井上嘉浩被告ー無期懲役判での「裁判長説示」

2000年6月6日 東京地方裁判所第四刑事部 104号法廷にて

マスメディアの困ったことに、判決を下すのは人間たる裁判官であり、その裁判官が伝えたいことー説示ーが、なかなか全文出してもらえない。江川紹子さんのサイトhttp://www.egawashoko.com/から、許しを得てコピーして、掲げます。

「裁判所が判断するにあたって、一番心に留めたのは被告人らの残虐非道な犯行によって命を奪われた方々、その家族の方々のことです。この法廷で多数の被害者や遺族が述べた憤り、悲しみ、苦痛、涙、それに何と言っても被告人に対する厳しい言葉、激しい怒りが、裁判所を強く打ちました。判決に至るまで、このことが裁判所の心から離れたことはありませんでした。
ただ、裁判所としては、被告人が何よりそれらを自分のこととして痛切に感じ、苦悩し、深く心に刻み込んだものと認め、各犯行の中にあって、わずかであれ、うかがうことができた被告人の人間性を見て、被告人に生を与える選択を取ることにしました。
しかし、被告人に与えたのは、自由な日々でも、ましてや瞑想や修行をするために送る日々でもありません。とりわけこれからは、自分達が犯した凶悪な犯行の被害者のことを、一日、一時、一秒たりとも忘れることなく、特に宗教などに逃げ込むことなく、修行者ではなく、一人の人間として、自らの犯した大罪を真剣に恐れ、苦しみ、悩み、反省し、謝罪し、慰謝するように努めなければなりません。
そのためには、プライドとか自尊心とか傲慢さとか思い上がりとか、被告人が本件にかかわるようになった全てを捨て去って、一人の素直な人間として謝罪の日々を送らなければなりません。当裁判所が被告人に与えようというのは、そのような一時一時です。片時たりとも、贖罪の気持ちをぬぐい去ることのないように」


井上嘉浩被告ー弁論要旨から「弁護人の思い」

2000年1月17日 東京地方裁判所第四刑事部

同日、神山啓史外4名の弁護人が、347ページにのぼる弁論を陳述しました。その中の、最後の「弁護人の思い」を記します。ここまで率直な言葉で終わる弁論もあまりないと思います。

弁護人は、被告人が地下鉄サリン事件で逮捕された時点から、被告人とつき合ってきました。
被告人がオウム真理教を分析し、麻原を批判し、反省を表す様子を見て、弁護人は被告人がマインドコントロールが解けて、素に戻りつつあると信じていました。
被告人の供述に対して弁護人が持った違和感は、精神的未熟さ、プライドの高さ、社会経験のなさ、という被告人の個人的資質のためだと、ずっと思っていました。
ところが、西田鑑定人、浅見証人により、「修行者」と思っている被告の現状が明らかにされ、「マインドコントロールは解けていない」という事実を呈示されました。
弁護人はショックでした。
が、被告人に対して弁護人が感じていた違和感は「なるほど」と理解もできました。
弁護人は改めてカルトの恐ろしさ、とりわけ思春期にカルトに取り込まれてしまうことの人間性に対する影響あの深刻さを感じました。
弁護人は被告人を何とか素の自分自身に戻してやりたいと思います。
そうでなければ、被告人がやったことの意味を本当はわからないと思うからです。
そうでなければ、社会で生きることの意味、社会で生きる喜怒哀楽の素晴らしさを本当はわからないと思うからです。
今、被告人を死刑にしてしまえば、被告人にそれらのことを本当にわからせることはできません。
浅見証人が言われたように、もし、被告人がそれらに気付けばボロボロになるでしょう。
被告人はボロボロにならなければいけないのだと思います。

刑罰は、犯罪者を真に反省させ、人間として更生させる意味を持つものであるはずです。
被告人を死刑にすることは、それに反します。


富 永 昌 宏 被 告 − 判 決 要 旨

1999年7月22日午前10時

麻原さんの17件の事件のうち、未だ判決のなかった最後の共犯事件についての判決です。彼は、窓口滝本へのサリン殺人未遂事件、新宿青酸ガス事件、東京都庁爆弾事件で起訴されていました。

新聞は、もう判決全文を掲げることもないだろうし、オウム側は、なおさら掲げようもないでしょう。聞か猿だもん。そこで、ここに掲載します。

言い渡し後の、裁判長中山隆夫氏の説示は、次の通りでした。本人は、最初から顔が真っ青で、途中、「吐き気がする」ということで、2度の休廷になりました。

説示ー窓口滝本の速記

「被告人にとって、これらの事件は、おぞましく、やりきれなくて忘れてしまいたいことと思うが、自身、風化させずに、一生背負っていってほしいと思う。裁判所は、内海氏(東京都庁爆弾事件)が来た時に、下を向いて、うち震えていた富永昌宏が本当の富永昌宏だと考えている。あなたの支えになろうとして毎回傍聴に来ていたお母さんや、家族の存在を忘れないで欲しい。オウムは最近、再びのさばって跋扈していると聞く。君にも結審後、接触も求め、差し入れの許可を求めてきたが、裁判所は許可しなかった。教団へはしっかりとした対処をして欲しい。」

とのことでした。

東京地方裁判所刑事第二部 裁判長中山隆夫、山内昭善、木野綾子(転補につき、宣告立会は福家康史)

事件名 爆発物取締法違反、殺人未遂被告事件 −富永昌宏−昭和44年2月25日生

主 文

被告人を懲役18年に処する。

未決勾留日数中900日を右刑に算入する。

理 由

一 滝本弁護士殺人未遂事件

(判示第一の犯行に至る経緯)

1 被告人の身上経歴等

被告人は、昭和44年2月大阪府で出生し、昭和62年3月私立なだ口頭学校を卒業後、閉同年4月東京大学理科3類に入学し、医学部に進学した。医学部6年在学中の平成4年6月、被告人は、高校時代からの友人で既に麻原彰晃こと松本智津夫(以下、「松本」という。)を教祖とする宗教団体オウム真理教(以下、「教団」という。)の出家信者となっていた○○○○(判決要旨では実名、ここでは匿名とします)。以下「I」という。)、教団幹部の井上嘉浩(以下、「井上」という。)らに勧誘されてオウム真理教に入信した。被告人は、在家信者として修行を行ない、教団のヨガ道場に通うなどしながら、平成5年3月同大学医学部医学科を卒業し、間もなく医師免許を取得して、同年6月から同大学医学部付属病院に研修医として勤務し始めたが、その後、井上から熱心に勧められ、また、修行をする中で、気の上昇等を現実に感じるとともにに、密教修行者と医師は両立できないと考えるようになった。そして、同年12月末に同病院を退職して平成6年1月教団の出家信者となり、約2か月間の出家修行を経て、同年3月からは配属された教団の出版部で活動するなどしていた。

2 滝本太郎の活動状況

滝本太郎(以下、「滝本」という。)は、昭和58年から横浜弁護士会に所属して弁護士業務を行なっていたが、平成元年11月、友人の坂本弁護士一家が失踪した事件が起こったことから、オウム真理教に対して疑惑を抱き、「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」や「オウム真理教被害対策弁護団」に加わり、信者名や施設の把握など教団の実態に関する調査を行ったり、教団を相手とする民事訴訟の代理人として活動するなどしていた。また、教団では、信者を教団施設に住まわせて「ワーク」と称する教団の運営活動や修行に専念させる、いわゆる出家制度がとられていたが、これに対する信者の家族の動揺や不安、反発が強かったため、滝本は、平成5年7月ころから、信者の家族の依頼を受けて、信者らに対し、その出家を阻止し、更には教団から脱会させることを目的とするカウンセリング活動等を行うようになり、現実に教団から脱退するものを出すなど一定の成果を上げていた。

3 謀議および犯行準備の状況

松本は、教団幹部で教団の法律業務を担当していた弁護士の青山吉伸(以下、「青山」という。)らから、右のような滝本の積極的な活動状況について報告を受けるうち、同人の存在が、教団の活動にとって大きな妨げになると考え、同人の殺害を決意した。

平成6年5月7日ころ、松本は、上九一色村の教団施設第六サティアン(以下、「第六サティアン」という。)の自室に、青山、遠藤誠一(以下、「遠藤」という。)および中川智正(以下「中川」という。)を呼び集め、青山に対し、次に滝本と会う予定等について尋ねて、同月9日午後1時15分に甲府地方裁判所(以下「甲府地裁」という。)で滝本が訴訟代理人を務める訴訟事件の口頭弁論があることや同人が乗用車で同地裁にやってくるであろうことを聞くと、青山ら3人に対し、「滝本の車に『魔法』を使う」などと言い、教団内における「サリン」の隠語である「魔法」という言葉を用いて、その日に滝本の車にサリンを撒き、同人を殺害するように命じた。

その後、同月8日午後、松本は、右自室に被告人を東京から呼びつけ、「滝本に悪業を積むのをやめさせるために、「魔法」を使って同人をポアする」旨告げるとともに、青山の車の運転手等の役割を命じた。被告人はその後、青山、遠藤及び中川とともに、犯行の段取りなどについて詳細な打ち合わせを行い、前記口頭は弁論期日の当日に甲府地裁に駐車中の滝本の車を確認し、その位置を遠藤らに伝達する役割を引き受けた。

一方、松本は、同日夜も前記自室に○○○○○(出家者女性ー原文は固有名詞)を呼び出し、「ちょっと危ないけれど君にできるかな。ある人物をポアさせてあげようと思うんだよ」などと言って、滝本の車にサリンを撒く実行役を命じ、○○もこれを了承した。

中川らは、その間、○○の変装用具、犯行に使用するサリン、その中毒に対する予防薬や解毒剤等を用意したり、アンモニアを使った模擬撒布実験をするにどし、さらに予行演習をさせていたが、そのころまでに実行役の意味を悟った○○を含め、遅くともこの時点までに、被告人、松本、青山、遠藤および中川の間で、滝本を殺害することについての共謀が成立した。

4 犯行当日の状況

翌9日午前10時ころ、被告人は、青山を乗せた車を運転して上九一色村から甲府地裁に向けて出発し、途中で、遠藤、中川及び○○が乗った車と落ち合って帰りの待ち合わせ場所を決めるなどした後、別々に甲府地裁に到着し、打ち合わせどおり、被告人らの車は正門側駐車場に、遠藤らの車は東側駐車場に、それぞれ駐車した。間もなく、前記口頭弁論の時刻が近づくと、被告人は、正門側駐車場内の少し離れた所に駐車していたシルバーの三菱ギャランの側まで行き、予め青山から教えられていたナンバー等から、それが滝本の車であることを確認し、一旦自分の車に戻って略図を書くと、それを持って遠藤らの車の所まで行き、同人らに右略図を渡して滝本の駐車位置を伝えた。

<罪となる事実>

第一 被告人は、麻原彰晃こと松本智津夫、青山吉伸、遠藤誠一、中川智正及び○○○○○と共謀の上、サリンを吸引させて滝本太郎(当時37歳)を殺害しようと企て、平成6年5月9日午後1時15分ころ、甲府地方裁判所駐車場において、○○○○○が、駐車中の滝本所有の普通常用自動車の運転席正面のフロントガラスとフロントウィンドーアンダーパネルとの境目付近にサリン約30ミリリットルを滴下し、これを気化・発散させて同車両内に流入させるなどし、同駐車場やその後の走行中の車の中で、同人にサリンガスを吸引させるなどしたが、軽度のサリン中毒症の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

二 新宿青酸ガス事件

(判示第二の犯行に至る経緯)

1 判示第一の犯行後の被告人の活動状況

平成6年6月ころ、教団では、国家機関に模した省庁制と呼ばれる組織制度が敷かれた。当初、被告人は、井上を長官とする諜報省(CHS)に所属し、様々な調査活動等に従事していたが、同年9月からは法皇官房に移り、石川の指揮の下で、教団で使われる宗教用語の用語集を作成したり、下部組織である学生班のリーダーとして学生への教団の入信を勧誘するなどの活動を行っていた。

2 平成7月3月22日以降の被告人の行動

平成7年3月22日、上九一色村の教団施設が警察の捜索を受け、これと相前後して、出家信者らは同施設を逃れて教団が用意した方々の隠れ家に潜伏するようになった。

被告人は、同月下旬ころ、井上の指示を受けて、かねて松本が教団に対する強制捜査の矛先を逸らすために井上に命じておいた石油コンビナートの爆破の可能性等について調査活動を開始し、また、同年4月に入ってからは、他の信者らと離合集散を繰り返しつつ、各所の隠れ家を転々とし、その中で、教団が所持していた小銃部品等の廃棄や薬品類の日光山中への隠匿等を手伝ったり、井上の指示する種々の調査等をしていた。

3 謀議および犯行準備の状況

一方、松本は、右強制捜査以降、自己の逮捕を恐れ、幹部信者らに対して、改めて「社会の対立し合う勢力をぶつけて混乱を引き起こし、捜査撹乱を行え」などと命令し、これを受けて、教団の最高幹部で科学技術省大臣の村井秀夫(以下「村井」という。)は、同月11日、教団の青山道場に呼び出した井上や中川に対し、捜査撹乱のために空気爆弾等を作って事件を起こすように促した。翌12日ころ、井上は、当時行動をともにしていた中川、豊田亨(以下、「豊田」という。)、林泰男(以下、「林」という。)らに村井の指示を伝え、皆でその具体的方策について話し合った結果、ダイオキシンを撒布することで話がまとまり、この経緯は後に被告人らにも伝えられた。

同月16日、松本から呼びつけられて第六サティアンに赴いた井上は、松本から、「4月30日に石油コンビナートを爆破しろ。これから政権交代が起きるまで、30日ごとにテロをやりつづけろ」などと命じられたため、同月18日、中川、豊田、林、被告人らにその旨を伝え、再び皆でその具体的方策について話し合ったが、石油コンビナートを爆破することは不可能として、これに代わるダイオキシン撒布計画を具体化させていった。

同月23日、村井が何者かに刺され、翌日死亡する事件が起こったため、同月25日、井上は、飯田エリ子を通じて、村井の死によって命令に変更があるのかどうか、松本の意思を確認したが、新たな指示はないとのことであったので、中川、豊田、林及び被告人とともにその具体的な方策を相談した。その結果、ダイオキシンの撒布については廃案となったが、これに代えて青酸ガスを作って撒くこととなり、八木澤善次(以下、「八木澤」という。)らに命じて、その原料となるシアン化ナトリウムを隠匿場所の日光山中に取りに行かせるなどした上、同月29日には、青酸ガスを撒く場所を新宿駅の地下にある男子便所(以下「本件トイレ」という。)に決定した。

そして、翌30日、中川が中心となって青酸ガス発生装置を完成させ、林が本件トイレ内の個室内に仕掛けたが、中川が時限装置にしようする薬品を取り違えていたため、青酸ガス装置は作動せず失敗に終わり、さらに同年5月3日には、改めて中川が同様の装置を本件トイレに仕掛けに赴いたものの、付近に人通りが多かったことなどから、機会を逸して、結局仕掛けることができなかった。

翌4日、井上、中川、豊田、林及び被告人らは改めて相談した結果、翌日もう一度青酸ガス発生装置を本件トイレに仕掛けることになり、被告人は、林らに依頼されて、右装置が清掃時に回収されないように清掃終了時刻を確認した上、実行役である中川らの逃走手段である路線バスの発車時刻等を調査し、林に報告する役割を引き受けた。

4 犯行当日の状況

同月5日、被告人は、午前と午後に、一回づつ本件トイレに赴き、その合間にバスの発車時刻等を調べるなどし、同日午後2時過ぎころようやく本件トイレの清掃が終了したことを確認すると、八木澤を通じて林にその結果を報告した。これを受けた林は、同日午後3時30分ころ、青酸ガス発生装置を携えた中川とともに、杉並区永福町のアジトから新宿に向かった。

《罪となる事実》

第二 被告人は、井上嘉浩、中川智正、豊田亨及び林泰男と共謀の上、駅の公衆便所内にシアン化水素ガス発生装置を仕掛け、同ガスによりその利用者等を殺害しようと企て、平成7年5月5日午後4時50分ころ、営団地下鉄丸ノ内線新宿駅の東口湧きの男子公衆便所の個室において、中川智正が、備え付けのゴミ入れ容器内に、シアン化ナトリウム粉末約1497グラム在中のビニール袋をその口を開いた状態にして置き、その上に、発火装置として濃硫酸入りポリエチレンテレフタレート樹脂製の丸底化粧瓶(以下、「小型ペットボトル」という。)塩素酸カリウム及び粉砂糖を充填したダンボール小箱を乗せ、更にその上に、希硫酸約1410ミリリットル在中のビニール袋を乗せて、時間の経過とともに右小型ペットボトルから溶け出した濃硫酸が塩素酸カリウム及び粉砂糖と化学反応を起こして発火し、その火勢によって右希硫酸入りビニール袋を焼毀させ、これによって漏出した希硫酸がシアン化ナトリウム粉末と化学反応を起こして青酸ガスが発生する仕掛けを施した青酸ガス発生装置を設置したが、その後、何者かによって希硫酸入りのビニール袋だけがゴミ入れ容器から外に取り出され、同日午後7時30分過ぎころ、右装置から発火しているのを目撃した通行人の通報により臨場した同駅職員によって直ちに消火され、シアン化ナトリウム粉末と反応すべき希硫酸入りのビニール袋が横に置かれたために、青酸ガスを発生させるに至らず、殺害の目的を遂げなかった。

三 東京都庁爆弾事件

(判示第三の各犯行に至る経緯)

井上、中川、豊田、林及び被告人は、報道によって、判示第二の犯行が予期していたほとの大きな騒ぎに発展しなかったことを知り、次なる捜査撹乱の手段を考えていたところ、同月8日ころ、八王子アジトにやって来た飯田エリ子から「松本が、『一週間以内に何が起きても動揺しないように』『有能神が怒っている』と言っている」旨知らされ、皆でその解釈について議論した結果、「一週間以内に松本が逮捕される。捜査が撹乱されていないことを同人が怒っている」という意味に理解し、同人の逮捕を免れるために捜査の矛先を他に逸らす手段として、一週間以内に、爆弾を作って当時の東京都知事である青島幸男に送り付けることにした。

(罪となる事実)

第三 被告人は、井上嘉浩、中川智正、豊田亨、林泰男らと共謀の上、治安を妨げ、かつ、東京都知事青島幸男らを殺害する目的をもって、

一 平成7年5月9日ころから同月11日ころまでの間、東京都八王子市所在のマンションにおいて、中川智正、豊田亨らが、書籍の内部をくり抜き、その中に、爆弾であるRDXを充填したプラスチック製ケースを挿入した上、右ケースに起爆剤であるアジ化鉛を詰め込んだグロープラグ及びアルカリ乾電池を接続して、右書籍の表紙を開披することにより絶縁紙が外れて通電し、爆発するよう仕掛けを施した爆発物一個を製造し、

二 同月11日の午後7時ころ、被告人が茶封筒に入れた右爆発物を、東京都知事公館内青島幸男宛て速達郵便物として、同都新宿区内の郵便ポストに投函し、翌12日午後6時ころ、郵便配達人をして郵送先である同公館にこれを配達させた上、同月16日東京都職員をして東京都庁の知事秘書室まで運搬させ、同日午後6時57分ころ、同所において、知事宛ての郵便物の受付整理業務を担当していた東京都総務局知事室秘書参事官(当時44歳)をして右郵便物を開封させ、同人が右爆発物を取り出してその表紙を開けるとと同時に、起爆装置を作動させて爆発させ、もって、爆発物を使用するとともに、同人に入院加療51日間を要する右手全挫滅切断、右手拇指開放性粉砕骨折、顔面・頚部・両上肢・前胸部・腹部多発性挫創の傷害を負わせたが、殺害の目的を遂げなかった。

《争点に対する判断》

一 判示第一の事実(滝本弁護士殺人未遂)について

弁護人は、(一)本件後に現れた被害者の症状は他の疾病による可能性が高く、サリン中毒とは認められず、また、本件に使用されたサリンは少量である上、その使用方法に照らせば、被害者を死亡させる実質的危険性はほとんどなかったと認められるから、本件サリン滴下は殺人の実行行為とは言えない、(二)被告人は、本件にサリンが使用されることを知らず、LSDが使われるものと考えていたのであって、被害者に対する殺意はなかったと主張するが、裁判所は、(一)本件後に被害者の目に現れた目の暗さ等の症状はサリン中毒によるものと認められ、また本件の使用方法によつても、被害者を死亡させる実質的危険性があったと認められるので、殺人罪の実行行為性は十分に認められる、(二)被告人は、本件犯行で使用させる「魔法」がサリンであると知っていたとまでは認められないが、「魔法」がLSDとは異なる物で、それが人体に摂取されれば死亡する可能性が大きい毒物であることは認識しており、「魔法」によって、被害者か死亡することを認容しながら敢えて本件犯行に加担した物であって、確定的殺意が認められると判断した。

二 判示第二の事実(新宿青酸ガス事件)について

弁護人は、(一)被告人の本件犯行への加担は共謀共同正犯ではなく、単に井上から与えられた指示に個別に従っていたにすぎないものであるから、幇助犯にとどまる、(二)被告人は、場合によっては大便所内に居合わせた一人程度の犠牲者が出ることを認識していたにとどまり、大量の死者が出るとは考えておらず、殺意は未必的であったと主張するが、裁判所は、(一)被告人の謀議への参加状況、本件で果たした被告人の役割、動機の存在等から被告人は共謀共同正犯者としての責任は免がれず、(二)本件青酸ガス発生装置の構造、本件トイレの利用者の状況、被告人が本件装置により高い殺傷力を持つ青酸ガスが発生することやこれに多数の人が被爆する可能性が高いことを認識していたこと等を考慮すると、被告人が確定的殺意を有していたことは明らかであると判断した。

三 判示第三の各事実(東京都庁爆弾事件)について

弁護人は、(一)被告人は本件について共謀をしておらず、判示第三の一の爆発物製造については無罪であり、同二の爆発物使用についても幇助犯に止まる、(二)判示第三の二のうち殺人未遂の点については、青島知事が死亡する可能性があるとは考えていたが、殺意は未必的なものであった、(三)爆発物取締罰則違反の点については、「治安妨害」目的がなかったので、同罪は成立しないと主張するが、(一)被告人の謀議への参加状況、爆弾の投函等本件で果たした被告人の役割、動機の存在等から被告人は共謀共同正犯者としての責任は免れず、(二)本件爆弾の殺傷力、小包爆弾という形状、爆弾に対する被告人の認識等を総合すると、被告人が確定的殺意を有していたことは明らかであり、(三)被告人の意図、目的、地下鉄サリン事件、新宿青酸ガス事件が発生していた社会状況下における本件の位置づけ等を考えると被告人らに「治安妨害」目的があったことは優に認められると判断した。

四 責任能力について。

弁護人は、「教団は典型的な破壊的カルト集団であり、そこでは信者を勧誘して入信させ、教団につなぎ止めておき、更には教団の指示する様々な違法行為をなさしめるたに、いよゆるマインドコントロール(心理操作)という技法を用いてきた。被告人は、心理操作を受けたからこそ違法行為に加担したのである。この心理操作は、社会通念に照らして極めて異常、不相当なものであり、通常の説得・布教・伝道とは一線を画されるものであり、被告人は、本件各犯行当時、少なくとも限定責任能力の状態にあったものである。」旨主張するが、裁判所は、入信後の被告人の修行やワークの状況、各犯行時における犯行隠蔽の謀議、犯行への具体的関わりの状況とその合目的的性、犯行動機の了解可能性、違法性の認識に関する被告人の供述内容等に照らすと、被告人は、本件各犯行当時、行為に対する是非弁識能力及びこれに従って行動を制御する能力が阻害されていたとは認められず、完全責任能力があったと判断した。被告人による本件各犯行は、その違法性は十分認識しつつも、なお自己の信仰する教団の教義ないし教祖の意志を優先させ、敢えて実行したものと認められる。

五 期待可能性について。

弁護人は、被告人は、本件犯行当時、マインドコントロール(心理操作)を受けていたものであり、仮に、未だ心神耗弱とまではいえないし状態であったとしても、このような心理状態はおよそ適法行為を期待することはできず、あるいは適法行為を期待することが相当に困難であったというべきであると主張するが、期待可能性がなかったとは言えないと判断した。

・ 量刑の理由

一 被告人の判示第一の犯行は、オウム真理教の信者であった被告人が、教祖である松本智津夫や他の信者らと共謀の上、サリンを使って滝本弁護士を殺害しようとしたが、同弁護士に軽度のサリン中毒症を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった事案(いわゆる滝本弁護士殺人未遂事件)、判示第二及び第三の各犯行は、地下鉄サリン事件以降、教団に対する捜査網が狭まり、松本の逮捕が現実味を帯びてくる中で、教団に対する強制捜査の矛先を逸らし、松本が逮捕されるのを免れる目的で、他の信者らと共謀の上、多くの死傷者がでることを認識しながら、新宿駅地下の公衆便所に時限式青酸ガス発生装置を仕掛けたが、発火後間もなく消火されるなどして青酸ガスが発生しなかったため、その目的を遂げず(いわゆる新宿青酸ガス事件)、さらに、その直後に、同様の目的で、他の信者らと共謀の上、当時の東京都都知事を殺害して治安を妨害しようと企て、書籍爆弾を製造し、同知事宛てに郵送して、開披した知事室知事秘書担当参事に重傷を負わせたが、殺害するには至らなかった(いわゆる東京都庁爆弾事件)事案である。

二 本件各犯行は、個人の犯罪という枠組みを超えて、オウム真理教団による組織的な犯罪であるという特殊性があるので、被告人の各犯行に対する関与の程度あるいはそれに対する評価という個別的情状は措いて、まず、各犯行全般についての情状を見ることとする。

1 判示第一の滝本弁護士殺人事件は、「オウム真理教被害対策弁護団」に所属して、教団を相手とする民事訴訟の代理人になったり、カウンセリングによって信者らを脱会させようとして、元信徒であったオウム被害者の会会長の長男とともにカウンセリングを行うなどオウム教団から見て障害となる活動をしていた同弁護士に対し、教祖である松本が、教団に敵対する者と位置づけて、その殺害を企て、青山、中川ら教団幹部等に指示し、これを受けた教団幹部及び被告人らがその殺害を実行しようとしたもので、教団にとって、目障りな人物がいれば、その声明を奪うことも許されるという松本を始めとする同教団の唯我独尊的な思考態度の現れである。松本は、ポアという宗教上の概念をもてあそび、自らの都合のよいよいうに変容させた上、手前勝手な正当化の理屈を立て、あるいはヴァジラヤーナの教義の一部のみを際だたせ、宗教上の救済を図るという名目のものとに、本件を引き起こしたもので、誠に身勝手な発想に基づく独善的な犯行としなければならない。

犯行の手段、態様は、同弁護士の車の運転席側フロントガラスとボンネットとの境目付近にサリンを滴下して、走行中の車内に気化したサリンを流入させる方法で寝、運転中に同弁護士に吸引させて殺害しようとしたものである。サリンは、もともとかがくへいきとして素開発された神経剤の一種であり、ごく少量で多数の人を殺傷する能力を持つ猛毒ガスであるが、本件サリンは多数の死傷者を出した松本サリン事件と同じときに製造されたものであって、その殺傷能力は非常に高く、目論見どおりに事が進めば、同弁護士は高速道路上でサリン中毒に見舞われ、その結果、交通事故を引き起こして、周りを高速で走行する無関係な車両を巻き込み、多数の死傷者を出すことが十分予想されたのであって、危険極まりない犯行である。

また、犯行実行者である中川ら教団幹部は、犯行に先立ち、実行、送迎、医療担当等のきめ細かな役割分担をした上、車の内外の空気の流れを調べる実験をしたり、変装用具や治療薬等を用意するなどし、直前には実行役の者にサリン滴下の予行演習をさせるなど、周到に準備を重ねたものであって、組織性、計画性が顕著である。

被害者が、おそらくは当時の天候等によりサリンの気化が速かったたことなどから、幸運にも軽微なサリン中毒症状を呈したに止まり、特別の治療を経ることもなく、翌日には正常に復しているが、本件犯行が同弁護士の弁護士としての正当な活動を圧殺する目的で敢行されたことに照らすと、同弁護士が首謀者である松本を始めとして、被告人を含む実行行為者に対して厳正な処罰を望むと述べるのは当然であり、結果が軽微であったことをそれほどまでに酌量すべきものではない。

2 判示第二の新宿青酸ガス事件及び判示第三の東京都庁爆弾事件は、地下鉄サリン事件を引き起こしたにも拘らず、教団施設が捜索を受け、信者らが次々と逮捕され、教祖である松本の逮捕がますます現実化しつつある状況の中で、同人、その側近、あるいは教団幹部が、松本の逮捕を免れ、教団の存続を図ろうと狂奔し、社会の耳目を ?動するような事件を引き起こして警察の捜査の目をそちらに引き付け、教団に対する捜査の矛先を逸らそうとして、連続的に敢行された犯行である。

いずれの犯行も、松本の包括的な指示の下、更には、自らの逮捕を恐れる同人から急かされる中で、井上を中心に被告人らにおいて、事件を具体的に計画し、実行されていったものであるが、その過程では、被害を受けるべき多数の人々のことは全く考慮されず、もとより、その宗教的位置づけもできないまま、ただやみくもに、松本逮捕の回避と教団の存続を図ったものとしかいいようのないのであつて、そこには、松本を始めとして本件各犯行を実行した被告人を含む井上ら共犯者に、宗教者としての尊厳は微塵も見受けられない。どのように弁解しようと、本件各犯行の実態は、教団として数々の違法行為を行った挙げ句、露見しかかって追い込まれた末の卑劣極まるテロ行為にほかならないというべきてべきである。

3 このうち、新宿青酸ガス事件は、青酸ガスの発生による無差別殺人を企図したものであり、ここにも松本や教団のためなら手段を選ばずという独善的な発想が現れている。

同事件において、被告人らは、日光山中に埋めておいた薬品類を掘り起こすなどして原料を用意し、試行錯誤を繰り返しながら青酸ガス発生装置を制作し、二度にわたって実行に失敗してもあきらめることなく、周到に役割分担をした上、相互に連絡を取り合って犯行に及んだものであり、そこには強い計画性と犯行への異常な執念が看取れる。

また、犯行の手段、態様は、新宿駅地下にあるトイレのゴミ箱に、硫酸による腐食作用を利用した時限式青酸ガス発生装置を仕掛けるというものであり、右装置は、仕組みこそ単純であるが、実験値によるものではあるが、数千人を殺傷するこができるほど多量の青酸ガスを生じるものである。幸いにして、右装置が仕掛けられた後、何者かによって希硫酸が入ったビニール袋が装置から取り外されてゴミ箱の脇に置かれ、更にこれを発見した清掃作業員によって、装置が分解された状態のまま、トイレの入り口付近に並べて置かれ、やがて時限式発火装置が作動したものの、通行人から発見されて直ちに消火されるという幾つもの幸運が重なって事無きを得たのである。仮に、仕掛けられたままの状態で青酸ガスが発生していれば、副都心の新宿駅地下街のトイレにおいて、特に人手の多い祝日に敢行されたものであり、本件トイレ内の空気は隣接する地下コンコースや地下鉄のホーム上にも流出する可能性があったこと等に鑑みると、いわゆる地下鉄サリン事件をも超える死傷者を生じかねなかった誠に危険この上ない犯行というべきであって、社会に与えた不安感と恐怖心には計り知れないものがある。

4 次に、東京都庁爆弾事件は、井上や被告人らのもとに、松本から、同人の逮捕が間近に迫っている旨のメッセージが伝えられたことを直接の契機として、前記のとおり、新宿青酸ガス事件と同一の目的の下に、その延長線上の行為として敢行されたものである。

被告人を含め井上らは、できるだけ大きな騒ぎを引き起こすべく、当時世界都市博覧会中止等の政策で注目を浴びていた青島都知事に宛てて爆弾を送り付けようと考え、爆薬の中でも威力が大きいとされるRDXを製造し、これを書籍の内部をくり抜いて埋め込み、表紙を開けると爆発するような仕掛けを施した上、同知事と対立していた都会議員からの郵便物を装って都知事公館に郵送したものであり、多数の者を巻き込んで殺傷するおそれのある非常に危険性の高い犯行といえる。

その結果、都庁職員である被害者が、職務として、都知事公館から都庁に転送された郵便物の中身を改めるや否や、一瞬にして爆風に包まれ、辺りに肉片を飛び散らせて血だるまになり、左手の全ての指と右手の親指を失ったほか、全身にわたる挫創等悲惨な傷害を負わされるに至った。被害者は、激烈な痛みに耐えて二度にわたる手術を受けたが、現在もなお両手の痺れや違和感に悩まされ、日常生活や仕事の上で多大な不便を強いられているのであって、その肉体的苦痛はいうを俟たず、不自由な身で一生を送らなければならない精神的苦痛は想像を超えるものがある。もとより被害者には何ら落ち度がなく、職務としての当然の作業を行ったばかりに、理不尽にもこのような凶行の犠牲になったのであって、公判廷において、痛々しい両手を示しつつ、「犯人がいかに悔いても、私の指は戻ってきません」と述べる姿には、被告人らに対する憤怒の情が峻烈に現れているというべきである。

もとより、本件犯行の標的とされた青島都知事を始めとする都庁職員や社会全体に与えた不安と混乱にも甚だしいものがある。

三 以上に見てきたように、本件各犯行は、サリン、青酸ガス及び爆弾といった殺傷力の高い手段を用いるなど、極めて凶悪な組織犯罪であり、これら犯行を犯すに至る経緯や動機には全く酌量の余地はない。そして、被告人は、次々とこれらに荷担し、実行してきたものであって、基本的にその責任は重いと言わなければならない。もっとも、以上の各事件についての全体的な責任は、滝本サリン事件をつぶさに指揮し、新宿青酸ガス事件及び東京都庁爆弾事件でも包括的な指示を出していた教祖である松本や中川、井上らの教団幹部が直接的には取られるべきもので、必ずしも、その全体的な評価すべてを被告人に帰せしめるべきものではない点もある。そこで、引き続き、被告人に対する個別的情状について見ることとする。

まず、滝本弁護士殺人未遂事件については、中川、遠藤ら他の幹部と異なり、突然東京から呼び出され、詳しい背景事情や具体的な犯行の手段、態様を十分には把握しないまま、無批判に諾々として犯行への荷担を承諾したものであり、如何に教団内での価値観ないし価値基準が一般社会と異なっていたとは言え、その軽率さあるいは身勝手さは強く戒められるべきである。さらに、新宿青酸ガス事件及び東京都庁爆弾事件については、当時の教団の置かれていた状況、すなわち、教団への更なる強制捜査と教祖松本智津夫の逮捕が現実化していることを十分認識しながら、積極的に謀議に参加するなど、関与を深めていったものと見ざるを得ないのであって、先の全体的情状についても、その多くについて、被告人は責任を負うべきである。

さらに、各事件において被告人が果たした役割を見ると、滝本弁護士殺人未遂事件においては、犯行前に被害者の車の駐車位置を確認して実行役の者に知らせるとともに、医療行為を分担した共犯者らが中毒症状に陥った際には代わりに治療薬を駐車する手筈になっていたのであり、被告人が他の共犯者に与えた物理的、心理的影響は決して小さくない。新宿青酸ガス事件においては、清掃作業員によって青酸ガス発生装置が片付けられることがないように、事前に本件トイレの清掃が終わったことを確認した上、実行役の者が逃走に利用する路線バスの発車時刻等を調べて共犯者らに伝えるという、重要な役割を果たしたものであり、東京都庁爆弾事件においては爆弾を入れた茶封筒の宛名書きをし、これを投函するなど、実行行為そのものを行ったのであって、果たした役割は誠に重大である。

加えて、被告人は、新宿青酸ガス事件、東京都庁爆弾事件の各犯行当時、地下鉄サリン事件もオウム教団において実行されたものであることを認識していたのであって、その上で、なお、このような犯行に出たことは、違法行為を行うことについて、規範意識がまったく麻痺していたと言わざるを得ず、その犯情はよくないというべきである。

また、被告人の法廷における態度は、真摯に反省悔悟する姿勢は基本的には見せるものであるが、なお、弁解がましいと映る供述や他人事であるかのような供述をする傾向もまま見られたことは裁判所として残念なことであると言わざるを得ない。

そして、これら事情を併せ考えると、被告人の刑事責任はすこぶる重大であり、被告人に対しては、厳罰をもって臨む必要があるというべきである。

四 しかし他方、いずれの犯行においても、幸いにして死亡者が出ていないこと、被告人は、首謀者あるいは中心的な立場で各犯行を計画、実行したものではなく、基本的には上層部の命令に従って行動したもので、従属的な立場にあったと認められること、証人として出廷した東京都庁爆弾事件の被害者を目の前にして、改めて自己の責任の非常な重さを痛感し、被害者に対して真摯な謝罪の念を示し、被害弁償に努める旨誓約していること、指名手配となっていることを知りながら、平成7年10月8日に自ら警察に出頭していること、これまで前科前歴がなく、教団に出家するまでは医師として勤務していたこと、本来は純粋な宗教心から教団に入信し、出家したものであるが、それを松本や井上らから逆手に取られて利用された側面も否定できないこと、現在では松本の説く教義を誤りであると分析、総括した上、教団を脱会していること、母親を始めとする家族が出所後の被告人を温かく迎える気持でいること等、被告人のために勘酌すべき事情も存する。

五 そこで、これらの外、被告人の身上、経歴等本件に現れた一切の事情を総合的に勘案し、主文のとおり量刑する。