資料 31から37


資料37 ● 井上被告判決 −量刑部分― 高裁と地裁

5月28日、東京高裁104号法廷で、井上嘉浩被告(34)に高裁判決が下された。

死刑だった。

 

高 裁 判 決

 

認定した犯罪事実

 一連の事件のうち、VX3事件、火炎びん事件など5事件は、1審判決に事実誤認はない。

 しかし、地下鉄サリン事件については、井上被告がサリン散布を発案し、松本智津夫(麻原彰晃)被告の受け入れるところとなって、これが共謀の最初のものとなり、その後、松本被告、村井秀夫元幹部(故人)と実行役、運転手役との間に立つなどして、総合調整ともいうべき重要な役割を果たし、1審判決がいうような後方支援ないし連絡調整の域を超えていた。

 

 量刑の理由

一連の犯行は、国家権力等に対抗するために武装化を推進するかたわら、殺人でさえも悪業を積む者の魂を救済することになるなど特異な教義を唱える教団を背景に、その教祖である松本被告の指示命令に従った組織的、計画的なものである。被害者は死者だけでも合計15人と多数である。

 地下鉄事件は、教団施設に対する強制捜査を恐れた松本被告、村井元幹部らが強制捜査を阻止するため、首都中心部を大混乱に陥れるべく、無差別大量殺人を敢行しようとサリンを生成し、乗客や地下鉄職員ら12人を殺害し、14人に重篤な傷害ないし重傷を負わせた(実際には多数の負傷者を出したが、訴因との関係上触れない)。

 その動機たるや実に狂信的、独善的である。犯行態様は残虐卑劣で非人道的である。被害者らの苦痛、恐怖は多大で、生命を絶たれた無念さは、筆舌に尽くしがたい。遺族の悲嘆なども甚大である。被害者、遺族が極刑を望むのも当然である。首都が大混乱に陥り、わが国の治安に対する国際的信頼も揺るがせた。

 

 被告はサリン使用を発案し、犯行に使用する車5台を調達するなど、総合調整ともいうべき極めて重要な役割を果たし、少なくとも実行役と同等の刑事責任がある。

 

 仮谷清志さん事件の犯行は組織的、計画的である。しかも、証拠隠滅のため遺体を焼却しており、死者の尊厳に対する配慮がみじんもない。被告は拉致の責任者とともに中心的役割を果たした。

 

他方、井上被告は高校卒業直後には出家し、社会的に未熟だった。検挙後、比較的早い段階から松本被告の正当性に懐疑を持ち、影響から次第に離脱して、ほぼ全面的に自供して教団を脱退した。ほかの信徒らの公判でも証言して事案解明に協力した。そして、反省を深め、自分の罪の大きさに打ちひしがれ、被害者らにわびている。現在では同種犯行に及ぶ危険性は消滅したといえる。

被告の両親が地下鉄事件の遺族らに謝罪の手紙を書き、合計600万円を寄付し、被告も(他の被告の公判に証人出廷して得た)証人手当を寄付しており、贖罪に努めようとする姿勢が顕著である。

 

しかし、量刑は、犯罪の罪質、動機、態様、結果、そして役割といった行為面がその中核的要素となる。これを踏まえると、地下鉄事件では実に悲惨な結果をもたらし、それだけでも優に死刑に値するというべきである。

 

一審判決は、下記のように判断し、2000年6月6日、無期懲役の判決としていたのだが。    以上の通り、 報告します。

 

 

 

 対照すべき2000年6月6日の地裁判決 

 

六 また、弁護人は、被告人は、一六歳の未熟な時期にオウム真理教に入信し、以後教団以外の社会での生活を経験しないまま、二四、五歳で本件各犯行に及んだものであって、被告人自身には利己的な動機はなく、Dにマインドコントロールされた結果、Dの命令に従わざるを得ない心理的状況に追い込まれていたもので、その事情は量刑上十分考慮されるべきであると主張する。



 

1 マインドコントロールについては、前示したとおりであり(第八)、被告人は、本件各犯行当時、教団内にあってDから心理的拘束を受け、その命令や意思に反することが心理的にかなり困難な状況にあり、そのような事情は量刑にあたっては一定限度で考慮することができるといえよう。
 

もっとも、さらに検討すると、Dが説く教義や修行の内容をみれば、教団が武装化を進め、ポアと称して人の生命を奪うことまで容認するような趣旨でヴァジラヤーナの教義を唱えるに至った時点においては、最早それらが著しい反社会性や違法性を有するものであることは明白であって、通常人であれば、殺人さえも正当化するような教団に従って、違法行為や反社会的行為を行うことが許されざるものであることに、容易に気付いてしかるべきであり、被告人にも、それに気付く機会が折に触れて存在していた。

 

それにもかかわらず、被告人は、解脱、悟りを得たいとの強い欲求等からその機会を見過ごし、あるいはこれに気付きながらもなお、自己の判断で教団に残ったのであるから、本件各犯行時まで教団にとどまり、各犯行に加担する事態に至ったことは、結局のところ、被告人が自ら選択したことの帰結である。このような観点からすれば、被告人が心理的拘束下にあったことを、特段有利な情状として考慮することは本来相当でないというべきであろう。

 しかし、被告人は、高校二年の一六歳の時にオウム真理教に入信し、高校を卒業した直後に出家をし、大学一年の夏休み前まで教団施設から大学に通ったのみで、その後は、専ら教団内で生活し、一般の社会人としての経験は全くない。そして、被告人は、もともと解脱、悟りを早く得たいとの強い欲求があり、入信後は、できるだけ早く解脱、悟りに達し、社会を救済したいと考え、Dを信じて、人一倍熱心に修行に励んでいた。被告人が入信し、さらに出家した当時のオウム真理教は、まだ武装化など反社会的性格を顕著に示してはおらず、被告人が、当初Dを信じ、Dに従っていたことを一方的に強く非難することはできない。その後、Dを信じていた被告人は、オウム真理教が武装化を始め、反社会的集団に変貌していく中で、自己に課されるワークの内容や修行内容に対して、疑問を持ったり、教義と自己の価値判断等との間で葛藤しながらも、結局は、Dを信じ、Dに従ってきたのであるが、被告人がこのような葛藤の中で、Dを否定することは、入信や出家までの間にそれなりの社会経験を有し、社会的地位や家庭を築いてきた者と比較すれば、より困難であったことは否めないところである。被告人にとっては、高校卒業後に修行者となることを選択して出家し、両親の下を離れて以来、修行、生活の場としていた教団こそが、被告人が社会経験を積み、人間的に成長して行く世界となったはずだったのである。このような被告人が、Dやそれまでの自己の修行を否定することは、自分の社会経験をすべて否定することにつながり、必ずしも容易なことではなかったであろうことは、率直に認めざるを得ない。

 そうすると、このようなDの影響下から離脱することの困難性は通常の者と比較して程度問題に過ぎないから、それをもって責任能力や期待可能性の存否に影響を与えるまでのものではないことはもとよりであるが、本件各犯行当時、被告人が置かれていた状況や心理状態は、被告人にとって有利な情状の一つとして、決して過大視はできないものの、それなりに評価することが相当である。

2 さらに、前示のとおり、被告人はDの心理的拘束下にありながらも、殺人などのように反社会性の強い行為について実行犯として犯すところまでは至っていなかった。被告人は一六歳の若さでオウム真理教に入信して以来、長期間にわたって強く、Dからのマインドコントロール的な影響を受け続けてきたものであって、それにもかかわらず、なお完全にはDの統制下に入っていなかったことは、被告人自身の道徳、倫理観や価値観等が諜報省が担ったような通常の違法行為はともかく、殺人等の直接的な実行行為まで犯すことには抵抗していたものともみられるのであって、このことは被告人の犯罪性向を検討するにあたって重要な要素である。

 そして、本件各犯行について、被告人の関与状況を具体的にみるに、前示のとおりであり、被告人はこれだけ多種多様の凶悪な犯行に加担する中で、直接自らの手で人を殺害する実行行為には及んでいない(なお、その例外とみえるM事件については前示のとおりである。さらに、訴因外ではあるが、アタッシェケース事件もその例外のようにみえるが、それまでの経緯等からして、既にいわゆる松本サリン事件を経ていたサリンを使用する場合と異なり、どれだけの実現可能性があったか判然とせず、また結局のところ、実行に及ぶことを逡巡した被告人の過誤で実害が生じなかったのではないかとみる余地すらある。)。被告人はそれをトラウマと称し、どうしてもそれだけは容易に踏み切れなかったし、D1もそれを見抜いて執拗には命じなかったというのであるが、失敗に終わったとはいえS事件の第一回襲撃の経緯、状況、乙山爆発事件や新宿青酸事件、都庁事件等で、直接的な実行行為に及んだり、自己の手で犯すのでなければ極めて危険かつ暴虐な犯行に出ていること、S事件の第二回襲撃以降に関与したQによれば、被告人が平然としてQに実行を肩代わりさせた経緯がみられることなどからすると、結局は自らの手は汚したくないという意向に基づくもので、決して他者の殺害に躊躇を覚えるというようなきれい事ではない面も窺えるし、むしろ他人に最も深刻な役割を当然のように押し付ける卑劣な傾向すら窺うことができ、必ずしも被告人に有利な方向でのみ勘案することはできない。しかし、それにしても、数々の本件各犯行に関与し、しかもその役割として、教団施設等で計画を立案し、指示命令する立場ではなく、現場で実行メンバーの一部として実行面に当たることの多かった被告人が、何度かDからの指示を受けながらも、結局最後まで直接的な実行行為をするに至らなかったことは、被告人の刑責を考えるにあたって見落とすことができない。

 

 すなわち、このような被告人の関与状況は、それ自体として自ら実行に及んだ者ないし犯行を首謀し、指揮命令した者に比べれば、比較の問題とはいえ、犯情を些かなりとも軽減する方向に働くし、とりわけ末期には狂気のごとき殺人集団の様を呈していたオウム真理教にあって、秘密ワークに一貫して関わる中でも、最後までその一線を超えなかったことは、その理由として被告人が述べるところをどこまで信用、重視するかはともかくとして、当時、被告人が違法行為の繰返しに、内心での疑念や躊躇、抵抗を感じ、さまざまな葛藤の中で外部からもそれと分かるほど憔悴していた状況をも勘案すると、それなりに被告人の人間性が発露したものであり、その犯罪性向がさほど躊躇することなく殺人をも犯すような程度にまでは深化していないことを示す証左として、その限りでは評価してよい点といえよう。

七 さらに、弁護人は、被告人が自分の行為を真摯に反省悔悟し、心から被害者に詫びる気持ちを持っていると主張する。
1 まず、弁護人は、被告人がDの教えの誤りに気付き、精神的、肉体的苦痛を自力で乗り越えてオウム真理教から脱会し、他の信者にもDを否定するよう呼びかける行動に出たことを指摘する。

 被告人が、逮捕当初は事実について黙秘するなどし、その後は自らの行為については認めながらもDの関与については進んで明らかにしようとしなかった時期を経て、捜査担当者が承知していなかったDの言動まで述べるようになった経緯は被告人の供述の経過に照らして明らかであり、その過程において、被告人が平成七年一二月に教団から脱会したことも、証拠上認められる。確かに、弁護人指摘のとおり、本件各犯行に関与した共犯者の中で、今なお教団の反社会性に目を背け、Dに対する帰依を捨てきれないでいる者の存在も窺えるのであって、それに比べれば、被告人の反省の情をその限りで認めることはできよう。また、被告人がDの教えを否定するに至る過程にあって、Dによるマインドコントロール的な影響から抜け出るため、個人的に非常な精神的苦痛を伴った経緯も窺えないではない。しかし、前示のとおり(六1)、もともとDの説く教義なるものは、およそ荒唐無稽で到底人類の救済などといい得るようなたぐいのものではなく、しかも被告人は本件各犯行当時は修行としてのワークという名目で専ら違法な活動に従事していたのであるから、それにも関わらずDに対する帰依を維持していたのは、主として被告人の責に帰すべきところというほかない。逮捕後脱会する過程で、相応の困難があったからといって、それを被告人のために特段酌むべき事情とみることは相当でない。

 ただ、被告人が、自己の行為の責任を自覚するとともに、Dの教義の極めて独善的な欺瞞性、自己中心的な反社会性に思いを致して、単に脱会するにとどまらず、積極的にDを否定する行動に出、勾留理由開示などを通して、逃走中であったり教団にとどまる信者らに対して、Dを否定するメッセージを送り、Oのように現にこれに影響された者もいることは、本件各犯行が狂信的な犯罪集団と化していたといってよい教団による組織ぐるみの一連の犯罪であることからすると、相応の評価をしてもよい事柄である。

 また、このような過程を経て、被告人が、事実を正直に話さなければならないと考えるようになり、自ら捜査官を呼んでそれまで捜査機関に発覚していなかったリムジン車中での会話に関する重要事項を明らかにするなどし、これまで、Dを始めとする他の教団関係者の法廷を含むさまざまな場面で、自らの刑事責任に直結する事柄についても証言を拒絶することなく、事実を繰り返し述べてきたことは、被告人の反省の現れとみることができる。

 すなわち、被告人は、自己に不利益な点を含め、できるだけ正確にかつ詳細に思い出そうと努めて、正直に供述しようとする姿勢を示し、それに従って供述していることは、公判廷を通じて十分に理解できるところ、被告人がすすんで供述した内容が、教団の実体や違法行為の解明に貢献するものであることは、未だに被告人以外にDの関わりを明確に述べる者がない右リムジン内の会話に関する点を始めとするその供述内容自体及び被告人が主として検察官証人として、平成八年五月から平成一一年一一月までの間でも約九〇回出廷して証言していることからも十分窺える。被告人が多くの他の法廷に出廷しているのは、自ら関与した犯罪事実が多数であるからであり、また、オウム真理教関係者の中で事実について供述する者も多く、被告人のみが供述して事案の真相を明らかにしようとしているわけでもない。

 

しかし、Dを始めとして、地下鉄サリン事件などに関与したり、Dの側近にいた者らの中には、未だ証言を拒絶する者も複数いて、犯行の重要部分が明らかにならない点が存在しており、Dとの関わりやDの指示について供述できる立場にあり、かつ、事実を完全に否定しているDの面前での証言のように、被告人にとっては困難があると思われる客観的状況下でも、それらをつぶさに供述する態度を貫いてきた被告人の行動が、事案の解明に重要であることは否定できない。そうすると、右のような点を全く考慮しないというのは相当とは思われない。

2 また、弁護人は、被告人が被告人なりに、精一杯反省を深めようとしているとする。
 被告人は、第一回公判から「すべての事件に関与したことは間違いない。結果の重大さ、罪の重さを改めて自覚し、被害者、御遺族、未だに後遺症に苦しむ方々などには本当に申し訳なく、どのような言葉でお詫びすればよいのか、その言葉すら見い出すことができない」旨述べ、弁護人が期待可能性がないなどして無罪を主張した後も、「自分の無罪を考えていない。」と明言して事件に対する反省の態度を示しており、当初から、被告人なりに心から反省し、謝罪する気持ちを表現しようとしていたものとは窺える。しかし、同時に、「本当の修行者としてすべての事実を明らかにすることが今の自分にできる唯一の償いである」と述べるなど、なお宗教や修行に強くこだわる姿勢を見せていたのであって、その反省や謝罪のあり方は甚だ不十分なものであった。その後も、被告人は、拘置所内で被害者のために瞑想修行をしていると述べるなど、およそ自己の行為に対する通常の反省の示し方とは異なる態度を見せ続けてきた。

 公判廷を傍聴した被害者やその遺族にとって、このような姿勢で公判に臨む被告人の在り方やその供述態度からして、如何に被告人がさまざまなオウム真理教による犯行に関する供述を重ねていっても、なお反省、悔悟や謝罪の気持ちが十分でないと映ったのは当然のことであった。当裁判所は、本件各犯行の被害者、その遺族、関係者等一五名を超える証人を取り調べたが、被告人の面前で証言した被害者の遺族の多くが、「裁判の結果に従いますって、それが反省していることになるのか。誰だって死にたくない。亡くなった人も皆そうだよ。」「自分のためにしか言っておらず、真摯に反省しているとは思えない。人の生命を奪ったのだからそれを償うのなら、死ぬことしかないのに、そういう気持ちで裁判に向かっているとは感じられない。謝罪の気持ちも伝わらないし、現実を直視していない。」などと被告人を痛烈に非難し、おしなべて被告人に対して極刑を求めた心情は、まことによく理解できるところである。

 しかしながら、被告人は、間近に被害者やその遺族の述べるところを聞いて衝撃を受け、自分の思い上がりと自己保身のための偽善を述べてきたことにようやく気付くようになるとともに、自らの心理状態や宗教との関わり方の問題点について西田鑑定を受け、浅見証言を聞き、その中で「人格としての膨らみが高校生程度にとどまっている。現実感がなく、修行にこだわっている。」との指摘を受けるなどし、とりわけ証拠調べの終盤において、集中的に取り調べた多くの被害者やその遺族らが、前示のように、異口同音に被告人らの犯した行為によって生じた被害の悲惨さ、甚大さや被告人に対する厳しい処罰意見を繰り返すのを目の当たりにして、次第に独りよがりな態度を改めて宗教的なものに逃げこむことなく、人間として自己の責任に正面から向き合うように努め、改めて自分が極めて傲慢で、他人の生命や感情を全くないがしろにして教団外の個々人の生活や思いを顧みようともしていなかったことに思い至って、自らの犯した罪の大きさに打ちひしがれ、その行為がもたらした取返しのつかない惨状に対する畏れを実感して困惑、苦悩し、被害関係者に対する素直な謝罪の念を示しながらも、一方ではなお自らの生へ執着して迷うなど、人間としての率直な気持ちを素直に示すようになってきた。

 

すなわち、被害者らの本当の悲惨な現実を全く感じておらず、それまでの反省、悔悟なるものが、まことに浅薄で、宗教という名の下に逃げ込もうとする方向性を誤った極めて不十分なものであったことを痛切に感じたとして、「審理当初は反省ができていなかったし、自分に都合の良いことを振り切る姿勢に欠けて、考えていけないと思いながらもやはり自分の刑について考えており、事実を供述することが有利に働くという汚れた意識が自分の中にあったことに気付いた。」などと率直に認め、さらに最後の被告人質問では、「被害者や遺族の証言を聞いていてものすごく怖かったし、何てことをしたんだろうと、自分自身が生きていることが申し訳なく、自分は何もできないことを感じて、本当に怖くてどうしていいか分からない。これだけの罪を犯した者として、人としてどうあるべきかを自覚すべきなのに、それを見失っていた。自分には償いなど何もできなかったことを痛感している。犯した罪が怖くて宗教的に考えていて、Xと異なり、人としてどうあるべきかを考え、自分の生命を投げ出すだけの勇気がなかった。宗教から離れて、これだけの罪を犯した人間としての在り方を真剣に考えるべきことを、最後になってようやく自覚し、自分ができることは厳しい法の裁きを受けることだと思い至った。」旨心境を述べ、検察官の死刑求刑を受けての最終陳述に際しても、自分の反省が甘かったとして、最後に「何の落ち度もないのに亡くなった人のことを考えると、もう何も言えません。」と述べるに至っているのである。

 このような、本件審理における被告人の供述の経緯や状況及びその態度等に照らすと、被告人が述べる反省と謝罪の言葉には、その内面の変化が十分に見て取れ、現段階においては、被告人の本件各犯行に対する反省、悔悟が真摯かつ顕著なものであると認めることができる。

 もとより、事実について明らかにしようと努め、反省の情を示していることなどの被告人の主観的事情は、とりわけ被害者やその遺族の立場を考えれば、被告人のために酌むべき事情として過度に重視することは適当ではない(最高裁平成一一年一二月一〇日第二小法廷判決・刑集五三巻九号一一六〇頁、最高裁平成一一年一一月二九日第二小法廷判決)。しかし、以上のような事情及び被告人の反省、悔悟及び謝罪の気持ちが真摯なものであることは、量刑上も一定の限度では有利に考慮できる事柄であるし、とりわけ、被告人の反社会性、犯罪性向の程度が前示のようなものにとどまることとも併せ鑑みると、被告人に対する死刑選択の検討に際して、斟酌しうるに足る要素というべきである。

八 以上検討してきたとおりであり、被告人は、オウム真理教関係者による一連の犯行の捜査、起訴の段階において、諜報省長官として教団の非合法活動の実行部隊の中心と喧伝されたのであるが、正にそれに相応するかのように、殺人の被害者だけでも実に一四名に及ぶ本件各犯行を犯し、その実行行為者あるいは犯行の主導者などとして重要な役割を果たしているのであって、各犯行の罪質、動機、態様、結果の悪質、重大性、遺族の被害感情及びこれらが我が国に及ぼした甚大な社会的影響等を全体としてみるとき、被告人の刑事責任は極めて重大というべきであり、死刑を選択することは当然に許されるべきで、むしろ、それを選択すべきであるものとすらいえる。

 

しかしながら、これを被告人の各犯行に対する関与状況について個別具体的にみるときは、前示のとおりであり、量刑上最も重要であるべき地下鉄サリン事件においては、自ら実行行為を行っておらず、首謀者でも現場指揮者でもなく、さらに指揮系統に属する者として実行役らに指示する立場にあったり、現に指示するなどの行為にも及んでおらず、結局犯行に関与した共犯者の中では、本来的な実行メンバーではなかったものの、後方支援あるいは連絡調整役の役割を行ったもので、実際的にも主導的役割を果たしたとはいえないのである(五1)。共同正犯あるいは共謀共同正犯が、犯行全体に対して責任を負うことは当然であるとしても、直接実行行為を行った者や当該犯行の首謀者等の地位にある者と直接の実行行為を分担していなかった者との間には、その責任の程度において差異があることもまた明らかである。共犯者中で主導的あるいは上位の指示者的な立場の者か、それ以外かによっても、同様に責任の程度には差異が生ずる。地下鉄サリン事件において、被告人の行った行為や果たした役割、共犯者中の立場は、実行者と同視することができる程度のものとまではいえない。また、被告人は、乙山爆発事件を除くその他の事件においても、実行行為あるいは結果発生に直結するような実行行為を行っていない。すなわち、M事件では直接的な殺害行為以外の面で実行行為の一部に関与したに過ぎず(五2)、VXT事件では犯行を指揮する立場にあったとはいえ、Iの補佐役にとどまっており、共犯者中で最も主導的な役割を果たしたとはいえず(五3)、そのほか被告人が自ら実行したり、実行者を指揮、主導した犯行においては、被害者が死亡するに至っているものはないのである。

 そして、被告人の本件各犯行当時の心理的状況、現在までの反省、謝罪の態度、自己及び他の公判廷での供述態度及びその内容、それらから窺われる被告人の犯罪性、反社会性の状況、程度、前科前歴がないこと、両親が三〇〇万円をサリン事件等共助基金に寄付していること、被告人も自らの証人日当について約五〇万円全額を寄付していることなどの諸事情を併せ考えると、被告人に、地下鉄サリン事件の首謀者や実行行為者と同視しうるような責任までを負わせることはできず、死刑が究極の峻厳な刑であり、その適用に当たっては、慎重かつ綿密に犯行の罪質、態様、結果等諸般の情状を検討し、真にやむを得ない場合に限って選択することが求められることからすると、被告人に対して、死刑という極刑を選択することには、なお幾分かの躊躇を感ぜざるを得ない。

 よって、被告人を無期懲役に処するのが相当と判断した。
 なお、以上のような量刑事情に鑑み、未決勾留日数は算入しない。
                    ( 以上は地裁判決の中の量刑事情のあたりの抄本です )


資料36 ● 平成16年6月3日 無承認許可薬品の販売事例について

 

平成16年6月3日 厚生労働省医薬食品局  監視指導導・麻薬対策課

 

 

 

プロピオン酸クロベタゾールを含有する
無承認無許可医薬品の販売事例について

 

 本日、警視庁より、別添のとおりアトピー性皮膚炎に効くと称して販売されていた「桃源クリーム」に関する薬事法違反(医薬品の無許可販売)事件について、11時頃に発表を行い、桃源クリームにはステロイドホルモンであるプロピオン酸クロベタゾールが含有されていた旨の連絡がありました。
 桃源クリームは、「アトピー性皮膚炎に効くがステロイドホルモンを含有していない製品」との標ぼうにより販売されていたことから、健康被害の発生防止のために、特に桃源クリームの使用者に対して注意喚起する必要があり、厚生労働省としても下記のとおり情報提供いたします。

 

1.

製品の名称等

製品名:

桃源クリーム(漢方クリームの名称でも販売されていた)
桃源ローション

 

販売者名:

漢宝堂

 

 

2.

含有されていた成分
プロピオン酸クロベタゾール(ステロイドホルモン)

3.

注意事項
 「桃源クリーム」、「桃源ローション」については、ステロイドホルモンを含有しております。リバウンド現象を起こす危険性があるため、医師の管理の下で、徐々に使用を中止する必要がある場合もあるとともに、安全性についての担保がないことから、使用している場合は、速やかに医師に相談して下さい。

 

(参考)

プロピオン酸クロベタゾールについて

 プロピオン酸クロベタゾールを含有するクリーム剤は、国内で医薬品としての承認があり、劇薬に指定されております。

 

 

 

 

 

 

 

効能・効果
湿疹、皮膚炎群、痒疹群等に対して用いられる。

2.

 

副作用等
細菌・真菌・スピロヘータ・ウイルス皮膚感染症等に対して禁忌となっている。
主な副作用としては、皮膚萎縮、毛のう炎等があり、重大な副作用として、(大量又は長期にわたる広範囲の使用等による)緑内障等がある。

3.

その他
外用ステロイドホルモン製剤としては最も作用が強い部類に属している。

4.

構造式等
Clobetasol-17-propionate
C25H32ClFO5
M.W.466.9762

 

 

 

表紙に新聞記事を出してある件です。 アトピービジネスですね、

 

まあ、もともと麻原さんの前歴が、偽薬での薬事法違反や若い時の暴行罪、

オウムとなってからも、チタン、サットヴァジュース、ドリンク剤に始まり、LSD、

覚せい剤などまで作り使ったから、親和性がある。
   修行でアトピーが治ると宣伝した本もあった。ガージャカラニーやネーティーで、

し過ぎない程度ならばいいのだが。

 

今回のは、麻原さんの薬事法違反の事件より悪質。麻原さんの前歴は単に

役に立たないのを薬として高く売っていたが、今度は、ステロイド、それも強いのが

入っているのに入っていないとしていたみたい。

利用者は知らないのだから、塗りすぎたり、リバウンドが酷くなる。

 

「上祐ギャル」のようにして入信して、踊りを踊った後に、このようなことをしてしまい

逮捕された人もいる。

なんということだ、勧誘した人、指導した「正悟師」「正大師」からは、何のコメントも

でないまま、あまりに無責任な。


資料35 ● 死 刑 判 決 の 基 準  2004.6.19

現在の日本での基準を正確に持たない方もいると思うので、参考までに転載します。

1983年7月8日最高裁第2小法廷で逆転差し戻しで、死刑判決となった永山則夫被告の判決文からです。

 

――死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、

誠にやむをえない場合における窮極の刑罰であることにかんがみると、その適用が

慎重に行われなければならないことは原判決の判示するとおりである。

そして、裁判所が死刑を選択できる場合として原判決が判示した前記見解の趣旨は、

死刑を選択するにつきほとんど異論の余地がない程度に極めて情状が悪い場合を

いうものとして理解することができないものではない。結局、死刑制度を存置する

現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、

結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、

犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、

その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも

極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわ

なければならない。――

 

 井上被告への死刑判決は、果たして妥当だろうか。

麻原さん以外で12人に死刑判決ということとなってしまった。マインド・コントロールのことを

別としてであっても、それを大歓迎するのが麻原彰晃こと松本智津夫であるとき、悔しくて仕方がない。

 

 最高裁では、改めて逆転すべきだと思う。また、松本被告の裁判こそが、まず最高裁で確定される

べきであり、その後に他の被告人の量刑を改めて考えるべきものだと思う。


資料34 ● 集会アピール 2004.10.6  オウム事件の被害を考える10.6集会

集 会 ア ピ ー ル
 来年3月で、オウム真理教に対する一連の強制捜査が10年になろうとしている。
オウム真理教が犯した数々の犯罪、そしてその被害者が明らかになってから、10年
になろうとしているのである。

 

今年二月には、麻原彰晃こと松本智津夫の刑事裁判は一審判決が下された。

他の信徒たちの刑事裁判も、重大事犯の被告人たちを除いては、終了確定しており、

受刑者についても刑の執行すら終わっている者も少なくない。この間、オウム真理教

は、「アーレフ」という名前に変え、規模は小さくなっているものの、依然として活動を

続けている。

  その一方で、オウム真理教の犯罪による被害者たちは、依然として放置されている
といっても過言ではない。オウム真理教の破産に関する特別措置法、いわゆるオウム
対策二法という法律はでき、阿部三郎破産管財人の類い希なる努力にもかかわらず、
被害者に対する配当、すなわち経済的な被害回復は約三割にとどまっている。その金
額は、交通事故の場合の自賠責保険の金額にも届かないものでしかない。


 史上初めての、サリンという毒ガス兵器が用いられたにもかかわらず、その被害者
に対する健康被害対策も、最近に至るまでほとんどとられてこなかった。


  翻って、オウム真理教による犯罪の実態を考えたとき、オウム真理教が当初から日
本という国に対して挑戦する犯罪を意識計画して犯したものであること、坂本弁護士
一家事件の捜査等を考えたときもっと早く対策を講じることが可能ではなかったかと
考えられることなど、国が率先して被害者救済を図るべき事件ではないかと考えられ
るのである。また、オウム真理教事件ほどの事件の被害者に対して、ほとんど実効的
な対策がとられないのであれば、我が国の犯罪被害者対策がまことに貧しいものでし
かないということが明らかになるとともに、今後の実効的な被害者対策がとられる希
望は薄くなる。


  今日、本集会に参加した一同は、ここに、オウム真理教による一連の犯罪被害者に
対して、国がオウム真理教に代わって補償を行うことを定める、「オウム真理教の犯
罪による被害者補償に関する特別措置法(仮称)」の制定を求めて、本集会アピール
を採択する。

  2004年10月6日

    「国はオウム事件被害者に何をすべきか」

オウム事件の被害を考える10・6集会参加者一同

 


資料33 ● 年 月 日 経 過 表 

 警察などは、何をどうすべきだったか。 2004.10.6−滝本太郎  誤字等訂正済みのもの

★印(斜め書き)で、警察などがすべきだったことを記述する。

 

1988.9 富士山総本部道場で、集中修行中の在家信者が水死させられる。ドラム缶内の石油で焼いて精進湖に遺棄

 

1989.2.上旬 同道場で田口修二さんリンチ殺害、死体遺棄事件

−このころ「酷い匂いの煙」と住民から通報、消防もでた。

★ この情報を、後の神奈川県警などと有機的に結びつけるべきだった。県警間の連携について。

−公立小学校で「野生児」たるトラブル、後に通わなくさせた。

★ 教育委員会が学校教育法違反により、指導、告発をすべきだった

1989.3  東京都知事に「宗教法人規則認証申請書」を提出。

−オウムは、不受理違法確認の訴訟を提起し、信者数百人が東京都に押しかけ、担当者宅周辺などに脅迫じみたビラをまく

★ 何があっても、毅然とした対応をすべきだった。

1989.6.22 坂本堤弁護士らが「オウム真理教被害対策弁護団」を結成。

1989.8  「真理党」を設立して選挙活動を開始する。

1989.8.25 東京都が宗教法人として認証

★ 訴訟を受けても、毅然とした対応をすべきだった。

1989.10 『サンデー毎日』がオウム批判記事の連載開始。

−編集者宅周辺に「サンデー毎日の狂気」などのビラをまく。

★ 脅迫しみたビラにつき、遅くとも坂本事件の後、捜査対象にすべきだった。

−「オウム真理教被害者の会」結成、早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸がTBSに抗議、放送中止を要求、10.31横浜法律事務所で坂本堤弁護士と面会。

1989.11.4 坂本堤弁護士一家3人殺害事件。

−直後は見分というほどのものなし、8日朝プルシャを発見、これを受けて同日見分で20数箇所の血痕、また十数個の指紋採取

★ 事件性が明白で、それも現場が殺害等の現場だった蓋然性があったというほかはなく、また、後に村井の指紋はつけられていたはずと早川は言う。後に、村井らの指紋採取を試みるべきだった。

1994.12.1                 坂本一家殺害事件公開捜査 

−内ゲバだ、借金だなどと県警幹部が言う。

★ 警察は、根拠のないままに偏見と先入観に彩られた、また軽はずみな発言をすべきではなかった。

1989.11.19 オウム真理教信者らの事情聴取

1989.11.21       麻原彰晃ら幹部、実行犯を含めてドイツに出国

−県警はまったくつかんでいなかった。

★ 容疑者を把握しようとする体制がなかったのではないか。 

1989.12.3 坂本宅−ふすまのへこみを発見−警察に報告、改めて鑑識

 

1989.12.4 麻原ら帰国、事情聴取−村井・早川の指の火傷を発見せず又は注目せず。

★ 手袋をしていたこの2人につき、もっと注意喚起をすべきだった。とくに村井は手袋をしないまま注意もせずに実行行為に及んでいるのであり、指紋の一致がありえたものである。

1989.12 被害弁護団が元信者への強要事件で告訴 −不受理あつかい

★ 強要自体は間違いがなく、直ちに受理し被疑者上祐らにつき立件すべきだった。

 

★ 1990年 出家信者が何人も戻ってきてオウム真理教の実態、様々な違法行為を報告していたのだから捜査、立件すべきだった。    

1990.2.18 衆議院総選挙。「真理党」の25人全員落選。

1990.2.19頃着 匿名(岡崎一明)から、県警と横浜法律事務所宛に長野現場の詳細な地図郵送される。−2月、5月に掘る。県警は岡崎からと判った。 

1990.3 被害対策弁護団は、居住もしていない住所で選挙権を得たとし公選法違反で警視庁に告発する。

★ のちに不起訴としたが、東京4区の一軒家に100人以上の住民票を集めたのは少なくとも住民基本台帳法上は違法な可能性が高く、立件すべきだった。

1990.4.  石垣島でセミナー −この期間と数ヶ月後の2回、国会周辺などにボツリヌス菌毒素(未完成だったが完成していると思っていた)をまく

★ その活動の異様な点に気づくべきだった。      

1990.5.27 上九一色村で、オウム信者が、農園予定地を写していた弁護士滝本のカメラ奪取フィルム抜取事件。窃盗威力業務妨害で被害届出。後に民事賠償勝訴

 ★ 警察はまともに対応して立件すべきだった。

1990.10.22から 熊本県−波野村の国土利用計画法違反、私文書偽造などで逮捕起訴、以後同所で裁判が続く。 青山、早川など

−早川らに坂本事件の事を一切聞かず、指紋が損傷紋であることがわかったが、採取したのは起訴間際だった。

★ 警察として指紋採取とその結果の重要性に思いをいたすべきであり、また坂本事件の任意聴取を当然のことながらすべきだった。

★ この後、保釈条件に違反して外国に許可なく行ったこともあるが、保釈取り消しをしないままだったのはまさに不可思議。

1990.10 県警が岡崎から事情聴取、ポリグラフ外。   

−岡崎は友人らにこの事実を述べていたと証言している。

★ 県警は、岡崎の周辺について、事情聴取などの捜査をすべきだった。

1990.12.7 母とともに出家した少年等についての非信者である父からの人身保護請求事件で大阪地裁に続き、最高裁でもオウム真理教が敗訴する。

★ これをうけて、逮捕監禁により、オウムの出家担当者らを調べ、検挙することが可能だったはずである

1990 被害対策弁護団は、オウム医院での立産、教団側の取り戻しの為の暴言、暴行なども警察に報告するが、対応なし。

 

1991.7〜 滝本がカウンセリング活動を開始。元信者から得た内部のさまざまな状況を一々警察に報告する。

★ 警察は、オウム自体について違法行為を見逃さないという対応をすべきだった

1991.8 茨城県の出家問題の関係者宅で盗聴器が発見される。 

1991.11 滝本が岡崎一明に面談。 直ちに岡崎から警察に連絡が行き、以後警察に同人及び脱会信者への接触を止められる。

★ 県警として、弁護士と同人らの接触を禁じるならば尚更、同人と周辺につき、より丁寧に捜査し続けるべきだった。

 

1992.1 松本市に計画の松本支部につき裁判所から賃借部分の建設禁止仮処分命令

1992.3 ロシア救済ツァー−最高会議議長や副大統領と面談、翌月から日本向けラジオ放送、6月からは世界向け英語放送、ロシアの演奏家を組織して「キーレーン」

★ 疑惑あるオウム真理教がロシアの権力者に接触を持つようになったのであるから、さらに注目すべき事態だった。

1992.9 社長が信者の会社の経営困難に乗じて、会社を乗っ取り、その精密工作機器を山梨県富沢町の施設に持ち込む

★ 私文書偽造、商法違反などがあった可能性があり、警察は捜査をすべきだった。

 

1993.2 オウム幹部らがロシアで自動小銃の密造のために見学。AK47一丁と銃弾を入手する。

1993.3 「カレー研究会」「ヨーガ瞑想同好会」などダミーサークルを活発化。

1993.6.6 越智直紀君の逆吊り死亡、死体遺棄事件

1993. 東京の元電気店経営者が「付属医院に軟禁され、寄付を強要された」と、オウム相手に民事訴訟を起こす。

★ 警察は被害相談を受けてしっかりとした対応をすべきところ、しなかった。

1993.12 東京都八王子市の創価学会施設にて、サリン散布

1993.6-7 東京都江東区に建設中の亀戸本部で2回にわたり異臭騒ぎ。たんそ菌を噴霧

★ 警察は、捜査をしっかりと開始すべきだった

 

1994.5 PSI(パーフェクトイナシエーションサーベイション)を開始、100万円1週間コース、1000万円永遠コース

1994.5 三鷹市内でオウム真理教脱会のもとり予想先から盗聴器が発見される。

−警視庁三鷹警察に告訴するが動かず。

★ 警視庁は、オウム事態の異常性をも報告されたのだから、対応すべきだった。

1994.1.30 落田耕太郎さんリンチ殺害事件

1994.3 宮崎県の資産家を東京・上九一色村まで拉致する事件の始まり。

★ 生きて帰れたのはまさに奇跡であった。警察庁以下、各県警はしっかり対応すべきだった。

1994.5.9 滝本太郎サリン殺人未遂事件。

1994.6  旧ソ連製大型ヘリが到着。

★ 静岡県警は警察庁とも連携をとり、異常なこの事態について、捜査を始めるべきだった。

1994.6  LSDや覚醒剤を使ったイニシエーション開始。死亡者続く

−以後、上九では逃亡信者らが続出する。

★ 山梨県警は、体制を整えて、住民らの訴えを聞き取り、脱走者からも十分に聴取すべきだった。また、この頃以降、他の県警も脱走者を弁護団が次々と警察に知らせているのだから、捜査すべきだった。

1994.6.27 松本サリン事件

★ サリンが河野さん宅の者で製造できないことを認識して、直ちに原材料の入手ルートの探索をするなどに力を入れるべきだった。

1994.7 2度にわたり、上九一色村の第7サティアン付近で異臭。住民等は松本サ

リン事件との関連を訴えていた。神奈川県警からの意見によって、実に1994.10、ようやく土を採取したのであった。

★ 異臭発生後、対応したのはもっぱら保健所であるところ、直ちに警察は鑑定などの対応をすべきだった。

1994.7.10 冨田俊男リンチ殺害事件。

1994.7.15 出家者男性の温熱傷害致死事件。

1994.8.24 上九の竹内さん宅、公民館などから盗聴器が発見される。

★ 1つを住民が発見して警察に通報した後、テレビ局がその他を発見するという体たらくであった。オウム側は、静岡県警富士宮署と山梨県警富士吉田署を堂々と監視し始めた。警察は、盗聴器を発見してくれる会社を教えてほしいと弁護士に問う状態あった。

1994.8 滝本−刃物を作るための機器を購入したと情報取得−警察に通報

★ 通報を受け監視を強めるべきだった。

1994.9 宮崎資産家拉致事件−家族・弁護団の努力で奪回して、告訴をできた。

★ 警察は直ちに対応し、立件すべきだった。

1994.9 滝本−内部で薬物使用が始まっていることを警察に通報

★ 警察は、坂本事件だけでなく、薬物使用の事案としても対応すべきだった。

1994.9.20 江川紹子ホスゲンガス襲撃事件(不起訴)

−警察にガスの可能性を含めて通報、被害届出

1994.10.5頃から1年−江川、滝本宅の警備

1994.10 滝本VX事件(不起訴)

1994.10 警察が上九一色村の土を採取

1994.10.末 看護婦脱走−滝本や警察に協力してくれる。死亡事件、薬物使用の実際を警察に通報した。監禁事件の被害者でもある。

★ 監禁事件については同年6月にパトカーが出るまでの事件であったのであり、直ちに対応すべきだった。薬物使用について直ちに捜査を開始すべきだった。

1994.11.2 滝本−「集団自殺、虐殺の危険性について」と上申

1994.11.4 滝本、富士宮の旅館でのボツリヌス菌事件

★ 赤ん坊のみが出家しているという監禁事案の交渉をしたものであり、警察は対応旅館の周辺を警備すれば足りるのではなく、対応すべきだった。またワゴン車に何人もの幹部らが乗って尾行してきたのだから、職務質問をすべきだった。

1994.11  電気ショックで記憶を消す「ニューナルコ」を開始。

1994.11 上九一色村の土地からサリンの副生成物検出される。

★ 明確な捜査方針を定め、また二度目の無差別大量殺人を止めるべく、全警察的な取り組みを、まさに直ちにすべきだった。

 

 

1994.12         滝本−薬物イニシエーション後3日目の人を脱会させることができた。

−血液採取を警察に要望したが果たせず、医師に依頼して保管してもらい引き続き鑑定を依頼するが対応なし。

★ 薬物の特定のために、それこそ直ちに対応すべきだった。

1994.12.2 水野昇VX襲撃事件

1994.12.5 出家者女性長女への路上拉致事件

1994.12.9 ピアニスト監禁事件の始まり−1995.3現行犯逮捕

1994.12.12 浜口忠仁VX殺害事件

★ 大阪府警は、より高度な鑑定を目指すべきだった

1994.12 漫画家小林よしのり氏へのVX殺人予備事件(不起訴)

1994.12末 全国警察会議−強制捜査の決定

 

1995.1.1 『読売新聞』一面に上九一色村でサリン副生成物報道

1995.1.4 教団が上九一色村の住民を、毒ガスを製造しているとして告訴、記者会見

1995.1.4 被害者の会の永岡弘行会長VX襲撃事件

−警察は、滝本が強行に「後にとんでもない失態とわかりますよ」とまで言ってようやく1.6に実況見分をした。鑑定に農薬を措定したために同じ有機リン系の「スミチオン」とされ、滝本にこれを嗅がせるまでして警視庁は自殺未遂の扱い。

★ 警視庁は科学捜査を充実させ、かつ周辺事情からして、他と連携をもって、捜査を続けるべきだった。

1995.1.17 阪神淡路大震災)

1995.1  オウムは、出家者の息子を学校から拉致する事件をおこす。

★ 警視庁は、後に信者である母親が出てきたからといって捜査を中止せずに徹底して捜査すべきだった。

1995.2  上九住民が麻原、教団幹部らを、1月4日の告訴・記者会見について名誉毀損として告訴する。

★ 警視庁は、これにより、まず麻原を逮捕できたはずだった

1995.2 オウムは、出家者女性の長女を薬物で拉致する。

1995.2.28 假谷清志さん拉致監禁、3.1致死事件

−同地元署、警視庁刑事課捜査一家特殊班に、神奈川県警への同じ情報を送り始める。

★ 警察本部同士の連携が、まだまだとれていなかったところ、とるべきだった。

1995.2−3 幹部らの監視、特に井上嘉浩・中川智正について

★ これらシークレットワークに完全に入っていると指摘してある者に対して、24時間尾行をすべきだった。

1995.3.13 滝本−警視庁外に「前例のない事件に対しては前例のない体制で」の上申

1995.3.15 霞ヶ関駅アタッシュケース事件

1995.3.19 大学生拉致事件で教団大阪支部長らが逮捕、捜索

1995.3.19 宗教学者元マンション爆弾、自作自演の教団東京総本部火炎瓶投込み事件

1995.3.20 地下鉄サリン事件

★ 警察は強制捜査を予定し、それが公然の秘密だったのだから、主要幹部について完全な所在確認の体制に入るべきだった

1995.3.22 上九一色村など全国の教団施設を強制捜査

−その後も重要人物の出入りの監視が不十分で、重要容疑者の出入りがあった。

1995.3.30 警察庁長官銃撃事件)

−警察の公安部も動き始める。

1995.4.23 教団「科学技術省」大臣の村井秀夫が刺殺される)

1995.5.5 新宿駅地下トイレ青酸ガス事件。 4.30、5.3も試みていた。

1995.5.16 麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕される。

1995.5.16 東京都庁で小包爆弾破裂、秘書が重傷。

1995.5.20 神奈川県警が岡崎一明の自首調書を作成

1995.4から事件への関与を認める連絡と事情聴取があったのに不正常な対応、また中国への出国も認めていた。

★ 神奈川県警は、同被告について、強制捜査開始後、直ちに積極的に対応すべきだった。

 

 

まとめ−3大事件について。

1 坂本弁護士一家殺人事件

「失踪」の可能性がなかったこと、血痕が多数あったこと、オウムのバッチの存在から、事件性を十分に認識すべきだった。

静岡県警、熊本県警などとの広域捜査、協力体制があまりに不十分であった。

これらがされていれば、後の事件も止められた。

 

2 松本サリン事件

   科学的捜査がまともにできていれば早期に河野さんへの容疑を外し、同時に原材料の入手、上九一色村の異臭事件などから、早期にオウムに焦点を絞れた筈である。

これができれば、被害対策弁護団が次々としていた告訴・告発事件をももととして、早期に捜査に入れた。

 

3 地下鉄サリン事件

   永岡さん事件でまともに対応し、また弁護団が前年告訴等していた幾つもの事件で強制捜査に入っていれば、假谷さん事件も止められた。

まして、1995.3.20の週の強制捜査がどうしても分かってしまうとき、違法行為に入っていると合理的に推定される主要幹部の所在確認をし続けておらず、この事件を起すに任せてしまったのは、信じがたいほどの問題である。

以 上


資料32 ● オウム事件の被害を考える10・6集会  のプログラム、発題

「国はオウム事件被害者に何をすべきか」                       オウム事件の被害を考える10・6集会

日  時:10月6日午後2時〜5時30分(開場午後1時30分)
場  所:日本教育会館7階(東京都千代田区一ツ橋2-6-2)
      最寄駅〜地下鉄神保町、地下鉄竹橋、地下鉄九段下
      道案内専用電話〜03-3230-2833
入場無料

プログラム:
  第1部  被害者からの訴え
                1 竹内 精一      上九一色村村民
                2  假谷  実      假谷さん事件遺族
                3  大山  友之      坂本弁護士一家事件遺族
                4  高橋シズヱ     地下鉄サリン事件遺族
                5 阿部 和義      松本サリン事件遺族
                6 滝本 太郎      滝本サリン襲撃事件被害者
   

第2部 パネルディスカッション〜「今、国は何をすべきなのか」
               コーディネーター
                     中村 裕二 (地下鉄サリン事件被害対策弁護団)
                パネリスト
                     上川 陽子 (衆議院議員)
                     高橋シズヱ (地下鉄サリン事件遺族)
                     長井  進 (常磐大学教授)
                     小野  毅  (オウム真理教被害対策弁護団)

本集会の趣旨:
 1995年3月22日、假谷さん事件をきっかけに、オウム真理教に対する強制捜査が行われた。
その後、坂本弁護士一家殺害事件(1989年)、松本サリン事件(1994年)、地下鉄サリン事件(1995年)など数々の凶悪事件が、
麻原彰晃こと松本智津夫被告人及び同人が主宰するオウム真理教の信者らの犯行であることが判明した。
 本集会当日である、2004年10月6日は、東京地方裁判所において、オウム真理教破産手続の債権者集会期日である。
 オウム真理教による犯罪被害者らは、危険を顧みず、テロ集団たる同教団に対し、自らの氏名や住所を明かして、破産の申立を行った。
 しかしながら、地下鉄サリン事件から9年以上を経過した現在においても、破産手
続における被害者の金銭的な損害回復は、およそ30%にとどまっている。
 被害者は、長期間にわたって、十分な自助努力を行ったにもかかわらず、未だ十分な損害の回復を受けていない。
 国の身代わりとなった被害者の損害を、国は、このまま傍観し、放置しておいてよいのだろうか?
 今、国が被害者に対し何をなすべきか、被害者とともに議論したい。


資料31 ● オウム事件の被害者に適切な補償措置を −被害者団・各弁護団の共同声明 2004.6.26

国は、オウム真理教の事件被害者に対して
適切な補償をされるよう求める

 

要 請 の 趣 旨

 

1 国は、一連のオウム真理教事件被害者に対して、民事的な被害回復のための特別法を制定されたい。

2 国は、松本サリン事件および地下鉄サリン事件被害者らに対して、継続しての健康診断、治療・療養看護のための適切な措置・補償をなされたい。

 

要 請 の 事 情

 

1 6月27日、松本サリン事件から、10年が経過する。同事件は、オウム真理教による化学兵器サリンまで使った最初の無差別殺人事件であり、国家に対するテロ攻撃であった。この間、個々の犯罪者に対する摘発と裁判は進み、麻原彰晃こと松本智津夫被告を首謀者とする一連のオウム真理教事件は、本年2月27日の同被告への死刑判決をもって、一審の刑事判決がすべて言い渡された。
 この判決は、同人が一連の事件の首謀者であること、日本国を支配することを目指して一連の事件が起されたことを認定している。


 すなわち、同判決は、その量刑の理由の中で、次のとおり判示している。                               

「被告人は,自分が解脱したとして多数の弟子を得てオウム真理教(教団)を設立し,その勢力の拡大を図ろうとして国政選挙に打って出たものの惨敗したことから,今度は教団の武装化により教団の勢力の拡大を図ろうとし,ついには救済の名の下に日本国を支配して自らその王となることを空想し,多数の出家信者を獲得するとともに布施の名目でその資産を根こそぎ吸い上げて資金を確保する一方で,多額の資金を投下して教団の武装化を進め,無差別大量殺りくを目的とする化学兵器サリンを大量に製造してこれを首都東京に散布するとともに自動小銃等の火器で武装した多数の出家信者により首都を制圧することを考え,サリンの大掛かりな製造プラントをほぼ完成し作動させて殺人の予備をし(サリンプラント事件),約1000丁の自動小銃を製造しようとしてその部品を製作するなどしたがその目的を遂げず,また,小銃1丁を製造した(小銃製造等事件)。 そして,被告人は,このような自分の思い描いた空想の妨げとなるとみなした者は教団の内外を問わずこれを敵対視し,その悪業をこれ以上積ませないようにポアするすなわち殺害するという身勝手な教義の解釈の下に,その命を奪ってまでも排斥しようと考え,しかも,その一部の者に対しては,教団で製造した無差別大量殺りく目的の化学兵器であるサリンあるいは暗殺目的の最強の化学兵器であるVXを用いることとしてその殺傷能力の効果を測るための実験台とみなし,弟子たちに指示し,以下のとおり,一連の殺人,殺人未遂等の犯行を敢行した。」 

 

そして、同判決は、松本サリン事件、地下鉄サリン事件がはっきりと「無差別テロ」であると認定している。

「被告人の犯罪は,以上のような特定の者に対する殺害等にとどまらず,化学兵器であるサリンを使用した不特定多数の者に対する無差別テロにまで及ぶ。すなわち,被告人は,弟子たちに指示し,教団で新たに造った加熱式噴霧装置の性能ないしこれにより噴霧するサリンの殺傷能力を実験的に確かめておこうと考え,その実験台として仮処分事件で教団松本支部の建物を当初の予定より縮小させる原因を作ったなどとして敵対視してきた長野地裁松本支部の裁判官を選び,同支部裁判所宿舎を標的として同宿舎及びその周辺にサリンを発散させ,住民ら不特定多数の人々を殺害し,かつ,殺害しようとしたがサリン中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げず(7人を殺害し,4人に重傷を負わせた。松本サリン事件),また,阪神大震災に匹敵する大惨事を引き起こせば,間近に迫った教団に対する強制捜査を阻止できると考え,東京都心部を大混乱に陥れようと企て,地下鉄3路線5方面の電車内等にサリンを発散させて乗客,駅員ら不特定多数の人々を殺害し,かつ,殺害しようとしたがサリン中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げなかった(12人を殺害し,14人に重傷を負わせた。地下鉄サリン事件)。」

                                                                                                          

この判決から明白なとおり、一連の事件は、麻原彰晃こと松本智津夫被告が首謀者であり、日本国の支配を目指していた事件の一環であり、特に松本、地下鉄両サリン事件は、明らかな無差別テロ行為であった。このことは、他の被告人に対する判決においても、表現の違いはあれことごとく判示されており、その旨の確定判決も多くある。

 

2 すなわち一連のオウム真理教被害者は、まさに国家になり代わって、具体的には総理大臣を初めとする日本国の指導者らになり代わって、命を落とし、傷を負い、財産を失い、また今も重態にあるのである。
 たとえ松本被告の「空想」であろうとも、世界を震撼させた化学兵器サリンまで使ってこれを目指したことは明確に認定されていることからすれば、日本国という国家に対する犯罪として遇すべきこともまた明白なのである。


 しかるに、日本国は、かかる被害者に対して、現在のところ、ごく一部の犯罪被害者給付金等の支給等に関する法律に基づく補償をしただけで、それ以外一切の補償は出していない。また、国によって継続しての健康診断、治療・療養看護のための適切な検査、補助もない。
 すなわち、通勤途上の被害者に対して労働災害保障保険法に基づく填補、各年金法にもとづく障害認定に基づく填補、その他の制度の適用はあるが、これらは国家の補償ではなく、それらの制度に基づくものに当然の権利であり、一部の被害者に対する一部の填補でしかないのである。松本、地下鉄の両サリン事件の被害者らに対しても、 健康診断、治療・療養看護の措置もあまりに不十分であって、補償はないままであるところ、被害の深刻さ、前記の通りの事件経緯からして、被害者・国民はもちろん、諸外国に対してもまったく恥ずかしい対応である。

 

3 ところで、宗教法人オウム真理教については、破産手続きが進行して来た(東京地方裁判所平成7年(フ)第3694号、3714号事件)。
 同破産事件に関しては、平成10年4月24日成立の「オウム真理教に係る破産手続きにおける国の債権に関する特例に関する法律」及び同様の各自治体の条令により税金等債権が損害賠償請求権に劣後することとなったが、これはオウム真理教事件の悲惨さそれ自体からして、まったく当然の措置にすぎない。


 また、平成11年12月7日成立の「特定破産法人の破産財団に属すべき財産の回復に関する特別措置法」によって、オウム真理教が名を変えたに過ぎない「宗教団体アレフ(後にアーレフ)」の財産は、同法人から流出したものと推定された結果、同団体と破産管財人との間で和解ができたが、そもそもかかる犯罪行為をした団体の現有財産をあてにすることは、この団体の存続を前提があって賠償が尽くされるものであり、これに便乗してアーレフが存続しようとしていることから分かるように、本来適切でない。被害者らとしては、同宗教団体が活動を継続して資金を獲得しつつその一部を弁済に回すというのは、本末転倒であるから、もともと納得できることでもない。
 なお、同特別措置法は、同日制定された「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の実効を期すべく、同団体を金銭面から監視する趣旨もあったとも理解するが、本来その制度趣旨は別のものであったはずである。


 結局、上記各法律の制定と破産管財人団の努力によるも、被害者らへの配当率は現在のところ30.67%にすぎず、サリン事件等の被害者賠償債務に限ってみても、25億1042万6789円が未払いである。前記の宗教団体アーレフからの前記の破産管財人との和解契約に基づく支払いも滞り、今後、約定が守られることは到底、不可能な状態となっている。 

 

4 さらに、一連のオウム真理教事件の捜査について、警察の捜査があまりに不十分であったことは、周知の事実でもある。一つひとつの事実関係まではここに記述しないが、あまりに不十分であったことは明白であり、このことは警察庁、警視庁、神奈川県警などの責任者も各所で一部なりとも認めているのであり、それが国民的な認識でもある。
 かかるときは、尚いっそうのこと、国家の信頼を回復すべく、国民を守るはずの国家への信頼を、これ以上傷つけることのないようにしなければならない。

 

5 およそ、いかに金銭的な補償があっても、失われた命は戻らず、後遺症を残す被害者の苦悩はなくならない。
 国家として、オウム真理教による国家に対する一連の事件によって多大な被害をこうむった本人、遺族らに対してせめてもの補償をなすは、国家の責務である。国家は、その被害者の痛みに少しでも寄り添ってこそ正当性を維持できると確信する。

しかしながら松本サリン事件から明日で10年をたとうとする今日に至ってもなお、一連の被害者らへの救済は遅々として進んでいない。これは国家としての怠慢とも言える。

 

よって国においては、松本サリン事件および地下鉄サリン事件被害者らに対して、継続しての健康診断、治療・療養看護のための適切な措置・補償をされたく、また一連のオウム真理教事件被害者に対して、民事的な被害回復のための特別法を制定されたく、要請する。                                                                        

なお、この補償により、前記破産財団に対する損害賠償請求権が国のものとなり、国自体として、宗教団体アーレフなどに対して民事的な面からも対応することをあわせて希望する。

2004年6月26日

 

松 本 サ リ ン 事 件 遺 族 団  

松 本 サ リ ン 被 害 者 弁 護 団  

弁護団長 弁 士 伊 藤 良 徳

事務局長 弁 士 紀 藤 正 樹

地 下 鉄 サ リ ン 事 件 被 害 者 団 

地 下 鉄 サ リ ン 事 件 被 害 対 策 弁 護 団  

弁護団長 弁   宇都宮 健 児

事務局長 弁   中 村 裕 二

坂 本 弁 護 士 一 家 損 害 賠 償 請 求 弁 護 団  

事務局長 弁   杉 本   朗

オ ウ ム 真 理 教 被 害 対 策 弁 護 団   

事務局長 弁   小 野   毅

 弁   滝 本 太


滝本弁護士コメントに戻る