滝 本 コ メ ン ト  78〜86


86 ●−コメント 本「黄泉の犬」 窓口     2007.1.20-第141号から

 

>藤原新也著、文藝春秋社、1857円と税2006.10.30発行

うん、84ページ以降は基本的にいいんですよ。インドでの実にさまざまなこと、実に興味深く感動的。

 

で、だからこそ、自分の土俵の上でいいから確実な情報のみに基いてオウムを論じて欲しい。

麻原さんが水俣病であった可能性のことが書かれているのです。

 

麻原さんについては、親は在日朝鮮人であるとか被差別部落出身であるなどとの話が流れた。

これについては「麻原彰晃の誕生」という本に詳しく書いてあった。勿論、その事実を否定する形で。

 

麻原さんは父親が1910年から日本の植民地だった朝鮮半島で、生まれただけ。戦後引き上げている。

父母も勿論麻原さんも被差別部落出身などではない。いい加減にして欲しいと思う。

(麻原さんは、被差別部落出身の信徒に対して、俺もそうなんだと言って出家するよう勧誘していた。ひどいものだ。)

 

で、今度は水俣病ですか、麻原さんの一番上のお兄さんから、接待したうえで「水俣病だ、シャコを多く食べた、

申請したが認められなかった、アカと言われるから裁判はしなかった」と聞き出したとのこと。ふー。

なんで他の兄弟には当たらないのかな。兄弟は多くいて、1995年当時、麻原さんが事件で著名になったのをきっかけにか、

既にデビューしていたところ歌手として改めて出てきたお姉さんまでいた。

 

で、一番上のお兄さんは「教祖になってくれ」と麻原さんから言われた、などとも言っている。

他の麻原さんといつも行動していた旧い信者さんも誰も言っておらず、カルトの特性からしてもあり得ないのに、

そう言われたと本人のみが言っているお兄さん。その話を元に、よくもまあここまで書けるなぁ、と。

 

あのー、八代市が水俣のすぐ隣なんて、藤原さんは気づかなかったようだが、有明海周辺なんだから

直ちに関連性が頭にでてくるのですよ。地理を勉強してないなぁ。で、八代市住民にも中には認定されている患者さんも

いよう、転居するのですから。中には、水俣湾の魚を多く食べている人がいても不思議ではない。

それを驚いたように、調べをくり返して分かったようにしょもない書き方をしている。

 

で、麻原さんは、生まれつき片目が見えないのです。もう一方も進行性で見えなくなってきていたのです。

ですから、出産後、水俣病になりその症状として目が見えなくなったということはまずない。

シャコをやたら食べていたとしてもです。

残るのは、胎児性水俣病かどうかですが、やはり麻原さんにはその他の水俣病に特徴的な症状は一切ない。

シビレ云々なども、あったと言っているのはこのお兄さんだけ。

そもそも麻原さんの目は、神経性の視覚障害ではなかった筈ですがね。

 

ということで、そりゃ100%の否定はできないが、「水俣病の可能性」とはやはり言うほどのこ

とはないと判断された。だから、調べた方々も、結局、なんら書かなかった、だけのこと。

それがまともなジャーナリスト。著者自身は、重要なことを書いたのに反応がないのはおかしいというように

言っておられるようですが、そんな事実関係だから、反応がないのは当たり前でしょう。

 

軽率極まりない。この方もオウムや麻原さんのことを「プレーボーイ」に書いていた。

プレーボーイは、教祖の空中浮揚写真、この人の文章、今は森達也さんの文章と、実にしょもな。

 

「魂の遍歴」みたいな所は、実に良いんですが、この本。実に残念。

 

 

85 ●−麻原彰晃の死刑判決確定にあたり -2006.9.15

滝 本 太 郎  (弁護士 オウム真理教被害対策弁護団所属 滝本サリン事件被害者)

 

長かった。あらゆる裁判は人間の寿命からして10年程度で確定しなければならないと言ってきたが、

起訴後11年、かろうじて許容できる。

松本被告への死刑判決は当然である。被告は友人坂本堤を殺した。私を殺そうとした。

被告は、極悪非道の犯罪を重ねた、わけても化学兵器まで使って無差別大量殺人までした

絶対的な首謀者としての責任がある。

 

被告の責任は、被告の心理操作によって罪を犯した他の被告人とは格段の違いがある。

松本被告の死刑執行は、法の定めるとおり6ヶ月と5日以内に執行して欲しい。

後追い自殺はあるとしてももはや数人であろうし、現段階となってはまさに自己責任である。

そして、法は立会いを可能としているから、私にも立ち合わせていただきたい。私にはその権利と義務があると思っている。

 

ここで大切なことは、元弟子の12人は決して死刑にしてはならないということである。

松本被告の末恐ろしいまでの絶対性、マインド・コントロールの機序、LSDなど薬物の影響を真に知るならば、

弟子ら12人を死刑にできよう筈がない。12人を死刑にすれば、松本被告こそが喜ぶのである。

 

オウム教団は、完全に解散すべきである。現在大きく2つに分かれようとしており、当面、原理派の中から跳ね上がりがないか、

内ゲバが発生しないかなど心配している。

しかしどちらもオウム教団であり、「嘘をつくのがワーク」の上祐の言葉を信頼することなどできようもない。自らたんそ菌を撒き、

横浜弁護士会にボツリヌス菌を撒こうと向かっていた上祐、また麻原からホーリーネイムを授与された上祐が、

オウム教団と言う部分社会での権威を利用して作る団体は、それ自体がオウムである。

 

国は、テロ犯罪被害補償特別法を作り、オウム事件の被害者に対して十分な補償をし、これをオウム教団から取り立てる

べきである。今回確定した地裁判決には、一連のオウム事件が日本国に対してされたものであることが明記されている。

被害者は国家指導者の代わりに殺されたのである。ましてあの1995年3月22日までの警察の対応はなっていなかったのだから。

米国や英国では、同時多発テロ事件に対して、被害者に対してあつい補償をしている。日本が真実テロと戦おうというならば、

直ちに特別法を作るべきである。

 

社会への恨み、破壊願望を本質とする麻原の思想は、様々な方策をとって、永遠に戦うべき対象である。

以 上

 

84 ●−日本国民とオウム信者     2006.6.10-131号

 

大日本帝国の場合とオウムの場合を一緒くたに話す人がいまだ居る。オウムの術中そのままです。「・大日本帝国に似ているとして、国民を味方につける。」

が、上祐方針です。

 

しかしね。

1−大日本帝国では、女性は勿論、男性とてそう自由に選挙はできなかった、

2−大日本帝国では、政権に逆らえば、投獄されたり、殺された

3−国家の場合、そこから抜けることは経済的、文化的、過程のことからも事実上極めて困難

4−日本の場合、靖国神社への公式参拝をしているなど不十分なところもあるが、国家としては1995年の首相声明にあるとおりしっかり謝罪しており、

 

条約締結の際にさまざまな形で補償をしており、さらに不十分なところについてさまざまに運動している人もしっかりいる。

5−日本国民は、単に日本国民なのであり、多くの人は「天皇陛下万歳」「大東亜共栄圏を作ろう!」などとの思想にもはやない。

 

1−オウムの場合、もともと勧誘されたが嵌らないでいた人もいた

2−オウムの場合、マインド・コントロール、洗脳があるとはいえ、それでも脱走した人も少なくなくいた、

3−オウムの場合、逃げる場所は実際上はあった

4−オウムの場合、まして1995.5.16の後は、容易に逃げられた、それからもう11年

5−しかも、その信者は未だ「麻原彰晃」に帰依している。

 

以上の違いはきわめて大きいものです。

ですから、たしかに、大日本帝国の所業を許した日本国民に責任はあるでしょう、戦後の国民にも日本の責任を政府に果たさせ尽きていない以上、責任はあ

るでしょうが、それと現役オウム信者を責任(=どの程度非難できるかというレヴェル)は、あまりに異なります。

 このことは、しょもない「一部の知識人」が時に言うことでもあるので、改めて書きました。

 

 

83 ●-拉 致 事 件   2006.6.10-132号から

 

5月27〜28日は、拉致事件の調査で、20人ほどで、釧路、網走と行ってきました。地元新聞には記事が出た。

 それにしても、子どもさんが突然いなくなった親御さんの悲嘆。

坂本のご両親、奥さんのご両親を重ね合わせた。そして、坂本事件の時は、随分長かった気がしたが、1989年から1995年の6年間だったんだ、と思った。

 何とかしたい、と思う。確かにあまりに不自然。

 

 夜、関係者のみだからいけるのだけれど、カラオケでも、「なだそうそう」はやはり誰も歌わなかった。自分はまだお会いしたことはないけれど、やはり

曽我さんの歌だと思う。曽我さんのお母さんは、共に拉致されて、まだ見つかっていない。曽我さんは、お母さんは日本にいるものだと思って帰ってきたの

だった。

 

多くは、私と同じ世代。

北朝鮮政府は、実にひどいことをしてきた。

 

 

82 ●-12人への死刑判決について    2006.6.10-133号から

 

東京高裁11部は同10部が本年3月27日した松本被告の控訴棄却への弁護人の異議申立を棄却しました。

今後は最高裁への特別抗告、またその後の訂正の申し立て?がある程度でしょう

 異議申立の棄却決定文は、この号に掲載したように、大変、説得力があります。

 

 実は、月刊プレイボーイでの森達也氏らにあるようなしょもない言説もあるから、裁判所の決定は全文出して欲しいです。

 窓口のコメントは次のとおり。

 

「正しい判断が、説得力ある文章で示されたと考える。弁護人があまりに危険なチキンレースをして負けただけの話である。

松本被告の訴訟能力についても丁寧に検討されていて敬服する。

松本被告については、速やかに死刑を確定させ、6ヶ月と5日以内に執行すべきと考える。執行の際は、法廷でも述べたように私を立ち合わせて欲しい。

そして、この際、検討すべきことが2つある。

 

1つは、12人の実行犯ら弟子が死刑判決を受けているが、本当にそれで良いのだろうか、と言うことである。犯行にいたる心理的機序をみるとき到底、正

しいとは思えない。12人への死刑執行で喜ぶのは、松本被告のみである。被害者心理として、死刑の執行は喜びではなくケジメでしかないところ、この破

壊的カルト集団における事件については、松本被告一人で良いのではなかろうか。

 

2つは、今回の決定書にも記載ある吉岡毅弁護士(埼玉弁護士会所属)の件である。彼が弁護人として、単独接見をなし、松本被告か何らかの教示を受け

、または受けたと称して、オウム真理教信者らに事柄を伝えときにどのような影響を与えるか、これがオウム真理教の今後を占う最大のキーポイントである。

他の弁護人らはその問題性を十分に認識し、何よりマスメディアにあっては、同弁護士に十分な釈明をするよう、その矛盾点を質問するよう求める。」

 

 

81 ●-松本被告の新弁護人の一人   2006.4.20 窓口の日記より

 

脱会したが弁護ですか、ほー、ったくまあ、明記せざるを得ないではないか。ったくまあ、

吉岡毅(ヨシオカツヨシです、タケシではありません)君、

教祖の弁護人になどなるから、明記せざるを得なくなる。

 

オウム真理教の出家者は、全ての人生を麻原彰晃に奉げたものです。身口意のすべて、財産も人間関係も。だから、真実の脱会というのは、実に辛い。

脱会した後は、呆然とし、自己嫌悪となり、麻原彰晃を憎み、麻原を憎む自分も憎む、いつかは麻原を乗り越えると。

 

で、いつ脱会したって? えっ、1999年、へー、そーなんだ。

名簿からは抜いたのでしょうね、もう布施もしていないかもしれない。

で、それでなんで教祖の弁護人になるの? 選任は、三女ですか、二女ですか?

ボランティア的で費用はさほどもらえないでしょうけれど、されるのですか? 布施の実践ですね。

だけれど、脱会者だと言うのですか。

貴方は、長く法務部をしてきた人ですよ。あの青山の下でね。

青山さん逮捕の後、信者の次々の逮捕、裁判対策、破防法の対策、大変だったでしょう。

そのあなたは、司法事件受験組の責任者格。麻原さん弁護の為にこそ、始めたのでしたよねぇ。そしてその通りになっただけのことでしょうが。

 

受かったのは慶賀ですが、いつ脱会したって? えっ。そして、主任弁護士にもそんな背景を言わずに弁護人になったのですか。

目的の為には手段を選ばない、ヴァジラヤーナのままですね。ヘー、すごいね。

 

以下、グルと弟子との関係からして、そのマインド・コントロール、洗脳の強烈さからして、教祖の指示で極悪非道の行為を重ねたオウム真理教の、

今後を知るためには、重大な公益的事実ですから、明らかにします。

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埼玉弁護士会のホームページなどからは

>いなかる事件も区別なく、常に信念と真心をもって共感し、精緻な判断と最善の法技術を提供すべく努力いたします。法にかかわるすべての事件・相談を

お受けしますが、特に刑事事件の受任は弁護士の使命だと信じます。

 

とのこと。日弁連登録番号33477、昨年10月から弁護士、吉岡毅君(ヨシオカツヨシです−まったく同じ字で、東京にヨシオカタケシ弁護士がおられます。

どうぞ誤解なきように)

 

ヴィタッカ.ヴィチャレーナ.マノーサンカンタ.ムッタ   

1973年7月生、32歳、出家者番号1051番、1993年6月27日出家、血液型−略−

 

1994年当時、究聖法院、沙長。  1995年、青山吉伸が逮捕された後だったか、法務部長だったかと。

 

以下、昨日の報道より

>東京拘置所で松本被告と接見も行っていた。

>主任の松下明夫弁護士−「18日に初めて知り、本人に確認した。7〜8年前に脱退し『今は教団とは無関係』と言っており問題ない。もしも接見などで

教団との連絡役を務めるようなことをしたら直ちにやめてもらう」と

へーそうなんだ、知らなかったんだって、

主任は実質、麻原家の子どもらの後見人にもなっていた松井武弁護士だろうと思っていたが、やはり、そんな感じなのかなあ。

 

>教団の「司法試験受験グループ」メンバー

>95年5月には法務部長に就任

>99年に脱会し、昨年10月、弁護士登録した。

>弁護団には、同じ事務所のベテランと一緒に加わった。

ああ、そうだったのか。ベテランの方は知っている弁護士なのだが、いったいどう考えておられるのか。破壊的カルトの本質を、わかっておられないと思う。

 

>弁護団の松井武弁護士は「知っていたが、元信徒だからと問題にするのは差別だ」と言う。

同弁護士は一審主任の安田弁護士の所にいるのです。安田さんが1995年末から国選そして2女選任での私選弁護士、となっているとき、

安田さんが、吉岡君を当然知らないなんていえない以上、松井さんも知っているのが当たり前。

なんか主任とされる弁護士が可哀想に思う。           以上

 

 

80 ●-ポーシャさん=平田信さんへ 2006.6.10-132号から

 

 

もう出てこられたらいいのに、何にこだわっているのか、−と思う。

 

1995年、弁護したオウム幹部の中には、警視庁の留置場でまさにしばらくぶりに母に会えた人がいた。もちろん、ポーシャさんも知っている人です。そ

りゃ、オウムの教義ではただ親子というだけであり、真理を極める道に反対しているならば、逆縁とされた。

 

でも、後に、あの時、母に会えて本当に良かったと言っていた。老いた母は、緩やかな角度の車椅子でなんとか接見室に入れたとのこと。アクリル板越しだ

から手は握れないけれど。もう少しで亡くなるだろう事から、最後に会える機会だった。亡くなった後、何とか会えてよかったね、との言葉以外かけようが

なかった。共犯とはいえ人を殺した重さを感じるしかなかっただろう。

 

受刑中に、父のガンが再発し、出所に間に合わないのではと心配された人もいた。ポーシャさんも知っていると思う。1995年逮捕された時に実に何年ぶ

りかで会えた。母は出家中に亡くなっていた。お父さんは、本人が遠い刑務所に行った後も月に一回ぐらいは面会に行っていた。そしてガンが再発した。仮

 

釈放を私からも求めたがとうとう認められず、なんとか命を持たせた。お父さんは頑張った。出所して初めてアクリル板越しでなく会えた。お父さんは、数

ヶ月で亡くなった。少しの時間だったけれど、看病ができて本当に、本当に、良かった。

 

1995年、子どもが逮捕されて喜んだ親が何人も居た、とても重い処罰が予想されても、逮捕されればもうこれ以上、悪いことをしないで済む。自分の子

どもが人の命を奪うを止めることができる。やがて、麻原さんの桎梏から逃れ親と会えた。話ができた。未だにアクリル板越しだけれど、会える。

もちろん、ポーシャさんもよく知っている人。

 

親が、自分の子どもが逮捕されて喜ぶなんて、あまりに悲しかった。

 

衆生の済度とか、言ってみたって、

たとえ逆縁であっても縁ある自分の親の顔を、

今死にいくお父さんの顔を見ることができなくて、

なんで済度なんだろう。

 

そんなポーシャさんの人生って何なんだろう、

お父さんの人生って何だったんだろう。

 

逮捕された後に、色々な調べがあるけれど、まあオウムサティアンでの生活、ワークのきつさに比べれば、実はどうってことないさ。

調べが終わった後は、改めて長い時間をかけて自分に向き合わなければならないけれど、それは仕方がないこと。

 

麻原さんがこれは言うとおり、人は生まれたときから死に向かっている。誰でも死刑判決を受けている。

もし現世が湖面に映る虚像だったならばおそれることは無い筈、いろんなことにこだわることも無い筈。

もし現世が、大切な一つの命だったならば、お父さんの命も大切な一つの命であり、かけがいが無いものの筈。

 

いま、ポーシャさんは、お父さんを喜ばすことができる立場

集中治療室にいても、意識が危なくても、手を逃げれば握り返してくれたりするものさ。

アクリル板越しのお父さんでもなく、死んだ後に墓石に向かうのでなく、今なら生きているお父さんに、直接会える。

警察も、そんな時、少しの時間だろうけれど見守ってくれるものです。

 

お父さん、待っていると思う。どうか、どうか行ってあげてください。

 

http://www.bnn-s.com/bnn/bnnMain?news_genre=2&news_cd=220011027912

上記のサイトより、その一部

>05月18日 (木) 16時12分

>父危篤で入院

>平田容疑者の父は、現在、末期がんで札幌市豊平区の

>とある病院に入院している。

>先週末、危篤状態に陥り、集中治療室に入っている。           以 上

 

 

79 ●-「オウム真理教はどうなっていくか、どうしていくか」  2006.3.11-128号から

 

こう書くと、大変に生意気に聞こえようし、反発心もでるでしょうけれど

 

「 も う 映 画 は 終 わ っ た ん で す 」 なんです。

 

  1995年3月22日以降、麻原さんにも信者さんにももっとも言いたかったことがこれ。うーん、ティローパこと早川被告であっても1999年7月

にハルマゲドンがなかったことが確認されるまで、やはりスッキリしなかったというから、無理もないのかもしれないが。

 

  上祐は、出所前からの経緯で正しくオウム真理教の牙を抜いてくれているし、原理派は、「権力が震え上がる帰依」なるものを標榜して自滅していこう。

そう、もう映画は終わったんですけれど。

 

 

78 ●-「狂ってしまう最終解脱者-詐病の前例」    2006.3.11-127号から

 

弁護団は6人の精神科医に、30分面会してもらい、意見をもらっている。多数決でもさせたいのだろうか。

被告本人の現在状態までの変遷が十分に理解できること、について、まともに反論できるつもりか。

 

恐れるのは、世論工作により、一部と信者らに、「麻原教祖は弾圧で死刑にされた」などとの声が広がること。

「最終芸達者(c青沼陽一郎)」はたいしたもの

信者さん、麻原さんが狂ったと考えるとき、「最終解脱者だと信じることと矛盾しないのですかぁ」ということ。

 

2月1日面会した秋本波留夫氏は創造出版「AUM科学的記録」を出している。麻原説法や実態をよく観察し、

「被害者救済はオウムの後継ぎであるアレフのやるべきことではなく、国のやるべきこと、国の責任である。」と指摘してもいる。

 

だが、西山詮氏の方が、玄人筋での評価は高いのでしょう。「刑事精神鑑定の実際」新興医学出版社は、鑑定人が刑事鑑定をする基本書。

私、ミニカルト教祖とは、今や直接交渉することもある。魅力ある不思議な人たち。それでも、統合失調症の範疇と人格障害の範疇とが明確に区分できる。

 

有田芳生さんが2005.11.27日記で触れている詐病事例には注目。1951年の巣鴨プリズンでのこと。

−以下引用−

ところが最近その認識を改めることにした。BC級「戦犯」を取材していて、「あっ」とびっくりするケースに出会ったからだ。

 

時代は1951年。場所は巣鴨プリズン。当時、死刑判決が下され、刑が執行されていなかった「戦犯」は2人だけ。そのひとりである元軍医大尉は、

判決が下されてから精神的な「異常」をきたした。

会話はいっさいなし。排泄物は垂れ流し、

眼はうつろでよだれを流している。担当者が床にうつぶせになった彼の排泄物を拭き、起こしあげて椅子に座らせても、足は伸ばしたままで、

まるで関節が外れているようだった。

米軍の精神科専門医や松沢病院で何度も鑑定を行うのだが、いずれも「精神異常」との結論が出される。

ところが元軍医大尉の姉は「詐病」ではなく「正気」だと思っていた。やがて姉が金網越しに接見。口を開くことはなかったが、姉の眼には「装っている」

 

としか思えなかった。

 

死刑から無期懲役へと減刑が伝えられたあとのことだ。姉は2度目の接見を行う。こんども涙を流すだけで、まったく口を開かなかった。

ところがである。翌日になり元軍医大尉は刑務官に丁寧に頭を下げ、「書籍をお貸しください」と小声で語った。まったく「詐病」だったのである。

精神科医が何度も鑑定を行い「異常」と判断していた人物が、じつは正常だった。

その理由は「正常」だと判断されれば、ただちに刑の執行が行われるという恐怖心からであった。

 

人間はここまでのことができるのだ。ましてや、と言ってもいいだろう。

カルト教祖の麻原彰晃=松本智津夫被告なら、「異常」を演じることが可能ではないのか。そんな趣旨の話をした。

---以上引用-------

 

最終更新  2008.11.1


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