滝本コメント  20〜27


27 最後の一人まで許さないからこそ、
最後の一人まで付き合う

1999年12月19日週刊読売掲載の、小田晋氏との対論原稿

まず、その任にありながら力不足で、いまだオウム集団を崩壊できていないこと、被害者・遺族の方々と社会にお詫びいたします。

平成六年十一月警察庁などにオウム集団の十分な監視を要請し、平成七年三月十三日、地下鉄サリン事件の七日前にサリン使用の可能性を含めて「前例のない事件には前例のない体制で早急に」と上申したが、とめられませんでした。残念です。

平成九年一月、破壊活動防止法の請求が棄却されたのは、小田先生が正確に記さなかった要件が欠けていることによります。「将来継続又は反復して団体の活動として暴力主義的破壊活動をなす明らかな恐れがあると見られる十分な理由」です。抽象的な危険ではなく、具体的に証拠に裏付けられた理由が必要です。三人が集まっただけで逮捕する法律ですから、要件も厳しいものです。

決定文でも、また多くの判決でもいうように、オウム集団の破壊活動とか殺人とかは、「最終解脱者」とされる松本被告の秘密の指令があってのみされたものです。輪廻すべてを見通すという松本被告の指示があって「ポア」なる殺人になるのです。

 当時、教祖松本被告は逮捕されており、サリンもVXももうないと警察は断言していた以上、改めて破壊活動の謀議とか計画またはその気配がそれなりに認められなければ、破防法の請求は棄却されます。

私は、平成七年三月の頭書の上申では、自衛隊はどう出るべきかとまで考え、その六月まではサリンの残量が分からないので敢えて微罪逮捕にも目をつぶりました。その後、状況は明らかに違っていました。だから、反対したのです。

オウム真理教の事件は、マインド・コントロールによって植え付けられた「救済のためには手段を選ばない」というタントラヴァジラヤーナの思想に依拠した宗教的殺人でした。「悪意の殺人は限度があるが、善意の殺人は限度がない」です。

将来の危険性とか、団体規制のいかんは、信者の心理傾向を推し量ることこそ第一です。やろうと思えばねマッチ一本でできるのですから。私は、平成五年夏から脱会カウンセリングを三十数人にし、そのほとんどが脱会しました。教祖は怒り、私の「空中浮揚」写真を見て、私へのサリン事件など指示したのでした。信者との接触は今も続けています。

いま、オウム集団をつぶす一番の力は、現役信者に対する元信者の働きかけです。現役信者の多くは、実は話し込めば、事件を認めます。が、現実感のなく頭で理解しているだけで、被害者の痛みを推し量ることができないでいます。人は、誰でも自分が何年間かしてきたことを否定したくないものです。ですから、信者は事件や麻原さんの矛盾から目をそらし、認めざるを得ない状況となっても、激しい修行やLSDによる神秘体験にこだわり「それでもオウムは真理なんだ」と自己暗示をし続けています。

そんな現役信者に対して、少なからぬ元信者が感情を交流させつつ、噛んで含めるように話し、「現世は辛いけれど生きていくしかないんだ」とメッセージを送っています。脱会した被告人も、法廷での発言や接見に来た現役との会話で努力しています。

現役信者と私や家族との間の垣根も下がりました。「滝本さん、ポアされないで残念でしたね」と現実感なく言いながら、なく言いながら、Eメールや電話で連絡がきます。出家者と言いながら、時に家族に会ったりしてます。

事件が判明した後、私が会った信者は百人を超え、他の方のカウンセリングを合計すれば数百人が様々な話合いによりで脱会してきてます。オウムに出入りしている人も、裁判報道を見たり、社会と接触し、現実感をもつ傾向が出ています。

破防法では、逮捕・身柄拘束となって、カウンセリングもしないままです。身柄拘束を六十年間つづけることもできません。微罪逮捕は、信仰を深めるだけだった事実を無視していいものではありません。

ですから、刑事法に違反もしていないのに構成員を逮捕するという形での規制は、今も反対です。

しかし、現在、破防法の時よりはるかに垣根が下がっていることも前記の通り確かです。数百人を別として、組織からは脱会の傾向になろうと思います。特に、今回の団体規制法は破産法特例の特別措置法とリンクしており、現世での償いのためにオウム集団は組織としては崩壊せざるを得ないのだ、との気持にさせやすいものです。破防法は被害者への賠償を確保しようと言う考えの全くない法律で、信者の反発をかうだけでした。これに比べれば、今回はそれなりの効果が望めます。

それでも、数百人の信者は残るだろうと思います。彼らは、故なき被害者意識と選良意識をもち、ほおっておけば内部で監禁や薬物使用などするでしょう。オウム集団は禁断の木の実「薬物」を組織的に使用し、その効果を知っているのですから。

彼らは、地下に潜ってー所在不明になってーしまいます。カウンセリングのきっかけをつかめません。

社会から見えなくなればいいということかもしれませんが、私としてははるかに怖いです。真のオウム問題の解決も遠のいたと思われます。

本来、犯罪組織でもある団体に対する最も適切な処置は、財産を収奪することです。破産法の特例法につき、法務大臣が没取できるなどもっと強烈なものにしてその一本の法律を成立させたかったところです。

でも、もはや団体規制法は成立するでしょうし、抽象的な危険性はあるので適用もされるでしょう。取調官が、くれぐれもマインド・コントロールやその対応方法を理解しないままに、逮捕なぞしないで欲しいと願っています。現役信者の個々への調査の際も、感情の交流から始め、いい聞き役になって欲しいです。

住民は信者を排除するのでなく、批判そして話合いを続けて欲しいと思います。住民票の不受理は所在不明を推進しますから、もう止めて欲しいと思っています。
脱会者について、社会は温かく受け入れて欲しいと思います。脱会後しばらくは子ども返りしていますが、もともと真面目な青年達です。過去がばれて退職させられたり、民間の資格試験を受けさせてもらえないことがありました。そんなことでは社会復帰もできないし、オウム信者の脱会も進みません。

精神科医や各所相談先は、精神の不安定な信者、元信者に対し、その状態を理解し話を聞いてあげて欲しいのです。刑務所は面会や情報提供をもっと自由にさせて欲しいです。
今月末、上祐受刑囚が釈放されれば、事件で麻原さんの指示があったかどうかを保留のままに下手なお詫びをし、屁理屈をまたこねるでしょう。心の問題に対しては、法律は万能ではありません。

オウム集団は、麻原さんの破壊願望に基づき、核爆弾にも匹敵する化学兵器サリンをまいて大量に無差別殺人をしました。オウム集団のままの謝罪など受け入れようがなく、完璧につぶしたいと思います。

最後の一人まで許さないからこそ、最後の一人まで付き合うつもりです。


26 生き残ったということ 1999.10.29 第55号より

オウムと長い間、相対していて残念に思うことは、法友さえも大事にしないということだった。1990年から、上九一色村の担当となり、続いて起こる様々な事件を心配してきた。担当の私よりも、富士ケ嶺の村人こそが心配してくれていた。何度も脱走する人の言はもちろん、事故があればどうしたのか? 工事中の鉄塔から墜ちれば、生きているのか?脱走した上九の建築担当のクラ師が見えなくなったときは「殺されちゃったのか?」と心配していた。

まさに心配してくれていました。だから、脱走した人が、後になって「あの時は本当にお世話になりました」と挨拶に行けば、自分のことのように喜んでくれた。鉄塔(建築中の、地下に大量のサリン入りポリタンクを隠すための倉庫群)から墜ちた人が、後遺障害もなく生きていたと後に聞けば、地元にあっという間に話が広がり、喜んでくれた。クラ師が生きていると知ったときも同じだった。

捜査が入った後の交通事故で信者さんがなくなれば、あれは相手のトラックが悪いと証言し、死を悼んでくれた(この件では、私は、親御さんに首根っこを掴まえてまで連れてきたりするな、と言っていた。辛かった。)。

オウム集団では、道路でブルトーザーが倒れて死んでも、機械に挟まれて死んでも、秘密だった。サマナで知った人も、深く感じなかった。ベールカンダキャーさんの温熱での死亡だけはなぜか瞑想したが、他の死去では何もせず噂だけが一部に流れた。

衆生への愛が「慈悲」だろうと思う。当然法友を含む。「聖慈愛」という言葉だっていい。少少なくとも法友の死は悼んでやって欲しい。そして「死刑判決を我が身とする」と実践して欲しい。

死亡率が100%で「幻の現世」であっても、来世でまた偶えるとは限らないのだから。幻かもしれないが、奇跡の現世をともに生きたのだから。
自分が死刑になるのでもないのに「大いなる艱難を与えられた祝福された魂である」なんぞ、言える立場か。


25 素敵な脱会者 ー1999.10.29 第56号より

なんぞと題名をつけると、ひどく非難されそうである。それはもちろん、誘われても、自分の心に隙があっても、オウム集団になぞ入らなかった方がいいに決まっている。
後悔するに決まっている。「後悔していない」というのは痩せ我慢である。でも、取り戻しのできないこと、「後悔してます」と言っても何も始まらない。

一般の刑事・民事事件でも同じことだが、取り戻しのできないことは、少なくない。ギャンブルに溺れ、覚せい剤に溺れ、死んでしまった人。なぜかズルズルと家庭を崩壊させてしまった人。刑務所を出ては窃盗を繰り返しまた戻る人、生まれたばかりの子どもを殺したり、非行の停まらない娘を殺した人ーすべて窓口の経験した事件である。簡単なリセットボタンなど、ない。

破壊的カルトでの経験は、脱会した後、「消化」するほかはない。たとえ、家庭を崩壊させたり、自らが事件を起こしたり、更に自分のしたことで人が死んだのであっても。

どんなに固い食べ物であっても、どんなに口に入らなさそうであっても(それは地獄ではないが)、噛んで、噛んで、何としても飲み込んで、消化するほかはない。丈夫な胃腸を作るために食事と運動もするしかない。

「救いたかったのは誰か」うん、素朴な感覚のずれを大切にしなかった責任はある。でも、その経験を経て、今、人間をみるための、自分を振り返るためのそれぞれに素敵な仕事をしている。そんな素敵な脱会者に遇うことが、また嬉しい。

悩みは消化しなければ、いつまでも悩みである。無理をして考えて、いつ朝日が昇るかわからないと感じる。でもそんな時期が、後になって「産みの苦しみ」だったと知る。

「尊師の深いお考え」うん、深いお考えがあればいいけれど、それなら尚更にその言動を見なければならないはず。現役さんは「産みの苦しみ」をおそれている。
「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」。現役さんは、真理の前提である事実から、いつまで逃げているのか。


24 「ヴァジラムシティー君」こと山本康晴君のこと−1999年10月4日掲載

以下は、 1999 年 9 月 30 日、各所の掲示板に投稿したものの転載です。

山本康晴君のことが、平気でオウム集団のホームページに残されたまま。ですので、私も書く。

すでに法廷での証言にあるように、彼は、94年7月、中村徹君を50度の湯につけ、新実被告らと共に死なせた人。
たまたま起訴されなかっただけ。

後に、信者さん監禁事件で逮捕され、事件を認め、裁判の結果、執行猶予判決となる。
しかし、謝罪もせず、脱会もせず、むしろ「転び公妨」だとして、いまは国家賠償訴訟。

そして不動産の取得などで積極的に動いている。それが、「A」の映画の映っている彼。

山本君は、どうして「他の苦しみを自己の苦しみ」とすることができないのですか。

そして、オウム集団としては、どう考えるのですか?


23 「簡潔なコメント」

本日午後9時からの会見を受けてー1999年9月29日夜11時 窓口

死んだフリごっこですね。本日の会見。
一所懸命考えた、長老部、法務部の方々、失礼な表現でごめんなさい。

9月2.3日の天変地異という麻原さんの予言にかすかな希望を持っていた人もいた。
7月も、8月1日も何もなかった。

麻原さん証言と、97年4月24日の陳述も、信者さんたちに知られてきてしまった。
教団名の使用停止と出版物の利用停止は、実現されれば、心理的に相当に辛いものですし。
破産管財人から、訴訟をされたくもないし。
でしょうね。
「長いスパン」の救済からして、特別法の風が通りすぎ、上祐さんが戻るのを待つ。
ーということでしょうか。

信者さん、たまには親御さんに電話でもしてみてね。
気が向いたら、一度帰ってみたらどうか知らん。
うるさいことを言わんように、できる限り多くの親には言っておくから。
「きみーが 笑って くれるなら 僕は悪にでもなる」

ではまた。
読んでほしいなーと思うのは、ここ。

http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-2.html#keima


22 「 ア ン パ ン マ ン 」

 「何のためーに生まれて、何をして生きるのか。分からないまーまー終わる。そーんなのはいーやだっ」アンパンマンの唄には、こんな歌詞がある。

 これ、麻原さんが問うていたこと、オウム集団が問うていること。そして、麻原さんは人は、衆生は「真理」を知るために存在する自分こそは、その真理を知る魂だ、
人間として生まれ、日本のこの時代に産まれ、私に会えたことはまさに奇跡なんだ、という。

 そっ、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」は、まさに真理。
 そっ、「分からないまーまーっ終わる。そーんなのはいーやだっ」と、人間の死亡率は100%だから、見据えるべきこと。

 死にいくときは(実は産まれる時も)孤独。家族や親友がいても、果ては共に死ぬ人が居ても、死は個別のもの。絶対的孤独。

 それでもアンパンマンは、「生」を肯定的にとらえる。だから、歌い出しは、「そうだ嬉しいんだ。生きる喜び。愛と勇気だけが友達さー」となる。アンパンマンは、「生きる意味を理解し、解脱しているみたいだ。

 自分の生育過程で遭う歌や、生育過程で知る事件は、意外に自分の思想傾向や生き方に影響を与えていると思う。
 麻原さんは、鉄人28号も、鉄腕アトムもウルトラマンも見ただろう。ブラウン管の前で、東大安田講堂の攻防も見ただろう、浅間山荘事件も見ただろう。安田講堂事件などは
「かっこいいー」「でも所詮この程度か」とかなりの少年が思っただろう。

 でも、麻原さんの場合、多くは、自宅ではなかった。6歳からの寮生活。目は見えていたのに。麻原さんは、自分の感情を、アニメやブラウン管から受けた印象を、どう消化していったのだろうか。

 麻原さんは、その後もアニメなどが好きだったようだ。宇宙戦艦ヤマト、マジンガーZ、幻魔大戦、そしてAKIRA。
 麻原さんは、ひょっこりひょうたん島は、好きだったろうか。

「今日が駄目ならあしたにしまーしょ。明日が駄目ならあさってーにしまーしょ。あさってが駄目なーら、しあさってーにしまーしょ。どこまでいーっても明日がある。ドンドンガーバチョ、ドンガバチョ」なんていう歌もあった。

 麻原さんー否、1955年3月2日生の松本智津夫君は、「生きる喜び」を感じないままだったんだろうか。生きていること、それ自体の喜びを感じたことはなかったか。
 アンパンマンは、繰り返しだが、「そうだ嬉しいんだ。生きる喜び。愛と勇気だけが友達さー」と言う。
 そして、二番だったか、こんな歌詞があったと記憶する。 

「忘れないで、夢を。こぼさないで、涙。だから僕はいくんだー、ほほえんで」


21 再 び 特 別 法 に つ い て

 ようやく、「特別法」の方向になってきた。
しかし、政府提案は、「無差別殺人」をした集団に対して、公安調査庁が立入り調査権」を持つとか、報告義務を課するという。
 組織の財産に関しての、破産法の特例とか法務大臣の没収規定などというのは、国会議員からの提案によるとし、政府としては提案しないと言う。
 構成員、また構成員だった1人1人を死ぬまで監視して、脱会した後の者も、永遠に社会復帰(戻る所はしょうがなくとも現世しかない)を許さない効果をもつ
破防法の改正よりは、いいだろう。

 でも、監視だけしてもなにもならぬし、報告義務なぞ、いつものように「真理のための嘘」をつくだけ。何の役に立つのか。
 問題の本質は、3つある。
@団体に対して宗教法人の解散命令、破産決定として「死刑判決」が出されたのに、それがまだまだ執行されていないこと。
A被害者らに、22.59%しか配当されておらず、民事賠償さえも尽くしていないこと。不足しているのは45億円。
Bオウム集団の特長は、破壊的カルトでありかつ神秘体験を背景として信仰してい
る1人ひとりの集まりだということにある。

 実質的な違法性もない集会や、布施自体で「逮捕・勾留・裁判」をすれば、信仰を深めるばかりなのは確実、なんら解決にならないだからこそ、
行為規制ー構成員の逮捕ーという形である破防法には、強く反対してきた。

 今度の政府が考える特別法はどうか。論評するまでもない。オウム集団にバカにされるだけである。各地でトラブルとなっている拠点をつぶす効果もまったくない。
 まして、オウム集団ではなく「無差別殺人をした集団」なんぞと、一般化した法案だ。相手は「核爆弾にも匹敵するサリンを製造・使用して無差別殺人をし、その後も60トンのサリンを製造して使用しようとしていた団体」である。集団としては特別の扱しにし、その名称をかかげるのも当然だ。 

結社の自由も認める必要はないし、「団体として」差別するのは合理的な差別であって許されると思う。

「団体に対処する」というのは、財産に対してのみ対応するということである。破産宣告の後の財産も、破産財団に組み込めるという「膨張主義」の特別法を作るべきは当然だろうし、さらに管財人ではやり切れないだろうから法務大臣が行政処分として「没収」できるとして、何が問題か。

 オウム集団も実は、事件を認めるのが実態である。構成員は甘受せざるをえないから布施しがいもなく、組織として崩壊に向かう外なく、(戻らない命だが)被害の民事賠償は少しだが進む。

 窓口は、95年3月13日「前例のない事件には前例のない体制で早急に」と、最高検察庁や警察庁などに要請した。ことの重大性と異例さを認識していないのは、またも「官僚」と創造性・想像性に欠けた人々なのだろうか。


20 「 自 由 へ の 脱 出 」ー1999年9月17日第51号から

ーカルトのすべてとマインド・コントロールからの解放と回復

 素敵な本をみつけた。アメリカの書籍の翻訳本だが、実に丁寧で、かつ実践的である。
つまり文字量は、やたら多いが、カルト経験者には心当たりのある事ばかりだろうし、家族には是非とも知らせたいことばかりである。

 すべての、カルトに関連する悩みを持つ家族、脱会者、相談を受ける方、その他カルト関係の取材をする人、研究者らに読んで欲しいと思う。

 考えて見れば、日本でも実におおくの、素敵な本が出てきた。が、一時期のオウム騒動の後は、食傷気味かとんと売れないと聞く。他人事のまま、と感じた人が多かったんだろうな、とおもう。その結果、「まさか私の子が」という相談が、ひきをきらない。
 カルトのメンバーを持つ家族でも、ほとんど何も読んでいない方も少なくない。読む習慣がなかったのではなく、子どものことを知るためにはどうすればいいか、考えていなかったのではないか、と思うこともある。その結果「戻ってきたがどうすればいいか」などと、未だに初めての相談さえある。

 読みやすい本でいうなら、オウム関係でいえば「マインド・コントロールから逃れて」(恒友出版、滝本太郎・永岡辰哉編著)であり、
カルト一般ならば「宗教トラブル110番ーしのびよるカルト」(民事法研究会、山口広・滝本太郎・紀藤正樹)であろう。
ーと手前味噌ですいません。

 この「自由からの脱出」には、こんなことが書いてあった。

 「アイデンティティーカルトで生まれ、成人してから脱会した人長い年月をカルトで過ごした人、ことに非常に拘束的なカルトにいた人々はとつぜんにアイデンティティーが拡大されたり変化したりする機会に遭遇して圧倒されたり、恐怖を抱いたり興奮をおぼえたり、あるいはその三つがまじりあった状態に置かれるかもしれない。
突然に自由になるということは、それをどんなに長い間夢見ていたとしてもやはり恐ろしいものなのである。……

 …以下の問いと示唆は、自分を受け入れ、変えていくヒントになるかもしれない。…
2 成長し、変わることを自分に許すこと。
人は常に変わってゆくもので、それは少しもおかしいことではない。…
6 いちばんたやすく変えられることは何か?ほんのちょっとしたことでも変えられれば
大いに自信がつき、自尊心もたかまる。それが、自分の手で人生をつくっていることの証
明だからである。…」。
            ーお薦めします。
マデリン・ラントセー・トバイアス 、ジャンジャ・ラリックの共著
出版は中央アート出版、金額は2381円、
ISBN4−88639−870−7です。


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