裁判傍聴記


山本まゆみ被告 起訴状に対する意見陳述   96. 3.15.

 はじめに、教団幹部であった一人として、オウム真理教に所属する者たちが引き起こした多くの事件により、お亡くなりになられた方々とそのご遺族の方々にお詫び申し上げるとともに、ご冥福をご祈念申し上げます。
 また、健康を害された方々とその関係者の方々、そして社会全体の皆様には、不安を与え、ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。
 また、息子さんの消息を案じ、元気な姿で戻ってくる日を待ち望んでいらした
越智直紀さんのご遺族の方には、ご遺骨はおろか、満足な遺品も残らないようなことをしたばかりでなく、その事実を2年以上もの間黙っていたことを心からお詫び申し上げます。
 今読んでいただいた起訴事実のうち、犯人隠避の罪については、だいたい間違いなく、有罪であることには異議はありませんが、遠藤さんが地下鉄サリン事件の犯人であるということを知っていたという点については、事実と異なります。
 本件当時、私は、遠藤誠一さんが何故警察の捜査から逃れる必要かあったのかは、遠藤さん自身も含めて誰からも聞かされていませんでした。しかし、私自身の経験からキリストのイニシエーション等には、LSDなどの非合法な薬剤が使用されているに違いないと思っていたので、遠藤さんがこの製造に関与していただろうとの認識はありました。そこで私は、石井久子さんから遠藤さんにお金を渡す指示を受けて、実際に遠藤さんに手渡すまでの短い時間に、頭の中で、遠藤さんは薬剤製造の罪での逮捕を免れるために逃げるのだと推測していました。
 従って、私の認識は起訴状の記載とは違いますが、遠藤さんの逮捕を免れさせる目的で逃走資金を渡したことには変わりがなく、捜査妨害やひいては被害に遭われた方々や遺族の方々の悲しみを増してしまい、誠に申し訳ありませんでした。
 私は、教団のシークレットワークの中身は知らされておらず、松本サリン事件および地下鉄サリン事件については勿論、サリンを製造していた事についても何も知りませんでした。麻原さんは私の思考の範囲を超えたことを考えたり、行ったりすることがあるし、また、平成7年元旦の新聞に、上九一色村の教団施設脇の土壌からサリンの残留物が検出されたことの記事が出たことから、サリン事件か教団の犯行ではないかということか頭をよぎったことがありましたが、それ以上に知っていたわけではありません。
 次に石井久子と共謀の上という点ですが、法律上はその様に評価されることに異存はありません。しかし、実際は石井さんの方が私よりもステージが上であったので、石井さんから出された指示通りに、私は遠藤さんにお金を手渡したものです。
 教団内では、自分よりもステージが上の人からの指示は麻原さんからの指示と同等とみなされていましたから、それに逆らうことはできませんでした。ですからこの時も、私が石井さんの指示を拒絶することは有り得なかったのです。ましてや、遠藤さんに渡すお金の額が多いとか少ないとかいった自分の意見を述べて石井さんと相談し合ったことなどはありません。
 死体損壊の罪に対する意見は次回に述べさせていただきたいと思います。

 私の教団内の立場や現在の心境などについて、簡単に述べさせていただきます。私は、石井久子さんや飯田エリ子さんと同じ頃から麻原さんの下で修行を始めました。そのころ私は自分の人生や健康について悩みを持っており、それらが麻原さんからのアドバイスや修行によって解決され、心の安穏か得られたことから、修行にのめり込んでいったのです。
 その当時は少数の人員だったので、自分の修行以外に機関紙を作ったり、セミナーの企画や実行などいろいろな仕事をこなしていました。それが、教団が大きくなる、すなわち在家信徒や出家修行者が増えるに従って部署が幾つも出来、仕事が分担化されました。私は麻原さんから直接修行指導を受けた経験から、在家信徒に対しては修行の指導を、出家修行者はそれに加えて生活面の指導もすることが長年の仕事の中心でした。
 その様な訳で私は正悟師であり、労働大臣でもあったので、いわゆる教団幹部と言うことになるのでしようが、教団全体の活動方針を決定することには関与していませんでした。誰がどの様にして方針を決めていたのかは非常に不明確で、その時々によって参加する人達は流動的であったのではないかと思いますが、宗教団体である以上、その長である麻原さんが最終意思決定をしていたものと思います。
 私は自分の人生や健康面などの悩みを克服するために、麻原さんの下で修行をはじめたのですが、その希望を叶えてくれた麻原さんに私は絶対的な信頼を置いていましたし、麻原さんは私の最大の理解者でもあると考えていました。ですから、その恩に報いることがしたい、自分で役立てることがあれば、何でも喜んでやらせて戴こうと常々思っていました。これは私だけでなく、麻原さんを信奉する人ならば誰しもが持つ帰依という気持ちの一部です。
 教団にいるからには、程度の差はあるものの、麻原さんに帰依をしているわけですから、当然ながら、麻原さんの意向は絶対なものでした。その指示に従わないことなどは決して有り得なかったのです。
 もし、従わないならばそれは教団を去る決心をしたのも同然と言えます。
 同様に自分よりもステージの高い人から指示された場合も、麻原さんの意思と同じだとされていましたから、これにも従うのが当然とされていました。
とは言っても、修行を始めて間もない人や極めて自我や固定観念の強い人は指示された時に嫌だと思う心の葛藤か生じるものなのですが、それは本人の努力不足、自分が至らない為だと考えるのでした。 
 そういうプロセスを経験し、前述の様に帰依の気持ちが芽生えると、指示には素直に喜んで従える様になりたいとか、何とか期待に応える結果を出したいと欲する様になるのです。一般の方にこれを判っていただくとしたら、家臣が城主をとても敬愛していて、城主の為ならどんな苦労もいとわないし、苦労を苦労と思わないでいる様な状態とでも言えばよいでしようか。
 私も長年に渡りその様にして来ましたので、指示された内容について、これはやりたくないとか、そうでもないといった私的感情を差し挟んで考えたり、
感じたりすることが無くなっていました。
 松本サリン事件や地下鉄サリン事件の実行犯となった人達の場合も、通常の教団の活動範囲からはずれた行為を指示されたのですから、ざわめく心を押さえて弟子として取るべき態度の雛形に自分を台わせる様にした、つまり麻原さんの指示に対して、これは善か悪かといったことを考えない様にして従ったのではないかと思います。
 この様なことを申し上げると、これらの事件の被害者の方々を不愉快な気持ちにさせてしまうかもしれませんが、実行犯の人達も被害者の一面を持っていると私は考えます。
 教団が組織化されたころから活動内容も分業となり、自分の担当以外のことを知らなくなったことは、先ほど述べたとおりですが、いわゆるシークレットワー
クも同様でした。 シークレットワークは主に厚生省、科学技術省、諜報省、自治省、建設省などで行われていたようです。シークレットワークの具体的指示や話し台いは、これらの省の代表と麻原さんとの間で行われていたようで、その内容は部外者には知らされることはなかったので、私もシークレットワークの中身は全く知らされていませんでした。
 また、私が大臣を務めていた労働省は、出家信者の修行とパーフェクトサーヴェーションイニシエーションに関する仕事をしていて、シークレットワークには
全く関与していませんでした。ですから、私が逮捕された以外は、省内の者は誰一人として逮捕などされていません。
 シークレットワークの内容は聞かされていなかったといっても、キリストのイ
ニシエーションで麻原さんから渡されたグラスに入った飲み物を飲んで間もなくすると、どんな激しい修行をしたときにも体験したことのない、異様な幻覚や
幻聴を味わいました。それでこれは、覚醒剤や麻薬のような人の五感や意識に影響を与えるもので、通常は作ったり使ったりすることが許されていない類の薬剤だろうと感じました。
 また、その体験から1〜2か月後に当時治療省だった林りらさんから、イニシ
エーションを受けた人の体内から薬の成分を早く排出するために温熱修行と並行して利尿剤を使用していると聞きました。
 また、遠藤さんがボツリヌス菌の話をしているのを耳にしたことがあったので
すが、これは教団に危害を加える人たちへの対抗措置として考えているのだと想像していました。 
 すなわち、私は、このようなことから非合法活動が存在することは薄々知っていました。 倫理的に考えれば、これらのことを知った時点で教団から抜けようと考えるのが筋だと思うのですか、当時は、帰依する麻原さんと麻原さんの意思の反映された教団に対して、批判の意識は持たなかったし、何の行動にも出ませんでした。
 また、出家修行者や在家信徒に対しても、非合法活動のことは知らない振りをしていましたし、これらのことか外部に知られるようになって起こってきた
教団に対する社会的批判については、まさに宗教弾圧だと煽動するようなことを言っていました。
 しかし、教団でサリンという殺戮兵器が作られているとまでは思いませんでしたし、これを使用する計画があったとは考えませんでした。 松本サリン事件や地下鉄サリン事件が起きたとき、教団と関係があるのではないかとの思いが脳裏をかすめたことがありましたが、それは、麻原さんが私の思考範囲を超えたことを考えたり行動したりするので、普通では考えられないこれらの事件についても、ひよっとしたらと思った訳です。私が思いもかけなかったこととしては、ほかにも、たとえば、選挙出馬、石垣島セミナー、ロシアへの布教ならびにラジオ放送開始、熊本県波野村をはじめ上九一色村の広大な土地購入と多数の大きな建物の建設などがあります。
 そのようなわけで、サリン事件が教団の犯行であるということについては、まさに「頭をよぎった」という程度のもので、基本的には教団と関係がないと思っていました。教団の非合法活動は薄々知っていたとはいえ、まさか麻原さんが教団と何の関係もない多くの人たちを殺傷することまで考えていたとは思えませんでした。むしろ、松本サリン事件については、当初マスコミが盛んに報じていたように、第一通報者の方が犯人であろうと思っていたのです。
 私は、犯人隠避の逮捕後しばらくは黙秘していましたが、松本と地下鉄のサリン事件で被害に遭われた方々のご遺族の悲しみや苦しみと、逮捕された人たちが激しい心の葛藤にさいなまれながら供述していることを聞き、被害に遭われた方々には教団幹部の一人として、また供述している人たちに対しては、かつての修行仲間として、自分は事実を話す立場にあると考えました。
 また、教団から少し距離を置いて考えてみたいと思ったので、教団が付けてく
れた弁護人を解任して、国選弁護人をお願いすることにしたのです。そして、取調では、本件について私の知っていることはすべてお話しして、調書を取っていただきました。
 後で調書の内容か明らかにされると思いますが、松本サリン事件および地下鉄サリン事件について教団の犯行だとわかっていたかのように記載されている点は、実際の自分の認識よりかなり誇張されていると思います。これは、弁護人から調書の内容について確認されたときに分かりました。取調の際、検事さんから無理にそう供述させられた訳ではありませんし、調書もちゃんと読み聞かせていただいたので、今更誇張だなどと言うのは申し訳ないのですが、事実は先に述べたとおりに事件が教団の犯行ではないかとの疑問が頭をよぎった程度だったのです。
 しかし、取調の時には、すでにサリン事件が教団の犯行であることは疑いようもなかったことですし、遠藤さんが非合法の薬剤を作っているらしいことは知っていたのですから、遠藤さんにお金を渡した当時サリン事件が教団の犯行と知っていたか否かは重要ではないと思ったのです。そのため、調書の読み聞かせの際にも、その部分が誇張された表現になっていたことは気にとめていなかったのです。
 私は、現在ではもちろん、松本サリン事件や地下鉄サリン事件をはじめとする数々の犯罪が教団の犯行であることはわかっています。特に松本サリン事件や地下鉄サリン事件については、教団に10年も在籍していた私にとってさえ、驚きです。麻原さんがどのように考えて指示したのか、また現在どのように考えているのか、是非麻原さん自身に説明してもらいたいと思います。
 私は、今でも、麻原さんの教えの中には、良かったものがあると考えています。実際そのおかげで私自身の心の安穏が得られていたこともあります。また、教団の初期のころ、麻原さんも私たちと一緒に修行し、自己の向上を目指し仲間同士が日々切磋琢磨して修行に励んだ共同生活は実に健全なことで、今となってはなつかしい思い出です。このようなことは教団があったからこそ経験できたことで、良かったことだと思いたいのです。しかし、教団の非合法行為によって多くの人たちの命が奪われ、それが救済にならなかったことを考えると、私は今となっては教団に価値を見出すことはできません。そこで、逮捕当初の黙秘の態度を改める時点で、私は、すでに教団を離れる決意を固めました。
 弁護人から、教団を離れる決心をしたのであれば、脱会届けを出した方がよいと聞いていたのですが、私が指導してきた後輩出家信者や在家信徒に対して、責任を放棄するようで無責任だと思い、脱会届は出さずにいました。しかし、先日の勾留理由開示において、私が教団を離れるつもりでいることと、後輩出家信者へのメッセージとお詫びを伝えることができましたので、このたび、けじめとして教団宛に脱会届を提出しました。
 私は、今は教団のことも麻原さんのことも、冷静に、また客観的に見ることか
できるつもりです。この裁判には厳粛な気持ちで臨み、知っていることはすべて正直にお話ししたいと考えます。また、私が受けるべき罰は謙虚に受けたいと思います。                                            以上