滝 本 コ メ ン ト  64〜77


77  ●−「現実感なき者」  2008.8.15

 

セイラさん、コメント欄にぐちゅぐちゅ書かれているが、下記の貴方のブログにあるような貴方について、私はオウム真理教の信者さんと表現します。

 

信者であるままに、あまつさえそれを隠して、私や高橋シズヱさんの所にコメントしたりするなどについて「いけずうずうしい」、と言ってます。立場が明らかな野田や上祐よりも、もっといけずうずうしいかも。

 

ご自身が仮に精神的に不安定であって、場合によると後に辛いかもしれないが、今、外に表現している限りは、そう批判します。

 

http://blog.goo.ne.jp/seela_001/

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夢の示唆 2006-10-28 01:57:47 | Weblog

今朝は明晰夢をみた。

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私は外で、ふわりと1mほど浮かび上がり歩いている。横手から尊師が歩いてくる。

私は「ほら、こんなにながく浮かんでいられるんだよ」と言う。

尊師は『いくら浮かんでいたって菩薩になれるわけじゃないよ』と困ったような顔。

私はすとんと着地。

尊師は私の頭をなでて『そんなことよりだいじなのは、人に優しくできるかどうかなんだ。それが一番大事な事だよ。』と諭す。

 

尊師と私は手をつないで歩いていく。

向こうから、○○師がやってくる。『あれ、お越しになってたんですか?』と師は驚いたように言う。

尊師は『この子はわがままだからな。迷惑かけるんじゃないか?』と言う。

師曰く『貴方の血を引いています。慈愛心のある子です』。

 

私は「グル、私は貴方の子供なんですか?」と尋ねる。

尊師は、ぽかんと口を開けて『何言ってるんだ?当たり前じゃないか』と答える。

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以上が夢の全貌。

私は確信した。尊師の子供だったのであると。尊師の写真を見ただけで、懐かしさに胸が締めつけられ涙が浮かんでくるのは、やはり、前世からの縁ゆえだったのだ。

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道場で最期の立位礼拝 2006-12-17 00:18:18 | Weblog

夜に道場へ行き、立位礼拝をビュンビュンやっていい気分、いい気分♪

と思っていたら、サマナの方から通達が。

「今後は五体投地になったから、立位礼拝は家でやって」と。

 

…こうやって変わっていくんだな。新たなる教団に。立位礼拝は、グル・シヴァ大神・真理者勝者方と自分とが一体化して、ひいては、宇宙とも一体化して一切の識別がなくなるような感覚が好きだったけど。郷に入りては郷に従え、自らも変わっていかないといけない部分だろう。とは言いつつ、また涙が込み上げてきた。

 

修行方法がどう変わろうとも、真理を求める心が変わるわけじゃない。グルの本質とは何か?言葉ではない、言葉を超えた救済願望。

その本質を誤らなければ、唱える言葉が何であってもとらわれることはない。これからは、道場では五体投地だ!

 

道場外では、思い切りやろう。

「オウム、グルとシヴァ大神と全ての真理勝者方に帰依し奉ります」

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秋の陣 2007-08-09 22:18:11 | Weblog

いまさら浮上してくるなんて(笑) 誰が何の意図で、A派M派両方の報告書をネットに出したんだろう?話題提供のつもりだったのかな?

 

2005年10/14はXディ。Xディは避けられない日だった。分裂は避けられない運命だった。あの5時間は激しい時間だったなぁ。

 

あの日から1年10ヶ月。あの日、啖呵を切ったJ師も7月末で脱会された。彼女も色々と苦しかっただろうな。SB師はかたくななままかな。彼も救済心の高い聖者、心を開いて多くの人を受け入れてほしい・・・

 

「自と他の切り離しは教義に反しています。他の苦しみは自己の苦しみです」

凡夫にこんな事言われて不快だっただけだろうか?

私が彼に言った言葉は、少しでも彼の心に響いただろうか?

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76  ●−「白々しすぎるダミーサイト」-2005.9.3−119号から

 

http://blog.goo.ne.jp/skanda0302

 上記サイト、そこへのコメントにて注意喚起しようと思ったら、なんと、書き込めないと言うので、一部を転載します。

あまりに白々しすぎる。

ネットを馬鹿にしているのかなぁ、

夏のセミナーを終えて、燃えているのでしょうかしら。

功徳を積むために焦っておられるのですか。

おふざけもいい加減にして欲しいものです。

 

以下抄本、

>2005年08月16日 02時42分00秒

>サークル会員募集中!!  [ Weblog ]

>オフ会を行っています。

>当ブログをご覧になり、ご興味お持ちの方は会員登録を

>チベット美術鑑賞・ヨーガ式ウォーキング大会

>ヨーガアーサナクラスです。もちろんお茶会もあります。

>登録の際 @本名フルネーム 

>A生年月日または年齢と誕生星座

>B血液型

>C携帯お持ちの方はそのアドレスと電話番号(当日の連絡先の為)

>Dご住所(何丁目とかは要らないです。)

>Eブログをご覧になっての感想

>もちろん個人情報の一切の漏洩は致しません。ご安心下さい。

>簡単に自己紹介させて頂きます。

>名前 津宮佐絵子

嘘を言えっ、本名を暴露しましょうか ??

 

>2005年08月09日 00時36分51秒

>夏休みのお知らせ [ Weblog ]

>本日9日より15日まで、佐絵子のお気楽日記は夏休み

>更新もありませんし、コメントもチャットも出来ません

誰でも心に隙間があることがあるものです。

簡単に騙される方も居るので、注意喚起をしました。

 

75  ●−「 11 対 4 ? 」 -2005.9.3.−119号から

 

デイリースポーツというところに出ているのですね。

 http://www.daily.co.jp/newsflash/2005/08/14/183540.shtml

要点は下記。

――――

退いていた上祐史浩代表(42)が今春以降、信者と面談を繰り返したり、頻繁に会合を開いた。「正悟師」3人のうち2人は復帰反対派で、グループの結束強化に躍起。麻原彰晃の写真をしまうなどの「麻原隠し」を進めた。しかし反発も多く、03年10月に教団運営から退いた。集団指導体制に移ったが、信者から「指導力に疑問がある」と批判が噴出。職業安定法違反事件などで昨年7月と今年6月、5人のうち2人が逮捕され、今後を不安視。上祐代表は昨年10月ごろから、側近に指示し「問題解決には上祐復帰が不可欠」とするメールを信者に送らせ、今年2月にはインターネット上に会員向けのブログ(日記風サイト)を立ち上げ。信者を度々教団施設の自室に呼んだり、会合を持ったりして運営方針について議論を重ね反対派も頻繁に有力信者を集めて勉強会を開催。「上祐代表は麻原教祖の説法を曲解している。復帰は教団の乗っ取り行為だ」と反発を強めているという。

アーレフ広報部は「上祐代表の復帰は議題として取り上げられたことはなく、(上祐代表が)最近開いている集会は教団の正規の活動ではない」とコメント

うーん、

・ 集団を長く残すためには、「本音と建前」を使い分けるおぞましい上祐路線

・ グルを正しく継承していく宗教という(というか麻原は「単に真理を述べている」と言っていたのですが)正当性を維持するためには、原理路線なんだろう、と思う。

現在の支部状況は、原理:上祐=11:4でしたっけ ??

 

 

74  ●−松本智津夫被告の訴訟能力鑑定について−2005.8.19

 

麻原訴訟の控訴審

・ 8月末日の控訴趣意書提出期限の再延長は認めず

・ 公判期日の停止も認めず

・ だが、訴訟能力の鑑定は採用する

という見込みだのことです。

で、私の正確なコメントは下記です。

 

 世界が見ている麻原裁判は、より適正な手続でされたと歴史に残さなければならない。その意味で訴訟能力の鑑定をすることに賛成だ。

 松本被告は極悪非道の人物であると同時に、「オウム裁判傍笑記」の青沼陽一郎氏が言うとおり「最終芸達者」である。鑑定人は、被告人の今の状況のみを見て騙されないようして欲しい。

 被告人の驚異的な記憶力に基づく罪状認否、不当だが適切な証言妨害、それが受け入れられないと分った後の接見拒否、そして死刑判決の時の情けない態度などを十分に認識すれば、おのずから現在の状態をどのように評価すべきものなのか判明する。

窓  口

 

73  ●−「映 画 デ ィ ス タ ン ス」−2005.7.16

 

実はまだ見ていなかった、ビデオ屋さんで借りて見ました。本にもなっているみたい。是枝監督が脚本など、とのこと。良いです。

そりゃ、不十分なところもある。

・ 設定された修行内容と思想について、少ししか描かれていない。

・ 教団内の、無差別大量殺人までさせえたグルの絶対性が、分からないだろう。破壊的カルトでは、勧誘手法の凄さ、教団内の上下関係、睡眠・栄養・情報の制限があるが描かれてない。

・ 加害者家族が主なのだが、兄弟や配偶者が主で、親が出ていない。

・ 話が聞きにくいところがあるのだが、まあだからこそ写実的、ヘッドホーンをすればいいこと。

 

でも、うん、凄くいい映画です。

・  出家する直前のさまざまなエピソードなど、まさに身につまされる。オウムについては、多くの元信者、ご家族の話を聞いているが、登場した「加害者家族」のエピソードは、まるで見てきた感じ。 特に、靴とか、宮沢賢治本とか、知らなくて自分の感性で想像して描いたなら凄い話。だって、オウムでもあった話だもの。

・ 音楽がないのですね、後で気づいた。まるでドキュメンタリーのよう。水の流れの音、鳥の声などを拾うことができたのは素敵。ただ、信者である間はそんな音が聞こえないのですが−上九の富士ケ嶺にいたのに、富士山が見えたサマナ、鶯の声が聞こえたサマナは実に少ないのです−。

・ 実行犯が、「普通の人」ということを、良く分かってもらえるのだと思う。いや、普通よりいい人。

 

ああ、世田谷で先日話したときに、質問で「残っている人、純粋でいい人なんですが何で残っているのか」という質問があり、「ええ、いい人ですよ、あの忘れて欲しくないのですが、実行犯も実にいい人なんです、多くのエピソードを聞いても、そして面会をしても、私を殺してきた人を含めて率直にそう感じるのです。それがカルト事件の恐ろしさなんです。」と言った。

必見ですね、カルト問題を感じるには。

ドキュメンタリーではないのにドキュメンタリーと言ったりして誤解を招かせるのと異なり、このようなフィクションこそ、カルト問題の一面だが真髄をつかむと思う。オスス

メです。

 

 

72  ●−「殺し、殺され」  −2005.3.5-109号から

 

その1  うーん、うーん、オウム流のカルマ法則論議は聞き飽きたけれど、ここまで言うかなあ。

 「人を殺した側」という立場であることの認識が必要かと。

 まあ、年始、ウッタマー正悟師こと村岡達子氏が

「尊師の広大無辺な四無量心を忘れないように」

とかなんとか言ったようだし、不思議はないけれど。

-- Original Message --From: daily-aleph@aleph.to Thursday, January 13, 2005 12:00 PM

> 聖なる言葉

> 過去に犯した罪が山のように巨大でも

> ひとたび心の本性を見届けたならば

> たちどころに浄化され尽くす(タクポ・リンポチェ)

 

その2

 ケロヨンクラブにつづき、アーレフの在家信者に、そして出家信者に同様の事件が起こった。

 

 マハーナーマ師こと、富樫君。なんと。  温熱修行なのでしょう、報道によれば約50度ということだが、48度ぐらいではないかなぁ、温度は厳密に設定しているはずなので。だが、本人が独自にやっているとき、温度設定も時間規制も厳密にすることは不可能であり、それ以上だったかも。もちろん、45度以下であってさえも、本人の体調と時間によっては、死んでしまう。だからこそ、草津の湯ではきわめて厳密に湯に入るやり方が決まっている。

 

 なんと。彼は松本サリン事件で、ゴーサーラこと渡部被告の下で噴霧車を作る手伝いをした1人、幇助犯として実刑になった。昨年出所しオウムに戻っていた。たしか、03〜04年末年始も高音天や西荻でしていたと聞く「音のイニシエーション」の製作者ではなかったかしら。

 ああ、著名なオウマーである山本英司さんによれば、オウムは彼について、2002年12月2日付の公安調査庁による観察処分更新請求に対する、2002年12月24日付の意見書(1)で、

> イ 同2号該当性

>   麻原はアレフの代表者でも構成員でもなく、土谷正実、冨樫若清夫、

>  新實智光、横山真人、渡部和実のいずれもアレフの構成員ではない。

としていたのですね。

 いくらでも嘘をつくのがオウム。冨樫君が脱会したという話はもともときいていないものです。

 

 気になるのは、2005年1月1日だったこと。 麻原さんの多く言っていたハルマゲドンの時期の中で、最期の「〜2004年の間」も、とうとう過ぎてしまった、その直後だった。

 改めてがっくりきている古い信者さんも多いと思うので

 

 

71  ●−「解 脱 し た か ど う か の 自 己 検 査 法」−2005.4.23−111号から

 

解 脱 し た か ど う か の 自 己 検 査 法

 

2005年3月初めだったか、信者と話すとき、どんな話をしてきたのか、なぞと聞かれることがあった。 いくつか話したが、興味深いのを1つ、忘れてしまった。

 

 そう超能力実験、そりゃね、解脱・成就が大切なのであって、超能力なぞどうでもいいこと、とはされているが、解脱・成就すれば当然付随してついてしまう能力と言うことなのだから、自ら成就・解脱が本物かを判断する為に、やってみるのが良いと。

 

 んで、1人でもできる。

1 まあ5センチ四方でも3センチ四方でもいいから、白い紙30枚を用意する。

 

2 10枚ずつ、それぞれの紙に○、×、川を書いていく。

 

3 すべてを小さく折りたたみ、箱の中でも帽子のなかででもいいからシャッフル

 

4 「○」を置く場所、「×」を置く場所、「川」を置く場所を作る。

 

5 一つずつとって、手で暖めてでも、ナントカチャクラにくっつけてでもいいし、バイブレーションのよい所でも、呼吸法をしてからでもいいから、また何時間かけてでもいいから、1つずつ、○、×、川のどれかと判断して、それぞれの場所に置く。

 

6 30枚が終わったら、おもむろに順次すべてをあけて、何枚当たったかを数えていく、

 

 簡単です、とっても。

 まあ3枚でもいいのでしょうけれど、偶然性に支配されない為には30枚がいいかと。開けるのは、30枚終わったからの方が一喜一憂しないでいいですよ。

 

 さて、何枚あたるでしょう。

 自分の能力診断なのだから、正直にやりましょう。

 

10枚が偶然の部類であり、平均のはず。

20枚あたったら、凄すぎる。

1枚もあたらなかったら、なお凄い。

 

 いや、自分として、中学生の頃何度かやっていたことなのですが。私は、ナカナカァのものだったときもありましたが。

 

 

70  ●−書評「私にとってオウムとは何だったのか」−早川紀代秀外著

 

>早川 紀代秀 (著), 川村 邦光 (著)

>ポプラ社 1680円

 うーん、うーん、早川被告の文章は貴重。私であっても知らないエピソードもあった。たとえば、波野村の事件で逮捕起訴されて後、保釈制限によりしばらく実家にいたのたがその時の心情、石垣島セミナーの後自分たちでのオウムの船を操縦し本土に戻ったこと、エリツィンにもう少しで会えただろうことなど。

 

 直接関与した事件関係について細かく書いてないことに不満を覚える読者もいようが、それは朝日文庫の降幡さんの本など読めば法廷証言で多くでているから、良しとしよう。

 

 早川被告については、影の指揮者などとマスメディアは言いたがった。私は、いや、単なる宗教好き、精神世界好きのおじさんなんです(失礼)、と何度も言ったが容易に理解してもらえなかった。

 法廷証言をちゃんと聞いていれば分かっただろうが、フォローしている人もそうはいない。

 

 早川被告は、未だ宗教好きである。井上被告で一審判決のように「宗教に逃げることなく」という説示がされなかった早川被告であり、これが限度なのかもしれない。

 

「冥福を祈る」という発想を持つこと自体、被害者・遺族は許せない気持ちなのだから。吉村昭とか藤沢周平とか、読んで欲しいなぁと思う。

 

 川村氏の文章は、失礼ながらなっていないものだった。

1 最初の方の戦前の宗教弾圧の歴史の所など、オウム捜査をそれと同じ要素を持つというような、中京大学の池田昭教授の妄言と同かと思ったら、違う。 何のために書いたのかよく分からん。

 

2 戦時体制での国民思想また、伝統仏教とくに日蓮主義の極端な利用が戦時体制に果たした役割を書くのかと思えば、まとまりがないまま。

 書くならば、戦時体制で伝統仏教は「慈悲の殺人は菩薩の万行にまさる」とも言った、ヴァジラヤーナの思想そのものである、とのみいい。

 

3 文意があちこちにとんでおり、また麻原彰晃説法や早川ら証言の焼き直しの部分が多い。

 何を伝えようかまとまらないまま、または十分に考えない間に原稿用紙を稼いだ文章という感じを受ける。いかに論文ではないとしても、読者をバカにしているなぁと思った。

 

 参考にすべき書籍ではあります。

 

69  ●−「 だからさあ 荒木君」−2005.3.20

 

>オウムも献花、「教団の本質は、宗教心」

>午前9時50分に、荒木浩・広報部長が献花

>荒木部長は「被害者の方々に少しでも気持ち

>を届けようと、伝える言葉をずっと探してきた。

>だが、見つからないまま、ここに来てしまった」

>と述べた。 「10年前の教団が犯した、教えの>解釈の歪みや『実践の逸脱』から、遠のくため>の努力をみんなでしてきた」と振り返り、

>「被害者への補償を今後も続けていく。

>教団の本質は、宗教心だということを理解して

>いただけるように努力したい」

>とうつむきがちに小声で語った。

 

 だからさあ、荒木君、オウムは宗教でありかつカルトだったんだよ。

 そして、麻原さんは格別、地図の先にいて正しい案内をしてくれる高弟達にとって、「本質が宗教心」だった。だからこそ、救済のため大乗では間に合わないからとされて、ヴァジラヤーナを実践したんでしょ。

 

ご自分もその決意だったでしょう、おかしいと思いつつもLSDや覚せい剤を自分もやっただろうけれど、その決意と麻原さんへの帰依があったからでしょう?

 

 文字通りの宗教殺人だったんでしょ、弟子たちにとっては。実践からの逸脱ではなく、それがオウムの教えだったんでしょうが。嘘をついては困ると。

 

 言葉も見つからないのまま、よくもまあ献花なぞにいけるね、職務とはいえね。軽蔑するよ、悪いけれど。

 

 えっ、今年の11.3は、まあ雪になってしまうから9月とかでもいいが、3箇所には行かないのかね。あのときの一回だけ回ったのは、なんとも被害者を侮辱しているということが分からないのかな、他心通がなさ過ぎるよ。

 マスメディアを連れないで、自分だけで回ってみな、なんだったら案内するよ。

 

 ああ、私のところへの謝罪はいつ、誰が来るのかね。

 

 

68  ●−「最 終 芸 達 者」−2005.3.17 

 

麻原さんのことです(C青沼陽一郎)。

 

3月17日に至り、精神科医が記者会見だと。

>脳の疾患など何らかの病気にかかっている

>可能性を主張 中島節夫医師

ああ、催眠療法の先生ですね。元の北里大学助教授。

>「もうほとんど無言の状態で、一番おかしい

>と思ったのは車いすで来ている」

>「意味のある言葉としては全くなかったんじゃ

>ないか」と、去年11月に接見した様子

 このあたり、よく分からないですね。車椅子は昔からなのだが。1度、30分会っただけみたい、それで分かったのかなぁ。

 精神鑑定の経験はどのくらいある方なんだろう。情報を探しても出ないぞ。いろいろなご経験のうえで言うべきことなのだが。

>−「脳の器質的な疾患を疑うべき」と語った。

これ貴重な話ですね。MRAとか、脳血管撮影とかいろいろある、すべきだと。

 

 仕事上、前頭葉広汎壊死の事例に遭ったことがある。逮捕以前の通院歴を調べていって分ってきて、裁判所がようやく鑑定を採用。裁判所、そして

鑑定医も、驚いていた。結局日本酒なせ5合程度飲んでいったん5分でも寝ると複雑酩酊。暴れる。心神耗弱。事件当時からそうだった。驚きましたよ。

 

>自分で布団の上げ下ろしもできない。

それは、オウム真理教の頃からなんですけれど、と言いたいが。

 

>「『ピック』という、脳が委縮する病気

>『梅毒』(による進行マヒ)とか

なるほど、是非調べるべき。ただ、梅毒の可能性はないね。相手をした(涙)一部の女性サマナにも無かったし、コンドームはしていなかったけれど、誰にもそんなの移っていない。

 

 麻原さんの芸の能力の凄さ・粘着に惑わされる医師もありましょう、もとより脳器質障害があればあるでそれはそれ、いずれにしても正しく判断すべきこと。

 訴訟能力の鑑定は、したほうがいいのではないかなぁと思う。後の世のために、司法が正しく裁いたと明確にする為に。

 まあ、一審の麻原裁判をずっと見てきた人たち、その記録を見られる人たちにとって、彼の2004.2.27判決のときの、あの判決を嫌がって立ち上がらない状態に象徴されるように、なんら訴訟能力に問題のないことが分るのだけれどね。

 

 

67  ●−「 一 人 オ ウ ム 」−2005.6.18−115号より

 

ときに、窓口の管理しているサイトに、脱会した自分の名(実名)が残っている、として削除することを希望する連絡がある。

  日記も、カナリヤの詩のサイトにも、多くの信者さん、元信者さんの名前がある。(大幹部や、犯罪にかかわった人の判決文などでの実名です−誤解を招かないために追加)

脱会しても、現在未だ裁判中、受刑中などであれば、まだその公益性が優先すると思い、名を消していない。その場合以外は、私は、面談して上で了解できる状態−真実脱会している−ならば、直ちに削除また仮名にするなどしている。

そんな場合は、どうぞご連絡ください。

 

逆に、一人オウムでしかない状態、つまり、集団からは現在離れているが、「麻原彰晃」を引き続き観想しているとみられ、オウムで自分がしてきたことについて総括しようとしないままの人の場合は、消さない。

その判断は、慣れてくれば、メールの内容、手紙の内容そして話していけば分かるものである。少なくない親御さんたちも、真実脱会したかが大切だということを理解されており、この趣旨を、それなりに分かって下さると思う。

繰り返しますが、「脱会」を真実していないのに「社会復帰」なぞありえない。それは社会に寄生し、社会を利用しているのであって、また機会があれば直ちに「麻原彰晃を観想する集団」に結集する人だからです。

 

「一人オウム」の状態も、「社会と共存」をしようなどとは露考えていないのは、その教えの通りである。一人オウムの状態は、また

・ その選民意識が抜けず、

・ 「真理のためなんだ」というエゴイスティクさが抜けず、

・ かりそめの現世かもしれないがその現世を大切にしている一人ひとりの人生の重さを知らない

という、哀しい状態です。

 

 

66  ●−カ ウ ン セ ラ ー  2005.6.18−114号より

 

うーん、いろいろなことで、「心理カウンセラー」ということが、話題になるようになってきた。

私は、どんなカウンセラーにしても、精神的な安定−本人が幸せであることということが、その経験・能力・知識に勝るとも劣らず、必要だと思う。

知識などなくても十分カウンセラーみたいなことをしている方もいる(もちろん後に逐次知識を得ていくべきこと、先人の智慧と分析は学ばないと)のだから。

もともと「心理」とかに興味を持つ方は、それ自体、

・ 人間関係の陥穽とか神秘体験にはいりやすい傾向をもつ方が多いのだろうし、

・ 心理的に必ずしも安定していない人が少しは高い比率にあると思われ、

・ 自分探しのために心理を学び、実は自分を救うために人を救うという傾向も持ちやすい。

 

一般事件で多く会う経営者、サラリーマン、よい意味の「おじちゃん」や「おばちゃん」と比較して、まさにそう思う。で、大切なことは、

・ 自分が幸せでない人は、人に幸せを分けることはできない」

・ 自分が心理的に安定していないまま、他の人の、何か桎梏からの脱却を図リ、また心理的安定を図ることはできない

ものですよね。

 

もちろん、ここで「幸せ」というのは、世俗的に豊かだとか、五体満足だとか、家族友人間で何の悩みもない、というのとは違う。自分を客観視することもでき、人に迷惑をかけないままに、いろんな悩みがあろうとも、自らの判断で生き方を決めていて、「この人生、楽しいな」と真実感じられる「幸せ」です。

 

 それがないと、いかに知識や意欲があっても、1 カウンセリングにおいて余裕を持てない、2 対象者からの影響を受けすぎてしまう、3 能力があるとき、自らの不幸の代償のために、対象者のグルになってしまう危険性があるものです。(だからまともなカウンセラーは友人らも多く持ち、疲れたときに、自らも癒されるための方法を知っている。

 実は、逆に問題があるとしかいいようのない団体でも「カウンセリング」と称して、勧誘の窓口にしていることさえある、これは問題。その場合は、自らの信仰の正当性を確認する為の作業でもあるのでしょうね)

私として、自らが余りに不安定なままにカウンセラーを希望する人とか、突如訪れて泣き崩れるそんな知識あるはずの人とか、希望したが直ちに破綻する人とか、諸々の漏れ聞く話などをきくと、時に感じることです。

尊敬できるカウンセラーって、専門資格ある人も、また宗教者の場合も、精神的に安定されているなぁ、よい意味で俗人だなぁ、選民意識などとんとないなぁ、と感じます。

 

 

65  ●−ダライ・ラマ−2005.6.18−115号より

 

この4月、日本に来ているんですね。知らなかった。「思いやりと人間関係」「智慧と慈悲」「菩提心の解説」が講演のタイトルだとのこと。東京の国技館では5000円から7000円かぁ、いくら集まったのかなぁ。

そりゃ、立場はあろう。

・ 中国政府からの侵略、数百万人を殺された。

・ いつかは独立したい。

・ チベットの最大産業かつ正当化機能が、その仏教。

・ 旗頭は自分、政治家でもなければならない。

素敵な人なのだろう、とは思う。

 

だがね、日本では、オウム真理教によって、多くの人が殺され、今も苦しんでいるんですがね。その拡大には、チベット仏教それもダライ・ラマの権威を、十分に利用したんですがね。

1988年には、富士山本部の落成式に弟子の僧侶がきて、ヨイショ説法もしたじゃないか。麻原や上祐とともに写真に収まってもいる。

これから先、そんなことからオウムに入って、殺人までして、死刑判決が確定していく人もいる。 今も、上祐とダライラマとの写真などが利用されているhttp://www.aleph.to/aleph/04-01.html

 

いったい、チベット仏教、ダライ・ラマさんとしては、自らを総括する気はあるのかね。少なくとも、数千万円だったか、チベットのあなたに会うために、弟子に富士山本部に来てもらうために、オウムが布施した金銭ぐらいは、破産管財人に、任意に戻してからにして欲しいですね。

早川被告が、改めて本に書いてくれたよ。

いままでは、中国政府に、オウム問題にチベット仏教指導者が果たした役割とかいって利用されると、可哀想な気もしたので言わないできた。脱カルト協会に北京人民大学院大学とかから来た招請状も無視したままできたのは、このチベットを慮るためと、法輪功(評価未定です)への政府行動の正当化に利用されないためでした。

が、何時までたっても金銭を戻したり、また自らの不明を恥じ、かつ総括のためにオウム信者へ積極的に働きかけをする行動もない。だから、10年を過ぎた今日、そろそろ言った。おふざけじゃないよっ、と。

いかに自分の国の悲劇が大きかろうと、自らの責任を総括しないままに何を言っても説得力はない、と。   

(その意味で、十字軍の間違いまでも総括した故ヨハネパウロ2世は、後には、ローマカソリックを生き返らせたという評価がされるだろうと思う)

 

なお、上の滝本資料「チベット政府ーペマ・ギャルポさん講演」もご参考に。

 

 

64  ●−書評「人身受け難し、いますでに受く」−2005.6.18−114号より

 

『 人身受け難し、いますでに受く 』

鶴岡瑛著 朝日新聞出版サービス  2005.3.31発行

 

窓口に、時に本をおくってくださる人がいる。原稿段階でおくって下さったものもあった。これも自費出版の本で、私がオウム問題に絡んでいるからだろう送ってくださった。

失礼ながら、送ってくださるなかでの少なくない本は、読むに辛かった。オウムがらみだからともかく買った本のなかにも同様のがある。オウム問題を情報不足のままに書いてあったり、自分の土俵でのみ論じよう、つまりその範囲で都合のよい事実関係のみを書いていたり。

時には、吉本隆明が「麻原が法廷ですべて正しかったと言ったらどうするか」との趣旨を言ったことで象徴されるように電磁波系だったりする。(故植谷雄高も、「吉本は旨い物を食べ過ぎて頭がスポンジになったか」と評していた)。

うーん、この本は、凄いです。良いです。うん。2日かけて、じっくりと読んでしまった。他の人にも薦めようと思う。  被告人で、ご希望の方はご連絡下さい、私から送ります。。

何が良いかと言えば、

・  仏教知識があろうとも、自ら真に咀嚼しつつすすんでいること、やたら難しい漢字を使いたがる一部の仏教学者、仏教者と比較にならない。

・  事実を事実としてみていること、決して自分の土俵に引き込んで話そうという態度ではなく、事実の重さに圧倒されながら、必死に考えていること

・  自らの生育歴、歴史を捉えつつ、決してそれにおぼれることなく、麻原彰晃こと松本被告を含んでまで、被告人を他人視せず、そして許しもせず、書いていること。

「謝罪」とかの重さ、現実性の記述を含め、オウム事件の被告人らに会ったこともなく、その他の殺人犯に会ったこともなく、もちろん被害者・遺族にあったこともなかろうに、その心情が(私も、直接の既遂の当事者ではないけれど)どうしてそこまで分かるのか、凄いと思う。

この方、62歳、女性。非僧非俗を立場とする、とされている。著書は、同じところでの自費出版「通説を見なおす、女性と仏教」とのこと。  うーん、お会いすることがあれば怖い感じもする。逃げたくなるかもしれないなぁと思う。

 たぶん、失礼ながら、自らの神経の線の傷を何とかこらえながら生きてこられたのだろうと思う。時には狂いたくなり、時には人に迷惑をかけ、そのお年になるまでは人格障害だと言われたこともあるのかもしれない、と思う。申し訳ないが、率直な感想。

だが、今これを著わされた。凄いと思った。市井には、こんな人もいるのだ、と改めて思う。

 

自費出版は、すべて金銭を出せば出るというものでもなかろうと思う。著者とこれを出版した朝日新聞出版サービスに敬服。

購入するためには、そこに連絡する方法しかないと思う。電話:03-5540-7669 FAX:03-5540-7614。

なお窓口のところにも何冊借ります。


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