元 信 者 の 手 記  128〜138

 

138●手記  シヴァ派 ハーシュパタ派 元サマナ   2007.1.20-第138号から

ヒンドゥー教にはシヴァ神を崇拝するシヴァ派という一派があります。シヴァ派の中で最も古いパーシュパタ派という奇妙な修行をする一派がありました。まずシヴァ派について簡単に説明します。

シヴァ派 ヒンドゥー教の有力な一派で、シヴァ神を最高神として崇拝する。サンスクリット語でシャイヴァという。その起源は相当に古いと思われるが、文献に見えるかぎりでは、2世紀クシャーナ朝の時代には、かなりの勢力をもっていたようである。仏典にはしばしば、自在天ないし大自在天を崇拝し、体中に灰を塗りたくる外道とか、人間の髑髏(どくろ)を連ねて首飾りにする外道とか、の記述があるが、これは、いずれもシヴァ派の修行者のことである。6,7世紀から、シヴァ派には、独自の聖典、神学をもったさまざまな派が生じた。(『南アジアの知る事典』平凡社 p302より)

シヴァ派の複数ある派の中の一つであるパーシュパタ派は、わざと世間の人びとがいやがる奇行を行うところに特徴がある。

橋本泰元・宮本久義・山下博司『ヒンドゥー教の事典』から引用すると

「パーシュパタ派の行者たちは、屍を焼いた灰を身体に塗りつけ、人間の頭蓋骨を食器の代わりに用い、公衆の面前で奇声を発し、笑い、あるいは歌い踊ったりしながら、人々の侮蔑・嘲笑の中、宗教的実践に励んだという。これらは、シヴァ神自身の怪奇なイメージを反映するものでもあるが、何より、常軌を逸した行為により蔑まれることを一種の苦行と見なし、その中に法悦や聖なる境地を見出したのである。」(p181)

 

パーシュパタ派の修行の中で、「扉」、「ドバーラ」という わざと人びとから嫌悪、軽蔑されることをする修行がある。 次の6つ

1)      クラ―タ 人が目覚めているときには眠っているふりをすること
(2)      スパンダナ まるでしびれているかのように手足を動かしたり振ったりすること
(3)      マンダナ 足と他の体の部分の自由がきかないかのように歩くこと
(4)      シュリンガーラナ 美しい女性を見たときのように、艶めかしい身振りで恋しているそぶりを見せること。
(5)      アヴィタト・カラナ 為すべきことと避けるべきこととを識別する智慧がない人のように、すべての人が批難していることを行なうこと。
(6)      アヴィタド・バーシャ 意味のない馬鹿なことを話すこと。

これは大乗仏教の六波羅蜜の忍辱の修行をより積極的に行うものといえる。

 

忍辱:他から加えられる苦しみ、はずかしめを堪えしのぶこと。

パーシュパタ派の上にあげた6つの修行、高いびきの狸寝入り、痙攣、びっこを引いて歩くこと、異性への艶めかしい態度、支離滅裂な言葉遣い、奇行の6つ。
この修行は、世の人々にパーシュパタ行者を愚人狂人と思わせ、行者に対する軽蔑や嫌悪の気持ちを起こさせるために行う。なぜそんなことをするかというと、軽蔑、嫌悪された方は悪業が落ち、軽蔑、嫌悪した方に悪業を移すことになり、自らは清められるからです。相手の功徳を奪い取るとも考えられます。ちょうど回向の反対になります。六波羅蜜の忍辱は自然にふりかかってくる他から与えられる苦しみ、はずかしめを堪えるものだが、パーシュパタ派の場合は、自分から人々を誘発してより積極的に行うものといえる。

 

これと似た考え方をオウムもしている。例えば 「信徒用決意V」の中に次のような言葉があります。

周りの人に自分がどう思われても気にしないぞ。
 なぜならば、わたしの周りの人は迷妄によって真実を見失っているからである。
 一日も早く、一人でも多くの人を真理に導き入れるため、全力で頑張るぞ。
 それによって、いかなる苦しみがあったとしても
 それは自己の悪業を滅するプロセスである。
 したがって、わたしは忍辱の修行を喜ぶぞ。
 ハードなカルマ落としを喜ぶぞ。
 なぜなら、わたしは自分自身で、自分のカルマを落とすことができないからである。
 いくら功徳を積んだとしても、わたしの悪業は落ちない。
 したがって、周りから落とされるハードなカルマ落としを喜ぶぞ。

パーシュパタ派のドバーラとはやっていることは違うが、新興宗教の勧誘をやって、人から嫌がれる修行をやれってことですよね。
とてもパーシュパタ派と似ています。とくにオウムの場合は、パーシュパタ派のように一人ひとりが人から嫌われる実践をするのではなく、
組織単位で、いろいろ問題を起こし、それで教団が叩かれるという形になっていました。

「マスコミがわたしたちを叩けば叩くほど、わたしたちの悪業というものは滅され、徳は増大する。そうだね。」(1989年10月5日 尊師説法より)

 

またヴァジラティッサ(中川智正)さんは90年に麻原さんとインドに行った時、麻原さんが「オウムは崩壊する」と言っていたと証言しています。

中川智正 第105回公判 被告人質問より

「私は九〇年のインド旅行のとき、麻原氏からいずれ教団は潰れると言われている。そういうことがあった。私のベースはそこなんです。武装化しても教団の天下が来ると思ってなくて、どんどんじり貧になっていく。ときどき麻原がそういうことを漏らしたので、そういうことだ、と思っていました」
(『オウム法廷13 極刑』p158)

ということは、麻原さんは教団が将来崩壊するとわかっていて、カルマを落とすためにわざと事件や問題を起していたのでしょうか。亀戸の炭素菌散布計画でも、もともと無毒の炭素菌を培養していて、麻原さんもわかっていてそれでやらせていたそうです。だとするとわざと騒ぎを起こすためにやらせていたのでしょうか。パーシュパタ派のように、人から嫌がられるために、教団が叩かれて、悪業を落とすために、あえて問題を起していたとも考えられないでしょうか。オウムは現代版のパーシュパタ派みたいですね。

また麻原さんの法廷での態度は、まさにパーシュパタ派のドバーラの修行をしているようにも見えます。法廷での居眠り、足を痙攣しているかのように動かす。英語まじり証言や、法廷を「ここは(米海軍の航空母艦の)エンタープライズの上だ」とか言い出すなど支離滅裂なことを言っています。このへんの共通性も面白いですね。

 

 麻原さんがシヴァ派について話している説法があるので、すこし長くなりますが引用します。

インド仏教が廃れた理由を君たちは何だか知ってるか。インド仏教は、法によって廃れたわけではない。インドにイスラム教が侵入し、仏教徒をね、どんどん迫害した。ところが、そのころまだ、インドには小乗の教えしかなかった。小乗の教えにおいて、迫害されたならばどのような態度を取らなければならないか。当然、耐える、だね。どうだ。
 しかし、イスラム教はその耐えるということをしている仏教徒に対して、どんどんどんどん迫害を加えた。そこで登場したのがタントラ・ヨーガ、あるいはヴァジラヤーナのヨーガの教えだったわけだ。そして、仏教系ヨーガを背景とした一団がその仏教徒を救い、そこから仏教徒はヒンドゥー教に変わったわけだ。つまり、真理を守ったのは今ここにいる君たちの前生かもしれない。これはね、インド史を調べたらよくわかることだ。
 そして、今の主流は仏教である、仏教ではないね、ヒンドゥー教であると。そして、ヒンドゥー教の中に、ね、一部のヒンドゥー教の中に、君たちは知ってるか、その一部のヒンドゥー教とは何か。シヴァ派といわれる一部のヒンドゥー教の中に、ヨーガ、仏教を包含した、ね、今のヒンドゥー教の本流が隠されているんだと。これは、ね、学者諸氏が知っている衆目の事実である。
 そして、今オウムが歩こうとしている道、それはシヴァ仏教、そういうことができよう。小乗の真理、大乗の真理、ヴァジラヤーナの真理、金剛乗の真理ね、そして密儀乗の真理、この四つは矛盾する点というのは一つもない。ただ、現象において矛盾することはある。その背景にあるものは、個の絶対的幸福・自由・歓喜、そして他の絶対的幸福・歓喜・自由であると。そして、今君たちは修行者として、そして真理を実践する、あるいは真理を守る戦士として立ち上がらなければならない。
(1989年10月5日 尊師説法より)

この説法からすると麻原さんはシヴァ派というのは知っていたようです。そしてオウムはシヴァ派と関係が深いというようなことを語っています。

ちなみにパーシュパタ派の開祖はラクリーシャという人なんですが、ラクリーシャには4人の弟子がいて、そのうちの一人の名前がマイトレーヤなんだそうです。こういうこと書くと、それは尊師の前生だとか言い出す人が出てきそうですね。

オウム問題を秘密集会タントラ(グヒャサマジャ・タントラ)などのインド後期密教の殺生を肯定する考え方から分析する方もいますが、
このパーシュパタ派から考えてみるのも新たな視点を得られるような気がします。           元サマナ

 

137●手記   極限修行はしっちゃかめっちゃか−元サマナ   2007.1.20-第138号から

私は阿蘇で極限修行していたとき、その頃、阿蘇の修行空間は餓鬼の空間になっていて、みんな食の煩悩が出て苦しんでいました。

あるとき瞑想していたら、インスタントラーメンの「サッポロ一番みそラーメン」って知ってますか?それがばっと、目の前にリアルにヴィジョンとして現われてびっくりしたことあります。子供の頃よく食べてました。もうずっと何年も食べてなくて ずっと忘れていたんだけど、瞑想中、ヴィジョンが出てきて、ああ ちゃんと潜在意識にはデータとして残っているんだなあ とつくづく思い知らされました。

このへんはやっぱりオウムの修行はすごいなあって思います。こういうとき、普段食の戒を守ってない人は、耐えられないんです。耐えられなくて逃げ出す人もいるし、やっぱり戒律って単なる道徳的に守らなくちゃいけないのではなくて、ちゃんと意味があって戒ってものがあるんだなって実感できます。戒を守ってない人は瞑想ができないって麻原さんも言っていましたね。

その後、富士の道場で極限修行していたとき、40代くらいのもうりっぱな大人で、元教師のまじめそうな人が、食の煩悩に耐えられなくて、道場から抜け出して、民家に駆け込んで、ごはん食べさせてもらいに行ったそうです。また、ある医師だった人は、極限修行で食の煩悩に耐え切れず、抜け出して、しばらく間、帰ってこなかった。その間、いろんな食べ物を食いまくっていたそうです。

普段は理性で自分を抑えているけど、極限修行に入って潜在意識が出ると、もうかっこつけてなんかいられなくなります。

 

私は出家前、菓子パンの工場でアルバイトしていたことがあるのですが、仕事が終わった後、いつも余った菓子パンが大量に出るんです。それは処分してしまうのだと思うのですが。極限修行に入っていたとき、あの工場で余ったパンのことがすごく気になりだして、もう現世に帰って、その工場に行って、余ったパンを食べまくりたいという衝動にかられました。捨てられるパンがすごくもったいないっていう気持ちが強く出てきたんです。

よくオウムでは、食事を残すと餓鬼のカルマになるよ と言っていましたが、ほんとうにそうだなと思いました。

極限修行は、もう潜在意識出まくりで、しっちゃかめっちゃかな状態になります。すごく苦しいけど、ある意味、毎日刺激的で楽しかった。

あそこまで追い詰められること 現世にいたらないですからね。            ――――――元サマナ

 

136●手記  カナリヤの記事と近況報告 元サマナ  2007.1.20-第139号から

カナリヤの137号の記事を拝見しました。「日本脱カルト協会」が法務大臣に宛てた「声名」の中で、12人が実行犯となった要因として

@      教祖松本による巧みな心理操作のテクニックを集積して体系的に使ったマインド・コントロールのメカニズム

A      LSDや覚せい剤まで使った洗脳           ―――を挙げていました。

この@Aの主張が正しいとすると、(私を含め)事件に直接関わっていなかった者も、 「自分たちは教団のマインドコントロールされた被害者だ」と主張することが出来ます。そして、(間接的とは云え)教団を支えてきたことからくる罪の意識を軽減することが出来るという点ではとても歓迎すべき理論だと思います。

しかし、教祖が弟子を手なずけ、犯罪に手を染めるに至った行動は、どちらかというと行き当たりばったり感が目立ち、古参の幹部に事件に手を染めた際に用いた手法として、

<< 巧みな心理操作のテクニックを集積して体系的に使ったマインド・コントロール>>が使われた主張するのはかなり無理があると思えてなりません。

また、私の知る限り、坂本弁護士の事件を初めとする教団初期における一連の事件において、Aは使われていません。今回の事件に限らず、<<死刑>>を宣告されるほどの事件においては、その1つ1つにおいて<<解明>>されるべき点が多々存在しており、それを理由に死刑を取り消してしまうと、ほとんどの死刑判決が取り消されてしまう前例を作ることになりかねません。(長くなってしまうので死刑判決の是非はここでは問いません。)

勿論、実行犯たちに同情すべき余地は多々存在すると思います。しかし、@Aを理由に死刑判決を覆すのはちょっと厳しいのではというのが印象でした。

 

先日、ショッキングなことがありました。

家内とオウム話題になったとき、彼女は松本智津夫という人物をテレビで初めて見たときから、

          「こいつは胡散臭いやつ」

という印象をもったとのことでした。

 

松本の書籍を読んで魂が震えるほどの感動をしてしまった私と、一見しただけで松本の胡散臭さを見抜いてしまった(どちらかと言うと平凡な)家内。。。

どちらの方が前世からのカルマが悪く、どちらの方が精神的ステージが高いか!

この現実を受け入れなくてはならなかったのが、最近のちょっとつらい出来事でした(苦笑)

 

PS  9月23日に行なわれた大阪で開かれたカナリヤの会に久しぶりに参加しました。今回は主催者の人徳(!?)のためか、多くの方が集まり、とても楽しいひと時を過ごすことができました。翌日、用事があったため、途中で帰らなくてはならなくて残念でした。笑い話を書くことになっていた人はちゃんと記事を書いたかな??また、お会いできることを楽しみにしています。        元 サ マ ナ

 

135●手記   嘘発見器 元サマナ   2007.1.20-第139号から

オウムについていけないなって感じたのは、いくつかあるけど、一つは、富田俊男さんっていう水を運ぶトラックを運転していた人が、水に毒ガスを入れたと疑われ、林郁夫さんが嘘発見器をしたら、反応がでたそうです。

でも林さんの本に書いてあったけど、犯人じゃなくても反応してしまうことはあるそうです。それで嘘発見器で反応がでたことを浅原さんに報告すると、麻原さんは、ミラレパにどこのスパイか拷問して白状させろと命じたそうです。

それでミラレパが富田俊男さんを椅子にしばって、爪の間に針を刺したり、目をえぐりとったりなど、ひどい拷問をしたあげく、殺してしまったそうです。

富田俊男さんは拷問の最中、「ミラレパ正悟師がマハームドラーの成就者ならやってないってわかるはずだ」と言っていたそうです。拷問をしたミラレパも後で「富田俊男は犯人じゃないと思う」と言っていたそうです。

私も、林さんの奥さんから嘘発見器かけられたことあるから、ちょっとぞっとしますね。もしあの時、間違って嘘発見器が反応しちゃっていたらと思うと。嘘発見器にかけられたとき「あなたは性欲の破戒をしましたか?」っていう質問もあってちょっとドキドキしました。         −元サマナ

 

134●手記  ラーマクリシュナの女性的傾向 元サマナ  2007.1.20-第140号から

ラーマクリシュナとは今から120年前のインドの宗教家で、自然にトランス体験(サマディ)してしまう体質の持ち主で、カーリー女神を崇拝し、神を見ることができたと言われている。ラーマクリシュナの宗教世界はカーリー女神への信愛を中核に形成されている。その基本的性格はタントラ的であることが明らかにされつつある。ただしラーマクリシュナには、性交を不可欠の修行の一環とする左道タントラは生理的に受けつけられなかったようである。カーリー女神は性的存在ではなく、母神として信仰され、ラーマクリシュナは何の不安もなく母の慈愛に包まれ、三昧の歓びに入っていく(『聖者たちのインド』島岩、坂田貞二 春秋社 p208)

 

ラーマクリシュナは女性とのセックスに、あるいは性的存在としての女性に強い嫌悪感を抱いていた。ところが一方で、ラーマクリシュナは女装をすることがあり、女のしなをつくって信徒たちを笑わせることがあった。女のしなをつくって笑わせることは女性蔑視を下敷きにしていて、女性への嫌悪の裏返しの表現とみなすこともできようが、女装することと女性への嫌悪感はどう結びつくのだろうか。パルト・チャタルジーは、女性のようにふるまえば女性に対する欲望は克服できると理解し(女になってしまえば女に対する欲望はありえないとヘテロセクシャル中心的に理解し)、そこにガンディーと共通するものを見出している。(同上p209)

 

 当然ながら、妻をふくむ女性たちを退け、ヴィヴェーカーナンダをはじめとする聖なる少年たちに取り囲まれて満悦するラーマクリシュナのあり方に、ホモセクシャルな気配をかぎつける人々もいる。(略)ノレンドロ少年(のちのヴィヴェーカーナンダ)が二回目にラーマクリシュナを訪れたときの情景を、玉城康四郎はつぎのように叙述している。「かれが師に挨拶して、その傍のベッドに腰をおろしたとき、師は、恍惚の気持ちで、かれをそば近く引き寄せ、その体の上に右足をのせた」。アメリカの宗教学者ジェフリィ・クリパルはこの右足を、ラーマクリシュナの「いけない右足」と呼んでいる。右足がのせられた体とは、正確にいえば股間の逸物だったようである。ここからクリパルはホモのラーマクリシュナという大胆な仮説を提出している。(同上p209)

 

ラーマクリシュナの語録『ラーマクリシュナの福音』にはホモセクシャルな気配を感じさせる記述がある。(若いほうのナレーンドラに)「さあ、おまえの身体を見るから、シャツを脱いでみなさい。非常に胸幅が大きい、成功するでしょう。ときどき来なさい」(『ラーマクリシュナの福音V』シュリーマ著、奥田博之訳 東方出版p195)

 

「しかし、良い少年である。わたしが言うと、言う通りに、わたしのまえで裸になって立ったのである。何という少年であろう」(同上p201)

少年は、神人(ラーマクリシュナ)の足に手を触れて床にひれ伏して挨拶し、敬愛を込めて神人の足をさすり始めた。(同上p209)

ラームとは、子供の頃は大の仲良しでした。昼も夜も、一緒に過ごしていました。一緒に寝たものです。そのときは、十六、七歳でした。人びとは、「二人のどちらか一人が女だったら、二人は結婚したに違いない」と言ったものです。(同上p295)

ラーマクリシュナはベンガルの人だし、ある時期、ヴィシュヌ派のグルについて修行していた時期もあるので、ベンガルのヴィシュヌ派の説いている男性の女性化の影響を受けているように思う。現にベンガルのヴィシュヌ派が理想とした愛の形である乳搾り女性達のクリシュナへの愛について ラーマクリシュナは次のように言っている。乳搾り女性達の、何という愛の深さ! (同上p298)

 

またラーマクリシュナは自分があたかも女性であるかのような意識でいたようである。

「神を対象として、精神を集中・思念するには、一つの特定の態度を執らなければなりません。私の場合は、子供の態度と、(女の)召使いの態度と、そして女友達の態度の三つの態度でした。神に対して、長いあいだ、(女の)召使いの態度と、そして女友達の態度を執っていました。そのとき女性のように度々サーリーを着て、装飾品とスカーフを身に付けていたものです。子供の態度は、非常によいものです」(同上p184)

 

ただし、ラーマクリシュナは異性とのセクシャルヨーガ(英雄の態度)は否定していた。

「英雄の態度は、良くありません。シャクティ(性力)派の剃髪した男と女、バイラヴァとバイラヴィー達のあいだで行われる英雄の態度のことです。すなわち、(ヴィシュヌ派と性力派の)或る派では、原物質・プラクリティを女性と見なし、(男性を純粋精神・プルシャと見なし)性交によって母なる神を慰めるのですが、その態度ではしばしば堕落します」(同上p184)

ラーマクリシュナは「カーマ(性的欲望)」を「プレーマ(愛)」に変容する男性の女性化という教えを実践していたのかもしれない。

 

参考文献 『聖者たちのインド』島岩、坂田貞二 春秋社

『ラーマクリシュナの福音V』シュリーマ著、奥田博之訳 東方出版         ―――元サマナ

 

133●手記−転載-白龍さんのキリストのイニ体験 1  2007.1.20-第140号から

手記122から133は、カナリヤの会員ではなく、この後、在家からも脱会された「白龍」さんのブログから、了解を得て会報に転載したものです。キリストのイニシエーションの体験の記述を含め、大変貴重なものだと思います。

2006-10-18 00:30:37 / Weblog   キリストのイニシエーションpart1

 いよいよ私にとって、やっかいな領域に踏み込んで行かなくては、ならなくなった。私が、なぜ、教団を辞めないのか、その原因に踏み込んでみたいと思う。なぜやっかいなのかというと、表層の意識と潜在の意識で、若干のズレがあるため、どうにも、教団批判や教祖批判と全く逆行した、話をしなくてはならなくなってしまうからである。

 これを書くと、M派の方の中には、う〜んとうなる人がいるかもしれないし、A派の方にとっては、ほ〜らみろと勢いづかせる話になりかねないのだが、これもまた、私という人格の一部の話なので、避けて通るわけにはいかない。読む方はどう感じるか分からないが、正直に本音を書いてみようと思う。

 お気づきの方もいるかと思うが、今まで、いろいろ書き込みをしてきて、教団批判や、成就者の批判はしてきたが、私は、一度も教祖をまともに批判したことが無い。それはなぜか?潜在意識の深いところで、教祖がシヴァ大神と同体であると感じているからである。

 これは、もしかすると、例のマインドコントロールというやつの後遺症なのかもしれないが、自分ではナルコ以外では、強制的に何かされたという覚えはない。この自覚は、どこから生じたものであるかというと、キリストのイニシエーションとルドラチャクリンのイニシエーションによって形成されたといって良いだろう。

 キリストのイニシエーションは、事件前に、出家者だけでなく、信徒にも極限の布施で行われた、前代未聞のLSDイニシエーションである。もちろん、当時は、LSDなどということを、知っていたのは、施している、教祖以下、高弟と関わったドクター達だけであっただろう。LSDがどんな薬かもしらない者がほとんどであったはずである。私も、ちょっと変な味のするワインだと思った程度だった。ルドラチャクリンは、キリストよりも、薬の量が少し少なくて、意識がはっきりしたままでトリップするイニシエーションだった。

 キリストのイニシエーションは、イニシエーション成就といって、成就認定者が出たイニシエーションとしても、特異なイニシエーションであった。そこで、どんな体験が起きたのだろうか?

 人によっては、強いお酒を飲まされたようになり、気分が悪くなって、吐いた人もいたし、意識が最後まで途切れない人もいたようである。しかし、たいがいは、意識がとんで強烈な体験をするのが、普通のようである。

 以前に私の知り合いから、聞いた話では、現在では違法ドラックになってしまった、マジックマッシュルームだが、まだ販売が許可されていた時に、服用した人がいたらしい。その人が、服用後、音楽を聞いたら、スピーカーから音楽に合わせてピンクの象が次々現れて、びっくりして服用するのを止めたという話を聞いた。その時は、大笑いで、

そんなことがあるんかいなと思ったが、キリストはそんなレベルではなかった。

 キリスト・ルドラチャクリンに関する話は、少々長くなるので、日にちをまたいで、書き込もうと思う。

 

 当時、私は、マハポの信徒であったが、ある日、メッタジ正悟師から、「今度、新しい、すごいイニシエーションが出来ました、これは、今までのものとは、比べ物にならないくらい、強烈なイニシエーションですので、是非皆さん受けて下さい。」と言われた。極限のお布施で、受け付けますと言われたので、イニシエーション好きの私は、喜んで、マハポの給料全額布施して、みんなに拍手喝采され、いい気になって申し込みを済ませた。

 しばらく日にちを置いて、イニシエーションが始まった。ネットで記録を調べたら、1994年6月から始まったらしい。私はまだ、亀戸に移動する前の、青山勤務の時であった。最初、サマナから始まったのだが、我々マハポ信徒を指導していた、サマナの○島さんが、イニシエーションから戻ってきた時、首に包帯を巻いていた。

 どうしたのかと思っていたら、体験談を聞いて、その理由が理解できた。以下に、ざっと彼の体験談のあらすじをまとめてみた。

 イニシエーションで、尊師から飲み物を渡され、飲んだ後、個室に入っていると、いろいろな音が聞こえてきたのだそうだ。そのうち、自分のドアが叩かれ、怒声が聞こえ出した。おそらく、もうその頃には、完全に潜在意識に入っていたのだろう。周りの者たち全てが、殺人鬼になっていた。医者も看護婦も、次々に周りのサマナを殺し、自分のところに迫ってきた。自分には逃げ場がなく、もう絶体絶命、ここで、俺の救済は終了してしまうのかという無念さで一杯だったそうである。もうすぐ、ドアに手がかかり、殺人鬼が部屋に入ってきて、自分は殺されると思った。

 ここで、むざむざいたぶられて、殺されるくらいなら、自ら命を絶とうと、周りに凶器になる物はないかと探したが、なにも無かった。仕方が無いので、天井にある蛍光灯を、ジャンプしてもぎとって、半分に折って、そのガラスで自分の首を切ったのだそうだ。

 その直後、狂気に満ちた殺人者達が、部屋になだれ込んできて、彼を押さえつけ、タンカのような物に載せて、部屋の外に連れ出した。これで、もうだめだ、殺される。自分達の救済活動がここで終わるのが、とても悔しかったという。「これでいいのか!これで俺達の救済が終っていいのかー!」と叫び続けていた。そうしたら、別なサマナが、「あなたもやっちゃいましたね。」と冷静な言葉をかけてくれたそうである。

 はっと気づいて周りを見回したら、医者も看護婦もいつもの法友に戻っていて、自分は首から血を流し、全身を縄で縛られていたことに気づいた。そのサマナに「あ〜、やっちゃいました。」と答えたそうである。

 これは、一例である。それぞれに、強烈な体験談が目白押しであった。まあ、薬でトリップさせたのだから、当たり前といえば当たり前だが、それが、強烈過ぎて精神にまで影響を与えたような気がする。

 

132●手記−転載-白龍さんのキリストのイニ体験 2     2007.1.20-第141号から

2006-10-20 01:05:54 / Weblog キリストのイニシエーションpart2

 私は、マハポにいた時に、キリストのイニシエーションを受けた。仲間達と皆で上九に向かい受けたのだが、第何上九で受けたのかはもう忘れてしまった。今回のイニシエーションでは、何か体験するのだろうかという期待で、胸が一杯であった。私は、シャクティーパットを4回受けても、何も感じないくらい、霊的に鈍感で、幽霊なんて見たくても見れないタイプなのだ。6年以上、教団にいて、周りの人の神秘体験を、腐るほど見たり、聞いたりしてきたが、自分では全く体験したことが無かった。

 修行によって変化したことといえば、浄化法を毎日やったら、体重が半年間で約15キロ減ったことと、人の心の状態に対する勘が鋭くなり、人との関係が良好になった程度である。ただし、体重は、急激に減ったので、癌ではないかと陰口をたたかれてしまった。したがって、私には、そういう霊的な体験は、無縁なんだなと半ばあきらめていた。しかし、今回のイニシエーションは、必ず何か体験します、させます、使えますみたいな触れ込みだったので、私も、相当に期待をしていた。まあ、確かに、その期待は裏切らなかった。その、手段を除いては。

 イニシエーションが始まる前に、簡単な説明があって、これから、尊師がバルドーの体験をさせますから、自分の身に起こることをよく観察しておいてくださいと言われた。最初に、着替えてくださいと言われて、手術着みたいなものと、おむつを渡された。え〜、おむつ〜って感じだったのだが、あまりに強烈なイニシエーションで、失禁する人もいるからということで、渡されたらしい。私は、マハポの○島さんの例もあるから、さもありなんと、おとなしく受け取った。これは、今までのイニシエーションとは、違うぞという感覚が、ひしひしと伝わってきた。

 順番が来るまで、階段に並んでいたら、なぜか、ウパーリ師とシーハ師がいた。噂では、女性と問題を起こして、降格されて下向したとか言われていたが、イニシエーションを受けるために出てきたようであった。階段の上と下で、お互いに指を差しながら顔を見合わせて、にやっと笑って、お互いバツの悪そうな顔をしていた。

 いよいよ私の順番が回ってきた。周りには、正大師や正悟師がいて、尊師から、液体の入ったグラスを渡された。ほんの、一口二口程度の液体の量であった。飲んでみると、甘いワインのようだが、少々変な味がした。しかし、飲んですぐは、なんの変化もなかった。飲むとすぐに、階段を降りて個室に移った。3畳程度の部屋だったが、釈迦牟尼のタンカかなにかが、一つかかっているだけで、何も無い部屋であった。部屋の外には、タントラヴァジラヤーナの帰依マントラが、うるさくない程度の音量でかかっていた。

 しだいに、変化が現れますから、静かに待っていてくださいと言われたので、タンカを眺めながら、何が起こるのだろうと変化を待っていた。2,3分何も無く過ぎて、何も無いなあと思っていたら、なにか、しだいに、呼吸がしずらくなってきたことに気がついた。あれっと思っていると、いよいよ、苦しくなってくる、吐き気もしてくるし、これはちょっとやばいかなと思って、ドアを開けて、外の担当者に声をかけた。そうしたら師の方が、次第に、バルドーのプロセスに入っていきますから、全てを、グルに預けてください。出来るだけ吐かないでくださいね。と言われたので、気持ちが悪かったが、がまんして吐かないようにして、身体を横たえた。全てを、尊師に預けてしまえと思って、心を落ち着かせた。すると、呼吸はいよいよ、かすかになり、あー死ぬんだなあと感じた。なんか、妙に落ち着いていて、まあ死んでもいっか〜と思っていた。

 そして、死んだ(おそらく仮死状態になっていたと思う)。その時意識は、一瞬途切れたのかもしれないが、私には、意識が連続していたように感じられた。体がしだいに、ぶよぶよにふくれていく感覚があった。この時が、地元素の崩壊だったのかもしれない。それが、終ると、なにかアメーバーのような丸い細胞のようなものが、細かく振動しながら少しずつ離れ、分解されていくビジョンが現れた。私は、その様子をじっと眺めている感じであった。肉体の構成要素が、分解されていく過程なのかもしれなかった。

 それが終ったと思った瞬間、ものすごい量の、情報の渦が私を襲った。とてつもない量である。何を認識してよいのか分からなくて、ただただ、音や声やビジョンが流れていく、その中を翻弄されるだけだった。

 そこから、おそらく、地獄の体験が始まったのか、前生の体験が始まったのか分からないが、怒鳴り声や、踏み切りの音が聞こえ出した。踏み切りのカンカンカンカンという音、点滅する赤い踏み切りのシグナル。女子高生の姿が見える。自殺したのかもしれない。新聞記事なども見えていた。怒鳴り声、けんかをしているのかもしれない、私のわき腹を刺した者がいた。そこから、体液が流れ出るのがはっきり分かった。そして、死んだ。

 そんな、苦しい感覚を味わいながら、次々プロセスが進んでいく、死んだと感じたあと、しばらくして、落ち着いたと思ったら、次に、巨大なスクリーンが目の前に現れた。眼前一杯のスクリーンなので、どのくらいの大きさか見当もつかない。そこに、牙をむきだしにしたキューピーが、縦横びっちり並んで、ザッザッザッザッと左から右に、こちらを向いたまま移動していくのである。キューピーちゃんというと、にこっとしたかわいい笑顔を思い浮かべるが、牙をむいて怖い顔をしているのである。それが、昔のインベーダーゲームのように、横にザッザッザッザッと動いていく様は、なんともぶきみであった。

 情報に翻弄され、牙のあるキューピーや、諸々のビジョンが見え出して、どれくらいの時間がたったのか、分からないが、相当な時間が経過していたはずである。しかし、あまり気持ちの良い体験はしていなかった。

 その後、最も強烈な体験が始まった。私の眼前に、突然美しい青空が広がったのだ。本当に美しい青空だった。そこに、次々と、あるビジョンが現れだした。最初は何か分からなかった。ビジョンだと思っていたのだが、単なる映像というより、物質化現象のようなもので、空間から、突如その物が現れたと言った方が正解なのかもしれない。青い空を背景に、次々と現れた物は、私がかつて執着していた物であったという認識が生まれた。過去世で、命よりも大切に思っていたものだったはずである。それが、ものすごい勢いで現れてきた。どうも私は、ヨーロッパ辺りに生まれていたのかもしれない。ヨーロッパの、旧家にあるような紋章が次々に現れてきた。それを守ろうとして命がけだったのかもしれない。しかし、それが現れた途端、天が割れるような、大きな笑い声が聞こえてきて、これを破壊したのである。次々と現れる紋章を、その声の主は、次々と、こなごなに空中で破壊するのである。その時に、「それは、おまえのものではない!」と天が割れるような大声を発するのだ。

 私は、私が愛し、執着した物が、次々に破壊されていく様を、ただ見ているしかなかった。しかし、全てが破壊された最後に、巨大な十字架が現れた。まさに、私の最後の砦であった。偉大なキリストの象徴である十字架であった。私は、「オー、ジーザス、クライスト!」と震える声でキリストの御名を呼んでいた。しかし、私の声が終るか終らないかのうちに、「これは、お前の物ではない!」と、ものすごい大声が聞こえてきて、目の前で巨大な十字架が大きな爆発音とともに破壊された。

 私は、自らの拠り所とするものを、全て失った。すでに、青空は消え、周りは漆黒の闇のみであった。完全なる絶望、完全なる悲嘆、完全なる失意のどん底に落ちた。これは、肉体の苦しみの比ではなかった。何も、希望となる物がないのである。真っ暗闇の中で、立ち上がることも出来ず、顔を床につけて、ただただあえぐだけである。何をしてよいのかも、何をすればよいのかも分からない。永遠とも思える時間だけが、過ぎていくのみである。まさに無限地獄のようであった。

 この後、どれだけの時間が流れたのか分からないが、一つの救いの手が差し伸べられた。長くなってしまったので、そのことについては、明日続きを書くことにしよう。

 

131●手記−転載-白龍さんのキリストのイニ体験 3     2007.1.20-第141号から

2006-10-21 00:54:53 / Weblog  キリストのイニシエーションpart3

 全ての、希望が破壊され、絶望と失意の底で、あえいでいた私の耳に、暗闇の上のほうから、あの大きな声が聞こえてきた。最初の2,3回は、自己の苦しみに没頭していたので、よく聞こえず、意味も理解できなかったが、その声は、繰り返し「父の名を思い出せ!」と言っていることに気がついた。

 「父の名?」ぼんやりした意識の中で、父の名とはなんだろうと、考え出した。現実の意識が少し浮かんできて、父?父の名は、えーと・・・。しかし、現実世界の父の名では無いとすぐに気づいた。なんだろう、父の名とは?上からの言葉は、相変わらず「父の名を思い出せ!」と繰り返している。分からない・・。考えあぐねていた、まさにその時、突然、タントラヴァジラヤーナの帰依マントラが聞こえ出した。「オーム・ア・フーム・ヴァジラナマシヴァヤ・ヴァジラナマブッダヤ・ヴァジラナマ・・・・・・ニヤ・マヤ」

 個室の外で、今まで途切れることなく、かかっていたマントラだが、死の体験が始まってから、今まで一度も聞こえてこなかったのである。それが、突然聞こえ出した。逆に言うと、それ以外の外界の音が全て消え、マントラのみが私の中で鳴り響いた。けっして、大きな音ではなかった。それなのに、私の絶望を癒すように、そして調御しているかのように、静かに深く、その音は私の中に染み込んできた。

 その時、私の中で突然、「父の名はシヴァだ!」と気づいた。鮮烈な気づきだった。「そうだ、父の名はシヴァだった!分かった!分かった!」私は、少しづつ身体を起こすことが出来た。「父の名はシヴァなり!」とそっと言ってみた。身体が軽くなった。身体を起こしながら、「父の名はシヴァなり。父の名はシヴァなり。父の名はシヴァなり・・・・。」とマントラのように繰り返していた。しっかり、蓮華座を組んで、その言葉を唱え続けた。

 そうしたら、突然闇が裂け、とてつもなく美しい空間が現れた。それは建物の中であった、人間界と同じような建物の造りだが、ものすごくゴージャスに造ってあって、中二階くらいの階段から、一人のそれはそれは美しい女性が降りてくるところだった。私は彼女が降りてくるのを、待っていたのかもしれないが、下から見ているような感じだった。この世界はこの世のものとは、思えない美しい世界であった。

 その世界の特徴は、全てが微細な光の粒子で出来ているような感じで、それぞれの粒子が光って美しいのである。トランプなども置いてあったが、それも光の粒子で出来上がっていて大層きれいなのである。おそらく、私の好きな世界であったのだろうが、皮膚に当たる空気が、石綿のようにチクチク痛いのである。おそらく、その世界に住む魂の思念が、現象化しているのかもしれない。その世界は、どうも、一応はシヴァ神を崇めているようなのだが、中には「いよっ!シヴァたいっしん!」みたいな神を揶揄するような声も聞こえてくる。おそらく、批判や揶揄の強い世界なのだろう。それを不快に思った私は、その世界を去ろうと、さらに意識を上に向け、「父の名はシヴァなり。」のマントラを唱え続けた。

 そうすると、今度は、暗い宇宙空間に2本の輪廻の帯が現れた。果てしないほど遠くまで伸びる帯の一つ一つに、自分の前生が映画のフィルムのように、それぞれのコマの中に入っていることが分かった。その数は、無限に近いくらい膨大であった。それが、なぜか2本あった。あるいは行って戻って一本だったのかもしれない。そして、いつの間にか、黒っぽい二つの生命体が、私の左上に現れて、まだ目覚めさせるなとか、どこを見せるかとか話をしていた。

 私は、コマの一つ一つを見ていたが、自分の気になる、コマの絵を凝視したら、そのコマの中にスーと入っていった。そこは、どうも、戦闘をしている場面らしく、映像よりも、音声が中心だった。私が、何か重要な役割を任されていたらしく、女性の声で、「まだよ。まだよ。まだだからね!」と言われ続けていた。「まだダメ!まだよ!」と言われていたが、しかし、私は、待ちきれなくなって、何かとてつもない武器を発射してしまった。その時、女性の悲鳴にも似た、「まだ!だめーー!!」と言う金切り声があがったと思ったら、宇宙空間で、巨大な爆発が起き、全てが消滅した。そして、テレビのスイッチを切ったように、声も、音も、ビジョンもプツンと消えた。おそらく、私の失敗によって、多くの犠牲を出した、大きな後悔の残った生だったのだろう。

 次に現れたのは、雲の上であった。どうも神々の世界のようである。ここも、戦いの場面であった。どうも、私は、戦いの世界ばかり歩いていたみたいである。その世界では、尊師が、総司令官であった。失礼だが、今生の教祖とは比べ物にならないくらい、威厳に満ち美しい顔立ちであった。その世界では、実は、尊師軍は劣勢であった。古い神々が、次々に負けて戻ってきていたようである。しかし、戦っている相手が誰なのかは、分からなかった。その時に、この戦いに勝利するためには、哀れみの救済がなされないと、勝利できないことを直感した。それを、学ぶためその世界から離れることになったようである。

 その後で、面白い生が現れた。その世界は、鈍い金色の光に満ちた世界であった。それほど、高い世界ではないが、天界ではあっただろう。家の中に入って行くところなのだが、身体がものすごく重いのである。一歩歩くたびに、ズシャッ、ズシャッと音がするくらいの重量なのである。しかし、それが、自分自身の重さなのだ。吐く息も尋常ではない。フーー!!フーー!!と、とんでもない呼吸なのである。身体の大きさは、さほどでないようであった。その時、巨大な身体を小さい身体に変化させたということが分かった。しかし、小さくなっても、凝縮された重量とエネルギーは変わらないようである。おそらく、この生は龍ではなかったかと思われる。私が、HNに白龍を使ったのも、この生の経験からであった。

 それはさておき、巨大な身体に満ち溢れていたエネルギーを、小さな身体に詰め込んだのである。そのため、エネルギーが身体から溢れ出し、周りの空気を振動させていた。まるで、巨大な発電機のようであった。私の身体の周りの空気がブーンと音を立てて振動しているのである。さらに、部屋の中に入っていくと、一人の美しい女性が、横たわって寝ていた。私の母であった。まるで、古代のエジプトの女性が着ていたような、薄い布地を腰に巻いており、上も同じような薄い布を巻いて胸を隠していた。

 母は目を覚まし、私を見て笑いかけた。私は、嬉しくてエネルギーを母に向けた。そうすると、空気の振動がさらに強くなり、母は私によって作り出された、空気のバイブレーションに全身を包まれ、身もだえ始めた。全身がしびれるような感じらしく、足をくねらせながら、気持ち良くて言葉を発することも間々ならないほど悶えていた。この時、この母がケイマ正大師であることが分かった。尊師が、ケイマと縁があると言ったのは、この世界での事だと理解した。この世界では、親子で愛し合うことのタブーがない世界ではなかったかと思われる。あれだけ、巨大なエネルギーを持っていれば、身体を触れ合わずに愛し合うことが可能なのだろう。それを理解した途端、その世界からは離れてしまった。

 その後、また私の、心にひっかかっている生が現れたようである。私はどこかの生で、シヴァ神の4番目の息子だった生があるらしい。息子が4人いて、4番目という認識があった。しかし、どういういきさつか分からないが、シヴァ神に、邪悪心を向けたようだ。そうしたら、途端に、地面に叩き落された。その時肩口から落ちたらしく、肩がものすごく痛かった。その肩の痛みを、その後何生も引きずっていたようである。毎生肩が痛いのは、そのためなのかと、なぜかそこで納得している自分がいた。私は、今生では、肩など痛くなかったが、なぜかその時は、肩の痛みがあったことを妙に納得していたのだ。実は、現在50肩で、肩が痛いのであるが、私の50肩の予言だったのだろうか?それではあまりにしょぼい話になってしまう。(笑)

 しかし、その後、シヴァ神に対する恨みからか、多くの悪業を積み続け、多くの魂を傷つけたようである。アストラルの世界は、時間や空間を超越しているので、意識を向けるだけで、瞬時に全ての物事が把握出来てしまうようだ。自分が、どれほど多くの悪業を為し、どれほど多くの魂を傷つけて来たのかを瞬間的に知った私は、大変な慙愧の念に駆られた。その申し訳なさから、涙を流して身悶えた。今生あんなに苦しく泣いたことは一度もなかった。まさに、慟哭である。「ウオォォ――!!」という感じで、のた打ち回って泣きじゃくった。

 あまりに、大声で、泣き叫ぶものだから、看護婦さんが、ドアを開けて、「○○さん、静かにしてください。」と注意された。今まで、アストラルに突っ込んでいた意識が、その時だけ戻ってきて、涙でぐしゃぐしゃになった顔で「すみましぇん。」とか言うのだが、いなくなるとまた、「ウオーー!!」と大声を上げて泣き出して、しばらくは身をよじりながら泣き続けていたようだ。

 その後、キリストの体験の最終段階へと入っていった。続きはまた明日書き込むことにする。

 

130●手記−転載-白龍さんのキリストのイニ体験 4     2007.1.20-第141号から

2006-10-22 01:22:23 / Weblog  キリストのイニシエーションpart4

 一通り懺悔の涙を流した後で、気を取り直して、さらに座法を組み直した。顔は、どういうわけか、あごが上がり固定されてしまう。後で、師の方に聞いたら、おそらくヴィシュッダチャクラで、エネルギーがつまっているため、そうなってしまうのだろうと言われた。しかし、その時は、そんなことは分からないので、あごを上げて、上を向くような感じで、父の名はシヴァなりのマントラを繰り返していた。するとまた、外界の意識が完全に無くなり、大変な風の上昇を感じ出した。懺悔で身が軽くなったせいもあるかもしれないが、強い上昇の風に乗って、意識がどんどん上昇していった。

 そして、到達した世界は、形状のない世界であった。紫の美しい光の粒子が噴水のように溢れ、全ての空間が紫の光で満たされていた。そこには、平安があり喜びがあった。そこに留まれば、大変な喜びと、安住があることが分かった。

 しかし、その時、ふと下を見た。そうすると、多くの魂が苦しみの中にもだえている様が見えた。あんなに多くの魂が、苦しんでいる、涙が流れて仕方がなかった。なんとかしなくては・・・。私は、その世界に入ることをやめ、上昇の風に逆らいながら、逆さになって、もがくようにして元の世界に戻ってきた。

 次にどうしても、確認しておきたいことがあった。シヴァ大神とは、どんな方なのであろうか、どうしても見てみたくなった。父であるシヴァ大神の顔をどうしても見たかった。父の名はシヴァなりのマントラを唱えつつ、意識を集中させると、足が見え出した。もう少し上である。さらに思念を強め、しだいに身体の上のほうまで上がってきた胸の辺りまで来た。見たい!お顔を見せてください!強く懇願した。最後の思念を振り絞って、顔を上げ、シヴァ大神の顔を見た。見えた!その顔は、なんと尊師の顔であった。

 いや、正確に言うと、尊師のマンガの顔であった。あれっ?て感じもあったが、おそらく私が、実物や写真での記憶修習が足りなくて、マンガの顔の尊師ばかり見ていたので、おそらくそうなってしまったのではないかと思われる(自分なりの言い訳に過ぎないけど・・)。それも、あのアニメのかっこ良過ぎる尊師ではなくて、ふっくらして、にこっと笑った尊師であった。その時の私にとっては、マンガでも何でも良かったのである。シヴァ大神と、尊師が同じだったことを知った。心の奥の奥での大納得であった。俺は知った!分かったぞー!と叫びたいそんな気分であった。

 そこから場面が変わり、スポットライトのように、光を浴びた尊師が、ナポレオンのように馬にまたがり、馬の前足を上げさせた姿勢で静止していた。その馬が、なんとも美しい馬で、何色と表現すれば良いのだろうか?鶯色のようなブチがあるのだが、それぞれが、玉虫色に輝いているのである。すでに、顔は、マンガの顔ではなくなっていた。天界で見たような、威厳に満ちた、美しい顔立ちの尊師であった。私は、シヴァ大神と、尊師が同体であることが分かり、全てが解決し、満足しきってこの世界に意識を戻した。

 少し薬が切れ掛かってくると、余裕が出てきて、実験もしてみたくなった。意識を上に向けると、天界のような美しい世界に入るが、下に向けるとどうなるのだろうか?と思い、スーと意識を下げてきたら、身体に虫が這いずり回り出した。ミミズのような虫が、私の身体を這いずりだしたのある。周りもミミズのような虫でいっぱいである。なんとも、気色悪いことになってしまった。これは大変と、また、意識を上に向けると、また、美しい世界に入ることが出来た。今度は、大丈夫かなと思って、また、意識を下げると、やっぱり身体に虫が這い出した。さすがに、それ以上、下に意識を下げる勇気はなかった。

 かなり、意識が戻ってきたら、今度は、私の意志に反して勝手に、手が動き出した。あらあら、という感じで、勝手に手が動き、印を結び出した。あー、この印は見たことがある、この印は気持ちが良いなあとか、勝手に動く手を眺めて面白がっていた。どうも、ナーディーの流れと印は関係があるようであった。それぞれの、ナーディーの中をエネルギーが流れる時、それぞれに違った印を結ぶようであった。

 印結びが終ったら、次に、手が空気の流れを感じ取れるようになった。どういうことかと言うと、うちわや下敷きを横にして、空気を切ると、空気がまっすぐ横に切れず、波打つことを経験したことがないだろうか?あんな感じで、手で、空気の波や抵抗が感じられるようになってしまった。気功の人が、気を感じながら、手を動かす時と同じような感じで、空気の動きを完全に把握出来たのである。これは、すごい、何かに役立ちそうであると思って、外にいる人に声をかけ、こんな風に、空気の流れが分かってしまうんですけどと実演しながら、これを何かに役立てられないですかねえと言うと、そうですね、役立つかもしれませんから、覚えておいてくださいねといわれたが、帰る頃には、すっかりその感覚は抜け落ちてしまっていた。今考えても、残念であった。あれが出来れば、気功教室くらい出来たかもしれない。

 完全に、意識が戻ってきた頃に、看護婦さんが、「大丈夫ですか?」と具合を聞きにきた。大丈夫ですと答えたら、「脱水症状が起きていたので、3本ほど点滴しましたからね。」と言われた。3本も点滴してたの?ぜんぜん分からなかった。いつの間に?この一例をみても、いかにアストラルに突っ込んでいたかが分かる。

 それと、言葉をかけてくれた看護婦さんを見て、あーこの人だったのかと思ったことがある。実は、アストラルに突っ込んだ直後の、恐ろしい体験をしている最中に、瞬間的に現実の世界に意識が戻ったことがあった。それは、たぶん、最も恐ろしい殺されるような体験をしているさなかだったのだろうと思うが、看護婦さんが、ドアをそーと開けて、私が死にかけていないかどうか、状態を確認しに来たのだろうと思う。

 腕を伸ばして、私の腕をそっと触れたのである。間の悪いことに、私は、瞬間的に現実世界に意識が、戻ってしまったのである。アストラルの中で、殺されるような恐怖を味わっている最中に、突然触れられたものだから、暗闇で、突然顔の前に幽霊が現れたような反応をしてしまった。「オワァー!!」と大声を出し、顔を引きつらせて、手を振り払った。びっくりしたのは、看護婦さんである。静かに寝てると思って触ったのに、突然顔を引きつらせて、大声を出されたものだから、看護婦さんも、「ウァッ!!」っと顔を引きつらせて、のけぞって急いでドアを閉めてしまった。そんなことを言うと失礼だが、驚いた時の看護婦さんの顔が怖くてしばらくドキドキしていた。その時、看護婦さんの顔に、大きなホクロがあったのを覚えていた。先ほど、声をかけてくれた看護婦さんの顔に、大きなホクロがあったのを見て、あの時の看護婦さんだったかと済まない気がした。

 イニシエーション終了時間が迫ってきたが、かなりまだ突っ込んでいたような気がする。トイレにも、フラフラしながらいった。なんとか、失禁だけはしなかったようである。全て終了して、広い道場で、待機していたが、そこでもまだ後遺症が残っていて、少々ふらついていた。蓮華座を組んで、金剛印を結び、また父の名はシヴァなりのマントラを唱えてみた。そうすると、しばらくして、突如身体が振動し始めた。小刻みに揺れだしたと思ったら、横揺れが始まり、次に縦揺れが始まった。何事が起こったのか分からなかったが、次の瞬間、ボンボンボンと身体が跳ねだした。なんと、ダルドリーが起きたのである。自分でも、びっくりしてしまった。どんなに、クンバカを頑張っても、ダルドリーが起きなかったのに。マントラを唱えただけで、ダルドリーが起きてしまったのだから驚いた。

ダルドリーのおまけもついた、キリストのイニシエーションは全て終了した。当時は6年間、まじめにやってきて、何も霊的な体験がない私をかわいそうに思って、尊師が私にいろいろな、体験をさせてくれたのかなと考えていた。

 

129●手記−転載-白龍さんの「体験によってもたらされたもの」   2007.1.20-第141号から

2006-10-22 01:50:09 / Weblog  体験によってもたらされたもの

 これらの強烈体験は、私にとって本当に大切な経験であった。しかし、今だから言えるが、これらの体験は、全て幻影である。おそらく、これが私の瞑想体験として、日常的に起こっていたらどうであっただろう。おそらく、これらの体験を「常」と見たであろう。私のように、神秘世界に興味のある者はなおさらである。そして、そこに慢が生じたであろう。しかし、グル(あえて使わせていただくが)は私に、薬物による、一時的な神秘体験を与えた。もちろん、体験していた時は、体験世界が現実世界なのである。痛み、苦しみ、悲しみ、喜びが、まさに現実のものであった。しかし、私の体験は薬物による一時的なものであったため、幻影であったと知ることが出来た。これは、ある意味ありがたいことであった。

 釈迦牟尼は、全ては無常であると言った。全てとは、例外が無いのである。私が、大納得した、グルとシヴァ大神との同一性。これは、私にとって、大変心地よいものであって、心の奥底からの喜びであった。生きていく支えになった。しかし、声を大にして言おう、シヴァ大神も、尊師もグルも幻影である。

 しかし、イニシエーション中に、私が、全ての執着を破壊され、絶望し、希望を失った時、救いが訪れた。それがシヴァという幻影であった。これらのイニシエーションの体験を通して、私は一つの見解を得るに至った。それは、宗教の存在意義は、人間というものの本質が、全ての幻影を取り除くと、生きられないというところに立脚しているのではないのかということである。

 人間は、深い深い意識の奥底でそれが幻影であると分かっていても、それを常とみて幻影を求めるのである。そうしないと、人間は生きられない生き物なのだ。故に、この境地を超えたものから見れば、哀れなのである。どのように、無常と幻影を説いても、本質的に幻影が無いと生きて生けない生物、これが人間なのだ。なんと、もろく、か弱い、哀れな存在であろうか。故にいとおしいのである。私の体験した、あの、何の希望も、喜びも、生きがいも無い境地で生きていけるものなどいない。故に、人は希望と言う幻影を求め、宗教を求める。どうせ、幻影がなくては生きていけない生き物なら、少しでもましな幻影を与えようと言うのが宗教である。

 その中で、特異な存在が、釈迦の教えであると思われる。到達するのが、ほとんど不可能であることが分かっていながら、真正面からこの世が幻影であることを説いた。それは、まさに真理であったのだろうが、人間の本質を考えると、相当に難しいことを知っていた。故に、この世で法を説かず涅槃しようとしたのではなかろうか。仏教の教えは、すばらしい教えである。西洋でも、釈迦の哲学的、科学的、論理的才能は、大いに認めているところではあるが、2600年たっても、世界唯一の宗教にはならなかった。それは、なぜだろうか?

 仏教の本質的教えは、無我である。よくいろいろなところで、真我と無我の論争が展開されるが、仏教の教えの本質は無我なのだ。しかし、人間は幻影を持たなくては生きていけない生き物なのである。一生懸命修行をし、到達した先が、何も無いというのは、基本的に思いたくないのだ。賢者は、そこに本質的な意義を見出すが、一般の人間は、何も無い境地は嫌なのである。よって、しだいにアートマンのように、光り輝く真我の存在を持ち出すようになったのかもしれない。最初は真我は存在するかもしれないから、いや存在するはず、存在するのが当たり前と変わっていったのではないだろうか?

 もちろん、仏教も、いろいろな美しい世界観を作り出したが、本質が無我なのだから、いくら美しい世界観を示しても、それらは幻影で、いつかあなたの元から、無くなりますよと言われて、うれしい人間はいないのである。なぜなら人間は、幻影がなくては生きていけないから。よって、釈迦牟尼が入滅するとしだいに、衰退していったのではないだろうか?

 しかし、釈迦がその境地に到達したように、到達するものが、皆無ではないのである。故に、同時に慈悲を説いた。その境地は得がたい境地である。そこに至れば、完全なる苦の消滅があるのであろう。しかし、当然挫折者も続出するし、もともと入ってこれない者もいる。これらの者に法則を説き明かすには、大いなる慈悲がなければ、法則を説き明かすことができないのである。もともとが、無理を承知、反感を買うのを承知で説くのであるから、強い慈悲の心がなくては途中で挫折してしまうのではなかろうか。おそらく、釈迦も、将来自分のように、大いなる慈悲によって、得がたい境地を説き明かす弟子を育てようとしたのであろう。

 そのための、方法論や技法をいろいろと残してくれたのである。しかし、それらの手段方法をいくら知っていても、本質的に、全てが無常であり、幻影であるという視点を忘れた時、迷い道にはまりこむ。大事なのは、「す・べ・て」が無常だということだと思う。そういえば、アーチャリー正大師の歌に無常という歌があったっけ。「すべては〜、すべては〜、無常なんだよ〜。」っていう歌であった。あの歌に、「シヴァ大神もグルも尊師も無常なんだよ〜。」と入れるべきだったと思う。そうすれば、今日のこの教団の分裂はなかったはずである。

 私の書き込みを見た方で、尊師とかグルとか、バンバン書きまくるのを、いぶかしく感じてみていた方もいただろうと思うが、尊師もグルも幻影である。ただ、私に、このような見解をもたらしてくれた人物に対する、恩返しとして使わせていただいたということでご容赦願いたい。

 4日間に渡って、キリストのイニシエーションについて書きまくった。昨日で、1ヶ月間、休まず書き続けてしまった。ほとんどワーク状態である。自分でもよくやったと思う。なんで、こんなに頑張っているのか自分でも分からない。(笑)最後の結論は、実は書きながら、今出てきた見解なのである。まるで、誰かが私を使って書かせているような感じがしている。読んだ方が、どのような感想をお持ちになるだろうか?仏教観などは、歴史的な背景も、知識も無く雑感のごとく書いてしまったので、首をかしげる方もいらっしゃると思うが、間違っているようなところがあれば、指摘いただきたいと思う。和井さんよろしく。(笑)なんらかの形で、少しでも、皆様のお役に立つような話であったら幸いである。

すべての皆様の上に、神々の祝福がありますように。

 

128●手記− 転載-白龍さんの「落としどころ」とコメント   2007.120-第142号から

http://blog.goo.ne.jp/hakuryuu_001

一応上祐派?だが悩む−白竜さんブログから

―白 竜 さ ん と 滝 本 の 応 答

総括2006-11-28 01:30:02 / Weblog

落しどころ  教団における成就の認定の仕方、教祖の側室の問題など、いろいろと今までの教祖や教団のイメージが崩れ去るような内容が、次々と出てきている。これが、全て事実だとすると、私が信仰の対象としていたものは何であったのだろうかという想いが生じてくる。

 

 単なるいかさま詐欺師によって作り上げられた、架空の妄想を信じ込まされていたのだろうか?それとも、これら全てを含め、シヴァ神の大いなるマハームドラーなのであろうか?教祖をとんでもないいかさま野郎と切り捨てることが出来れば、ある意味楽かもしれない、そうでなければ、妄想の中に住み、何も考えず教祖を信じ続けるというのも、両極端で楽なのかもしれない。

 これだけ事実が明らかになっても、私の中に、あの糞親父!と教祖を切り捨てられない自分がいる。なぜ?と思われるかもしれないが、こればかりはどうしようもない。外部の方からは信じられないかもしれないが、嘘でもなんでもなく、教祖を崇拝の対象にしている自分がいるのである。これは、長く教祖に帰依をしてきた信徒やサマナには、共感していただけるのではないかと思うが、そんなに簡単に信仰の対象にしてきたものを翻すことは出来ないのである。

 

 心を整理するには、もちろん、時間も必要だし、思索も必要である。今現在、無理にあの糞親父と言ってみたところで、心が不安定になるか、空虚になってしまうような気がする。18年間、家族や親族に迷惑をかけ、友人・知人と縁を切り、安定した職を離れ、それでも続けてきた信仰である。それは教団の掲げる、衆生の救済と言う大きな目標に賛同したためであった。その全てが無駄であったのだろうか?

 

 当然そんなことはなかったのである。では、どこが有益で、どこが不利益だったのかをしっかり検証していく必要がある。

 この問題は、今教団に残っている人達一人一人が、自分なりの納得のさせかた、自分なりの心の落しどころを見つけ出さなくてはならない問題なのである。他人が、どうこう口の出せる問題ではない。

 

 今、教団の内部でも、大きく心の揺れている人がいるかもしれない。ブログを作っている私も、心の整理がついたから書いているのではない。心の整理をつけるために書いているのである。

 事実に対して恐れ、目をつぶるのではなく、今見えている事実をきちんと分析し、どのような行動をとればよいのかをしっかり考えなくては、今後の自分を確立していくことは出来ない。

 教団に残っている方の中には、非常に精神的に不安定になっている方もいるようである。精神病院に入院させられた方もいるというし、薬を常用している方も一人や二人ではないと聞いている。

 これから、サマナは住居となっている施設が経済的に維持できるかどうか、かなり苦しい状況になってくるだろう。当然、引越しも余儀なくさせるかもしれないし、今より多くの人が、外で働かなくてはならないような状況が出てくるかもしれない。いよいよ施設が維持できなくなれば、実家に戻らなくてはならない人も出てくるかもしれないのだ。

 来年には、上祐氏による新教団の旗揚げも予定されている。今年から、来年にかけて教団内では、大きな変動が予想されるが、個々人においても、精神的に大きな変化が起きることが予想される。その際に、自らの心をしっかり保てるための下地を、今から作っておく必要がある。教団に流される時代は、まもなく終わりを告げるのである。

 先ほど、自分なりの落しどころという話をしたが、これを書きながら、いろいろ思索していくうちに、次のような見解にたどり着いた。もちろん現時点での「私なりの」落しどころであるということをお断りしておく。

 

 宗教的な観点から見た場合に、総てのものは無常の法則のもとにある。よって、教団といえども、グルといえども無常の法則から逃れることは出来ない。生じたものは滅するのである。しかし、無智である私たちは、グルだけは特別、真理の団体だけは特別であると、未来永劫変わらないかのような錯覚をしてしまった。それを知ったシヴァ神は、弟子の無智な識別を崩壊させるため、教団を破壊へ導こうとし、みっともない、えげつないグルとなって弟子の前にその姿を晒しているのである。

 釈迦の入滅の時、同行していたのはアーナンダであった。釈迦は、チュンダの供養を受けた後、猛烈な下痢に襲われ、死を迎えることになる。その時、アーナンダは、家の戸の横木に寄りかかって泣いていた。それを知った釈迦は、このように言った。

 「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、−−すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないように、ということが、どうしてありえようか。」

 アーナンダがこのように釈迦に執着し、その臨終に際して涙を流すようなステージでの者あったから、世尊ですら、無常の法則から逃れられないのだということを教えるために、自ら下痢で苦しみ、死ぬ姿をアーナンダに晒したのではなかろうか。それが、アーナンダに対する慈悲の実践だったのだろう。釈迦の入滅の時のアーナンダとのやりとりを読んでそんな感想を持った。

 したがって、グルや教団にしがみつけばつくほど、強烈なシヴァ神のカルマ落しが起こるのではないだろうか?シヴァ神は元々が破壊を司る神である。我々がしがみつく、執着の対象を破壊するのである。それが例え愛するグルや教団であったとしても同様である。それが、シヴァの本質なのである。

 しかしながら、シヴァの破壊の後には、ブラフマンの創造があるのである。絶望の後には希望がある。その流れの中に、上祐氏の教団分裂があり、私の暴露ブログやシヴァの喜びさんのブログが存在するのかもしれない。最近、シヴァの喜びさんがやろうとしている、現や元の人達を対象にした、ヨガ教室の歩みなども、この流れに組み込まれたものなのかもしれない。

 教団は今後、崩壊していくかもしれないが、逆に、新しい道が生じてくる可能性もある。それは何か?修行者が自らの足で歩くという道である。今まで、おんぶにだっこで、教祖から与えられるものを、ただただ吟味もせずに真似をしていただけの幼子が、自らの足で歩き出すのである。

 私が思うに、現在ある教義に、間違いが含まれている可能性もあるのではないかと考えている。子供を賢く育てたいと思う親なら、あえて問題に間違いを入れておくはずである。そして、子供にいろいろな文献を調べさせたり体験をさせたりして、その間違いを自分の力で見つけ出させるようにしむけるはずである。

 甘えさせることがシヴァの愛ではない。本当の意味で、無常を悟らせ、修行者としての自立を促すことがシヴァの愛なのではないだろうか。

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2006-12-02 01:32:06 / Weblog

「落しどころ」part2

 11月28日の「落しどころ」のところで、書いたように、全てがシヴァの現われであるという結論に達してから心が落ち着いた。グルや教団から離解脱していく経験は、大いなる魂の流れの中にあって、学ばなくてはならないことだったのだろう。

 

 したがって、キリストのイニシエーションの時に見た、シヴァとグルの合一これは正しかった。しかし、私の意識が教祖に限定されていたため、見ることが出来なかったが、全ての人々がシヴァの現われだったのである。

 私も初めての経験であったが、宗教的な心の問題は、宗教的な決着の着け方をしないと、心が納得しないということが分かった。

 今まで、偉大なグルという意識と、グロテスクなグルという狭間で心が揺れ動いた。片方を立てれば、一方が頭をもたげてきて否定をする。あちらを立てればこちらが立たずで、どうにも按配が悪かった。

 

 しかし、弟子の救済のため、もともと麻原彰晃の中には、その二面性が存在していたのだ。崇高な理念を掲げ真理に導くグル。これによって多くの弟子が引き付けられた。しかしながら、同時に彼は、腹の中に、時限爆弾を仕込こんだ存在でもあったのである。

 ある一群を為す者は、似たカルマを持つと考えられる。おそらく、我々は、素直ではあったが、グルや教団に過剰に依存をする魂の傾向を持った者だったのだろう。したがって、シヴァは、大いなる慈愛をもってこれを落とそうとした。

 

 そこでまず、謙虚な姿勢を見せ、明確な真理の法則を解き明かし、質疑に対する明快な回答を弟子に与え、弟子を信頼させた。そして、次第に絶対的な存在となるまで、自分を信じさせるように弟子をしむけたのである。究極の段階まで弟子が信じきった時に、腹の中の時限爆弾が爆発するようにセットされていたのだろう。

 まさに、事件によって教団は爆発炎上したのである。そこからのグルは、まったくみっともないことこの上ない姿を晒し続けているのである。次々それまで仕込んでいた、悪行三昧の数々が暴かれ、弟子を絶望のどん底に叩き落としたのである。

 すなわち、このプロセスこそ、我々が、グルや教団というものに対して持っていた、過剰な執着をそぎ落とされるプロセスだったのだと思う。

 教祖の歌の中に救済の構図part1があるが、あの中で、弟子のために降りてきたことを明確に歌っているではないか。そして、教祖は、失敗をさせながら弟子を育てるグルではなかっただろうか?また、説法の中で、今生の私は、ピエロなのだよとも言っていた。そこに、私はシヴァの姿を見る。崇高な理念を説いた麻原もシヴァの現われなら、グロテスクな麻原もシヴァの現われなのである。全ては、私達を次のステップへ導くためのシヴァの現われであったのだろう。

 そう考えると、全ての教団の構成員も同様に、それぞれが、それぞれの悟りへ導くために存在しているシヴァの現われと見ることが出来る。A派の人達のM派への排斥の姿も、我々を教団に対する執着から解き放つ役割を担ったシヴァと見ることが出来るし、M派は、グルの執着から引き剥がそうとするシヴァと見ることが出来る。個々人も全てこの中のキャストであり、他人は自分を悟りへと導いてくれるシヴァであり、自分は他人の悟りへと導くシヴァとなっている。全てがシヴァの現われなのである。

 そのように、結論付けた時、視界が広がった。教団を辞めると、未来際において真理に巡り合えなくなり、地獄に落ちてしまうかもしれないという恐怖が消えた。グルを否定したくなくても、否定しなくてはならないのかという葛藤も消えた。互いが互いを否定している者に対する嫌悪も消えた、全てを包括し、シヴァという一元に結びつけた時、もつれていた糸が全てほどけた。逆にそのような状態を作ってくれ、悟らせてくれた方達に感謝しなくてならない気持ちにさせられた。

 そして、事件によって失われた方々もまさに、この全ての現れの中に存在したのである。まさに、我々のために犠牲になられたのである。教団の一部の者が、勝手にやったのではないのだ、形としては確かに、一部の者が勝手にやったように見えているが、そうではない、全てはつながっている。互いの悟りのために、全てはつながっているのだ。

 

 そう考えると、私のために多くの方々の命が犠牲になり失われたのである。そのような結論になる。めまいのしそうな想いだが、結論付けるとそうなるのである。各自が、殺人は自分のために行われたと認識した時、はじめて、そこから、私たちの本当の謝罪と、賠償が始まるではないだろうか?

 もちろん、「落しどころ」の時にも書いたとおり、各自の落しどころはそれぞれある。自らの落しどころは、各自模索していくしかない。もし、私の、落しどころが少しでも皆様の参考になれば幸いである。

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2006-12-14 18:36:35 / Weblog

友北先生への返信

友北先生のブログから転載

『 どもっ、私、白龍さんの言いたいことは分かるつもりではあります。被害者、また殺した実行犯らのことを我が身として感じようとするとき、宗教的には自らのものとして深い謝罪とありがたさを感じる感覚、それはあるのだろうと。でも、被害者らはそれを勿論求めていないし、実はそんな感覚を許しもしない。被害者の代わりに死ぬのでもないのに感謝を勝手にするな、死刑になる人の代替をするのでもないのに勝手なことを言うな、という感覚です。

それは「宗教者」の傲慢でしかない、となってしまうんじゃないかなぁと。それは、上祐が今、「衆生を愛したい」なぞと、おぞましいことを言っているのと50歩100歩に感じられるものです。

豊田被告もいろいろ考えて反芻しているでしょうけれど、「日々重くなります」と述べて、決して表に出さないです。それは、自らの考えなど言えるものではない、更に1カルパ150億年?の中で、今自分が生きていることそれ自体が実は奇跡だったんだ、ということを知ったから、だと感じます。豊田被告と面会しましたが、自分として緊張の時間でした、彼は、死ぬということの重さをもう現実に感じていたから。

死んだ人とはもう会えないです。来年も再来年も、10年後も、100年後も、何万年、何十万年、何億年たっても。今は生きている者として期待するのは、自分が死んだ後にあの世で会えるのかも、と思うことだけです。先に死んだ人とはいろいろ話したいなぁ、と思います。誰であっても。

井上被告に対する一審判決では「決して宗教に逃げることなく」と説示されています。それはそんな口上も感覚も許さないからです(裁判官がそこまで言うのは凄いことなんです)。

で、気がむかれたらとして勧めるのですが、豊田君の友人で証人にも出た「さよならサイレントネイビー」の筆者が敢えてしたように、ビニール傘を持って、例えば林泰男被告だったら午前8時頃の中目黒始発東武動物公園行き電車に乗って、イメージしてみて欲しいのです。周囲の8人が苦しんで死に、さらに多くの人が苦しんだことを。

(林被告、少しはずるかったり危ない人であって欲しかったのですが、面会してみればいい青年なんです。参ったです。彼に対する一審死刑判決で異例のことに「およそ師を誤まるほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」とあるのは、そのとおりでした)。

少なくとも、第一上九の慰霊碑などにも行ってみるとか。あそこは何人も死んで、大きな電子レンジみたいので長時間かけて何人もが焼かれ、またご自身がキリストのイニシエーションをやったところでもありましょう。ああ、鎌倉の円覚寺内、松嶺院内の墓には何人か元幹部を案内しました。坂本一家3人が眠っています。坂本はいい奴でした、同い年。

それぞれ、麻原さんの一審判決文に示される事件内容は必ずや把握して。http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/trial/4-6.html

現実感覚と言うもの、それが戻ってきたときはあまりに重いです。

現実感覚を踏まえたうえでの思想でなければ、宗教でなければ、哲学でなければ、実は酷く病的だったり皮相なものだろうと思うのです。 』

 

 

[返信]

 それでは、ここから返信させていただきます。

「私、白龍さんの言いたいことは分かるつもりではあります。

被害者、また殺した実行犯らのことを我が身として感じようとするとき、宗教的には自らのものとして深い謝罪とありがたさを感じる感覚、それはあるのだろうと。」

−このように書かれておりますので、友北先生は、おそらくある程度私の考えを、ご理解いただいているものと推察いたします。しかしながら、被害者の感情を考えると、

 

「でも、被害者らはそれを勿論求めていないし、実はそんな感覚を許しもしない。

被害者の代わりに死ぬのでもないのに感謝を勝手にするな、死刑になる人の代替をするのでもないのに勝手なことを言うな、という感覚です。

それは「宗教者」の傲慢でしかない、となってしまうんじゃないかなぁと。」

−という発言が出てくるのであろうなと思うわけです。被害者の方々の感情としては、友北先生のおっしゃる通りでありましょうとしか言いようがありません。それに関して、私は反論するつもりもなければ、反論できる立場にもありません。

 それでも、いくつかの点で指摘しておかなくてはならないのは、私は、直接犯罪をしていないということ。単なる、末端の一信徒の身であり、教団を代表する立場にあるわけでもなく、運営に携わっている者でもないということ。それと、このような視点を採ったことで、私の中で、事件に正面から向き合おうという下地がようやく出来上がりつつあり、グルである教祖からの脱却が可能になったということの3点をまず踏まえていただきたいのです。

 私が、直接犯罪に関わり、殺害に手を貸していたというなら、当然このようなことを言うわけもないですし、自分の心情を公表などするわけがありません。ただひたすら、自分の罪を償おうとするでしょう。また、教団の代表者であり、教団運営に関わっているというなら、当然教団の総意として受け取られかねない立場として、絶対このような内容のことを発言しませんし、公表したりはしません。私は、単なる末端の一信徒であるから発言したのです。

 そして大事なことは、私のメッセージが、現在教団にいる信徒・サマナの方々に向けてのメッセージであるということです。外部の人間でもなく、上からの押し付けの情報提供でもなく、一番下の信徒が教団内部の人間と同じ目線で、悩み苦しみながら、いかに自分を見つめようとしていったか、事件を捉えようとしていったかを示すことで、少しでも今残っている人達の、気付きに繋がれば良いと考えて書いたものだということです。

 何度も書きましたが、私はつい最近まで、オウム事件はユダヤの陰謀であり、国家のでっちあげだと考えていました。私は今まで自分がマインドコントロールをされたことなど、一度もないと考えてきました。全部自分が好きで学んできたことですから、マインドコントロールなどされたことがないと、実際友人達に断言してきました。しかし、そうではなかったのです。強制的な情報コントロールこそされませんでしたが、教団全体、信徒一人一人が互いにマインドコントロールをしてきていたのです。ゆるやかだが、確実に根付くマインドコントロールです。

 正直、現在の私達の状態は、精神的病とも言うべきものだと私は考えています。この精神的な病を癒すには、時間と段階的治療が必要だと考えています。確かに、事件から11年という時間は過ぎていますが、実際教団の内部の現状が見えてきたのは、分裂騒動以降ですから、ここ1,2年です。内部の人間も、いろいろな事実を突きつけられて、精神的に揺れ動く人が出てきました。ようやく時が至ったのでしょう。

 次に、宗教に染まり宗教的な思考、生き方を目指してきた者にとっては、サリン事件や教団内部で隠されてきた数々のひどい事実と、各自の理想とした宗教的実践をどのように関連させ解釈し、宗教的決着をつけるかということは、非常に重要なことなのです。なぜなら、我々にとって、まさにそれこそが人生の目的や生きる糧に直結しているからです。ここを、クリア出来ないと、次のステップになかなか踏み出すことが出来ません。決着がつけられない者は、陰謀論に逃げ込み事件を否定するか、知らん振りして引きこもるしかなくなります。

 もちろん、前にも書きましたが、このような煩わしい手続きを経ずにすんなりと、事実と向き合い、教団から離れてしまう人もいるでしょう。しかし、そうではない人達もいます。今残っている人達は、私も含め、ある意味重症になってしまっています。長ければ長いほど、真剣に取り組んだなら取り組んだだけ、心の開放が難しいような気がします。

 今までの、20年間近く、正しいと思い実践してきた全てを否定すると、生きる意味を失い、生きる目標を失います。おそらく、虚無的になるか、自暴自棄に陥るでしょう。教団の人間にとって、それは自分の人生の死を意味すると考えます。だから、事実を認めることに恐怖が起きます。よって、事件も数々の教団内部の悪業も認めたくないのです。

 こういった中にあって、一元思想と言うのは大変便利な考え方で、あちらを立たせようとすれば、こちらが立たないというような状況にあっても、全てを丸く治めることが出来る妙薬と言うことが出来ます。この薬を使って、まずは、患者の波立った気持ちを落ち着かせる必要があります。次に自分の何処が病んでいるのか、本人に気付かせなくてはなりません。そして本人が自分の病に気付いてから、本当の治療が始まるのだと思います。場合によっては、周りの人達の助けを借りながら、治療を進めていくということもあろうかと思います。重症患者には、このような段階が必要ではないかと考えます。

 たしかに、いびつな思考かもしれませんし、皮相な考えかもしれませんが、まずは自分が病気なのだと気付く前段階で、パニックになって、不安定になっている心を安定させる必要があります。したがって、このようなやわらかい処方箋を与えるしかありません。ここを、クリアして、事実に向き合うことが出来るようになったら、真実を伝え、自らの心と向き合わせるようにすれば良いと思われます。そうすれば、おのずと自分の為すべき行動が見えてくると思います。

 しかしながら、現在私がこのような心情を吐露したことによって、被害者の方々が感情を害されたとするならば、その点は如何様にもお詫び申し上げます。出来ますれば、私の発言にはこのような意図が含まれていたのだということを、ご理解いただきましてご容赦いただければ幸いです。

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Unknown (Unknown)  2006-12-15 02:17:27

>私はつい最近まで、オウム事件はユダヤ

>の陰謀であり、国家のでっちあげだと

>考えていました

あ、つい最近までだったのですか。見落としていたのかも。済まないです。返信、ありがとうございます。白龍さんの誠意は、実によく分かります。どうぞ、時間をかけてボチボチとまたいつか考えてみてください。

そして、この段階でのご自身の総括、そして今回の返信は、大変に貴重なものだと思います。自分の心を率直にそして詳細に分析されていること、敬服します。私、公開されたブログであったので、以前のコメント欄に続いて、まとめた対応文を書いてしまった者です。が、やはり、大人気ない対応、良くない対応だったかと思います。アイデンティティクライシスという状態は見ていても実につらいものですね。何のための20年だったか、と感じてしまう。そんなときはカナリヤサイトの手記などもご参考にして下されれば幸いです。

初冬になってきてしまいました。時に散歩したりするのもいいものです。生きていること自体が奇跡なんだ、という実感が湧きます。例えば病の治りかかりなどは、自然の中に動きを見て命を感じやすいものでもありましょう。   ではっ。

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ぼんちさん (友北)   2006-12-15 02:23:06

あっ、前の書き込みは私の書き込みです。それで、余計ながらぼんちさん

>理知的に総括し理解することを優先するのか、

>被害者の慰撫を最優先させるのか、

 

これが矛盾するものだとしたら「理知的」ではないように思いますが。頭でっかい的だなぁと、なお、ぼんちさんに「慰撫」なぞされたくないですぅ。どもっ。

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友北先生 (白龍)   2006-12-15 02:26:44

>私、公開されたブログであったので、以前のコメント欄に続いて、まとめた対応文を書いてしまった者です。が、やはり、大人気ない対応良くない対応だったかと思います。

いえいえそんなことはございません。おかげで様で、さらに自分の考えをまとめる助けになりました。

 

>アイデンティティクライシスという状態は見ていても実につらいものですね。何のための20年だったか、と感じてしまう。

実は、私などは、これが一番恐怖を感じました。

自分の立っている足場の底が抜けるような、

そんな感覚を味わいました。

 

>そんなときはカナリヤサイトの手記などもご参考にして下されれば幸いです。

いろいろと、参考にさせていただきます。コメントありがとうございました。            白竜さんブログhttp://blog.goo.ne.jp/hakuryuuから