上九一色村 崩れゆくサティアン群の中に 

 1995年 世界を震撼させた犯罪集団オウム真理教は富士山の麓、上九一色村のサティアン群にその活動拠点を設けていた。リンチ殺人・薬物製造・銃器製造・化学兵器施設というおぞましい数々の狂気は当時、教祖と出家信者の手で、まさにここサティアンの中で密かに行われていたのである。オウムが去り、今取り壊しの進むサティアン施設の中でカメラはその痕跡を記録していた。あのオウム事件を皆が忘れないために。そして未来への警告のために・・・


第6サティアン

 後期オウム真理教の活動拠点の中枢であったのが、教祖の住むこの第6サティアンである。教祖と家族の住処の1階、信者に対する数々のイニシエーションが行われた2階、科学技術省幹部の個室、そして治療省のある3階。ここでは薬物と電気ショックにより記憶喪失にさせられたサマナが続出した。

 

左手に見えるのが第6サティアン。

 

 外周に張り巡らせてある数本のビニール性パイプはコスモクリーナーと呼ばれる空気浄化装置と連結せれてある。外部からの毒ガス攻撃に備えてというものであったが。

 

教祖側の出入口。

 

 麻原の個室。教祖の部屋にしては実にみすぼらしい。部屋の広さはワンルームマンション程度。ルームランナーはサマナ同様、麻原も肉体強化のため使用していたらしい。

 

麻原の娘たちの個室で見つかったたくさんの少女マンガの山。オウムの子供たちにはマンガを読むことはデータが汚れるという教義で禁じられていたはずだが。

 

1 1階にある供物工場。麻原のお気に入りの10代の少女たちに働かせていた。麻原が自分の部屋のそばに若い女の子をはべらせていたのは、ずばりロリコン趣味のなせるワザである。

 

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