元 信 者 の 手 記 111〜120

   120  手記  『森達也氏らの発言に対する懸念』−その1  -獄中から-2005.6.3-117号から

◎森達也氏らの発言に対する懸念

映画監督の森達也氏が「PLAY BOY日本版「月刊プレイボーイの昨年12月25日発売号」から「A3麻原彰晃への新しい視点」という連載を始めました。

私はこれまで新聞等で森氏の文章に接する機会が何度かあり、その際にこの人の視点はなんて鋭いのだろうと思うことがある反面、その視点に対して疑問に

感じることが多々ありました。

そして今回私は、「PLAY BOY」に連載されている森氏の文章に触れ、その内容の一部に無責任さを感じると共に、その内容の一部が教団幹部らによって悪用されるのではないか、という懸念をいだいております(もしかしたら既に悪用されているのかもしれません)。

そこで以下、私があまりにも無責任なのではないか、感じていることについてお伝えしておきたいと思います。

森達也氏は「PLAY BOY」でり最初の連載となった、「A3 麻原彰晃への新しい視点−連載第1傍聴」「PLAY BOY2−04年12月発売」において

「麻原弁護団が弁護方針の大きな柱とした『側近の暴走』はその意味では荒唐無稽な絵図ではない。ありうることだと僕は思っている。ただし側近には自らが暴走したとの自覚はない。すべて尊師の指示なのだと思い込んでいる。そんなことでこれほどの犯罪が起きるはずがないと吐き捨てる人のほうが不思議だ。なぜならかつての日本が荘だった。もしかしたら今もそうなりつつある。」

などと述べております。

また、麻原の一審の弁護団団長であった渡辺脩氏が一年ほど前、「週刊プレイボーイ」で大川豊氏と対談を行い、この対談の中で渡辺氏は、「今回の事件は側近が勝手にやったものだ」などと語り、また自身の著書の中でも「側近の暴走」について述べているそうです。

 

しかしながら、この両氏の「側近の暴走」発言は、あまりにも無責任すぎると思います。と申しますのは、このり両氏の「側近の暴走」発言は、今回の一連の事件の捜査段階において何が立証され何が立証されなかったのか、また麻原の裁判において何が立証され、何が立証されなかったのか、ということを全く無視した発言であると私には思えるからです。

では何故私が両氏の発言を無責任だと考えているのか、についてお伝えしておきます。(尚、今回は松本地下鉄両サリン事件についてのみ、触れておきます)

 

この森氏渡辺氏が主張する「側近の暴走」についてですが、この「側近の暴走」を考える際に明確にしておかなければならないことがあります。それは、松本地下鉄両サリン事件における教団の資金の流れについてです。

そもそも「サリン」など、「作れ」といわれても、当然のことながら簡単に作れるものではありません。ですから期用団においても松本智津夫地下鉄両事件を引き起こす前段階で、例えば土谷研究室(土谷邸)の実験器具や試薬品、第7サティアンのサリンプラント建設、大量のサリン原材料購入等々教団から十数億円かあるいはそれ以上の資金が注ぎ込まれております。

 

このことからもし森氏や渡辺氏らが言うように、麻原がこの松本地下鉄両事件に関与しておらず、側近が暴走したのだとすれば、松本地下鉄両事件の首謀者は一体誰になるのでしょうか。

死人に口無しということで村井秀夫さんになるのかもしれませんが、しかし村井さんでは教団内で巨額の資金を動かすことはできません。教団内で巨額の資金を動かすことができるのは、石井久子さんだけです。ですから、側近が暴走したのであれば、少なくとも石井久子さんの両事件への関与が絶対必要条件ということになります。

しかしながら1995年の捜査段階でにおいて石井さんが逮捕されて以降、警視庁捜査2課が約半年間に渡り教団内の資金の流れを徹底的に調べたものの、石井さんを松本地下鉄両事件の共犯者として起訴することはできませんでした。

教団では非合法活動に使用する資金については「プロジェクト」(あるいは「プロジェクトの資金」)として処理されておりました。ですから松本地下鉄両事件で使用された資金および先刻の両事件の前段階で使用された資金もすべてプロジェクトの資金ということになります。

そして捜査段階において、この「プロジェクトの資金」の出金については、すべて麻原が命じたということが立証されたものの、石井さんがこの資金の使用目的を明確に認識していたかどうかについては立証されませんでした。

このことから、捜査段階において麻原の松本地下鉄両事件への資金面での関与が立証され、石井久子さんの両事件への関与は立証されなかったわけですが、ては麻原の裁判においてこれらのことが立証されたのか、というと残念ながら私は正確なことは把握しておりません。

 

しかし、麻原の裁判においてこれらのことか証拠として採用されたかどうかは別にして、検察が証拠請求しているはずですので、少なくとも麻原弁護団はこのようなことを認識していたはずです。

そして、麻原の裁判において麻原弁護団がこの麻原の資金面での事件関与を否定するだけの証拠等提示したという事実は特にないことからして、いささか逆説的ではありますが、麻原の裁判において麻原の資金面での事件関与は肯定され、石井久子さんの事件関与は否定されたということになると思います。

これらのことで明らかなように、「側近の暴走」は、石井久子さんが出金した「プロジェクト」の資金が麻原の命令によるものではなく石井さんが村井秀夫さんあるいは石井さんだけの判断によって出金されたものであるということが立証されない限り、成立しない主張なのです。

森氏、渡辺氏の発言は、このような教団内での巨額の資金の流れを全く無視したものでありまりに無責任だと思います。

119  手記  『森達也氏らの発言に対する懸念』−その2  -獄中から-2005.6.3-118号から  杉本繁郎

 

教団では、上祐史浩が教団代表を退いたとされる2003年11月頃から、

「事件は戒律を曲解した一部の弟子達の暴走によるもの・・・」

などといいはじめ、最近ではこのような傾向が一層強まり、麻原の事件関与を否定し始めているそうです。

 

そして森氏渡辺氏の発言等か教団のこのような主張の根拠の一つとして使われもいるようで、そういう意味では教団内での資金の流れを検証することなく「側近の暴走」を語り、麻原の責任をすべて我々に擦り付け麻原の事件関与を否定するかのごとく受け取れる両氏の発言は、無責任極まりないと思います。

先日、あるマスコミの方が昨年出版された渡辺氏の本が、着よう団のバイブル本となっているのではないかと懸念されておりました。この森氏渡辺氏の発言等が教団幹部らによって悪用されないことを願うばかりです。

 

また森氏は「A3  麻原彰晃への新しい視点  連載第三回  面会」(PLAY  BOY  2005年2月発売)

の中で岡崎一明氏と面会したことに触れ、麻原が壊れた理由の一つとして

「拘置所内で投与された向精神剤が麻原彰晃の人格崩壊の原因ではないか」という岡崎氏の見解を紹介し、そして岡崎氏との最初の面会以降にやりとりした

手紙の内容の一部要約として「彼にはもう普通人としての意識が失われているとするあなたの見立ては、かつて麻原彰晃の法廷に証人として呼ばれたときの印象を含めて自分も全面的に同意する。ただし麻原がここまで無残に壊れた理由をあなたは『イメージの世界にいたからこそ現実の事件との大きすぎるギャップと罪との意識に耐えかねたのでは』とかいていたが自分の見解は少し違う。岡崎のその見解は実に単純明快だ。拘置所内で投与された向精神剤が麻原の人格崩壊の原因ではないか、と彼は推測した。彼自身が接見した司法関係者から

の情報らしい。拘置所内で看守たちが薬物を頻繁に使うとの噂はよく耳にする。特に入所したばかりの麻原彰晃はとにかく看守たちにとっては厄介な存在だったらしく、常

識外の量の薬物が投与されたということらしい。一時は絶食や尿療法などで彼は何とか薬に対抗しようとしたが(確かに当時はそんな報道もあった)所詮生

身の身体が絶えきれるはずもなく最後は無残に崩壊したという。

岡崎一明のこの推察が正しいかどうかは僕にはわからない。教祖時代麻原彰晃自も薬物をやっていたことは事実だし、そのフラッシュバックが放置されたた

めに慢性化したとの見方もある。いずれにせよ、薬物を原因と仮定するならば急激かな症状の変化の説明がつく。」

などと述べています。

しかし私は、この摂には全く否定的です。確かに拘置所は精神に異常を来たしていると思われる人達もいることは確かです。しかしこのような人達は拘置所に入所した段階ですでに精神に異常をきたしていた人かもしくは拘置所等での長期の勾留に耐えられなくなって精神に異常をきたした人かといずれかの人達であり、拘置所に入所して必要もないのに無理矢理薬物を飲まされて精神に異常を来たしたということはまずあり得ないことだ、と思います。

もし麻原が薬物の投与を受けていたとすればそれは麻原が長期の勾留に耐えきれなくなって薬物の投与を受けざるを得ないほど精神の異常を来たしてしまったからだ、と考えて良いと思います。またもし常識外の量の薬物が投与されたのであれば、精神に異常を来たす以前にしに至ってしまっているのではないでしょうか。

 

それはそれとして、私がこの森氏が取り上げた「拘置所内で投与された抗精神剤が麻原の人格崩壊の原因ではないか」ということを問題視しているのは、この推測が教団幹部らに都合よく利用されてしまうと思われるからです。

麻原の精神が崩壊したのはそもそも麻原は最終解脱などというある意味で崇高ともいえる精神状態には至っておらず、我々弟子の精神性よりも劣っていたこ

とから、長期の勾留に耐えられなくなったことによるものであることは間違いないと思います。

しかし森氏が取り上げた薬物説は、このような麻原の本質を否定するものであり、

またこの薬物説が教団幹部らによって

「尊師が精神に異常を来たしたのは、拘置所で常識外の薬物が投与されたからだ」

「尊師を薬物によって葬ろうとしたが最終解脱者である尊師を葬ることは出来なかった」

「最終解脱者の偉大な力によって薬物の投与を受けながらも尊師は行き続けている」

などと麻原を崇拝させるための材料として都合よく利用されることになるだろうと思われるからです。そして何も知らぬ教団信者らはこのような説明を真に受けて、麻原をより一層崇拝することになるのではないでしょうか。

 

果たして森氏はこのようなことをどこまで認識しているのでしょうか。

確かに森氏は、「岡崎一明のこの推察が正しいかどうか僕にはわからない」と断ってはおります。しかし森氏は「拘置所で看守たちが薬物を頻繁に使うとの噂はよく耳にする」とも述べているわけですから、もし麻原の人格崩壊の原因が薬物の投与であるならば、そのような例が他にも複数存在するはずです。

ですから、本来であれば、森氏は麻原以外の薬物投与による人格崩壊の具体的な例を提示した上で岡崎氏の推察を取り上げるべきだと思います。

にもかかわらず、麻原の人格崩壊があたかも薬物によるものであると受け取れる森氏のは発言は、このことが教団幹部らに悪用される可能性があるということも併せ考えるならば、あまりにも無責任だと思います。

今はただ、森氏のこのような発言等が教団幹部らによって悪用されることのないよう願うばかりです。        平成17年6月17日  杉本繁郎

118  手記  「素敵な言葉-カルマってもんを考えてみようか?」    2006.3.30

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1142411572/より

まあ、2チャンネルは転載自由だったと思うので、ご容赦を。実に理解しやすいなぁ、と思い。コピペですいません。

552 :498:2006/03/30(木) 00:07:53 ID:Y+Vqyh39

カルマってもんを考えてみようか?

俺はアーレフの教学ではなく、手塚治虫の「ブッダ」というマンガの方が 参考になったんだけど。

「運命には変えられるものと、変えられないものがあると。」これがマンガに書かれていた事。

でもアーレフでは為したことは必ず返る。つまり結果が最初から決まっているということだ。だから、サリンの被害にあった人も、そうなるべくしてなった

のであって、これはカルマ=運命だと。

それは違うんじゃないの?変えることもできたんだよ。

サリンを撒かないという行為によって。殺さないという行為によって・・その行為を選択する自由は常にあったわけ。

右にいくか左に行くか人生のハンドルさばきまでカルマ=運命によって固定されているわけじゃない。そこまでがんじがらめなら、人間は岩にこびりついた

コケみたいな生き方しかできんだろ人間の運命は一本道じゃないんだ。

 

117  手記  ラーマクリシュナと麻原彰晃氏の見解の違い   2006.6.10-130号から

 

ラーマクリシュナという聖者がいました。初期の頃の麻原氏の説法にもこの人の名前が出てきます。

例えば、麻原氏はセミナー中、信者のカルマを受けて体調を崩したとき、次のように語ったことがありました。

ラーマクリシュナ・パラマハンサについてはよく知ってると思うが、シャクティーパットのしすぎで咽頭ガンになったあと、治そうとしなかった。彼はラージャ・ヨーガとバクティ・ヨーガの成就者だからね。「わたしはこのカルマをしょおう」。そして、笑いながら死んでいった。ヴィヴェーカーナンダにしてしかり、ラーマナ・マハリシにしてしかりだ。そして、ここにいるわたしも全く同じだ。(Webサイト『Aum Text Archive「オウム真理教」とはいったい何であったのか』1987年1月2日 丹沢集中セミナーより)

 

また、麻原氏の初期の頃の内弟子で「ラーマクリシュナ」というホーリネームをもらっている人もいました。

 ラーマクリシュナとは今から120年前の有名なインドの宗教家で、自然にトランス体験(サマディ)してしまう体質の持ち主で、カーリー女神を崇拝し、神を見ることができたと言われている。麻原氏もまたシヴァ神を崇拝し、神とコンタクトをとることができたと言われている。2人は自分を神と同等と見るか、見ないかで異なる見解を示しています。

 

ラーマクリシュナの場合は信者に次のように語っています。

もう一人の信者「師よ、あなたにお目にかかるのは神を見るのと同じです」

師「そういうことを二度と言うではない。波はガンガーのものだが、ガンガーは波のものではない。人は、『私はこのように重要な人間である』とか、『私は何某である』とか言ううぬぼれた思いを全部すててしまうのでなければ、神をさとることはできないのだ。『私』という築山を信仰の涙で溶かして、地面と同じ高さにしてしまいなさい」(『ラーマクリシュナの福音』日本ヴェーダーンタ協会p360)

  何某(なにがし):しかるべき家柄の人。その土地で相当の有力な人。

  築山(つきやま):庭園などに山をかたどり、土砂または岩石で小高くきずいたところ。

 

ここでは、自分は神と同一ではなく、神のシモベに過ぎないと言い、そのようなうぬぼれは神を悟る障害になると述べている。インド宗教のめざす、私という意識(エゴ)の消滅の妨げにつながるという。もしかしたら、この信者はプライドが高い人物で、それを戒めるためにこのように話したのかもしれない。

 

これに対して麻原氏は次のように信者に話している。

(尊師)例えばティンジン・サンポの帰依の対象は、グルなんだよ。これがポイントなんだ。つまりグルの中にシヴァ大神を見ることができるかどうかが、まず第一番目のポイントになります。そうじゃなくて例えばイメージの中にシヴァ大神を別において、それをもし瞑想したら、その弟子は百十パーセント失敗します。これがタントラ・ヴァジラヤーナの特徴だ。(Webサイト『Aum Text Archive「オウム真理教」とはいったい何であったのか』1995年1月11日 食事会尊師説法より)

この講話では麻原氏は自分をシヴァ神と同等と見よと信者に述べている。

また別の講話でも

ここで、以前からわたしについてきている人たちは疑問を持つかもしれない。なぜ持つかというと、わたしがあなた方に対してだよ、いいか、大乗の教えを説くとき、わたしはあなた方に、ね、できるだけあなた方と対等な立場をとろうとした。だから例えば、あなた方と同じ高さに座り、できるだけ敷物を敷かないで、ね、できるだけ粗末に振舞おうとした。それはわかるな、今までついてきた人たちは。どうだ。それがなぜ今こういうふうに、壇上にわざわざ上がり、そしてこういうゆったりとした椅子に座り、説法を始めたかわかるか。プンナ、なぜだと思うか。

(プンナ大師)@……@。

 そうだ。そのとおりだ。つまりあなた方にとっては、シヴァ神もいないんだよ。あなた方にとってのシヴァ神とはわたしである。あなた方にとってのグヤサマジャはわたしである。そして、あなた方にとってのヴィシュヌ神はわたしであると、ね。それからあなた方にとっての法はわたしであると。そして、その関係が成立したとき、はじめてあなた方は、今生で猛スピードで成就ができるんだ。(同 1988年9月1日 尊師直弟子用説法)

ここでは麻原氏は以前は信者に対して謙虚に振る舞っていたのに、今はなぜ偉そうにしているかの理由を語っている。タントラ・ヴァジラヤーナの教えでは麻原氏をシヴァ神と同一と見なさせる必要があるため、崇拝の対象として傲慢に振る舞っているという。

ラーマクリシュナは自分を神より一段下におき、自分と神とを別々に分けた。自分とは別に神をイメージさせ、瞑想させた。しかし、麻原氏は自分と神を同一のものとした。麻原氏とは別に神をイメージして瞑想すると必ず失敗すると述べている。

麻原氏はなぜ、神と自分を信者に同一視させる必要があったのか?オウム真理教は、タントラ・ヴァジラヤーナの実践と称して殺人などの数々の反社会的行為を行った。麻原氏とは別に神をイメージしたならば、自分の持っている宗教的な善という観念が邪魔して、麻原氏の指示する殺人などの一般的に宗教的に悪ととらえられる実践が行えなくなるからではないか。自分の宗教的善の観念と麻原氏の指示とで葛藤がおこり、麻原氏とは別に神をイメージしていると自分の宗教的善の観念を選択してしまうことになるのだろう。麻原氏を神と同一と考え、絶対視させることで、信者の持っている宗教的善の観念を放棄させることができる。ラーマクリシュナの場合は、当時のインド人の有していた宗教的善の観念と著しく反し、拒絶反応をおこすような教えを説かなかったから自

分を絶対視させる必要がなかったのかもしれない。

しかし、麻原氏のやり方は、自分は神なのだから自分の都合で人を殺してしまうのも自由というような傲慢極まりない考えに行き着く危険がある。これは宗教者としてたいへんな落とし穴におちいる危険性を有しているのではないでしょうか。

 

ラーマクリシュナの弟子、ヴィヴェーカーナンダは次のように言っている。

伝達者、すなわちグルの場合にはもっと大きな危険があります。まったく無知であるのに、高慢から自分はすべてを知っていると思いこみ、そこでじっとしていないばかりか、他の人びとの責任をもつことまでひきうける人が大勢おり、こうして盲者が盲者をみちびいて、両方ともがみぞの中におちるのです。「おろか者たちはやみの中にいながら、自分はかしこいと思いこみ、むなしい知識にふくれ上がって、盲者にみちびかれる盲者たちのように、あちらこちらによろめきながらあるきまわる」(カタ・ウパニシャッド一―二―五)世間はこのような人びとでいっぱいです。誰もが教師になろうとしている、あらゆる乞食が、百万ドルのおくりものをしようとしているのです! このような乞食たちとまさに同様に、このような教師たちもばかげています。(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ『バクティ・ヨーガ』p49)

 

アーレフでは上祐氏がヴィヴェーカーナンダの生まれ変わりだなんていう話が出ているらしいです。また上祐氏が信者にヴィヴェーカーナンダのバクティ・ヨーガについて解説し話したこともあったそうです。もしかしたら引用した本も上祐氏は読んだのかもしれない。彼は引用した部分についてどう思ったのでしょうか。 

  参考文献 『ラーマクリシュナの福音』日本ヴェーダーンタ協会

  スワミ・ヴィヴェーカーナンダ『バクティ・ヨーガ』日本ヴェーダーンタ協会  元サマナ

 

116  手記  室 井 佑 月  2006.6.10-132号から

 

最近人気のある小説家で室井佑月さんという方がいます。テレビのバラエティー番組なんかにもときどき出ているので知っている方も多いのではないでしょうか?

 

この方は元レースクイーンや銀座のクラブホステスだった経歴の持ち主で、テレビでも恋愛に関する過激な発言をするのがうけているみたいですね。彼女がホステス時代、小説家の客がまわりからちやほやされているのを見て、自分もちやほやされたいと思って小説家を目指したんだそうです。学生時代の国語の成績はというと、10段階評価の2だったそうで、最初は句読点の打ち方から勉強したんだそうです。

この人のテレビでの発言を聞いているとなかなかするどいなと思うことがあるんですよね。例えば、こんなことを言ってました。「セックスって本質的にどういう意味があるんだろう。汚いところと汚いところをこすりあわせてるだけじゃん。キスなんかだって口の中はばい菌だらけでほんとうはすごく汚いんだよ。」

とか あとは 「死にたいって思っていた時期があって、食物を入れて 排泄して、仕事して、寝て そういうことを毎日繰り返さなくちゃいけないのがすごく面倒くさいなって思って。」など。

 

こういう発言から室井さんは性欲と食欲に対して、煩悩的見方じゃなくて、なんかちょっと悟っているような見方しているなって感じたんです。

東洋大学教授の森章司氏は著書『仏教的ものの見方 仏教の原点を探る』国書刊行会の中で、仏教のものの見方の基本は「あるがまま」を「あるがまま」に見ることにあると説明しているんですが、室井さんのセックスに対する見方は、まさに仏教的見方といえるのではないでしょうか?

最も古い仏典といわれるスッタニパータにも「愛欲があると汚いものでも綺麗に見える」という言葉が書かれていたと思います。室井さんの見方は愛欲を離れ、客観的、あるがままの見方をしているんだと思います。室井さんは男性経験も豊富だと思うので、飽きるほど経験した結果、そういう視点が生まれてきたのかもしれませんね。オウムでセックスの経験のあまりない若者が出家して禁欲しても欲求不満になったり、悶々としてかえって強い欲求が出たりして、若い人の性欲の破戒が多かったですね。やっぱり飽きるまで経験したほうが離れられるんでしょうかね?

元サマナ

115  手記  大   奥    2006.6.10-130号から

NHKのテレビ番組『その時歴史が動いた』の「第249回 大奥 悲しみの果てに 〜徳川家宣正室 天英院 煕子の生涯〜」

というのを見ました。この中で6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)の正式の妻・煕子(ひろこ)と4人いる正妻以外の妻の1人・月光院(げっこういん)とが不仲で確執があったと説明されていた。

これはオウムもいっしょだったなと思いました。ヤソーダラーさんとケイマさんの不仲はうわさになっていたようですね。知り合いのサマナに聞いたんですが、あるとき、ヤソーダラーさんの書いたものをケイマさんに見せて確認する必要があったとき、サマナたちは「そんな恐ろしいことできない」とつぶやいていたそうです。

オウム裁判の傍聴記にもたしかアングリマーラさんが「ヤソーダラーとケイマは仲が悪かった」と証言していたり、ガンポパさんの証言で、麻原さんが「ケイマのところに通っていることがヤソーダラーにばれたら恐ろしい」と言っていたというのもあったと思います。

オウムの中にもミニ大奥があったのかもしれませんね。スメーダーら3人の愛人が第2サティアンにいましたし、他にタントラギーターとかもいるし、ソーマーとも肉体関係にあったようですし。スメーダーら3人の愛人はかなり特別扱いされていましたね。お供物は出来たてのを受け取ることが出来て、お供物が用意できると第1上九の第2サティアンから、第2上九の第6サティアンお供物工場まで車で送り迎えしてもらって受け取っていましたね。普通のサマナは師も含めて、各部署ごとに送り届けられたのを受け取ることになってました。スメーダーたちを送り迎えするサマナは自治省の人だったんですが、その頃は各上九間を走るシャトル便が定期的に走っていて、一般のサマナはそれを利用して移動していたし、第1上九から第2上九まで車で5分ほどの距離だったので、それだけのためにいちいちかりだ

され、しかも彼女たちはまだ出家して日が浅く、何の実績もないくせに専用の車で移動しているので、その送り迎えする人は、「シャトル便を使えばいいの

に」とぼやいてましたね。

林郁夫さんの『オウムと私』にも飛行機に乗るとき、普通は一部の幹部クラスしかファーストクラスに乗れないのに、出家して日が浅く、何の実績もないような若くて美しい女の子がファーストクラスに乗っていたと書いてありましたね。これもスメーダーたちだったのかもしれませんね。

ソーナーさんは麻原さんのことを「美人優遇」と批判してますね。普通の人がオウムの修行を何年も一生懸命やるより、あんまり修行してない若くて綺麗な子がちょっと麻原さんのセックスの相手になるほうがオウムでは価値があるんでしょうね。なんかまじめに修行するのがバカらしくなってきますね。                   元 サ マ ナ

 

114  手記  ラ ッ シ ー   2006.6.10-131号から

最近では日本でもインド人がやっているような本格的なインド料理のレストラン増えてきましたが、そういうところによくある「ラッシー」という飲み物を飲んだことはありますか?明治乳業の「明治ブルガリアのむヨーグルト」みたいな感じの飲み物なんですけど、私はとくにマンゴーラッシーが好きですね。

 

なぜかどこのインド料理のお店でもコップにぎっしり氷を入れてラッシーを出すので、中身が少ない気がしてちょっと損した気分になります。インドではこれが普通なんでしょうかね。

知り合いでインドに留学していた人が話してたんですけど、「ラッシー」という言葉の発音で、たいていの日本人の話す「ラッシー」って発音は間違っているそうです。「ラッシー」という飲み物はlassiと書きます。 縄、ロープという意味のインドの言葉は rassiと綴るんですが、日本人の発音だとrassiの方になって、インド人には「縄」って言っているように聞こえるそうです。インド料理店のインド人は、日本人の「ラッシー」の発音に、普通だったら笑っちゃうところなんだけど、そのへんはわかっていて何も言わないそうです。

知り合いのその人がインドにいたとき、あるときレストランで食事してて、他の日本人がラッシーを注文してたそうなんです。そうしたら店のインド人が「そんなのない」って答えたそうです。その日本人客は、店の別の客がラッシーを飲んでいるので、「あそこで飲んでいるじゃないか」と店の人に言ったんですが、それでも店員は「そんなのない!」の一点張りだったそうなんです。知り合いは、そのやりとりを聞いていて、事情がわかったので、店の人に「いじわるしないでだしてやれよ。日本人はちゃんと発音できないんだから」と言ってあげたそうです。

 オウムはヨーガやインド仏教を教義に取り入れていたので、いろいろインドの言葉が使われていましたが、間違って使われていた言葉もありました。

例えば「カーリーユガ」という言葉ですが、一般的には「カリユガ」と表記されるのが普通です。カリをカーリーと表記するとカーリー女神のことのようになってしまいます。またオウムでは小乗のことを「ヒナヤーナ」と言っていましたが、これは一般的には「ヒーナヤーナ」と表記します。この言葉はサンスクリット語なんですが、長母音という長くのばして発音する文字が使われているので「ヒーナ」と普通はカタカナで綴られます。なんだかオウムってのばさなくていいのをのばして、のばさなくちゃいけないのをのばさないで面白いですね。

ちなみに「サマディ」も普通は「サマーディ」と発音されます。まあ、麻原氏は研究者でなくて宗教家だったのだから、そういう間違いは多少あってもしかたないのかもしれないですね。オウムの中だったらいいけど、よそで「カーリーユガ」「ヒナヤーナ」なんて言うと、恥かいちゃうかも。

世間では普通に「ヨガ」って言ったり、書いたりするけど、インド学者の中には「ヨガ」と表記されていることを「ヨーガ」って伸ばして書かなくちゃだめだと言う人がいます。これについてはオウムでもきちんしてましたね。

 

最後にヨーガと表記することについての中村元氏の見解を紹介しておきます。

 「‘yoga’の‘yo’は長母音である。したがって、多くのインド学者がしているように、わたくしは「ヨーガ」と書く。これに対して、世間一般のヨーガの指導者たちは「ヨガ」と書く。この表記を日本のサンスクリット学者たちは嘲笑しているが、わたくしは、この表記法を必ずしも目くじら立てて非難する必要もないと思う。そのわけは、日本語の長母音とサンスクリット語の長母音とは必ずしも同一ではないからである。日本人であるわたくしが「ヨーガ」と発音すると、その「ヨー」は長母音ではなくてヴェーダのplutiである、と伝統的なインド人学者は批評する。所詮、日本語のカナでインド人の発音を正確に音写することは困難である。」(『中村元選集 第24巻 ヨーガとサーンキアの思想』p344)

参考文献 中村元『中村元選集 第24巻 ヨーガとサーンキアの思想』春秋社

113  手記  悩 ま な い 障 害      2006.6.10-130号から

インド仏教学が専門の花園大学教授 佐々木閑氏は

「最近の脳科学の発達はめざましく、近い将来、死の恐怖を感知する脳領域も解明される。その結果、人為的に死の恐怖を取り除いて、楽しく生きることが可能となるであろう。」と言っています。

 

この前、テレビで事故によって脳に障害を負い、「悩まない障害」という悩むことがなくなってしまった女性が紹介されていた。専門家は「将来予測」の神経回路の障害ではないかと説明していた。「将来を予測できない」→「悩まない」 ということではないかと。「人が何か行動を起こそうとするとき、脳の奥深くからまずやる気が生まれる。そして過去の経験をふまえながら、将来自分がどんな風になるかを前頭葉で予測する。しかし過去には必ず失敗の経験があるために不安が起こり、うまくいかなくなったらどうしようと悩む。つまり人は将来を予測する時に悩むというのだ。」という説明をされていた。

このような例をみると、佐々木閑氏のいうようなことが本当なんだなと感じます。事故によってではなく、脳外科の手術をして意図的にそういう脳の状態にしてしまうということも可能なんだなと。

『ドラゴンヘッド』というマンガには、「傷頭」という脳外科手術によって扁桃体と海馬を除去されて、死などの恐怖という感情を除去された人たちが出てきます。麻原氏がマンガは未来を予想していると言っていましたが、当たっているのかもしれませんね。

初期仏教の目的は死の恐怖をどう克服するかということがテーマだったと思うんです。脳外科手術によってその状態を作り出せたら、これも悟りの境地と言えるのかもしれませんね。仏教やヨーガが説いたのも、ある意味「悩まない障害」の状態を作りだすテクニックだったと言えるのではないでしょうか?

ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』で説かれるカルマ・ヨーガは、自己の生まれ持ったカーストの義務・仕事を、結果を気にすることなく、ただ遂行しなさいと説いていますが、これなんかも生まれた時から決まっていた職業を、結果を気にせず、ただ淡々とこなしていればいいのだから、将来を予測しなくていいので、悩まなくて済むのかもしれません。日本のように夢を持ったり、希望を持ったりして、目標を持ち、それが実現できるか悩んだり、事業かなんかをして失敗しないか悩んだりとかしなくていいのかもしれませんね。それで挫折したり、悩んで自殺する人もいるわけですから。このようにこの

 

カルマ・ヨーガも「悩まない障害」の状態を作りだすテクニックの一種とも言えるのではないでしょうか?

オウムもニューナルコと呼んでいた精神科治療に用いられている電気ショックなどを取り入れていたので、もし脳外科医が出家していたら「悩まない障害」になるような手術も行っていたかもしれません。オウムは恐ろしいこと平気でやりますからね。

元サマナ

112  手記  マヌ法典と仏典の類似性   2006.6.10-132号から

最近、マヌ法典という昔のインドの聖典を読んでみました。

マヌ法典というのは紀元前200年〜紀元後200年頃成立したといわれていて、バラモン教徒の規範としてまとめられた法典です。一二章から成り、諸儀礼・日々の行事・カースト義務などを定めています。また、この法典は長くインド人の生活規範となっていました。これは仏教の経典ではないのですが、読んでみると仏典と似たような記述があることに気づきました。それらを列挙し比較してみようと思います。マヌ法典は渡瀬信之訳『マヌ法典』を、仏典は最も古いお経といわれるスッタニパータ(中村元訳『ブッダのことば』)を参照しました。

 

@大食について

マヌ法典から

二・五七 大食は健康、長寿、天界、果報をもたらさず、また世間の憎しみを買う。それゆえにそれを避けるべし。(『マヌ法典』p50)

スッタニパータから

七〇七 腹を減らして、食物を節し、少欲であって、貪ることなかれ。かれは貪り食う欲望に厭きて、無欲であり、安らぎに帰している。(『ブッダのことば』p153)

 

A女性について

マヌ法典から

二・二一三 この世で男を堕落させることが女の本性である。それゆえに賢者たちは女たちに心を許さない。(『マヌ法典』p73)

二・二一四 女たちは、この世において愚者のみか賢者をも愛欲と怒りの力に屈服させ、悪の道に導くことができる。(『マヌ法典』p74)

 

スッタニパータから

一〇六 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる、――これは破滅への門である。」(『ブッダのことば』p30)

 

B感官の対象への執着について

マヌ法典から

四・一六 欲望からいかなる感官の対象にも執着してはならない。それらに執着し過ぎないように意志によって抑制すべし。(『マヌ法典』p125)

 

スッタニパータから

六五五 熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、――これによって〈バラモン〉となる。これが最上のバラモンの境地である。(『ブッダのことば』p141)

 

C独りになることについて

マヌ法典から

四・二五八 常に、独りで、人気のない場所で、自身に繁栄をもたらす事柄について考えるべし。なぜならば、独りで考えるとき、最高の至福を獲得するからである。(『マヌ法典』p159)

六・四二 同伴者を持たず、成就を求めて常に独りで行動すべし。孤独者に成就があることを見る者は〔何ものも〕捨てないし、また〔何ものによっても〕捨てられない。(『マヌ法典』p192)

 

スッタニパータから

七一八 独り坐することと〈道の人〉に奉仕することとを学べ。聖者の道は独り居ることであると説かれている。独り居てこそ楽しめるであろう。(『ブッダのことば』p155)

 

D論争について

マヌ法典から

四・一三九 良いことは良いと言うべし。あるいは〔たとえ良くないことでも〕良いと言うべし。誰とも無益な反目をしてはならない。論争をしてはならない。(『マヌ法典』p143)

 

スッタニパータから

八二八 これらの論争が諸々の修行者の間に起こると、これらの人々には得意と失意とがある。ひとはこれを見て論争をやめるべきである。称讃を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。(『ブッダのことば』p184)

八四五 竜(修行完成者)は諸々の(偏見)を離れて世間を遍歴するのであるから、それらに固執して論争してはならない。たとえば汚れから生える、茎に棘のある蓮が、水にも泥にも汚されないように、そのように聖者は平安を説く者であって、貪ることなく、欲望にも世間にも汚されることがない(『ブッダのことば』p187)

 

E苦しみについて

マヌ法典から

六・六二 愛する者との別離、好ましくない者との結合、老いの支配、病の苦しみを〔見つめるべし〕。(『マヌ法典』p194)

 

スッタニパータから

八〇七 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることができない。(『ブッダのことば』p181)

 

F身体に対する不浄観について

マヌ法典から

六・七六 骨を支柱とし、腱で結ばれ、肉と血を漆喰とし、皮膚に覆われ、悪臭を放ち、糞尿に満ち、

六・七七 老いと悲しみに占領され、病の座所であり、苦に悩まされ、ラジャス質に満ち、そして無常なこの物質要素の住処(身体)を遺棄すべし。(『マヌ法典』p196)

 

スッタニパータから

一九四 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのままに見られることがない。

一九五 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、

一九六 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

一九七 またその九つの孔からは、つねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、

一九八 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

一九九 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。(『ブッダのことば』p46)

二〇五 人間のこの身体は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以って)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。(『ブッダのことば』p47)

 

G尊敬されることと軽蔑されることについて

マヌ法典から

二・一六二 ブラーフマナは、常に、尊敬を毒のように恐れるべし。そして常に蔑視を甘露(アムリタ)のごとくに望むべし。(『マヌ法典』p66)

 

スッタニパータから

三四二 無相のおもいを修せよ。心にひそむ傲慢をすてよ。そうすれば汝は傲慢をほろぼして、心静まったものとして日を送るであろう。(『ブッダのことば』p71)

三六六 修行者が、『かれはわれを拝む』と思って高ぶることなく、罵られても心にふくむことなく、他人から食物を与えられたからとて驕ることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するだろう。(『ブッダのことば』p76)

七〇二 村にあっては、罵られても、敬礼されても、平然とした態度で臨め。(罵られても)こころに怒らないように注意し、(敬礼されても)冷静に、高ぶらずにふるまえ。(『ブッダのことば』p153)

九二八 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲と慳みと怒りと悪口とを除き去れ。(『ブッダのことば』p202)

 

『スッタニパータ』の三四二の「心にひそむ傲慢をすてよ」というところを挙げたのは尊敬されることから知らず知らずのうちに傲慢さが生じるからで、マヌ法典に書いてあるように尊敬を毒のように恐れていれば傲慢にもならないと思ったからです。

マヌ法典の「蔑視を甘露(アムリタ)のごとくに望むべし」というところはヒンドゥー教のシヴァ派の中の一つで最も古いパーシュパタ派と共通するものがあります。橋本泰元・宮本久義・山下博司『ヒンドゥー教の事典』から引用すると、「パーシュパタ派の行者たちは、屍を焼いた灰を身体に塗りつけ、人間の頭蓋骨を食器の代わりに用い、公衆の面前で奇声を発し、笑い、あるいは歌い踊ったりしながら、人々の侮蔑・嘲笑の中、宗教的実践に励んだという。これらは、シヴァ神自身の怪奇なイメージを反映するものでもあるが、何より、常軌を逸した行為により蔑まれることを一種の苦行と見なし、その中に法悦や聖なる境地を見出したのである。」(p181)

 

 まさに彼らはマヌ法典に書かれている「蔑視を甘露のごとくに望むべし」を実践していたのではないでしょうか。そこまで実践しなくても、この『マヌ法典』の「尊敬を毒のように恐れるべし。そして常に蔑視を甘露(アムリタ)のごとくに望むべし。」という言葉を心のどこかに留めておくだけで日常生活を楽な気持ちで生きられるような気がします。

 

オウムでもサマナの頃はまじめにやっていた人でも、師になって人の上にたち、偉そうに振る舞うようになり、尊敬を受けるようになると傲慢になり、そのうち性欲の破戒なんかして挫折していく人たちがたくさんいましたね。こういう例を考えると、マヌ法典の「尊敬を毒のように恐れるべし」という部分がすごく納得できますね。また私はプライドが高く、人から低い扱いを受けるとすごく気になって、ずっとひきずることが多かったのですが、マヌ法典の「蔑視を甘露(アムリタ)のごとくに望むべし」という言葉を読んで、すごく気持ちが楽になりましたね。また今ではそういう場面に出くわしてもパーシュパタ派のようにわざとやるくらいじゃないとダメなんだと思えるようになりました。

 

また身体の不浄観については、仏教特有の考え方だと思っていたのですが、マヌ法典にも似たようなことが書かれていてちょっと意外に思いました。これはオウムでも身体を解剖学的に観察しなさいと言っていましたね。

以上のように仏典とマヌ法典を比較してみるとずいぶん似ているところがありますね。どちらかからの影響だったのかもしれないし、あるいはもともと当時のインドでこのような共通の思想があったのかもしれないですね。   参考文献 渡瀬信之訳『マヌ法典』中公文庫

中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫橋本泰元・宮本久義・山下博司

『ヒンドゥー教の事典』東京堂出版                         元サマナ

 

111  手記  真心のこもった嘘    2006.6.10-131号から

中村元著『仏典をよむ2 真理のことば』という本を読んでいて、ちょっと気になった部分がありました。

 

この本の中で原始仏典において在家の教えとして説かれた『シンガーラの教え』という経典を紹介しているのですが、その中に4つの悪い行いとして殺生、盗み、邪淫、妄語をあげているのですが、その中の妄語について中村元氏は次のように解説しています。

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「第四に「虚言」、嘘ですね。嘘を言ってはいけない、嘘を言うことは行為の汚れであるというのです。人は真実を語るべきである。真実を語らないときにそれが偽り、虚言になるわけです。ただ、現実の世界においてはなかなかむずかしい問題にぶつかります。たとえば、悪人がやってきて脅した場合に、相手にいろいろ告げていいかどうか、あるいは病の重い人に向かって、その人が自分の病気はどうかと聞いたときに、何と答えたらいいか。場合にもよりますが

、後者の例では、たとえ重病でも「あなたの病は軽いです、しっかりしなさい」と答えるときがありますね。これは相手に対して真心を持っているからこそのことです。真心を持っているがゆえに、その人のためにならないことは言わない、ということも起こりうるのです。こういうのをどう考えたらいいか。

 経典の他の箇所にも説かれておりますが、ほんとうに真理に達した人は、もしも相手のためにならないことであるならば、語らない、告げない。しかし、相手のためになることであるならば、たとえ相手の人が不愉快に思うことでもあえて言うことがある、そう説かれていることがあります。所詮、その根本は真心に由来するのです。真心を持っていれば、人に対して嘘をつくということもないわけです。ですから、仏典ではもちろん、バラモン教の聖典などでも、この嘘をつかないということを、「真実」「真心」ということばで表現していることがあります。」(p117)

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 これって、ようするに慈悲でもって嘘をつくならいいんだってことですよね?この「嘘」を「殺生」に置き換えたら、オウムのヴァジラヤーナになってしまうなあって感じました。『カナリアの詩』122号の「元サマナの掲示板書き込みから 18歳の誕生日」には次のように書いてあるのですが、

「原始仏教を学び直し、オウムの教義がブッタの教えと全く逆だと理解できた今となっては、断言できる。」(p5)

詳しくは書いてないので、具体的にオウムの教義のどの部分のことかはわかりませんが、おそらくヴァジラヤーナの部分ではないかと思うんです。元信者のこういう意見って多い感じがしますが、中村氏の解説を読むと原始仏典自体にそういう思想はあったんではないかなって感じがします。またインド後期密教になると慈悲による殺生ははっきり説かれているようです。ただオウムの場合、本当に慈悲の心が背景にあったかどうかということはまた別問題になりますが。

2004年8月に、母親が難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)で寝たきりの息子の人工呼吸器を切って死亡させた事件がありましたが、これなどどうなるのでしょうか?体も動かせず、呼吸も自分でできず、苦しい毎日を送っていて、息子さんも死を望んでいたが自分で死ぬこともできない状態であったんです。そして母親は息子に対する愛情から殺したんです。

中村元氏の虚言の解説を読んだ人だったら、こういう例を考えると殺生だって真心からするならいいんじゃないかって結論にいたるのではないでしょうか?

 

よくオウムは仏教じゃないとか言う人がいますが、仏教自体にそういう危険思想は含まれているとも考えられるのではないかなという感じがしてきます。だからオウムは正しかったんだという結論になるわけではないですけどね。

 

ただ、私たち元信者がオウムのことを整理するのに、「オウムの教義は原始仏教とぜんぜん違う!だから間違っていたんだ」と結論づけて、それでおわりではちょっと違うんじゃないかなと思いました。

引用した中村元氏の『仏典をよむ』は全部で4巻のシリーズもので原始仏典から大乗、密教経典までをわかりやすく解説しています。字も大きくて読みやすいです。ちょっと仏教のこと勉強してみたいなって人におすすめです。

参考文献 中村元『仏典をよむ2 真理のことば』岩波書店                   元サマナ