高橋シズエさんより、一通のメッセージとともに、『特別に選ばれた天使たちに』という本を頂きました。
シズエさんの御主人は、地下鉄サリン 事件で お亡くなりになっています。
直接的でなくても私たちは加害者の一員です。私 たちのお布施したお金でサリンは作られ、私たちは教団を支えてきました。
私はシズエさんのメッセージを読んで涙が出ました。読み返す度に涙が溢れてきます。
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私は、昔母からこんな話を聞きました。
「ある人が、地獄の人間はなぜ骨と皮ばかりの体をしているのだろうと思い、天国と地獄を見せてもらいました。
地獄に行くと、食卓には山のようなご馳走 があります。
そして、箸は長い長いものでした。あまりに長くてご馳走を自分の口に入れられないので食べられないのです。
次に天国に行きました。食卓は地獄の ものと全く同じです。ところが食べ方が違うのです。
長い箸で相手の口に入れてあげるのです。」
これは自分さえ良ければいいということを戒め、相手を 思いやる心が大事ということです。
松本智津夫は、皆から長い箸でご馳走を全部自分の口にいれさせていたのではないでしょうか。
私は、亡夫と本当に『幸福』な生活をしていました。私 は、自分の親を手本に生きています。
私たちの子供も、私と亡夫を手本にするでしょう。
こうして過去・現在・未来へとつながっていくのではないでしょうか。
私は、これからも多くの人に励まされ、支えられ、生かされていくでしょう。
そして私の感謝の気持ちが多くの人に反映されることを願っています。
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前記はシズエさんのメッセージの一部です。
こんなにも優しい人の御主人は、 きっと優しい人であったと思います。
私の心は罪悪感と後悔で一杯です。
悲し みや辛い思いをさせて、ごめんなさい。
幸福な家庭を壊して、ごめんなさい。
今でも松本智津夫を信じているサマナ・信徒に伝えたい。
自分が本当に苦しかったり悲しい時に、他人を思いやる心を持てる人が菩薩の心の持ち主です。
松本智津夫は今、自分のことしか考えていません。
もし他人のことを思いやる心が あれば、法廷であんな言動はしないでしょう。
心を自由にして見つめればわかります。
『特別に選ばれた天使たちに』を読むと心が暖まります。
もう一度自分 の足で生きてみようと思います。たくさん人を愛したいと思います。
高橋シズエさん、ありがとうございます。 (1996年12月9日)
● 手記6 (20代・男性・元サマナ) 僕は94年9月にオウムに入会し、94年10月に出家して、96年6月25日ごろオウムから逃げ出しました。 1996年7月には、オウムから逃げた罪悪感によって、森の中で睡眠薬を80錠飲み自殺を実行しましたが、次の日発見され、瀕死のところを助けられ、1カ月間精神病院に入院していました。左の手足が全然動きませんでしたが、今では少しずつよくなっています。今は実家からアルバイトに通っています。 親とは意見が合いません。感情の波が激しく、ものすごく不安になったりします。薬物のせいだとは思いますが、イニシエーションで記憶が一部ありません。 入信したきっかけは、大学の「インド・ヒマラヤ研究会」というダミーサークルでした。 僕は神経質で人との付き合いが苦手で、精神世界に興味がありました。サークルでは人の悩みをよく聞いてくれたので、信頼していました。ところが、ある日、いきなりオウムの道場へ連れていかれました。 ワイドショーなどで有名だったので「入信はしない」と言いましたが、出家者の人達が信頼できたので、まもなく入信しました。 また、すばらしい人達が集まっているので、麻原さんは世間に誤解されているだけだと思いました。「この世は苦しみである」「物質文明は悪である」ということに納得できましたし、1997年のハルマゲドンは少年マンガ雑誌で読んだことがあったので信じてしまい、出家しました。 修行やワークはキライでしたが、97年にみんな死んでしまうので、97年まで2年ぐらい我慢すれば楽になれると思っていました。死んでも麻原さんがポアしてくれると思っていたからです。飲むイニシエーションではアルコールの味がして、「インチキじゃないか」と思っていたら、独房で体を弓の字にさせられ、手足をしばられ、竹刀で叩かれました。トイレにも行かせてもらえず、床じゅう悲惨でした。「尊師に帰依するぞ!」と何時間も大声で言わされました。 隣の部屋の女性は、「もうこんな教団やめます!」と叫んでいました。 その後、儀式院でイニシエーションを受けてもうろうとしている人にザンゲさせたり、お布施させたり、出家するように強く勧めたりするワークに就きました。その時、上司の人が「イニシエーションで神秘体験のない人には、ぐるぐる10回転させて座らせたら、神秘体験なんて起こるんだ! つまり神秘体験なんてどうでもいいんだ!」 と言ったので、怪しいと思いましたが、1995年2月(地下鉄サリン事件の少し前)だったので、「救済のためならどんなことをしてもいい、時間がないんだ」 と思っていました。 そのころ、ジーヴァカ棟の近くで、ジーヴァカ正悟師がいつも申し訳なさそうにうつむいて、コソコソ歩いていました。態度がコソコソしているので、ピンクの服を着たスパイだと最初思いました。 サリン事件の後は、大阪で働いてお布施をする財施部に行きましたが、周りの出家者や師の人もどんどんオウムをやめていきました。最初は「事件はすべてデッチ上げ」と教団は言っていたのに、すべて実行していたので、「どうしてウソを言うのだろう」と思いました。 師の人に相談すると、「殺されても真理勝者と縁がついたからよかったのよ」「脱会した師や正悟師達は脱会したフリをしているだけ」「自分で考えたらいけない」と開き直っていました。 今年の4、5、6月と支部活動に戻りましたが、古きよき時代のオウムの温かさは薄れて、殺伐としてきました。狭いマンションで相互監視するので、心がいつも緊張します。極限だといって、限界以上のことをさせます。5、6月は、ヘラクレスを信徒に5万円で売っていました。秘儀瞑想のイニシエーションは30万円でした。正悟師が来る説法会で、3万円で参加できるのを見て、「金がなければ解脱できないな」と思いました。僕のいた支部では、お布施を信徒から集める係の人を「集金マシーン」と呼んでいました。情けなかったです。 そのころ、アーチャリーさんの「上の命令は絶対です」という通達が来て、がっかりして逃げました。麻原さんの教義は一見正しいように見えるだけです。1996年10月に滝本さんやカナリヤの会を知りましたが、脱会した人達に会えてうれしかったです。 信じていたものが一切なくなった恐怖や不安をわかってくれます。オウムしか正しいものがないと思っていましたが、瞑想でも仏教でもまだまだ多くの道があると教えてもらい、カナリヤの会に参加してよかったです。 林さんや井上さんの真剣な姿に対して、麻原さんの態度にはがっかりしました。山本まゆみさんや大内早苗さん、松本知子さんの陳述によっても、僕の麻原さんへの信仰はどんどん消えました。今の麻原さんの「だだっ子」の態度で、オウムから離れる人が増えると思います。 「教団が100人まで減ったらハルマゲドン」という予言を、現役信者は信じていると思いますが、何も起こらないので考え直してください。彼は「だだっ子」のフリをわざとしているのではありません。僕が気になっていたこと─「PSI(ヘッドギア)はつけて1週間寝ていれば解脱するはずだったのに、1年、2年つけても解脱しない」、―「予言が当たらない。教団は拡大しないし、95年、96年の大洪水で日本の3分の2が沈むはずなのに、大洪水は起こらない」、―「“96年、私が死んでも君達に奇跡が起こるだろう”と言うのに、サマナに奇跡は起きない」。 普通では考えられない、とんでもないことを麻原さんはするので、「尊師の深いお考えがあるはず」と思っていましたが、「深い考え」は彼にはないようです。 幼いころからの環境で麻原さんの性格は形成され、サリンまでつくって地球を支配しようとしたのでしょうが、考えがマンガのようであり、誰も彼を止められなかったのが残念です。幼いころからの彼の苦しみを相談できる人がそばにいたら、教祖にならずにすんだのかもしれません。師補→師→正悟師→正大師とどんどん傲慢になっていくのが残念です。グルのクローン化すると、口はうまくなるし、人の苦しみもわからなくなるようですね。 1996年1月1日に、500 人ぐらいのサマナが第6サティアンに集まりました。 そのとき、2、3歳の「尊師」の息子に無理やりオウム三唱をさせました。夜の1時ぐらいで、まだ寝ていたのに無理やり起こされて泣いていました。正悟師は喜んでいましたが……。 1996年6月にサマナ一人一人にサバイバルセットと地図が配られました。「こんなものでハルマゲドンに生き残るつもりなのか?」とおかしく思いました。 多くの人の心を引き裂いたオウムに属していて、申し訳ないと思っています。
● 手記5 (30代・女性・元在家信徒)
私は、オウム真理教の信者であった6年間を振り返ってみると、まるで悪夢を見ていたような気がします。本当に夢であってほしいとさえ思うのです。 最後まで“在家信徒”であった私は、サマナの人達とは違い、ある程度の自由、個人の意思というものがあったはずですが、実際のところは、日々“成就者”といわれていた人達から、極限の布施、奉仕、そして導きを強いられ、昼も夜もいくつかの仕事を掛け持ちし、得た収入のほとんどをお布施し、それ以外は道場などでのバクティに追われる毎日でした。当然、他のことは考える余裕さえありませんでした。 ましてや、“三宝”であった出家修行者の人々が、犯罪に手を染めていたとは、夢にも思いませんでした。私にとって出家者とは、あくまでも聖なる存在であったからです。事実を知ったときはとてもショックでした。 私は1994年の12月ごろ、11回もの“ニューナルコ”によって多くの記憶が消されてしまいました。教団の“スパイ”と疑われたからです。日常生活はもちろん、かわいい盛りであっただろう子どもの2、3歳のころのことも、はっきり覚えていないのです。アルバムを見ても、つい2、3年前のことなのに、まるで20年も30年も昔の遠いおぼろげな思い出しかないのです。 最近になって、我が子の寝顔を見つめながら、私はこの子を抱きしめたことさえなかったのではないかと思い、オウムでは親子の情というものは否定されていたので、この6年間、2人の子ども達にはきっと寂しい思いをさせてきたのだろうと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 ニューナルコを受けてからもう2年ですが、まだ体調も悪く、記憶も戻らず、薬物などの後遺症で意識がはっきりしなくなるときさえあり、精神的にも不安定で、通院を続けており定職に就くことさえできません。そのうえ、家族でイニシエーションをたくさん受けるために、無理してサラ金などから多額の借金をしたので、夫とともにその返済に追われる毎日です。 社会的にも、自宅に3回も警察の強制捜査が入り、夫も会社を即刻クビとなり、近所の人達の中傷などで2回も引っ越しをしました。 いまだに警察からは監視され、自家用車に乗っていても後からパトカーが追ってきたりします。 予想もしなかった度重なる出来事に私の精神もますます不安定となり、幼い子ども達の心にも癒し難い傷を負わせてしまいました。 オウムに入信した動機は、「心を安定させたい」「健康になりたい」そして他の人々、社会に役立つことがしたい」との願いでしたが、結果は入信前よりもひどいものです。信者の人達からは“カルマ落とし”と言われるでしょうが、自分だけでなく周りも不幸になるようなことが、はたして真理だったといえるのでしょうか……。いったい私の生活すべてをかけてまでも信仰を続けてきた“オウム真理教”とは何だったのでしょうか……。 私はサリンやVXガスでたくさんの人々を殺生しようとしてもらうために、無理をして極限のお布施をしたのでは断じてありません。 しかし、結果的に私の布施したお金の、たとえ一部でも遣われていたとしたら、被害にあわれた方々に何と言っていいのか、今は言葉も見つかりません。 また、教団のために、救済のためにと、精一杯つくしてきたのに“スパイ”と疑われ、監禁され、ニューナルコ、そして思い出したくもない数々の拷問……。私が愚かであったのだから、仕方がないと言われるかもしれませんが、この6年間のことは本当に悪い夢としか言いようがありません。 今も教団に残っている人達は、早く目を覚ましてほしい。たしかに社会復帰することは容易ではないかもしれないけれど、私もいまだ苦しんでいるけれど、支えてくださる方々ともたくさん出会うことができました。いつも殺伐としていた家庭にも、少しずつ笑顔が戻ってきました。 今まで気づかなかった周りの人々の優しさ、すばらしさにも気づき始めました。そして我が子の成長を楽しみに、毎晩愛らしい寝顔をながめながらそっと布団を掛けてあげる、やっと人並みの母親らしい気持ちも持てるようになりました。 絶対の幸福を得るための修行をしてきた6年間だったけれども、今の私には親子4人のささやかな生活が一番の幸福です。いつかはこわれるものであても、だからこそ1日1日を大切にしていきたいと思います。 つたない文章ですが、もし脱会を迷っている人、脱会したけれど苦しんでいる人の少しでも力になれるなら、と鈍い頭で考えつくことをいろいろ書かせていただきました。 これからは肩ひじ張らず、自然体で生きていけたら、と思っています。
● 手記4 (30代 女性 元信徒)1996年8月6日
オウムを脱会後、何度か手記を書く機会がありました。
1度目は脱会して4カ月が過ぎる頃でした。この時は、まだ地下鉄サリン事件も、偶谷さん拉致事件も起きていなかった。でも上九一色村でサリンの副生成物が検出されたという報道が盛んにされ、人々の目がオウムに向き始めていました。 この頃の私はまだ地獄の恐怖から完全に抜け出せない状態でした。夢の中で、片足を切断して血だらけの女の人が、「あなたも尊師に帰依できるでしょう」と言って追いかけてきました。私は泣きながら逃げているところで目が覚めました。私は5回も脱走し、独房やコンテナに3カ月に渡って監禁され、地獄の恐怖だけでなくオウムに連れ戻されることも恐怖でした。 間もなく強制捜査が行なわれる。その時に集団自殺が心配でした。以前、独房の中で見たオウムのビデオで麻原が、「負けてもいいじゃないか。天界で会おう!」と言っていた。独房に監禁され、しかも下向したいと心が揺れていた私でもビデオを見た時は、ついていこうと思いました。 だから私以上に帰依しているサマナ、信徒たちは麻原が、「ポワしてやるぞ!」と言えば死を選ぶと思ったのです。何とか集団自殺を防止したいと思い、手記を書きました。そして江川紹子さんに託しました。(この時は麻原さんがあんなにも自分の命に執着している人だと思わなかったのです。) 2度目の手記は脱会して6カ月が過ぎようとしていた頃でした。地下鉄サリン事件、強制捜査、明らかになっていく様々な事件...辛い日々でした。悔やんでも仕方ないと思っても、後悔・罪悪感で胸が一杯でした。地下鉄サリン事件の日は、テレビを見ていて事件の一報が流れた暖間、オウムだ!と思いショックでした。 オウムの残忍な行為は悲しいけど事実です。そして私はそんな教団の一員だったと思うと、いてもたってもいられなくなります。でも、罪悪感で一杯の心の中でマインドコントロールはまだ残っていました。 庭で草むしりをしようとしたら、恐くって草がむしれない。オウムにいた頃、草木を傷つけたら成長天の神が怒ると聞いたからです。成長天の神様が一という思いが出てくるのをオウムの教義は矛盾だらけだ。あんなに残忍な事をする教祖が紋世主である筈がない。大丈夫、大丈夫。」と自分に言い聞かせて、目を閉じて思い切って草をむしった。恐怖はまだ残っている。むしった草を見たら、少しだけほっとした気持ちになりました。 この頃は麻原が逮捕されていないので、まだまだ何が起きるか分からない時期でした。私は24時間警察の人に守られて生活していました。私は治療省のワークをしていた為、オウムにとって都合の悪いことを知っていたり、私自身が被害者となり、ある事件で正悟師が逮捕された為に危険があったからです。 まだ教団に残っているサマナに真実を伝えたい、脱会してほしい、気持ちは焦るばかりでした。こんな思いを書いて、それが『マインドコントロールから逃れて』という本の手記となりました。 3度目の手記は脱会して1年が過ぎた頃に書きました。世間の話題の中からオウムの話題が少なくなり、私の周りも警察の警備がなくなり落ち着いた日々となりました。恐い夢もたまに見るだけとなりました。罪悪感によってただ落ち込むだけでなく、出来ることから始めていこうと思えるようになりました。 ただ、オウムにいた頃の友達はどうしているかが心配でした。脱会したか? それともまだサマナだろうか?一真実を知ってほしいという思いを書いて『カナリヤの詩』に載せました。 そして今回4度目の手記をこうして書いています。脱会して1年7カ月が過ぎました。仕事にも慣れ、精神的にも落ち着きました。今になって気が付くことが沢山あります。 1年前どうしてもオウムから脱会させたい人がいました。オウムの言っている嘘はこんなにあるんだよ、と色々な記事を集め説得しようとしました。教義の矛盾を話したり、情に訴えかけたり、色々やってみました。マインドコントロールについて本を読んだり、自分で体験しているにもかかわらず、焦りもあって強引に脱会へと導きました。 そんな中で、彼から記憶が消されて党えていないことが多いことを聞かされました。オウムが記憶を消去しようとニューナルコをしていたことは知っていました。でもまさか彼が一という思いがありました。この時は足元が崩れるような気持ちでした。私は彼との思い出が支えでした。色々な事があったけど、思い出すのは何故か楽しい思い出が多かった。私が大切に思っていた家庭を失って、残ったのは思い出の中の家庭でした。でもそれも共有出来なくなったと知った時、彼が遠くに感じました。彼の苦しみを考える余裕もなく、私の頭の中はパニックしていました。 今は、記憶を失った本人が一番辛いと分かります。自分の知らない時間があることは恐怖です。私の想像以上に辛いことだと思います。思い出が消えても彼は彼だと思うようになりました。 でも、彼の心は今でも苦しんでいます。私では癒せなかった彼の心を、カナリヤの会の同じように記憶を失って苦しんでいる人が癒してくれました。オウムは色々な残忍な行為をしました。記憶を消すこともその一つです。 先日、精神病院で2カ月程仕事をする機会がありました。その時、電気ショック療法を見ました。精神病院では治療として使います。薬物療法の効果のない患者さんで、死を強く望んだり、人を殺さなければという危険な思いが強い場合にその思いを忘れさせてあげるために使ったりするとドクターから聞きました。オウムはこれを悪用しました。電気ショックをかけると一時的に痙攣が起こります。患者さんの姿と彼の姿がだぶりました。 こんなに酷いことをする教団にいたのかと自分が情けなくなりました。 東京スポーツ新聞(H8年6月11日付け)で渡辺正次郎氏が手記の中で滝本弁護士のことを下記のように書いていました。・オウム信者を受けとめるにはあなたの言う「温かく迎えてください」では心は開かないのです。普通に普通に普通にです。それさえもあなたにはわからない。人の心の分からない性格ですね。 私から見れば渡辺氏の方が人の心の分からない人だと思います。渡辺氏は10年前、ある事件に巻き込まれた青年を救うために体を張ったと書いていましたが、滝本弁護士はそれ以上に体を張って私たちを助けてくれました。私は滝本弁護士に会わなければ殺されていました。また、マインドコントロールも解けていなかったでしょう。 渡辺氏は上祐さんを叱りつけた本を書いたと手記で言っていましたが、叱りつけるのでは効果はありません。本当に上祐さんのことを心配するのならマインドコントロールを解くことこそ必要だと思います。渡辺氏のように普通に普通に普通に接していてはマインドコントロールは解けないと思います。渡辺氏の書くようにオウム犯罪者集団に私たちはいました。犠牲者・残された家族がいることも十分わかっています。私たち元信者に対して厳しい言葉があっても受けとめて生きていこうと思います。 オウム信者・元信者のマインドコントロールがすべて解けた時、完全にこの世からオウムがつぶれると考えています。そのためにはカウンセリングして下さる方々が必要です。本人だけではマインドコントロールを解くことは困難です。 暑い日が続いています。独房やコンテナに閉じこめられてから暑い日が苦手になりました。独房の中は異常に暑かった。両隣の独房の部屋に閉じこめられていた男の人は、夏だというのに電気ストーブをつけて閉じこめられていました。両隣の壁から熱気が漏れてきて独房全体が異常な暑さになっていました。 天井にある小さな換気扇が回っている時だけ、ドアの下のわずかな隙間から風が入ってきました。顔を床にこすりつけ少しでも風を感じることがささやかな薬しみでした。1畳程の狭い独房にいると息が出来ないほどの不安に襲われました。24時間手錠をされていたので手の痛みと、手を自由に動かせないストレスも強かった。少しでも眠れるとその時だけは気が狂いそうな程の不安を忘れられた。この時の夢はいつも親子3人でいる夢でした。目が覚めると、限る前以上に気持ちが落ち込んでしまい、身の置き所がない様な気持ちに途方に暮れた。目が覚めてからの落ち込みが嫌で眠りたくないという気持ちと眠れば少しの間、不安から離れられるという気持ちがありました。 独房の次はコンテナに入れられました。独房は2〜3時間でも限れるだけ良かった。コンテナは24時間眠らせてもらえなかった。ずっと座っていなければ怒られます。少しでも横になろうとすると竹刀で注意されました。コンテナでは精神状態も最悪となり自分でもよく分からなくなった時もありました。 色々な事がありましたが、滝本弁護士に出会い、オウムの呪縛から解放されることができました。カナリヤの会の方々にも感謝しています。最近では、何でもカルマに結び付けてしまうことや三悪趣に落ちるという恐怖もなくなりました。勤務先には元オウムにいたと話していませんが、もし知られてしまったとしても乗り越えていけると思います。 脱会したばかりの頃、誰とも会いたくなかった。でもオウムと関係のない友達が、私が出家中に一人暮らしの私の母を心配して何度も訪ねてきては、母を励ましてくれたぞうです。誰にも会いたくないけれど、お礼を言うために連絡をとってみました。すると友達は私のために泣いてくれました。私の周りにはオウムの一員であった私を優しく待っていてくれた友達が何人もいることに気が付きました。私は人に恵まれているようです。大切にしていきたいと思います。 今、困っていることは、エレベーターや混んでいる電車に乗ると不安が出てきてしまうことです。暑い日は特に息苦しくなって独房やコンテナでのことが思い浮かんできます。でも頑張ります。 
● 手記3 (20代・男性・元出家信者) 今は正社員となって働いています。時間が経つにつれ、周りの話も聞けるようになりました。半年前までは、「絶対に尊師の深いお考えがあるはずだ」と思っていましたが、今ではすっかり信も帰依もなくなり、また、オウムから離れたという恐怖もなくなりました。 脱会した人達と会って話せたことで、心が安定してきました。そして、見ないように避けてきた被害にあった方々の文章を読むようになりました。教団にいたときは「人間は虫を殺すなどの悪業をたくさん積んでいるので、ポア(神々の世界へ転生させること)することこそが慈愛なのだ」「真理勝者と縁がついてよかった」と教えられていました。本当に申し訳ありません。責任の大きさが少しずつわかりはじめています。 「自分達は特別で功徳があってオウムだけが正しくて、社会も国も世界中もすべて間違っている。新しい世界をつくるんだ!」と本気で思っていました。「洗脳されているのは世の中の人々のほうなんだ」と考えていました。眠らないこと、食べないことで意識は正常ではなくなり、自分の考え(判断)は否定され、教祖の言うことだけを実践するのみでした。 「何の罪もない多くの人々の命を奪った教団」「非人間的な行為」という文字を見てハッとします。とんでもないことをしてしまった、と。教祖は何を目指し、そして今、何を思っているのでしょうか? 訳のわからない行動をとるので、きっと何か深いお考えがあるハズ、と思っていました。ハルマゲドンが97年に起こって、教祖が世界の救世主になると本気で信じていました。 どうして多くの若い人々がオウムに魅きつけられたのでしょうか?ボクの場合は世の中に対する不満からでした。「この世は理想とかけ離れている」─金を持っている人間が偉そうにして、人々は自分の欲望を満たすために足の引っ張りあいをしている汚い社会。思いやりや優しさなどは大切にされず、成績ばかりを重視する学校(いじめは増え続けていますし……)。 すべてぶっ壊したいと思っていました。 どうしてこんな世の中になってしまったんだろう? 機械化され、物質ばかりがあり余って、何万円もする服を着て…。世界には飢えで苦しみ泣いている人々がたくさんいるのに、日本では「おいしくないから食べない」なんて……。絶対どこかズレてしまっている、と思っていました。新しい世界をつくるしかないと。 多くの人々が見ているTVに出てくる、くだらないタレントのくだらない番組(たしかに非常に人の役に立つ番組もありますが)。どうしようもなくくだらない番組をなぜTVで流すのか? どうしてそれが許されているのか? それを見て育つ子どもが道をはずれることは、その子だけの責任なのでしょうか?くだらないものを野放しにしている大人に責任はないのでしょうか?犯罪集団を生み出した社会。その社会にまったく責任はないのでしょうか?その社会を許している一人一人に責任はないのでしょうか?普通の子、そして優しい子達がオウムの温かさや質素な生活に魅かれて出家しました。もうこのような事件が起こらないと断言できるでしょうか? 社会(世の中)はオウム真理教がなくなった今も、ちっとも変わっていないと思います。反抗的な文章になってすみません。絶対にサリン事件等のような非人間的な行為は起こってはならないと思います。被害者の方々にも、とても申し訳なく思っています。しかし、世の中が変わっていないとすれば、不満を持っている人々が何かを起こさないという確信はボクにはありません。
● 手記2 1997年、今、何してる ? (30代 女性 元信徒) オウムを脱会して3回目の冬が来ました。育児・仕事・家事と忙しい日々を過ごしています。独房やコンテナに閉じ込められていた時、地下鉄サリン事件が起きた時、警察の人に24時間警護されていた時−こんな普通の生活ができる 日が来るとは思わなかった。 私がオウムを脱会して5カ月後に地下鉄サリン事件が起きました。この日テレビを見ていて事件の一報が流れた瞬間、オウムだ! と思いました。次々と報道される被害状況に悲しくなり、姉に電話をしました。 「きっとオウムがやったんだよ。」と私が言うと、姉は「こんなことをするのはオウムしかいない。あんたはこの教団にいたんだからね。あんたは一生この罪を背負って生きていかなければならないんだよ! 分かっているの?」と言いました。 直接的でなくても私たちのお布施したお金でサリンが作られ、私たちが教団を支えてきたと思うと絶望的な気持ちになりました。人生を消しゴムで消すように消せるなら一と何度も思いました。死にたいと考えたこともありました。 でも私が死んでしまったら子供が‥、と思うと死ぬこともできなかった。不安定だった私を滝本さんが支えてくれました。滝本さんは私に「少しずつ良い方向に変わっていきますよ。」とよく話してくれました。本当に少しずつ色々なことが良い方向に変わりました。 今、看護という仕事を通して沢山の人と出会っています。独房やコンテナで不自由な生活をした分、患者さんの心が分かります。食事ができないことがどんなに辛いか、人に排泄物を処理してもらうことの苦痛、白由に外に出られない動けない苦痛、何日も何十日もお風呂入れないとどんなに不快か、など沢山のことを知りました。患者さんが生きるということを教えてくれます。 消しゴムで消せない人生なら汚れと一緒に生きていこうと思います。 今、私は沢山の人に支えられて生きています。 強い人になるには たくさんの挫折が必要です 優しい人になるには 何度もの哀しさが必要です この言葉は高橋シズ工さんから頂いた本(著者:ひろはまかずとし氏)の中で私が好きな言葉の一つです。 
● 手記 被告人からの手紙(20代・男性) 一被告人から手紙をいただきました。縮小しますが、氏名以外のすべ ての文章10ページ分を掲載します。他の方も気が向いたら投稿してく ださい。拘置所、刑務所とも何かと制約があるでしょうが、所長の裁 量が大きいものです。ご家族や本人、できれば弁護人も「カナリヤの 詩」というものを所長らに理解してもらうよう努力し、差し入れ・投 稿が自由にできれば、あらゆる意味でよりよいのではと思います。 私、某事件で未決勾留中の者です。95年5月ごろ教団に脱会届けを出して以来、自分の体験や友人の元サマナからの情報、マスコミの報道や出版物を元に、「松本智津夫の正体は一体何者なのか?」「どういう精神状態で、何を意図して事件を起こしたのか?」「なぜ見え透いた嘘を次々と言うのか?」という、元サマナなら多分誰もが抱くであろう疑問の答えを探し続けてきました。 そして、今年の2月ごろ読んでいたイギリスの心理学者の著書の中に、その答えをついに発見しました。長年の心の中の霧が晴れていくようなスッキリとした気分と同時に、「同種の悲劇を繰り返さないためにも、このことを多くの人に知らせなければ」と強く感じました。さっそく手始めに、自分の得た答えを手紙に書き友人の元サマナに送ったところ、「君の環境では知り得ないだろうが、テレビでは多くのコメンテーターが君と同じことを言っている」との返事が返ってきました。「井の中の蛙」だったようです。 しかし、聡明なその友人でさえ、私の手紙が「参考になった」と言ってくれたので、今回「カナリヤの詩」にこの手紙を書いてみようと思いました。元サマナに特有の視点による見解が、まだ松本の正体がわからずに苦しんでいるかつての「法友」達の参考に少しでもなるなら幸いです。 長い前置きになりましたが、私がその中に答えを見つけたその本とは、「診断名サイコパス(ロバート・D・ヘア著 早川書房)です。欧米では「サイコパス」という言葉がかなり一般にも認知されていて、ある特定の性質をもつ人達が精神科医や心理学者から「サイコパス」と診断されているようです。 「サイコパス」の特徴は次のようなものです。 ・口達者で皮相的 ・自己中心的で傲慢 ・良心の呵責や罪悪感の欠如 ・責任感の欠如 ・ずるく、ごまかしがうまい ・感情が浅い ・衝動的で行動をコントロールするのが苦手 ・幼いころの問題行動 ・成人してからの反社会的行動 サイコパスは「精神病質(者)」と訳されていて、先天的な人格障害者であり、多くのサイコパスは連続殺人犯、レイプ犯、泥棒、詐欺師、幼児虐待者、資格を失った弁護士や医者、テロリスト、カルト教団の指導者等として、社会的問題を引き起こしています。 以下、サイコパスについての説明を本文より要約・引用します。 ******* 1.サイコパスは抜け目なく機敏に働く頭、人を楽しませる口、そして飛び抜けた魅力をもっている。 2.サイコパスはナルシスティックで自分の価値や重要性に関して、ひどく慢心しものの見方をする。彼らは自分が宇宙の中心にいると思っていて、己のルールに従って生きることが許されている優秀な人間だと思っている。 3.サイコパスの傲慢さと尊大さは、しばしば法廷内のドラマティックなふるまいに現れ、弁護士を批判したり、解雇したりして、自分で弁護を行うことも珍しくない。もっとも、その場合結果は悲惨なものとなる。 4.サイコパスは尊大で恥知らずの傲慢なものであることが多い。自己満足にひたり、頑固で横柄でうぬぼれる。彼らは他人に対して力をもちたがり、他人を支配したがる。他人が自分と違う正当な意見をもっていることなど信じられないかのように。彼らはカリスマ性をもっているように見え、他人に衝撃を与えている。 5.サイコパスに良心の呵責や罪悪感が欠如していることは、自分の行動を正当化したり、自分の起こした被害の責任を無視する驚くべき能力につながっている。彼らはたいてい自分の行動に手軽な言い訳をし、中には自分のしたことをまったく否定する者もいる。 6.「おれは愚かなスケープゴードにされたんだ。今思えば、おれは犯人というより被害者だ」。こう言ったのは、33人の青少年を拷問のうえ殺害し、自宅の地下室に埋めたサイコパスの連続殺人犯、ジョン・ウェイン・ゲイシーだ。 7.サイコパスは自分の行動がどんな結果をもたらすか思い描く能力が貧弱である。 8.サイコパスは全般的に共感能力が欠如しており、彼らは家族であろうと他人であろうと、その人達の権利や苦しみに無頓着だ。 9.サイコパスは他人の所有物や貯金や尊厳を寄生虫のように吸い出したり、ほしいものを衝動的に手に入れたり、家族の物理的及び情緒的な幸福を平気で無視したり、不特定多数の相手といい加減な性関係を果てしなく続けたりする。 10.あるサイコパス(女性)の例では、現実と虚構の間、善と悪の間、正しいことと間違っていることの間に引かれる線はあまり重要なことではなかった。 11.嘘つきでずるくごまかしがうまいのは、サイコパスの生まれもった才能だといえる。 12.サイコパスはその日暮らしをして、しょっちゅう計画を変える傾向がある。 13.ヒコックはおしゃべりのうまい典型的なサイコパスの男で、一方スミスはほぼ妄想分裂病という診断を受けていた。ヒコックはスミスを生まれついての殺人者と見ていて、「そのような才能は自分の監視下にあれば実に有効に利用できる」と考えていた。例によってヒコックは殺人の罪をパートナーに押しつけようとし、「やったのはスミスだ。おれはヤツを止められなかった。人殺しは全部彼がやった」と言った。 14.ほとんどのサイコパスは幼いころにゆゆしい問題行動を見せはじめる。執拗に嘘をつく、人をだます、ものを盗む、火遊びをする、学校をさぼる、教室を混乱させる、破壊行為をする、暴力を振るう、他の子どもをいじめる、家出をする、性的に早熟などの特徴がみられる。 15.サイコパスは社会のルールとか期待をわずらわしく不合理なものと考え、自分の好みや願望を行動で表現する障害となっていると考えている。子どもだろうと大人だろうと彼らはルールをつくってしまう。人に感情移入する能力に欠け、世の中を自由にできると考えている。衝動的でずるい子どもたちは、成長しても同じ大人になる。驚くべきことにサイコパスは死ぬまでずっと自己中心的で反社会的行動をとるのだ。 16.サイコパスは他人のために努力することができず、その努力はすべてどんなに装ってみても、自分の願望と欲望を満足させるための投資でしかない。 17.サイコパスは嘘だけでなく、矛盾した発言をすることがある。まるでサイコパスは時に自分が何を言っているかわからなくなり、互いにつながらない言葉や考えが入り組んできても、いっこうにかまわないかのようだ。 18.サイコパスは感情が浅く、普通の人が当たり前に抱く豊かな感情(愛や悲しみ、哀れみ等)を言葉のうえでしか理解できない。 19.サイコパスはほとんどの人がもっている自信喪失や不安、悩みを敏感に察知し、自分の利益のために有効に利用しようとする。 20.心理的な面でもし相手に弱点があれば、サイコパスは必ずそれを見つけ出して利用し、相手を傷つけて当惑させたまま放り出していく。 ******* 私はこれらの記述を見て驚きました。まるで松本智津夫のために書かれた文章であるかのように、松本の幼少時から現在までの破壊的行動を、ものの見事に言い尽くしているからです。私は、松本は「宗教を利用したサイコパス」あるいは「オカルトがかったサイコパス」であると確信をもつようになりました。 こう考えると様々な松本に関する疑問が氷解します。例えば、かつて私もそうでしたが、元サマナや宗教学者の中には「松本がおかしくなったのは身の程をわきまえないシャクティパットのせいで、それ以前の松本は人類救済を真剣に考えていた」と考える人達がいます。 しかし、そうすると松本の幼少時からの盲学校での問題行動、成人してからの暴力事件や薬事法違反等のシャクティパット以前の反社会的行動の説明がつかないのです。彼が生まれながらの異常性各者、サイコパスであると考えるとこの矛盾は消失します。かれにとってのシャクティパットという苦行は、多くの人と金を集め、自分の欲望を実現するための「投資」だったのではないでしょうか? (引用文16参照) また、精神異常を装っているともとれる法廷での異常な言動についても、引用文3、 5、 6、10、11、17等に説明されています。松本の言動は常識によって説明しようとしても矛盾が消えません。あのような性質をもった別種族(=サイコパス)が存在するのだと考えると謎が解けるのです。 サイコパスの精神活動は普通の人の想像を超えています。私自身がそうであったように、その概念を知らない人には、彼らのようなモンスターがこの世に実在することなど考えつくことさえ不可能でしょう。だからこそ、「神秘体験」により正常な判断力を失ったノーマルな弟子たちが松本の異常な振る舞いを「最終解脱者の深い智恵に基づくもの」と説明され、信じ込んでしまったのだと思います。 この本によると、「サイコパスは環境によってつくられるのではなく、先天的なものである」そうです。幼少時からの外的な環境はサイコパスの行動表現の仕方に影響を与えるが、その原因ではないというのです。サイコパスは崩壊した家庭にも、愛にあふれた家庭にも生まれるし、別け隔てなく育てられた双子の片方のみがサイコパスというケースもあるそうです。松本の場合、同様に盲学校へ預けられた長兄がノーマルな人であることからも、「悪環境が原因」という見解には説得力がありません。 そして、先天的なものであるという以外は、サイコパスを産む下人は研究者にも依然として不明であり、矯正することはどんな手段を用いようとも今のところ不可能だそうです。ただ、サイコパスの脳波は普通の人のそれとは違っていることはわかっていて、大脳前頭葉の機能障害だと主張する一部の研究者もいるようです。 ここで、元サマナ・信徒はオウム出版の「ボーディサットヴァ・スートラ」を思い出されるかもしれません。松本の脳波もノーマルな人と比べて異常であると書かれていました。「診断名サイコパス」にはどう異常なのかという詳しい言及がなかったのではっきりしませんが、非常に興味深い事実だと思います。これは先の引用文18と関係があるような気もします。 しかし、サイコパスは精神病患者とは異質で、現在の精神医学及び法律的基準では、彼らは「正気」とされるそうです。 私はオウム事件の最大の悲劇は、この生まれついてのモンスターを全知全能の絶対者と勘違いして盲目的に服従してしまったことにあると思います。当然破滅は必至です。そして、同種の悲劇は海外には何例もあるようです(米国の「ブランチ・デビディアン」等)。 松本がサイコパスであるならば、彼に謝罪や誠実な態度、犯罪事実の正直な証言を求めるのはムダということになります。良心の呵責や罪悪感、責任感が人格から見事に欠落しているのがサイコパスだからです。 多分、松本は最後まで「最終解脱者」として、矛盾に満ちた戯れ言を言い続けるのでしょう。被害者や遺族、元サマナや信徒にとってはやり切れないことですが……。 私自身は今現在は仏教やヨーガからも一歩退いたニュートラルな立場のつもりなのですが、カルマの法則や輪廻転生を唱える仏教的な視点に立てば、研究者にも不明なサイコパスを産む原因も「前生のカルマ」ということになるのでしょう。素朴で善良な青年達が「グルとの合一」を願い帰依すればするほど松本そっくりに似てくるという事実は、次の生のサイコパスを産むメカニズムについての一つの仮説と言えるかもしれませんね。まったく恐ろしいことです。 また、この本によると、サイコパスの中には「成功しているサイコパス」もいて、社会的に高い地位を得たり、経済的に成功したりして、今のところ罪を犯していないが、周囲を不幸に陥れているサイコパスも多いそうです。松本の場合は行動表現が極端に暴力的・破壊的だったうえ、そのおぞましい欲望を具現化してしまう組織があったので大惨事になりましたが、他の発露の仕方をしているために、いまだ罪を犯すに至っていない多くのサイコパスがいるというのです。 私見ですが、日本に新興宗教の教祖の中にも立派なサイコパスが何人もいると思います。同様のことは海外についても言えるでしょう。
脱会者の中には他宗教へ入信したり、インドやチベット文化圏へグルを求めて行く人もいると思いますが、サイコパスのグルには2度とだまされないように、くれぐれも慎重な行動をとってほしいと思います。 とは言っても、サイコパスは概して口達者で嘘がうまく魅力的であり、天才的な演技で人をだますので見分けるのが困難なようですが、我々に必要なことはまず、「サイコパスについてよく知ること」ではないでしょうか? 今なお松本を最終解脱者と信じているサマナ・信徒には、「松本はサイコパスである」と言っても反感を買ってしまい、その脱会のためには必ずしもプラスに働かないかもしれませんが、新たな同種の悲劇を未然に防ぐためには、サイコパスが欧米以上に一般にも認知されることが必要だと思います。 私は予定ではあと少しで社会復帰することになると思うのですが、サイコパスによる被害を少しでも減らすために自分にできることはないか、これから考えていきたいと思っています。 滝本先生をはじめ、カナリヤの会の皆さん、「カナリヤの詩」には私自身ずいぶん励まされました。本当にありがとうございます。近い将来、皆さんの会合にもお邪魔したいと思いますので、その際にはよろしくお願いします。皆さんのより一層のご活躍をお祈りします。 最後になりましたが、オウム事件で亡くなったすべての犠牲者のご冥福をお祈りいたします。 平成9年3月24日 カナリヤの会 御中 追伸 「診断名サイコパス」は素人にもわかりやすいので、元サマナ・信徒の方にはぜひご一読をお勧めします。