■石井久子被告(マハーケイマ正大師)の意見陳述

平成7年(刑わ)第1774号外 併合事件

更新に際しての被告人の意見

被告人 石井久子

1997年 5月16日

東京地方裁判所 刑事第4部合議係 御中



第1 犯人隠避・死体損壊罪について   2つの犯人隠避罪及び死体損壊罪についての私の意見は、前に述べた通りです。

第2 証拠隠滅罪について

1.熊本地方裁判所での私の意見との違いについて  
  私は、熊本での裁判の当時、「自分達が国土法関係の事件で逮捕されたり起訴された
  りしたのは、熊本県や波野村が検察庁と一緒になって、教団を弾圧するためだ」と頑に
 信じていました。そのため、裁判でも、教団の方針として、そのような意見を述べたり
 、事実についても違ったことを言ったりしてきたのです。  
 けれども、その後、教団が地下鉄サリン事件等の重大な事件を起こし、教団が取り返し
 のつかない過ちを犯したことが判りました。  
 何より、後で詳しく述べますが、私自身の気持ちが、熊本の裁判の当時とは大きく変わ
 りました。  
  ですから、東京地方裁判所この事件が審理されることになった今、もうこの事件につ
 いて「宗教弾圧だ」という意見をいたずらに繰り返すことはしませ ん。
 また、事実についても、これまで犯人隠避事件の審理にあたっての意見としてお話し
 しました通り、あったことはあったこと、なかったことはなかったこ
 と、知っていることは知っていること、知らないことは知らないこととして、きちんと
 述べていきたいと思います。  
2.国土法違反事件や証拠隠滅事件の捜査の中で私が体験したこと
 1 先にも述べました通り、私は、ここで、捜査や起訴が「宗教弾圧だ」という当時
 の教団の主張を繰り返すつもりは一切ありません。  
 ただ、当時の捜査や取り調べで実際にあったことや私が体験したことについては、
 冷静にお話したいし、そのことをきちんと裁判官に知っていただきたいと思います。
  そして、そのような捜査を体験する中で、どうして当時の私が「宗教弾圧」との被害
 者意識を強めていったのかも知っていただきたいと思います。   
 2 強制捜査についての驚き
  国土法違反関連の事件では、全国の教団の施設に一斉の家宅捜索が入りました。捜索
 は大がかりなものでしたので、大変驚きました。 
  また、その捜索について、当時、私は、事件との関係のないものがたくさん押収され
 たという話や、捜索に立ち会った信者が警察官にけがをさせられたというような話を聞
 きました。 
  そのような話を聞くにつれ、私は「やはりこれは弾圧なのだ」という思いを抱くに至
 ったのです。  
  3  私が逮捕された経緯について 
  このような中で、私自身が、国土法の関連事件で嘘の仮払申請書を検察庁に提出した
 という「証拠隠滅事件」で逮捕されることになったのですが、私は、今でもこの逮捕の
 経緯については納得できないところがあります。 
  と言いますのも、実際に仮払申請書を検察庁に提出したのは麻原さんで、私は、当日
 麻原さんに付き添っていて、目の見えない麻原さんに代わって、提出用の用紙にサイン
 しただけだからです。 
  1990年10月26日当日、麻原さんが国土法関連の事件の取り調べのために熊本地方検
 察庁に呼ばれました。私は、そのとき、麻原さんの付き添いとして一緒に熊本地方検察
 庁に行きました。その取り調べの中で、麻原さんが「仮払申請書がある」という話をし
 たところ、検事の要請でその仮払申請書を提出することになったのです。 
  そこで、申請書類を検察庁に提出するには、そのための任意提出書に提出者がサイン
 をしなければならないと言われました。 
  ところが、麻原さんは目が不自由なので、提出書にサインすることができませんでし
 た。そのため、麻原さんと検事さんの二人が、私に代わりにサインするように指示した
 のです。
 このような経緯で、このような事情を十分知っていたはずですが、麻原さんではなく
 、代わってサインしただけの私が証拠隠滅事件で逮捕されました。当然ながら、私自身
 、まさかこういう理由をつけて逮捕されるとは思っていませんでした。 
  このような、あたかも「引っかけ」のような形で「証拠隠滅事件」の被疑者として逮
 捕されたため、私は、当時、「やはり、これは宗教弾圧なんだ」という思いを強めざる
 を得ませんでした。
   また、今、新たに冷静な気持ちで振り返ってみても、このような逮捕の経緯だけは、
 どうしても納得がいかないという思いです。 
 4 取り調べでの体験 
  逮捕された後、私は、熊本の検察庁で取り調べを受けました。
  その際に私が体験した苦痛や、検事さんが私に対して投げかけた酷い言葉の内容は、
 熊本地方裁判所での意見陳述の時に述べさせていただいた通りです。
  この内容については、嘘をついたり、ことさらに大げさに誇張したりしたものではあ
 りません。むしろ、言い足りない部分もあります。
   そして、何より、取り調べの時に私の受けた取り扱いが、私自身の心の壁をますます
 厚くすることになったのです。 
  今考えても、取り調べの時に大変に辛い思いをし、どうして私がこんなことを言われ
 なければならないのかと悲しい気持ちになったことは事実です。 
3.起訴された事実について
  1 土地の取り引きや国土法に関連する事実について 
 私は、熊本地方裁判所での裁判では、教団の方針に従い、その中で自分の役割を全うし
 ようと思い、 
  1 教団は藤川和雄さんから土地の負担付贈与を受けたのであって、土地を買ったので
   はない。
  2 仮払申請書は本物で、偽造のものではない。 等と、事実に反する主張を続けてき
   ました。
    けれども、最初にもお話しました通り、私は、東京地方裁判所での裁判が始まってか
   らは、事実についてはきちんとお話しようと思い、そのようにしてきましたので、この
   熊本の事件についてもきちんとお話したいと思います。
    本当は、教団は、藤川さんから土地を買ったのだと聞いています。
    また、仮払申請書は、後から作ったものです。
    ただ、私は、藤川さんかた教団が土地を買ったり、登記の届け出をしたりした詳しい
   事情や経過については、私自身実際に何も関与していませんので、正確にはわかりませ
   ん。また、関与した人達から、きちんとした詳しい説明も受けていません。
    1990年10月頃、熊本県の告発や早川さんの逮捕が問題になった頃になって初めて、
   この取り引きを巡るいろいろな事情を少しずつ聞くようになり、そのような情報から総
   合して全体の流れを知ったというのが本当のところです。
   2   仮払申請書を提出した時のことについて
  この点について、起訴状では、私が検察庁に仮払申請書を提出したと書かれています
   が、そのような事実はありません。  すでに述べた通り、提出したのは麻原さんであり
   、私は、検事さんと麻原さんの二人に指示されて、任意提出書に形だけサインしたに過
   ぎません。
第3 更新に際して現在の裁判に臨む心境 
1. 国土法違反に関連して逮捕され、熊本地方裁判所で公判に臨んだ段階と、東京地方
  裁判所で犯人隠避罪等で公判に臨んだ心境は、かなり違っていますので、それを述べた
    いと思います。  
       現在、私自身は、知っていることは知っている、知らないことは知らない、関与して
    いないことはしていない、していることはしていると事実をなるべくきちんと述べてい
    きたいと思っています。これは東京地方裁判所で犯人隠避罪等の公判で述べた通りです
    。ですから、この東京地方裁判所で公判を受けるようになってから現在まで、私自身、
  事実についての考え方は変わっていませ ん。でも、熊本地方裁判所での逮捕、公判廷と
    は違っています。 
2. 熊本地方裁判所での公判に臨む時と現在で心境になぜ変化があったかを説明します。
   熊本においては、私自身は、まさか逮捕されるとは思っていなかったこと、しかも逮
 捕される過程でだまし討ちにあったような形に加えて、取り調べのあまりの酷さに警察
 も検察も裁判所も宗教弾圧をしていると信じざるを得なかった状況があります。取り調
 べが酷ければ酷いほど、私にはとにかく社会はオウム真理教を潰そうとしている、とい
 う被害者としての意識が先立ちました。  まだ熊本での折は、地下鉄サリン事件等もな
 く、私自身、真理を説いているのは自分達だという確信を持っていた時期でもあります。
  取り調べの非人間的な態様や逮捕、公判等の外圧でかえってますます心の壁を築いて、
 教義、教祖への確信を強めることになりました。だから、正義は自分達にあると信じて
 疑わず、裁判というものは私とオウム真理教への弾圧の一つの方法としか思えませんで
 した。当然、このひどい逮捕を認めている司法制度というものに何の信頼も置けません
 でした。それで、私自身がどうしたいかというより、この弾圧に対してオウム真理教が
 どう対処するか、自分はその中でどう振る舞うべき か、与えられる役割をきちんとこな
 していくことを第一に考えていたのです。
   また、現実に、熊本の事件の内容は、私個人というより、オウム真理教という組織が
 どう動いたかが争点でした。
3. それから大分時間が経過し、犯人隠避罪で逮捕される時は、私の逮捕への気持ちは熊
 本の時とは違っていました。この頃は私の逮捕はどういう罪名かわかりませんが、マス
 メディアが秒読みであると言っており、他の人の例から見ても、私の宗教上の立場から
 も、とにかく逮捕されるであろうと自分でも予測しており、半ば諦めきっていました。
 逮捕されてから、地下鉄サリン事件の犯人を知っていただろうと言われたり、死体損壊
 罪などというまったく事実と違う罪名で再逮捕された時は、やはり私自身、迫害されて
 いるという被害者としての気持ちを強めましたが、同時にこの前から教団が関与してい
 たとされるその他の重大事件が公になっている段階でしたので、熊本での事件とはまっ
 たく別の気持ちが出ていました。警察や検察が情報を得ることを目的として人を逮捕す
 るのは正しいとは思いませんが、教団が何か重大なことに関わっているらしいことから
 、私を逮捕してでも何か知りたいと思うのは、予測できる状況でした。
   長時間の取り調べが続く中、警察、検察官の取り調べ方法は熊本の事件の時の想像を
 絶するあの酷さよりはいくらか緩和されたとはいえ、取り調べ中はかなり消耗を強いら
 れ、とても落ち着いて考えるゆとりも時間もありませんでした。ただ、事実についてど
 う語るべきかということについては、犯人隠避罪で逮捕されてからは、もう教団を守る
 ためにどうすべきかという指示もなく、指導もなく、私は私自身と私自身のことのみ考
 えればよい、と弁護人に言われました。それで弁護人には当初から事実を話し、どう法
 的に評価できるのかは私にはわかりませんが、弁護人の法的アドバイスを受けながら、
 また、自分の考えで考えていくようになったのです。そして、事実について知っている
 ことは知っている、知らないことは知らないと端的に述べることが自分にとっても精神
 的にも楽であることも発見しました。東京地方裁判所に来てからは、そのような気持ち
 なので、熊本の時のように教団のために事実を曲げる必要もなくなりました。
  そして、教団に属していない人以外は信じられないとか、宗教弾圧であるという片面
 的な想いのほかに、自分の置かれている立場の中で何ができるのかと真剣に考えること
 が、取り調べがなくなると、徐々に可能になりました。  
4. 取り調べがなくなってからは、なるべく積極的に本を読んだり、新聞、雑誌を読んだ
 りしました。外からの情報に接するにつれて、地下鉄サリン事件をはじめとしての重大
 事件を少なくともオウム真理教が関与していたことは否定のしようがないと確信しまし
 た。それはどういう意味を持つのか考え続けてきたのです。こうして私は教団の関与し
 たこと、麻原さんのしたことの事実を知りたいと思いました。それまでは、外の世界
 に 目を背け、それが修行と信じていましたが、本当は一体何があったのかを知りたいと思
 うようになってきました。   
5.それから、唯一、絶対と思っていたオウム真理教の教義について分析するようになり
 ました。今までは、麻原さんからオウム=仏教と教えられてい て、オウム真理教の解釈
 以外の仏教学者の話や本は読まないようにと言われていました。私自身もともと仏教の
 素養がないので、麻原さんから教えられた解釈が唯一の正しいものと思い続けていたの
 ですから、教義を分析するようなことはなかったのです。距離を置いてもともとの仏教
 の教えとオウム真理教の教義の違いを自分で対照して、その違いについて考え続けまし
 た。根底にはやはり、なぜ多くの人々の命を奪う必要性があったのかという思いでした。
  それは、法的には私は地下鉄サリン事件等にはまったく関与していないと言われても
 、私自身の心の中では私の問題であり続けました。地下鉄サリン事件もまた、私自身の
 問題だと考え続けました。詳細は被告人質問等で述べる機会があるということですので
 、今は多く言いません。ただ、それを考え続けることがどれほどつらかったか、何か回
 答を求めて教えを聞きたいと思い続けてきたか、もがいていた心の状況は口では説明で
 きません。教義を分析するにはもう、麻原さんの言うことを信じていてはできないので
 す。批判的な心でなければ、分析はできないと思いました。  この過程で誰かの教えと
 いうものはありませんでした。私はこう考えるべきだというグルの指導に慣れ続けた自
 分と、それがなくなると動揺してしまう自分を発見しました。警察や検察では強圧的に
 オウム真理教は間違っていると言われ続けてきましたが、そうではなく、何の指導もあ
 りませんでした。弁護人も宗教や信仰心は大切なことなので、自分で考えて時間をかけ
 てもらってかまわないし、回答は出ないかもしれないという、私自身の頭と心で判断し
 てください、というアドバイスの中で、他人に強制されないこと、その自由が怖いこと
 がわかったのです。  
  つまり、選択の自由、思考の自由の怖さは、自分の選択が間違っ
 ているのではないか、そして、その責任は自分が負わなければならないという孤独さで
 した。絶対的、唯一のものであると信じて、それに向かってひたすら修行している時は
 考えなくてもよい怖さでした。多くの人々と生活を共にし、日常の雑務に追われ、子育
 てに追われていれば考える暇もなく、外から命を狙われているほど弾圧されていると信
 じ、だから教団内部で結束していた頃には感じたこともない孤独さでした。 
6・ 詳細は後の裁判の機会で述べますし、私自身これからもっともっと考え抜いていきた
 いので、現在の心境はまだすべてを分析し抜いていないと思っています。  
  苦しくても、自分が否定されようとも、考え続けていきたいと思っています。
 同時に、分析したことを口にすることは本当に辛いのですが、口に出すことで私は、
 オウム真理教を唯一、絶対と信じ、多くの人に説いてきたことへの責任を担いたいので
 す。 
7. オウムの教義は、その100 %が麻原さんの考えが反映されていて、他の人の意見は
 一切入っていません。既存の教典類を麻原さんが独自に解釈したもので、ベースは仏教
 なのですが、仏教とはまったく別物になっていました。麻原さんとの人間関係も最初の
 頃は上下関係ばかりではなかったのですが、封建的な主従関係と同じように変わってい
 ったのです。私はオウム真理教にまず接触し、信仰していたので、仏教との違いもこの
 ように自分で勉強し、考えるまでわかりませんでした。ただ、修行が一つの自己の精神
 を見つめ直したり、健康によかったことはあります。私はようやく仏教やその他の宗教
 と比べてオウム真理教の教義を客観的に見ることができるようになったのも、もともと
 オウム真理教のベースにあった仏教的考えに触れたせいもあるからです。私は順番は間
 違ってしまい、大きな人生の失敗をしてしまったとは思っていますが、仏教の教えの中
 で自分を見つめ直すこともできています。そして、オウム真理教の教義は仏教の教義と
 比べてやはり人を差別化すること、それが何よりも大きな間違いであったこと、これが
 究極までいくと殺人まで犯す余地を持っていたと思っています。  仏教の基礎は帰依と
 菩提心(四無量心)です。多くの宗派がありますが、それでもすべての仏教は
 1 菩提心の実現─これは後に述べる慈悲喜捨を実践すること  
 2 空性の理解─悟りの境地を体験し、煩悩を滅した状態を経験する。因果の法を知る
 3 慈悲の完成─別け隔てのない広大な慈悲の完成 を目標としています。 
 この中でも1の菩提心(四無量心)の内容である慈悲喜捨とは何かというと、私が勉 
 強した限りでは、仏教においては、
  慈(愛) すべての生命が幸福であるよう願う愛の心を育てる
  悲(哀れみ) 苦しみに出会っていることを哀れみ、その苦しみを取り除いてあげたい
 と思う  
  喜(喜び) すべての生命の幸福を見て、自分も喜びに満たされている心を育てる(嫉
 妬を乗り越える)  
  捨(平等心) すべての生命に対して偏りのない平等な心を養う。敵に対する怒りや
 憎しみを捨て、近しい者への過度な愛着を捨てること  
  ここには、敵も味方も区別はありません。そもそもそういう差別、区別を否定するこ
 とが最も重要であると唱えているのです。  
  ところが、オウム真理教の教義を分析していくと結局、慈と悲は、敵に対しての悲し
 み、味方に対しての愛と教えられていました。その時は敵という言い方はしていなかっ
 たのですが、例えば、修行をしている人々には愛、修行をしていない人には悲しみとい
 う言い方をしていても、突き詰めていくと敵、味方という区別を持ち込んでいたのです。
  もちろん、教義上、敵は殺してもよいなどとはっきりと言われているわけではないの
 で、この区別が持ち込まれていることに対して、私自身、もともとの仏教は知らないの
 で、それほど重大な違いだとは今まで思っていなかったのです。   
  また、喜は自分の先輩や指導者を称賛すること、捨は何があっても過去の自分のカル
 マ(業)の現象化と考えて、無頓着であれと言われていたのです。つまり、喜の中に上
 下の関係を持ち込むことで、仏教の言うところのすべての 人々の平等という重要な教え
 を骨抜きにしてしまいました。捨は、ここでは平等とは似ていても実は無関係の、むし
 ろいろいろな現象について何が直接的な原因なのかを考えたり、悩むなということで思
 考停止状態がよいとされていたのです。   
  ここで、オウム真理教の教義は、外と内を区別して、外に対して結束し、閉じた関係
 を作り、かつ、その内部で儒教的な権威に従ったり、上の判断に従うことで自分でもの
 を考えなくてもよい状況を作り、かつ、平等とか博愛とか言葉は違っても、それこそ宗
 教のみならず、世界中の人々があらゆる分野、すなわち文化、政治、あらゆる状況下で
 突き詰められ、追い求められ、検証され続けている根本を追求しないようになっていた
 のです。   
8.教義の間違いを確信すると同時に、私は麻原さんという絶対的な指導者として仰いで
 きた人のことも、客観的に見ることができました。  麻原さんは絶対的な、間違いのな
 い100%のグルではなく、弱さを持ち、間 違えることもある人間であったのだというふ
 うに今では思っています。    
 私が求めていた完成されたものの体現ではなかったのだと思っています。
9.私自身は人減の弱さに充ちている自分というものをもっと鍛えていきたい、自分の心
 の中にある悪しき想いや、卑しい欲求を否定して、生きている限り、よいものへと自分
 を近づけたいという強い希望は今なお持っています。  
  自分を見つめるほど、昔は自分の未熟さばかり目につき、とにかく早くよいものに向
 かっていくにはグルが必要であり、そのグルこそ麻原さんと信じて疑わなかったのです。
   今は、自分がついていった人は間違っていた、また、間違ったことをしてしまった人
 であると思います。  
   私は自分が信じていた教義、教祖を常に自分自身を含めて検証していくということを
 していませんでした。というより、それをしてはいけない、それこそ仏教の言う帰依で
 あると教えられて、疑問を持たないように自分を律していたのです。連帯感というか、
 いま思えば偽だったのですが、その中に自分を委ねていたのです。   
10.なぜ、そんなふうに長年の間になっていったのかは今はやはり自分自身を分析中で、
 いずれきちんと整理してお話ししたいと思います。
    私は今、ぽんと一人で放り出された闇の中で光を自分で作っていくよう言われていま
 す。でも、闇の深さは私自身が作りだした壁のせいかもしれないとも思っています。私
 は本当は苦しいのですが、この苦しみを自分の責任と思い、裁判の中でこれからも考え
 続け、考え抜いたことを話していきたいと思っています。
    教祖という存在に限らず、多くの人が言っているからというような安易な流れに身を
 任せることはせずに、事実を述べ、事実を話すことでつらくともそれに向き合って裁判
 に対して真摯にこれからも臨んでいくつもりですし、たとえ私の裁判の対象ではないと
 しても、オウム真理教が起こした事件について考え抜いていくつもりです。

 以上