被告人の陳述


元ガンポパ菩長こと 杉本繁郎被告の陳述
1996年7月3日


一 今回の公判に当たり、

本件についての事実の認否と教祖に対しての現在の私の心境を申し述べます。

二 冨田さん事件について

 1994年7月上旬ころ、私は、新實智光から教祖の命令を聞き、新實らとともに冨田俊男さんを死亡させ、その死体をマイクロ波焼却装置を使って焼却したことに間違いはありません。

 当初、私は、新實から、冨田さんが水に毒を入れたとのことで、教祖の指示でそれを自白させると聞かされていました。そこで、新實の命令に従って新實らとともに尋問を始めました。しかし、新實の冨田さんに対する行動から、単に自白させることが目的ではなく、ポアすること(殺害すること)を前提に尋問を行っているように思われました。私は、このままでは冨田さんが死んでしまう、冨田さんをポアしたくないとの思いから、新實に対し、「ここまでやっても自白しないのは、冨田さんが犯人ではないのではないか」と言いました。いわば教祖の意思に逆らう私のこの発言は、この場面での状況及び私への精神的圧迫を考え合わせると、かなり意を決してのものでした。

 この発言の後、新實は教祖に再度命令を仰ぎに行き、結果として、私に冨田さん殺害の命令が下ったのでした。自分自身の手で冨田さんをポアしなければならないということには、当然ながらものすごく大きな抵抗感があり、冨田さんをポアしたくないと心の底から強く思いました。

 それにもかかわらず、私が教祖の命令を聞き入れ、それを拒否できなかったのは、その場の客観的状況が私に有無を言わせない状況だったからです。教祖の命令は、当初、冨田さんの尋問を私が行えというものでした。この教祖の命令を聞いたとき、私には、他の三名が「見届け役」に見え、私が冨田さんへの尋問を拒否すれば、私自身に何らかの危害が加えられるのではないかと考えました。それは、私が新實から「尊師から、ガンポパにやらせろと言われています。」と言われていたことからも明らかなとおり、仮に立場を変えて、私ではなく山内や中村が教祖から命令され、そしてその者が教祖の命令を拒んだとすれば、残りの三名でその者に強制的に尋問させるのが残りの三名の仕事になり、それがこの場合の「グルの意思」を実践させたことになるからです。山内や中村が当時このような思いを持っていたかどうかは分かりませんが、私が彼らの立場であればそう考えたと思います。二度にわたる教祖からの命令で、私は、
自分がやらなければ今度は本当に自分に危害が加えられるという強い恐怖感を抱き、ついには冨田さんを死亡させてしまったのです。

 たとえ教祖から命令され、命令に従わなければ自分がやられるという不安があったにしても、教祖の意思に従い、個人的な動機や必要性が全くないにもかかわらず、私が冨田さんを死亡させたことには変わりはなく、私がその責任を負うことは当然のことと思います。

冨田さんの命を奪ってしまったこと、そして十分な弔いをすることなく冨田さんの遺体を処分してしまったことについて、冨田さんご本人及び冨田さんのご遺族に対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 今現在私にできる唯一のことは、なぜこのようなことになってしまったのかについて、私が知っている全てのことを明らかにし、今後二度とこのような事件を引き起こさないための参考にして頂くことだと思います。

 以下は、私が躊躇しながらも、冨田さんの事件をおこしてしまった理由の一つとも言える、教祖・教団からの精神的圧迫を感じるに至った経過について述べます。

三 私が関与した事件に至る経過

 既に、落田さん事件の冒頭手続の際に述べたことですが、私は一九九三年二月に、一旦教団から下向した際、教団幹部によって連れ戻され、教祖から「お前を帰すことは、私にとっても大きな賭をすることになる。それは、お前が教団の秘密を余りに知り過ぎたからだ。」「一緒に死んで欲しかったのだが・・・。」等と言われました。そして、最後まで教祖と行動を共にしないなら、いずれは自分が殺されると考え、このまま教祖と共に進むしかないと思い、教団に残ったのです。その後、1994年1月に、私は落田さん事件に関与し、ポアの現場を見てしまいました。

 冨田さん事件の直前の私の気持ちについて、1994年4月から7月までの話から説明します。

 まず、教祖は、1994年4月頃から教団が毒ガス攻撃を受けているという現実離れした話をするようになり、そのころ起きた名古屋空港での中華航空機事故についても「この事故は、私が名古屋に行ったので自衛隊がヘリコプターで名古屋上空から私に毒ガス攻撃を仕掛けた、その毒ガスを吸った中華航空機の操縦士が飛行機の操縦を誤ったために起こった事故だ」と説明したことがあります。私は、この話を聞いて教祖は頭が狂ってしまったのではないかと思ったほどでした。また、私は、6月29日頃、遠藤から教祖の指示ということで、松本ナンバーのレンタカーの修理を依頼されたことがありましたが、これは、松本サリン事件の直後のことで、事故証明も取れないということでしたから、教団が松本サリン事件に関与したのだろうと思いました。正直言って私は「とうとうやったのか」と思ったものでした。

 このような教祖の狂ったような言動や松本サリン事件への教団の関与の疑いから、1994年5月から7月上旬頃にかけて、私は、どちらかというと教祖を避けるようにしており、できれば再び教団から下向したいと考えておりました。

 しかし、私は既に落田さん事件に関与しておりましたので、1993年に下向したときよりも私の立場は悪化していました。それに加え、1994年4月上旬頃、いわゆるロシア軍事ツアーから帰った後、教団が武装化していることを●●●●(●●●●)が他人に話したとして、●●●●に対する「軍法会議」と称される会議が開かれ、その席で教祖は「教団が武装しようとしている事を外部に洩らした者は殺す。もし家族のもとに逃げ帰ったら、家族もろともに殺す。もし警察に逃げ込んだ者がいたら、警察署を破壊してでもその者を殺す」等と明確に宣言したのです。同じ席で教祖は、警視庁か警察庁を占拠し、警視総監を人質にとり、クーデターを起こす計画があり、既に新實とかなりの部分まで話を進めているとも述べておりました。

 このように、私が教団から下向したいと考えても、教祖が自分の発言したことをそのまま実行するのではないかとの精神的圧迫から、教団から逃れることは不可能な状況にありました。

 そして、冨田さん事件の当日、新實に「尊師からガンポパにやらせろと言われています」と言われ、教祖から離れたがっている自分に教祖が気付き、私を下向させないための措置として、私に冨田さんの尋問を命令したのだと思ったのです。このときの私には、自分がやらなければ、逆に自分が殺されてしまうという大きな不安がありました。教祖に対する不信と狂った教祖から何をされるか分からないという思いが私を精神的に圧迫していたのです。

 最終的に、私は、新實とともに冨田さんに手を掛けてしまったのですが、私にとっては、この冨田さん事件がその後ずっと心の中の重しになっておりました。

 冨田さん事件の後は、1995年1月1日の読売新聞の記事、仮谷さん拉致事件と教団にとっては立て続けに事件が起こり、警察の強制捜査が近いとの情報も出て、地下鉄サリン事件にまで発展してしまい、私も運転手として関与してしまいました。既に、私は教団から逃げられない状況に追いやられており、教祖の説くタントラヴァジラヤーナの実践要員として組み込まれてしまい、私一人の力ではどうすることもできず、そのまま流されてしまうとともに、教祖の意思に従うことが善であると自らを信じ込ませて行動してきました。

四 「グルの意思」と「真理」について

 一連の事件において私たち弟子を盲目的に動かしていた「グル」、「グルの意思」とはいったい何だったのでしょうか。

 仏教の教えに、この世は一切が無常であり、輪廻六道にあっては、決して本当の幸福は得られないとあります。そして、教団においては、本当の幸福は、輪廻を超越し解脱を果たさなければ得られず、その幸福へ私たち全ての魂を導くことができる唯一の魂が「グル」であると教えられ、私はそれを信じておりました。教祖の教えでは、「グルの意思」を実践することで、私たちは最終的な境地へと導かれるとされていたのです。

 そのような教えを信じた理由の一つは、私が教祖の持っていたある種の神通力を信じていたからです。私は、オウム神仙の会に入信した当時に、神秘体験をしました。そして、そのときの体験が教祖との修行、教祖の力の成果であると信じておりました。私は、教祖の力を信じたが故に、最後まで教祖を完全には否定できず、そのまま教団にずるずるとすがってしまう結果となったのです。

当時私は、霊的体験をした結果、現世では生活していけず、教団内でしか生活できないと考えたのです。しかし、教祖の持っていた神通力は、実は、解脱や悟りあるいは他の魂の救済とは全く関係のないものでした。1990年以降の教団の動きを振り返ってみて、現在では、教祖の教えやオウム真理教は、仏教・ヨーガの解脱、悟り、他の魂の救済とは全く別のものであるとはっきり理解しております。私が、教祖の神通力が救済に結びつくと考えていたのは、全くの誤りでした。

 教祖のいう「救済」とは、大乗仏教の「利他心」「菩提心」を背景とするもので、もともとは、今生において個人を解脱、悟りに導くことによってその魂が救済されるという意味です。

ところが、坂本弁護士事件以降、教祖は、現代人は生きているだけで悪業を積んでしまうので、ポアを行うことによりその救済が成立する、現代人は教祖と「縁」が全くないので、縁をつくることによってのみ人は救済され得ると説くようになりました。そして、教祖は、現代人との「縁」を作るため1990年にはボツリヌス菌を撒こうとし、1993年には亀戸異臭事件の炭疽菌を撒こうとしました。地下鉄サリン事件にもこの「縁」の考え方も含まれています。

このように教祖の「救済」は、「今生の解脱、悟りを得ることで救済される」ことから「ポアを行い、また縁を作ることで未来において救済される」というものに変化したのです。私は、このような教祖の教えの変化に対し、不信を抱くことなく信じ、また信じようと努力したのです。 教団では、グルを信じるということが、グルに対する最大の帰依であると教えられ、愚かなほど素直にそれに従っておりました。

従うことで最終的な境地に到達できると信じ、たとえ到達できなくても、最悪の転生だけは避けられると信じたのです。そして、グルを信じる、ただそれだけで、私には精神的な安らぎが与えられました。いわば、死後の保証があると思い込み、そう思うだけで救われた気持ちになっていたのです。教祖の意思を実践することで、結果的に多くの人々が救われると信じていたので、そういう意味でも私自身の気持ちは救われていたと言えます。

 他方で、1990年以降、私は、教祖の教えを100パーセント信じていたわけではありませんでした。常に疑念・疑問の連統でしたが、そのような疑念・疑問を持つことはグルへの信のなさ、心の汚れの示すものとして無理に押さえ込み続けてきました。このように私は、教祖に不信を抱きながらも、完全には教祖を否定しきれずに、さまざまな事件に続き 加担してしまったのです。そして、それが自分のためであり、結果として人のためにもなると信じておりました。

 前に述べましたが、私は一度教団から下向しています。このように教祖に対する信をなくしていた私が、わずかながらでもそれを信じたのは、その背景に輪廻転生の教えがあったからです。グルへの裏切り行為を働いた者は地獄に落ちるという教えが私を動かしていたのです。将来自分にふりかかってくるかもしれない苦しみを回避したいという愚かな理由から教祖の教えに従ったのです。今では信じられないことですが、その当時、輪廻転生の問題は、私にとって大きな恐怖であり、精神的苦痛でもありました。

 私は、疑念、疑問を持ちながらも、教祖に従うことで、将来の不安をとりあえず解消しようとしていたのです。私は、心のなかでは否定しながらも、ある時は無意識とも言える状態で、教祖の意思を実践させるべく行動してしまいました。「一般社会では悪とされることでも、教祖の教えでは善とされる」と信じて行ったことが、やはり全くの悪でしかなかったということ、自分の人生を捨て、教祖の教えに従うことで、世のため、人のために尽くしたと思った結果がただ単に人殺しでしかなかったことは、悔やんでも悔やみきれません。

 このように私は、教祖の誤った教えを信じ、一連の事件を引き起こしてしまいました。私は、全く無知で、愚かで、盲目的であったとしか言いようがなく、本当にやりきれない気持ちでいっぱいになります。

次に、私が信じていた教祖の教えとは、本当に「真理」だったのでしょうか。教祖は本当に「真理」を説いていたのでしょうか。私が「真理」と信じていたものは一体何だったのでしょうか。

 教祖の説いた教えをよく検討してみると、それは、実は、過去に説かれていた仏教・ヨーガの教えそのものでした。それらは決して真理ではなく、また、私たちを真理に至らしめるものでもありません。私たちは、教祖の教えを記憶し実践することで真理に至れると考えていたのですが、過去に説かれた教えの記録をいくら記憶したところで決して真理に至れるものでも、解脱、悟りへと導かれるものでもありません。

もし真理が存在するとすれば、それは全てを超越した絶対的な解脱の状態でなければならず、過去の教えのように私たちの思考の範疇にある記憶をいくら集積したところで、それは真理とはなり得ないからです。教祖の教えを真理だと考えたことがそもそもの誤りの始まりだったのですが、ただ、その教祖の教えが過去に説かれた仏教・ヨーガの教えそのものであったことが、かえって教祖の教えの誤りを気付かせない結果となったのです。私たちは、教祖の教えが過去の仏教・ヨーガの教えの真似だとは考えず、教祖の体験が過去の教えに書かれた内容と一致しているのだろうと考えておりました。

 結局のところ、教祖が説いた教えとは、私たちの思考を制約する単なる観念にほかなりませんでした。私たちは、教祖の説く一つの観念を真理だと信じ、それを実践することで真理に到達できると愚かにも信じてしまったのです。実際、教団では、教学システムを作り、教祖の教えが真理だとの固定観念を植えつける修行をさせております。教学システムを学ぶことによって、自動的に私たちは自らの思考を狭めて行ったのです。これがマインドコントロールあるいは洗脳だったかどうかは分かりませんが、いずれにせよ当時の私たちは、自ら自己の思考を制約しているとは考えられませんでした。私たちの思考は、制約された観念の範囲内での思考でしかなく、一切を超越した真理には決して到達できるものではなかったのです。

そう考えると、私が死ぬほど恐れた輪廻転生も、地獄に落ちるという考えも、ポアも、結局のところは、思考を超越して考えていたわけではなく、教祖の作った一つの観念の中での思考に過ぎなかったのでず。教祖のいうポアとは、殺人行為を正当化するためだけの一つの方便だったのです。

 例えば、教祖は、地下鉄サリン事件の後、私たちに「グルとシヴァ大神と全ての真理勝者方の祝福によってポアされてよかったね」との詞章を唱えるよう指示しました。ここで、教祖は自分自身がポアしたとは言っておらず、また、詞章の内容から見ても、教祖は自分ではポアする力がなく、シヴァ大神と全ての真理勝者方が祝福を与えてくれたのでポアが成立したとも取れるのです。本当に教祖がポアを試みているのであれば、私たちに「おはぎ」を与えながら話をする暇などないはずです。教祖の説明は、殺人行為を正当化するための方便のためにポアという言葉を使ったただけなのです。ただ、当時は無理にでもポアだと信じることで、精神的に救われていた、救われていたかったのです。

 結局、教団とは、教祖のエゴ、欲望を満たす為の組織にしか過ぎず、私たちは真理の体現の名のもとに、自分の人生まで捨て、愚かなほどに教祖に奉仕してしまいました。そのうえ、本来なら解脱、悟りの境地に到達するはずが、ただ単に絶対的な無智・盲目の境地に到達しただけだったのです。私が教団においてなしたことは、教祖の欲望を満たすことであり、無智になることであり、そして人殺しになったことだけでした。私たちの現在のこの状態が、教祖の説いた「救済」の最終的な結果なのです。現実を直視すると、とてもつらく感じるというのが本音ですし、現実から逃避したいという気持ちにもなります。しかし、現実を受け入れ、現在の自分ができることを精一杯やることだけが今の私にできることです。

 私は、個人的には宗教とは本来人の心を豊かにするものであると信じています。しかし、そこに人の欲望がからんでしまうとその結果は悲惨なものになるといわざるを得ません。

五 教祖に対する私の現在の心境

 私は、落田さん事件の罪状認否の際に上申書で意見を述べましたが、そのときは教祖に騙されたという気持ちが大変強かったように思います。しかし、地下鉄サリン事件の審理を通じ、私は、教祖という人物が本当に愚かな一人の人間であると思えるようになりました。既に、私は、麻原教祖がグルであるとも信じておりませんし教祖への帰依心もありません。私に関する全ての犯罪が起訴されましたので、私は、この場をお借りして、改めて、オウム真理教からの脱会を宣言させて頂きたいと思います。

 確かに、オウム神仙の会のころの教祖は、すぐれた修行者であったと思います。教祖に出会った頃に私が体験した神秘体験は、教祖とともに修行したからこそ体験できたことであると信じています。

しかし、その後の教祖は自己の欲望に溺れ、「ただの人」に落ちてしまったのです。教団にいたころ、私は、教祖の「最終解脱者」という言葉に騙され、教祖が自己の欲望を満たす行動を取っていても、他人のカルマを引き受けてくれているものと理解しておりました。全く愚かなことです。

しかし、教祖が最終解脱者ではなかったとはっきり分かったとき、1990年以降の教祖の行動が全て自己の欲望を満たすためだけの行動に過ぎなかったこと、その段階で、教祖はすぐれた修行者から「ただの人」に落ちてしまったこと、私たちは、「ただの人」である教祖の個人的な欲望を満たすために使われていただけだということも分かりました。

 拘置所で聞く教祖の裁判での発言は、相変わらず認否を留保するばかりで、信徒に対する答えは全く聞こえません。教祖は、第一回公判の意見陳述で「自分の身に振りかかってきたことについて頓着しない」との発言をしました。これは、全てはカルマであるからということですから、教祖を信じている者が聞けば、現状を受け入れられることができる教祖はさすがだと考えるかもしれません。

しかし、それは、教祖が被害者の立場にあったときには称賛に値するものですが、加害者の立場として発言すべき内容ではありません。私はこの発言を聞いて、教祖が許せない気持ちになりました。それは、被害者を馬鹿にした発言であり、また、自分には罪がないという意味だからです。このような指導者に誤って付いていってしまったことは、全く愚かで、情けないことでした。

 その他、正大師の地位にあり他人の心が読み取れるはずの方々は、自分の裁判で「事件を知らなかった」などと答えています。また、教団は、破防法適用を免れるためだけに、最終解脱していないはずの教祖の息子たちを新教祖にたてまつろうとしています。これらは全て、「最終解脱者」である教祖が当初から見抜いていた結果なのしょうか。教祖は、このような結末を予言・予知していたのでしょうか。

 私は、教祖の口から本当のことを聞きたいと考えています。私たちがただ単に騙され、使われただけであってもそのことを教祖の口から直接聞きたいと思います。

 また、教祖は、今もなお修行している信徒のことをどう考えているのか、彼らにどのように説明するのか、更に、教団による事件の被害者の方々のことをどう考えているのか、それを教祖の口から直接聞きたいと思います。 以上

 【編注】プライバシー保護の観点から一部を伏字としました。


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