被告人の陳述


被告人井上嘉浩ー公判手続の更新に際する被告人の陳述書
96. 4.26.


 私に対する殺人等各被告事件について、本日の公判手続の更新にあたり、同更新の手続における、私の陳述は次のとおりです。

      記

一 事件について

 すべての事件に私が関与したことは、間違いありません。
 被害者の方々、御遺族の方々、未だに後遺症に苦しむ方々には、大変申し訳ないと思い、心から反省しています。第1回目の公判において、大変多くの被害者の方々の名前を聞き、改めて私が犯した罪の重さを自覚しました。

 私のなしたことは、すべて松本智津夫氏が絶対的に指示するマハームドラーの修行としての実践でした。松本智津夫氏のヴァジラヤーナに関する指示を断ったならば、ポアの名の下において殺されるというオウム真理教の教義や実態に基づく、現実的な恐怖があったため、私にはその指示を断ったり、オウムから離れることが出来ませんでした。

二 オウム真理教に残っているサマナや信徒さんへの願い

 私達は物質的に豊かになった日本社会に於いて、生・老・病・死といった人生における根本的な苦悩や、この地球に満ちている飢餓や疫病や戦争といった人間の存在の苦しみを目のあたりに見せ付けられたとしても、学校の教育やテレビ、ラジオによって受け取れる情報によっても、何一つ根本的に解決法を見出すことは出来ませんでした。

本来このような苦悩に解決の道を示してくれる宗教は、現代日本においては冠婚葬祭の一つの儀式のようなイメージでしかなく、社会のシステムに取り込まれ、私達の苦悩や疑問に本質的な答えを与えてくれるものとしての宗教の存在は見つけられませんでした

 このような苦悩に対して松本智津夫氏は、少なくとも初期の頃は解脱や悟りといった精神的な進化を私達が得ることによって克服できるという道標と、修行する場を与えてくれました。 だからこそ、これだけ多くの人達が松本智津夫氏の下に集まったと思います。

 しかし、松本智津夫氏の教えに従って、私達が解脱や悟りや救済を目指した修行は、最終的にはヴァジラヤーナの救済と称して、様々な犯罪行為を松本智津夫氏が絶対的指示するマハームドラーの修行として実践することになり、その結果、被害者の方々やその御遺族の方々には、全く不合理なたとえようもない苦しみを与え、犯罪行為に携わったサマナ自身も大変な苦悩を得ることになったのです。

 私は逮捕以来、一体何故、私達が解脱、悟り、救済を目指した修行がこのような悲惨極まりない現実を造りだしてしまったのかについて言葉に言い尽くしがたい葛藤を経、オウム真理教の実態を明らかにする事が、私の出来る唯一の償いと思い、出来るだけ客観的にこれまでの原因と結果を冷静に考え続ける努力をし続けています。

 松本智津夫氏は、松本智津夫氏の意思を実践することのみによって、解脱に至ることができると私達に教えました。 そして救済とは、煩悩的情報の世界を破壊し、松本智津夫氏の意思に従った世界をつくることであると教えるようになり、それによって教団はあくなき武装化へ向かって行ったのです。

 しかしこれらの教えは、大義名分であって実際は、松本智津夫氏は彼自身の霊的体験により最終解脱者であり、救済者であると自負したことにより、この世界の現れを単なる幻影にしか過ぎないと捉え、この宇宙に満ちている慈悲の働きに対して謙虚な姿勢を見失い、因果の法則を彼自身の都合のいいように解釈し松本智津夫氏独自のヴァジラヤーナの教えを説くようになりました。

 その結果、松本智津夫氏は彼自身の欲求さえすべて救済のためであると肯定すると共に彼自身の犯した過ちさえ弟子のマハームドラーの修行と言ったり、弟子のカルマの責任にすることになっていきました。

 そして松本智津夫氏は、彼自身の煩悩から生じた怒りの感情さえ、グルの意思に置き換え、私達弟子にポアという名のもとに殺害を絶対的指示し、実践させたからこそ、松本智津夫氏自身やオウム真理教は当然の如く、被害者の方々や遺族の方々、そして日本社会から怒りをかったのです。

 又、松本智津夫氏は煩悩から生じる貪りの感情さえグルの意思に置き換え、私達弟子に信徒から多くの財産を奪ったとしても布施させるように指示し、若い女性や有能な男性を家族から奪って平穏な生活をぶち壊しにしても出家させるように指示して、これらを実践させた結果、救済の為と称し、その布施と人材を自己のエゴに基づく武装化のために費やしたからこそ教団は、社会から財産を没収され、解散に追い込まれたのです。

 このような今の教団の実情は、決して国家権力による宗教弾圧の結果でもなく、悪魔の仕業でも決してあり得ない。

しかし、今なお松本智津夫氏は、裁判において、これまでのことを、「絶対の真理」を知らないゆえに生じる不幸、苦しみを、哀れみの心で取り去ってあげたいと思って行った「聖哀れみの実践」と言い、被害者の方々や、脱会者、オウム真理教に残っているサマナや信徒が本当に知りたいと思っている、このような悲劇を作りだした松本智津夫氏の心の真相を、独自の宗教理念を正当化することによって、明らかにしようとしない。

 だから、教団内においては現実の事件すら認識しようとしない。現実を見据えないところに、「自由」も「幸福」も「歓喜」も得られるはずがない。

今、オウム真理教に残っているサマナや信徒が今までのように現実をまったく無視し、グルへの帰依という名の下において、松本智津夫氏に盲目的に信仰し依存し続ける限り、同じ過ちを繰り返すことになるに違いありません。

 だから、オウム真理教に残っているサマナや信徒さんは、もう一度、私の言うことに耳を傾けて欲しい。
 決してもう二度と被害者も犯罪者も生み出してはいけない。
 もし、本当に松本智津夫氏を敬愛するなら、オウム真理教がこのような悲劇を作りだしてしまった原因と結果を正確に認識し、たとえ、グルの言うことであっても、この世界に満ちている慈悲の働きに反するならば、拒否する勇気を持ってほしい。

 私はオウムに居た当時、自分の命に代えてでも勇気を持って拒否できなかったことを、現在悔やんでも悔やみきれません。だからこそ、私は教団を脱会し、私が出来る償いとして、自分自身が非力であることは十分承知していますが、オウム真理教の実態を明らかにし、松本智津夫氏に立ち向かおうとしているのです。

 本当に覚醒を目指すなら、救済者なんて要らないし、サマナの階級など何も要らない。ましていわんやグルのコピー人間になることではない。

 輪廻の中で悲しみ苦しんでいる衆生を救うためには、一人一人の内側に秘められている仏性を目覚めさせるしかないと知って、自らすぐれた覚醒を目指して修行することが、本当の菩提心であると思います。
 オウム真理教に残って傷をなめ合い生きるのではなく、勇気と自信をもってなすべき償いをした上で、菩薩心を培う努力をし続けるならば、未来が開けると思います。

三 これからの裁判について

 これからの裁判において、私の出来る唯一の償いとして、オウム真理教の実態を明らかにするために、私自身が関与した事件の事実及びその背景となる出来事に関して具体的に説明し、明らかにすることは勿論のこと、私自身の経験を基に、何を求めて、私自身や多くの若者がオウム真理教に入信し、出家をしたのか。
 一体何が松本智津夫氏によって教えられたのか。
 その後、どのようにその教えが変化し、教団の組織が変貌していったのか。
 教団は何を背景に、何を目的として、武装化に向かっていったのか。武装化の実態とは何か。
 このような一連の犯罪行為が生じたその背景となるオウム真理教の犯罪の構図とは何か。
 どうして私自身が犯罪行為に関与することになっていったのか。CHSの実態とは何か。
 なぜ、私が現在オウム真理教を脱会し、松本智津夫氏に立ち向かおうとしているのか、などについて、これからの裁判で具体的に明らかにし、二度とこのような犯罪が、日本において生じないことを願い、私の出来る唯一の償いをすることを誓います。

以 上


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