豊田亨被告− 弁 論 −東京高裁にて −2004.3.29
弁護団の了解を得て、高裁の弁論要旨をアップします。
同被告の成育歴や麻原との出会いを、思潮背景、時代背景をふまえつつ個別具体的に検討しており、また弁護人自身の経歴感覚もふまえて記述されている。マインド・コントロールに関する証言から分かったことを記述してあり、オウム事件の弁論として、完成度の大変高い弁論だと思う。
なぜ麻原さんの指示で事件を起したか、その上で量刑をどう考えるか、説得力ある判決とならなければ、刑事裁判の歴史に禍根を残すと思います。
2004年7月28日判決でした。一審と同じく、広瀬被告、 豊田被告について死刑判決、
杉本被告について無期懲役判決でした。
平成13年(う)1625号
弁 論 要 旨
平成16年3月29日
東京高等裁判所第5刑事部 御中
被告人 豊 田 亨
主任弁護人 弁 護 士 藪 下 紀 一
弁護人 弁 護 士
宮 田 桂 子
弁護人 弁 護 士 大 木 和 弘
上記被告人に対する殺人等被告事件について、弁論の要旨は下記のとおりである。
記
第1 事実誤認
本法廷で取調べられた証拠により、原判決が、被告人に対してオウム真理教(以下オウム、教団と省略することがある)から受けたマインドコントロールの影響を無視したものであり、その結果、責任能力、あるいは期待可能性の判断を誤ったものであることは明らかである。
また、控訴趣意書に記載のとおり、原判決で取り調べられた証拠からも、事実誤認が指摘できる。
1 被告人に施されたマインドコントロールについて
被告人は、教団より強烈なマインドコントロールを受け、その意思決定に極めて大きな制約を受けた状態で犯行に及んでいる。
一連のオウムの事件は、海外で多数生じた破壊的カルトの事件と同様に、信者に対するマインドコントロールによってもたらされたものであり、過去存在した組織犯罪とは全く異なった性格のものであることを認識すべきである。
(1) マインドコントロールとは何か
T 破壊的カルトとは何か
現代の社会には、破壊的カルトと呼ばれる集団がある。破壊的カルトは、反社会的な活動を行う熱狂的な組織集団であり、自らの反社会性を表に出すことなく、例えば、宗教や教育や治療組織等の様々な装いのもと、表面的には合法的に活動しているかのようにふるまって、メンバーを獲得し、そのメンバーに心理操作を加えて反社会的活動を行わしめるものである。
破壊的カルトの特色としては、
@ 虚偽と欺瞞の組織
例えば、教祖の神聖を説くための作り話を作り上げたり(例えば教祖には超能力、予言の力があるなど)、一般の人が近づきやすいようにダミー組織を持っていたり、ほとんどの信者には明かされない秘密の活動や組織のしくみがあったりする。
A 入会・脱会の自由の剥奪
例えば、脱会への厳しい処罰や、入会時に全財産を組織に寄付させたり、対人関係を全て切ることを条件にすることなどが考えられる。
B 組織のトップとメンバーの支配・隷属関係
破壊的カルトのメンバーは、衣食住のあらゆる面でリーダーや幹部の命令に服従させられており、労働力を収奪され、集団の富はそのようなトップに独占されている
C 公共の福祉に反する活動
例えば、インチキな目的での募金やお布施集め、教育や医療を受ける権利の剥奪などが行われ得るがあげられる(「マインドコントロールとは何か」破壊的カルトとはいかなる集団かP12〜19)。
歴史的にみれば、絶対的な為政者の下で、異常ともいうべき行動をとった人々(例えば、ナチスのユダヤ人大量虐殺やポルポト派の自国民の虐殺など)がおり、人間は、特定の条件下では、どのように能力があろうと、知性があろうと、殺人をも肯定し、それを完遂し得る。現代民主主義の社会において、情報が開かれ、人々の自己決定や選択の自由が保障され、価値相対主義がとられているのは、このような歴史的な出来事への反省に基づく。破壊的カルトは、このような現代民主主義の価値観と対立する存在であり、情報管理を始めとした様々な拘束によって、そのメンバーを操り、違法な行動へと導くのであり、その結果、殺人等の社会に敵対する行動をも、メンバーに正しいものとして行動させ得るのである(西田公昭氏の第8回公判廷における証言P13〜15、P80。以下「供述者第○回」という形で摘示する)。
U 破壊的カルトの破壊的説得=マインドコントロール
マインドコントロールとは、破壊的カルトが新メンバーを獲得したり、集団の維持・強化のために応用する、心理的拘束のシステムであり、組織の「表」と「裏」の二重構造を気付かれにくくしたり、「悪事」と見える行動をメンバーには特有の論理で正当化し、納得させる技術といってもいい。そ れは、従来の心理学的研究によって確認されてきた対人的・心理的拘束力を強力に作用するようシステム的に組み合わせて使用した集団運営技法を総称する概念である(「マインドコントロールとは何か」破壊的カルトの集団運営の方法P20〜21)。
破壊的カルトは、このような心理操作を行うとき、人間の日常的な意思決定や行動が、個人的要因(欲求、意見、動機、性格など)と環境的要因(時間や場所といった自然的・社会的状況、所与の情報など)の相互作用であることを熟知し、これら要因を巧みに仕組む。とくに環境要因の操作によって心理操作は容易に行い得る。つまり、破壊的カルトは、仕組んで用意したある環境に個人を誘導して徹底的に環境を操ることで、個人の欲求や意思に方向性を与え、個人の意思決定を組織の意図する方向に自然的に制限させるように仕向けるシステム技法=マインドコントロールを行うのである。
V 「洗脳」と「マインドコントール」の違い
「洗脳」とは、個人の自由意思を破壊してしまう教化システムであり、長時間個人を拘禁状態にして拷問したり、薬物を投与したりして、個人の精神構造を、強制的、生理的に条件づけるものである。人は外部からの過度の刺激にさらされ続けたり、逆に極端に刺激の少ない状態にさらされると、過去に条件づけられた反応とは逆の反応をするようになる。このような物理的、身体的な強制のもとでの人間への生理的な影響を利用して、人間の意思の変容をはかろうとするものが「洗脳」といえる。
マインドコントロールは、もっと洗練された技術であり、物理的な身体的拘束等を必要条件とはしない。説得や暗示等の、心理学的なテクニックを用いてなされるマインドコントロールは、洗脳の概念では説明しきれない、破壊的カルトへの帰属をもたらす破壊的説得を解明するためにでてきた概念である。1974〜75年に、アメリカで、パトリシア・ハースト事件とよばれる、富豪の令嬢が破壊的カルト集団に誘拐され、その後、このカルトに同調した彼女が銃で武装して銀行強盗を働く事件がおきた。この事件では、彼女が「洗脳」を受けたものといえるかどうかが争われたが、裁判ではいれられなかった。しかし、その後の研究で、このような彼女の「転向」は、洗脳概念では説明しきれなかったこと、人の心と行動を変える技術が「洗脳」の技術よりも進化をとげたことがジンバルドらの心理学者によって指摘された(なお、上記事件は、パトリシアに「洗脳」は認められないとしたが、彼女は死刑を言い渡されることはなく、懲役7年を言い渡された。公知の事実)(以上について「マインドコントロールとは何か」 第3章P46〜82)。
W 「マインドコントロール」が心理学上定説であること
「マインドコントロール」という用語は、一般に知られはじめて誤解され、非常に多義的に使われるとともに、ジャーナリスティックな概念になってしまったこともあり、心理学上の専門的概念として完全に定着したとまではいえない。しかし、「マインドコントロール」という言葉で説明される個々の心理的拘束力は、心理学研究上の常識であるし(西田公昭氏作成の「意見書」P2。以下「意見書」という、「マインドコントロールとは何か」P53)、心理学界では、この問題について研究費等を支出して積極的に研究を進めており、その成果は好意的に受け止められている。「マインドコントロール」は、内外の心理学界でも、基本的な考え方の枠組みは承認されている(「マインドコントロール」という言葉を研究者が定義しながら使うような不便はあるにしても)。また、精神医学などの周辺科学の専門家にも受入れられている概念といってよい。本法廷において証言した西田公昭氏(以下西田氏という)は、この分野の研究の世界的第一人者であり、内外でその業績は高く評価されている(以上について西田氏第8回P1〜3、P8、公知の事実)。
X 「マインドコントロール」概念が日本の司法でも受け入れられている概念であること
「マインドコントロール」は、日本の司法でもオウム真理教の事件以前から、民事訴訟において問題となっていた。統一協会の元信者たちが、統一協会に対して、違法なマインドコントロールを受けて入会・教化され違法行為に携わらせられたこと等に対して慰謝料請求を求めた訴訟(いわゆる「青春を返せ」訴訟)があり、裁判所は統一協会の違法なマインドコントロールがあったことを認定し、統一協会の責任を認め、元信者への損害賠償を命じている(最高裁平成15年10月10日・同16年2月26日など。判決日について公知の事実。「意見書」P2〜3、西田氏第8回証言P8〜9)。この裁判においても、西田氏は、鑑定書を作成するなどしている。
(2) マインドコントールの手法はどのようなものか
前述のように、マインドコントロールとは、破壊的カルトによる心理操作であるが、これは、人間の、事柄を認知し、行動を決定する脳内の作業に対する介入である。人間は、自己や外界に対する認知をしており、それに対して知識、偏見、妄想、ステレオタイプ、イデオロギー、信仰、信条などの「ビリーフ」 を用いて現象を理解し、意思決定をしている。そして、個人は、獲得したビリーフを内容によって整理し、構造化していると考えられ、その一つのまとまりのことをスキーマという。たとえていえば、記憶が記載された本がビリーフでテーマ別の書架がスキーマである。
人間は、無造作に習慣的に処理する日常的な出来事から人生を左右するような問題までの様々な認知作業を行わなければならず、自己や環境の事象についての数多くのスキーマを保有しているといえる。ビリーフのスキーマ化は、脳細胞のネットワーク化であり、意思決定の際に活性化する特定の神経細胞の系列をつくり出す(「信じる心の科学」ビリーフシステムとは何か P23〜34より)ことを意味する。このように、スキーマを構造化した意思決定のための認知システムを、西田氏はビリーフシステムと定義づける。
ビリーフシテムは、外界からの情報によって発動する。マインドコントロールのためには、我々が五感から感じとる情報をコントロールすることで判断材料を限定させる方法(ボトムアップ情報の管理)があり、ある情報を目立つ形で送ったり、繰り返し送ったり、恐怖感を煽ったりすることなどがこれに当たる。また、ビリーフシステムという装置そのものを変容させるアプローチもあり(トップダウン情報の管理)、本来主観に左右され、ファジーな性格を持っているビリーフシステムを、人の先入観を利用することや、多数の人や専門家の賛同といった社会的リアリティの利用や、その場の雰囲気の利用や、様々な 働き掛けによって操作して置き換えることがこれに当たる(「マインドコントロールとは何か」P57〜82)。
ビリーフの中でも、破壊的カルトが焦点を当ててアピールしてくるのが、人間の意思決定上重要な役割を果たす。
@自己ビリーフ=自らのアイデンティティに係わるビリーフ群
A理想ビリーフ=自分や社会、世界はどうあるべきかに関するビリーフ群
B目標ビリーフ=自分はどういった行動をすればいいのかに関するビリーフ群
C因果ビリーフ=自然や歴史はどのような法則で展開しているかに関するビリーフ群
D権威ビリーフ=正誤や善悪の基準はどこにあるかといったことに関するビリーフ群
である(「信じる心の科学」5つのビリーフ群P130等)。
ただ、マインドコントロールによっても、過去に作られたビリーフシステムが消え去ることはない。ビリーフは人間の記憶の集合体であるから、これが潜在意識下から消え去るわけではないのである。ただ、心の隅に追いやられ、カルトによって与えられたビリーフシステムが活性化し、日常的な判断に際してそれを用いるように条件づけされてしまうものなのである(「マインドコントロールとは何か」P82等)。
破壊的カルトは、考える材料である情報を管理し、人間の判断のシステムであるビリーフシステムに介入する。そうやってマインドコントロールを受けた者は、あたかも自分の意思に基づいて行動しているように見えても、カルトの誘導に基づく判断をしていることになる。
(3) 破壊的カルトによるマインドコントロールに対する海外の状況および学会の状況
T ヨーロッパでの破壊的カルトへの規制とアメリカの特殊性
アメリカでは、確かに、宗教学者会や社会学者会の中にマインドコントロール概念に否定的な立場の者もある。同国には未だに天動説を教え、進化論を否定する教育をも容認する多様な宗教的価値観を認める社会的背景があり、否定論者たちは、異常な破壊的カルトであっても、違法な行動をとらない限りその活動を認めるべきであるという、非常に厳格な自由観に立脚する。しかし、同国においても、社会心理学者の間では、マインドコントロールは(少なくともマインドコントロールという概念で説明される個別の事象は) ほぼ通説となっているといってよい。
一方ヨーロッパでは、社会が文化的な均質性を持っていることもあり、破壊的カルトによるマインドコントロールの問題が深刻に受け止められ、破壊的カルトについて国会で審議がされ(ドイツ、フランス、イギリス等)、それへの規制を既に立法化している国々が存する(ベルギー、フランス等) (西田氏第8回P21〜23)。
U 「マインドコントロール批判」への反論
「破壊的カルトによるマインドコントロール」の考え方については、全く反論がないわけではない。
遠藤誠一の公判において西田氏に対する検察官の質問で名前が出ているアイリーン・バーカーは統一教会を研究して「マインドコントロール」論に批判的な見解を述べている。しかし、彼女の研究は、統一教会の協力下での調査であり、その調査方法ゆえに彼女の理論を一般化できないと批判されているばかりか、彼女は統一教会に残る人間は、同教会からの働きかけを受けた人間の3%に過ぎないから、心理的な拘束力は強くないと結論づけているのだが、このような数字への評価は、社会的影響力によって決まるものであり、3%だから影響力が低いという結論は導き得ないとも批判されている。例えば、失業率や病気への罹患率が3%であるといったとき、「その数値が低い」とは考えないのが通常であろう。また、日本で「宗教を信じている」と答える人は人口の2%にすぎないという調査もあり、そういう人たちを無作為に抽出して3%を帰属させることができるならば心理的影響力が極めて大きいともいい得る。心理学者の間では、彼女の学説は受けいれられていないのである(西田氏第8回P5〜7、西田氏の遠藤の公判調書反対尋問の宮崎速記官分P3〜5)。
更に、遠藤公判における検察官の西田氏に対する質問では、マインドコントロール概念に対する批判者として、櫻井義秀北大助教授や島薗進東大教授の名前を引いているが、前者は社会学、後者は宗教学の教授であって、心理学の同じ土俵上にあるわけではないうえ、前者のマインドコントロール批判といわれているものは、統一教会が前者の見解を拾い読みしてそのように取り上げたというのが現実であり、実際のところは前者と西田氏の考え方はほぼ同じものである。このような統一教会による統一教会批判をかわすための論まで引いて、なぜ検察官はマインドコントロール論を否定しようとするのか、理解に苦しむ(西田氏第8回P7〜8)。
検察官という日本におけるトップエリートにおいてさえ、このような説に眩惑されるのであるから、非常に感情的、非論理的なマインドコントロール論批判が世に横溢しているのもやむを得ないのかもしれない。しかし、我々は事件処理を通じて、科学の通説を理解し、それに基づいた判断をしていく必要がある。
カルトによるマインドコントロールは、現在では、高校の教科書でもこれに触れるものがあるほどである(たとえば、一橋出版の「現代社会」では、カルトが「マインドコントロールによって教祖への絶対服従を作り出す」と説明されている)。
2 被告人がオウムを信仰し、犯行に至るまでの経緯
(1) 被告人をめぐる世代的状況
日本が高度経済成長をとげる中、70年代までの若者たちは、集団として、マルクス主義のようなイデオロギーによる社会変革をめざした。それが失敗に終わり、80年代の若者たちには、物質文明の進展による人間の心のすさみなどの社会状況のもと、世界的に「ニューエイジ・ムーブメント」といわれる、東洋思想の影響などによる、内面への注目や自己変革への追求、更には自己変革を成した人が増えることで社会が変革できるという思想が広まっていった (西田氏第8回P24〜25等)
このような「ニューエイジ・ムーブメント」や、超能力やUFOなどのオカルティックな内容がテレビで放送され、若い世代に(1960年代以降生まれにはとくに)ある意味当然のもののように感じられるような環境や、近代の価 値観が環境問題等で閉塞感情をもたらされるようになった状況、気功などを通じて東洋思想を見直す動きなどが80年代にはみなぎっていた。このような社会的な欲求や不安の中、いわゆる新・新宗教といわれる、阿含宗、幸福の科学、オウム真理教などが次々と輩出し、この時期は第4次宗教ブームの時代と評された(小田・土本の岡崎に対する鑑定書等)。
オウムに入信した若者たちは、決して異常な関心や特異な性向を持っていたのではなく、同時代の若者と変わらない存在であった。
(2) 被告人が信じたものは全く違法、異常なものではなかった
被告人は子供のころから、人が死んだらどうなるのか、死後の世界への恐怖やそれを克服する仏教や仙道の思想に対し興味を抱き、輪廻転生の思想などを知った。しかし、特定の宗教に関係することはなく、既成の宗教に対してはむしろ否定的な感情を持って生活しており、教養として、精神世界に関わる書物を読んでいた。
被告人は、大学生になった昭和60年4月ころ、偶然に教祖松本智津夫(以下松本という)の「超能力秘密の開発法」を読み、松本が真剣に修行した人だと感じて彼への興味を持ち、同年9月オウム神仙の会に参加した。この会には宗教色はほとんどなく、被告人にはヨガの修行を真剣にしているサークルとしか見えなかった。同年12月に出版された松本の「生死を超える」を読み、被告人は、松本が死後の世界を知っている人だと感じ、死後の世界についての疑問が氷解するような気がし、修行者としての生き方や輪廻転生やカルマの法則、修行を実践する人が存在することに強くひかれた。
このようにして、被告人の心の中には、オウムのビリーフシステムである
・煩悩にまみれながらも解脱の可能性がある「自己」
・解脱によって得られる生死を超越できる自分や美しい社会の「理想」
・それに到達するまでの漸次の「目的」群、
・解脱のためには修行すればよいという「因果」法則
・修行や行動への絶対的な善悪の指示を出すグルという「権威」
が入ってきた。
(以上について「意見書」P16〜18、被告人第2回P5〜8など)
(3) 被告人の出家までの何ら問題のない生活状況
被告人は教団に通った回数を平らにならせば、せいぜい月1度程にしかならなかった。しかし、被告人は、その教えについて、書籍や教団からの配付物などをみて、教団の思想を次第に受容していった。
松本は、自らが指導している修行を、正当なヨーガや仏教の教義に基づくものだと主張し、それを裏付けるかの如き仏教教典等の引用を行い(たとえ松本に都合よく曲解され、継ぎ接ぎされていたとしても、専門家すら、それを見破ることは難しかったであろう)、あるいは、松本が内外の宗教家と対談したり、評価を受けていると喧伝することによって、オウムの教えが素晴らしいものだとのイメージや高いリアリティをかもし出すことに成功した。結果、被告人はその情報を信じた(被告人第2回P14〜16)。また、オウムだけでなく、様々な宗教団体や商品セールス等で、「実体験を語らせる」という形で、具体的かつ見ている者にも手が届きそうな印象を与える宣伝、アピールがなされる。 被告人は、多くのメンバーの修行による実体験に基づく証言を聞いたり読んだりして、そのリアリティを実感した(被告人第2回P20〜21)。
しかも、松本は、当時、シャクティパットといわれる弟子のエネルギーを高める(師匠のエネルギーを弟子に注入する)ための儀式を行って、弟子のために自分の体を犠牲にしてまで熱心に頑張る姿を宣伝しており、被告人は、教祖への尊敬の念を抱き、教祖を高い価値ある存在と感じるようになっていった。
このような情報が繰返し被告人に注入されることで、前項で指摘したようなオウムの価値観が被告人の中に条件づけられていった。
翌年、オウム神仙の会が宗教法人となり、オウム真理教となって、被告人は、宗教になると他の人に受容されにくくなると感じるとともに、自分自身としても抵抗を感じたのだが、教えそのものや活動内容が変化することがなかったため、多少心理的に距離をおき、道場に通うことも減ったが、脱会するまでの意思は生じなかった。また、被告人は、強烈な神秘体験はなかったものの、自ら熱感を覚えたり、ナーダ音と呼ばれる音を聞く等の神秘体験をし、更に、他のメンバーの修行体験などを見聞することで、オウムの教えが高い価値とリアリティがあるものとの思いを深くしていった。
そして、被告人は、
・人生は解脱をめざすものであり、
・そのためにはグルの指示に従って修行を続ける必要がある
・その早道は出家することであり、それができずに現世にとどまりたいと思うのは煩悩にすぎない
という教団の価値観を受けいれていった。言い換えるとオウムのビリーフ・システムが意識中に確立していったといえる。被告人は、このようなシステムを発動させるまいと、被告人は、なるべくこの問題を考えないようにして、在家のまま博士課程への進学をした。
(以上について「意見書」P19〜21、西田第8回P63〜66等)
(4) 出家までに被告人が信じたものは何ら違法・不法なものではない
T 被告人の信じたものは何ら異常なもの、非難されるべきものではなかったこと
被告人は、オウムに入信して以下のような価値観を受容した。
・全ての生き物は輪廻転生する
・人間は修行によって変わり得、高次の存在となり得る
逆に、悪い業をつめば、悪い運命や悪い転生を得てしまう
・松本は修行をなしとげた者であり、輪廻を見通し、それを変えることができる超越者である
・松本との縁を得たということは、よい業を得たことになるし、大切にしないことは悪い業をつむことである
・修行をするためには、俗世の人生設計を放棄して出家することが最も望ましい
というようなことである。このような価値観の中には、違法、不法なものはなく、「出家主義」についても、教団は、初期仏教の原理に回帰するものであると説明がされており、被告人には修行の追求という目的からも説得的に感じられたはずである。
なお、輪廻転生観は、仏教等で広くみられる思想であって、何ら問題のあるものではない。検察官は、広瀬健一相被告人に対して、これを不合理なものとし、科学者であった彼がなぜそれを信じたのかという趣旨の質問をしていたが(第7回)、
・憲法20条が信仰の自由を保障することにもとる質問である
・かような、輪廻転生を含む信仰を持つ、オウム以外の多くの個人、団体に対する冒涜的言辞である
としかいいようがない。科学者であっても、信仰を持つ者はたくさんいる。 科学を追及すれはする程、それでは説明しきれない世界があることがわかるだけに、宗教に関心を持ち得るわけだし、むしろ科学の限界を知ることが科学者らしい態度ともいい得る。
科学と宗教は対極にあるようにも見えるが、その2つは決して両立しないものではない(西田第8回P25〜27)。
輪廻転生は、むしろ現代でも多くの日本人が内心では信じている(あるいは捨てきれないでいる)死生観である。我々は、たとえば子の生誕を「亡くなったひいおばあちゃんの生まれ変わりみたい」と喜び、苦労の絶えなかった親の死を「今度生まれてくるときはきっとこれまでの苦労が報われてきっと幸せになれるよ」と受け止め、また、そのために、安くはない費用を寺に払って追善供養を行ったりもする存在なのである(公知の事実)。
被告人の信じたものは、他の宗教でも説かれている範囲のことであり、何ら異常なもの、非難されるべきものではなかったのである。
U 違法を正当化する「ヴァジラヤーナ」等の教えは、少なくとも一般信者に説かれていなかったこと
しかも、被告人が入信し出家する以前に、オウムは「ヴァジラヤーナ=教祖の命令であれば戒律に反することもいとわず行うべきであり、それが早く悟りに達する道である」の思想を前面に出していたわけではなかった。
被告人の出家前に、松本が説いていたことは、非常に早く悟りにたどりつく厳しい道としてヴァジラヤーナ=金剛乗があり、これは、グルに帰依して非常に厳しい修行をすることによって成し得るという趣旨にすぎなかった(被告人第2回P22〜23)。
ましてや、「五仏の法則」の名の下に、松本がある時は盗みなどの悪事も正当化できると説法をしたのは被告人の出家後の1994年(平成6年)のことである(被告人第2回P23〜24)。
また、出家前の被告人は、「ポア」という言葉を、チベット仏教での意味のとおり、魂が高次元に引き上げられるという意味でとらえていた。信徒が亡くなった後に、教祖の力によって魂が高次に生まれ変わることができたことを「ポア」として説明した説法を聞いただけなのである。「ポア」という言葉も、教祖の命令で殺されれば魂が引き上げられる、故に殺人=ポアだという教団独自の意味あいで使われていたわけでもない(被告人第2回P24〜26)。
オウムでは、「チベット仏教では師匠を絶対視する」ということを非常に強調し、松本に絶対的に帰依するように説いていたものの、「師匠の命令に従えば、違法なことをしても救われる」と一般信者に説いたことはない。そのような思想は、少なくともこの時点では、ごく一部の出家信者のためのものにすぎなかった。
V 当時のオウムは認可を受けた合法的な宗教団体だったこと
そもそも、当時のオウム真理教は、東京都から宗教法人としての認可を受け、国から様々な恩典を受けながら活動していたのである。それが荒唐無稽で信じるに足らない、しかも反社会的なものであったならば、なぜ、国は宗教法人格を与えたのか。あのような大事件が発生する前に、それを剥奪することをしなかったのか。そして、国はなぜ、坂本弁護士一家殺害事件をはじめとした数々のオウムの犯罪や問題ある活動について何らの有効な対策をとらなかったのか。
断固たる国の措置がなかったからこそ、オウムは「このような報道は弾圧だ」とか「オウムの活動の拡大を憎む者による噂だ」と喧伝することが可能になり、被告人のような純粋な若者がそれを信じてしまったのではなかろうか。現在オウムに留まっている者に対して上記のような批判をするのであればともかく、事件以前にオウムに入信、出家したこと、当時信じていたことに対してかような批判をすることは酷であるうえに論理的ではなく、かような国の責任を糊塗するものであるとしかいいようがない。
W メディアによる松本、オウムへの賞賛
更に、被告人の出家の少し前には、「朝まで生テレビ」などのテレビ番組や雑誌などのメディアで松本が「聖者」としてとりあげられ、それを教団が更に宣伝に用いるという構造が出来上がっていた。被告人はこれらのマスメディアの扱いをみて、松本及び教団への安心感を強めたことは疑いない。松本と対談したり、同人の著書の書評をした専門家さえ、松本がひとかどの修行者であると認め高い評価を与えていたのに(原審山折哲雄の証言、被告人第2回P16〜20など)、被告人のような純粋な若者、しかも宗教的には無菌状態で育った者が、その真贋を見分けられるはずがなかったのである。
X 被告人がオウムの「裏」面を知ることなく出家に到ったこと
被告人は出家までの時点で、オウムという集団には「裏」があること、即ち、松本が社会転覆、あるいは権力算奪の意図を持っていたこと、教団の一部が殺人や死体遺棄、拉致監禁や強引なお布施の請求などの非合法行為を行っていたこと等を全く知ることはなかった。被告人は、教団が正しい修行集団であると信じていた。
(5) 出家時の説得
被告人は、平成2年、超越的な存在と信じていた松本から直々に、出家の時期がきたと勧告され、3人の兄弟子からも説得を受け、それを拒むことができなかった。このような選択は、被告人が松本自身からの直接勧告であったから初めて受入れたものであり、他のいかなる人から言われても出家することはあり得なかった。こうして出家した被告人を含む信者たちは、松本が、教祖として絶対的な権威であり、全ての人のカルマを見通し、解脱に導くパワーがあると信じていたのである(「意見書」P21)。
このような勧告、説得に際しては、出家したらどういう生活になるという話はほとんどなく(被告人第2回P28)、出家後はワークばかりで道場でしているような修行をほとんどできない生活が待っていることや、そのワークの中には違法なワークがあることなど一言も説明されていない。被告人は、グルとの縁を傷つけることは大きな悪業であるとの説得を受けたが、まさか違法なワーク等が自分を待ち受けているとは思わずに、出家を決意しているのである。
被告人は、「出家」して社会での生活を全て捨てさせられている。被告人は、生涯、オウムのメンバーとして苦しくても修行を続け、少しでも解脱に近づけるよう努力なければならないと考えるよう追い込まれた(いわゆる認知的不協和。以上について「意見書」P21〜22)。
(6) 被告人の出家の際の被告人の認識及び松本の意図
オウムは、1(1)で検討したような、破壊的カルトの性格を有する団体である。
しかも、松本及びオウムの一にぎりの最高幹部は、信者に対して、オウムの犯罪行為等を隠して活動してきた。
例えば、平成元年に起きた坂本弁護士一家殺害事件は、実行に係わった信者以外に知らされることはなかった。また、出家やお布施をめぐる家族間のトラブルのために親が作った被害者の会について、松本らは、無理解な人々による宗教弾圧として信者に説明していた。もちろん、無理なお布施の強要や教団内で亡くなった信者の死体遺棄、禁制物である薬物の製造など、違法な活動をしていることを隠蔽した。
上記のように、オウムは、表面的には、国家によって認められた宗教法人として「正しい」教えを説く修行者集団であった。構成員が非合法活動をすることを厭わないことが、社会的にも、そこで活動する個人にも認知されている暴力団や過激派とは異なる。現時点でオウムにそのような団体と同視し得るテロ集団の面があったことが明らかになったからといって、当時においても、社会がオウムを非合法集団と同視していたとは到底いいがたい。
かような「裏」の顔を隠して信者を獲得し、出家に誘い込むところなどは、オウムが破壊的カルトであることを最もよく示すところである。
この頃、統一協会などの特定の宗教団体への注意を呼び掛ける人はいても、「破壊的カルト」「マインドコントロール」の危険性をアピールし、警告する人はほとんどいなかったし、そのような団体について知識を持つ人も稀だった(「意見書」P17)。
フランスでは、1983年にはカルト対策委員会が報告書をまとめ、国家がカルトについて継続的に調査を行い、国民への判断材料を積極的に与えている(公知の事実)のとは対照的である。判断材料があるのに、あえて被告人が出家の道を選んだというなら非難のしようもあるが、被告人は破壊的カルトについての情報を何ら有していなかったことに注意しなければならない。
また、松本は、被告人を出家させて「利用」の意図を持っていたのではないかと西田氏は推測する。被告人の物理学などの理科系の能力を、教祖は武装化にとって役立つ存在と考えたため、出家を希望もしていない被告人に出家を指示したというのである(「意見書」P23)。被告人ばかりではない。被告人と同時期には、理系のエリートが大量に出家している。これは、松本が、それらの者をカルトの裏面を見せずに出家させ、自らの手駒として使役しようという意図があったものと思われる。
(以上について「意見書」P23、西田氏第9回P2)
破壊的カルトのメンバーは、自分自身はカルトの価値を信じていて、100%良いことをしているという意識であるが、暴力団の場合には、目的達成のためには多少の犠牲はやむを得ないといった、利己的な動機をもった集団であるという点が異なる(西田氏第8回P10など)。あくまで、被告人は、高い理想を求めてオウムに出家して、そこでの生活を始めたのであり、暴力団への加入のように、利己的な動機でそこに参入したのではない。
(7) 出家後の生活 − 出家後の洗脳
T 教団の価値観のスキーマ化
被告人は、出家して、社会での生活を全て捨てさせられた。被告人は、オウムのメンバーとして苦しくても修行を続け、少しでも解脱に近づけるよう 努力しなければならないと考えるよう追い込まれた。
被告人がオウムに回心した結果、得たビリーフとしては、
・理想ビリーフとして「最終解脱すること」。それと関連して「人々の救済をすること」「世界破滅を防ぐこと」など
・目標ビリーフとして「ヨーガの修行をすること」「グルのエネルギーを受けること」「指示されたワークを実施すること」など
・因果ビリーフとして「カルマの法則」「ハルマゲドン」「輪廻転生」「救済者の弟子」「悪いカルマに汚れた存在」など
・権威ビリーフとして「教祖の絶対性」「教祖の神格性」「教団の正統性」
があるが、これが時間をかけて常に繰り返し使われることによって、相互に神経回路ネットワークとして結合し、スキーマとよばれる意思決定のシステムとして機能するようになっていった。このようなビリーフシステムがスキーマとして機能するようになるについては、出家後の「修行」が大きな役割を果たしている。このような「修行」の結果、被告人は入信以前のビリーフシステムを作動することができなくなり、教祖の指示を受けると、救済者
の弟子として指示されたワークを完遂しなければならない、という具合にしか思考が浮かばなくなり、その枠組みを越えたあらゆる意思は、死後に餓鬼界、畜生(あるいは動物)界、地獄界という「三悪趣」に落ちる恐怖によって無意識的に(自動的に)ブロックされるように習慣化されてしまったのであった(以上について「意見書」P12〜13など)。
U 出家者へのマインドコントロールのメカニズム
以下このようなビリーフシステムがスキーマとして機能するに至った教団内での被告人の生活を俯瞰する。
オウムでの生活は、
@ 情報の管理
閉鎖集団で、自由を拘束し、プライミング情報を与え、外部情報から遮断する
A 感情の管理
外部の人はエネルギーが悪い等として、一般社会からの回避をはかり、世界が滅亡して教団も滅亡する危機にあるとして緊張感を与えて思考を硬 直させ、ホーリーネームを与えて新たなアイデンティティを形成させる
B 行動の管理
教祖しか修行の進展の度合いが分からないので、信者は教祖に依存し、教祖からの叱責や逆にワークがうまくいったときの賛辞といった賞罰が極めて効果的に機能した。また、信者は、新たに与えられたオウムでの役割に専念することで、新たな自分の価値に馴染んでいった。また社会内での価値を全く否定するために、修行が価値あるものと考えるに追い込まれる認知的不協和の状況が生じたり、合法なワークを徐々に逸脱に持っていき、容易に命令に服従させるような方法が用いられた
C 身体の管理
ワークで休む暇もなく、課題遂行のために高いストレスにさらされるという自由の拘束の状態にあり、「煩悩」の否定のために食事や睡眠等も制限され、慢性的な栄養枯渇、睡眠不足の状態にあった。また、世界が滅びる、教団が破滅するという思想が前面に出されることで、心理的な切迫感や恐怖感が強められた
というような形でマインドコントロールを強化された。
(以上につき「意見書」P23〜30)
V 「洗脳」といい得る身体的な強制
出家者に対して容易された環境や課される修行の内容は、「洗脳」ともいってよい程の身体的な強制力を伴う強烈な心理操作であった。「マインドコントロールとは何か」P112の「一部の破壊的カルトの場合には、薬物や『洗脳』に近い、古い強制的方法を用いていると疑惑がもたれる組織もないではない」と記載されているが、これはオウムを意識したものだという(西田氏第8回P37)。
オウムは、出家信者に対して、ハルマゲドンが近い等として危機感を煽って、信者の無力感や恐怖感を増大させ、修行への切迫感を与えたり、ホーリーネームを与えることで新たな価値で生きる意味を与えたり、教祖が非常に巧妙に信者の心を掴むような形で接したりするなどの「社会内」で行う布教の延長ともいえるようなマインドコントロール手法もとっているが、古典的な洗脳の概念に当たるような非常に強烈な心理操作も行っている。
例えば、被告人は出家後、「極限修行」といわれる、殆ど睡眠時間もとらずに、食事も僅かな量を不定期的に1日1回しか与えられず、8時間松本を讃えるマントラを唱え続けたり(一時期からは松本の説法集を読むことに変わったという)、8時間激しい呼吸法をしたり、8時間歩き続けるなどの24時間サイクルで構成された肉体的に極限に達するような「修行」をさせられている。
この間、風呂やシャワーなどは使えなかったし、体重は15キロ程減少し、階段を上るのも辛いほどだったという(被告人第3回P13〜14等)。この修行は、いつ終わるかも知らされず約2ケ月続いた。このようにマントラを唱え続けたり、肉体を極限においたりすることで、人間は変成意識状態に陥り、被暗示性が高まり、現実と非現実の境目が薄くなる(西田氏第8回P39〜41、同P69〜70)。グルを頭上にイメージしてそれに帰依するという言葉を唱え続けることは、正統な密教の修行では、グルへの依存を強めすぎるので禁じられていといい(西田氏の遠藤誠一に対する意見書P16〜17)、これは、松本が自分に信者を依存させるためにさせた修行ともいい得る。信者たちは、最初のこの「極限修行」を通じて徹底的に松本への帰依をたたき込まれたことに注目するべきである。また、辛い修行を重ねれば重ねるほど、つらいことをしているがゆえに価値のあることに違いない、と信じていくような心理的効果(認知的不協和)も生じ得た。
また、出家した後の環境は、社会とは隔絶され、全く外からの情報は入って来ず、信者たちはプライバシーや自由な時間を全くといっていい程持てない状況で、しかも、常に教祖の写真やその唱える詞章が反復して聞こえてくる環境であった。例えば、被告人のいた清流精舎は松本のマントラのテープが流れ続けていたというし、第7サティアンの部屋でも、「決意文」が常にカセットから流されていたという(被告人第3回P3〜4)。また、それ以外の場所でも、決意文がテープで流されていたり、常にそれをヘッドホンで聞くことが命じられたりしていた(同P4)。そうでなくても、彼らの活動は一日中、オウムにかかわる活動でありそれ以外の情報が入ってくることはなかった。
出家信者は、修行として、教祖を讃えたりそれへの帰依を内容とする詞章、決意文と呼ばれる反復した言葉でできた文章を唱えさせられたりしているが、 このような言葉を繰り返し唱えることで変成意識状態が生じ、その言葉を記憶し、自己暗示として記憶に入れ込む状況をつくり出すものであり(西田氏 第8回P42)、オウムの価値観をたたき込むためには非常に効果があった。 また、信者どうしでしゃべることも禁止され、被告人はそれをかたく守って生活していた(被告人第2回P37〜38)。被告人は上司の村井と話をする機会があったが、ワークの話か、松本がいかに素晴らしい存在であるかを村井から聞かされただけであるという(被告人第3回P5〜7)。このような戒律は、教団内での情報を管理し、各信者を孤立した状態におくという意味でも教団がマインドコントロールを機能させるのに、非常に有効であった。
このようにして、出家信者たちは、オウム的な発想から離れがたい環境の中におかれていた。睡眠時間や食事も制限され、著しいストレスによって、思考能力も奪われていった。
更には、教祖や一部幹部は、出家信者(だけではないようであるが)に対して、薬物を投与して神秘体験と同じような体験をさそうとしたり、麻酔薬を投与して意識レベルを下げ、単純なメッセージ(「修行するぞ」「(松本に)帰依するぞ」等々)を繰り返し述べさせたり、地獄のイメージなどが写っているビデオを見せたりするような強烈な洗脳の手法をとっていた。これは、教団の一部幹部が積極的に文献を取り寄せるなどして研究したものであるという(西田氏第8回P37〜38など)。
小田晋氏(以下「小田氏」という)も、オウムでの「行法」は洗脳の技法を利用した極めて強烈なものであり、教祖の指示に何でも従うことになりかねないものと指摘している。
小田氏は、オウムでの洗脳に特徴的であることは
@ 感覚遮断
独房修行が典型であるが、出家して「サティアン」に隔離することも広義のこの概念とする。感覚遮断の状態におかれると、人間は、幻覚をみたり、恐ろしい程の退屈さのために刺激を求め、容易に洗脳され得る状況になる
A 睡眠剥奪(断眠)
睡眠を剥奪されると、被暗示性が亢進する
B 飢餓
飢餓により低血糖及びアルカローシスによる意識低下が生じる。また、飢餓によって、食べ物を与えてくれる人への服従も生じ得る
C 呼吸法による酸素欠乏と過呼吸による血液のアルカローシス化
これも、意識低下や脳波の徐波化を生じる
A〜Cによって、あるメッセージが入ってきやすい環境が整えられる。
D 様々な方法による脅威と賞賛の相反するメッセージの注入
「お前はカルマが深い」と些細なことまでを責める一方で、「お前の霊性は高いものがある」と矛盾したメッセージを交互に注入することで混乱に陥らせるものである
E マントラのような形での同一メッセージの反復注入による精神の自動化
全ての政治的・宗教的・商業的メッセージの基本であり、繰り返し聞いていることは記憶に残り、人間の判断はこのような記憶の体系によって発動することを利用したものである
にあるとする。
また、小田氏は、このような変成意識を利用した「修行」は他の宗教にも存在するが、オウムでは、人格的成熟の過程を無視してこのような変成意識状態をつくり出していること、@〜Eの過程が集中的かつ強力で、修行者に与える心理的影響が極めて強いことを、その特色として指摘している(小田 ・土本氏「心理鑑定書」P110〜121。以下「鑑定書」という)。
なお、弁護人らは、控訴趣意書において、被告人に対するオウムの様々な条件付けのための働きかけを「洗脳」と説明したが、オウムの出家信者に対する働き掛けは、「洗脳」の概念でも説明できる、身体への介入を伴った強烈なものであったことが、これらの証拠からも明らかになった。
W 教団内での生活による教団的価値観の固定化・自動化
このような強烈な働き掛けによって、信者たちは、完璧に松本に帰依する価値観を植えこまれ、松本を畏怖し、自らはその命令に従う存在である、と、完全にビリーフシステムを変容させてしった。
また、ワークにしても、どのように効果的に仕事を行うかよりも、命じられたことを命じられたように、寝る間も惜しんで行うことが価値あることとされていた。被告人は、殆ど寝る時間もなく、ワークをさせられ続けている。 これによって、被告人は、常に肉体疲労や、「いつまでに何を」という日常的な切迫感にさらされながら生活し、思考能力を奪われていた。そして、当初は合法的なワーク、徐々にワークの違法のハードルが高くなっていくような形で被告人のワークは命じられている。被告人は、「ワークに専念する」 「命令に服従する」という生活規範をたたき込まれ、その状態で、徐々に違法な方向への誘導されていったのである。その違法な行動も、宗教的な救済の手段として正当化され、それに疑問を持つことは許されない状況にあった。
教団から与えられた価値観や思想で解決し得ないような矛盾に遭遇したときには、マインドコントロールがゆらぐこともあり得る。一部の信者は、教団内で、このような体験をすることで脱会したり、教団の価値に疑問を持ちながら活動したりしたというが、被告人には、教団の情報管理が有効に機能しており、教祖の生の姿、例えば生活の実態を見るような機会は全くなく、教団が犯した殺人や拉致監禁などの他者への直接的な害悪をもたらすような犯罪も知ることなく(被告人第3回P8など)、松本への絶対的な帰依等という、上記の教団の価値を堅持したまま生活を続けることとなった(西田氏 第9回P10〜13)。
(8) 被告人が自ら望んで犯罪に関与したものではないこと
T 教団が出家信者を「洗脳」し、テスト、観察していたこと
上述のように、ある時点からは、オウムは洗脳について研究をし、薬物等を使用して信者を効果的にコントロールしようとしていたのであった。被告人は教団がこのように変質してからの「修行」を受けさせられている。
また、松本は、宗教指導者が、弟子に意味のない行動を延々とやらせたり、戒律に反する行為すら命じることについて、チベット仏典にもかような記載があり、それに基づいた指導がオウムでもなされているのだ、と説明した。 あたかも宗教的に正しい指導をしているやの説明を、出家信者たちは与えられ、被告人もまたそれを信じきっていた。
一方、教団の側は、前記(7)で述べた洗脳的な修行を出家信者たちにやらせたうえ、教義の覚え具合をテストをしたり、ワークの態度を観察したりして、 どの程度、オウム的な価値観を彼らが身につけたかを把握しようとしていた (西田氏第8回P44〜46)。
破壊的カルトのマインドコントロールは、そのメンバーに必ず同じように拘束するものではなく、個人差はある。教祖ないし側近たちは、心理的拘束をより大きく受けた者を選びだし、自らの望むように効果的に使役した。
被告人は記憶力がよく、説法等をよく覚えていたし、全く戒律に反する行為もせず、命じられた(合法の)ワークを従順に黙々とこなしており、このような被告人を、教団は、使いがいのある駒として利用したのである。
U ビリーフシテスムの変容がもたらすものと、被告人がそれゆえ犯行に加わるよう命じられたものであること
このような教団からの洗脳ともいえる働き掛けの中で、被告人の意思決定における教団のビリーフの拘束は極めて強いものとなった。被告人の脳には、 神経回路として、教団の価値観に基づいた神経回路網(スキーマ)が形成されていたのである。教団の全ては教祖に委ね、疑問を持ったり、思考することは煩悩の現れであるという価値観等が被告人を支配することとなった。これによって、思考はあったとしても、その能力は使ってはいけないという条件づけがなされてしまったことになる。
精神医学、心理学の専門家からみれば、オウム信者たちのこのような状態は、全く自由に意思決定ができる状態とは異なる、非常に特異な心理の状態ととらえることが可能なのである。
合法的な活動のもとで、通常いわれるような真に魂を高めるための修行を被告人らは望んでいたのであり、違法を受け入れるビリーフへの変容は、被告人が「自ら選んだ」とはいえない。マインドコントロール(教団から加えられた身体的環境的拘束による洗脳的な手段も含めて)によって誘導されたものである。
しかも、被告人は、「志願」して犯行に及んだわけではない。
松本や村井が、被告人が、戒律を一つも破ることもなく、教祖の教えをよく覚え、真面目にワークに励んでいたからこそ、犯行に加え、徐々にその命令をエスカレートしていったのであって、被告人の態度は終始受け身的であった。
3 犯行の際の被告人の精神状態と法的責任
(1) 本件各事件の際の被告人の精神状況
被告人は、修行をして人間の価値を高めることが何より重要なことであり、ワークも重要な修行の一つであること、修行については教祖がそのもたらす効果等を充分に知っており、それに対しては疑問を差し挟まず、つき従うことが正しいことであるとの価値観を内面に根づかされた状況にあった。このような状況で、被告人は以下の犯行に加わった。
@ 武器製造
被告人は、小銃の密造工程の一部を担当したにすぎない。現実に、横山、廣瀬は小銃本体の製造に関するまとめ役で、被告人は銃弾の製造工程を命じられたにすぎない(被告人第3回P25)。この銃を「何のために」作るのかも知らされず、(同P25)また、作業工程の全体像がみえないままで作業をしていた(同P26)ものである。上記のようなマインドコントロールに教団の価値観が身についていたため、被告人は、作業の目的がわからなくても、それに対して疑問を呈することすらせず、命じられるままにワークに従事したのである。
A 地下鉄サリン
この事件も、被告人の「重要なワーク」として課されたものであった。
被告人に命じられたのは、結果としてはサリンの撒布であるが、その方法は液体の入ったビニール袋を与えられ、それに電車の中で傘の先で穴をあける、というものであった。
被告人は、サリンついて、非常に強い毒ガスであるという一般人と同程度のことしか知らず、新實、中川、遠藤、土谷、林郁夫等のようにサリンを自ら吸引したり・吸引した者を目の当たりにした経験など持っていなかったし、林泰男のように松本サリン事件に噴霧車製造等で係わったわけでもない。土谷と接触がなかったわけではないが、お互いの作業についての会話はほとんどなく、彼が何をしていたかの具体的な話はしなかったので、教団内でサリンが完成したことも知らなかった(被告人第3回P27〜28)。サリンプラントとして建設された第7サティアンでもサリンの具体的な毒性についての説明を受けたわけではない(被告人第3回P26)。しかも、液体のサリンを、単に常温に放置して気化させただけで、これだけの悲惨な結果が生じ得るということは、世界中が地下鉄サリン事件で初めて知ったことである (ナチスのガス室は、ガスをシャワー状に噴霧したものであるし、通常毒ガス兵器は、ミサイルなどの先にセットされ、敵の陣内に打ち込む形で使用される)。
このように、被告人に命じられた行為は、「死」という結果とは結びつきにくい、非常に抽象性の高い行為であった。そのため、彼には、「人を殺す」というリアリティが感じられず、命令に対する抵抗感の低さと結びついた。過去、兵士への調査でも、直接人を処刑することへの心理的抵抗と、爆弾を投下するという行為への抵抗では、前者の方が遙かに大きいという調査もあるという(西田氏第9回P13〜16)。
一方、生身の人を首をしめる等として殺す行為は、非常にリアリティが高いので、オウムの中では普段使っていなかった過去もってきた価値観と衝突が起こり、抵抗感が生じるものであって、よりハードルが高いものと評価しえる。
ところで、生身の人間、しかも、教団と敵対する坂本弁護士だけでなく、その妻、乳飲み子まで殺害するという、極めて具体的でリアリティの高い殺害行為を行った岡崎に対して、小田氏はマインドコントロールの影響が濃厚であり、通常の判断ができる状況にはなかったという。被告人の方が、命じられた行為を行うことへの心理的抵抗が少なかったものである。被告人は、教団による心理的拘束とその拘束をゆるがせるようなリアリティ等が存在しない中で犯行に及んだものといえるのであって、岡崎よりも、直面した規範の壁はずっと低かったはずである。
また、同じ犯行に加わった、林郁夫は、サリンに被曝した新實を治療するなどしてサリンの毒性について知悉し、しかも教団が坂本弁護士殺害事件を起こしたことを察知して、マインドコントロールがゆれている状況にあったのであり、被告人よりも心理的な抵抗はより大きかったはずである。被告人は、林郁夫よりも、直面した規範の壁はずっと低かったはずである。
B 新宿青酸・都庁爆弾
これらの事件も、被告人には現実感の伴わないものだった。
この事件の目的は、オウムから人の目を逸らせるために「騒ぎを起こす」 ということであり、しかも、被告人はその目的すら他の者から聞いたにすぎない(被告人第3回P33)、現実に人を殺すという目的自体がなかったうえに、青酸ガス発生装置も、都庁に送った爆弾もその効果について実験をしたわけでもなく、どの程度の毒性・強度かも検証しないままで設置、送付に及んでいる。このようにリアリティの低い状態での犯行であるから、被告人には価値観の衝突が起こらず、マンインドコントロールの状態下にあり、規範との衝突が生じなかったと評価し得る。
(2) マインドコントロール下にあった本件犯行時の被告人の行為責任は責任能力の問題である
@ 問題の所在
被告人が地下鉄サリン事件等本件各犯行時にマインドコントロール下にあったこと、その結果、被告人が(1)で述べたような心理で各事件に関わったことについては、立証は充分である。そうだとすると、各犯行時点で、被告人には他行為可能性が実際には存在しなかったということであろう。地下鉄サリン事件に関して西田証人は、ビニール袋に傘を突き立ててサリンを撒布するというという指示された行為を被告人がしないという心理的可能性はなかったと述べている(第9回P22)。
それは、被告人がマインドコントロールされたことによって、松本に絶対的に帰依し、松本からの指示・命令によるワークの完遂以外には考えられない思考停止を余儀なくされていたからである(西田氏第8回P79等)。
すなわち、被告人の弁識能力、特に制御能力は、本件各犯行時には存在しなかったか、少なくとも著しく減退していたことは間違いない。
これは単に情状にのみ関わる事情ではない。被告人の法的責任の所在そのものにかかわる問題である。
A 刑事責任と責任能力・期待可能性
刑事責任とは、過去の違法行為に対しての、法の立場から、刑罰という手段によって非難することの出来る可能性の問題である。それが法的非難可能性の問題である以上、他行為可能性がない過去の一定の違法行為を非難できることは、そもそもありえない。法益侵害行為は、それが他行為可能性があるにもかかわらずなされた場合においてのみ、その法益侵害行為とそれから生ずる結果を行為者に帰責させることができる。
このように考えると、いわゆる責任能力の問題と適法行為の期待可能性の問題とは、その性質において大差ないことになる。すなわち責任能力がない場合とは他の適法行為に出る能力がない、つまり違法行為に出ない能力がない場合であり、それゆえ他行為可能性がなく法的非難可能性がない。期待可能性がない場合も、行為時の具体的事情によって、その違法行為以外の他の適法行為をすることを期待しうる可能性がない場合である。要するに、いずれも行為者が適法行為に出るという意思決定をするのを期待することが不可能であるから行為者を非難することができない場合であるという点においては変わりがない。
B 心神喪失・心神耗弱の概念の意味
責任能力について、法は刑法39条で「心神喪失者の行為は、罰しない。 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」とのみ規定している。ここにいう心神喪失、心神耗弱は、精神医学上の概念としては存在しない法律上の概念である(この点、西田証人には誤解があるが、同証人は社会心理学者であって、精神医学者でも法学者でもないから、とりたてて、論じるべきものではない。また西田証人が心神耗弱とは違うと言っているのは、通常の判例等についての常識的な理解、即ち生物学的要素がある場合を責任能力の問題とするという理解から、それに照らして述べているだけであって、心理学的要素についての程度問題をさして言っているのではない)。
従来の判例は、心神喪失は、精神の障害によって事物の理非善悪を弁識する能力がなくまたは弁識に従って行動する能力がない状態をいい、心神耗弱はその弁識能力又は行動能力が著しく減退している状態をいう、としてきた。
このように精神の障害という生物学的要素と弁識能力・制御能力という心理学的要素とで重畳的に責任能力を規定する方法は混合的方法と呼ばれ、多くの立法例に採用されているが、いわゆるダーラム・ルールのように生物学的要素だけで責任能力を規定することもあり得るし、心理学的要素だけで規定することも(たとえば、北ドイツ連邦の第1政府草案)ありうる。
責任の本質を他行為可能性、法的非難可能性と理解するならば、むしろ端的に行為時における弁識能力、制御能力の有無・程度こそが重要であって、生物学的要素を必然とする理由は必ずしも自明ではない。まして、法文上は心神喪失、心神耗弱との概念が規定されるのみで、「責任能力」とは解釈上または講学上の概念に過ぎないのであるから、「能力」という語の響きに引きずられる必然性もない。
ところで精神の障害を責任能力における「生物学的要素」と呼ぶのは、シュナイダーらの伝統的な司法精神医学が、疾病は脳に変化があるか変化があると推定されるもので、脳に変化のない非疾病と分類され、刑事責任能力の減免が問題にされるのは原則的に前者に限られるとの立場に立っていたからであろう。しかし、従前から内因性精神病と分類されてきた疾病に関して今日でも必ずしも脳の病変が証明されていない一方、従来精神病質とされてきたものの中には脳の気質に微細な異常が見いだされるものが存在することなど、その分類は、精神医学的にも、相対化・流動化しており、そもそも「生物学的要素」との呼称自体適切かどうかという問題もある。精神医学者の中でも、内因性精神病かどうかで単純に責任能力を判断するような伝統的なドグマチックな方法には批判的な見解もある。
判例や多くの立法例が生物学的要素を責任能力の問題の中核におき、あわせて心理学的要素も考慮する方法をとっているのは、その趣旨を責任主義の原則と矛盾しないように理解しようとすれば、第1に、生物学的要素については医学的把握の対象としうるとしてもそれと心理学的要素との因果関係についてはそもそも精神医学的に解明しうるかということが、精神医学者の間でも定説を見ないほどの難問に属するということがあげられよう。また、第2に、多くの場合心理学的要素の立証はそれ自体非常に困難であると考えられていることにもよろう。すなわち、生物学的要素が必要とされてきたのは、その存在、特に重篤な精神疾患の存在が精神医学的に立証された場合にはむしろ心理学的要素については弁識能力乃至制御能力の欠如又は減退について何らかの推定がなされ、原則として責任無能力乃至限定責任能力を認められると理解される場合、それは責任主義に合し、刑法の謙抑性に適うものとし肯定的に理解される。
C 心理学的要素の重要性
しかし、そうであるとすれば、生物学的要素抜きで心理学的要素が直截に立証された場合には、それは責任能力の問題ではないから有責であり減刑もしないとは言えないはずである。なぜなら、法的責任を完全に科しうるかどうかの問題は、本来的に他行為可能性の問題であり、適法行為に出ることを期待できるかどうかの問題であるから、生物学的要素の有無に関わらず、心理学的要素の存在、弁識能力又は制御能力の欠如や著しい減退が明らかになった以上は、法的責任を科し得ない、または完全には科し得ない、ということにならざるをえないからである。この結論自体は、責任の本質から必然的に導かれるものである。
この点において、従来の伝統的な司法精神医学の通説的見解では、たとえば精神病質は、脳の病変ではないから原則的に完全責任能力と言われてきたが、これは責任の本質からは導かれないし、実際にも不適当である。原因が何であれ、行為時に認識・制御能力が欠如していれば、他行為可能性はない。にもかかわらず、それが完全に存在するとの推定は、処罰範囲を広げる方向での推定であり、それは実際には刑事責任を科してはならない者に対して処罰範囲を拡大するものであり、法的非難のありようとしては許容できない。 そもそも、「精神病質は脳の病変ではない」というドグマ自体、今日では維持できなくなっていることは既に述べたとおりである。
こうしてみると、従来判例等で生物学的要素、「精神の障害」を重視してきたのは、それが心理学的要素、つまり認識・制御能力の有無・程度を類型的かつ安定的に判断することを可能にする基盤を提供してきたからに過ぎず、責任能力の判断にとって本質的なのは、認識・制御能力の有無程度なのである(安田拓人「責任能力の判断基準について」現代刑事法No.36)。
生物学的要素はないが心理学的要素が直接に立証された場合に、刑法39条を適用するというのか、その準用乃至類推適用と言うのか、それとも期待可能性の問題として超法規的責任阻却・減軽事由というのかは、単に体系的位置づけの問題でしかない。肝心なことは、行為時に弁識能力又は制御能力が完全に失われていた被告人にはそもそも刑事責任を科すことができないこと、それらの能力のいずれかが著しく減退していた場合には刑の減軽が与えられるべきこと、要するに責任の有無程度、他行為可能性の有無程度に応じて処分されるべきこと、それが責任主義からの当然の帰結であることである。
弁識・制御能力の欠如や減少の理由が何によるかは、責任論の問題としては、何ら本質的ではない。いずれにせよ、弁識能力又は制御能力の不存在である場合には、法的非難としての刑事責任は課し得ない。またその著しい減退が認められる場合には、その「程度」に応じた範囲でしか責任非難をなしえない。
D 生物学的要素と心理学的要素との因果関係の問題との関連で
ところで、精神医学者の多くが学問的には不可知と言っているのは、精神的障害と弁識能力・制御能力の有無・程度との因果関係についてである。この因果関係は、存在することもしないことも立証することが精神医学的に困難であり(不可能と言っている精神医学者も多数存在する)、かつ精神障害者の場合には刑罰適応性よりも治療適応性の方が高い場合が多いので、たとえば精神医学者には統合失調症などの患者には部分的責任能力は認めるべきでないという意見が支配的であったりする。これは、精神的障害の存在が明らかであるのに立証困難な心理学的要素との因果関係が明確でない場合に、それを理由に処罰の対象としてしまえば、他行為可能性のない者を処罰対象としてしまい刑法的な責任非難の限界を超えてしまう恐れがあるし、また本来治療対象とすべき者を刑罰対象とするのは社会的にも適切な効果が得られない可能性が高く、いずれの意味でも妥当でないからである。この点に関する精神医学者の多数の見解は、むしろ適切である。
そしてそれは、生物学的要素が「存在しない」「明らかでない」場合に、心理学的要素のみで責任能力乃至有責性を判断すべきかという問題とは連動しない。従来心理学的要素一元論が批判されてきたのは、精神の障害がある場合でも心理学的要素が立証されなければ完全責任能力を認められてしまうという点においてである。そもそも精神の障害のない場合は精神医学者の学問的範疇外である。精神医学者が生物学的要素を重視するのは、精神の障害が存在する場合の心理学的要素の立証の困難(これも、心理学的要素については範疇外だという精神医学者は多い)の故であり、心理学的要素の立証困難故にその不存在が事実上推定されてしまうとすれば罰すべきでない者を罰することになってしまいかねないという謙抑的姿勢のゆえにである。精神の障害がない場合に心理学的要素を責任能力の問題とするのは、そのような精神医学の姿勢とは矛盾するものではない。両者は、全く別の問題なのである。
E マインドコントロール下にあった者の場合
教団によりマインドコントロール下にあった被告人の場合どうか。この場合の心理学的要素、すなわち弁識能力・制御能力の有無程度の観察は、精神障害者によるそれとは異なった方法でなされ得る。
すなわち精神障害者の場合には、もともと存在する精神的障害が行為時の心理にどのように影響しているかの探求を主とする犯行時の認識・制御能力の解明である。観察対象は主として当該精神障害者である。その場合の引証基準は、多くの場合には、当該被告人の病状、経験的に蓄積された多数の症例、これまで「症状」として多数の医師によって観察されてきた患者の行動からの類推であろう。実験的検証にはそもそもなじまない。また観察対象者である被告人たる精神障害者が、事件時の自己の心理状態をどこまで的確に説明記述できるかという問題もあろう。精神医学者の多くが心理学的要素の把握の困難さを言い、むしろ生物学的要素一元論に好意的な論者が多いのは理由がある。
ところがここでマインドコントロールと言っているのは、一種の一連の心理的操作の連鎖である。個々の心理的操作手法としてその効果が経験的あるいは実験的に確かめられている手段を重畳的・連鎖的に用いた場合の、操作対象への影響評価、それが操作対象の弁識能力・制御能力にどのようにどの程度影響するかの評価が、ここでの評価である。観察対象は主として操作対象者であるが、それは必ずしも精神障害者ではない。したがって操作対象者に対してとられた手段、その各段階における操作対象者の心理状態、行為時の心理状態等について、操作を受けた結果としての後遺症の残存や事後の取調等による記憶の混入などの危険は考慮しなければならないものの、精神障害者からよりは正確な説明・記述がなされる期待が持てる。また、操作手法については、操作対象者による説明・記述に加えて、本件のように操作主体が教団という意味では単一で、大量の操作対象者が他にも存在した事案にあっては、他の同時期に出家した操作対象者に対して普通に用いられた手段が当該操作対象者に対しても用いられたであろうとの推定がなしえる。操作による効果・操作の影響評価についても、同種の操作を経た多くの対象者がおり、それをもサンプルとなしえるのであり、単に個々の操作手法についての実験観察的影響評価以上に、その総合的複合的操作の影響評価についても、サンプルに恵まれている。
したがって、このような心理的操作の結果としての行為時の心理状態の把握は、精神的障害の心理状態への影響の実証的把握とは異なり、そもそも立証不能とか立証困難という性質のものではない。ここでは、精神的障害のある者についての心理学的要素の探求や生物学的要素と心理学的要素との因果関係の把握を非常に困難にしている要因のいくつかは、最初から存在しないのである。
たしかに通常の心理学的実験では決して行われないような、強力な手段が連鎖的に用いられた場合であるから、実験的に検証することは(被験者に同様の方法でマインドコントロールを行い、その上で違法な指示命令をして、言う通りに行動するかどうかを検証するようなことは)できようもないが、個々に操作対象者の心理に強力に働きかけることが立証されている操作手法が重畳的・連鎖的に用いられる場合には遙かに強力な心理的影響を操作対象者に与えるであろうことは経験則上明らかである。また、被告人以外にも、多くの何ら犯罪傾向もなければ知的能力が低いわけでもない人々が重大な犯罪行為に関わることになった教団関連事件の総体から見ても、その効果の強力さは十分知られるであろう。
すなわち、本件のようなマインドコントロール、すなわち心理学的知見からその効果を裏打ちされ、心理学的にその意図・目的・効果を説明・記述しうる手法によって行われた心理操作によって生じた心理的状態は、心理学的にこれを事実として解明することが可能である。すなわちこの場合には心理学的要素は学問的にまさに事実として解明されうるのであり、また用いられた操作手法という外形的・客観的事実からその多くを把握することが出来るのであって、責任能力に関しての心理学的要素一元論に対しなされがちな、責任能力の有無・程度の判断が困難かつ不安定に過ぎるとか、法的安定性を害するとか、責任を規範的に理解しすぎるとかの批判はそもそも妥当しない。
また、精神的障害が存在する場合においてその障害を重視する立場とも、既に述べたとおり、全く矛盾しない。むしろ、方法論的、認識構造的には、両者には親近性がある。精神的障害が存在する場合には、当該病変・症状から心理状態を経験的に把握しようとする方法は、操作対象者に対して施された心理的操作手法からその後の心理状態を把握しようとする方法と同様、より客観的外形的に把握しやすいことに根拠をおいて、より把握の困難な内心的状態を理解しようとする点では何ら径庭はない。その上で、過去にマインドコントロール下にあり現時点ではほぼそこからは脱していると考えられる者の過去の心理状態についての説明・記述は、精神障害者がなすそれよりは遙かに当時の心理状態の解明に役立つ資料となりうるし、操作手法自体が実験心理学的手法の応用であればその効果については過去の学問的研究成果の蓄積が引証されるのであり、精神傷害からの心理状態の把握よりも遙かに精度の高い認識が可能になるである。
したがって、このようなマインドコントロールを受けた者が、その影響下にある状態で、犯罪行為をした場合には、その弁識能力又は制御能力が失われていたかどうか、著しく減退していたかどうかの把握は心理学的方法によって十分可能である。そしてその弁識能力又は制御能力が、精神障害に依って同程度の弁識能力又は制御能力と認められる場合には心神喪失又は心神耗弱と認定されるべき場合には、刑事責任上は当然同様の結果が対応しなければならない。
また、マインドコントロール下にある者の場合は、ことの性質上、継続的に引証基準たるべきビリーフシステムが変容されていて、そのような状態を利用されて特定の違法行為に関与させられたのであるから、個々の行為の具体的な時点での事実関係以上にその継続的な内心の「状態」がどのようなも のであったかが重要である。このような意味においては、むしろ責任能力の問題そのものと何ら異なるものではない。
F マインドコントロール下の行為は責任能力の問題である
故に、マインドコントロール下にある者が、その状態を利用されて違法行為に関与させられた場合の刑事責任については、その弁識能力又は制御能力が欠如乃至著しく減退している場合は、端的に刑法39条の問題としてよい。 それが最も理に適う解釈である。
井上嘉浩に関する東京地裁判決は「マインドコントロールの故をもって責任能力の著しい減退を認めるには、個人が強力な心理的拘束を受け、権威者の指示・命令に、そう命じられたという理由それだけから唯々諾々と従うような状態にあると解すべきである」と述べている(P245〜246)。その判断基準が適当かどうかはともかく、同判決は、マインドコントロールが責任能力の問題になりうることを認めている。
仮に生物学的要素なしには刑法39条の問題にはならないと解するとしても、弁識能力又は制御能力の欠如又は著しい減退が事実として認められる場合には、責任の限度がそれによって画されるべきは当然であるから、刑法39条の準用乃至類推適用により、不可罰又は刑の必要的減軽がなされるべきである。
G 結論
既に述べた通り、被告人は、教団でのマインドコントロールによって、松本に指示・命令されたワークの完遂のみしか考えられない心理状態におかれ、それによって本件各事件に関与したのであるから、認識能力にも問題無しとしないし、少なくとも制御能力は完全に欠如していたかそうでなくとも著しく減退していたことは間違いない。
したがって、刑法39条の適用または準用乃至類推適用によって、少なくとも刑の減軽がなされなければならない。
原判決は、被告人がおかれていたマインドコントロール状態とその状態の もとでの被告人の自由意思の著しい制約について事実を誤認し、心神喪失乃至心神耗弱の状態にあった被告人に対して完全責任能力と認定し、刑を減軽もしなかったのであるから、明らかに判決に影響を及ぼす事実誤認が存在した。また、その結果、刑法39条の適用・準用・類推適用もせず、法令適用を誤った。
(3) 期待可能性について
いわゆる適法行為の期待可能性の問題と言ったところで、その責任の限度は責任能力の問題とした場合と基本的に同様に、即ち「責任」の限度で、画されるべきこと、論を待たないと思われる。
岡崎一明の心理鑑定の一翼を担った土本武司教授は、責任能力に関しては 「精神障害の状態にあったこと」を心神喪失・心神耗弱該当性の必要条件とする立場のようであるが(「鑑定書」P148)、かかる立場を前提としつつ 「そもそも、規範的な責任論の立場に立てば、責任は非難可能性としてとらえられ、その非難可能性の根拠は、行為者が自己の行為についてコントロールの可能性を持つとき認められる(団藤重光『責任能力の本質』刑法講座3巻33 頁)。自己の行為をコントロールすることの可否、程度が非難可能性の有無、強弱、従って責任の有無、強弱を決めることになる。そして、責任の有無、強弱を決める要素(責任要素)には、素質的・生物学的なものと、環境的・社会学的なものとがある。責任能力は前者に関し、期待可能性は後者に関して現れる」とし、責任能力も期待可能性も、非難可能性としての責任を限界づけるものとしての他行為可能性の問題であること、その意味で同じ性質の問題であることを認めている。
したがって、この土本教授のような立場に立てば、被告人の責任能力に関してこれまで述べたことは、体系的には期待可能性について問題になることになる。しかし、いずれにしても、被告人は松本の指示命令に心理的に服従せざる を得ないようにマインドコントロールを受けており、他行為可能性が存在しないか仮に存在したとしても著しく限られていたのであって、適法行為を期待することは不可能か少なくとも著しく困難であっ
た。
その他行為可能性の程度は、少なくとも精神の障害が原因で弁識・制御能力が限られ心神耗弱と認められる場合の他行為可能性の「程度」を下回ることはない。したがって、責任論の観点からは、等しき他行為可能性については等しき責任が課されるべきであり、少なくとも心神耗弱が認められる場合と同程度の刑の減軽がなされなければならなかった。
このように、通説的な考え方に立ったとしても、実質には何ら変わりがないのである。むしろ、ここでの問題は、本質的な責任の有無とその量・程度なのであるから、体系上どこで論じるかというようなことで、それに変わりがあっては困るのである。
ただ、期待可能性の問題というときには、責任能力の問題を論じるときとは 若干異なる考量要素が入ってくることはあり得る。責任能力、つまり刑法39 条の解釈問題としては、「心神喪失」「心神耗弱」という概念の問題であり、それは精神医学上の概念ではなく我々は「精神の障害」を必然的に内包すべきものではないと考えるが、しかしそれは行為者の内心の「状態」を意味する概 念ではあろう。したがって、これらの概念への該当性の判断としては、その一定期間継続する「状態」の把握が主たる問題意識となる。これに対して適法行為の期待可能性というときは、伝統的に絶対的強制下の行為や軍隊での上官の違法命令に従った場合などが例に挙げられるように、必ずしも内心の内面化さ れた「状態」のみがファクターとされているわけではないようである。そのときどきの外部的環境やその心理的影響などは、我々の議論でもそれがマインド コントロールの結果ビリーフシステムの変容として構造化された場合には、それは責任能力の領域で評価されるべきであるが、「そのとき、その場の外部環 境とその心理的影響」、つまる「状況」は、むしろ期待可能性の問題となる。 すなわち仮に我々のように認識・制御能力の欠如・減退を心神喪失・心神耗弱の内容と理解するとしても、期待可能性が問題となる領域は存在する。「状態」としては他行為可能性の存在が否定できないとしても、それに具体的「状況」を加味したとき、他行為可能性が存在しないか著しく制約されている場合があり得るからである。
これを本件について見ると、被告人は、既に松本らによってマインドコントロール下に置かれ、松本の命令を忠実の実行することが修行であり、功徳を積むことであると信じ込まされていた。その命令に従わなければ地獄に落ち、その救済に依らなければ人々は地獄に落ちてしまうと信じ込まされていた。被告人は「出家」の名の下に社会とのつながりを切断されて相当期間が経過してもいた。外部からの情報は与えられなかった。このような「状態」が前提として存在した。
なお、被告人がこのような状態におかれた契機は、少なからず強制的でもあった。出家する前、被告人はそれまでの在家信者としての教団との関わりから 教団の教義は信じていたが、自らその時点で出家する意思はなかった。それにも関わらず、松本は被告人に出家を命じた。松本は、教祖の絶対性、教祖の命令の絶対性を強調し、それに従わないことの恐ろしさをそれまで教義として在家信者としての被告人に散々植え付けてきた。したがって、松本自身、その出家命令が、絶対的な、それに反すれば被告人を未来永劫地獄に落とすことを確実にするものとして被告人に受け止められ、被告人はそれに反する意思決定をなしえないと当然分かっていたはずである。また、このときなぜ松本は自ら被告人に出家を命じたのであろうか。当時の教団の中で秘密裏に進んでいた事態からは、被告人の学歴などから、被告人が教団の反社会的な活動にとって有用な人物と松本が考えたからに違いないが、言うまでもなく、被告人にはそのような意図は説明されていないし、そもそも在家信者であった被告人には教団に存在した裏面は全く知らされていないのである。これは、不作為による詐術である。その上さらに、野田ら先輩出家者3名による極めて長時間の集団的説得が被告人に対して行われた。これは強制的説得として評価されるべきである。 こうして被告人は最終的には出家せざるを得なくなり、やがて前記のような状態におかれることになる。
こうしてみると、被告人の場合は、出家後の洗脳的な手法も用いられた強力 なマインドコントロールばかりではなく、その出家に至る過程でも極めて強制的な方法が用いられており、期待可能性の判断において、外部環境的要因として、強制的契機を重視する考え方(「鑑定書」P151では、岡崎の入会の契機に暴力、詐術、集団的説得、洗脳的方法が用いられていないことが期待可能性の不存在による犯罪不成立を認め難い理由の1つにあげている)に照らしても、被告人にとって適法行為の期待可能性が存在しないか少なくとも著しく限られていたことを如実に物語っている。
また、被告人が関与した各事件は、既にマインドコントロールを充分に受けてしまっていた被告人には、いずれも抵抗の乏しいものであった。この点、たとえば現に対面している人の首を絞めて殺すという違法行為が命じられれば、その行為自体非常に具体的でリアルなものであるから、抵抗感は極めて生じやすい。「それをしない」という適法行為の期待可能性は高くなる。しかし、被告人が命じられたのは、即物的に言えば、機械部品の加工であり、液体の入ったビニール袋を傘で突き刺すことでありというように、具体的な結果とすぐに結びつくようなリアルなものではなかった。しかも、具体的に意図や目的を説明されたわけでもないし、毒物の効果についての知識が充分にあったわけでもない。このような行為を命じられたとき、既にマインドコントロールを強力に受けていた被告人が、その行為に対する心理的抵抗感から命令を拒絶し、適法行為を選択しうる可能性は現実に存在しないか、著しく制約されていたのである。
このような状況にあった以上、被告人には適法行為の期待可能性はないか、 またはそれが極めて減退した状況にあったというべきである。原判決は、この 点を見落としている。従って、原判決には期待可能性についての事実誤認がある。また期待可能性の欠如・減少は、超法規的責任阻却・減少事由であり、それに該当すべき事実があるのに、適用しないのは、法令適用の誤りである。
(4)
このような状態におかれたことは被告人の責任か
ところで、原判決は、心神喪失・心神耗弱も、期待可能性の欠如も認めないが、量刑事情としては、被告人が松本らから本件各犯行を指示された際、それに抗することが困難な状態であったことは認めている。しかし、これについても、原判決は、通常人ならたやすく松本や教団の欺瞞性、反社会性を看破することができたのも「事実」であるから、それを見逃して自分の意思と判断で教団に止まり事件を迎えたのは自ら招いた帰結と言うべきであり、過大視することが出来ないとして、限定的な評価にとどめている(判決書P233〜234)。
この原判決の記述は直接的には量刑に関する情状についてのものであるが、その内容は、責任能力に関するいわゆる原因について自由な行為の場合と同質のものを含むので、ここでも触れておく。
つまり、被告人が本件各犯行時に心神喪失乃至心神耗弱の状態にあったとしても、あるいは適法行為の期待可能性が存在しないか著しく減退していたとしても、それは自ら招いた帰結であって、刑の減軽等は行うべきではないということが、本件の場合に言えるのだろうか。
結論から言えば、そのような理論の適用場面ではないことは明らかである。 原因において自由な行為の法理は、たとえば飲酒すると病的酩酊に陥り心神喪 失の状態で他人に害悪を及ぼす危険がありかつそれを自覚する者が、飲酒を抑止する等してそのような危険を未然に防ぐ注意義務を怠って飲酒した結果心神喪失状態となり人に害悪を及ぼした場合には、刑法39条は適用しないというものである。
しかし、被告人は言うまでもなく、マインドコントロールを受ける以前の 「自由」な状態において、教団が反社会的で違法な活動をしていたことは全く知らされていないのである。その時期には、違法な行為に向けた意思はもちろん、違法行為に関わることになるかもしれないという危険すら認識されていな いかったのである。したがって原因のおいて自由な行為の理論の適用可能性が問題になるような場面ではない。
原判決は、被告人が、通常人ならたやすく教団の欺瞞性や反社会性を看破できるのにできなかったと言っている。しかし、そのような「事実」は到底認定できない。被告人の在家時代に表立って説かれていた教義やその修行内容には特に荒唐無稽といわれるようなものはなかった。選挙に候補者を立てて全員落選することを「愚行」と言ってしまうのは、そもそも民主主義の否定以外の何ものでもない。団体が選挙で必ずしも当選の見込みの立たない候補者を擁立することは、過去にもまた現在でも、国会議員を出している政党の場合も含めて(ほぼ全ての選挙区に「党勢拡大のため」候補者を立てて、そのほとんどを落選させている政党があることは公知)、ごく普通に行われていることである。 いわゆるヴァジラヤーナの教義に具体的に(殺人をも容認するという意味でのそれに)被告人が触れたのは、被告人が出家して以後のことである。小銃の製造のワークを与えられたのも出家して相当期間が経過してからのことである。 それらがたやすく教団の違法性や反社会性を看破しうる契機となり得るかどうかは、被告人同様のマインドコントロールのための操作を受け教団でのワークに追われる生活を経験した「通常人」を措定して判断すべき事柄である。それで「たやすく看破」できたなどという「事実」は決して認定されない。なぜなら被告人自身も、また、被告人と教団の中で似たような経験をした他の当時の出家信者も、いずれも「通常人」の範疇に入るごく普通の若者達であるが(そうではない、という事実は全く証明されていない)、「たやすく看破」など全くできていないのである。むしろ、教団の内部で数年に渡って進行していた数々の違法行為がほぼ地下鉄サリン事件の頃まで表沙汰にならなかった事実は、そのような行為にその間何らかの形で関与した多数の出家信者が、それを契機に教団を飛び出すなどのことがほとんどなかったということに他ならず、その実証的な大量観察の結果は、「通常人には看破できない」ということにならざるをえないはずである。
したがって、この点についての原判決の「事実」認定は、完全に誤っている。
(5) 井上判決のマインドコントロール評価
井上嘉浩に対する判決は、西田氏の説を合理的で理解できるもの(P236)としたうえで、マインドコントロール下にあった者の行為の責任能力に関して、以下のようにいう。
「マインドコントロールの影響下にあったことをもって、責任能力が軽減されるとするためには、その者が本来的には行為の善悪の判断自体を十分行い得るものである以上、それにもかかわらず善悪の区別を考えたり、あるいはその判断に従った行動をとることが、少なくともマインドコントロール状態にあったという理由から著しく困難であったことを要する筋合のものである。すなわち、マインドコントロールの故をもって責任能力の著しい減退を認めるには、個人が強力な心理的拘束を受け、権威者の指示・命令にそう命じられたという理由それだけから唯々諾々と従うような状態にあることを要すると解するべきである。」(P245)。
ところで、井上への判決は、井上が個人としての自己決定を行い得、松本の指示や命令に絶対服従をしていたわけではないことを認定する。例えば、「水野事件において被害者水野にVXをかけるに至らず、結局最終的に個人的な実 行行為に及ぶに至らなかったことは、井上が行為の違法性の大小や結果の重大性を被告人固有の意思で判断し、それに応じてその実行に関わることへの抵抗や躊躇を示し、現に松本の指示や命令に絶対服従といいながらも、個人としての自己決定を行い得、かつ実際に行っていたことを示すものである。」という。また、井上は松本から、どうして勝手に動くのかと怒られたことがあるなど松本の指示どおりには動いていないことも認定されている(P247〜248)。
これに比べると、被告人の行動は、松本に命じられれば、それを全て完遂しようとしているものであり、井上とは全く状況が異なる。この井上判決の論理に依れば、被告人の場合には、まさに松本の命令に唯々諾々と従うことしか考えられない状態で、本件各犯行に関与したのであり、この井上に対する判決の基準に従えば(ただし、「唯々諾々としたがうような状態」でも、「従うほかない状態」に至っていれば、それは制御能力の欠如、他行為可能性の欠如であるから、責任無能力が認められるべきであろう)、まさに責任能力の著しい減退が認められるべきである。
だからこそ、松本は被告人に対しては、井上に行ったような暴力的な「脅し」などは必要ともしなかったのである(マインドコントロールの手法が弱いと言うことではなく、きっちりマインドコントロールがかかっていればこそ、さらに脅しつけるようなことは必要すらなかったわけである)。
4 事実誤認のその他の問題
各犯行が、被告人に対して教団から課されたマインドコントロールの結果であり、少なくとも心身耗弱ないし期待可能性の減少が生じるということだけでなく、 以下の事実誤認が存することは原審で取り調べた証拠からも明らかである。
(1) 地下鉄サリン事件
被告人は、この事件について、他の実行犯が路線等について相談を終え、その内容を確認する段で事前の話に加わったものである。また、被告人も出席した「渋谷アジト」での「謀議」では、サリン撒布の話が出たことすら疑わしい。
本件では、各実行行為は、各実行行為者に委ねられており、格別、相互にどのような行為を行うかの確認はなされていない。また、他の者の実行によって、自らの実行行為が容易になったりするような関係にはなかった。
しかも、被告人は、実行行為者の中では最も教団内での地位が低く、彼が犯行に加わることで他の者に影響力を及ぼすということもなかった。
かような関係にある被告人が他の路線についての結果にまで共謀共同正犯の 責任を問われるべきではない。
(2) 武器製造法違反事件
被告人が命じられた作業は、直接小銃の製造に係わるものではなく、周辺的なものであって、しかもその関与の程度は小さかった。また、被告人は、この分野のリーダーである横山や廣瀬の下で働いたものであり、理論物理学を専攻していたことから工学的な知識もなく、メッセンジャー的な役割しか果たしていない。しかも、被告人の部下の方が、被告人よりも知識や経験があり、被告人の指揮・命令で動いていたとはいい難い面がある。
このように、被告人は、共謀共同正犯とは到底いえないし、少なくともその果たした役割は決して大きなものではなかった。
(3) 新宿青酸ガス事件
控訴趣意書でも検討したとおり、本件では、ガス発生装置は中川の供述どおりに設置されたか疑問であるうえ、原判決が認定したような形で希硫酸が滴下することは考えられず、また、判決が引用する理論値は、装置に入れられた物質の量の100分の1での実験であって、現実に生じる可能性があったガスの量は理念的に求められる値よりもずっと低かった可能性がある。また、発見の可能性が高い状態で設置され、現に発見されている。これらを考え併せれば、本件は不能犯と評価し得る。
しかも、この犯行は、「騒ぎを起こす」という目的のもとでなされたものであるから、被告人には殺意はなかった。
更に、被告人は、専ら中川、井上の指示のもとに動いたのみであり、しかも教団内での地位は共犯者の中で一番低く、ガスの致死性についても全く聞いたことがないまま手伝いをしたにすぎないのだから、共謀共同正犯ではなく、幇助犯にしかすぎない。
(4) 都庁爆弾事件
控訴趣意書でも検討したとおり、本件では被告人は、爆弾を作るということは認識していたものの、その効力がどの程度のものかわからず、非常に無造作に薬品を扱いながらこれを製造したもので確定的な故意はなく、また、上記のように、中川の指示の下で、最も教団内で下の地位にある者としてその手伝いをしたにすぎないから、共謀共同正犯ではなく幇助犯にしかすぎない。
(5) 自首
本件では、被告人は、未だ明らかになっていない新宿青酸ガス事件や都庁爆弾事件について供述したのだから、自首に当たると解するべきである。
第2 訴訟手続の法令違反
1 鑑定の不採用
原審において弁護人がなした精神鑑定請求を原審裁判所が採用せず却下したことが訴訟手続きの法令違反に該当し、また審理不尽の違法が存在することは、控訴趣意書において述べたとおりである。
ところが、当審においても、弁護人がなした精神鑑定、心理鑑定の申請は、裁判所に採用されなかった。これが同様の違反、違法にあたることは言うまでもない。
当審では西田氏が、裁判所の許可によって被告人と面会し、意見書の作成と証人としての証言を行った。しかし、それは鑑定人としての調査ではなかった。
西田氏は、被告人と2時間を8期日、合計16時間の面会をした。一方、西田氏は、井上に対して行った鑑定の際には、面会時間が自由であり、刑務官の立会いもなく、自由に同人と話し合うことができたという。しかし、本件での西田氏の面会では、刑務官及び弁護人の立会いのもとで行われ、被告人が完全に自由な状態で心情を吐露し得たかには疑問が残る(西田氏第8回P61〜62)。
また、西田氏は、社会心理学の研究者であり、オウムや統一協会といったカルト信者への聞き取り調査を行い、その大量観察に基づいてカルト信者の心理分析を行い、被告人にも適用していったものである。同氏は、臨床心理の専門家ではない。
これに対して、岡崎に対する精神鑑定は、精神科医の問診により、精神の異常 性がないことを充分に吟味し、心理テストを複数行ってその性格を細かに分析し、成育歴等に遡って調査をし、岡崎本人が意識、言語化し得ない部分まで視野に入れて検討を図ったものである。本件では、被告人に対してこのような分析が行われておらず、死刑という極刑を科すについて、充分な審理が尽くされているとはいい難い。また、弁護人の心理鑑定、精神鑑定の申請を採用しなかったことは、証拠調べに関する裁判所の裁量の範囲を著しく逸脱するもので、刑事訴訟法298条1項に違反し、訴訟手続きの法令違反に該当する。
2 証人の不採用
当審において、弁護人は、松本智津夫、新実智光、遠藤誠一、中川智正、土谷正実らの証人尋問を請求したが、裁判所はこれらの事実立証に関わる証人を採用 しなかった。
しかし、これらの証人が、いずれも教団の中心及びそれに近いところに位置していた存在であって、多くの事件にも深く関与しており、事実解明に欠くべからざる者たちであることは、論を待たないところである。しかも、そのほとんどは、原審において証人として法廷に立った者でも、自分の裁判の進行などを理由に地下鉄サリン事件等の事件についての具体的な内容については証言を拒絶していたものである。さらに、そのうちの新実、遠藤などは、自分自身の裁判の被告人質問が終えて以後は、他の被告人の法廷での証人としても詳細に事実関係を証言している。したがって、当審でも、採用されて尋問が行われていれば、1審ではなしえなかった詳細な証言が期待できた。
これらの証人がいずれも採用されなかったことによって、当審は、事実経過の詳細や、教団内での背景事情、力関係など、本件において極めて重要な問題点の多くを解明しないまま結審を向かえることになった。
言うまでもなく、本件は表面的な現象だけを追えば済む事件ではない。背景に遡り、事件に至る要因や力学を抽出することで、社会に対しても情報提供の重要な役割を果たし、再発防止の一助にすることもできるのである。
また、被告人のような教祖側近にいたわけでもない者にとっては、自分がなぜ 今法廷で裁きを受けているのが、自分が関わったのはどういう出来事の一部分を構成しているのかを知る必要がある。それも知らされないままに、命がそこでやりとりされるようなことは決してあってはならない。これは、被告人にとって、揺るがすことの出来ない権利と言って良い。
何よりも、オウム関連事件では、重要証人が証言するようになる前か後かで、 判決の事実認定が異なりうることは、既に関連事件の審理経過の中で明らかになっていることである。たとえば、富田隆元被告人は、1審では松本サリン事件につき、確定的殺意を認定されたが、中村昇の場合は未必の行為が認定された。その違いは、1つには、中川、遠藤の証言時期が、彼らが証言拒絶していた時期だったか話し始めた後の時期だったかによるものと思われる。実際、富田の控訴審では、これら証人の尋問を再度行い、判決は未必の故意を認定したのである(公知の事実)。
したがって、当審の審理は尽くされていないし、証人請求を採用しなかったことは、証拠調べに関する裁判所の裁量を著しく逸脱するもので、訴訟手続きの法令違反に該当する。
3 接見禁止の長期に渡る継続
ところで、被告人は、両親等について一部解除されている他は、現在まで接見禁止が続いている。
これに対し弁護人は繰り返しその全面解除や一部解除を求めてきたが、西田氏 との面会と、そのときどきに友人知人から来た手紙の差入れ以外は、全て職権発動しないとして、解除が認められていない(記録上明らかな事実)。
これが、被告人にとって著しい不利益を課していることは、言うまでもない。
そもそも、当審において被告人に接見禁止措置を継続すべき合理的な理由など もともと何一つ存在しなかった。罪証隠滅の恐れも、証人威迫の可能性も、何もなかった。接見禁止措置を維持するイントレストは皆無であった。
他方、被告人は、接見禁止措置が継続されたことによって、ほとんど親しい人々との接触が出来なかった。また、接見禁止措置の継続は、弁護人にとっても、本来の職務である公判準備以外にも多くの負担を精神的にも時間的にも課すことになり、その公判準備は、これによって少なからず困難を強いられた。
何より、被告人は、自らマインドコントロールから脱却したとはいえ、その後 のリカバリーには多くの人の関与、温かい人間関係、社会との豊富なチャンネル が必要であり、カウンセラー等の協力者によるアプローチも必要であったが、そ のような機会は、全て奪われた。
この公判において我々がなしえ、被告人が表現し得たのは、「それにも関わらず」達成できた範囲でしかない。したがって、その結果は、そのような制約を課 した側に帰責されるべきであり、被告人に転嫁されるべきものではない。
このように、接見禁止措置の継続により裁判所が受けるべき利益(イントレスト)が何も観念できないにも関わらず、他方、被告人・弁護人がそれによって多大な不利益を現実に蒙らざるをえなかったのは、たとえ職権を発動しないという不作為であっても、明らかに裁判所の裁量権を逸脱している。
本件は、原審のみならず当審においても、審理期間を通じてかかる裁判所による裁量権の逸脱が認められ、それは当然被告人の事件後のリカバリーによる人格の再形成や、弁護人の弁護活動としてなしうる範囲にも関わってくるのであるから、本件訴訟に現れた「全体」が、言ってみればその「結果」でしかない。本件のように、1審において死刑が求刑され、死刑判決が言い渡されている当審においては、被告人にとって有利な要素は、事件後の情状も含めて全て法廷に顕出され評価の基礎にされなければならないことは言うまでもない。そして、被告人自身の反省や内心の状態などの事件後の情状は、事件後の被告人と社会との接触の中で、その「証拠自体」形成されるものである。この証拠形成過程が、その必要 もないのに、裁判所の手によって著しい制約を受けてきたことは、そもそも情状評価の基礎事実の形成に、裁判所が無用な悪影響を与えているものと考えざるをえない。
してみると、裁判所は、自らが訴訟に不必要に与えた影響を元にその「結果」を評価するという、公平な判断者の地位とは完全に矛盾する立場に立ってしまっていることになる。
したがって、本件において、被告人に対する接見禁止がとうとう今に至るまで 解除されなかったこと、弁護人の度重なる解除請求に対して裁判所が職権不発動を繰り返したことは、それ自体、被告人・弁護人の本件訴訟における防御活動に裁判所が不必要に介入・妨害したものと評価せざるを得ず、訴訟手続きの法令違反に該当するものと言うほか無い。
第3 憲法違反
原審の死刑判決が、憲法36条等に違反することについては控訴趣意書第4で 詳細に論じたとおりである。
また、原審判決が、最高裁判例の死刑の適用基準にも違反し、判例違反に該当 することも、控訴趣意書で論じたとおりである。
その後の状況に関連して付け加えるならば、近時、我が国において、犯罪の増 加・凶悪化が懸念され、社会的な不安が広がりつつある。しかし、このような状 況は1993年に我が国で死刑執行が再開され、その後執行がコンスタントに行われ続けている中でのことである。このことは逆に死刑に犯罪防止効果が「ないこと」を、図らずも証明し続けている。
控訴趣意書で論じたような、死刑を巡る国際環境の変化などもあり、我が国に おいても、死刑の存廃の問題は、かつてないほど真剣に議論されている。昨年は、 死刑執行をモラトリアムする死刑制度調査会設置法の国会上程に向けた動きがあり、自民党内での議論があと少し整理されれば国会に提出できた、とも聞いている。
死刑を巡る環境は、廃止への一歩を踏み出すに充分なほど、熟しているのである。裁判所の勇気ある決断が、今こそ求められている。
第4 量刑不当
控訴趣意書第5で述べたことに多少付け加えるべき点がある。
1 社会的論調の少なからざる変化
地下鉄サリン事件を含む本件では、事件の社会的影響の大きさが、決して小さくはない量刑判断の考量要素であることは間違いなかろう。したがって、事件の与えた社会的影響の程度やその内容、更には事件の基礎にある社会的要因の探求は、本件においては極めて重要である。
以下述べることの多くは、広く報道されたことか、多くの論者によって出版等されており、ないしは歴史的事実であって、現在では公知と言って良いし、社会学者等の学問的分析については、経験則に含まれるものである。
昨今のオウム真理教関連事件の報道等の中で、非常に目に付くようになったのは、現代日本社会の反映として、事件を捉えだした報道の増加である。
もともと事件直後から、一部の識者は、教団関連事件を、社会とは全く異質な 存在ではなく、むしろ我々の社会に内在する問題の表れとして受け止めるべきだとの主張を続けていたが、当時の新聞等の論調は、あまり好意的とは言えなかった。しかし、今年の松本の判決前後の報道の中には、社会との同質性を述べているものが極めて多くなった。
松本の判決の翌日である平成16年2月28日の新聞の朝刊だけから、ほんの一部の例を挙げると、たとえば、
・「法廷で裁かれるのは麻原だけではない。裁かれるのは『愚かな日本人』でもある」(毎日、牧太郎、傍聴記)
・「情熱を注ぐ対象を見つけられない若者が、正体不明の宗教団体やカルト集団にひかれていく風潮は、専門家から繰り返し指摘されている。不正腐敗を一掃し、夢と希望がある社会を構築しない限り、事件再発の危険は消え去らないとも心得 ていたい」(毎日、社説)
・「判決を聞いてやりきれない思いがするのは、オウム事件が突きつけた問いかけに、私たちがいまだに回答を用意できないことにも原因がある」(讀賣、楢崎憲二社会部長、論考2004)
・「自分の居場所が見つけられない若者に社会が彼らの存在意義を示せていない。 物質的欲望の充足ばかりを考える社会的雰囲気や管理社会の締め付けを逃れ、若 者が宗教に心の救いを求めた。政府はさまざまな指摘を政策として積み重ねなければならなかったはずだ」「いまからでも遅くはない。事件を多角的に分析し、私たちの生き方、社会のあり方を探り再発防止の処方箋を書かなければならない」(東京、社説)
など、同様の視点からの指摘がそこここでなされ、枚挙に暇がない。
(公知の事実)。
そして、それにはそれなりの理由があるように思う。
(1) 関係事件の裁判等を通じてのそれなりの事実解明
第1にあげられるのは、多くの関係事件の裁判等を通じて、全体として見れば、「それなりの」事実解明が進んだことである。
裁判の途中から松本が話さなくなったことや、一部の幹部的立場にあった被告人が供述を始めた時期が遅くなったことから、全体としての事実解明は必ずしもスムーズには進まなかったが、新実智光のように依然松本を信奉している者でも、法廷での供述を始めてからは、その供述内容自体は基本的に真面目なものであり、それらもあって、ここ3、4年で、相当程度教団の実態や事件に至る背景等がようやくだいぶ明らかになってきたのは確かである。
もちろん、松本が自分の口で事件について語らないこと、村井が殺害されたことから、「なぜあのような事件が起こったのか」については未だに謎が多く、それに対する社会的な不満やそれゆえの不安はある。また、教団と外国との関係など、ほとんど訴訟の場では問題にされなかった重要な未解明点もある。しかし、多くの者は、被告人や証人として、率直に事件や当時の教団のこと、自分のことなどを法廷で明きらかにするようになり、多くの事実や当時関わった人々の心理状態などが、いくつもの法廷で明らかにされてきた。
そうして、たとえば、同じ思想を共有する仲間が「一丸となって」確信犯的に起こした事件ではない、ということが分かってきた。むしろ、信者同士は非常に関係の希薄な、ほとんど日常の会話も人間関係もない集団で、教祖と1人1人の信者との関係だけがほとんど唯一の絆であったことが分かってきた。このような希薄な人間関係は、協同性を喪失し個人が自閉的傾向を持つようになった現代社会的特徴と、実は同様であった。「オウムの問題は、フリーターの増加、引きこもり、『何をやりたいのかわからない』といった若者たちの問題にもつながっています」(週刊文春平成16年3月4日号 江川紹子「麻原死刑でもオウム問題は終わらない」)という見方は、当然そこから現れる。
事件に関与した信者の多くが支配され操作されていたことや、誰が違法行為に関与させられるかは極めて恣意的かつ一方的に決められていたことも明らかになった。命令を受けて重大犯罪に関わることになった者とそうはならなかった者との間には、ほとんどなんの違いもなかった。
多くの重大事件に中心的に関与した教団幹部と呼ばれた被告人達も、総じて格別の犯罪傾向があったわけではなく、人格的にもさして問題があるようには 見えないごく普通の若者達であった。彼らは、1人1人を見れば、決して恐ろしげでも凶悪でもなかった。「思い出してほしいのです。オウムには、変わった人たちではなく、隣にいても不思議でない普通の人たちがどんどん吸収されました。いい子だった人が多いほどです。この教訓を、もう少し考えて噛みしめてほしいのです」(江川・前掲)。また、彼らにしても、教団に関わった動機は、多様ではあるが、いずれも犯罪には何も関わりない真摯なものであることも分かった。
かつて、逃亡中の容疑者について、マスコミ的に、「爆弾娘」とか「殺人マシーン」とかのおどろおどろしい活字が踊っていた時期と今とでは、今の方が社会が当時の教団の実態、そこにいた人々の実像について、格段に多くの的確 な情報を有しているのである。
こうして、事件直後、事件解明が進む以前の、「悪の帝国」的な、我々の市民社会とは絶対的に異質なものとしてのオウム観は、少なくともその後ある程度継続的に情報に接してきた者の間では過去のものとなり、現代日本社会に内在する問題のある種の噴出としてオウム現象を捉える見方が、今では有力化し ている。
先に挙げた新聞報道の例以外でも、たとえば、江川紹子は、オウムを「歪んだ形で社会を映している鏡」でもあるという(週刊文春、平成16年3月4日号)。
そのような見方は、一連の事件直後の時期から一部では提示されていた。 たとえば社会学者の宮台真司は「終わりなき日常を生きろ」(95年7月25日初版第1刷発行)の中で、「今回の一連のオウム騒動が、『終わらない日常』を生きる私たちにとっての鏡である」と既に言っている。別に目新しいも のではない。
しかし、ここでの重要性は、教祖松本智津夫の一審判決前後の時点、一連の裁判の中で、松本以外のほとんどの被告人らが相当詳細な供述を行い一連の事件や背景についてある程度の事実関係が提示された時点で、新聞や週刊誌等の大衆的商業的メディアの中で、事件直後には一部の論者のみのものであった、事件を起こした教団やその信者であったものたちと我々の社会との同質性の側面、我々の社会の側に内在する問題点の指摘が多くなされているということである。
問題が、日常市民生活を送る我々の社会の外にある1暴徒集団の、我々の社会の中には全くなんの原因もない事件に限局されるのであれば、世論は「オウム憎し」「厳罰を望む」に終始したはずである。しかし、事件の解明が進むにつれ、それでは済まない問題性を多々含むことが社会に知れ渡りつつある。自分とは関係ない問題、とは言えないことに、多くの人が気づいている。世論は、複雑にならざるを得ないのである。
(2) 潜在的加害者性の発見
第2に、その事実解明が進む中で、だれもが「加害者」にもなりえた事件であることが目に見えてきたことがあげられよう。これにはいくつかの意味がある。
1つは、実際に裁判で被告人として裁かれている現・元信者達が、その多くは、どこにでもいる、特に人格的欠陥や性格的偏気など見あたらない若者達であるということである。これは、実際に裁判傍聴等の経験を繰り返ししている 報道関係者やジャーナリストたちには、とうに理解されていることであろう (西田氏第8回P13でも、マインドコントロールにかかりやすい性格を特定することは困難と述べられている)。
また、被告人を含むオウムの信者達の多くが教団に引きつけられていった時期の時代的・世代的特徴として、若者達がヨガや宗教に精神的救いを求めることは少しも珍しいことではなかったこともあげられよう。行き先として当時のオウム神仙の会やオウム真理教が選ばれたのは、ある意味では偶然でしかなかったのである。
西田氏も、「端的に言って、やはり荒唐無稽のテロ集団とかじゃなくて宗教性のある集団だったと、つまり魅力的な集団であったというのは紛れもないことだろうと思います。特に80年代の後半の頃の日本の社会の中においては、極めて何か光るものを感じていたのではないでしょうか」「その世代、そういった意味での何らかの心の悩みや解決し得ない問題を抱えていた人々にとってみれば、非常に魅力的なる解決方法を提供しようとしていたように映っただろうというふうに思われます」と述べている(第8回23頁)。
(3) ありがちな疑問に対する回答
ここで、被告人のような知性の高い、高度の教育も受け、教養もある若者までがなぜ、というありがちな疑問に答えておかなければならない。
1960年生まれの西田証人が、1980年代頃の若者達について、世の中が豊かになっていく反面で、人間の心がすさんでいくものを感じていた年代ではないか、という趣旨を述べている。1961生まれの弁護人の宮田と大木とは、西田証人と同世代の、被告人よりは少し前の80年代前半に大学生活を経験した世代である。
実際、弁護人らが知る80年頃の大学の様子と言えば、統一教会系の原理研 究会の学生勧誘は盛んに行われていた。それと対立する勢力もあったが、当時としてはそれを宗教として批判するのではなく、「反共団体」「親韓国軍事政権」という政治的文脈の中でのものであった。自己啓発セミナー類のポスターは学内掲示板のそこここに見られた。が、80年頃にはまだその問題性までは全く意識されていなかったと言ってよい(問題が顕在化したのは90年代以降だろう)。
学生の側はどうであったか。大木達の世代は、そう後まで成長の神話を無邪気に信じることが出来た世代ではない。小学生の頃に高度成長は終わってしまった。「ノストラダムス」の終末論が一世を風靡し、「こっくりさん」に興じたのは中学生の頃であった(被告人はそのころ小学校に入ったばかりである)。ユリ・ゲラーが来日し、「エクソシスト」が公開された時期でもあるそのころは、たとえばカーソンの「沈黙の春」が翻訳出版された時期でもあった。つまり被告人より若干年上の大木達の世代は、「巨人の星」の成長神話・上昇志向のイデオロギーでスタートした。それに対応した社会の現実もあった。草野球やドッジボールのようなことでも、誰に強制されるでも指導されるでもないのに、「上手くなるために」「強くなるために」友達同士が集まって目の色を変えて真剣に練習した。そのことに何の疑問もなかった。ある時期まで、それは社会的にも自明の「良いこと」であった。ところが成長の途中から、社会的現実がそれを裏切り始めた。成長には限界がある、誰かがぶんどれば誰かの取り分が減る、みんなががつがつすると地球がぶっこわれる、という現実に社会は直面しはじめた。高度成長は終わり、真面目な勤労者の働く会社は公害を垂れ流して人を殺し、貧しい生い立ちから首相にまでのぼりつめた人物は裏金をもらう。真面目に勉強し、一生懸命働いたからといって、間違いなく明るい未来が開けている保障はない。時代の雰囲気が変わっていった。そのような中でオカルトやら超能力やらのファンタジーを受け入れてきたのが大木達の世代である。
いわゆる超自然的なもの、オカルトや心霊現象、さらには終末論、占い、超能力、このようなものに、我々の世代は、早くから決して拒絶的ではなかった。 「ノストラダムス」は、同世代の共通体験と言って良い。それは、別の世代にとってのマルクスやサルトルと同じようなもの、つまり、誰もがまるっきり信じたわけではないが、誰もが読んでことのある、誰もがそれを語りうる、我々の世代にとってはそういうものなのである。
80年、別冊宝島として「精神世界マップ」が出版された(ちなみに「宝島」、「別冊宝島」や「ビックリハウス」は、サブカルチャー世代と言われる 大木達の世代で、80年前後に非常に広く読まれた影響力の大きかったメディアである。一世代前にとっての「朝日ジャーナル」や「世界」のようなものである)。これは、精神世界と呼ばれる領域全般のブックガイドを中心としたもので、アメリカのサイコ・セラピーのセミナーや、グルジェフ、クリシュナムルティ、ラジネーシなどが、未翻訳の文献も含めて、紹介されていた。この、入門書と言うには必ずしも易しくはなく、実践的な内容も含み、しかも英語の文献案内ばかりが多い本が、刷りを重ねた(今出ているものは、44刷)こと自体が、80年頃には若者の間での精神世界への関心が低くなかったこと、しかもそれはその後の世代にも続いたこと、若者達が求めていたのは知識のみではなく実践も含めてであること、興味を持つ若者達の知的程度は洋書の多いブックガイドを必要とする程度には高かったことを意味する。
83年、中沢新一「チベットのモーツァルト」が出版された。宗教と言うよりは、ポストモダン的な言説にあふれた人類学的フィールドワークとして多くの読み手は受け取った。主たる読者層であった大木達の世代の中では、そこに描写された「ポワ」(ここでは自分の意識を自分の肉体から切り離すこと、幽体離脱の意。しかし、この本やこれより早く出た「虹の階梯」により、大木達は「ポワ」という言葉は、オウム現象で世に知れ渡るずっと以前から、言葉自体とその本来の意味は知っていた)の修行の中で著者がした体験について、それが「本当か嘘か」などという議論はなされなかった。何らかの宗教を信じるかどうかにかかわらず、それを「ありうべきこと」として受け取ることは、大木達の世代的には当然なのであった。大木のような非宗教的な者でもスピリチュアリティーは別段「否定しない」のが、大木達の世代では普通である。後に東京大学の教授であった西部邁が、中沢が東京大学の教官候補になったとき、強く反対し(その理由は、中沢の「科学性」への疑問というか否認であったと記憶する)大学を辞職したが、あのような反応は、大木達の世代ではありえない、調子っぱずれなものにしか見えないのである(ちなみに中沢は、現在、中央大学教授である)。
このような、宗教性と精神性を切り離すことが普通に出来る世代の環境やメンタリティは、たとえば「悟り」を目指す「修行」への敷居を低くした面はあるかもしれない。
一方で当時、「若者達の神々」として現れた中沢らニューアカデミズムの旗手たちのうち、いち早く注目されたのは浅田彰であった。浅田が主張したのは、 社会のシステムから「逃げ続けること」であった。
日本では浅田らに代表される80年代現代思想は、総じて、世界を認識したり、システムを人が意思的に変革したりすることはもはやできない、というペシミズムを前提とした。それは、近代末期の現実的基礎の上に成り立つ認識であった。
1つの戦略として、「だからこそ」自然体験を取り戻すべきだ、という主張もある。たとえば養老孟司教授などはそれである。しかし複雑巨大にイメージが張り巡らされた社会での、ほんの一時の自然体験、直接体験に、それをうち破る力などありはしない。かえってオウム真理教に興味を持った若者達のうちの少なからぬ部分は、直接経験、身体論をそこに求めたのである。
他方、ニューアカデミズムは、社会変革に向けて一致団結せよ、という類の古いイメージを一掃し、自由を与えた面もある。システムを動かす主体は決して存在しないという認識の元では、全ては「記号」として等価になり、メインもカウンターもアンチも意味を失い、全てが相対化される。サブカルチャーが表に現れる。
「80年代初めのニューアカデミズムは、すべては浮遊する記号であり等価だというビジョンを私たちに与えてくれました。大学の学問もアングラ芝居も並列なんだと。宗教学者の中沢新一さんと麻原教祖が雑誌で対談しているのを見て、『最先端の思想を論じる大学の先生と宗教の教祖が話すなんて」と、わくわくしたものです。これからとてつもなく新しいことが始まる、とさえ思いました」(宮台真司「野獣系でいう!!」より、宮台と香山リカ−精神科医、1960年生まれ−との対談「オウム真理教とサブカルチャー」での香山発言。 初出はASAHI NEWS SHOP「何がオウムを生みだしたか」朝日新聞社)というのは、その同世代人から見れば、80年代に現代思想やサブカルチャーの影響を少なからず受けた多くの同世代から見れば、非常に同感できる感想を率直に(この対談の初出は、地下鉄サリン事件にかなり近い時期であったと記憶している。香山の勇気に脱帽した覚えがある)語ったものである。
個人領域での欲望追求は、むしろ「それしかできない」という諦めの反面で、解放される。「なんとなくクリスタル」をベストセラーにし、女子大生をブランド化し、DCブランドを買いあさり、マハラジャを流行らせたのは、大木達の世代である。しかしそれは「なんとなく」というむなしさを感じつつのもので あった。だからこそ、田中康夫は支持されたのである。その華やかさではなく、その大本にあるむなしさやつまらなさが、同世代人の心を捉えた。しかし、当然、それで満足できない者、諦めきれない者も、生み出され、閉塞していく。
世界を把握できないということは、別の言い方をすれば言語で全てを記述することはできないということである(この両命題が等価であるということは、既に記号論によって明らかにされていた)。中沢が「チベットのモーツアルト」で示したのは、人間の存在のありようの中に、決して言葉による秩序化ができない領域があることであり、意味に還元されないものがあるということである。それは広い意味での「身体論」に含まれる。その領域の存在が明らかになることは、逆に言えば、言語化され秩序化される人間領域を相対化することであり、そこから自由になれる可能性が生まれるという面もある。この時期の若者達が身体論に関心を持っていくのは必然でもあった。
被告人の世代になると、大木達が小学生の頃感じ取れたような高度成長期の現実、つまり親が働いて給料が上がって家のテレビが白黒からカラーに変わったようなこどもにもわかりやすい上昇体験自体、もともと乏しかったであろう。 気が付いたときには何でもあった世代である。しかしだからといって家庭や学 校での教育が、それに対応した内容になったわけでもない。教育で教えられる価値観は、発展しつつある近代のそれである。ある意味では理念的にしか受け取れない面が、もともとあったのではないか。それを理念として、特に頭のいい子ほど、受け入れることは出来ても、現実に裏打ちされない理念で満たされるわけがない。「小学校のクラスのみんながドッジボールの練習で夢中になる」ような現実体験は、それほどはなかったのではないか。そして、そこには当然不安が生じる。
被告人の世代は、全ての道具立てが「そこにあった」年代である。大木達がそのときそのときに入ってきたものに触れてきたのとは違い、終末論にしろ、超能力にしろ、ニューエイジやらニューアカデミズムにしろ、瞑想にしろ、ヨーガにしろ、ワープロ・パソコンにしろ、オウム現象に関わる大道具・小道具は、被告人らの世代が必要とするとき、興味を持つであろうときには、それらは全て、既に「そこにある」ものとしてあらかじめ存在した。
ただ、「超能力秘密の開発法」と「生死を超える」は、被告人が大学に入学し東京にでてきた年に「たまたま」出版された。その意味では当時の最先端ではあった。それを地元を離れたばかり、東京に出てきたばかりの「その時期の」被告人が読んだのは、偶然に過ぎない。
しかし、同時期に同様の関心を持った若者達は少なからず存在した。松本著作よりも遙かに広く読まれ日本でもベストセラーになったシャーリー・マクレーン「アウト・オン・ア・リム」が翻訳出版されたのは86年である。87年には「おまじないブーム」が頂点に達した。このような流れが、90年前後から自己改造やヒーリングや瞑想のブームにつながっていく。
大学生の被告人が身体論や精神世界に何らかの形で触れること自体は、むしろ当然の成り行きであり、必然であったといえるのではないだろうか。
被告人は、「多数派」ではないにしても、同世代の多くの若者達と同じ関心を持ち、同じように精神的な救いを求めた若者の1人に過ぎない。ただ、当時多様に存在した精神世界への「入口」のうち、被告人はたまたまオウム神仙の会の入口を潜ったに過ぎない。そのことによって被告人は攻められるべきなのであろうか。当時、誰が言っていただろうか。「あそこには行っちゃいけない」と、86年に、誰が言っていたというのか。86年に大木や宮田が被告人と縁があったとして、被告人から神仙の会の道場に行っているという話を聞いたとして、「やめとけよ」と言っただろうか。言わなかったはずだ。大木は、「ま、いいんじゃない。俺『修行系』はちょっとセンス違うけど」と答えただろう。宮田は、もしかすると、「今度、連れていってよ。見学したい」とねだったかも知れない。
(4) 教団と日本社会との同質性
他方、社会としてのオウム真理教団を見たとき、それと日本社会との同質性の存在も指摘しなければならない。
橋本治は「『どうして日本人は、この妄想的犯罪事件から”宗教”という要素を抜き取って考えることが出来ないのか?』ということの答えの1つは、もうはっきりしていると思う。それは、この日本という国が”会社”という宗教に汚染されている宗教社会だからだ」と「宗教なんかこわくない!」(1995年7月15日初版発行)の中で喝破している。
実際教団の姿には、日本の企業の姿と重なる部分が少なくない。
会社第一のイデオロギーを注入し、会社外部に及ぼす害悪にはさして関心を抱かない。会社が公害を垂れ流して人を殺したり、厳しい取り立てで幾人もの自殺者を出したり、反社会的活動に手を染めていたことが明らかになったところで、大抵の社員は退職したりしない。
集団行動主義にしろ、組織内での内部論理の優先や思考停止にしろ、教団の行動原理は、日本社会の組織のそれとさほど遠からぬものなのである。それゆえに、慣れ親しんだ面もあり、受け入れやすいものでもあったことは否定できない。
(5) 社会の現時点での受け止め方
このように、オウム教団やその信者達、そこに属していた被告人らの実相が徐々に明らかになる中で、社会が日本の市民社会のあり方の問題としてオウム現象を受け止めようとしはじめたのは、ごく当然のことである。
また、社会的論調がそのような立場に立てば、被告人ら重大事件に直接関わった者たちは、まさに我々社会が生みだした寵児であり、我々と絶対的に異質な存在ではないと捉えざるを得ないことになるのは必然である。そのような存在である被告人らを、絶対的かつ永久的に、法による抹殺という方法で、社会外に放逐すべきなのか、という問題が、今、我々の社会に対して、突きつけられている。
弁護人の宮田と大木にしても、それぞれ全く別の背景と契機によるものであるが、いずれも精神世界に関心を持ったし、瞑想等による身体的な経験もしている。たまたま入った入口が違えば、自分たちが被告人席にいたかも知れないという我々の感想には、何の誇張もない。
社会は、被告人らを死刑に処すことに躊躇を感じているのである。しかも、その躊躇は教団や関連事件に継続的に関心を持ち続けた層でより大きい。オウム真理教を速くから告発し、自らもホスゲン事件の被害者である江川紹子は、前に引用した週刊文春誌上で、「弟子たちの裁判でいえば、林郁夫の無期懲役が早々と確定し、豊田亨が死刑という判決等には、違和感を覚えました。全体が分かってきた今になってみれば林がやったことと豊田がやったことを比べると、林がやったことのほうが圧倒的に悪い。無期懲役と死刑では天と地ほどの開きがあり、これには、釈然としないものを感じました。豊田らが、首謀者である麻原と同じ刑というのも違和感を覚えます」と述べている(林郁夫との比較については、後でも少し触れる)。
滝本太郎弁護士もまた早期から教団と闘い、また教団から命を狙われた被害者であるが、当審において、弁護人らの求めに応じて証人になることを承諾していた。滝本弁護士は、オウム真理教家族の会の総会で、「重大事件に関わった信者も死刑とはせずに、教団をなくすためにできることがあるのではないか」と提言している(2月9日共同通信)。
オウム真理教家族の会は、以前は被害者の会といい、出家信者らの家族を中心に構成され、教団と対決してきた。会長の永岡弘行氏はVXガス事件の被害者である。この家族の会は、松本智津夫の1審判決直前の今年2月8日の総会で、「教祖松本以外には極刑は望まない、信徒は生きて償いをさせるべきだ」 というアピールを採択した。この会には事件に関わった信者の家族も会員として活動している。しかし、オウムから被害を受けた人々、テロを受けて人々も会員である。もともとは「オウム真理教被害者の会」として発足し、信者の脱会支援活動などをしてきた、一貫して反教団の立場にある団体である。家族の会がこのようなアピールを公にしたのは、教団の破壊的カルトとしての実態を良く知る者の立場から、事件の加害者であっても破壊的カルトの被害者でもあるということを理解しているからである。
松本に対する判決の翌日に毎日新聞朝刊に掲載された浅見定雄東北学院大学名誉教授(いうまでもなく我が国のカルト研究の第一人者である宗教学者で、統一協会やオウムの危険性を早くから指摘し、脱会者の支援でも活躍された) のコメントでは、「教団の犯罪は、教祖の責任が極めて重く、被害者の側面を併せ持つ幹部たちへの死刑は重すぎる」と述べられている。
いずれも教団を擁護するような立場の人たちではない。むしろ警察が強制捜査にはいるよりもずっと以前から教団を警戒し警鐘を鳴らし、それゆえに、命までも狙われた経験を有する人々である。そして事件が判明し裁判が始まってからも強い関心を持ち続け教団の問題と関わり続けてきた人々でもある。そのような人々が、この時期こぞって教祖以外の重大事件に関わった信者については死刑適用を回避するよう、意見を公にしていることは極めて重要である。
2 従前の論調の意味
(1) 問題の所在
ここで、ではなぜ教団関連事件について、従前あれほど強い関心を呼び、また社会的に厳罰に処すべしとの世論が強かったのかを遡って検討する。
たしかに事件の規模、被害者が多数にのぼったこと、宗教団体という特異性、サリンなどの化学剤が使われたことなど、当然社会の不安を引き起こし、処罰感情を強からしめる要因が多数存在したことは、前提事実として存在する。
また、事件の被害者となった人々にはなんの落ち度もなく教団との関係すらない人々が多数含まれ、その犠牲者や遺族の悲嘆や怒りはごく当然のものとして極めて強く、それに対する社会的な同調が生じたことも明らかであろう。それは、社会として当然の反応でもある。
教団関連事件に重罰を求める世論形成が早々になされたことは、自然ではあった。そのこと自体に異を唱える者ではない。
(2) 当然とは言えなかったこと
しかし、そのようなごく真っ当な要因だけで説明できないものを、95年頃の風潮に感じるのは、やはり否定できない。その弁護人が感じる違和感を分析したい。
たとえば弁護人の大木は、当時千代田線で新松戸から霞ヶ関まで通勤していた。地下鉄サリン事件の日は、朝、小菅の東京拘置所に立ち寄ったため、「今日は接見に来る弁護士が少ないなあ」という感想が、最初に感じたその日の異常であった。もともと大木がサリンを撒かれた電車に乗り合わせた可能性は、この偶然がなくてもそう多くはなかったが(時間帯的にも、綾瀬始発には滅多に乗らないという意味でも、それほど可能性は高くない)、ないではなかった。 また、大木は、ある出版社の代理人として、この時期以前から、教団から起こされた民事訴訟にも関わっていた。
しかし、地下鉄サリン事件直後の時期に、大木が怒りと恐怖に震えていたかと言えば、そうでもなかった。「あー、やっちゃったよ」というのが、最初に来た感想であった。正直、「これで終わった」、というのが当時の実感に非常に近い。
実際、正月の読売新聞の報道以後なぜ松本サリン事件でさっさと強制捜査に入らないんだろうと思っていたし、その時期の遅れは何らかの投機的行動を引き起こす可能性を生むのではないかと危惧していたこともたしかであった。假 谷氏拉致事件での信者逮捕以後は、特にその思いは強かった。教団の「相手方の」代理人であった大木は、はっきり言って、地下鉄サリン事件以前の方が、あえてそういう言い方をすればだが(実際、それほど気にしていたわけではない。教団相手に闘っていたなどと言えるような関与をしていたわけでもない。ただ、関係していた事件の絡みで教団が武装蜂起を準備しているかもしれないという情報は、それなりには持ってもいたので)、こわかったのである。
かえって教団が地下鉄サリンの見当はずれとしか思えない投機にでてしまったことで、「もうこれで大丈夫」と一安心したのが、大木自身の当時の偽らざる本音であった。
(3) ところが、大木程度にも教団の脅威(大木にとってもこの言い方は非常に大袈裟であるが)を感じたこともないと思われる世間一般やマスメディアの興奮は、頂点に達する。
しかもそれは「ああ言えば上祐」ブームと言うべきものを巻き起こしながらの不思議な現象でもあった。単純に市民社会が正義に目覚め悪を糾弾し始めたとはとても思えない状況も現実に存在した。
ここで良識的市民とそうでない面白半分の便乗者とを分け、後者を「世論」形成者とは認めないという操作を用いて解決しようとすれば、ことは簡単である。しかし、それでは我が国の当時の市民社会の現実を見たことにはならない。便乗者といおうと野次馬といおうと、我が国社会のそう少なくはなかった構成要素である。東京支部で上祐の出待ちをしていたより遙かに多くの市民が「同じ関心」でテレビを見ていたはずなのである。それを見ないことにし、良識的 市民のみの形成したもののみを世論というのだとすれば、そもそもこの時期形成された世論自体、まったく観察する意味のないものということになる。なぜならば、世論形成を主導したのは、ニュース報道以上にワイドショーであり、そこにはもともとエンターテイメント的な意図が濃厚であった。そのような意図によって巻き起こされた世論は世論ではないと言わなければ一貫しないだろう。しかしそうしてしまうと、もはやこの時期の世論を評価することなど不可能なのである。つまり、事件の社会的影響は、「真っ当に形成された世論」がどれだけのものであるか不明であり測定できないから、量刑要素として斟酌してはいけない、ということになる。
上祐だけではない。ある意味では松本自体が「人気者」であった。人々は彼の映像をテレビの前で待ち望んでいたのである。当時を思い返すと、我々の回りには、「私は上祐ファン」、「麻原って結構かわいい」などと言っていた人たちが少なからずいたはずである。だれもがその顔を思い浮かべることが出来るはずである。そして、その人たちの中には、決して特別軽薄でもなければ、取り立てて社会的に逸脱しているわけでもない、知性も低くなければ、性格も悪くない人がたくさんいたことを思い出せるはずである。それは、歴史的に起こった出来事であり、消去してはならない事実である。なぜこのようなことが起こったか。その問題は、決しておざなりにされてはならない。
(4) 「終末」の共有される社会状況
1つ忘れてはいけないことは、社会の少なからぬ人々にとって、近い将来の終末は、どれだけのリアリティーをそれに感じているかは別として、「知識」としては共有されていたことである。そしてその中には、終末を「待望」する者も決して少なくはなかったと思われる。そして、その背景は、言うまでもなく、現実社会の閉塞状況とそれ故に感じる閉塞感である。
確かに我々は70年代にノストラダムスの大予言の終末のイメージを与えられ、80年代、90年代を通じて、たとえば「幻魔大戦」や「宇宙戦艦ヤマト」、「風の谷のナウシカ」や「AKIRA」や「北斗の拳」など、ハルマゲドンやハルマゲドン後の社会についての多くのファンタジーを与えられてきた。
しかし、そのようなファンタジーの影響云々が言いたいのではない。何故この時期にそのようなファンタジーが成立し受け入れられたかが、さらに重要なのである。たとえば雑誌の連載漫画は、受けが悪ければあっと言う間に切られる。長期連載が続くこと自体、それが「受けた」ということであり、読者層が元々持っていた何かに触れた、ということなのである。だから、重要なのは、「与えた影響」よりも「受けた理由」なのである。
言うまでもない。ポスト・モダンの現実は、現実の社会の延長を個人が「今より良くすること」を夢見ることを許さない。ポスト・モダンの思想家達とは背景も世代も違う小説家の宮内勝典は、元信者である高橋英利との対談をまとめた「日本社会がオウムを生んだ」のあとがきの中で「先進国は、意味の不在にぶつかっている。食べていく苦しみを乗り越えた現在、人生にどんな意味があるのか、なにか目的があるのか、だれも答えることができない」と述べている。
善を求め悪を滅ぼしヒーローとなるファンタジーは、現実の延長にではなく、現実を一旦ちゃらにしたところでしか、もはや成立しない、リアリティーを持たないのである。
漫画の世界だけの話ではない。文学においても、80年代以降に顕著になったのは、現実に類似した「リアル」な場面設定が求められなくなったことである。現実に近い状況の中での「物語」は、かえって成立しにくい、リアリティーを欠くものと受け取られるようになる。「物語性」そのものが追求されると、詳細で現実的な場面設定は放棄されていく。
オウムの教義にあった「ハルマゲドン」は、多くのファンタジーの中では、主人公がヒーローとして立ち現れるための前提条件であった。そして、現実感の有無はともかく、そのようなファンタジーに自己投影しつつ、意味のない日常性に耐えて生きている若者はいくらでもいた。地下鉄サリン事件は、後から、単なる思いつきの投機行動と分かったが、むしろ当時の通俗的な見方の中に含まれていた自作自演のハルマゲドンの一環という受け取り方をすると、それは退屈で意味のない日常を変えてくれるかもしれないもの、という肯定的な意味すら持ってくる可能性があるのである。そうでなくても、「事件」は、乾いた日常に刺激を与え、退屈しのぎのためにその情報は「消費」される。意味なき日常は、「事件」によって癒される。
このような社会状況は、もともとはオウムがなぜ生まれ肥大したかということを説明するために引用されてきたが、同じ背景はオウム現象を受け止めた社会の側の受け取り方にも当然影響していることは忘れてはならない。
(5) 上祐人気、松本人気の理由
結局の所、オウム現象を起こした側と、起こされた事件をネタにひと騒ぎした側と、そのメンタリティーには重なる部分が少なからず存在した。だからこ そ上祐も松本も茶の間の人気者となったし、他の有名無名の多くの信者・元信者もメディアに現れた。メディアが出演させようとしなければ信者・元信者がテレビに出ることにはならないわけだし、なぜテレビに出すかといえば、端的に一言で言ってしまえば、視聴率が稼げるからである。これはつまり市民社会の要求ということである。
その市民社会には、怒りも社会正義への希求もあったが、そればかりではなく、「祭り」の高揚も退屈しのぎもあったということ、それを見落としてはいけないのである。
(6) 社会的教訓を生むために
もちろん、今でも教団の引き起こした事件とそれに関与した者たちに対する強い社会的な非難、処罰感情が存在していることは承知しているし、それは当然のことでもある。
しかし、だからといって、95年に教団の外、テレビの前や東京支部の前の路上で、破滅と破壊の「祭り」を楽しんだ人々が少なくなかったという事実、日本社会の現実を否定してよいことにはならない。これを「不真面目でとるに足らない」と切り捨てている限り、オウム事件は、決して有効な社会的な教訓を生まない。
スケープゴートを作りだし、カタルシスを味わうだけで済ませて良いような状況ではない。
(7) 現代における「リアリティー」
もう1つ、重要なことがある。なぜ社会全体が東京で起こった1事件にあれほどまでに熱狂的関心を抱いたのか、という問題である。そこには、直接自分が経験していない、情報又はイメージとしてしか接していないものをリアルに受け取ってしまう、受け取れてしまう、現代人が、多数いるのである。
たとえば大木にしても、「拘置所に接見の弁護士が来なかったこと」「拘置 所から事務所に行くとき千代田線が霞ヶ関駅を素通りしたこと」と、自分の目で見た事件後、お昼過ぎ頃の霞ヶ関駅周辺の状況が、地下鉄サリン事件の直接 体験の全てであって、それ以外は全て直接には経験していないことである。それでも、これだけの直接体験があるのは、日本国民全体の中ではごく少数であろう。また地下鉄サリン事件から、前に述べたような幾ばくかの縁はあった。 しかし、事件当時オウム現象に首までひたっていたのは、ほとんどテレビを見ることのなかった大木ではなく、家にいる時間の長い家族の方であった。大木より遙かに多くの情報を持ち、はるかに多くの時間を事件の要因や背景の分析に費やし、被害者や事件関係者に対する感情移入までしていた。
東京の弁護士は、ほとんど霞ヶ関駅の日常的利用者である。地下鉄サリン事件を初めとする教団関連事件の弁護を受任するかどうかというときに、潜在的可能的には自分も事件の被害者であるという理由で固辞される方もあると聞く。 ただ、それよりももっとよく耳にするのは、「自分は引き受けてもいいんだけど、家族の反対が強くて」という言辞である。単なる言い訳とばかりは言えないリアリティーが、そこにはある種感じられるのである(もちろん、家族の反対理由は、単なる感情的印象的なものだけでなく、経済的なことや健康上のことを心配してという面も大いにあるだろう。それもまた実際に重要な理由ではあるので、一概に否定的評価は出来ない)。
情報やイメージにリアリティーを持つこと、否、ほとんど全てと言っていいほどのことは、直接の経験ではなく情報・イメージでしか認識・把握されず、それにリアリティーを感じる他無いことは、現代人一般に関わることなのである。ごく普通にしていることである。むしろ、現代ではほとんどの場合「それしかできない」のである。イメージにリアリティーを感じるしかない。しかしそれは同時に誤ったイメージにリアリティーを感じされられてしまう危険を内包する。
それは善悪で論じるべき問題ではない。社会的現実なのである。しかし、その現代社会の普遍的要素は、オウム現象の根底に深く関わっているものと同一である。
(8) 2004年の現実
オウム事件以後、現実の閉塞のファンタジーへの投影はなくなったわけでは ない。むしろ非常に多くの物がその後も立て続けに現れている。たとえば、現 在雑誌連載中のものからいくつかの例を挙げよう。浦沢直樹「20世紀少年」 は、現在、「ウイルスによる世界の滅亡」後の近未来の管理社会のディスユートピアが描かれている、ある意味オウムのパロディを含むようにも読める作品である。東本昌平「CB感」では、環境破壊で死にかけた地球を「完全管理」のもと再生、復元した極度の管理社会が舞台とされている。かわぐちかいじ 「太陽の黙示録」は、大地震で日本の中心部が水没し分断された日本列島でのストーリーである。「地域限定型ハルマゲドンストーリー」とでも言おうか。ここにはこの地震による社会の混乱で、それまでの出口無しの閉塞から解放され、新たな可能性を得た人物が、明示的に登場する。
社会的現実は構造的には変わっていない。そこに生きる若者のメンタリティーや閉塞感も相変わらず存在し続けている。しかし、オウム事件は、ファンタジーへの願望の投影にさえ、より暗い影を落としてしまったように思える。現在進行中のファンタジーが「ハルマゲドン後の世界に」さえも、はたして明るいイメージを描けるかは何とも言えない(前記「20世紀少年」では、ハルマゲドンまでに既に幾たびかの対抗勢力の敗北が描かれてきた)。オウム事件は、それ以前はある種の無法、無政府的な力が割拠する空間としてファンタジーの舞台を成立させることの多かった「ハルマゲドン後の世界」を、現代社会以上の超管理社会としてイメージする契機を与えてしまったようにも見えるのである。
だからこそ、我々は、オウム事件を受け止めた社会の側をも十分注視し分析しなければならない。
3 社会がなすべきこと−その1
(1) はじめに
事件以後の裁判内外での事件の解明や、それに触発された議論、学問的研究から、社会がこれからなすべきことは、相当明らかになってきたように思われる。
(2) 再発防止のための事実認識の必要
言うまでもなく、社会が総体として取り組むべき課題、最上位の優先順位が与えられるべきものは、いかにすればオウム現象と同様の現象が今後再発することを防止するかである。そのために絶対に必要な条件は、現象の事実の解明、その意味や背景の分析である。「何が起きたか」「なぜ起きたか」が分からなければ、そもそも再発防止などしようがないのである。
刑事裁判も又、その我々の社会総体が取り組むべき課題から自由ではあり得ない。そもそも、「何が起きたか」「なぜ起きたか」の把握が不十分であれば、刑罰の一般予防、特別予防の効果の測定すら出来ないことになり、刑罰権の発 動根拠すら怪しいことになる。
もとより裁判には手続的制約や、証拠的限定がある。したがって、そこで明らかになる事実は相対的な性格を持たざるを得ない。それについて我々裁判に関わる者は、謙虚である必要がある。
しかし、それでもなお、我々は裁判を通じてできる限り、「何が起きたか」 「なぜ起きたか」を知り、かつ、知らせる、責務がある。日本の市民社会がオウム裁判に最も望んでいるのはそのことであることは言うまでもなく明らかだからである。
(3) オウム現象の原因としての社会構造的要因
社会的背景の認定は、裁判手続き一般に、不得手な領域ではある。
しかし、いかなる時代状況の中で、どのような要因から起こったのかが明らかにならなければ、事件全体が解明されたとは言えない。また、それが解明されなければ、社会は有効な防止策を立てられない。
この点、既に引用した幾人かの論者を始め、多くの著述家や研究者が既に論考を発表しているところでもある。そしてその議論は、現時点ではかなり方向性が一致してきたと言える。よって、以下では、現時点では既に公知性を持つに至ったと考えられる(学問的分析については経験則となっていると考えられる)それを踏まえて論じる。
教団が拡大していった80年代から90年代は、ポスト・モダンと呼ばれた時代であり、また思想的にも80年代からポスト・モダニズムが隆盛した時期であった。
すなわち、近代の課題であった「欠乏の克服」は我が国では高度成長の終わり頃の70年代にはほぼ達成され、他方、世界的に汚染や公害、資源の欠乏など、「成長の限界」が課題として意識されだした。
また、資本主義のアンチテーゼであった社会主義は、もはやオルタナティブたり得ないことが明らかになる。しかし、高度成長期までの成長神話・上昇志向・「だれでも努力すれば幸せになれる」幻想は、ゼロサム的現実が明らかになった時代には、もはや自明の意味を失った。
近代の終わりは、日本社会にまた別の影響をももたらした。既に高度成長期を通じて進行していた人口の流動と住宅の「郊外化」は、地域社会を急速に形骸化した。これになりかわった団地的な家族・家庭への内閉は、80年代、高度情報化による電話やテレビの個室化などのメディア環境の変化もあって、 「表面的には平穏無事なバラバラの家族」を大量に生みだした。そして、人はあらゆる共同体の規制から「自由」になった。と同時に、共同体が与えていた道徳的な自明性を失った。もともと日本社会は一神教的な絶対的他者を持たない。従って絶対的な倫理を内面化されない社会である。社会的結合を維持していたのは、「他者のまなざし」たる、地域によっても家庭によっても異なる部分を持つ道徳であった。しかし、その現実的基礎が失われた。
したがって、8,90年代、我が国の「良く生きよう」と願う若者は、「良いこと」が自明ではない、何がよいことかわからない、社会の現実に直面せざるを得なくなる。弁護人の大木や宮田も含む「我々」は、決して把握することが出来ず、しかも何をしても誰かが不幸になるに違いない社会に生きていることを既に知っている。そのような社会で、「何がよいことか」を考えるしんどさを抱えて続けたままの状態で生きてきたし、今も生きざるを得ないのである。
この点、大木や宮田と同世代に属す西田氏(法廷での証言内容やその著書・意見書等で明らかなとおり、同士は堅実で正統派の研究者であって、決して同世代のサブカルチャーに強い影響を受けたようなタイプでもないし、ポストモダン思想にのめり込んだようにもみえない)のたとえば民主主義に関する理解(西田氏第8回P14)は、その時代の現実と考え方を非常に端的に反映している。つまりそこで提示されているのは、絶対的な価値を持たないが故に、相対的な選択肢の中での集団選択が必要とされ、それによって「誤り」を防ぐ、という考え方である。我々の世代は、このように、民主主義の目標を真理や理想に近づくためという風に積極的肯定的には設定しにくいのである。相対的暫定的に「よりよい社会(「理想社会」ではない)」や「個人の幸せ」がせいぜい設定可能な目標とならざるを得ないのである。
80年代前半大量に紹介されたポスト・モダン思想は、このような現実的基礎に合致するものとして当時の若者に多大な影響を与えた。巨大になりすぎた社会やシステムは、もはや個人が認識し変革しようなどと思ったところでどうしようもない代物であるという認識の元、たとえば浅田彰に「だから、逃げるっきゃない」と言われると、それは、当時の若者には、非常に説得的であった。
80年代が、個人消費に彩られたバブルの時代として存在するのは、消費以外に自己実現の「しようがない」社会状況にあって、いわば「諦めて」消費による自己実現を図ろうとした面がある。結局、個人領域でしか生きる意味など見いだせないのであった。
80年代現代思想における真理は、もはや絶対的客体として存在するのではなく、現象学的な、われわれの相互の納得の中にのみ存在した。もはや社会を認識すること、世界をつかむことなどできはしないことが明らかになった以上、近代哲学的な意味での真理は放棄されざるを得ない。こうして、全てが相対化される基礎が与えられた。
宮台真司が「終わりなき日常」といい、宮内勝典が「意味の不在」という現実は、こうして我々や被告人達の前に現れた。
社会に対して働きかけて社会を変える展望が絶望的だとすれば、自分のあり方を変えることによって社会の見え方(むしろ見られ方)や関係性を変えたり、あるいは全く社会とは無関係に自分自身を変えたい(その前提となる共同性からの「自由」は既に存在する!)という方向性が現れるのは必然であった。
80年代の重要な政治的争点に関わる運動であった反原発の運動は、従前からの政治勢力よりもエコロジカルな運動と強く結びつき、自分たちのありようを変えることで世の中を変える、「生き方として」オルタナティブを提示するという方向性をとった。そこでは自然と対立し自然から収奪するのではなく、自然と一体化し調和するという世界観が主流となり、東洋的価値観に近づくが、それはヨーロッパの「緑」などの運動からの影響を受けた面もある。実際、日本ではマスコミ的には平和運動とエコロジーしか知られていなかった「緑」 では、活動の中で日常的にメディテーションを行ってもいた。
近代的な人間中心主義は、その人間が地球環境をぎりぎりまで追いつめてしまっている現実に直面していた。エコロジカルな発想は、言ってみれば、人間を死ねばバクテリアによって分解される存在として食物連鎖、地球全体の生態系の輪の中におこうという発想である。そこにはある意味での人間の相対化があり、また現実の生態系は思想としての「輪廻」と近接するところもある。人は、確かに死ねば(そして余計な操作をしなければ)バクテリアの栄養になり、植物に窒素同化され、それは草食動物の餌になり、その意味では確かに「転生!」する。
世界的にも、70年代以降、先進国を中心に精神世界への関心は高まっていった。その背景にあった共通の問題意識は、物質文明はこのままでは破滅する以外ないという危機感であり、物質文明から魂を解放し自由になることであり、その個々人の中の意識の変容から世界を変容させることであった。
DCブランドやディスコでの、個人領域で消費による自己実現を図ろうとしても、当然、そこには充たされないものがある。充たされないものを求めたい葛藤はある。しかし現実世界でがつがつ真面目に働くだけでは「ださい」(なお、当時の若者達が「ださい」というとき、そこには、ある種の韜晦、自分が頑張ることでどこかの誰かの仕事を奪っていることになるとか、地球環境の悪化に一役買っているとか、世界的な経済格差を押し広げ飢餓に苦しみ民を作り出しているとか、そういうマイナスイメージが重なってくることを表現していることが少なくない。単純に「みっともない」と受け取ってはいけないことが多い)。「社会のため」というような目標は見えない(何が社会の役に立つかは見通せない。自分のしていることと社会との距離が遠すぎる。社会内部での利害が複雑すぎる)。
そのような悩みに直面したときの処方箋も、80年代には既に多様に用意されていた。様々な宗教や、瞑想や、ヨガ、自己啓発系のセミナーやサークルなどが掃いて捨てるほど存在した。この時代、精神世界性は特定の宗教との必然的な結びつきをもはや持ってはいなかった。つまり、ある宗教を信じるという前提無しに、自分自身の意識変容、「悟り」は目指せるもの、経験できるものと観念されたのである。
たとえば、被告人は違うが、オウムには、そもそも松本自身がそうであるように、阿含宗から入ってきた者が少なくない。しかし、そこにはおそらく「改宗」「棄教」というような重苦しさはなかったのではないだろうか。どちらが 「よい修行のカリキュラム」を持っているか、という程度のことではなかっただろうか。
(4) 教団が人を引きつけたわけ
このような前提状況が、被告人が大学に入学し、東京で生活を始めた86年には完全に存在していた。
では、当時の社会的状況は、何故教団に人を呼んだのであろうか。
良いことをしたいという良心への志向が強ければ強いほど、何がよいことか分からない社会の不透明感が切迫し、真理への希求が高まるとは、宮台真司の表現である。宮内勝典は「意味への乾き」と表現している。
このような傾向は、むしろ真理を客観的にとらえがちな自然科学的思考を身につけた者の方が、より強く持ちやすいかも知れない。
しかし、被告人が最初に接し、教団に近づく原因となった松本の著書「超能力秘密の開発法」は、むしろ技術書、マニュアル本であり、いわゆるクンダリニーの覚醒のためのヨーガの方法論がその主たる内容であった。被告人が当初はヨーガ教室に通う意図でオウム神仙の会に出入りしだしたのは、まさにそのとおりである。既に述べたとおり、80年代に若者であった世代は、宗教性と精神世界性や身体的修行は切り離して考えることが普通に出来たのである。 「宗教」は、精神世界に「施されることもある(ないこともある)意匠」ぐらいの感覚というべきかもしれない。
ここで、ヨーガという身体的な修行、方法論を経験したことは極めて重要であろう。身体感覚、自分の肉体の把握もまた現代人が置き忘れてきたものである。ヨーガの修行によって初めて身体に感じた「何か」は、神秘体験というような大仰なものではなくとも、非常に強いフックとして機能しうる。現代人は、自分の体のことを知らないのである。ほんのちょっとした身体のコントロールを覚えることで感じさせられる感覚は、非常に新鮮に受け止められる。
イメージでがんじがらめにされている現代社会を「脳化社会」と呼ぶ養老孟司は、それゆえに自然体験によってイメージの呪縛をうち破る方向を提唱するが、自然体験の乏しい者がごく限られた範囲で自然体験、肉体的経験をした場合、それはイメージをうち破るのではなくそれに連なるイメージの世界を実体化する方向で働く危惧がある。実際、被告人のようにヨーガ教室としての神仙の会に出入りしだしたところから教団に関わり事件に連なることになった者は非常に多いのである。言語に縛られ、イメージにからめ取られて生きてきた人間が、体験を「感じる」のはそうたやすいことではない。大抵は言語によって「解釈が与えられる」。それを受け入れる。体験は、その解釈によって、実体のないイメージが実体であるかのように思わせるきっかけになることもある。
松本がある意味ですぐれていたのは、この「解釈を与える」という点においてではなかったか。経験は、松本によって解釈を与えられ、いくつかの「ステージ」に分類された「発展段階」の中に位置づけられる。マニュアルに慣れた、それを求める世代には、いかにも分かりやすく受けもよいだろう。ごく初歩の段階の小さな体験は、松本によって与えられた解釈によって、解脱への遠大な道筋全てにリアリティーを与える。
しかも、道場には、その発展段階のいろいろなところにいる者がおり、機関誌等では解脱を成し遂げた者の体験談や、それ以前の各段階にある者の修行相談とそれに対するアドバイスなどが毎号沢山載っている。
被告人はその後「生死を超える」を読んで、死後の世界について抱いていた疑問が氷解するような気がし、松本の修行者としての生き方にひかれるようになる。「人は死んだらどうなるのか」という疑問は、誰もが抱くものであろう。 しかし、その一応の回答も、学校や家庭で与えられることはそれほど多くないであろう。多くの社会では、この問いについての社会の共通の了解としての一応の答えがあるが、我が国では、伝統宗教が与える一応の回答は、共通了解というほどには機能していない。臨死体験や前世記憶に関する書物が我が国で数多く出版されているのは、あるいは社会としての共通了解が成立していないからかもしれない。
我が国の既成宗教のあり方を考えるとき、それが村落共同体との密接な結びつきの中に存在したことを忘れるべきではない。寺と檀家、神社と氏子、両者 は相互的に関係し密接不可分であった。当然、近代末期の共同体の融解と道徳の消滅は寺を単なる墓地にし、共通の「宗教的道徳」または「道徳的宗教」の 了解をも消失させた。被告人が少年期の問いを長く抱き続けたのは、被告人の問題追求的な性格もあるかも知れないが、それだけではない側面もあるだろう。 現代では、地域や家庭は、少年の疑問に少なくとも共同体的には正統性のある 「一応の回答」を与えることなど、もはや出来ないのである。だれも「そういうことになっているんだ」と言い切って議論を終わらせることが出来ないので ある。
89年、坂本弁護士一家殺害事件の起きた年、徳島市内で小・中学生3人が鎮痛解熱剤を飲んで病院に運ばれる事件が起きた。少女達は、意識不明になれば前世がみられる、と考えて、自殺ごっこを引き起こしたのだ。社会規範としての道徳と宗教との結びつきが弛緩した結果、それまで当該社会、その共同体では当然の「規範的要素」とされていたことがその規範性を喪失し、実証性の有無を問われる事実的要素に転嫁するのである。
被告人が読んだ松本のこれらの本は、内容としてみれば、むしろ技術書、よく整理されたマニュアル本的であり、深遠な思想書とはいえない。しかし、そのようなマニュアル、実用書こそが、被告人らが成長する過程で慣れ親しんだものであり、役に立つものであり、しかも、一般には「嘘が書いてないもの」なのである。そして、マニュアルは、言うまでもなく、新しければ新しい程良い。
(5) 順風満帆の意味
それにしても、第一志望の東京大学理科一類に現役で合格して大学生となったばかりの時期になぜ、被告人が松本の著作を読み、道場に通いだしたか、そ の後もときどきではあるが通い続けたか、理解されにくいかも知れない。しかし、それはそう難しいことではない。
端から見れば、大学に合格した被告人はある意味将来を約束され順風満帆に見えるかも知れない。しかし、86年の現実を思い出してほしい。「そういう意味では」、当時の大学生一般はそもそも皆ある程度には順風満帆であったはずである。ときはバブル期である。就職状況も極めて良好であり、初任給も上昇していた。肉体労働を「3K」などと言って嫌う贅沢も言えた。その種のアルバイトは貧乏学生のものから、在留資格のない外国人のものになっていった。 だれもが、いや日本社会全体が「将来を約束された」ような「勘違い」をしていた時代である。
では、それで人は幸せになっていたか。そうではなかったのではないか。この年アイドル歌手だった岡田有希子が飛び降り自殺をする。そしてファンの少年少女の後追い自殺が相次いだ。いじめによる子ども達の自殺も後を絶たなかった。チェルノブイリの原発事故は一寸先は闇の現実を、我々に垣間見せた。 人々は決して満たされてはいなかった。
大木達の世代は、70年代後半の中学生年代から「暴走族全盛期」の一翼を 担いだしたが、小学生年代では前後の世代と比較してもかなり安定した問題の少ない世代である。被告人の世代は、早くから校内暴力、家庭内暴力、いじめが問題にされ続けた世代である。大木達の世代の小学生の頃、つまり、社会が満たされ切ってはいない、欠乏はあるが上昇していた頃の最後の方の時期は、達成されるべきものが達成されてしまい社会が壁にぶちあたったその後の時期より、現実社会の上昇過程の延長に将来の希望が遙かにリアルに見えたかもしれない。
目に見える欠落がないからと言って、人は幸せであるとは限らない。否、目に見える欠落がなくて幸せになれないとすれば、それはかえって不幸である。 なぜならばその不幸は他に原因を転嫁できないものだからである。「社会」が 悪いのではないとすれば、社会を良くすることでは解消されない。そのような不幸は、ひとつには自分を変えることでしか解決されない。ヒーリングや自己改造が、このバブル華やかな時代以降ブームになった理由は、1つには、ここに求められる。
もともと被告人はバブル期の享楽的な文化や風俗には大した関心がなかった であろう。したがって、東京に出てきて自由な大学生活を送り、面白おかしく 暮らす生活は選ばなかったのであろう。そのときに他の選択肢として、いったいどのようなものがこの時代にありえたのか、なのである。被告人が関心を持ったような根源的な疑問に真面目に直面するような機会が、この時代に、どのようなチャンネルで存在したのかである。
(6) オウム真理教の社会認識
ところで(3)で80,90年代のポスト・モダン社会の構造と、その時代を前提に成り立ったポスト・モダン思想について述べたのは、もう1つ理由がある。それは、オウム真理教の持っていた社会認識の基本的な部分に関して、ポスト・モダンの現実と思想は大いに影響していたと思われることである。
たとえば教団は、社会における事実、真実は、マスメディアを通して作り出されるものでしかない、という。これは関係性の中にのみ真実が存在するという現象学的な理解と本質的な違いはない。「幻影」という言葉を用いたブーアスティンなどのメディア論にも通じる。そしてまさに、我々の巨大化した社会は、メディアを通してしか触れることのできない、直接体験によって把握することが不可能なものとしてのみ、現実に存在するのである。
ポスト・モダン思想は、社会システムが人の手の及ばないものになってしまったという認識の元に、反システム的な心情を隠さない。社会と人間とが調和的な関係を築くことができる可能性については、ほとんど絶望的である。このようにみると、教団の教義に現れる現実社会へのニヒリズムやペシミズムは、ポスト・モダン思想に共通に現れている。そしてそれはポスト・モダンの社会的現実を基礎に持つのである。
教団の社会認識、現世認識は、決して荒唐無稽などではない。むしろ80年代以降の社会的現実とそれに対応した当時の新しい社会思想の主流に完全にマッチしたものなのである。
もちろん、教団のイデオロギーがそこまで計算された上で形成されたものかどうかは定かではない。東洋思想全体の中に、現代思想や現代社会の状況にマッチしたものがもともと多々含まれること、それゆえ近代末期の閉塞の中で東洋思想全体が世界的にも見直され関心を持たれていたことは動かしようがない事実である。教団の社会認識は、その流れから外れた突拍子もないものではなかったと言い換えるべきかも知れない。
(7) 社会がなすべきいくつかのこと
ここまでの検討を通して、社会が何をいかにすべきかについての幾つかの論点は現れてきたように思う。
まず、我々は、オウム現象を引き起こした根本的背景が今も存在し、今後も存在し続けるであろうことを知っておく必要がある。それは、この近代の終わりの社会的現実そのものであり、人は自分が社会に存在する「意味」など見いだせるはずもなく、社会全体を明確に認識した上でそれと自己を関係付け自分が社会を変えるなどという有効なイメージなど持てるはずがない、ということである。全てが相対的になり、真理は主観と主観との関係の中にしかない、それしか見通せないからとりあえずそれを真理としておく他はなく、したがってあくまで「一応」のものでしかないことを、我々は知らなければならない。これは我々の社会の総体が取り組まねばならない事業である。
西田氏も、この社会が、生きていくのに必要なもの、つまり人生の問題を解 決してくれない、それを満たしてくれる世の中ではないから、カルトのような集団は「なくならないという前提の下に」宗教の問題や社会の問題を考えるべきであると述べている(第9回P56〜57)。
もちろん、それでも、いつの時代でも「絶対的真理」を求め、「完全なる社会認識」を得ようとする者が現れることそれ自体は避けられない。それが「オウム現象を引き起こした根本的背景」は今後も存在し続けると言う意味である。現実社会の「虚構性」を主張し、それを根本から変えようと扇動する者は、繰り返し現れざるを得ない。しかし、そのような無謀な単純化を試みる者が現れても、社会全体にそのような試みに対する警戒心が染みついていれば勢力の巨大化は防げるはずである。跳ね上がりを小規模にとどめることが出来るはずである。
そう考えると、たとえば宗教全般をいかがわしい目でみるような風潮はかえって疑問である。オウム真理教を我々の社会とは異質な「絶対悪」とみるのは、むしろマイナスである。単純化せず、出来うる限りの分析をする、そのうえで相対的・暫定的な評価を繰り返して、そのときどきに行動を選択する。社会全体を見通すことが出来ず、「真理」が相対化され、明確に「良いこと」を把握することも不可能な時代に生きる我々には、そのような生き延び方しかないのである(西田氏第8回P57では「じっくり考える時間と情報のネットワークを広げなさいというような言い方もある」と提案し、「短絡的にテロ集団ととらえる」ことに対しては否定的である)。
我々は、相対化されてしまった現実社会を生きるほかない。そうして生きながら退廃へも行き着かず、絶対性へも短絡しないやり方で生きて行くしかない。周到な、そのときどきの行動選択の結果として社会に生じるかも知れない微細な「差異」を見落とさないようにしなければならない。その差異の中にしか世界をかいま見る手がかりはない。
たとえば、オウム真理教の教義に関して、「あんなものは宗教ではない」とか、「似非であって、『真の』宗教ではない」とか、大したデータもないのに、自分の限られた状況の中で生きた経験によってもったスタンダード(別の言い方をすると自意識)に当てはめて行われる断定的な言説は、それは個々人の自分の行動のための判断としてなされる分には、おかしいものではないとしても、それが社会に対する言動としてなされるのは危険であるし、そのような言説に対して社会が警戒心を持たず速やかに流布されるような社会状況は、むしろ警戒すべきである。オウム真理教の教義に「真理」を見るのも、逆にそれを単純 に「虚偽」や「荒唐無稽」との評価を下すのも、いずれも全てが相対化されてしまった現代社会における生き方としては、危なくて仕方がない。単純に絶対 悪と見切ってしまう心性は、逆にその人の自意識に「はまる」ものを与えられれば、今度はそこに短絡的に「真理」を見いだすに違いない。その「危うさ」こそが教えられるべきなのである。そして、であるが故に、「暫定的相対的」な評価による行動決定を絶え間なく繰り返すことの重要性・必要性が強調されるべきなのである。そのためのスキルが与えられ訓練されるべきなのである。
このようなスキルは、早くから教育の場で与えられるべきである。自己責任 を伴う自己決定のために、絶対に必要である。これまでの学校教育や家庭教育に、このような相対的評価や暫定的な行動選択ができるような能力を養う契機が十分存在しただろうか。そうではないように思う。「真理は明らかである」 「良いことと悪いことは、カテゴリー的に、はっきり区別できる」という、これまでの教育の前提を外す必要がある。
たとえば、消費は、社会状況によって悪になったり善になったりすることは、ここ30年ほどの歴史が完全に証明している。「もったいないからものは壊れるまで使おう」などという子どもの頃の教えを日本国民全部が忠実に実践したら、あっという間にこの国の経済はもたなくなる。「それは、日本が物を沢山作って外国に輸出して稼いでいた時代には正しかったんだけれど、今は日本の会社は外国で作った物を日本に輸入して売って利益を上げているから正しくなくなった。でもまた状況が変われば変わっちゃうかも知れないよ」。小学生にもたとえばそういうことを嘘をつかずにきちんと教え、その上で、具体的な場面場面で「どうすることがちっとはましなのか」を選択できるような技術を早い内から身につけさせる必要がある。だから、「節約第1」も「消費は美徳」も、現実の状況との関連抜きに、倫理として押しつけられてはいけない。それは虚偽だからである。
また、我々は、既に人々が社会生活の土台として機能してきた共通の幻想を大して持っていないということを知らなければならない。欠乏の原因を誰かしらに転嫁して納得するような必要はもはやない。また、将来の明るい社会の可能性の像を共有して現実の窮乏を共に耐える必要もない。現実の生活の必要が満たされれば、各自が抱くその先の幻想はばらばらでもよいし、実際ばらばらになってしまう。それで生きていけるのである。全体が共有できる夢など成立しないのである。そういう時代である。しかもコミュニュケーションはさらに個別化し、もはや家族と言えど、メールや掲示板での各自のコミュニケーションは他の家族には全く目に見えないものとなっている。被告人が出家まで何年も教団に通っていたのに家族も大学の友人も知らなかったこと自体、当時としても全く驚くに値しない。当時から関心の対象は既にたこつぼ化していた。が、それが可能な現実は、今では、さらに深化している。自分の家の中学生の子どもが自室のパソコンでだれとどういうチャットをしているか、親は知らない。 そして、その子自体、自分がどこの誰とチャットしているのかを、実は知らない。それが当たり前である。寂しくないように、ほんの少しの「共同性」を求めようとすれば、逆に大抵の共同性は誰にでも簡単にえられる。ネット上に開かれたサイトや掲示板からは、大抵の興味関心、趣味嗜好に適う場を、簡単に探し出すことができる。そこで与えられる煩わしくない軽い共同性は、孤独を緩和してくれる。特異な関心でも簡単に仲間を得ることが出来る環境は、孤独故の暴走を防ぐのに役立つ肯定的な面もあるが、孤独の中でその関心を枯れさせ、より「メジャーな」領域と折り合いをつけて生きていく契機を与えないという方向で働く可能性もある(たとえば自殺サイトで仲間をみつけての集団自殺などに現れている)。ひきこもりは、こうして引きこもり続けつつ生きていけると同時に、引きこもりから抜け出すのがより難しくなる。この両面性があることに注意しなければならない。
このような現実の事態に直面して、古くさい共同幻想的な「価値観」を持ちだし機能させようと試みるのは、全く意味がない。必要がなくなって放棄されたものを、現実の基礎を持たないのに呼び出したところでどうにもならない。それはかえって拡大された自意識の肥大や社会の予期しない形での噴き上がりを引き起こすのが落ちである。我々は与えられた事実的基礎を前提として、どうすれば「それでもどうにかやっていけるか」を考えなければならない。
我々は、現代の情報環境に相応しいコミュニケーションの技術やマナーを開発し、身につける必要がある。たとえばサイト上の特定の掲示板で感じる共同性は、実は社会全体から見たらほんのわずかの人間でのみ共有されているに過ぎないといった正しい感覚を持つ必要があるし、自己防衛のために、帰属場所やコミュニュケーションのチャンネルをなるべく多様化し、それぞれを相対化するような習慣を持つ必要がある。「見知らぬ他者」との匿名のコミュニケーションでも、そのように相対化を常にすることによって、危険を軽減し、有用性を高めることは可能だろう。
また、コミュニケーションの可視性を高める努力は常に必要である。一見全てネットでつながり開かれているように見えるが、実は「普通の人がほとんど近づかない」放課後の体育館の裏や夕暮れの陸橋の下のような場所が、情報環境の中には恐ろしいほど増えているのが現実なのである。もともと興味のある人しか近づかないのだからそうなるのは当然である。そのような場所をなくすことは決して出来ないのであるから(下手になくそうとすると、どんどん深いころに潜っていって、ますます見えにくくなるだけだろう)、そのような場所に比喩的に言えば「街灯を設置する」ような方法を、社会が考えるべきであろう。
(8) ありがちな疑問へのあらかじめのエクスキューズ
なお、ここで背景として述べたような世代論や社会的背景論に対しては、必ず「そうは言っても、被告人の同世代がみなオウムに入ったわけではない」という類の批判が必ず現れる。
しかし、ここまで述べたことの真意は正しく読んで頂ければ、内容から明らかであろう。我々は、決してそのような批判が妥当するような乱暴な議論をしているわけではない。
また、社会的背景論に対しては、必ず、社会に責任を転嫁するつもりか、被害者の心情を考えたらそのようなことは言えないだろう、という類の反発がつきまとう。
被害者への思いがあればこそ、同様の事態を決して繰り返さないようにしなければならないからこそ、あらゆる観点からの原因追及がなされなければならないのである。それが社会にとって決して心地の良くないことであっても、この歴史的事件に関わった以上は、その関わった立場でなせるだけの解明をあらゆる角度から行い、及ぶ限りの思索を巡らし、そしてそれを世に問うことで議論の一助にすることが必要である。我々弁護人は、被告人の弁護人という立場でこの裁判に関わった以上、それを我々の責務と考え、誠実にやりきろうと考 えているに過ぎない。
そして、批判者に対して、逆に問いたいのである。オウム事件が提起した問題は、関連事件の裁判によって解決されるのか、裁判が終わればそれで幕が引かれるのか、同じ性質の問題の噴出は裁判で刑を科すことで避けられるのか。
そうでないことは、明らかであろう。
4 社会のなすべきこと−その2
(1) マインドコントロールの問題
しかし、既に明らかなとおり、被告人は、犯罪を犯そうとか社会に反逆しようなどという意思を持って教団に関わったのでもなければ、出家したのでもない。そのようなことになる危険を認識することのできる契機さえ与えられていなかったことは明きらかである。その意味では、被告人が教団に関わったこと自体は、非難に値しない。
被告人が反社会的行為に関わり、重大な事件に関与させられるようになったのは、教団でのマインドコントロールの結果故に他ならない。
(2) 広く社会に知らせること
このようなマインドコントロールがなされうること自体、つい最近まで知られていたことではなかった。これが広く知られるようになったことに、オウム 関連事件の裁判における1つの極めて重要な社会的意義があることは明らかである。
しかし、その実態や手法についてはさらに広く社会に知らしめる必要がある。 自己啓発セミナーなどの経験で、マインドコントロールに利用できるようなスキルを持った者は既に社会にいくらでも存在するのである。社会がそれに対抗する最も良い方法は、人々が見破ることができるようにすること、それにはまずは詳細な質の高い情報を広く発信し提供し続けることである。
ここにおいて、あるいは詳細な情報提供はかえって模倣者を生むのではないかとの不安もあるかも知れない。しかし、現実にその技術を使おうと思えば使える者は既に社会には幾らでもいるのだから、「寝た子を起こさない」対応には意味がない。正しい対応策と共に充分な情報を社会の隅々まで行き渡らせるべきである。
(3) ケア、リカバリーの技法の向上
また、不幸にもマインドコントロールに掛けられてしまった人々に対するケア、リカバリーの技法をより洗練する必要がある。そのような研究には社会的バックアップが十分なされる必要がある。また、臨床的な面での援助、たとえばカウンセリング費用についての健康保険の適用可能性なども検討されるべきである。刑事事件に関わった被疑者、被告人、受刑者であっても、そのケアが必要な者については、適切かつ充分なものが与えられなければならない。少なくともそのような機会が施設収容によって妨げられてはならない。それによって臨床的な経験はより豊富になるし、そうして得られたデータや経験は、より広範に、現在及び将来の社会のために、活用されうるのである。
(4) 法規制の検討
さらに、このような状況の危険性を踏まえれば、マインドコントロールそのものや、それを行う破壊的カルトの活動に対する法規制も視野に入れなければ なるまい。
既に述べたように、現代では、絶えざる分析と評価を繰り返しながら暫定的な行動決定をしていく以外、危険を回避して生きぬく術はない。とすれば、そのような分析と評価を妨げるような制約をしようとするものとは、社会は闘わねばならないであろう。
現代社会において、したり顔で「良きこと」を押しつけようとする存在は、常に危険である。ましてそれがたんなる時代錯誤の「自意識」の投射ではなく、「悪しき意図」を隠してのものであるとすれば、社会はそれを放置しておくわけにはいくまい。
かかる観点からの規制は、憲法上の信教の自由や思想・信条の自由と完全に両立しうる形で可能である。
5 被告人の命を奪うことで、何が達成され、何がされなくなるのか、すなわち、 本件における死刑の「効果」を検討する。
(1) 結論から先にいう。被告人を極刑に処すことで、何ら達成される効果はない。
(2) 特別予防効果はない
被告人が教団に戻ることや、別の似たようなカルトの虜になること、また再度犯罪を犯す可能性は、現実的評価としては、存在しない(西田氏第9回P22〜23)。
被告人は、既に教団のマインドコントロールから解き放たれている。
それは、裁判所もとうに承知と考える。
とすれば、被告人を極刑に処すことで達成される特別予防上の効果は存在しない。
(3) では、一般予防上の効果はあるだろうか。
これも、存在しないと言わなければならない。
被告人と同様に、犯罪に利用する目的を隠された状態でマインドコントロールを受けた人にとっては、刑罰による威嚇は、そもそもなんの予防効果も生まない。それはオウム関連事件が多くのマインドコントロールされた若者達の関与によって起こされてしまったこと自体からも証明されている。
考えられるとすれば、もっと手前の段階での、「一見胡散臭そうなところに近づかない」ようにする効果への期待だろうか。しかし、言うまでもなく、「何が胡散くさそうか」についての基準自体が、現代社会では相対化、断片化されてしまっている。そのような粗っぽい教訓の与え方には何の意味もない。既に述べたような自己決定のスキルを身につけることによって、危険なものとそうでないものとを見分けられるようにする他ないのである。
「意思決定の自由」を制約しようとする者への警告は必要である。そのような者に対し警戒心を持つように社会に呼びかけることは必要である。しかしそれは処罰されるべき犯罪行為自体は意思決定の自由が制約された状況でなされたことを認めることが前提である。「それでも自由な意思決定がなされたはずだ」とのドグマにすがり、責任を全て行為者個人に還元しようとするのは、警告の意味を大いに損なう。裁判所が「オウム真理教に入っても、悪いことをさせられそうになったら抜ければ良かったのに、それでも抜けなかったあなたが悪い」ということは、とりもなおさず、「あのオウム真理教でさえ、抜けようと思えばいつでも抜けられる所だったんだから、まあ、そう心配しなくても大丈夫。本当に悪いコトさせられそうになったらそのときに逃げてくればOK」との情報を、「裁判所が」社会に対して発信しているようなものである。それは、まず「正しい情報」の提供か、情報の真偽自体が問われなければならない。ところで、裁判所は、それによって将来に渡って引き起こされるかもしれない事態に、果たしていかにして責任を取るのだろうか。
また、現代の社会状況にも「関わらず」、人生に意味を求め、世界を自分の手で把握しようとする出現すること自体は、そもそもとどめようがないことである。それは人間の自然な欲求であり、現代の社会状況「だからこそ」と言える面もある。そもそも、それは悪いことではない。もしかすると、閉塞された社会に新しい視野が開けるかも知れないのである。我々の今持っている社会認識とて、所詮現代の状況との関連でのみ成立している相対的・暫定的なものに過ぎないからである。
それを無理なやり方で抑圧しようとすれば、また別の予想不可能な噴出を招きかねない。刑罰による大雑把な「脅し」は、逆効果の恐れのみが非常に強い。
(4) マインドコントロールに利用される可能性
危惧するのは、被告人のようにマインドコントロール下に置かれて重大な事件に関与「させられてしまった」者に対しては、今後犯罪触発効果を生む可能性が極めて強いことである。
「今更やめたところで、お前も死刑だ」という情報は、マインドコントロールを利用する側が意識的に用いることの出来るものとなろう。「毒をくらわば皿まで」が、指導者のみならず下っ端まで妥当することになる。裁判所の判例という「正しい情報」をもとに、「だからお前はもう引き返せないんだ、いくいところまでいくしかないんだ」という観念が刷り込まれるであろうことは、ごく容易に想像が付く。
検察官は、林郁夫に無期求刑をし、裁判所もそれにそった判決を下した。しかし、林郁夫の捜査への「貢献」は、教団の様々な悪事に関わった古参の幹部であったが故に可能だったものであり、そもそも持っている情報量の乏しい者には、それは無意味な金の橋である。破壊的カルトからの離脱を構成員に働きかけようとするとき、「今からでも遅くないから」と言うための基礎には、それはあまりに乏しいのである。むしろそれでも「今からでも遅くない」と言ってしまうと、それは虚偽宣伝になりかねないのである。そして実際そうなったときには、またマインドコントロールを利用する側に、非常に強力な武器を与えることになってしまう。
(5) 人命の相対化、手段視への批判の必要
ところで、教団の教義は、全ての「生命」を尊重する殺生の禁止を説いていた。この論理を徹底させ逆転させると、人も虫も、殺すことに変わりはない、という人命の価値の相対化をもたらすことになる。
我々の社会がこれをどう受け止めるかは重要である。
このような価値の相対化もまた、現代社会に事実的基礎を持つものではある。実際、現代人は、システムの中で、既に代替可能な存在になってしまっている。また、地球環境全体という視点からも、それを危機に陥れた近代的な人間中心主義が疑問視され、人間と自然との調和の重要性、人間と自然との一体性の強調というエコロジカルな風潮が広がっている。
被告人はそのような意識は持たなかったが、教団が行ったことを客観的に見るならば、それは生命の手段視であり、目的のためには生命剥奪を手段として用いて良いというものではあった。
我々の社会が、これに対してどう対処するか。
もともと我が国には、「葉隠」に代表される武士道思想のような、自分の命を惜しまないことを美風と考える思想があり、少なくとも戦前まで、それは社会に強い影響力を持っていた。戦後憲法の平和主義思想はこれを後景に斥けたが、昨今の状況の変化は、イラクに派遣された自衛官が、そのモチベーションを説明するのに「武士道」を持ち出すような倒錯を生じさせている。自分の命を惜しまないことは、とりもなおさず、他人の命をも相対化してしまいがちである。
我々の社会は、これをどう考えるのか。
国家が持つ価値観は、その価値選択を真似た疑似国家の出現を予感させる。両者の違いは権力の正統性以外なく、疑似国家を信じる者は、言うまでもなく自らの目的の正統性を信じてもいるのである。目的が正当か否かは相対化される。
国家は、決して人命を手段化することを許さないという意思を高らかに宣言しなければならない。それは、当然、自らが手段としての生命剥奪を行わないことの宣言を含むものでなければならない。それによって、国家は疑似国家に対して、手段の点においてもあなたたちは間違っていると言え、倫理的にも高みに立てるのである。
また、人間が地球環境の一部であり、地球環境に対して自己中心的独善的であってはいけないということ自体は、現代では絶対に否定できない。その意味で人間中心主義は制約されざるを得ない。しかし、それは人間を含む全ての生命体がかけがえのないものであるという認識とは全く矛盾しない。この生命のかけがえのなさは、幾ら強調されてもされすぎることはない。
我々は、自己の生命を軽んじることの過ちをいくらでも強調しなければならない。しかし、我が国政府は、大義すら明らかでない、「利害関係のみ」のために、国民の生命に危険を及ぼすような政策決定さえしてしまっている現実がある。これを当然のことと社会が受け止めてしまえば、そこから先は、恐ろしいことにつながりかねない。だからこそ、司法の見識は極めて重要なのである。
(6) 社会の損失
また、我々は、被告人の命を奪うことで、社会が失うものは、その利害を冷静に考えたとき、決して少なくないと考える。
既に述べたとおり、人生や社会に意味を求めることが非常に困難な現実が社会に存在し、しかしそれでもそれを求めようとする者の出現が続くことは必然である。また、情報環境はだれもが不特定多数人への情報の送り手になることを可能にしているし、情報の受け手は「1人で」好きな情報を受け取ることが出来る。このような現実的基礎がある以上、我々の社会は、オウム現象と同様の基礎を持つような噴き上がりがいつかまた発生する可能性があることを予感せざるを得ない。
そのような事態が生じた場合には、同種の事態を経験したことのある者の知識や経験が非常に重要であり有用でもある。
そもそもオウム現象自体、すべてが解明されたとは言えない。これまで引き出されてきたのは、裁判的な必要やマスコミ的な関心から求められた情報が主である。今後似たような性質の問題が生じるごとに、参照したい事柄は、新たにいくらでも生じるに違いない。
「生き証人」は必要なのである。それも、様々なきっかけをもち、様々な立場で教団と事件に関わった多くの生き証人が、この社会を防衛するためには必要なのである。被告人の経験は、十分社会に役立ち得る。同種の事態の発生防止や、発生してしまった場合の解明に有効に利用できる。そのように利用し、社会に貢献させ続けるには、生きていてもらわなければならない。
もともとカルト研究者にはカルト経験者も少なくない。取り込まれた経験を持ち、重大な場面にも関わらされ、しかる後にマインドコントロールを解き、自分を取り戻してきた被告人は、生き続けてこそ社会の役に立つのである。
被告人は、これまで自分が経験したことを、裁判の場で、極めて真摯に話してきた。過度に感情的にならず、理性的に話してきた。事象を分析する能力も充分にあることは見てのとおりである。被告人は、オウムの生き証人として、非常に有用である。
(7) 応報感情
教祖松本はまだしも、被告人を極刑にすることで、はたして事件の被害者や遺族の応報感情は満足させられるのであろうか。
たしかに亡くなった方々のことを考えるならば、近しい方の命を奪われたご遺族の心情を考えるならば、察するにあまりあるものがある。極刑を求める声があることも承知しているし、それは当然のことでもある。
しかし他方、裁判の経過や関係事件の審理状況に深い関心を持ち続け、つぶさに観察されてきたであろうご遺族、関係者の方々であればこその複雑な感情も、そこには存在するのではなかろうか。
被告人の正体や、事件に関わった経過や、今の心情は、既に明らかになっている。
被告人は、ご遺族、関係者の方々の心情を察し、決していいわけめいたことは言わずに来た。自分も被害者であるというようなことは決して口にしない。むしろ、事実であっても自分に有利に援用される可能性がありそうな内心の状態などは、なかなか話したがらないほどである(従って、被告人の主観的事情に関わる供述の信用性判断にあたっては、この点に気をつける必要がある)。感情の表出を極めて抑制してきた。しかし、だからこそなおのこと、被告人のことが深く胸に残っているご遺族、関係者もいらっしゃるのではないかと考える。
再度考えてほしい。被告人を極刑に処すことで、応報感情は満足させられるのであろうか。かえって傷つかれたご遺族の胸の内に、より複雑なものを残してしまうのではなかろうか。
前に述べたとおり、被告人は生きていれば社会に貢献することがいくらでもできるのである。被告人が生きていることで、新たな事件、新たな犠牲の発生が防げることは十分あり得るのである。
6 死刑適用の必要性の欠如
弁護人は、控訴趣意書において、原判決を、永山事件各判決や林郁夫に関する東京地裁判決(山室判決)と詳細に比較し、原判決は、量刑不当にとどまらず、その不公平にして恣意的な基準のない死刑の適用は、憲法31条、36条に違反する、また永山事件第一次上告審判決が示した死刑適用の基準にも違反し、判例違反にも該当する、と述べたが、それは控訴審の審理を経て、より鮮明になった。
少なくとも、被告人に死刑を適用する必要はどこにもない。
(1) 抗拒困難な状態
本件各事件は、被告人がマインドコントロールの元におかれた状態で、各事件に関わったことは既に述べたとおりである。
原判決も、被告人が「松本らから本件各犯行を指示された際に、それに抗することが困難な状態であったこと」は認めている。
困難と言うよりは「不可能」な状態であり、責任能力があったか、適法行為の期待可能性が存在したか、極めて疑問であること、少なくとも、どちらも著しく減退していたことは、本書第1で述べたとおりである。
(2) 原判決の誤り
ただ、そのような抗拒困難な状態が犯行に利用されたことについて、「過大視することができず、一定程度の斟酌に止まるべき」というのが原判決である。 しかし、そこでその理由としてあげられている事柄は誤っていることが、控訴審の審理を通じて、より鮮明になっている。これについても本書第1で詳論したが、多少の補足をする。
まず、原判決は、「松本が説く教義や修行の内容は、およそ荒唐無稽なもの」と評している。そして、そのように評価する根拠や理由には何も触れていない。原判決は、これを自明のこととして述べているかのような口吻である。
原判決が、「オウム教団の教義」として判決書8頁「一 オウム教団の教義」で認定しているのは
@ 主神をシヴァ神として崇拝する
A 古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義である
B すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とする
C 出家して修行を積めば解脱することができる
D 松本は超能力の持ち主で最終解脱者である
E 松本に絶対的に帰依し、その命令を忠実に実践することが功徳であり救済である
と、これだけの内容でしかない。これを「およそ荒唐無稽」と断定するのは、何の根拠もないし、そもそも社会的な通念にも反している。
修行をして解脱を目指すことや、いきとしいけるものをすべからく輪廻の苦しみから救うことは、ごく当たり前の仏教的な目標設定である。また、社会的にもたとえば転生輪廻を「非科学的」として否定するような社会的合意・了解は、現代日本社会には成立していない。
いわゆる「超能力」の存在を否定するような社会的合意もない。むしろ、特定の宗教の信者ではなくても、「宗教」と言ったら否定的であっても、超能力 や霊魂の存在、広い意味での精神世界については全ては否定しない人は、むしろ社会の多数と言っても良いのではないか。
悟り・解脱、輪廻転生、超能力、霊魂、その全てを否定する人が我が国にどれだけ存在するか、荒唐無稽だと言いたければ、社会調査でもしてほしい。たとえば一見最も支持者が少なそうな超能力を考えてみても、一切占い(未来予知、である)を信じない人が果たしてどれだけいるだろうか。そう多くはないはずである。テレビ各局、朝の情報番組で、星占いやら血液型占いを毎日流しているのは、それだけの情報需要があるからである。
そして、被告人が86年に「超能力秘密の開発法」を読んだ頃には、まだ松本は「最終解脱者」とは自称もしていない。
松本への絶対的帰依、命令の忠実な実践が強調されるようになったのも、より後の時期である。ただ、いずれにしても、たとえば密教においては、修行において師匠の導きに従うことの重要性が説かれることはそう珍しいことではない。
こうしてみると、被告人が教団・松本に帰依した時点(西田証人は、被告人の場合か出家の時点であったと証言している)、出家以後の洗脳的手法での集中修行等を経る以前の段階で被告人が知っていた教義は、決して荒唐無稽ではない。
原判決は、あるいは、「現人神」信仰など「荒唐無稽」というのかもしれない。しかし、日本国民のほとんどが「現人神」を信仰の対象としていたのは、そう遠い過去のことではない。
いずれにしても、被告人がオウム神仙の会に関わった経過やその後教団との関わりを続けた経過については、何も被告人がとがめられるべき事情は見あたらないのである。
もっとも、原判決がいう「教義」は、いわゆる教団で言うところのヴァジラヤーナの教義なども含む意味なのかも知れない。「教義の中にはポアと称して人の命を奪うことまで是認する内容も含まれ」との内容は、そういう読み方を指示しているというべきかもしれない。しかし他方原判決は、少なくとも本件各犯行の指示を被告人が受けた時点では抗拒困難ではあったと認定しているのであるから、たとえば原判決が例に挙げているような教義にしても、それが現実の行為規範としての教義として被告人に与えられた時期を認定し、その時期に被告人がそれを受け入れずにいることができたかという、その可能性が各時点ごとに認定されるべきである。
また、出家後に指示されたワークの反社会性や違法性についても、それをなにがしかの契機になしうる状態に、その各時点でありえたのかが個別に認定されるべきである。
しかし、原判決はこのような認定、評価を一切行わず、ただ「通常人であれば、たやすく、松本やオウム教団の欺瞞性、反社会性を看破することもできた」という「事実」を認定してしまっている。またそれゆえにこのような契機を見過ごし、教団に止まり続け、地下鉄サリン事件を向かえたのは「自ら招いた帰結」であり、その時点での抗拒困難は過大視することはできないと結論づける。
我々には、到底原判決のような「事実」を認定することはできない。おそらくは、原判決が「通常人」と言うのは、被告人のような経験をしなかった通常人であろう。たとえばまったく教団と関わりを持ったことのない教義も知らない「通常人」がいきなり「自動小銃を作れ」と見知らぬおじさんから言われたら、それは「はい、やりましょう」とは言わないだろう。しかし、そのような 通常人を想定してみたところで全く意味がない。ここで想定されるべきは、本来的には被告人自身であるべきで、それは責任非難が行為者の主観に対するものである以上、当然である。行為者にできないことには責任非難できないのである。その意味で、期待可能性の有無や期待可能性の減少を実質的な理由とする量刑判断の場面において、いわゆる通常人標準説は誤りである。責任の問題である期待可能性の本質からは、行為者標準説が正しいことは言うまでもない。 仮に行為者の期待可能性の有無や量を実証科学的に証明すること認識することが出来ないとすれば、行為者と同様にある同じような類型の通常人を標準とすべきであろうし、行為に至る事情も出来る限り詳細に類型化すべきであろう (類型的行為事情標準説。内藤譲「刑法講義総論(下1)」)。即ち被告人同様の類型にある、被告人と同じ「経験」を経た「通常人」が被告人と同じ「状況」におかれたとき、を想定しなければならない。言うまでもなく、そのような通常人を想定したとき、原判決のような「たやすく」などという認定はできるはずがない。
かえって、被告人同様に教団の出家信者となりその立場で違法性のあるワークや反社会的ワークを命じられ従事した者のうち、いったいどれだけの者がそれを契機に教団や教祖を疑い自発的に離脱する契機となしえたかは、実証可能であり、証拠さえ集積されれば事実として認定することのできる事柄である。 しかし、我々の知る限り、それに該当する例はさほど多くはない。そして、教団の出家信者達が、類型として「通常人」が多くはなかったという証拠は何もない以上、それは「通常人」の集団と考えるべきである(マインドコントロールにかかりやすい性格を特定することは困難であるとは、西田氏第8回P19)。実は、被告人と共通の経験をした「通常人」が被告人と同様の事態に直面したときにどのような行動をとるかは、歴史的事実によって証明されているのである。被告人と同様、何の契機ともなしえないのである。「通常人」について、被告人の属性をインプットして類型化するまでもなく、「経験」と「状況」の類型化だけで、本件では結論が極めて実証的に出てしまうのである。
したがって、原判決が、被告人が抗拒困難な状態を犯行に利用されたことを認めながら、それは一定限度の斟酌にとどめるとしたのは、その根拠として認定した事実が明らかに誤っており、かかる判断を基礎としている原判決の量刑は不当というほか無い。
(3) 再犯可能性がないこと
また、被告人は既にマインドコントロールから離脱している。現在の被告人には再犯可能性は全く観念できない(西田氏第9回P22〜23)。
弁護人は、控訴趣意書において、いわゆる永山事件の各審級の判決を詳細に検討し、結局の所結論が別れたのは永山被告人の矯正可能性、再犯可能性についての基礎事情の違いとその評価の違いによるものであることを論証し、したがって、同事件で最高裁判所が示した死刑の適用基準に照らしても、林郁夫についての東京地裁山室判決は是認できるし、またまして被告人には死刑が適用されるべきではない旨論じた。それは、控訴審に現れた証拠によって、より鮮明に立証された。
もともと被告人の再犯可能性というような観点は、原判決にもなく、原判決も被告人に対してその再犯可能性を疑って死刑を適用したわけではないとは思う(しかし、であるが故に、原判決は最高裁判所の死刑適用基準に反しており、判例違反に該当することは、控訴趣意書で詳論した)。
被告人は、逮捕後、被害者や遺族の苦しみが記載された供述調書を読んだ。 それが契機となって、自らのしたことが本当に救済であったのかという疑問が生じ、取調の対象となっていない事件も含めて、自白するに至った。そしてさらに、法廷で、裁判を引き延ばそうとし、何ら自らの命じたことについて語らない松本の見苦しい姿に触れたことで、彼が聖者ではないこと、ひいてはオウムの教えの体系が誤っていることを思い知り、教団の教えから脱することが出 来たのである。被告人は、松本の教えを信じ、松本がしようとしていることを 救済と信じ、良きことと信じてしまったがゆえに、かような大きな事件に関与することにもなってしまった。しかし、その信仰が崩れ、しかも、自分がなしてしまったことの結果の重大さに直面し、今となってはその心境を表現する言葉すら持ち得ないでいる(被告人第3回P34)。
被告人は、現在まで、過去学んでいた数学や物理学を学び直したり、心理学や宗教学なども独自に勉強し、自分なりの世界観を築き直そうとしている。そして、オウムの教義については、その肝心の部分が「グルにしかわからない」 という言葉によってブラックボックスに入れられてしまったことが問題であること、「恐怖心をあおる」「恐怖心による支配」という教団の体質が非常に大きな問題であること、松本がメンバーを支配することが教団の目的となり、これがグルへの帰依とすり替えられていた誤謬があること、松本が何らかの体験をしたことは否定しないがそれは悟りや解脱とは大きく隔たったものであること、少なくとも犯罪をも正当化するような悟りや解脱はありえないこと、など、非常に的確な分析をしている(被告人第3回P35〜36)。
また、未だ教団から離れられない人たちに対しては、今非合法活動をしていないとしても、かつて起こしたことに対する反省もないまま教団につき従うことは、何より彼らのためにならないと指摘する(被告人第3回P37)。
被告人は、マインドコントロールによってオウムの価値観を植え付けられ松本に支配されて犯行に及んだ。従って、支配から解き放たれ、そのような価値観から解放された今、被告人にはもはや再犯の可能性はない。また、このように的確にオウムの問題点を認識するまでになっている被告人は、オウムに戻る心配もない。破壊的カルトの危険性、そこに関わることの危険性を知った以上、同種の団体に再度入会し、そこで行動するような危険も極めて少ない(西田第9回P23)。
このように、被告人にはもはや再犯可能性はない。既に控訴趣意書で詳細に論じたとおり、判例が死刑を是認しているのは矯正可能性が低く再犯可能性が考えられる場合であって、被告人はこれに該当しない。また、実際、再犯可能性のない者を死刑にすることは、それによって社会防衛的にも何のメリットもなく正当化できない。
よって、再犯可能性のない被告人は死刑にする必要はないし、すべきでもない。
(4) 被告人の被害者に対する感情、被告人の反省は、正当に評価されるべきである。
被告人は、被害者の方々は何も言うことができずに亡くなったのだから、自分が何か話すことはおこがましいという趣旨を原審でも述べ、当審の被告人質問でも、そのような事柄に関しては、非常に言葉少なである。被告人がいかにも言いたくなさそうに、苦しそうに言葉を絞り出している様は、法廷に十分現れているであろう。
被告人のこのような態度について西田証人は、被告人が反省の日々を送り、被害者に取り返しのつかないことをしたとの思いを抱いているとの記載をしている(意見書P33)。西田証人は、被告人との面会の際話をして、被告人が法廷では非常に深く考えた結果しゃべっていない、あまり口にしていないことがあると実感してそのような記載をした(西田第9回P23)。またそれゆえに、被告人が被害者の感情を逆撫でしないように努め、言い訳がましい態度を取らないようにしているとも実感したともいう(同P24)。西田氏にしろ弁護人にしろ、感じることは同じである。被告人の言葉少なな抑制された態度は法廷でだけの、よそ行きのものではないのである。
さらに西田証人は、被告人が、何か自分が述べることが結局は身の保身と言われるのが関の山であると考え、他の法廷での証言もどちらかというとみっともない態度であると考えており、その強靱な精神力で、今更仕方がないというような形で、責任を背負い込んでいるように見えたという(同P24)。
被告人は、自らの信仰が誤りであったことを認め、何もすがるもののない状態にありながら、非常に強い自制心、精神力で自分の行動まで律し、その感情の発現すら押し殺しているのかもしれない。
このような被告人の深く静かな反省は、被告人の様子を繰り返し継続的に見てきた者には浅からぬ印象を与えているのではないだろうか。江川紹子氏が、前に引用した週刊誌の記事であえて被告人の名前を例に出して林郁夫の量刑との比較を論じているのは、そこで述べられているような、したことの比較のみではなく、その後の態度、反省の表し方の両極端をも踏まえてのことではなかろうか。
被告人の反省態度や事件との向き合い方、被害者への心情とそれを踏まえた身の処し方は、非常に一貫している。林郁夫や井上嘉浩の、ある意味では対極にあるとも言える。いずれが深いか。いずれが重いか。いずれが苦しいか。明きらかであろう。
このような態度に終始する被告人の生命を奪う必要が、一体どこにあるのだろうか。
(5) マインドコントロールからの離脱、リカバリーの困難さ
破壊的カルトから脱会した者は、心理的な虚脱感や、破壊的カルトでの生活をイメージする事象や言葉を聞くと反射的に嫌悪感を示すといった情緒の混乱が生じたり、意思決定することが困難になったり、柔軟な判断ができなくなったり、特殊な用語ばかり使っていたために一時的に言葉を忘れてしまうといった思考的な混乱を生じたりするなどの様々な後遺症にみまわれる。
このような脱会者に対しては、脱会カウンセリングが重要であり、親や家族、親戚といった身内だけでなく、心理セラピストや精神医学者といった心理的問題の専門家による援助や、元信者によるピアカウンセリングなどを通じて、心理的なトラブルを克服することが容易になる(「マインドコントロールとは何か」脱会者の苦悩P210)。
また、精神的な回復のためには、受容的な人間関係を築き、休ませ、恐怖がない状態を作り上げて、長い時間かけて1つ1つ解きほぐすようにしていくことが必要であり、家族や友人等の過去の交友関係との接触も非常に重要である(西田氏第9回P19、20)。
しかし、被告人を含むオウム事犯については、ほとんど接見禁止が解除されていないのが実情である。これは、せっかく教団から離れた環境におかれ、睡 眠や栄養を与えられ、守られた環境にあるのに、教団に入る前の過去の記憶を呼び覚まさせたり、カルトの価値観の誤りに気づかせるといったことで、マインドコントロール、教団の教えの呪縛からとき放ち、さらにそこから安定した状態をとりもどさせるチャンスをみすみす取り逃がしているようなものである(また、既に述べたように、臨床的経験が必ずしも成熟しているとは言えないマインドコントロール後のリカバリーやケアについて、研究者や治療者が関わり経験や知識を蓄積する貴重な機会を極度に制約しているという意味では、社会的にも今後のカルト対策マインドコントロール対策という意味でも、極めて大きな機会の喪失であり、損失でもある)。
被告人らオウム事犯に関与した者が、大きな事件に関わりその結果を知ることで教団の価値に対する疑問を呈したり、教祖の態度に疑問を持つことで、教団の虚偽に気づき得たとしても、更にその悩みを分かち、教団の虚偽をより明確に認識し、真に信仰を全うすることはどういうことかを考えられるよう指導し、教団での虐待的な生活による後遺症から回復するための精神的なケアを行うことは、宗教学や心理学等の深い造詣が必要であり、弁護人と家族だけでそのようなケアを与えることは不可能に近い。
しかも、被告人らは、拘置所においても独居房で長期間暮らしている。日常的な人との接触は拘置所職員との間の必要性のある場合のやりとりぐらいしかない。
このような人間関係を形成する機会の極端な少なさ、コミュニケーションの機会の著しい限定は、被告人らが社会に存在する他者の多様な価値観に触れそれとの関係で自己を位置づける機会を奪っている。そのような環境で、マインドコントロールからは解き放たれたとしても、新しい自己の獲得(あるいはマインドコントロールされる以前の従前の自己への復帰)を安定的に果たすことは極めて難しいことである。
被告人は、教団の誤りに気づき、自分を見つめる生活を続けている。しかし、たとえば自分を表現しようとしても、言葉がなかなか出てこないところなど、教団内での生活で受けた虐待の後遺症が残存しているのではないかと思われる節もないではない。
弁護人らは(そして西田証人も)、被告人が感情に流され行動することを懸命に抑制していることをよく承知しているが、それとても表面的な現象だけを見てしまえば、教団での生活、マインドコントロールの影響の残存としての感情の鈍磨に見えるかも知れないし、あるいはもともと離人的な性格であったのではないかと思う人もいるかも知れない。
しかし、仮にそのような見方がありうるとしても、1つには、被告人にはこれまで被告人がマインドコントロールから解き放たれて安定した本来の自己を回復できるような環境が与えられてこなかった、むしろそれが妨げられ続けて 来た結果なのである。また、仮にいくつかの可能的な見方があり得るとしても、その測定や評価を専門家の助力によって行い修正を施すような機会も妨げられ 続けてきているのである。これは、被告人の責任ではない。
接見禁止の状態で長期間にわたって被告人を拘禁し続けたことで、本来であればもっと早い段階で、より効果的な回復が可能であった被告人の可能性を奪ってしまったかもしれないことに、我々は気づかなければならない。
また、それと合わせて、そのような極めて条件の悪い中にあって、自力でマインドコントロールから自己を解き放ち、極めて理性的でかつ他者への的確な配慮が出来るようになっている現在の被告人のしてきた並大抵でない努力は非常に高く評価されるべきでもある。
(6) 被告人と幹部らのマインドコントロールの面からの比較
西田証人は、井上嘉浩、遠藤誠一という松本の側近中の側近についても心理鑑定ないし面会をしたうえで意見書を作成している。西田氏は、これら松本側近についても、マインドコントロールの影響があるとの意見を有している。
普通の組織であれば、トップにいる人物とそれにごく近い側近は状況認識を共有していることが多く、側近幹部までマインドコントロールの影響下にあるというのは、些か受け入れにくいかも知れないが、これは、オウムの組織の特異性に基づく特徴であろう。
オウムは、一般的な組織とは異なり、トップである松本と各信者とは、1対1のグル(師匠)と弟子の関係である。オウムの組織は機能分化していたのではない。表面的には相当後になって省庁制度のような組織分化を試みたが、あくまでも宗教的な意味あいでは、松本と各信者とは教祖と弟子の1対1の関係である。この点、たとえば橋本治は、ピラミッド組織は”仮のもの”で、尊師対信者の1対1の忠誠心がこの組織を支えているのだとしか考えられない、と分析している。
オウムでは教義は行為規範である。したがって結局は教義を背景に持つ教祖との1対1の関係が実際の組織原理にもなる。組織上は自分の上位にある者の命令に背いたとしても、松本の意思にさえ背いていなければよいのである。組織の構造やそのなかでの自分の位置づけなど考えなくても、それぞれが自分の言われた仕事をこなし、それを教祖に見てもらえば足りるのである。組織上の役職よりも、宗教的なステージの方が遙かに重要である。
教祖側近と言っても、それが組織上上位にあるから下位の信者から尊敬されるわけではない。側近は、松本の意思を聞く機会が多いので、その者が松本の意思を告げていると信じられているから力を持っているにすぎない。側近達も、自らの力で下の者を動かしているのではなく、松本のメッセージを伝える役割を果たしていたに過ぎない。
しかし、松本は、信者を心理的に操るために、遠藤や井上のように教団での地位の高い者、自分に近い者については、本人に対する脅し(たとえば、井上には非合法的な暴力的活動をさせておき、そのまさに井上がしてきたような、殺すなどの身体に危険のある行為を井上にも返すと脅す)や、試練を与える (例えば、遠藤をライバル土谷と競わせる)などの方法で、恐怖心や保身を刺激して操るという方法も採っていた。彼らは、松本と直接接する機会が一般信 者よりも多いためか、松本への宗教的な意味での恐怖感や畏怖の念が他の一般の出家信者に比べると弱く、教団の犯罪性に多く関わり、教団の裏面をよく知っていたが故に、かような脅しが必要でもあり有効でもあったという面があろう(遠藤の法廷での西田氏尋問調書再主尋問分P11〜12等)。
しかしながら、被告人は、出家してからの期間は彼らよりずっと短く、また、側近としての働きもしていなかったので、教団の裏面も、教祖の実像も知らないままでいた。たとえば井上のように、ともすれば戒律に反する行動をとったり自分の意思で指示されてもいないことをし出すようなこともなかった。被告人は、宗教的な実感としての地獄に落ちる恐怖などにとらわれており、松本は、その恐怖を利用すれば、被告人を容易に使役できた。
被告人に対する検察官からの反対尋問で、犯行に加わった動機として保身があるのではないかという質問がされ、被告人が答えに窮していたが、まさに被告人は、地獄等の恐怖を真実と感じており、また、保身のような利己的な動機は悪い業(カルマ)を積むことになってしまうので、そういうことの「ないように」意識しながら生活していた(西田氏第9回P1等)。
被告人の犯行への加担は、教団内での地位の保全や自らの身を守るといった保身によるものではなく、純粋に転生の恐怖や教祖の絶対的な力への畏怖によるものであった。松本や幹部は、被告人がこのような心理状態にあることを見越して犯行に加え、容易にこれを動かしたといえよう(西田氏第9回P6〜7)。
要するに、被告人は松本が井上や遠藤に対して行ったようなより即物的・現 世的な恐怖を感じさせるような「煽り方」こそされていないが、それは側近と被告人とのおかれている立場や関わってきた活動などの違いによって松本がやり方を変えているだけであって、マインドコントロールの手法の強さの問題ではない。むしろ、被告人にはマインドコントロールがきっちりかけられていたからこそ、現世的恐怖(単なる脅し)まで与える必要が生じなかった。また、そもそもそのような即物的・現世的な恐怖によって動機づけられていない被告人は、そのような事態を避けるための「保身」を事件関与の動機にはしていない。
7 関連事件の被告人に対する量刑との比較における原判決の量刑不当
(1) 林郁夫との比較
これについては、控訴趣意書で詳細に論じたところである。被告人に対する量刑が林郁夫に対するそれより重いということは、いかなる事情を勘案しても、到底納得できない。
ここでは、3点だけ、もっとも重要な点を繰り返しておく。
第1に、林はサリンの効果、実効性を地下鉄サリン事件以前に具体的に知っていた。被告人は教団での説法程度の知識しかなかった。
第2に、林は、麻酔薬を使った「イニシエーション」などと称する方法で信 者を「洗脳」する側の中心にいた人物である。被告人はそれをされる側にいた。 当然、林は教団で作為的な洗脳・マインドコントロールが行われていたことを 知っていたが、被告人は知らなかった。
第3に、林は、地下鉄サリン事件以前に、監禁致傷などの直接的身体的暴力が行使される違法行為に関わった経験を持っていた。被告人はそのような経験がなかった。
これで充分であろう。前に述べた江川の指摘は、誠にそのとおりと言う他はない。
(2) 井上嘉浩との比較
井上嘉浩の1審判決よりも被告人に対する量刑が重いのも、全く了解不能である。
教団の暗黒面に早くから深く関わっていたのは、圧倒的に井上である。松本の近くでその実態に触れる機会が多かったのも、施設外で外の世界に触れることができたのも井上である。また、彼が言うには自分の判断で地下鉄サリン事件のサポートを勝手に行うような「指示待ち」ではない行動ができたのは井上である。さらに何より、地下鉄サリン事件の「きっかけ」を作ったのは間違いなく井上であるし、新宿青酸ガス事件もそうである。被告人の代わりはいる。 しかし、井上の代わりはいない。被告人が教団に入っても入らなくても、歴史は大して変わらなかっただろう。しかし、もし井上がいなかったらどうだっただろうか。そもそも地下鉄サリン事件は起きていたのだろうか。
被告人は、マインドコントロールされ、松本からの命令を疑わず、ワークの遂行のみを考えて重大事件に関わった。
井上がマインドコントロールされていないとは言わない。しかし、井上は松本に対して反対意見を述べることもできれば、指示されてもそれに自分の考えで従わないこともできた。いずれが意思決定を制約されていたかは明らかであろう(井上に対する判決書)。
8 被告人を殺してはならない
裁判官に問いたい。
「ここにいる被告人を殺しますか」
たしかに、被告人は、地下鉄サリン事件において、人命を奪う行為を実行した。 それ故に、被告人自身はいかなる結果をも甘受する意思ではある。また、被告人の価値観の中にある因果論からいえば、被告人が命をもって償うことはある意味 では当然導かれるものかもしれない。ただし、被告人は、命をもってしても償いにはならない、どんなことをしても償いようがないことをしてしまったと考えている。命を投げ出すことで償いが済み許しが与えられるなどと考えているわけではない。
被告人は、「私が仮にどのような刑に服することになったとしても、本質的 償いにはなり得ない」と承知し、「今なおこうして生きていること自体が申し訳ない、許されないことであるような気が」すると感じ、償いというような言葉に多少なりとも当てはまるような行為が自分に残されているだろうか、と考えてもいる(被告人第3回P39〜41)。被告人自身としては、自分の命を以てしても到底償いになるわけがないことをしてしまったと、心の底から受け止めていることは明らかである。
しかし、法の裁きは、それほど単純ではない。我が国の法は、「同害応報」を原則とするものではない。
先ほどの問いかけは、正確ではない。この法廷にいる誰も、たとえどれほど被告人を憎んでいても、いかなる権力を持っていても、被告人に対して手を下すことは現実には出来ない。正しくはこうなる。
「あなたは、他人に、被告人を、殺させますか」
この裁判の判決は、いずれにせよ、この問いに対する何らかの回答、イェスかノーかのどちらかの回答を含むものにならざるを得ない。
被告人の人格、態度、人間性は、この法廷に現れたとおりである。被告人が強烈なマインドコントロールを受けて、意思決定の自由を奪われて事件に関与させられたことも既に明らかになっている。そして、今の被告人、マインドコントロールから解け、しかし自分が関わってしまったことの恐ろしさ、罪深さに直面してそれを正面から受け止めながら、その自分の感情を露わにすることも被害者の 心情を考えあえて意思の力で押さえ込み、言い訳や弁解と受け取られる可能性のあることは主観的な事実であっても極力口にしないように抑制し、終始真摯である意味では端正な態度を貫いてきた被告人の様子もまた、この法廷で余すところなく現れている。
この被告人を殺させても良いのか。これがこの裁判の最大のテーマである。
ここまで縷々述べてきたことから、その答えは明らかである。
被告人を殺させてはならない。社会は、いかなる場合でも、あるいは少なくと もやむにやまれぬ必要もないのに、殺人を肯定してはいけない。
マインドコントロールを利用し、被告人を操った者の責任を相対化してはいけない。「マインドコントロールされてしまったら抜け出すことは非常に困難だから、そうされないように、十分警戒しなくてはならない」というメッセージを裁判所が社会に発しなくてはいけない。
弁護人の大木は、被告人と接見したとき、正直に「僕には、君のようにしていることはできない。僕が君の立場だったら、絶対に何かのイデオロギーをでっち上げる。つまりそれは、何でもいいんだけど、将来の同様の事件の再発を防止するためにとか、事実の解明を自分に残された使命と考えてとか、そういう目標を設定して、自分の行動をそのための手段としてそれに役立つものと信じ込んで行動する。たぶん、僕だったら、そうでもしないと耐えられない」と言った。
なにより、そのようなフィクションに逃げて自分を支えようとしない被告人に 対して、弁護人はある種畏敬の念をも抱いている。被告人がいかに辛い方法での 反省を自らに課しているか、それは弁護人が同じ立場に立ったときできるかと言ったら出来そうもないほどのものだからである。だから、そんな被告人を殺して はならない。死なせてはならない。死なせたくはない。
第5 本件判決に望むこと
早くから統一協会やオウムについて取材をしていたジャーナリストの有田芳生は、そのホームページで以下のように述べる。
まず、被告人らの判決については、2000年(平成12年)に、「今回の豊田・広瀬判決を読んでも、裁判官のマインドコントロール(社会心理学)への無知はおおいがたいものがある。日本で最初のカルト裁判にはこのように困難な課題があることも事実だ。」と喝破している。
さらに、「わたしは一連の裁判は、本来ならばカルトについて日本社会がはじめて判断を下す重要な機会だと痛感している。坂本弁護士一家殺害事件で死刑判決を受けた岡崎一明被告の判決公判で、裁判長は,マインドコントロールは一般的定説がなく、量刑上は考慮しないという趣旨を示していた。これは無知から来る誤りだ。一般的定説はなくとも一般的了解はあるからだ。私は岡崎判決を聞いたとき<ああこれではだめだ>と落胆した。」と述べる。
そして「私は井上判決に対する活字となったコメントすべてに目を通したが、その多く、とくに法律関係者の圧倒的な感想に日本で初めてのカルト裁判だという視点がすっぽり抜け落ちていることに失望した。判決文にマインドコントロール問題が述べられ、それとの関わりで判決があるにも係わらず、こうした課題に判断を放棄した意見がいつまでもまかり通ること自体、オウム事件の歴史的意味がほとんど理解されていない日本社会の鈍感さの反映だといわなければならない。」としている。
有田も又、江川などと同様、強制捜査以前の早い段階からオウムの問題を追及し、オウムと闘ってきた人物である。また、それゆえに、これを良く知るジャーナリストでもある。その見解は、素人の裁判批判で済ませて良いものではない。我々が、江川や有田が我々より遙かに長い時間オウムと関わっており、遙かに良く知っていることに対して謙虚であるべきである。
何が真に危険であるのか、何が事件を引き起こしたのか、それが分かっている人々は、その根本的原因や本質的危険が裁判によって明らかになり、またその明らかになったことに相応しい結論を望んでいるのである。
本件は、司法が破壊的カルト、そしてマインドコントロールの問題を正面から取り上げ、判断すべき案件である。社会の心ある人々からはそれが望まれていることを忘れてはならない。