事件から二年  被害者の方々の言葉を読んで
                      (カナリヤの会メンバー座談会)       
 平成九年三月二十日。あの事件から二年が過ぎたその日に、「地下鉄サリン事件
被害者の会」の方々の手によって、一冊の『手記集』が、霞ヶ関駅にて無料配布さ
れました。それと同時に、作家の村上春樹氏により、事件の被害者の方々へのイン
タビューが収録されたノンフィクション『アンダーグラウンド』が上梓されました。
 オウム真理教という教団が組織犯罪として引き起こした事件に対する一般の関心
は、報道の量も減るにつれ、徐々に薄れていっています。しかし、事件から二年を
過ぎた今もなお、この不幸な事件による問題は、いっこうに解決する兆しすら見え
て来ないのが、現状ではないでしょうか? 
  延々と続く裁判、破防法の適用を免れ未だ活動を続けるオウム信者、そして、
滞っている被害者に対する補償の面。
 事件による被害の悲惨さ、深刻さ、そして、やり場のない現状が、まざまざとこ
の二冊の本の中に物語られています。そして切実に訴えられてもいます、未だ解決
の目処すらつかないこの忌まわしい事件を風化させないために。
 オウム真理教に関わった信者には、例え、一連の事件に直接的には関わりがなか
ったにせよ、この事件の問題を十分に考えるためにも、やはり一読を薦めたい内容
です。
 この二冊の本の刊行後の三月末日。カナリヤの会の元信者の間で様々な対話がな
されました。今回はそのときの対話の模様を、被害者の方々の言葉を前に、ある面、
恐縮し、憚られる感じもしますが、報告させて頂きたく思います。

司会  
 ここに集まった脱会者の中には、この事件がオウムの犯行であるとまさに知る
ことによって、脱会した人が多くいます。今や破防法の適用も見送りになり、現役
信者は今も約四百名前後残っているようですが、「事件には深い御考えが……」な
どと思っていたりするような今も現役のサマナ・信徒に、「本当の地下鉄サリン事
件の真相とはこうだ!」ということを認識し、よく考えてもらうがために、一読を
薦めたい内容です。
 以前にもカナリヤの会の会合において、事件に対して直接の責任はないにせよ、
信者だった者の道義的な責任等のことに関して、何回か話し合われました。去年の
三月にも、公判の中で、事件がオウムの犯行だったと認めざるを得ないほど明らか
になったのに、そのことに教団の幹部や広報担当の者が一言も謝ろうともしないし、
教団という組織として誠実に答えようともしないので、脱会者の中の一部だけでも
誠実に謝罪しようという話しがでたこともありました。けれども、その当時の世間
の風当たりの強さのこともあって、結局は、ある程度まとまった形には至らないま
ま、うやむやになってしまいましたが。そして、なんらかの反省と共に「オウム真
理教被害見舞基金」に、自分に出来る限りのカンパを振り込んだ方もおります。事
件から二年が過ぎ、様々な真相が明らかになり、色々な状況も移り変わりましたが、
脱会した元信者の各々が、事件に対して申し訳ない気持ちを抱いていても、実にい
かんともしがたい問題が立ちはだかってあるように思えます。今回改めてこの二冊
の本を前にして、事件とその被害者に対して現在どういう心境をいだいてしまうか
を話し合えれば、と思います。

 ○三月二十日
 三月二十日になるたびにオウム真理教の信者だった者として、実に複雑な思い
に捕われてしまいます。実際に被害者に遇われた方々とは違った面で、この事件の
ことを思い起こさざるを得ません。
 僕は二年前の三月二十日には、大規模な強制捜査が、とうとう近々行われてしま
うのが、事前に予期されていたので、不安を抱えながらも上九でワークをしていま
した。そんな中で、その日の夕方、東京でのワークから戻ってきたサマナから、地
下鉄にサリンが撒かれたことを聞き、非常な驚きとともに、「オウムとサリンが結
び付けられて、疑惑がたかまっている最中に、一体誰がこんなひどい事件を犯して
しまったのだろう」と思っていました。よもや教団が犯した犯行であるとは全く思
えもせずに……。
 その後も事件はでっち上げで、教団を陥れる陰謀だと信じていたかったのですが、
サリンを撒いたのが教団の上層部によるものとも思えてきて、どうしようもない疑
念に捕われてしまう、自分の修行ステージの低さに恥じ入りつつ、本当に迷いなが
ら脱会したのですが、今振り替えると、当時、そのように思い込んでいたことが、
非常に恥ずかしく思えます。事件の前日、東京でワークをしてきたサマナが、杉並
区の道場に泊っていたので、「事件に巻き込まれなくて良かったね」と、話した記
憶が甦って来てしまいます。

司会  
 実際に、サマナの間でも、ごく一部の事件の実行に関わり逮捕、起訴された
幹部らを除いては、事件のことは全く知らされていませんでした。ということは、
オウム真理教のサマナ・信徒であっても事件の起きた際に、居合わせてしまってい
ても、全くおかしくなかったわけです。
ボツリヌス菌の石垣セミナーとか、「亀戸炭素菌噴霧未遂事件」のときも、東京の
サマナは「ナローパの六ヨーガ」のイニシェーションを受けにいくという口実で、
上九に退避していたけど、地下鉄サリンのときはそんな指示もなく、「地下鉄に乗
ると危ない」などとは言われていなかった。僕も「地下鉄が動かなくなって、待ち
合わせ場所に行けずに困ったよ」と、東京に導きのワークにたまたま行っていたサ
マナの話を聞いたことがあります。

  
 当時はサマナでしたが、もし事件に居合わせてしまったとして、尊師にポアされ
て良かったとか、カルマが落ちて良かったとか、現役信者として考えたとしても、
そう思えるかどうかは、甚だ疑問です。自分が麻原さんを通じて学んできた宗教的
な価値観をもって見ても、事件がポアとは思えなかったので、脱会したのでしょう。

 
  脱会する人と脱会しない人に、どんな差があるのだろうと考えた時期があるんで
すが、脱会することが出来た人は考えるべきときに考え、自分である意味でそれを、
自分の追い求めていたものと違う、という認識が出来たと思うんですね。わずかな
機会に問い詰めて考えて、自分で判断出来た人は今は一応脱会出来ているのではな
いか、それから脱会出来なかった人は、考えるべき時期を、ある面取り逃してしま
っていて、だらだらと続けていくことにより、事件自体に対しては、直視しないと
いう方向にいってしまったのではないか?  僕はある面それが哀しく思えていて、
怒りっていうものをはるかに越してしまったんですね。怒りとかそういうものでは
なくて、気付けないことによる恐ろしさ。というものを、もし自分が気付けなかっ
たら僕も残っていたのかなと思うと、ある面で、ゾッとします。

    ○被害者を前にして元信者が抱く緊張
司会 
 この問題に直面することで、それぞれがそれぞれなりに、反省して脱会したり、
いたたまれない気持ちを抱えたりしたように思います。しかし事件の結果、こちら
側からはどうしようもない問題が、いわば癒しようのない傷痕が、残ってしまって
いると思います。手記集等を読んで被害者の方々の肉声に接すると、何ともいえな
い申し訳なさや、うしろめたさというのを感じてしまいます。そして、被害者の方
々に謝りたいという気持ちが生じても、そのような接点をこちらからは持ちづらい。
その面で、やり場のない思いを抱えて落ち込んでしまうことが多くありました。
非常にシビアで、困難な問題なのですが、そういった点をじっくり詰めて、話し合
ってみたいと思います。

  
 事件を巡って、加害者サイドと被害者サイドというものが、形成されてしまいま
すが、実際に、それぞれの立場で置かれている現状というものは、非常にシビアな
状況があるために、おそらく皆もそうだと思うんですが、我々の側から、被害者の
人たちに声を掛けることが、出来ないというような感覚を得ているんじゃないかと
思います。

  
 自分はたとえ脱会はしたけれども、周りからは、あの凶悪な犯罪集団にいたのだ
と思われる。被害に遇われた方々には、私のような存在も憎しみの対象として見ら
れている、という先入観を持ってしまうので、実際会うのが恐いという気持ちと、
緊張を伴わざるを得ないです。事件の傷痕は予想以上に深く、様々な遺恨を残して
しまっているので、今我々の置かれている状況は、一体なんなんだろうと思ってし
まいます。

  
 これは本当に大きな事件であるために、実際は被害者の方々の言葉を僕たちは聞
くしかない、聞いているしかないという状況があると思えます。

  
 事件に関して、直接的な被害者と加害者が否応なく存在していますが、その中で
僕たち元信者の存在は一体どういう立場なのかは、そのように明確には定めにくい、
いうなれば、それらの狭間に置かれてしまうような、微妙な位置に置かれているよ
うに思えます。現役の信者はもっとそうでしょう。社会的に責任を問われてしまう
面もあり、被害者の方々が「オウム真理教を許すことは出来ません」というときに、
脱会したはいえ、教団の信者だった僕たちも、いわば「間接的な加害者」として含
まれているといえます。かといって、事件のことは分ってはいなかったし、直接的
に関わってはいないので、意識的な加害者とはいえません。

永岡  
 実は被害者の方と御会いさせて頂く機会があったのですが、そのとき会うことが
正直とても恐かったのです。というのは純然たる被害者に対して、「間接的な加害
者」としてどのように接していったら良いのかが、わからなかったからなのです。
しかし、実際に、被害者の方から声を掛けて頂けて、非常に感激しました。実際に
被害に合われた方と話が出来る、して下さるということが、自分達にとって救いで
ある、救いになったという意味で、御会いできて非常に良かったと思います。それ
と、これは実際に会って話さなければわからなかったことなのですけど、被害者が
被害者として、そのことをそのまんま引きずっていってはいけないように、加害者
側でもあるあなた達もそのことを引きずってはいけない、と言って頂けました。
そして「辞めた人、間接的に責任があるのかもしれないけれども、関係なかった人
々に対して、怒りや憎しみを持っているわけではない」とおっしゃって下さった。
百分の一でも千分の一でも責任がある人間を目の前にして、言って下さるというこ
とは、非常にありがたいことでした。

    ○事件から先に進むために
  
 被害に遇われた方の被害者としての苦しみ、そこから形成される被害者の憎し
みや怒りというやり場のない感情、それを中和する意味で、僕たちはそれをいかに
していくことが出来るのか?  実際には、殆ど相容れないもの同士が語り合うこと
はとても難しいものです。それでも、僕たちは前に一歩一歩進んで行かなければな
らないものですから、ある意味で、被害者の方々が苦しみを苦しみとして引きずっ
ていくことを止めようと努力しているように、僕たちもオウム事件のことから、
ある意味でそのショックというものもありますけど、そこから一歩一歩立ち上がっ
ていく努力をして行かなければならないんだな、ということに、気付かされる思い
です。

永岡  
 この問題にさいなまれて塞ぎ込むような意味で引きずられちゃいけない。かとい
って忘れてもいけない。被害者の方々は、忘れられなくても忘れていこうとするこ
とで、癒されようとしていく面があっても、我々に関しては、このことを、忘れて
しまうことが許されない、ようにも思えます。だからこそ、自分達に出来る何かを
考えていかなくてはならないし、それを行っていかなければならないなということ
を、本当に考えさせられました。

  
 被害者の方から、信者だった者の間接的な責任に関して免除して下さるようなこ
とを言って頂けるのは、本当にありがたく、いくらか安堵になります。けれども、
それは凄く気安めにはなっても、いわゆる道義的な責任がそれで免除された、とい
うことではないでしょう。取り返しのつかないことを教団としてしてしまったので
すから。責任の取りようがない申し訳なさを抱えながら、この問題に対して、誠実
にならざるを得ない。何も出来ないのかも知れないですが、「ハルマゲドン」が終
わってくれるまで、精一杯、自分なりに考えていくことになるのでしょう。

    ○事件を直視すること
  
 オウムを脱会した後、事件に対して申し訳なく思う気持ちもあって、今も残って
いる信者に、早く脱会して欲しいと、僕も出来る範囲で活動をしてきたわけですけ
ど、なかなか脱会しない、しがみついているというのが現状でありまして、何回か
現役の信者と会って話しても、これはもう彼らは一生抜けないんじゃないか、これ
も一つの生き方なんじゃないかと思って、ある面、妥協したような気持ちでいた次
第なのです。けれども、実際に地下鉄でサリンを撒いた信者達や、今も残っている
信者に対して、非常に憤りを感じていると聞いたり、被害者の人たちの気持ちを聞
いていると、かっての仲間だった人達をなんとかしたいという気持ちもあるし、被
害に遇われた人達に対して少しでも罪滅ぼしという気持ちで、やはりそういった努
力は途中で投げ出さないで、やらなくちゃいけないかと。本当に自分の出来る範囲
でしかやれないんですけれど。

  
 現役信者もこの問題に、何らかのうしろめたさを感じていたとしても、ある面無
意識的に臭いものには蓋をしたくなるように、非常にヘヴィーな問題であるが故に、
直視出来ずに曖昧にしているのでは。「証智」することが必要だと思って、自分な
りに十分に整理が付くように考えてはみても、自分が期待するようには、何ら状況
は解決していかない。そこらへんで現役の信者はついつい「事件には深い御考えが
」などと、いいたくなるのかも知れない。

  
 この前麻原さんの傍聴に足を運んで、運良く法廷に入れたんですけど、現役の信
者も大勢入廷していました。そのときも、午前中に退廷させられちゃったんですけ
ど、それまでは信者は一生懸命見て、起きてたの。それがもういなくなった途端に、
ずーっと最後まで寝てばっかりいて、一番前に御遺族の方々が座って見ていらっし
ゃったんですけど、後ろを振り返って何回も何回も凄い眼で睨んでるんだけど、
それでも起きない。びくともしない。最後には私も見ていて腹が立ってしまったん
ですけど、せめて法廷で居眠りをしない。せめて少しでも他に対して耳を貸す。
それで午後は地下鉄サリン事件の被告人が証人出廷して、それはオウムの犯行です
と証言している。良く聞いて考えて欲しい証言なのに、寝てる。

  
 今もハードなワークに追われていて、疲れているのかもしれませんが、それが信者
らの聖無頓着の実践でもないでしょう。「事件のことは自分のステージでは分らな
い」とかいったりするようですが。

  
 僕はやっぱり元信者として、教団の実態をどの程度、僕たちが知らずに付いてい
ってしまったのかということを自問自答してきました。そういう意味で教団の実態
を知ることが先決であり、現役信者の人達が教団の実態を知る意味で裁判の公判を
見るということは凄い彼にとってターニングポイントになるような、凄い出来事の
筈のものが、彼らの心にどのように響いているか?  ということなんです。僕は正
直言って、本当に残念に思えてならなかったのは彼らがああいう公判で、僕にして
みればああいう実態だったのかという驚きを隠せないような情報を、彼らはサラ
サラとノートに書き綴ってそのまま帰っちゃうわけですね。教団にまた。傍聴後、
ある信者と話をしたときに「君は今日の公判でどう感じた?」って聞いたときに、
「いや、別に」と言われてときは、なんて答えていいかわからなかった。

  
 事件のことはいいとか、物事を曖昧にしている気がする。事件に関することに
触れられると、他に対してそういった態度を取ってしまうように、上から仕付けら
れてしまっているのでしょうけど、サマナ同士の間では、事件の意味合いについて
色々と話合われていると思いたい。いくらなんでも、「深い御考え」だけでは、
すませないでしょう。

  
 いわゆる彼らの言う世界観というもの、自分達の世界観というものが、多分一番
優れているだろうと思い続けているところに、こういう態度をとってしまう一因が
ある。

司会  
 今は逆風のときだから小乗の修行を続けるとかいうのでなく、情報捨断をゆるめ
て被害者の方々の肉声を読み、この問題と向き合って、より深く考えてほしいもの
です。

                            (1997年4月12日)


地下鉄サリン事件被害者の会『手記集』を読んで  N  地下鉄サリン事件被害者の会の手記集を読みました。 ●30代男性【事件から2年が過ぎて】   今でも妹は食事もできず、体も動かないまま苦しい日々を送っています。妹がつけ ていた日記を代わりに書いて、もう3冊目になりました。両親が『いっそあのまま死 んでしまったほうがよかったかもしれない……』と泣きながら言いました。 ●30代女性【事件から2年が過ぎて】  主人の妹が食事もできない状態で闘病生活を続けています。妹の父親は、喉頭癌 で声を失っていますが、『がんばれ』の一言をかけたく機械を購入したり、母親は 痛い腰に鞭打ちながら娘の車椅子を押して散歩に出掛けています。 ●40代女性【事件から2年が過ぎて】  主人と共に被害を受けました。現在、視力低下と眩しいことに弱くなり、頭痛も あります。 ●50代女性【あの忌まわしい事件に遭遇して】  被害を受け絶対安静の入院となりました。吸った息は胸を刺し、吐くこともでき ないほどの呼吸困難に陥りました。退院後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)で 苦しんでいます。 ●60代男性【事件から2年が過ぎて】  被害を受け意識を失い入院しました。8日目に退院した後も、微熱、頭痛、体が だるく苦しい日々の繰り返しでした。 ●50代男性【空白の1日】  26年間、1日も欠かさず書き続けた日記の1日分が空白になっています。空白の 日は地下鉄サリン事件のあった日です。被害を受け気を失い入院しました。意識が 戻ってから、痙攣、嘔吐、視覚障害、不眠が続きました。39.7℃の熱も2日間続き ました。13日目で退院しましたが、後遺症との闘いが続きました。 ●50代男性【事件から2年が過ぎて】  同じように被害を受け後遺症に苦しんでいる方々が、勇気を出して表に出て現在 の自分の状況を訴えていくことが、PTSDより抜け出すきっかけになる。 ●60代男性【事件から2年が過ぎて】  息子が心臓停止の状態で入院しました。3日目の朝から息子は苦しまぎれに暴れ、 肺に水が溜まり、薬も思うように使うことができず、意識を半分落とし、手足をベ ッドに縛りつけ、危篤状態が続きました。8日目に意識が回復し、3カ月後に退院 しました。現在も後遺症のため通院しています。 ●30代女性【事件から2年が過ぎて】  後遺症のため体重は28kgまで落ち、カウンセリング治療を受け、現在は32kgに なりました。 ●30代女性【事件から2年が過ぎて】  会社の人に、『よいものを吸ったね』『うつらないの?』などの言葉を口にされ ました。 ●40代女性【天国のお姉ちゃんへ】  21歳の娘が亡くなりました。脳移植ができるものならママの脳でも何でもあげた い、最後まで諦めてはいけないと奇跡を願って手足を擦りながら、一生懸命話しか けました。 ●最愛の娘を亡くした女性【国松警察庁長官及びオウム事件に携わった警察の方々へ】  坂本さん一家失踪事件から地下鉄サリン事件が起こるまで、約6年という月日があ ったわけですから、なぜもっと早く……。 ●50代女性【ある遺族の気持ち】  朝、元気な声で「行ってきます」と会社へ出掛け、21日の夜、無言の冷たくなっ た傷だらけの『解剖』の体で帰ってきました。 ●40代女性【ある遺族の気持ち】  主人が亡くなりました。毎日死のうと思っていると、『今、お前が死んでどうする 』と主人の声が聞こえるような気がします。 ●50代女性【ある遺族の気持ち】  この無念な思いを子のない私は誰にも託すことができませんので、私があの世へ行 くときは、夫に結果報告ができますよう祈るしかありません。 ●50代女性【ある遺族の気持ち】  何の罪もない被害者だけが、悲痛な思いを味あわされているのです。 N  これは被害者の声のほんの一部分です。 私は看護婦なので、手記の中の闘病生活の苦しさがとてもよくわかります。 本来なら苦しみが和らぐようにお手伝いする立場です。それなのに松本智津夫を信じ 、教団を支えてしまい、サリン事件が起こりました。 事件は風化していくかもしれません。でも、教団を支えた私たちは忘れてはいけない と思います。まだ教団は存続しています。裁判は続いています。被害に遭われた方は 苦しんでいます。元信者それぞれが自分にあった方法で、もう二度とこんな悲惨な事 態が起こらないように、そして被害に遭われた方々へ償いができれば……と思います。  被害に遭われた方々、家族の方々の家庭を壊し、人生を狂わせ、本当に申し訳あり ません。  現在、教団を支えている信者へ── 心の目を耳を閉じずに聞いてください、見てください。 自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする。この教えを信じてい るのなら、法廷で居眠りしていて被害者の苦しみがわかるでしょうか?                              (1997年4月12日)