滝 本 コ メ ン ト 31〜57


コメント57 ● おいおい  その1、その2 、その3

−2004.10.23 105、106、107号から

その1 「探湯」について

Sent: Saturday, March 06, 2004 12:00 PM
Subject: 【Daily Aleph】04/03/06_1217
> §故事成語に学ぶ§
> 『深湯(タントウ)<孔子>』
> 熱湯に手を入れるように、
> 悪事を行なうならば、まず慎重にその果報を考えよということ。
> 瞑想に熟達すると、原因と条件による結果が早く現われるため、
> 体験的に「善」「不善」の結果を認識でき、悪業を積まなくなります。

おいおい、「悪事を行なうならば」なぞと、凄い設定をするのですね。オウムでは、未だに麻原さんが「瞑想の達人」でしたね。
んで、彼が積んだのは「悪業」ではないのかいな?空中浮揚してから言ってくれ、とね。

 

その2 懺悔・殺生に関して

Sent: Tuesday, September 28, 2004 12:00 PM
Subject: 【Daily Aleph】04/09/28_1414
  > ◇日々の瞑想◇
  > 「懺悔・殺生(2)」
  > 同じ殺生でも、
  >   1. 殺す対象を特定している
  >   2.「殺す」という動作があり、残酷性がある
  >   3.「殺した」という結果がある
  >   4. 殺害に対する喜びの念がある
  > の四つの条件がそろった場合、最悪のカルマとなる。
  > なした行為をよく振り返ってみよう。

 

  おいおい、殺人の指示をした麻原さんについて、もはや教祖ではないけれど「瞑想の達人」とかといっていたのは誰だったのかい?
なした行為をよく振り返ったかい? オウムの教えを信じることが、どれほど被害者の心の傷に塩を名でつれているのか分からないでしょうか?
  たしかに、麻原さんのしてきたこと善行だとする「深いお考え」思考ならば、そりゃ、一貫しており、矛盾はないですがね、
真実どこでも、そこまで言いますか?

その3 カルマの法則外

Sent: Thursday, October 14, 2004 12:00 PM

Subject: 【Daily Aleph】04/10/14_1428

> §故事成語に学ぶ§
> 『毛を吹いて疵(きず)を求む〈韓非子〉』
> 人の欠点を探して非難し、逆にそれによって自分が非難されるの意。
> カルマの法則どおりで、非難すればやがて非難されます。
> とはいえ、親友の過ちに対しては、非難でなく愛のこもった忠告をしたいもの

> ですね。

 

おいおい、1990年、サンデー毎日の編集長の脳出血の後遺症について「悪行をなしたことのカルマだ」とか、
1995年窓口滝本太郎について「地獄に落ちる」とか、保護された女性について「問題が多かった」とか、
本その他で非難を重ねていたのはどこの誰だったのかいな。

欠点どころか犯罪を重ねれば非難されるのであって、カルマの法則なぞというものを持ち出すまでもない。
んで、「親友の過ち」って誰のことかいな。


コメント56 ● 死 屍 累 々

−2004.10.23 第107号から

死屍累々です。まさに。
教祖はのうのうと生きているものを。

>「温熱療法」中に死亡か 
>徳島市職員のオウム信者  2004年9月
>在家信者で徳島市職員の男性(35)
>8月、市内の自宅浴室で意識障害を
>その後死亡したことが29日、徳島県警や公安当局の調べで分かった。
>公安当局は50度近い湯に繰り返し入る「温熱療法」中の事故
>家族が8月29日午後5時半ごろ、男性が浴室で倒れているのを見つけ、
>119番 入院したが、9月4日に死亡
>高温の湯に入ったことによるやけどが胸に、-事件を疑う状況もない
>家族は「男性は47度か48度の風呂に毎日入っていた」と話している
>公安当局は1997年ごろには男性の入信を確認。市内の関連施設に出入り

 温熱修行は危ないので1人でしないように、とオウム当時でさえ1994年だったか通達が出ていた。  中毒みたいなものなのだろうが、やめとこうよ。

 

>? オウム元信者変死 教団から分派 体をたたかれた跡
・ 東京都練馬区のアパート
・ 2004年9月 中旬
・ オウム真理教の元信者で、現在は教団から分派した
・ 麻原彰晃被告(四九)=本名・松本智津夫=を信奉する団体に所属している女性(三六)が変死していたことが二十三日、分かった。
・ 女性の体にはたたかれたような跡
・ 十一日午後一時ごろ、団体が修行などに使っている練馬区内のアパートで、女性が冷たくなって倒れているのを知人の女性が発見、一一九番通報したがすでに死亡
・ 女性が所属している団体は、麻原被告が唯一の帰依対象であるとし、麻原被告の子供を教祖にしようとした教団の方針に反発した信者らが教団を離れて、設立した。約三十人が所属し、通称「ケロヨンクラブ」

 うーん「オウム真理教の元信者で、現在は教団から分派した」の表現は間違い。麻原さんを信奉している限りオウム真理教であり「元信者」と表現されると困る、と。
 1995.3.22以降の死亡者について、まとめておく必要がありますね。
・ 麻原さんの子供らと泳いでいて溺死した人
・ 教団の車を運転していた事故で死亡した人
・ 石油をかぶって死んだ人
・ 温熱修行中に死亡した人
・ 自殺した複数の人
悲劇はまだまだ続いている。なんとっ。

 そりゃ、1995年3月22日以降も、竹刀で足をやたらたたいたり、ゴムタクで蓮華座を長時間させたり(腎不全で危なかった人もいた)のことがあった。が、今回、オウム関係の死亡事件としては珍しい類型
 日本では昔からある類型、つまり暴行をして「カルマを落とせ」修行といった叩きあい殺し事件、になったのだろうか。 遺体はすで骨になっており、事件として立件されるかは不明。

 故 カッピナさん

ちなみに、別の事件で亡くなったカッピナさんが、いまだアーレフのサイトに出ているのが不思議。 オウム側ももちろん知っているのだが。
 亡くなった人も、現在の「師」として紹介するのがオウム真理教
http://www.aleph.to/saint/100/07-kp1-1.html

 カッピナ師は、2003年末か今年1月だったか、富士山五合目まで自動車で行き、不明。関係者は事情を説明し、警察は大規模な捜索もしたが、当時は見つからず。5月に発見された。
 ストイックな修行の好きだった人とのこと。「心臓を自在に停止させる聖者」とされていたが、完全に止まったのだろう、遺体で発見されたとのこと。カッピナさんも、人は人。                                                                                    なんと。


コメント55 ● 否定したがる人たち

――― 2004.10.23 第105号から

麻原さんの判決の日の状況について、いまだに否定したがる人がいるのですね、改めて書きます。それが現実なので。
 
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1088337729/l50  への書込みより。

224 :滝本太郎 :04/06/30 11:21 ID:YAE2u/GW
>>教祖の一審での判決のとき、ここの教祖は、大変見苦しい行動をとったと聞きます。
>――朝生テレビで田原総一郎が痛烈に批判してた恣意的・扇情的報道。
>実際に傍聴してた森達也監督も否定してた。

嘘を言っては困る。
あの番組にも、森監督にも弱ったものです。

田原さんが「そんなことはなかったでしょう?」と聞き、
森達也監督は「なかった」なぞと答えていない、

 そもそも麻原さんが分裂病ではないか、なぞというように答えていた。
(これも状況からすると逆の事態であるのに、また専門家でもないのに弱ったものです)


 森さんは、そもそも判決の言い渡しの瞬間はいなかったのではないか、と私は思うんですが。傍聴券は、森さんはメディアから貰っていたところ、途中で替えられたりするからね。  これは間違っていたら、すいません。

 麻原さん、自分では立たず、それで係官が立たせようとしたのだが5秒間ぐらいあの絵にあるとおり嫌がって抵抗し、抱えられるような格好で真ん中に立った。そして、係官何人もが心配そうに手を離して、ようやく体を傾けて立った、という状態でした。

相手方ながら、ナサケナカッタ。
証人尋問での妨害からして、ナサケナカッタ。


コメント54 ● 練炭- 死ぬなら明日、また明日‥とりあえず今日は  

                                        ――― 2004.10.12 窓口日記から

 10代−30前後までの若者自殺といえば、大島火口へのダイビング自殺の流行、青木ケ原樹海での自殺の流行、女性タレントの後追い自殺、男性歌手の後追い自殺などが頭に浮かぶ。

 ネットで、自殺願望を持つ人同氏が、互いのことを知らないままに落ち合え、その相乗効果をもつことになった問題もあるのだろう。
 だが、ネットとか掲示板自体が問題だとはいえまい。病理現象ではなく生理現象だけれど。自動車が普及したとき交通事故が避けられないのと同じ。
 ですが、歩道や交差点の整備を初めとした安全施設を充実させることなどで事故も減るのと同様、自殺を少しでも減らす試みは有効でもあるはず。

1 掲示板書込みに時にあるように、直接の経験者、関係者からの言葉
2 練炭・コンロについて当面、売るときは身分証明をしてもらい、コピーをするとか、販売店 が対処する
3 景気の回復−これ、中高年層ではなく若い人関係でも、やはり相当に影響しているなぁ

 自殺しようとしている人に「頑張って」は、絶対禁句です。本人は本人として頑張ってきた。たとえ甘いものであっても精一杯。
 「1人じゃない」「家族や友人が悲しむ」も少なくなく禁句、家族や少しの友人からも信頼、愛されている感覚をもてなかった人も多いのだから。
 私が言えるのは、表題の一つだけ。
 人の死亡率は100%なのだから、そうあわてないで、と。
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コメント53 ● 下 卑 た 解 脱       2004.8.23 日記より

 

http://bbs8.otd.co.jp/nihilists/bbs_plain  より
>デーヴィー聖準師の一言

>  投稿者: ヨッシー
>私は呆れてモノが言えませんでした。
>「代表の高橋シズヱさんはお金を貰い

>過ぎとかで遺族被害者の会も中で揉

>めていますよ。現世は汚い世界ですよね。
>私はそういう現世にいたくないのです。」
−−−−−−

10264  投稿者: 友北  2004/08/23 21:05  
なるほど、思い出す。同じようなこと。


1994.10末だったなあ、
青山弁護士や、林郁夫と交渉したのだが、

「滝本先生はお金のためにやってるんでしょう」とか
 「監禁や薬を使って脱会させているんでしょう」

なんて、私に言ったなぁ。

わたしゃ、
・こんな事件でお金になる訳ないじゃない、
・監禁も薬物なぞ使うはずがないでしょう
・これから先危ないから、本当にまずいっ、と思ったら、出てきてっ、

と言ったのだが。

 高橋シズヱさんには、いつも頭が下がっています。名前を出す、表に出る立場となるというのは、大変に辛いことです。
 それでも、誰かがやらなければならないから、いろいろな被害者対策、立法の運動をされているのだと思います。

 自らの側が、金銭に汚く、薬物・監禁をしたりしていると、相手方もそんなものだと思ってしまうのでしょうね。


コメント52 ● 長官銃撃事件について

――― 2004.10.23 第106号から

 

釈放、不起訴処分は、賢明な判断である。いかにスプリング8での、コート残渣物と現場残存物の鑑定があったとしても、「矛盾しない」という内容では不足だろう。コートの貸し借りの動きも証明されていない。

 いわゆるロス銃撃殺人事件では、実行犯が特定できないことから無罪が確定し、裁判所からも批判された。これを参考としただろう。まして、曖昧かつ変化が激しくしかも催眠術で記憶を操作されてしまっている小杉供述は、信頼性がとても低く使えるものではない。逮捕状を求めた捜査側には不信を感じ、逮捕・勾留を認めた裁判所も機能を果たしているのか疑問である。

この時期、逮捕に踏み切ったのは捜査機関の一部の暴走であった。オウム教団は、薬事法違反事件でも分かるように今も破壊的カルト集団であってつぶさなければならない。今回のことは「尊師は本当は無罪だ」と思いたがっている一部信者らの妄想を高めてしまうこととなるので弱ったことだが、起訴されて無罪となるよりは良かった。 もちろん、本人らのためにも。

 本件被疑者らの多くは既に真実脱会し、また被害者のための基金に毎月金銭を入れてきた人もいる。国は、適切な刑事補償と国家賠償責任がある。

 


コメント51 ● 思い出すのはロス銃撃事件    

――― 2004.7.12日記から 第106号掲載
 いったん逮捕すると、起訴までは22日間。
 起訴できないと釈放することとなり、警察・検察側にとって、途方もない汚点となる。だから、銃撃事件についても、今月中に起訴する予定、ということだと思われる。
 その際、実行犯を特定できないままの起訴状で起訴するということは、検察側は何としても避けたいだろう、と思う。

 思い出すのは、いわゆるロス銃撃事件の高裁判決。特定した実行犯が有罪とできず、1994.3.31地裁はなんと「不詳の人物」を実行犯として有罪認定した。状況として、同一被害者妻に対する殴打事件があって、これらは殺人未遂事件として有罪認定され、確定した。
 1998.7.1、東京高裁では正式に検察に「不詳の人」を予備的訴因として追加させて、その上で無罪とし、これが確定した。

 証拠関係について同高裁判決は、きわめて詳細に検討し、まとめている結論は下記
(ちなみに、この裁判との比較について、今、とんと報道がないのは同元被告人から次々と名誉毀損訴訟を起されて敗訴したメディアの、萎縮効果であろう。表現によっては名誉毀損になるものの、しょもない事なかれ主義である。)


――――――――――――――

本件ではその共謀がAと本件とを結びつける中核的事実であることにかんがみ、その者からどのような弁明や供述等がなされても、Aがその氏名不詳者と共謀して銃撃させたことに間違いがないことを裏付けるに足りるだけの確かな証拠が必要だと考えられる。

 そこで、Aについてこれをみると、同人の場合には、例えば殴打事件前に共犯者探しともみえる一連の不可解な言動が認められ、その後に発生した殴打事件をめぐる行動には被害者の殺害とその保険金取得をねらったとしか思えない加害意思を読み取ることができ、その三か月後に起こった本件との間には犯行態様その他について何やら共通性も見え隠れし、しかも、銃撃事件発生時の現場の状況に関するAの供述、中でも銃撃犯人をグリーンの車で来た二人組の強盗犯である、白いバンには気づかなかったと述べる点には虚偽供述との疑いが強く持たれるなど、Bの場合よりもはるかに強い嫌疑を抱かせる事情が認められることは否定できず、検察官が、少なくともAの犯行関与は間違いがないと主張することにもかなりの程度理由があるといえる。
 しかし、他方、被害者に引き続いてAもライフル銃で銃撃・被弾している本件の犯行態様からみて、本件は、共犯者抜きには考えられない態様の犯行であることは明らかで、その点がまさに中核的な要証事実となっているところ、検察官がこの者以外には共犯者は考えられないと主張して立証に努めたBについて、原判決は証拠不十分の判断をし、この判断は、関係証拠に照らして、当審においても維持するほかなく、しかもそれ以外には共犯者とおぼしき者が全く見当たらない状況にある。
 

証拠上、共犯者が単に特定されていないというだけではなく、全く解明されていないのである。加えて、日本にいたAにおいて、アメリカにいたと想定するほかない氏名不詳の共犯者を新たに見つけ、その者との間で特に殴打事件後本件発生までの間に銃撃事件について謀議をし、これを完了しておくまでの機会はほとんどなく、かつ、現実に謀議をした痕跡は全く見当たらないこと、被害者を連れて渡米した経過にはむしろ犯行計画を否定しているかのような事情が認められること、犯行加担に対する報酬支払いの事実が全くないこと等々の、いずれも共犯者の存在を否定する趣旨の情況事実が多く認められる証拠関係にあること等の周辺事実を含めて総合考慮すると、検察官が主張するような、銃撃犯人は不明でもその氏名不詳者とAとの間に共謀が成立していたこと及びAがその者に被害者を銃撃させたことに間違いはないと推断するに足りるだけの確かな証拠は見当たらず、なお合理的な疑いが残るといわざるを得ない。                   」

――――――――――――

 今回は、スプリング8といった物的証拠はあるようだが(ただ、和歌山砒素カレー事件の「一致」と異なり、「矛盾せず」みたいですね)、それはコートと事件の関係を示すだけ。
 K以外の被疑者らとの関連性を示すのは、やはり信頼できない共犯者Kの一人だけ、ということとなる。オウム信者警察官として情報提供などをしていたことは証明できるようだが、やはり弱すぎる。

 検察は、二の舞をしたくないはず。起訴して無罪となれば、警察だけでなく、検察も世界の笑いものとなるのだから。

 進めるならば、獄中内外のあと数人の逮捕もして、供述をなんとしても取ろうとするのだろうと。
 オウムでは、大幹部同士の間でも、分断統治されていて秘密があった。厳しい調べの結果、偽りの供述がでなければいいが、と思う。


コメント50 ● 書評「あなたはどんな修行をしたのですか」  

――2004.10.23 第105号より

 

NCC宗教研究所・富坂キリスト教センタ−共著 新教出版社 2100円

 

この本は、精神科医、宗教社会学者、カウンセリングをしてきた宗教者、ジャーナリストらの共同研究の成果が示されていて、将来に向けて残るべき貴重な本となっている。題名の「あなたはどんな修行をしたのですか?」には、おおっ、と思った。私の「空中浮揚」とともに、私へのサリン事件の原因となった脱会カウンセリングの時、いったい何回聞かれただろうか。その話し始めの時やもう少しだと思う時に「あなたはどんな修行をしたのですか?」「じゃあ、人生は何のためにあるんですか?」と。

 

それは副題の「オウムからの問い、オウムへの問い」と軌を一にする。その際の自分の答えは、自分に問うものでもあり、自分の人生観の吐露でもあった。発題された幸日出男氏の慧眼である。

 

本書では、10人の報告や立論が示される。春木進氏の取材報告は生々しい。弓山達也氏の信者の体験談の分析は大変貴重である。坂和優弁護士は日本の宗教をめぐる人権議論の状況を、鈴木正三氏は幹部信者らの「自発的な服従」を、島岩氏は仏教、神秘体験の面から分析し、寺園喜基氏は世紀末思想をキリスト教の面から述べている。

 

精神科医の野田正彰氏が教祖の分析をしたのは、裁判で精神鑑定が実施されなかった今日、さらに貴重である。同時に「日本ファシズム下の仏教」の問題まで言及したのも、焦眉である。日清、日露戦争以降まさに
  「慈悲の殺生は菩薩の万行に勝る」
といった宗教的詭弁が使われたことを明確に指摘している。いったい、オウム真理教の思想と、この日本の宗教界の歴史とどう異なろうか。

 

同氏は「知識人」の責任もしっかり問うている。その代表格は、オウム真理教の布教に役立ったという意味で中沢新一氏であるし山折哲雄氏である。同氏は、山折氏について教祖との対談でオウム真理教を持ち上げながら、後に「1991年頃から変質してしまった」「現代社会の鬼っ子」と言うような、状況次第で言説を変え総括もしない態度を強く批判している。宗教を論ずる方々やメディアに対する痛烈な批判でもある。もとより、山折氏の右分析も間違っていて、オウム真理教は麻原彰晃のしたいことの為に作られたのでありその特質は最初から変わっていない。

 

チベット仏教者である林久義氏の刑務所でのカウンセリング、志村真牧師の家族らへのカウンセリングの報告、そこから得た破壊的カルト問題に関する知見は、決めて有効である。牧師までもが、仏教系であるオウム真理教のカウンセリングにかかわれるということは、意外に思われるかもしれない。

だが、カルトメンバーの心の問題の本質は宗教にあるのではなく、色々な心理操作のテクニックを集積して有効に使う「マインド・コントロール」という実態、現代社会における自由からの逃走、また「奴隷の喜び」というところにこそ本質があるのだから、まったく不思議はない。マインド・コントロールは、「考える自由」「信教の自由」を侵害するものでもあり、いささか宗教的に言えば「魂の虐待」である。

 

それでも、哲学が「果てしなく疑う」ものであるのに対して、宗教は「果てしなく信じる」ものであって神秘体験も付き物である。宗教は破壊的カルトに結びつきやすい。だから、まともな宗教者・宗派こそ対応しなければならないはずのものであって、お2人を初めとして少なくない宗教者がかかわってきた日本のここ20年余りの歴史は、世界に誇れることである。

宗教者の教育においても、破壊的カルト、マインド・コントロールの実態を伝え、信徒らに警戒させ、もちろん自らはそんな手法を使わない倫理を持たせることは、必須だと思われる。

 

最後に、ロシアにおけるオウム真理教の報告、オーストラリアにおける活動の報告は、類例もなくきわめて貴重な資料である。翻訳された志村氏に敬服する。


 

コメント49 ● 高 裁 判 決 公 判 − 感 想

                                                        ――2004.6.19 104号より

 
 一審で、求刑が死刑だったところ無期懲役、それに対する検察官の控訴、死刑求刑という経緯だった。
 判決は、午前10時から12時まで、主文は最後に言い渡された。

 「原判決を破棄する

刑事訴訟法400条但書により自判
  被告人を死刑に処する」

 

呆然としてしまった。弁護側も、親御さんも、証人に出た私どもも、そして検察側、被害者の方も、呆然としていたように感じる。

「ひょっとしたら」というおそれは持ってきたが、そんなことはないだろう、とまず誰もが思ってきた、と思う。

 判決文は、早川被告の高裁判決52分よりは長く、120分かかったが、最後の20分あたりで、次のように地下鉄サリンで彼がしたことを詳しく認定し「少なくとも実行犯と同等の責任があり、それだけで極刑を免れない」というような言葉が数回出てきて、あああっ、と思った。

・ リムジン車内でサリンを言い出す
・ 運転手役が必要だと指摘した
・ 松本から決意の固さを聞かれ、答えている
・ 10人の名を松本から聞いている
・ 運転手役の5人の名、集合場所を伝えている
・ 各2人で詳細を詰めるよう指示している
・ 自分の携帯電話番号を伝えている。
・ お金を配布している
・ サリンが届かず上九一色まで取りに行き、松本からたしなめられている
・ カサを購入している
・ カサの先を尖らせる作業を手伝っている
・ 松本は、東京では井上と協議するようにも言っている
・ 傘など証拠隠滅を図っている

 

だが、「しかしながら」と判決文が進むことも、一般に少なくない。

事実、高裁でも被害者・遺族らから積極的に死刑を求める証言は出ず、かえって被告人との接見を希望する遺族もおられたのだから。
 
 被告人の汲むべき事情を確かに述べ、だがそれでも最大限汲んでも、として死刑判決でした。

 検察側の主張は、2つの点を入れたのみです。
1−仮谷さん事件について被告人も逮捕監禁「致死」罪であること、
2−地下鉄サリン事件について単なる連絡役でないこと、
を入れて、一審の判決文をその限りで書き換えた。

 つまり、検察側は
1−VX3事件で「現場指揮役」だと主張したが、それは新実被告だけだと

していれず、
2−青酸ガス事件は無差別大量殺人の意図だとしたが、実態と行動からして大規模テロを目指したとまではいえないとし
3−反省は自己保身であるとしたが、真摯である
4−地下鉄サリン事件において、松本から指示されておらず、「現場指揮者」

とは言えない
としました。

 判決の週の月曜日、彼に面会したとき、彼は 

   「どんな判決にしても、私のような者に対してありがたかったです、

浅見先生、西田先生、滝本さんらに気にしてもらって、仮谷さんに

直接話してお詫びする機会もできて、ありがたかった。ありがとうございます」

と言っていた。

 

ああ、事件の重さを日々感じている、と思っていた。


コメント48 ● 陰 謀 発 想 と 世 論 

―― 第102号より 2004.6.19

うーん、「陰謀だっ」との発想をされる人、意外に多くいるんだなぁ、と思った。
 もとより、電磁波系(差別用語だという人がいるがそうではないと思う、
   「自分宛に電波が」
 と言い出す現象面での表現だから)の人が言うだけならば、まだ分かる。

 だが、4月のイラクの日本人拉致事件で出たように、

一方で「自作自演だ」「サヨク」「連合赤軍の関係だ」

一方で「政府の扇動で自作自演説・自己責任論が出てきた」

とか、通例、まともな方なのにそんな発想をする人がいる。

  もちろん、事件とか新事態があったときには、あらゆる可能性を設定しておく必要がある。陰謀は確実にある。


  記憶にあるのは、オウム真理教の昔の48時間掲示板。
これはオウム真理教側の自作自演があるだろうと設定し、実際そうだった。つまりは勧誘の場であり、
それができないとき閉鎖に至った。その裏マニュアルもあった。
現役なのに知らない振りをして工作していた「河上イチロー」騒動もあり、これは暴露前から激烈に批判した。

(おーい、元気ですかぁ。それからハシシさんどうしてるぅ? 心配)。

 だが、自ら、事実に基づかない、事実を調べないままに書き連ね、時には根拠の弱いままに自分の意見に
合う情報のみを呈示して、確言する人がいる。マスメディアで発言するまでする人もいる。
いよいよ「知識人の底」が見える時代になったと思う。

 「サイレントマジョリティー」というものが、ネットの書き込みを見ることによって相当程度分かるようになってきた。
 一部の誹謗中傷のたぐいはどんな立場でも相手にすべきものではないが、ただそれが出てきた背景、
反論や戒めがどこまであるかで、世論を見る指標とできる。

 

底流にある国民の意思こそ知ることができる媒体となったのである。

 


コメント47 ● 興 味 あ る 過 程

―― 第101号より 2004.6.19

 

 2004年4−5月の3週間くらいだったか、ヴァジラティクシュナー正悟師こと野田成人君が、掲示板を開いていた。5月10日午前0時にて閉鎖。

本人いわく(最高実力者?)とかの質問に対して「そうじゃないから閉鎖」が書いてあった。そりゃ、軽すぎましたからね。


 実際に閉鎖。驚くべきは、ほとんど同時に、オウム真理教のホームページからも、野田君が書いていたエッセーの類がなくなり、

http://www.aleph.to/ 正悟師紹介のページからも削除されている。チッタカ正悟師のときと同じ形ですなぁ。

野田君「修行」に入れられたか。

 

さらには、程なくして「聖者」の欄から残る4人の正悟師の紹介、エッセーも削除。さては、

「魔境」とまで言われてイジケていたと漏れ聞く上祐さんが復活工作、止めたのか。人形劇は上手になったのか。

一つの宗教現象としても興味深いものです。

 

まさか「ユキノ」さんが日記と前記掲示板に書いていた下記抄本の暴露?が原因かあと思ったり。

http://yesnono.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/imgboard.cgi

采配を振るう者がいない 名前: ユキノ [2004/05/07]
 しかし、サマナや元師現サマナの邪淫や飲酒はともかく、何故同じ邪淫でも、

VT正悟師やA正悟師やU正悟師はC正悟師みたいにサマナ見習いに格下げにならないのかが不思議。

真面目な信徒はよくやってるよなあ。
 裏を知っていて隠すことが平気なサマナや法友見て、ガク然として醒めたけど、周りは関係ない、

と思えれば続くのかもね。戒律ぐらい守れないとサマナになれないと思ってた。ダマされた(笑) !
 尊師路線に戻したとしても、どうなるか。誰も上の指示を仰げないのかな。

破戒して平然と開き直るヤツに言われてもって感じかも。
 サ長がパフェ食べるぐらい、かわいいモンだったよね。「徳積んでるから」いいんでしょ。

逆にやり込められちゃった。大したもんね。でなきゃ大きな顔して残れないよね。

 


コメント46 ●−イラク・北朝鮮とオウム

−第90号より−2003.4.12

さてさて。

支配者
オウムは、人を殺させ、ウンチまで食べさせた絶対者から、麻原さんを床の間にあげた権威をかさに持つ支配。カリスマ支配はどこまで行くか不明。だが、本人も麻原さんをグルと仰ぎ迷い?
その権威は、麻原さん認定の「正大師」。啓示を聞いたなぞは一部サマナに笑われてもいる。哀しい程に。

民族
世代の違い、事件発覚前・発覚後、そして在家・出家のしょもないプライドがある。

歴史 省略

武力
現在はなし。んだが、優しい日本社会、ガソリン、マッチそしてマッチ箱でできることは無限大。問題は各人の心理状況。

攻撃性
取り戻し工作としょもないダミーサイト、ダミーサークルでの勧誘。放置すれば「コロニー、監禁、薬物」での内部の事件から。

周辺国
「狂気の宗教」の扱いに慣れた日本、と言う土壌。これはアメリカに比較しても自慢していい歴史の重み。近隣住民の云々なぞ、圧迫と言うには恥ずかしい。

外国資本、資源 なし

知的水準、教育
そういう問題ではないですね。寄稿「正義への幻想」は、意外に深いかとも。

貧富の差、困窮
実は矛盾を抱える内部。「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」というが、どうなっていくか、どうして行くか。

身分差別
プライドの張り合い、見ていて情け無い。

思想
対外的に麻原さんの「ヴァジラヤーナ」を封印したと宣伝。孫悟空でもないのに「封印」とは。表面の教義で言えば、麻原さんの言い出した大乗という名の「救済主義」
「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする」の陥穽には、すなわち、麻原さんの真の教義をなかなか理解しない信者さん。

反米 んこと言っている暇はなし。

将来性
放って置いても、消えてはいく。実は、軽蔑されている。教祖自らタナトスに支配され、無差別殺人はもとより殺人をした教えというものが残った例はなし。

だが、残る信者にも1つ1つの人生。ご家族にも人生があり、折角の宇宙の一員、なんとかせにゃ。

以 上


コメント45 ●−イラクと北朝鮮−2

−第89号より−2003.4.12

資源、
・イラクには、石油
・北朝鮮には、めぼしいものなし。

経済力、
・イラクは、基本的に大きい。おおくは1次産品、石油ぐらいか。
・北朝鮮は、ひどく遅れている。放置すれば崩壊。

国民の知的水準、教育−ようわからん。識字率はどの程度??
・イラクは、外国のことを知る者が多く居そう、言葉にしても、
・北朝鮮は、皆目わからない。外国のことを知る人はごく一部だろうと。

貧富の差、困窮。
・イラクは、差が激しい。ただ、貧困層でも都市では飢えている人はごく一部では?
・北朝鮮は差もひどく、餓死者またはこれに近い人が多い様子、都市でも。
−金正日より、多くの日本国民の方がうまいものを食べているのではないか。

身分差別
・イラクは、よく分からん。フセイン周辺や一部のほかは、意外に官僚的な上下かなあ?
・北朝鮮は、成分による24?の差別。

思想
・イラクは、フセインが言わずともイスラム支配。しかしイランとかに比べれば西洋的。んで、支配されていると言う自覚は少なくない国民にあるのでは?
・北朝鮮は、支配者が支配思想を作り、洗脳している感じ。崩壊した後の対応は困難。

反米
・どちらも、ただイラクはアメリカ文化に対する憧れもあるのでは?

将来の経済的、世界への影響力といった発展性
・イラクは、今のままでも放置すればある。
・北朝鮮は、放置されても、無し。

−さて、その上で、次号で、オウム真理教を考えてみる。−−


コメント44 ●−イラクと北朝鮮−1

−第88号より−2003.4.12

イラクと北朝鮮のことで、何かとオウム真理教との比較を求められることがある。その前に、両者の違いを見ていくべきだろうと思ってます。んで、下記の通り。つたない知識で書くので、間違いを心配。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
支配者−どちらも絶対君主で、カリスマ支配。んだが、
・イラクは民主的正当性も求めている感じ。
・北朝鮮は前の主人に権威を置く2代目ということで伝統的支配の正当性を目指しているかと。

民族
・イラクは多民族、宗教もいれれば尚更に、んで内部紛争が多い、支配者の支配権も支配は全土にわたっているものではない。
・北朝鮮は、ほとんど単一民族。支配は北の全土にわたっている。同一民族の南がある。

歴史−ようわからん。
・イラクは、やたら旧い歴史はあるがそこから断絶しているのでは?
・北朝鮮は、外部列強からの次々の支配、または強烈な影響を受けてきた。

武力
・イラクは湾岸戦争、その後のことで多いな減退、しかし放置すれば復活していく。
・北朝鮮は、明らかにジリヒン、ただソウルがやたら近い。核弾頭開発。

攻撃性
・イラクは、クウェートを先年支配したが撃退される、米軍がサウジやクウェートに居れば、当面その要素無し。
・北朝鮮は、攻撃的。ただ今はその実力が無いだけ。南との戦いは続けてきたが、力は落ちていくばかり。

周辺国
・イラクには、周辺に張り合いながらも、同情的な国また国民が多くあるのでは。
・北朝鮮には、そんな国、国民はなし。日本、韓国も含めて巨大な国ばかり。南と言う崩壊後の頼りはあるが。

外国資本
・イラクには、外国資本が入りたがっている。今はフランス、ロシア?
・北朝鮮には、外国資本は、このままでは入る価値なし。


コメント43 ●−現役さんが呼んでなければおかしな本

−第87号より−2003.1.18

「大義なきテロリスト」
ーオウム法廷の16被告 佐木隆三著  NHK出版 1600円  2002.11.25

オウム裁判の状況が、いまほとんど報道されていない。ここ数年間、死刑判決が続出するまでの間、実に多くの法廷で、いろいろな証言があった。

佐木さんの本−まさに日本の法廷からの記録小説を始められた方だけあって、読みやすい。この本は、まさに記録的なものだが、それに止まらない。その透徹したそして厳しい見方には、畏怖も覚える。少しの間違いはあるが、オウムとは何かを、あくまで追究するために購入して、読み、持っているべき本だと思う。元サマナ、信徒も、御家族も、もとより、現役も。

アレフは、この本を含め、
・ オウム法廷連続傍聴記 4冊?  佐木隆三 小学館
・ オウム真理教裁判傍聴記 3冊? 江川紹子 文芸春秋
・ オウム「教祖」法廷全記録1−5 毎日新聞社会部編 現代書館
・ オウム法廷 6冊? 朝日新聞記者降幡賢一  朝日文庫
ああ 「オウムをやめた私たち」−カナリヤの会編 岩波書店

ぐらいは、各道場に置いてみたらどうでしょうかね。
んで貸し出し、読書を進めるとかね。

まあしないのでしょうけれど。

事実を見ようとしない、見つめ続けない「記憶修習」っなに?


コメント42 ●−上祐の神格化をどう捉えるか

−第86号より−2002.11.9

着々と神格化が、まあすすんでいる。いわく、上祐が訪れるとなんか特別な雲が現われるとか、煩悩的になっていたとき上祐に指摘され、すると突然雷(アレフが主宰神としているシヴァ大神の象徴中の象徴とのこと)が鳴り出た、小雨が降り始めたとか。

ホーリーネイムの授与も始まった。誰が「正報師」への認定をするのか、啓示があったとかいうのかなあ。メールマガジンも出ている。8月1日には『上祐史浩が語る――苦悩からの開放』という本も出た。発行は東山出版というオウムも認めるサマナの会社、発売が白順社といってこれに協力した模様。興味深いのが、この本の中では「麻原」の一言もなく、あえて質問に答えるとの中でも「前教祖」などとしていること。

一方で、10月6日、日本テレビ『真相報道バンキシャ』では、オウムへの潜入取材。道場で、麻原さんのビデオが放映されていること、その3次元映像?まで紹介されてしまった。ヨガ道場から、オウムへと言う勧誘は、今も続いている。隠しカメラで撮影された。決定的。オウムと明かすのが確か132日目だったか。凄い潜入取材だ。

それにしても、他心通のついてないナントカ師であり、説法をしてしまう上祐さん。

上祐の権威・権力は、あくまで麻原さんの権威と説法を元とする外ない。


コメント41 ●−「 奇 跡 」 の 罪

−第85号より−2002.11.9

4月28日、NHK総合放送で「スペシャル−奇跡の詩人」という放送があった。

脳性麻痺の子どもがドーマン法により奇跡の成長をし、母が手を添えることで文字盤を指差し、素敵な詩を次々と出すという。偶然、見てしまった。

「奇跡」の証明は全くされていなかった。母は、文字盤を右手でパタパタ子どもの左手に打ち付け、子の左手は母の左手で上から持たれている。子の目は文字盤から離れ寝もするが、母はしっかりと見ている。

「奇跡」でないのに奇跡と信じたような担当者たち。何を嵌ってしまったのか。組織として訂正することが出来ないままのNHK。

黙っていることは出来ず、ネットで知り合った多くの方の協力を得て、6月末

「異議あり!奇跡の詩人」(同時代社、1300円)

という本を出した。こだわったのは、ドーマン法が、有意な成果のない民間療法でありのに、金銭的な多大な負担を負わせつつ、かつ本人に24時間の辛い訓練を強いるからである。

麻原さんの「空中浮揚」宣伝も、それによって格別の違法行為もしないならば、違法行為をする組織を作るのでもなければ何も言わない。別の人がなんか2メートルとか空中浮揚するそうだが、トラブルもなさそうなので文句も言わない。自分の子が信じれば説得するが、職務とは関係がない。

「奇跡」を言うことは、ときに罪を増大させる効果をもつ。


コメント40 ●−「 慣 れ 親 し み 」

−第84号より−2002.11.9

これって、なかなか魅力あるものです。「既成事実」の重さというか、その環境から抜け出ることの恐怖というか。

ドメスティック・バイレンスとか、不倫関係につき別れたはずなのにやはり戻る男女とか、また刑務所を出たのにまたすぐ無銭飲食や窃盗をする人を見ていて、そしてオウム関係を見ていて、つくづくこの重さを感じる。

10月15日、北朝鮮から5人の拉致被害者が帰ってきた。10月28日に戻る筈だったが、世論により戻らないこととなった。これからが心配。残してきた子どもらのことだけではないし、「洗脳」の重さだけではない。北朝鮮の生活に慣れ親しんできただろうからである。
(なお、北朝鮮のしてきたことは本人の了解のものとではないからマインド・コントロールではなく洗脳だろう、その方が溶け易いものである)。

時間が経つにつれ、20数年間の日本での生活がなかった重さが肩にのしかかってくるだろう。戻りたくなる気持にもなってくる。

「慣れ親しみ」それは大変な誘引力を持つ。親御さんらは、戻ってきて仕事の1年もしていれば多く安心してしまっている。そういうものじゃない、ということの認識が改めて必要だろうと思う。


コメント39 ●−「 偽 善 活 動 」 に つ い て

−第82号より−2002.3.2

11ページには、上祐の文章を掲載した。謝罪といっても、被害者の所に来たのではなく、ネットとメディア相手。信者さんには慈善活動として支援を求めている。アフガンへも衣料を送ると。また1月30日の朝日新聞を初め、メディアが上祐氏を取り上げ始めている。

(嘘をつくのがワークの上祐さんの 言葉を、批判的でもなく出すなど、 信じ難いメディアの堕落。)

一方で、デイリーアレフの3月15日

「◆宝石の言葉◆−完璧な教えがある以上、その完璧な教えの全体系を、まず初めは疑問を持ちながらでも構わないから理解し、そして、自分の中でしっかりと論理的に分析していく訓練をすることの方がわたしは価値があると思う。」

内部ではいわずもがなで麻原さんの教えを「記憶修習」し「グルとシヴァ大神と…」の立位礼拝を続けている。

3月16日、地下鉄サリン被害者は記者会見をした。代表の高橋シズヱさんは述べた。

「加害者が被害者に慈善活動とは勘違いもはなはだしい。オウムは被害者に賠償金を支払う義務を果たしているだけのことです」と。「アフガニスタンの人たちを哀れみながら、オウムはまさにこのような状況を地下鉄サリン事件の被害者に今も与え続けていることを全く自覚していないのです。このアフガニスタンの厳しい状況を地下鉄サリン事件の被害者の状況に置き換えて、そっくりそのままオウムにお返しいたします」

と。そして

「現在のオウム真理教は、数々の事件を深く考えることなく、心から反省もせず、被害者に誠意ある謝罪をすることなしに、事件当時と変わらない団体生活を維持しています。オウムが組織的に存在すること、信者が団体で生活すること、その代表が上祐史浩氏であることに、多くの人たちは恐怖と不安を抱いています。特に私たち被害者は、テロ事件を再び起こす可能性をもったオウム真理教に強い恐怖を感じます。オウム真理教がいかに名称を『アレフ』と変えようと、テロ事件を起こしたオウム真理教の延長上にあるオウムに変わりありません」

「事件当時の幹部信者たちは、今も上祐氏を筆頭に幹部としておさまり組織固めを着々と進めているのです。事件に関与した信者たちは知らず知らずのうちに危険な教義にはまり込み実行してしまったわけですが、今の信者も同じような状況にいるのではないでしょうか。団体規制法による観察処分は、来年に見直されるはずですが、このようにオウムに対する不安が充満しているのですから、当然のこととして厳しい監視が続けられるべきです。私たち被害者は、オウムが再度観察処分に付されることを要求します」
と。

「偽善活動」も、何もしないよりはいいという考えに、本来、私は立つ。しかし、絶対的な真理を求めていたはずの信者さんには問いたい。「そんな偽善活動を、よくもまあできますねぇ」


コメント38 ●−「社会復帰」について

−第83号より−2002.3.2

3月30日、九州大学医学部が、オウムの元幹部だった元ヴィシュカンビン正悟師に対し、入学を取消したとの報道が流れた。読売新聞によれば、文部科学省も、手続き理由とも了解できると言う。

ショックだった。本人らの考えも甘かったろう。たしかに、彼の法廷証言は歯切れが悪かった。もっとも大切な、薬物で死亡した方への謝罪を直接せず、全ての体験した事実を公表せず、現役信者へのメッセージも出してこなかった。

しかし、そんな状態はよく理解できるものでもあった。彼は彼なりに悩み、後遺症に苛まれながら空元気も出し、オウム体験を総括しようとしてきた。立場上、元信者とも容易に話せない。

彼は、現世のさまざまなことと出会い、法学部でのゼミとゼミ旅行で知った「薬物依存」の治療に身を投じようと考えた。「医師ならば、人と闘わず、病気とたたかえる。それで、最終的に受験を決意しました。」とのことだった。

付言するに、彼や青山元弁護士を地下鉄サリンで起訴するのは無理だった。事後のマントラ伝授などの際に彼ら2人はおらず、共謀はない。後藤元代議士の力でもない、単に起訴するに足りる証拠はなかっただけである。彼の地位を殊更に言う麻原弁護団は、麻原さんの責任逃れか引き延ばし作戦に過ぎない。

彼は、これから更に総括しなければならない。それは勿論である。しかし、彼の弁明も聞かず、どうして入学取消しができるのだろうか。彼がその後何をしてきたかを知ることもなく、どうして入学取消しができるのだろうか。

先日、龍ヶ崎市の麻原さんの子らの授業参観には、元アーチャリーさんらが保護者として出席した。他の保護者らも喜んだという。その生活費用の問題など推測もあるが、「人権派」ではなく、多くの親御さんらの愛情でこそ、松本さんちの子の悲劇も回復しつつある。

この4月から、とある20代の女性らが、夜間中学校に入ることができた。小学校時代に出家し、約10年の空白があった。カルト心理とケアーへの深い理解が望まれる。一方、東京都の夜間中学校担当者は、問合せに対して、言下に夜間中学校はそんなことのためではありません、などと言う。東京都はひどい。厚生省通達さえ無視をするその態度。

どうぞ、深い理解の上で、一人一人の社会復帰を、宜しくお願いします。それこそが「オウム真理教」と言うものと闘う最前線なのだから。


コメント37 ●−デーヴァ師補のしてきたこと

−第81号より−2002.3.2

以下は、世田谷区の烏山本拠地におり、近時、力を増しているカーマ・アニッチャ・バンニャッタ・パンニャーヤ・ムッタ・デーヴァさん(長いなあ)が、過去、信者でないはずの「オウマー」と称し、河上イチローとして偽りの行動をしていたときの私へのメールの一つです。私がサマナの偽りサイトだと考えて批判してきたので、激しい闘いでありました。

-----Original Message-----
差出人 : KAWAKAMI Ichiro <aasasaa@baynet.or.jp>
宛先 : takitaro@yha.att.ne.jp <takitaro@yha.att.ne.jp>
日時 : 1999年2月14日 6:33
件名 : メールでははじめまして。河上です。

メールでははじめまして。河上イチローです。今回メールを差し上げたのは二点あります。

1 以前のページのお詫び
 以前、滝本弁護士を強烈に痛罵するページ等を作り、そのような発言を繰り返してきましたが、現在、滝本氏が「オウマーはオウム信者ではない」ということをはっきりと認識なさっているので、失礼にあたる記事は削除したいと思います。近日中に削除しますので、以前のご無礼の段はご寛恕いただければ幸いです。

2 取材のお願い
先日出版いたしました拙著『サイバースペースからの挑戦状』の第二弾を執筆することになり、滝本太郎弁護士のコメントもいただきたいと思っております。 主旨は、最近のT-Cup掲示板連続削除事件についてです。当方の都合でまことに申し訳ないのですが、主にメールでの取材でお願いできないでしょうか。お時間の空いているときにちょこちょこと(掲示板に書き込みされるような感覚で)書いていただければ幸いです。

滝本さんへの質問事項は追って送付させていただきますが、主に「あの一連のページは、オウマーページが大半であって、オウム信者のものでないものが大量に潰された」という証言をしていただきたいと思っています。

また、この一連の削除事件の背後に警察の動きがあるというのは本当でしょうか。これは滝本弁護士とは関係ない記事で書きたいと思っているのですが、滝本弁護士なら知っていることがあるらしい、という話を聞いたもので、ぜひおうかがいしたいと思います。もちろん、私も無鉄砲なことをやるつもりはないので、情報の扱いに関しては(アドバイスはもちろん喜んで聞かせていただきますが)ご安心いただければ、と思います。

なお、前著をまだお読みでなければ、ぜひ送付させていただきたいと思っております。その場合は、送付先住所をお教えください。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。

河上イチロー"Der Angriff!" −−『サイバースペースからの挑戦状』−−雷韻出版 1400円


コメント36 ●−岡崎被告−控訴棄却

−第80号より−2002.3.2

2001.12.14
共同通信と毎日新聞には、事前に言われたので、渡した感想です。多分、どこにも出ていないのだろうと。会見なぞする気にならなかった。裁判長、やたら大声で読んでいた。30分でした。

―――――――――

死刑とは、人一人を殺すことなんだという悩みと重さを感じられない判決でした。岡崎被告のしたことは少しも許せないことだが、悔しいけれど、麻原に利用され、価値観を変えさせられて、子供となっていた人たちがしたことでした。9回の面会でつくづく感じました。

死刑にはして欲しくなかった。必ずや最高裁に上告し、最高裁は麻原被告らの上告があってから、同時に判断して欲しい。

それにしても、死刑と無期懲役の間が大きすぎると思う。80歳まで仮釈放のない刑罰とか、終身刑があっていいと思う。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 以 上


コメント35 ●−A君日記へのレス

−第79号より−2001.12.22

A君の日記−http://araki.aleph.to/diary/index.html
小うるさ掲示板−http://www.nutz.co.jp/bbs/bbs.cgi?num=1822

2001年11月12日
通りすがりの旧総本部

『昨日、今日と、たまたま、本当にたまたま、二つの旧教団本部跡の近くを通った。……95年、喧騒の1年を過ごした、南青山の5階建てのビル。…… 喧騒と、ただただ混乱。……わたしたちは、一体何と闘い、抵抗していたのだろう?……
場に刻み込まれた過去の記憶が動きはじめ、流れ出す。その一方で、締まりなく宙に浮いた虚ろな時間や、今、そこで営まれている生活の時間がある。それらは、もう、わたしの手の届かないところに行ってしまった。
>そして、今こうして生きている、現在のわたし。
>空間の断絶と時間の逆流の、狭間に立ちすくむ。
>さて、―― 一体わたしは、どこに向かっているのでしょう?

−−−−−−−−−−−−

で、小うるさおじちゃんこと滝本太郎

>うん、麻原さんの教えを記憶修習し、追い求める限り、
>マリアナ海溝に落ちていく解脱へと。
>現世で言えば先達のように。
>でなければ内側に向いて自滅へと。
>まやかしの化粧をした泥船に乗ったままなら沈んでいくばかり、かもかも。

愛のないレスでしたね。どもっ、ごめんなさい。

お口直しに、

11.19未明の獅子座流星群を見て

○ 痕跡の 白さは現世 うつせみのその美しさ 忘れがたしき
○ どの星が 誰かと問うて 流れ落ついままた命 生まれいずるか
○ 13回 星の間に間に 描き出す顔々のなか そのほほ笑みを


コメント34 ●  イスラム原理主義の自爆テロとオウムの違い

−第78号より−2001.10.6

烏山掲示板(URL: http://www.mail-st.net/cgi-bin/oum/bbs.cgi)で、かなり重要な問いがあり、9月19日にレスしました。転載します。

>七誌さん
「実行犯達はラディン氏にマインドコントロールされた純真で真面目な人達だってやはり言う人がいるのかしら?小説をあまり読まないからテロ組織に入ったとか、いいところのお坊ちゃんでシュークリームをはじめて食べた時の感動を知らないからテロ組織に入ったとか、やはり言うのかしら?」

以下、レスします。

イスラム原理主義の一部のこのようなテロの場合、オウム真理教と異なるところが、3つ大きくあり、それ故に実態面も2つの面で異なるだろうと思います。

1−資本主義国また欧米の搾取ないし植民地化という歴史的由来。そしてアメリカらによる搾取への恨み、生活面における絶望状態を直接体験し、又は直接知るという背景、すなわち経済問題。

2−もともと内戦、旧ソ連からの侵略その他での、みずからも他の者の命も軽い感覚、目には目をの感覚、そして現実のアフガンのみならずイスラム諸国への攻撃。

3−これらの土壌の上での、原理手記の選択、それを利用してのテロリズム、報復、攻撃。

すなわち、イスラム原理主義は、テロリストにとって、自らを正当化する手段として選択されたものであり、何も「イスラム原理主義」でなくともかまわないものだった、と思う。

対して、オウム真理教は、麻原が作り、麻原と彼が作ったマインド・コントロールのシステムのもとに、対立者の殺人さらに無差別殺人まで敢行したもの。

そんな差異からして、またその証拠として、オウム真理教の事件と大きく異なるのが、自爆テロは末端の者が多くするものと思われ(今回は大型飛行機の操縦ということでそれなりに地位があるかと思うが幹部ではなかろう)、一方でオウムはマインド・コントロールされ尽くした幹部信者こそが犯人となっている。

更に、ラディン?グループは、組織全体にアメリカらに対するテロ是認の意思を普遍化しているが、オウムはその目的はヴァシラヤ−ナの戦士に限定された犯罪であり、殺人、無差別殺人となれば尚更に限定された幹部の中での思想となっていた。

まあ、アフリカの一部地域での子供を誘拐してのテロ育成のような場合は、大いにマインド・コントールされたものとして「期待可能性」がなかったので、責任−非難可能性−を減じられるべきものと思うが、その他の場合−報道されている何人もの被疑者とか−は、マインド・コントロール理論は適用できないでしょう。

万一仮に弁護人であれば、経済的な問題、近代の問題、植民地問題などをして、説得力がなくとも、情状酌量をねらうこととなるかと。国家外であり、裁判となりようがなく、対応が難しいのだが。

以上の通りレスしました。以前から十字軍とか、通例の宗教的確信による犯罪、とか連合赤軍事件などの比較とか、興味深く思ってきました。似ているところもあるが、やはり違うところが相当にあります。


コメント33 ●  一 日 一 歌

−第77号より−2001.10.6

一日一歌を作っています。ご参考までにネットの掲示板では他の方の歌も多くありますが、まだ了解を得ていないので、今回は窓口のだけ。よろしければ、どなたさまもお寄せください。

2001年8月28日今年7月の上祐説法について
K1の 了解えても K2の 承諾なくて 大丈夫?
K1は 羽根三枚の こうもりチュ− 社長はずせば K2許さず
K2は 安心すべき はずすなど できぬ相談 弥勒さん
弥勒さん 今こそカルマ 心配を

8月29日
Kはコー 1はアンでて 2はチョー 組織のために 互いの遊戯

9月2日夜9月2日の上祐サイトの開設について
わしゃ知らん 言えない予測 危うさに 祝福あれよ 命の重み

9月4日
踏絵をば 国家はせぬのに マイちゃんが 今頃する カルマの法則
マイちゃんの 踏絵の形を 知らずして 嘘をつけぬは 真解脱かな
中堅の 幹部放逐 マイちゃんの Sぶり素敵 チュッチュッチュッのチュッ手のひらの 上で遊ぶは マイワールド シヴァ神の顔 国に似ていく  
マイちゃんの 主観と客観 混乱し そなた使命 おおもっとして
居心地の よさに溺れて 正悟師ら 初心にあったは マイワールドか? 

9月5日
生きている 不思議死んでく不思議こそ あう感覚だあ 死の教えより

9月6日
危険をば 分けたいからか とも踏絵サマナ顔入り 支部サイト立ち
代表を 言うなら自身 泥かぶれ 末端こそが外と接する
鉄板の 部屋とヘルメで あなおかし 軽蔑なぞはせぬジカイだが

9月10日夜
亀戸の 事件も抜いて 経歴書 嘘つづけたも 書くわけいかず 
支部長が 配るテッシュ 哀しさよ 刻むマントラ 納得のため
認知的 不協和理論 単純に まさに真理と 考えつづけ 

9月14日−9月11日
−アメリカでの旅客記同時多発テロについて
戦争だ 今更なんだ トップのお方 相手もともと しているつもり オウムと同じ(7字余)

9月17日
指導者も 言う国民も まず死なず 死地に赴く名もなき青年

9月19日
アフガンの 民の姿 画面に出ず 板にも書けず ただ待つのみか


コメント32 ●  死刑は、人を殺すこと

−第76号より−2001.8.21

本号は、岡崎一明被告の高裁傍聴記録で、ほとんど総てをしめてしまった。長くなってしまい、申し訳ない。ちなみに、絵は描者氏曰く、格好良くなりすぎたとのこと。

麻原さんの裁判がまだまだ一審である中、他の重大事件の被告人の審理は着々と進んでいる。

中でも、この岡崎被告。すでに高裁の審理が始まったが、裁判所は、窓口滝本の証人尋問を認めただけで、他の証人申請はすべて却下。しかも、滝本尋問でさえ直前になって主尋問15分などという。証人自身が抗議の意志をもち、いかっていることを伝えてもらい、なんとか1時間程度。

いったい、裁判所は、「死刑とは人を殺すこと」「ただ、国家の名において」であることを、どのように考えているのか。

人ひとりを自らの判断において死なせる重さが、あの裁判の訴訟指揮からは感じられない。いよいよ謙虚になるのが裁判所のはずだと思っていたが。

マインド・コントロールのマの字も、カルトのカの字も検討しないままに、どうしてオウム事件を審理できようか。

死刑は永遠に存続すべきものと考える。人は素晴らしく、又底しれずおぞましいものだから。

そう、死刑を求める心を含めて。

運用として改善すべきは、関与した裁判官・検察官は当然に執行に立ち会うとか、とも思う。人ひとりが死ぬのだから。


コメント31 ●  価値相対主義の陥穽T、U

-第72、73号から−2001.5.9

インターネットの有田さんの掲示板−http://www80.tcup.com/cgi-localbin/8008/yoshifuarita.cgi−で、「みるみか」さん外と価値相対主義、天皇制などにつき、議論してます。
「あらゆる価値は相対的なものであって優劣、善悪を深く問わない考え」というところでしょうか。

私の5月6日の書込みの一部を載せます。
>とあるのは引用したみるみかさん書込みです。

>貴方は”自由”のみを至上の価値と見ているよう
>だが、”使命”の中に生きがいを見出す人もいる>はず。
一般論としては同意。

>そりゃあ、若かりし頃は多くの葛藤があるでしょ
>う。−−−-しかし、それを悩みぬきどのように>今の人生を−−−
このあたりは、論理のすり替えです。私は、(天皇や皇族の人達に)人生選択の自由がないことを問うています。本人が、諦めの境地に達すれば、幸せかもしれませんが、「おしん」ではあるまいに、そのこと自体で元の人権侵害を軽視するのは、私の指摘に正面からの答となっていない。

>例えば、私が農家の人を「田舎に住んで、毎日土
>ばっかいじって可哀相。」と言ったらこれ以上の
>人間に対しての侮辱はないでしょう?
たわけ発言ですね。職業選択の自由がある中でしていることです。それを可哀想と言えば、侮辱でしょう。しかし戦前の農家のように農家の嫁になるか、女工さんとかにしかなれないならば、『可哀想』です。それが例となると思っているのなら、お考えを変えられるべきと思う。

>だから、「同情するくらいなら(天皇に)感謝し>ましょうよ」と言ったのです。
ご自身の人の人権に対する無頓着さを示します。要するに、他人事なんでしょうね。

>突き詰めれば補足的な説明なんです、だって本質
>的な事を言うならば「天皇は天皇だから偉い」な
>んです。
うん、これだね。ご自身が論理的でないとして、私がもっとも批判している所が。それは所詮、右翼の街頭宣伝車の、大きなスピーカーの声と同じ感情論でしかないですよ。恥かしいと思わないのですか????

>そしたら貴方は「それじゃ、オウムの麻原と
>同じ」と言ってきたのです。
>その通り。そうなんですよ。
しょうもな。それでは、オウムの信者さんを批判することも説得する事も出来ないですね。いや、しようともしないのかな??

>でも人権もね、そうなんですよ。
>あなたはずーっと答えませんが、もう一回聞きま
>す「何で、人は生まれながらに平等なの?」
ああ、他の方も議論されていたけれど、阿呆らしすぎて答えていないものです。んなこと当たり前じゃないですか、「人は生まれながらに平等ではない、だからこそ平等になるようにすべし」が、憲法14条の趣旨です。例えば、知恵遅れの子どもは、普通の子、まして勉強の出来る子よりも手厚く教育ほするよう配慮しなけばならないのです。それでも、能力がたりないでしょう。だから福祉が必要なのです。

>プラス「何で猫とか犬は平等に扱われないの?」
人間でないからです。それだけのこと。ちなみに、オウムの論法と似てます、それ。仏教では、他の命も大切にする、人間と同じく、としてその上で、人の命は大切ではない、となったのがオウム。

>価値相対主義というのは人類の宿命なんですよ。
うんうん、歴史上、人の命も、当然に大切なものではなかったでしたね。今も各地で、各部分社会で大切なものとはされていません。その辺のことは、オウムを理解して貰うために1995.7に出した「マインドコントロールから逃れて」−恒友出版の後の方に書いてあります。でないと、オウムは理解できませんから。でね、だからこそ、「人類普遍の原理」に人権をとらえるべきものなんです。

>”決め付け”で社会は動いているの。「人は何故
>殺してはいけないか」もそう。証明出来ないけど
>駄目なものは駄目なの。
ああ、ちがうなあ。「人は時には殺してもいいもの」なんです。死刑と正当防衛、緊急避難の場合、場合によれば自衛戦争でもね。これを言う人は、あまりいないね。もっと、精密に議論して欲しい。そして、その他の場合になぜ殺してはいけないか、証明できるの。考えてみませんか、ご自身で。

>「何で」を繰り返されたら、何も言えなくなっち
>ゃうでしょ?。んで、人権もそうなの。決め付け
>なの、証明できない以上はそうなの。
なんか、ヤマギシズムの特講を思い出しますなあ。

>なーんだ、戦前と50歩100歩じゃん。
>人権なんて大嘘だー。
なんかなあ、しょうもな。50と100は近い。1と100は遠いよ。

>>権利の恩恵にあずかりながら、馬鹿をお言い
>>でない。
>だから、言ってないもん。
ごめん、やはり言っている。


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