読 者 ら か ら


30−他人事とは思えない

 読者、女性、30代

   初めてお手紙を出します。私は元オウムの信者の方が他人事とは思えません。

それは、母が一時期ですが、○○を拠点のしたカルト的な所に興味を持ち教祖の方

の写真を仏壇に飾ってあった事があったからです。

たまたま、そこが危険な集団として有名だったので母と喧嘩をしたりして辞めさせました。

 

その時の母はストレスが多く、家族が病気になったり、引きこもったりなど、

ストレスが多い時でした。宗教を心の支えにしていたのは知っていましたが、ここまで

ストレスが来ていたとは分からずショックでした。私の場合はきちんとした宗教家の方

とかのアドバイスや私を支える友人がいたのが幸いしました。
 母は当時、3つ位の宗教をしていました。2人のお坊さんが助けてくれました。

母は、自分で考えて生きる事が出来るようになりました。


その後、その宗教は警察に摘発されました。10年前の出来事ですが、オウムが

盛んで騒がれた時期と重なり他人事では無いと思いました。

誰でも、人は弱いです。私は30代ですが、少しでも人の役に立てたらと思い法律

関係の勉強をしています。時間がかかるけど、何かの役に立てたらと思いました。

 

だから、試験の合格を目指して頑張りたいです。それまでは何も出来ないけど

心より応援しています。

  元信者の方の差別が無くなり、心が救われる事を願います。
  あと、このメールの内容は母に確認をしてもらいました。

応援しています!

 


29−インターネット掲示板の書込みから

2004/ 7/27 23:24
メッセージ: 12932 / 12961

 

TVで海水に住んでた魚達が川に戻っていくとこを放映してたんだけど、
それが凄かったんだ
川の流れに逆らって上っていくんだ!
障害物がデカイ時はジャンプするんだよねえ
でも、障害物がデカ過ぎて一匹も上れない

それでも何度もチャレンジしてて・・・でも、やっぱり無理で・・・満ち潮を待って又懸命にチャレンジする
それでも一匹も上れなかったんだ
岩に張り付いたり(すっごい!)とか工夫してるんだよね

ちょっと回り道をして少し離れた所に行くとナダラカナ所があって、そこに辿り着いた魚達は上れたんだけど、それに気がつかないんだよね
何度も何度もジャンプして(恐ろしく高く飛ぶんだよ!)いて体が傷つかないのかなあって思ったよ・・・・(無謀!)

魚達が上りやすくする為に後で人間が途中途中で休みながら上れるシカケをしてあげると魚達は順序よく上れたんだ

魚達が無謀とも思える行動をとっているのを見て
「生きるってこんなことだったんだ」
って思ったよ
きっと、多分ね・・・(僕だけかもなあ)

うーん、多分「生きるって凄いこと」なんだろな
そして生きることって大事にされるといいなと思う
この魚達だけじゃなくて生き物皆が「懸命に生きること」っていうは大事にされた方がいいと思うよ

そして、生き物と生き物はお互いが「恵」になりあってる
生きる事は大事にされるものだとは思うんだけど、相互にその命を食しあってたりするんだよね

この「矛盾してるんじゃないの」と思える事実は、やっぱりその重きを「強いモノを残し、命というモノが絶えないようにする」という(僕個人の意見だよ)ことに置いているんだと思う(辻褄合わせっぽいかもなあ・・・ ^^;)

言葉で人にその重要さを訴えるのって僕には難しい
宗教とかに疎い僕には尚更難しいのかも・・・

でも、命は皆懸命に生きてる

人が命を奪い合ったりして争うのはやっぱり人にとっては不幸なことだと思う(僕は)
でも、
もしかすると、命全体というのはそのこと(地球上の命の中では最強とも思える人と人同士の争い)さえも他の命の繁栄の為の知恵なのかもしれない

ええええ!
自分で言ってて不思議なんだけど、それって有りなのかあ?!
なーんかやっぱり懸命に辻褄合わせをしてる自分がいるなあー

 


28−人間社会の空しさと言うか悲しさ

第84号。2002.11.9号 から
2002.5 −−社 会 の 人 か ら メ ー ル に て

はじめまして。関東在住の20代女性です。

4月29日付の読売新聞の30面に「九州大学医学部長の乗用車に、石灰水と見られる白い液体がかかっていた事件で、福岡県警西署は、28日までに、液体を、鳥のふんと断定、器物損壊事件としての捜査を打ち切った。九州大学医学部は、合格したオウム真理教の元信者の入学許可を取り消しており、同署は、関連を調べていた。」という記事がありました。

新聞でオウム真理教の元幹部信者が、九州大学医学部入学許可を取り消されたのは、知っていました。その時は、昔オウム真理教が起こした大罪からすれば、仕方の無いことかとは、思っていました。しかし、この記事を読んで、はっきりとは言えませんが、何か人間社会の空しさというか悲しさを感じました。

脱会しても世間でこういう風に冷たくては、行き場がなくなり、元のオウム真理教と言う世界に戻らざる終えなくなってしまうのでは、無いのでしょうか?
一度、失敗した人間に、チャンスはもう与えられないのでしょうか?

でも、チャンスを与えられるには、元信者の態度にもよるのかも、しれませんね。オウムという特殊社会にどっぷりと漬かってしまった彼らには、一般社会でどのようにすれば、受け入れられるかと言う方法が、分からないし、人間関係の構築していく方法も、上手では、ないと思います。

それを助けてあげるのが宗教以外にはないのでしょうか?
お忙しいとは思いますが、滝本弁護士の意見を聞きたくメールをいたしました。
それでは、失礼いたします。−−−−−−以上


27 −「Aの庭」トークショー  池 上 累 々

第86号に転載−2002.11.9発行
2002/8/25 東京都世田谷区 烏山区民センター3F集会室

聴衆として参加された読者の池上累々さんから了解を得られましたので、そのメルマガの文章を転載します。池上さんありがとうこざいます。    (敬称略)

司会:下村 健一
(元TBSアナウンサー、BSアカデ ミアニュース班アドバイザー)
壇上左より 森 達也
−「A」「A2」 監督
岩本 太郎
−フリーライター 「町にオウムがやっ て来た」コーディネーター
磯貝 陽悟
−テレビ朝日スタッフ、
「推定無罪 あいつは...クロ」著者、
リカバリーサポートセンター理事
河野 義行
−松本サリン事件被害者、長野県公安委 員
平井 宏
−元神奈川維新協議会事務局長......A 2に出ていた右翼の人
杉浦 茂
−アレフ信者・社会融和推進部長・正悟師
荒木 浩
−アレフ信者・広報部長・師補
村岡 達子
−アレフ信者・元教団代表代行←現会長? ・正悟師)
秋山 (アレフ信者)
他アレフ信者2名−夢精のおぢさんと木曽福島の人

(20時47分スタート。会場は満席、立ち見も20名くらい) 
森 なんで記者方面が多いんですかね。僕は普通に上映して、普通に皆さんが見てくればと思ったのに、複雑ですね、いろんな思いがありますね。
 ここはいい環境ではないし、画質も音も良くないし。
 AもA2も、いまだにビデオ化されていませんしね。あ、Aは今度BOX東中野で上映やります。アレフの現状については、言いたいこともありますが、あまり言いたくありませんね。

浜ちゃん マスコミの方で客席を撮ってる人いますが、やめて下さい

下村 河野さん、映画の中では、(アレフの謝罪の)ぶざまなシーンに対して呆れてるように見えたけれど、今はどうですか?

河野 謝罪の時は、わざわざこちらから場所を作ったのに、何も考えてない、なんて人達だと思いました。(中略)私は対話しかないと思うので、対話を心掛けていきます。
 オウムは出てけって言ってる人に、怒りの顔がないですね。本当に怒っているのでしょうか。本当に怒ってる人はそんな顔じゃない、緊迫感がないですね。

下村 (信者の人は)当然、今まで毎日この問題を考えているはずですよね?

村岡 95年以降に起こった事自体、私達の成長と無関係ではないですが、上手く表現出来ないです......。なんらかの形で表現できれば、自分なりの一つの解決になると思います。

下村 今ので分かりましたか、皆さん?平井さん、今ので分かりましたか?

平井 (前略)オウムの人は、世間を知らないから、謝罪の仕方も、謝罪の心を伝える手も知らない、子供なのかっていうとそうでもない、難しい。言葉じゃなくて態度で示さないと。

下村 それは(今の教団じゃ)だめってことですね?  

平井 いいわるいは私じゃなくて、世間が決めることですね。

下村 次に、藤岡市の信者の人に聞いてみたいと思います。なんで住民が怒っているのか得られた気付きがありましたか?

秋山 自分は、出家信者として、確立されている世界に同じ価値観の人と一緒にいると、世間を知らないので、対話が出来たことで、世間がどのへんに憤っているか分かりました。(世間に)説明をしないといけない、我々がどういう信仰を持っているか、(報道等が)今の教団とはいかに実態がかけ離れているか、説明しないといけないと思います。過去いろんな事件がありましたが、内部にいるとどうしても思考を停止してしまうので、教団として、日本の社会に、対外的に、自分達が何をしないといけないかですね。

下村 この8年、「しなきゃいけない」ばかりでしたね。
 今日は事件の被害者の方も複数おみえになっていますが、(後略)

被害者(50代女性)
 私は主人が地下鉄で被害に遭いまして、酸素吸入を受けました。幸い今は元気に暮らしております。(中略)名前を変えても中身はオウムだ、と。ヴァジラヤーナを封印したと言われても、宗教教義なんてこっちはわからない。不安です。村岡さんは、手を汚してないし刑事罰は受けないかもしれないけれども、教団の代表なのに、社会に教団の起こしたこと、かけた迷惑をぜんぜん見てない。
 私は河野さんは寛容な方だと思います。オウムはチベット密教の先生、島田先生や中沢先生にも迷惑をかけた。(中略)河野さんが「いいです」と言ったって、反省がない。私の願いは、真摯の反省を見せてほしい。どうすればいいのか分からなかったら、私に聞いて下されば方法をいくらでもお教えしますから。私も少年非行に携わっておりますが、人間としてどう生きるかを社会に見せて欲しい。(中略)
 「チベット死者の書」も皆さん読んでいるのでしょう、私も信仰を持っていますが、自分達さえどう生きればいいか、は身勝手です。私、きょうはよっぽど帰らせて頂こうかと思いましたが、これだけは伝えないといけないと思いまして。

杉浦 (半袖にネクタイ)
謝罪に関して申し上げるなら、言葉で謝っても、単に言葉であやまるだけではなく、しっかりと被害者賠償等を行って、教団内部を徹底的に変える、開かれた形にすることが必要だと思っています。(中略)私達世間知らずですから。教義面でも、五仏の法則を除去するということを、観察処分取り消し訴訟の陳述で述べたんですが、マスコミで伝えられてない。私の不徳の致すところです。

下村 信者の方々の中で、「自分は本当は(教団への怒りや憎しみが)分からない」という方、いますか。今のような対話で切り抜けていたら、100年たっても対話できませんよ。荒木さん、目があったけど、どうですか。

荒木 (いつものひよれた服装)
 うー、当事者になりきれてないし、明らかになっていない部分はありますね。
 自分達が被害者になった(中略)被害感情を深めていった95〜6年以降、
 捜索が進んで、裁判が始まって、脱会者も出て来る中で、迷いが出てきました、おかしいなー、と。被害者と加害者の立場が見えてくる中で、教団関係者にも事実が見えて来た。(高山氏の「甘過ぎる」というヤジ)でも、私達(の暮らし)に変わりはなかったが加害者側にいたんだな、という自覚は生じた。(中略)
 教団に対する見方、教団への恨み、憎しみと向き合わねばならない。国民の大多数が怒りと憎しみを持っていて、真剣に、それぞれにおいて、突き付けられている。
 立場はかたまっていない、揺れがある。95年以降、6年、7年、8年、矛盾が世界に波及している。(後略)

下村 「ねばならない」が多いですね。(中略)

 今日会場に来てくれた人の外側には、「(アレフ信者の出るイベントなど)そんなもの行くか」という人もいるわけですよ。

磯貝 (会場に来られなかった被害者(60代男性)のメッセージを代読。要約)
  −−−−−−−−−−
 今日は、ついそこまで来て、迷った。やはり行けない。
オウムとの対話は新しいことかもしれないが、今の気持ちでは出席できない。
私は地下鉄サリン事件の被害に遭って、意識が戻るまで2日かかっている。
未だに頭痛、手のしびれが残っている。 今でも、バーバリーチェックのコートの男性が、痙攣していた姿を思い出す。
オウムは私の体と心に苦しみを与えた。
 私は彼らを絶対に許すことが出来ない。
 この7年で生活が変わった。会社で窓際になり、子会社に出向し、リストラされ、再就職したが給料は半分になった。
 一方で、子供が独立して、私達の生活を支えてくれるようにもなった。
 オウムの人に言いたい、本気で心から、麻原の宗教ではないということを示してほしい。
 せっかくお誘い頂いたのに、すみません。
    −−−−−−−−

下村 ところで、この中で一番ステージの低い人は誰ですか?今のを聞いてどう思いましたか。

信者1(30代?男性。A2で「今でも夢精する」と言っていた人) 
 苦しみが伝わって来て、くるしいです。

下村 毎日毎日修行してたら、事件のこと考えることないよね? 
 あの事件直後と今で、どういう変化?

信者1 渾沌から抜け出してません......

下村 いつごろ抜けだせますか?どういうことがあれば抜けだせるの?
 深く納得の行く証言が欲しいですね。

高山 (GSハイム烏山地主。客席右前方より。ヘンなメガネを掛けている)
 (アレフは)そんないいかげんなことでは駄目。
 私は、この問題は人権上、憲法上の問題だと思った。だから世田谷区の住民票不受理訴訟も支援した。最高裁の判決では、「(区の対応は)間違っている」となってて、正当なものは通るのだなあと。
 まあ支援っていうか、弁護士はことわれ、とにかく私の言う通りやれば勝つ、と。

 ところが、アレフの人達に、麻原を未だに「尊師」と呼ぶ人がいるんですよ。本当に謝罪する気があるのか。ずるずるでたらめをやってても。
 私は(アレフ問題に関わったことで)右翼にも来られたし、いろいろ言われましたけれども。出て行けと叫ぶ人に真剣味がないとおっしゃっていたけれども、町内会は、烏山にも弁護士・検事クラスはいると思うんだけど、そういう人は出てこなくて、町内会長やりたがり屋しか出て来ない。熊さん・八っつあんばかり。なにがやりたいのか分からない。

 アレフは今のままでは自滅する、うそばっかりやっている。ただ、反対運動も真面目にやれと言いたい。ちゃんと理論づけてやらないと。割り当てられてるから来てるっていうんじゃなくてね。

(注*2000年12月、世田谷区はアレフ信者13名の転入届けを、一旦は受理したがのちに住民登録を一方的に消除した。 これに対し、アレフは世田谷区を提訴し、同時に執行停止の申立てを行った。この訴訟は地裁民事第2部と第3部に分けて扱われ、2001年12月に相次いで判決が出た。その後高裁に持ち越され、その一部分について判決が確定、その他の案件については2002年の6月27日に和解が成立した。
 執行停止の申立てのほうは、地裁では認められた。世田谷区が即時抗告し、高裁では認められなかった。アレフ側は特別抗告し、結局最高裁では申立てが認められることとなった。

 それとは別に、現在上祐幹部他30名の住民票不受理について、アレフは世田谷区を相手に訴訟を起こしている。これは2002年の3月7日に、東京地裁でアレフ側勝訴の判決が出ている
......って、そんなの皆さんとっくにご存知っすね。

 で、高山氏はどれを指して言っているのだろうか。     

河野 実は私、当初、この映画会に出席しない予定だったんです。実行委員の人が筋を通してない、(GSハイムの)管理組合と話出来てないと聞いて、筋を通してないなと思いまして。

 管理組合の代表の人から電話とFAXが入って、来てくれるな、と。私、来てくれるなという人がいるところには行きたくないものですから。後に、来ても構わないというFAXを頂いたので、伺ったわけですが。
 同じ被害者でも、アレフと住んでる人、住民反対運動をやっている人とは(私は)意味合いが違いますので、皆さんがどんな思いでやっているか聞きたいと思いまして、GSハイムの住民の小俣さんと3時間ほど話しました。

 (*河野さんは当日朝9時から烏山入りしている)

住民が困っていることは8項目あるそうです。

1 GSハイム入り口部分で、300人強 の信者が、深夜を問わず出入りしてい る。 時間帯を考えて欲しい。
2 食事の準備と、漢方薬作成時に、たえ られないにおいがする。
なんとかしてほしい。
3 北側の非常階段の避難経路を確保して 欲しい。1Fから外に出られない。
(*これはアレフが来る前からそうなっていた。つまりは元が欠陥住宅だった。)
4 共有部分でのヘッドギアとサマナ服を やめて欲しい。
5 日常の工事の騒音を改善して欲しい。
  また、深夜を問わずの工事をやめて欲 しい。睡眠の邪魔になる。
6 マントラの音を一般住民の耳にいれな いで欲しい。
7 荷物をアレフ教団へ搬入する場合、 (1Fの他の住民の部屋の?)出入り口 が塞がれているので、ずらして欲しい。
8 アレフが、1階の室内にプロパンガス ボンベを入れて、ガスをひいて煮炊きを しているので危ない。爆発したらどうする。

 8番目については、消防法では違法ではないんですが、都市ガスに変えないのかと尋ねましたら、工事をするには1時間ガスを止めないといけないので、住民全員の同意が得られなかったそうです。ちょっとした対話で解決できるのですが、対話のきっかけがないんですね。明日は住民とアレフで話しあいをするそうですね。(後略)

下村 小俣さん、他に何か言いたい事はありますか?

小俣 (GSハイム管理組合代表。客席右前方より) 
 大体河野さんが言って下さったので、それでいいと思います。

下村 これらのことは、前からアレフに伝えてありましたか?

小俣 全部ではありませんが、かなりの部分は......
下村 アレフから、それに対する解答は?
小俣 ありません

下村 オウム出てけと言ってるだけの住民と、逃げてるだけのオウムでしたが、現実に住んでる人の意見を伺うことで、具体的な問題に1歩近付いた気がします。(後略)

村岡 (話を振られて)こういうことは、対処を自分ですぐいつもやってきました。

下村 住んで2年になるのに、まだ8項目出てますが?

荒木 (前略。要約すると、ガスの問題は自分達から働きかけたが住民側の具体的な日にちなどの同意が得られなかったので、と言っている)
 明確になっていることさえ話し合いが出来ない、こういう問題が解決してこそもっとシビアな問題に向き合えると思うんですが、こっちの問題があるので、こういう問題にすら向き合えない、何言ってるか分からなくなりましたけれども。

 (荒木さんは心持ち呼吸が荒くなっている。森さんは座り込んでいる)

下村 こんな具体的なことですら対話が成立しないんですね。実験可能な事については相談していけばいいと思うんですが。さて、時間も9時半を廻りましたが、客席の方でご発言なさりたい方は、いますか

男性 (20代半ばくらい、ラフな服装)
 皆さん、立場を持ってるから本心が言えなくなってる状況なんだと思います。そういうことに気が付かないで対話してもしゃあないですね。

福田 (一橋大学名誉教授福田雅章氏。「A」で自分のゼミに荒木さんを呼んでいた人。客席右前方より )
 謝罪をせよといっても、このような対話では解決しない。オウムの人が幸せに生きられた時に初めて謝罪が出来る。矮小化された対話で、加害者と被害者(の対立)に膠着しちゃいけない。そのような構図こそがオウムとの対立を作ったことを認識して、もっとオウムを抱えた日本社会とは何かについて考えていく必要がある。

平井 
今、私自身が反省しています、私らもっとオウムをやっときゃよかったと。
 (中略。要約←私達は、右翼じゃなくて暴力団と思われたり、他の右翼から抹消される可能性があったから引き揚げたが、当局からもオウムからも酷い目に遭わされて、それでもこの問題と関わり続けている河野さんの話を聞いて、恥ずかしいと思った)

 やった人間は死刑、生かしておく必要はない。我々のことも「右翼」でひとからげにして欲しくない、それでは問題は解決しない。

下村 最後に鈴木邦男さん、何か一言ありますか。

鈴木(客席小俣氏の隣より)
 荒木さんの「自分たちは被害者だ、自分がサリン撒いたわけじゃないのに」という気持ちは分かるけど、僕らの団体も、僕と関係ないところでいろいろ事件があったけど、僕はやっぱ謝んなきゃいけないと思う。荒木君とは、前にもゆっくり話して、一緒に本作りたいと言ったけれど、戦争でも、自分達がそこにいたんならあやまんなきゃいけないし、それが出来ないならオウムをやめて個人で修行すればいい。

そうじゃないなら、やはり自分達がやったことを全面的に謝罪して、同じ様な過ちを2度と冒さずに平和的に修行するから許して欲しい、ということをきちんと言えばいい。マンションの人の8項目も、鷹揚な提案ですよ。そのくらいはちゃんとやって、「見てくれ」って言えばいい。僕だって、朝日の人を殺したんじゃないかって言われて何度もガサ入れされたし、迷惑な住民だけど、大家さんには「昔はちょっとやったけど、今は爆弾も作ってない。どうぞいつでも合鍵で入って下さい」と言ってある。

 森さんはあんまり喋んないけど、A2は雄弁な映画ですよね。住民反対運動も、右翼も、どうすればいいかを、正義を主張している人全てに見てもらって判断してほしい。今のテレビは右翼をやんないから、全部紹介しているって意味でも、問題提起映画だと思います。

下村 予定時間をはるかに上回ってしまいましたが、最後に、(荒木さん達は)こういう試みをやったことが、教団が世間に受け入れられたんだ、という風に勘違いしないで欲しい。
  (21時50分 終了) 

※ 尚、カッコ書きで前略・中略・後略となっている箇所は、単に私のノートが抜けているだけで、他意はないのでご容赦を......。また、発言の中にはないが私が意味を補った箇所も、カッコ書きとした。
* 教団の名称が「アレフ」と「オウム」で入り乱れているが、発言者の語り口をできるだけ忠実に再現するため、あえてそのままにした。但し、私が補った部分は「アレフ」で統一した。 
 *    *    *    *
会場に来ていた関係者
瀬口 晴義
−東京新聞記者、「検証・オウム真理教事件」著者
平野 悠 (ロフトプラス1席亭)
with乾さん
塩見 孝也(元赤軍派議長)
三坂 知絵子(大女優)  

* このイベントは元々、当初オウムの道場のあるマンション・GSハイムの駐車場で24日に行うはずだったが、住民の反対により急遽日時と場所が変更となった。
 で、間違えて来た人への事情説明の為に、実行委員の方々は24日にGSハイムで待機していたが、「事情を知っててわざと24日にも来た人」ってのが何人かいたんだそうだ。
いるんだよなあ、祭り好きが。

* 上映中、廊下で塩見さんが平野さんに「女房と別れたら新しき村でも作って農作業するかな、女房と別れそうな宮台を誘って」と言って、2人してウキキッと笑っていた。 あんたら映画見なくていいの?(←お前もな)。
ってゆーか、その新しき村に入るくらいならヤマギシに入る方がまだマシ。

* 会場の天井が低くて息苦しかった......。烏山には大ホールもあるのに何でそっちを借りないの?と聞いたら、なんでも18万かかるんだそうだ。(ってことは川西杏って毎回大赤字。)
 ちなみに客層はしょぼい市民運動系。ネクタイもミニスカもほとんどいません。 ゲバラTシャツがいた(←お約束)。

* 2次会で、隣の席の2人組が「スマンガラさんが......」と話していた。
 スマンガラさんが、どうしたの?
* 入場人数は170名前後、うちマスコミ系が10名ちょいくらい。
 収益金はリカバリーサポートセンターに寄付するそうだ。
 リカバリーサポートセンターとは、サリン事件の被害に遭った方々の無料健康診断とケアを行っているNPO法人団体で、一般の方の寄付も受け付けている。

三井住友銀行 新宿御苑前支店 普通
 7232785
新宿一郵便局
 00130−8−70226
名称 リカバリー・サポート・センター

* 但し、アレフは、広報部ホームページで、このリカバリー・サポート・センターへの協力を堂々と喧伝している。なんだか「寄付してるんだから許してよう」と言ってるように見える。それはどうかと思うが。それとも深読みしすぎか。リカバリー・サポート・センター自体が悪い訳では決してないのに、アレフ色の強い団体と勘違いして、却って引いちゃう一般人もいるかもしれないし。いないか。難しいところだ。
 って、私自身が、このレポートを書く上で、その広報部ホームページに多大にお世話になってるんじゃあしょうがねえやな。
 ちなみに「五仏の法則の破棄」、血眼で探したんですが確認出来ませんでした...。

* なお、今回、世田谷区の住民票問題を巡る一連の訴訟の解釈について、山本英司氏に多大にお世話になりました。ここに御礼申しあげまする。−−−−以 上


26−○ 「オウムをやめた私たち」を読んで

−83号から。2001.11.23読者、女性、30代

  1995年、オウムが地下鉄にサリンをまき、サティアンに機動隊や警察が踏み込んだあの衝撃の年、当時23歳の私も転機を迎えました。

 15歳で聖書研究をし、18歳でバプテスマを受け正式な信者となり、エホバの証人として活動していた人生の、転機の年でした。

オウムとエホバの証人、一見まったく別物のように思われるかもしれません。が、TVの報道を見ていると、わがことのように受け止めざるをえませんでした。

画面に繰り返し映し出される、子供を返せと必死で闘う親たちの姿、オウム信者たちと真剣に対抗する道場周辺の住民たち、難しい信仰論議にも屈しない弁護士やジャーナリスト、何度も画面に繰り返される警察が大量に踏み込む場面、何を問いかけても機械的に答えるモザイク処理の信者たち、等々。

不可解で刺激的な団体の報道に触発されたのか、既に疑念とあきらめを抱いていた私は、内心決意したのでした、、このまま(エホバの)組織のなかにいては駄目だ、自分で人生を歩いていかなくては、と。それから、あっというまに6年がたちました。

 完全にふっきれたのか、今年になって、よく、辞めた人はどうやって今の社会生活になじんでいるのだろう、会って話をしてみたい、と思うようになりました。そんなころ、出会ったのがこの本です。

 驚いたのは、宗派が違えど、自分と感じることが似ている、と思ったことです。入信にいたる状況、当時感じていたこと、カルトを辞めた理由、そしてこれからのこと…。

「なにかを信じるとき、たとえ一時期でも心は安定する。家族や社会との関係で不満と燃焼しつくせないものを感じていたのは、オウム信者だけではないだろう。」−P48

 おっしゃるとおり、なんでこんなものを信じる?と周りも自分さえも思うものに、一時期は、ほんとうに救われたのは事実です。当時私は、まるで大海にひとり漂う哀れな人間のようでした。誰も私を理解しない。共感できる人もいない。私の求める答えがない。本当に心が乾ききっているときだったのでしょう、非常にタイミング良く、手を差し伸べてきたのがカルトだった、、それは劇的な出会いです。

おかげで人生、すこし遠回りしたように思いますが、理想に向かって生きるだけではなく、現実の世界で生きることも強さであり、勇気であることを学べたように思います。なんせ、心酔したカルト内も、やはり理想と現実・・ギャップがおおいにあったものですから…。

 「申し訳ないことに私がオウムを辞めようと思ったのも、一連の事件が直接の原因ではありません。…サンガ(出家者の共同体)の質が低下し、生活が乱れてきたためです。」−P51
 「<スカートをはくな、化粧をするな>。私は、どんな時でも、いくら疲れていても、カッコイイ服を着てシャキっとしていたいんです。…<どうせハルマゲドンが起こるんだから、無理して学校に通って資格を取って何になる」と。…何でそんなことにまで口を出すのか。…師補から…連絡があり…とうとう私の職場にまで…そのときの師補の姿が決定的でした。…「ああ、この人ってどこにでもいる三〇代の男性だったんだなあ」って感じたんですよ。」−P169

聖なる目標にむかって日々努力する人間の集まりですから、世間の人とは違う、相応のレベルを求めたのは初心者である私の過ちだったのでしょうか。私も、気持ちが離れ始めたのは、何か大きな出来事があったのではなく、身近でありがちな理由でです。熱心でまじめな信者なら、組織が求める基準」に追いつけ、と心を体をしめつけて日々励もうとします。

ところが実際は、なかなか追いつけるものではありません。し・か・も、「基準を満たしているの?」と内心思われる人が、よくよく見るとまわりにはてんこもり、フツーにのさばるばかりか、模範的な信者として扱われるようになります。私は情緒不安になりながらも努力して、結果哀れ、霊性の低い人として警戒されるばかりでした。

そして信じられないことに、長年いると、自分が信仰優先のために抑えてきたもの、つまり大学進学や、異性への思い、物質的欲求、、-これらはもちろん、組織自体が私たちに人生の課題ではないとして、否定してきたものです−、これらが徐々に組織でも解禁されるようになるのを目の当たりにします。これは心穏やかではいられません。「私はこれまで、誤りを信じていたのか?」ということになりますから。

そういった「解禁」の連続により、エホバの証人は、「世から離れている」つまり、世俗的な生活パターンもしないし、世俗的つきあいもしない、という方針の割には、たいして俗人と変わりがないように思えてきます。

たしかに証人以外の友だちがいなかったり、派手に世的なことはしていないかもしれませんが、おこぼれをあずかる野良ネコ、野良犬のように、ひそかに世の楽しみにかかわろうとしているのは事実でした。それはまさに、上に引用させていただいたように 

「ふつうの人だったんだあ・・」、 その一言に尽きました。

これではむしろエホバの証人のなかにいるのほうが、不利?、いや、絶対不利!と感じるまでに嫌悪感がつのりました。やがて、美しい賛美歌を集会の前後に歌うことや、共に頭をたれて神に祈ること、欲から離れて神への奉仕に専念している、とかいう信仰上の友人と居ること、すべてが息のつまることになりました。

「オウムをやめて戻ってきたら、働かないとダメでしょう。…外で働くということは、必ずしも自分と気の合う人たちばかりいるわけじゃないし、イヤだなあと思う人でも嫌っていたら一緒に仕事ができないし、それはとても面倒くさい。… 何とかうまく自分をだましだましやっていかなければならない」−P220

組織の中では、この世は悪の支配下にあり、ハルマゲドンで滅ぼされる運命であり、この世と関わるのではなく、一生懸命神へ奉仕するよう教えられました。その教えが正しいことを証明するものとして、聖書の言葉が出されます。

それを一時とはいえ信じてしまったので、この世となんら変わりのない組織から出ることにしても、いざこの世で生きていくとなると、頻繁に昔の信条が頭をよぎって容易ではありません。

「神への奉仕」ではなく、組織で否定されていた「仕事に生きる」ことや、俗にまみれたこの世の人とうまくやっていくということに自信はありませんでした。あるとき、私が組織から離れそうだと察知した上の人(長老と言う)は、「OOさん、坂から転げ落ちるように、堕落しないでね」と言われました。神なしではまっすぐに歩いていけないよ、と言いたかったのでしょう。逆にいえば、彼らも組織をでていけばうまくやっていく自信がないことをあわらしている言葉です。

私は、元・信者として、自分の力で経済的に自立していける、精神的にもまっすぐ立てる、神をすてたからといって堕落するわけではない、ということを自ら証明したいと思いました。しかしやはり、世の中は良い状態とは言えないのは、信者でなくとも理解する真実で、この世に戻ることを決意すること自体は、心晴れやかなことではありませんでした。

まずは、足がかりとして、あきらめた大学進学から始めました。

「私も、自分の問題をすごい特別視してきたことがあって、この気持ちをどうして理解してくれないんだって、親に対して不信感を抱いていたんですが、脱会していろんな人たちから話を聞くと、親子問題っていうのはこどにでもあって、人間が生まれてくるうえでの宿命みたいなものって感じたんですね。…これはもう受け入れるしかなくて、そのうえでの解決を図ったほうがいいのかも・・」−P213

 大学進学の目的は、単位の取得というよりも、人生の方向転換期として、いろんなことをじっくり考えたいと思っていました。こうなってしまった、私の家庭環境、私自身の性格、これからの生き方など。大学生活をエンジョイするような顔をして勉強もしましたが、実は年の離れた同級生や、社会に生きるいろいろな立場・年齢の人から生きる知恵を学びました。

いっぱい感動しました。本を通して、遠い世界の近い現実も知りました。そうして、まもなく、みんなそれぞれ違うようでいて、同じ問題を抱えていること、アンタとアタシは違うんだと引くのはなく、一緒にのりこえていこう!と歩み寄る人もいること、自分だけが大変なのではない、、、と分かるようになりました。

 以前、自分がまるで大海に漂流する人間のように感じていたのは、実は大海どころか、裏山の池ぐらいだったのかもしれません。私は今、やっとその池の漂流から生還してきました!

「私の友だちで、口を開けば男の子のことしか話さない人がいて、ずっと私は彼女のことバカにしていたんだけど、よく話を聞けば、家族が病気だったりとか大変な思いをしている。…私の見方が狭かったんだ…みんながんばって生きているんだ。…みんな克服しようとがんばっている」−P220

「人」にたいして、おおらかな見方ができるようになったはずですが、今でももちろん毛嫌いする人間はいます。みんながんばっている同じ人間なのだということは分かりましたが、みんなを愛することなどやはり私にはできないのです。とりあえず、見方は狭いままにしておいて、わが道を行くことにしている今日このごろです。

年齢に関係なく、宗教に関係なく、性別に関係なく、理解できる人と出会えることは幸せですね。子供のころは、不可能のように思えましたが、今はそれが当然です。口ではいい表さないけれど、人生での問題を色んな手段・方法で乗り越えてきたみんな、問題を無視せず直視したためにつらい思いと闘ったみんな、そんな背景を持つみんなが今ではいとしいです。

単純な言い方かもしれませんが、人間ていいなあと思いました。まだまだ世界は広いです。自分を特別視し、他の人とは違うんだ、と考えたら成長がとまります。今しばらくは、これでよしとか、これは無理と思うのではなくいろいろ自分の可能性に挑戦・冒険していくつもりです。その都度出会う、人や、結果に学びながら。


25−○ 赤ん坊が泣きやむとき

−83号から。2001.11.21読者、男性

 こんにちは。22歳で新聞配りながら大学生やってます。

村上春樹さんの「約束されて場所で」を読みました。僕も色んな人間関係に嫌気がさして、結局は宗教には入らなかったんですが(考え抜いて自分が神だと思っていた)皆さんの気持ちになんとなく共感できました。

 現実は厳しいです。人の悪口なんか言いたくないです。だったら、少なくとも僕は言わなければいい。友人(ほとんどいないですが)がそう言うことをしたら諭せばいい。って思えるようになってからずいぶん楽になりました。

 まぁでも、胃が痛くならないこともありません。だけど、そういったつらい現実の中で、必至で自分の大事な価値観を守っていくっていう自分の道を見つけて、ようやく自分のことが認められるようになった次第です。まぁ、ある意味修行ですね。ただ僕は絶対に現実から眼をそむけたくはないです。

 何人かの方がおっしゃってた、オウムに入った失敗を教訓に生きていくという気持ちなんとなくわかります。

 幸せって、その人の静的な状態じゃなくて、なんかがんばるって事自体が幸せじゃないかな―って、最近思います。

 何度もいいますが、世の中は対したもんじゃないってのは多分変わりません。だけど、結局僕も世の中の中の一人だし、自分の内側にきれいなものがあるんだったら、それを守る事だって可能だとは思うんです。そして、もしできたらそれを周りにも影響させてみたい。

 多分みなさんは生きることに一生懸命で、それは物凄くいい事だと思います。

 シェイクスピアは「人は泣きながら生まれてくる」って書きました。でも、赤ん坊が泣き止む時って笑顔じゃないですか?もっともっと泣いて、もっともっと笑ってみたいです。

 僕よりそちらの方がつらいのでしょうが、お互いがんばりましょう。
 散文かつ一方的ですいませんでした。ただ伝えたかったもので。

追伸:神田美由紀さんのパンいつか食べたいです。がんばってください。