資 料 47 から 53


 

資料53  解散勧告書 −家族の会   2007.1.20-第138号から

 

 オウム真理教家族の会が、先月末、オウム真理教と信者さんあてに解散勧告書を出したそうです。

・こういうのは同会としては、初めてだと思う。

・重いなぁ。親ってありがたいなぁ。

・愛と愛着は違うなんて信者さんはすぐ言うのだけれど、そんな感覚は軽すぎるなぁ、と思う。

 ここに転載して報告します。一人でも多くの信者さんや各責任者に伝わるべく、他への転載を了解します。

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           解 散 勧 告 書

2006年11月30日

                    オ ウ ム 真 理 教 家 族 の 会  (旧称「オウム真理教被害者の会」)

 

宗 教 団 体  ア ー レ フ  御中

すべてのオウム真理教出家者・信徒  殿

 

1 私たちの会は、1989年10月にできました。

 

その後、実に色々なことがありました。

世界を震撼させた両サリン事件はもちろん、この17年間の出来事は、言葉にしようがありません。

 

教祖麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑判決が、9月15日確定しました。

貴方達の「真我」であった松本氏は、弟子に殺人を指示しました。

そして、12人の弟子が死刑判決を受けています。

 

松本氏の言う修行を重ね「救済」のためだとして無差別大量殺人などまで犯したのです。

貴方のいる所はそんな団体であり、貴方はその団体に今もいるのです。

 

2 私たちの会を作った坂本弁護士と妻子は、オウム真理教の出家者によって殺されました。

私たちが相談していた滝本弁護士はサリンで殺されるところでした。

当会会長はVXで瀕死の状態となり今も後遺症を残しています。

 

貴方たちの団体内部でも多くの人が死んでいます。

首を折って殺され、

50度の温熱刑で殺され、

水につけられて殺され、

逆さ吊りにされて殺され、

リンチのうえで首を絞められて殺され、

貴方たちのほとんど皆に使われたLSD・覚せい剤や温熱の作用で殺され、

また安全性を考えない事故でも死にました。

ニューナルコのイニシエーションの後遺症が残っている人もいます。

 

貴方のいる所はそんな団体であり、貴方はその団体に今もいるのです。

 

3 松本氏が逮捕されてからもう11年を過ぎました。

 

いくつかの分派のほか、アーレフと名称を変えてヴァジラヤーナの教えは封印したとし、

ときには「今は違う団体だ」と称しつつ、

破産管財人に約束の金額には到底足りないが弁償を続けています。

 

ですが、

松本氏に帰依しあるいは瞑想の達人だと述べ、

彼の教えや詞章・マントラを学び使い、

あるいは彼から与えられたホーリーネイムや「解脱の段階」をいまだ使っている貴方たちの団体が、

またメンバーの一部が横滑りした宗教団体が、

何をどうやっても信頼されないのは当然でしょう。

 

貴方のいる所はそんな団体であり、貴方はその団体に今もいるのです。

 

4 アーレフは、今「M派」「A派」「中間派」などとし、分裂の可能性を言われています。

 

ですが、平凡な宗教現象でしかありません。

  いま、貴方たち内部からは、腐敗した話と個人間の憎悪の声が聞こえてきます。

いつまた内部でのリンチや殺人事件、また一部の無理な修行での死亡事件が起こっても不思議ではない

と思っています。

 

貴方のいる所はそんな団体であり、貴方はその団体に今もいるのです。

 

5 「記憶修習」ではなく、そろそろ「思索」してみませんか。

 

松本氏の説法に矛盾はなかったでしょうか。

説法と行動に矛盾はなかったでしょうか。

数々の予言は当たったでしょうか。

説法は対機説法の枠を超えて変わっていないでしょうか。

「最終解脱」の証明である空中浮揚などの超能力はありましたか。

そして、貴方が望んだ「最終解脱」は何をもたらしましたか。

 

貴方が被告人の言葉や判決文を読まず、

また他の情報を入れて思索しようとしないとき、

人の苦しみを自己の苦しみとして実感しようとしないとき、

誰も貴方を、「真理」を究めようとしている人だとは思いません。

 

貴方のいる所はそんな団体であり、貴方はその団体に今もいるのです

 

6 松本氏が言うとおり「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」ものです。これは確

実に真理です。

 

ですが、断じて、松本氏が指示したように人を殺していいものではないし、

現世の命はすべて大切です。

現世がたとえ「湖面に映る虚像」だと仮定しても、

その現世を大切にしない人が来世を大切にできるはずもなく、

「解脱」に近づくものだとは思えません。

 

貴方が過ごした今日一日は、昨日死んだ人が生きていたかった明日です。

オウム真理教によって殺された人達が、生きていたかった一日です。

今も寝たきりの人が、元気でいたかった一日です。

 

7 今、貴方は幸せですか。

  オウム真理教にいて幸せになりましたか。

  オウム真理教にいて「真理」をつかめそうですか。

  オウム真理教は、人を、衆生を「救済」しましたか。

  オウム真理教は、人と衆生を幸せにしますか。

 

私たちのもとには、すでに多くの「貴方」が帰ってきました。

元信者らは改めて自分と向き合わざるを得ません。

現世はもっともっと辛く、決して楽ではありません。

ですが、それぞれに何とかやっています。

 

そして今、私たちの子どもを含む12人が死刑判決を受けています。

貴方たちにとって、真理を示す地図の案内人であった高弟の多くは、法廷でまた文書で事実を述べ、また深い後悔を吐露しました。

法廷での陳述、手紙や面会の場で、松本氏と教えの間違いを指摘し、貴方たちに現世に戻るよう勧めています。

そんな言葉を少しは聞いてみませんか、読んでみませんか。

 

8 どうか、現世に戻ってきてください。

 

以上の次第で、当会は、宗教団体アーレフに対して直ちに解散するよう勧告し、同会会員を含むすべ

てのオウム真理教の出家者・信徒に対して、団体から離れその信仰を自ら考え直してみるよう求める

 

解散の方向を明白にしたならば、その混乱を最低限にすべく、当会として協議に応じるから、連絡されたい。                       以 上

 

 

資料52   転載−中沢新一氏の手紙   2007.1.20-第139号から

 

以下、信者さんへの中沢新一氏の手紙を転載します。氏の趣旨からして、転載することは許されるだろうと思いました。    窓 口

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『オウム真理教信者への手紙』 中沢 新一

         ―――「週刊プレイボーイ」*1995年5月30日号 p.45〜48

 

 

オウムという教団が日本から消滅した時、

生きる意味を知ろうとした信者の <魂>の問題はどうなるのか。

「帰ってらっしゃい」という“説得”どおりに家に戻るだけか。

 

「ひとりで歩め」。

中沢氏はそう呼びかける。

学者や研究者としてではなく、彼らと 同じように<魂>を、<真理>を追い求めたものとして−。

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オウムの中の「聖なる狂気」

 

私が、あなた方のグル(導師)麻原彰晃氏とはじめて会ったのは、1989年のことでした。雑誌の対談でした。

 

その当時、オウム真理教は坂本弁護士一家の失踪に関わりがあるのではという疑惑のさなかにあり、

マスコミのバッシングもはじまっていました。思えば、その事件あたりから、その後、あなた方の教

団が体験し続けなければならなかった、日本社会とのはげしい不調和が、はじまったのでした。

 

はじめて会った麻原さんは、とてもゆったりした感じで、どちらかといえば、私のほう が緊張ぎみだ

ったかも知れません。私はもともと「超能力」などというものが、魂の深化 にとって、どれほどの意

味をもつのか、きわめて懐疑的な人間ですし、私のチベットのグ ルたちも、そんなものにたいした価

値をおいていませんでしたので、「超能力者」として の麻原さんの世間への押し出しの仕方には、あ

まり共感をいだいていませんでした。ところが、話をしているうちに、この「最終解脱者」を自称し

ている人物が、並々ならぬ知性の持ち主であることに、私は気づくことになったのです。

 

私はいままでに、何人もの現代の宗教家と話をしたことがありますが、「聖なる狂気(デヴァイン・

マッドネス)」という言葉を出したとたんに、あれほどすばやい反応と正確な理解をしめしたのは麻

原さんがはじめてでした。

 

この言葉は、宗教の本質に触れているものです。人間のなかには、社会の常識によって囲い込まれた、

狭い枠を破っていこうとする衝動がひそんでいます。より高いもの、より純粋なもの、より自由な

ものに向かっていこうとする衝動です。その衝動を、現実の世界の中で実現しようとすれば、まずは

社会の常識と衝突することになります。たいがいの人は、そこで妥協する方向を選びます。ところが、

宗教者というのは、そういう妥協を拒否してまでも、自分の魂の衝動に忠実に生きていきたいと願

う、変わり者のことを言うのです。

 

麻原さんは、日本人の宗教に欠けているものは、そういう反逆のスピリットなのだ、と強調しました。

そのときの麻原さんは、宗教家というよりも、革命家のような口調でしたが、私はそのとき、ああ、

これで現代日本にもラジニーシ(インド生まれの宗教家。渡米し、世界規模で弟子を集めるが、国

外退去を命じられる。90年、死亡)のようなタイプのラジカルな宗教家が、はじめて出現することに

なったのだな、この人はなにか新しいことをしでかす可能性を持った人かも知れないな、と思ったのです。

 

そういう感じをいだいたのは、私だけではありませんでした。90年代のはじめ、何人かの宗教学者が、

オウム真理教になにがしかの可能性を見ようとしたことは、事実なのです。 私はその理由がどうい

うものか、だいたいわかっています。

 

日本の新興宗教には、ふつう教祖様というのがいます。この教祖様が、ときにはイエスや仏陀の生ま

れ変わりであったりすることもありますが、たいがいは特殊な能力をつうじて神や仏のあいだを仲立

ちして、その意志や考えを信者に伝えるという役目を果たしています。神がいて、ふつうの信者がい

て、そのあいだを教祖様が仲立ちするという、この仕組みは、シャーマニズム(超能力者を仲立ちに

して神の意志を聞くタイプの宗教)の構造 とそっくりです。

 

そのために、そういうできあがりをした日本の信仰宗教は、現実の日本社会の中にうまく自分の居場

所を見つけることができます。なぜって、天皇制や会社組織をみてみればわかるように、日本の社会

全体がそういう構造をしていますからね。

 

「日本型社会」への批判、そして変質・・・

ところが、オウム真理教ははじめ、そういうシャーマニズムの構造を否定しようとしていました。た

しかに、そこにも麻原彰晃という教祖様はいますが、彼はあくまでも、理想としてはグルであって、

もともと信者とシヴァ大神を仲立ちしてくれるような人ではなかったはずなのです。

 

この教団の特徴は、信者の一人一人が修行をすることによって、真理であるシヴァ大神と直接に一体

になることをめざしたことにありました。シャーマンである教祖様をあがめ るのではなく、修行者一

人一人が真理そのものを体験していこうとしていた。これはやはり新しいことであった、と思います。

 

それを実現してくれるオウム真理教の修行のやり方が、はたして正しいものであったかどうか、私に

は言いたいことは山ほどあるのですが、いまはあえてそれは問いません。それよりも、日本社会を煮

詰めたような宗教教団なるものにおいて、もっとも日本的ななりたちをもった宗教の構造を、大胆に

否定しようとする運動をオウム真理教がはじめようとしたことのほうが、重要だと私は思います。

 

あなた方に、今日浴びせられている恐るべき悪罵中傷を全力でかきわけてでも、私はこの事実を確認

します。あなた方は、なにかの可能性をもっていた人々なのです。オウム真理教は、日本社会の仕組

みを逆なでするようなことを、あえて企てていたので すから、いろいろなところで社会とのあつれき

をおこすのも無理もないことだ、と私は思っていました。しかし、それはあなた方の教団が、シャー

マニズムの構造におちこまないような努力を続けたときにだけ言えることです。

 

ところがもしも、オウム真理教のような日本社会へのラジカルな批判性をもった集団が、自分の内部

に、日本の国家によく似た権力の構造をつくりだそうとしてしまったら、その瞬間から、すべてがと

んでもない方向に変化をおこしはじめるだろうということは、たやすく想像がつきます。

 

あなた方は、ほんものの「自己」を発見するために、日本社会の常識の枠を超え出ようとしていまし

た。それだけで、もうそこには反社会性への芽が芽吹くことになりますが、あなた方が日本社会と同

じ仕組みにおちいらない努力をつづけているかぎり、あなた方の存在は日本社会への批判たりえても、

敵対することにはならなかったでしょう。ふたつの違う構造をしたものは、たがいに敵対すること

はできませんからね。

 

ところが、もしもその集団が、日本的なシャーマニズムの構造への変質をとげたとしたら、どういう

ことがおこるでしょう。その集団は、煮詰められたミニチュアの日本になってしまうことによって、

批判力を失い、そのかわりに敵対関係のほうだけはどんどん先鋭化していく事になるでしょう。

 

そして、オウム真理教には、そういうことがじっさいにおこってしまったのた、と思います。あなた

方の教団は、ここ数年の間に、ますますシャーマニズムの構造に、おちこんでいくようになってしま

いました。あの日本国家を模した省庁の機構に、それがよくしめされています。

 

そこでは、グルは法皇になり、誇り高いはずの修行者は、みじめな臣民になってしまっています。も

ちろん一人一人の修行者は、個人の修行のレベルでは、ヨーガの神秘体験をとおして、本来の「自己

」をとりもどそうと一生懸命に努力を続けていましたが、それを包み込むオウム真理教そのものは、

グロテスクで巨大なミニチュアの日本に姿を変えてしまっていたのではないでしょうか。そしてその

時、批判性は敵対関係に姿を変え、宇宙との豊かな魂のつながりを説く教えは、ルサンチマン(恨み)

にみちた暗く貧しい黙示録の想像力にとってかわられるようになってしまってのではないでしょうか。

 

「ひとり」で歩きだそう。誇りを胸に・・・

いま、あなた方を取り巻いている状況は、これ以上悪いものもない、と思われるほどにひどいもので

す。修行者に向かって「あなた方はマインド・コントロールされている」というのもずいぶん失礼な

話だと思いますが、そんな失礼が堂々と大手を振っておこなわれても、誰もなんにも言えないほど、

あなた方を取り巻く状況は最悪です。テレビの画面から、あなた方に「もどっていらっしゃい」とい

う優しい思いやりにみちた呼びかけが、繰り返されています。でも、どこへ? あなた方は、一体どこ

へ戻っていけばいいというのでしょう。

 

家庭にもどって、もう宗教なんていうあぶないものから足を洗って、人間の霊性がどうのとか、文明

がどうのなんてことを考えつめたりするのをやめて、ただまわりのみんながやっているような無難な

生き方をしていけばよいのでしょうか。もちろん、それも可能でしょう。でも、いちど霊性や真理の

追究に心を開こうとしたあなたが、そういう生活のなかで幸福になれるとは、私には思えません。だ

から、あなた方が、オウム真理教にかかわった、そのことのすべてを否定する必要などはない、と私

は思うのです。

 

同じ魂の修行をめざすものとして、私は断言しますが、修行者にもどるところなどはありません。た

だ自分を縛っていたもの、自分をだましていたものがあったとしたら、それを全力で否定し、振り払

って、ただ前をみつめて歩んでいくことだけが私たちにできることです。そうでなければ、いったん

高みをめざした魂は、深い屈辱を味わうことになるだけです。

 

私のチベット人のグルは、私に教えなければならないことがほぼ終わったとき、私にこう言いました

 

「もうこれから先は、おまえが一人でやっていくことだ。いつまでも私に頼ったりしてはいけない。

本当のグルはお前の心そのものだ。だから、いつまでも、私のそばにぐずぐずしていてはいけない。

とっとと、遠くに行きなさい。そして、自分一人の探究を続けなさい。どんなに離れていても、そう

すれば、私の心はいつまでもおまえと一緒だよ」

 

麻原さんがあなた方に言ってあげなければいけなかったのも、こういう言葉だったのではないでしょ

うか(ついでに言うと、チベット仏教では人に向かって、「地獄におちるぞ」なんて、おどしたりし

ませんし、そんなことにおびえたりもしません)。

 

どんなにすぐれたグルだって、しょせんは一人の人間です。そんなのものにいつまでも執着していて

は、弟子の魂はいっこうに成長しないでしょうし、また弟子たちを手元に引き止めておこうとばかり

するようでは、グルの精神も退化していくばかりです。

 

あなた方がオウム真理教に入ろうとした動機を、思いおこしてみてください。おそらくあなた方は、

自分が本来の「自己」ではないと感じ、自分を育てつくりあげてきたものに疑いを持ち、そして、本

来の「自己」にたどりつくために、そうしたのではなかったでしょうか。それを考えてみれば、親や

家族の待つ家庭や社会に帰るかどうかは、それほど重大な問題ではなくなるでしょう。いや、むしろ、

いちど、帰ってみるべきかも知れません。

 

ほんとうの魂の探究者は、苦しみながらも社会のなかで、生きようとするものですし、群衆のなかに

いながら、群衆には従うことなく、ただ自分の心にしたがって生きることこそ、自分の魂を成長させ

る最良の方法だからです。だから、グルからも離れ、たとえ教団からも離れたとしても、あなたの探

究が終わりになるわけではなく、むしろそこから、ひとりになったあなた自身の、ほんとうの探究が

はじまるのです。

 

この逆境のなかで、誇りを保ち続けるのはむずかしいことです。しかし、あなた方は、こんな息苦し

い現代の中で、魂の真実を求めようとしてきたひとりの人間としての、修行者としての、誇りを持つ

べきです。そして誇りをもって、自分を縛っている殻を打ち破って下さい。オウム真理教としてはじ

まった運動にとって、あのグロテスクに肥大した教団の組織は、もともと必要のないものだったので

すから。

 

 

資料51   原理派の状況    2007.120-第142号から

 

−しかしまあ、あいも変わらず。ポイント性とかはずかしくないのかなぁ。

 

●「ボーディサットヴァ教学強化月間」のお知らせ

修行の土台を固めつつ、ボーディサットヴァとしての意識を高めるために、教学を中心とした教化月

間を行なう事になりました。この機会に真理のデータを根付かせ、導きの場でも法則が話せるように

なっていただければと思います。詳細は以下の通りです。

◆期間:2007年1月5日〜4月27日(計113日)

◆点数のつけ方

〈修行〉

・修行やイベント(勉強会や夜礼などもOK) 30H:1点(300H:10点)

※自宅の場合:1/2換算。※バクティは換算しない。〈来道〉

・90日:1点

〈導き〉

【1】新規導き ・入会:5点 活動信徒まで:5点

(※活動信徒:最低週1回以上の来道など)

【2】復活導き ・入会:2点 活動信徒まで:2点

◆教学について

・教学は、アレフ教学システム、ステップアップ教学などを中心に(「聖なる愛、それは時空を超え

 

て」もお勧め)。

・テストを受けている時間も点数に換算しても良い。(※今後の教学テストは満点合格に変更)

・その他ビデオ、マハーヤーナ、ご著書、進化、ボーディサットヴァも含まれる。

・CDがあるものはCDをできるだけ活用すること。

◆伝授物:上記の点数制で、5点、10点、15点ごとに「甘露水200ml」「プラーナパワー(大)」(16点以上はなし)

◆法則の宴について

2007年夏に開催予定・昨年夏のセミナー以降の強化月間のポイントが評価される。

・なお、各強化月間中、ポイントに達しなかった端数の時間は切り捨てられます。

◆その他

−このシステムで行なった修行時間は、従来の修行ポイントカードには、反映されません。

 

 

資料50   上祐派の状況    2007.120-第142号から

 

ふざけた人だ上祐さんは、まあ人の心が判らないか無視をしているか、としかいいようがないのだろう。

 

それにしても、上祐派の独立はズルズルと伸びるものだ。

2006年秋?、2007年1月、2月、そして6月だと。

信者を信服させる能力はないから付いていく人が少なく、公安警察からどくつを急

ぐな、と言われているのかしら。

 

ああ、2007年正月に、上祐派が麻原彰晃さんの本や写真などを捨てる儀式をするような話を聞いていたが、やはりできなかったのですね。

窓口より

 

以下、東京新聞1月8日記事の、抄本です。

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>オウム真理教(アーレフと改称)の上祐史浩代表(44)を支持するグループが、年末年始に行った信者向けのセミナーなどで、一連のオウム事件の現場などを訪れ、被害者の慰霊

 

>上祐派は社会への適応をアピールしようという狙いがあるとみられ

>上祐派は今年六月をめどに、教団から独立して新団体を立ち上げる方向

 

>上祐派のセミナーに参加した在家信者や講師役の出家信者ら計十数人が今月三日早朝、東京都千代田区の東京メトロ霞ケ関駅を訪れた。

>千代田線ホームに集まり、講師役の信者が「二度と事件を起こさないと誓う」と述べ、全員で黙とう。

>事件概要を説明して教団の起こした犯罪であることを再確認

>村上春樹さんのノンフィクション「アンダーグラウンド」の一場面を朗読

 

>昨年十一月には富士山巡礼の途中、上祐代表ら約四十人で山梨県の本栖湖と精進湖に

>仮谷清志さんの遺骨が、精進湖は、修行中に急死した信者真島照之さん遺骨が、それぞれ秘密裏に投棄された現場。

>上祐代表が「絶対にこのようなことがないよう被害者の冥福を祈ろう」と述べ、信者一人一人が菊の花を湖に投げ入れ

 

>上祐派と対立する反上祐派は「麻原元代表は神のような存在。われわれが勝手に事件の善悪を評価してはならない」などと主張しているとされ、

 

>高橋シズヱさんは「アイデアマンの上祐さんは、どうすると社会の受けがいいかを考える。慰霊も被害者のためではなく、自分たちの組織の存続のためではないか。上祐さんが命じれば信者は従うだろうが、本当に一人一人が反省し、事件に向き合っていないのは明らかだ」と

 

 

資料49  特別抗告棄却−松本被告の死刑確定    2006.9.15

 

東京高裁の控訴棄却決定を不服としたオウム真理教(アーレフに改称)の松本智津夫(麻原彰晃)被

告(51)=1審死刑=の特別抗告に対した最高裁第3小法廷(堀篭(ほりごめ)幸男裁判長)は、

特別抗告を棄却した。死刑が確定する。

 

東京高裁は今年3月、弁護側が控訴趣意書を提出しないことを理由に控訴棄却を決定。これに対する

異議申し立ても5月に棄却され、弁護側は特別抗告していた。

 

確定した一審判決の末尾  【宣告日時】平成16年2月27日 午前10時〜  【裁 判 所】東京地方裁判所刑事第7部

 

6  他方,被告人は幼い頃から視力に障害があり恵まれない生い立ちであった。

将来の希望と目的を持ち,妻子とともにその人生を生き抜こうとしてきた時期もあったであろう。

被告人の身を案じる者もいることであろう。

 

しかし,これまで述べてきた本件罪質,犯行の回数・規模,その動機・目的,経緯,態様,結果の重大性,

社会に与えた影響,被害感情等からすると,本件一連の犯行の淵源であり主謀者である被告人の刑事責任は極めて重大であり,

被告人のために酌むべき上記の事情その他一切の事情をできる限り考慮し,

かつ,極刑の選択に当たっては最大限慎重な態度で臨むべきであることを考慮しても,

被告人に対しては死刑をもって臨む以外に途はない。

 

判  決  主  文 

被告人を死刑に処する。

 

 

資料48  オウム真理教被害対策弁護団声明       2006.9.15

声  明

オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫被告に対する死刑判決が、最高裁判所の決定により確定した。

 

松本被告は、我が弁護団の創始者である坂本堤弁護士、妻都子さん、長男龍彦ちゃんに対する殺害事

件をはじめとして地下鉄サリン事件・松本サリン事件などオウム真理教の引き起こした未曾有の数々

の事件について、オウム真理教という団体の教祖として指示を行った。そして、オウム真理教の信者

達は、全て教祖である松本被告にマインドコントロールされ、その指示一つで動く状態であったこと

からすれば、他の信者達の責任に比して松本智津夫の責任の大きいことは明白であり、松本被告に対

しては最も厳しい刑罰が下されて当然のことである。

 

ただ、今回の判決の確定は、控訴審以降において実質的な審理を行うことなく終了してしまった。そ

のために、松本被告本人から事件を起こした動機などを聞く機会が失われてしまったことは残念でな

らない。

 

松本被告の死刑が確定したからといって、オウム事件の被害者・遺族の悲しみや苦しみ、何も変わる

ものではない。被害者たちは、被害を受けて以来10年以上が経過しているのに、現在も被害に苦し

んでいる者も少なくなく、十分な補償を受けられていないのである。いうまでもなく、松本被告の刑

事裁判の終結で、オウム真理教問題は何ら終了したわけではない。今こそ、取り残されている被害者

に対して、十分な対策を講じてもらいたい。

 

更に、現在もオウム真理教が「アーレフ」と名前を変えただけで、従前と変わらぬ活動を続けている

ことをみるにつけ、このままでは被害者は全く浮かばれない。改めて、アーレフに対しては、教祖松

本智津夫の刑事責任が確定したという重みを、オウム真理教=アーレフは真摯に受けとめ、被害者に

対する全面的救済という責任を果たさなくてはならない。そして、その一環として、一刻も早く自ら完全に

解散すべきである。

 

また、国や社会においては、オウム問題が何ら解決していないことを充分に認識し、被害者に対する

手厚い補償と、オウム真理教問題の反省と総括等を行うことによって、今後二度とこのような事件が

起こらないような社会を作る諸政策を行うことを強く求めるものである。

 

2006年9月15日       オウム真理教被害対策弁護団 事務局長 小野 毅

 

 

資料47   上祐代表明かす、サリン事件などで「ウソついていた」  2006.9.15

 

坂本堤弁護士一家殺害事件や地下鉄サリン事件について、松本智津夫被告(51)の発言などから、「発生直後から教団の犯行だと確信していた」と明かした。

上祐代表は地下鉄サリン事件当時、“広告塔”としてテレビ出演。「教団は事件と無関係」などと主張。

「教団をつぶしたくないという気持ちがあってウソをついてしまった」と。

 

教団は、1989年11月4日、坂本弁護士一家3人を殺害。数日後、3人の失踪(しっそう)が報道された際、松本被告に教団の関与を聞いたところ、

松本被告は「お前はもうわかっているようだからな」と答えたという。

上祐代表は「『教団が事件をやったことをお前は分かっているようだからな』という解釈しかできなかった」と。  −読売新聞9月15日抄本

 

 

最終更新2008.11.6


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