

□1999年7月19日の井上被告の法廷。麻原さんが証人として出たが、宣誓書にサインしない。そこで弁護人と井上被告から言葉が発せられた。

ーーーー週刊読売99年8月8日号江川紹子さんの記事からーー

弁 護 人

□オウムがどうしてこうなったかを説明できる人はあなたしかいない。あなたは、自分の公判に井上が証人として立ったのを覚えていますか。反対尋問の時、あなたは発言を求めたのを覚えていますね。そこで『私が全て背負うことにします』と言ったことを覚えていますね。」「それは、責任は自分にあるということを言ったんでしょ。だったら、ここでも同じ事を言ってください。あなたはいやしくも一時、井上のグルだった。井上は、あなたの言うことを聞かなきゃならない立場だった。それを思い出してください。あなたは証言をする義務がある。

井 上 嘉 浩 被 告

□かつての弟子の最後の言葉だと思って真剣に考えて欲しい。当時、あなたはヴァジラヤーナの救済は自分で悪業を積んで、カルマを背負うことで救済すると言っていた。それか慈悲の実践であり、キリストの実践であると言っていたのに、どうして今、その信念を語ろうとしないのですか。どうして、今のような態度をとるのですか。

□あなた自身の心の中に、自分は間違ったことをしてしまったという思いがあるのではないですか。神の道から外れてしまったという思いがあるのではないですか。あなたが信仰するシバ神の愛から外れたことに気づいているのではないですか。

□現実を自分と切り離して、幻影のないに逃げようとしているあなたの態度では、唯一人として救いはしない。あなたはキリストなんかじゃない。未だにあなたを信じている人は、あなたの子どもすら、この大地にすら住むことができなくなっている。それはあなたの態度が、シバ神から外れたからじゃないですか。あなたの態度はダルマの道から外れている。

□もうこれ以上頼むから、憎しみや悲しみの輪を広げないで欲しい。頼むから、憎しみの輪を広げないで欲しい。あなたは真実を語る義務があるはずです。もうこれ以上苦しみの輪を広げないで欲しい。本当に解脱を求めたとしたら、あなたは気がついているはずだ。現実を否定したくても、あなたは息をして、現実にここに座っている。あなたはこの大地の上に座っているんだ。

□それを否定した私やあなたが、このような過ちを犯したんじゃないですか。もうこれ以上憎しみの輪を広げないで欲しい。そして真実を語って欲しい。キリスト、シバ神なんてくそ食らえだ。宗教という言葉に逃げないで欲しい。その醜く朽ち果てようとしているプライドを捨てきって、信念を語って欲しい。

□これが弟子の最後の言葉です。


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