読 者 か ら の 手 紙 ・ メ ー ル


24−○ 「オウムをやめた私たち」購入

−79号から。2001.11.16 読者、女性、30代

昼休み、本屋で立ち読みが趣味の者です。新興宗教「エホバの証人」をやっていたことがあり、それ関係の本を立ち読みするうち、あきてきて、オウム関係の本を読んでいて、これが一番共感しまして、購入しました。

おもいおこせば、95年は私にも転機でした。ほとんど家にいた私は、毎日報道されるオウム問題はくぎづけでした。それは、自分が(カルトは違えど)似たような状況で苦しんでおり、それが大々的に報道されることによって、ああ悩んでいるのは自分だけではない、と心つよかったのと、カルトのおそろしさをTVで見るにつれ、自分も出なくては、と思うようになり、実際に出たのですから。滝本さんや、その他大勢、メディア等で訴えていたことは、オウムのみならず、共感したひとびとに影響を与えたものと思います。

ふたたび本で会えてうれしいです。

若い人たちが、最初は「?」とおもいつつも、ハマってしまった過程は、読んでいて胸に迫ります。感動します。これからも頑張ってください。


23−○ 引くに引けないと言うか

−79号から。2001.6.6 読者、女性、20代

初めてさりげなくこのホームページを読みました。以前いろいろとTVで滝本氏が教団の方々にどうか目を覚まして下さいというお言葉を心から言っていらっしゃつた場面は今も頭に残ってます。

私は勘違いかもしれないけど(内部の事はまったく知らないんで・・・)上祐すら引くに引けないと言うかそこまで心の悪い人には思えず、何か事件に関わっただけに自分の人生が変える事が出来ず意固地になっているように見えて可哀相にすら見えてきます。

本当は気が弱くなのにプライドだけは人一倍高い、ゾクに言うエリート感覚が彼の背骨であり背骨が折れてからの自分の歩む道がここまできたらメジャーになりすぎたのをはじめ怖いんだと思います。

若い時代に勉強ばかりしていて大人になるのが遅いのか、人に虐げられてきたから人の上に立ちたいとか正直私から見て子供です。きっと寂しい事や苦しい事があってもこんな殺人集団に1歩踏み入れた以上意固地になるのでしょう。

何もわからない私ですがTVなどで上祐や荒木を見てると弱虫の悲しい心が伝わる気がしてならずメールしました。どうか頑張って一人でも多くの信者の方を助けてくださいますよう応援しております。またメールいたします。失礼いたします。


22−○ ホームページを見て。

−79号から。2001.12.22 読者、女性、50代

私はオウム事件のうんと最初の頃から、オウムや麻原に強い関心を持っていました。オウム関連の報道を見るために、結果として、人生のかなりの時間を使ったのではないかと思います。

しかし、裁判になってからは、あまりその後の詳しい状況がわからず、ずっと知りたいと思っていました。また、坂本堤さんやその他多くの関連事件の犠牲者のためにも、私達にはこの事件を最後まで見届けないといけない義務があると思います。今回、パソコンでいろいろなことを知ることができて、とても良かったです。

滝本先生が死刑は麻原ひとりでよいとおっしゃっておられることには、まったく同感です。どういう形の事件であれ麻原と他の人の責任の重さは全然違うと思います。ああいう中で反対したり逃げたりするということは、非常に困難と考えます。

集団の狂気みたいなものは、私はわかるような気がするのです。私はかつて学校の教員をしておりましたが、学校全体に持ち込まれた「賄賂」のような現金を巡って、管理職をも含めて20名の職員が分断され、私ひとりが「受け取り拒否」を主張してあとの19名を敵に回して戦うことになったことがありました。公務員であり、教員である人間が、わけのわからない父兄からのお金を受け取っていいはずがない。そんなことは、百もわかっていることで全く当たり前のことなのに、ただひとり受けとらなかった私がそのことで、その後、どれくらいひどい目に会わされたか、今思っても体が震えます。

しかし、そういうことが現実に起こりうるということで、私は集団がひとたび道をそれ出したときの恐ろしさは理解できるつもりです。だからこそ、リーダーの責任は格別大きく重いのだと思います。

しかし、その最悪リーダーの麻原にも、同情を覚える事情はあります。先生がよくおっしゃっている「6歳から、目が見えるのに貧困のために盲学校に入れられていた」ということなどです。学校が休みになって、寮生がみんな帰省しても麻原兄弟だけは帰れなかったとも聞きました。

なんという悲しい光景でしょう。二人の寂しそうな様子を思いやると、かわいそうで胸が締めつけられます。憎んでも憎みきれない極悪犯罪人ですが、その不幸もまた彼の人生の真実だと思います。そして、そういうことにもいつも少しは触れながら、彼を語られる滝本先生に、私は人間としての深さと温かさを感じ、強い共感を覚えます。

先生が死刑制度を認めておられることも初めて知りました。坂本弁護士さんが死刑反対の立場をとっておられたと聞いていたので(それは事実ではないかもしれませんが)滝本先生もそのお考えの方かと思っていましたから、少し意外な気がしたのですが、同時になにかホッとしました。私自身も死刑は必要と考えるからです。

先生が「あの世に地獄があろうがなかろうが、この世で起こした罪はこの世できちんと責任を取っていってもらう」という意味のことをおっしゃていたのは全くその通りだと思いました。

私は以前にかなり長く、連合赤軍の永田弘子さんと文通していました。彼女の著書に入っていた読書カードに感想を書いて、出版社に送ったら、彼女から葉書がきたのがきっかけです。死刑が確定してからはもうできなくなりましたが。

彼女の罪も大変なものです。彼女もまたこの世で自分の犯した過ちに決着をつけなければなりません。しかし、麻原と同じように、彼女の過ちにも、なにか若さの痛ましさのようなものを感じます。元々は自分が少しでもイイ目をしようとか、トクしたいとか思って始めたことではなかったはずです。それが、どこからか少しずつずれていってしまって、あのような事件に行きついてしまい、それで人生もうおしまいというわけですから、オウムの若者と同じような痛ましさを彼女にも感じます。

会うことはなかったのですが、手紙の中で共に笑い合った思い出もあります。もし、自分の家の隣りに住む人として考えたら、今の永田さんは決してそんなにイヤな人ではないと思います。あの若い日々に出会う人、出会いの場、何かがほんの少し違っていたら、彼女にもまた違う人生があったかもしれないとずっと思っています。

弁護士さんのお仕事も本当に大変ですね。でも、同じ死刑になっても、弁護士さんがその犯罪を犯した人にいくらかでも心からの憐憫の情を持って向かわれるというのは人間対人間の仕事として、とても大切なものがあるように思います。

長々と続けました。勝手なことばかり書いて、どうか失礼をお許しくださいませ。


21−○ 変形版の1号から持ってます。

−2001年7月3日 男性、ハンドルネイム「しーらかんす」

  始めまして。HPには初めてですが、会が結成された当時からの読者で、「カナリヤの詩」も変形版の1号から持ってます。

 「カナリヤの詩」を読みながら、何度も泣きました。ともかく悔しかった。みんなそれぞれ前途があったのに。あんな団体のために。そして、あんな男のために……。
犯罪者になってしまった信者を「かわいそう」だと思って泣くのではありません。同情でもありません。「同情」というのは高みから見下ろす感情であり、「かわいそう」という言葉は「自分より劣った(あるいは劣ったと思っている)存在に使う言葉だと思うからです。

 捨て犬、野良猫を見て「かわいそう」って思いますよね。でも、一般信者も、犯罪者になってしまった信者も、怪物でも化け物でもないのと同じように、犬や猫でもないと思うんです。同じ人間なのに、何でたまたま「あの人が」って。不条理じゃありません?

 ほんとうに「たまたま」だった人が多いと思います。その場に居合わせただけの理由で、「車の運転しろ」といわれたかもしれないし、意図的に選ばれた人も、「たまたまあの男の都合の悪いことを知っていた」とか、「たまたま早くから出家していた」とか。犯罪者にされてしまった人と、されなかった人との間には、大した違いはないような気がしてしかたないんです。

報道とか、カナリヤとか読めば読むほど。何で?どうして?それ以外、まだうまく言語化できないんですけど。

 犯罪者とそうでない者とを隔てる社会の壁は高い。それなのに、その二つをわけたものが、あまりにも卑小でありすぎる。おまけに、分けられた者どうし、あるいは信者でなかった「私たち」も含め、一体どこが違うんだろう……。

なぜあの人たちは、今塀の向こうに、あるいは檻の中にいるんだろう。不条理で理不尽に思えて、どうしても泣いてしまいました。かなり泣きましたし、実は今でも泣きます。悔しくて、そして切なくて。

 最初に泣いたのは、会報が入っていた封筒を郵便受けから引っ張り出した時でした。手書きのラベルが・・・丸文字じゃないですか。一時、社会問題みたいに取り上げられた。あ、フツーの女の子(男の人だったらごめんなさい)なんだ。あの頃の時間、一緒にこの世の中で生きていた、ごくごく普通の人なんだ……。

私の側からですが、カナリヤとの差が一気に縮まりました。この人の代わりにこのラベルを書いたのが、私でもおかしくない。統一教会の勧誘を受けたことも何度もありますし、大学への道路が松本智津夫のポスターで埋め尽くされていたこともありましたから。そう思うと、もう泣けました。切なくて、胸がつまって、そして何よりくやしくて。

 窓口の滝本さん、感情移入が激しすぎるとお思いかもしれませんね。確かに感情的な文章なってしまいました。でも、思い入れするのには、ちょっと理由があって。長くなるから、今日は書きませんけど。

 それに、この問題で「泣く」自分のことを話せる人はあまりいないんです。一緒に泣く人はいませんね。共感を示してくれる人なら何人かいますが、そうそう突っ込んだ話ができるわけでもない。私の中でもきっと感情がたまっていたんだと思います。少し楽になりました。もっとも、やっぱり半分泣いてますけど。それに長くなってすみません。………

 何でカナリヤに話すんだ、そんなにカナリヤを信頼していいのか?って、聞かれそうですね。これは「いいんです(もちろん包み隠さず全部、というわけじゃありませんけど)」。
だって、カナリヤの人たちは、滝本さんもそうだけど、自分を笑えるじゃないですか。まだそんな余裕がない人もいるかもしれないけど、基本的に、自分を笑える。まじめに物事にとりくみつつ、でも笑ってる。

 いつだったか、座談会か何かで、「カナリヤの会」命名の、本当の理由が書いてありましたよね。「相手がオウムだから、こっちは九官鳥にしようかという案も出たんだけど、それはあまりにも不謹慎だということで……」って。

 私、手を叩いて笑いましたよ。本当に大笑い。やっぱり泣きながら、それでも腹抱えて笑っちゃいましたよ。『オウムvs九官鳥』。すごい発想じゃないですか。これって、相手をおちょくるだけじゃなくって、自分のことも笑い飛ばしてる。おまけにせっかくのアイディアなのに、「やはり不謹慎だ」と判断するだけの冷静さもある。「絶対真理」とか言ってたどこかの誰かさんより、いや〜ステージ高いですよ。

 それから、この通信、何か役に立つorおもしろいところがあるならカナリヤに転載してください。でもその時は、くれぐれも「メールアドレスだけは削除して下さい」。以上、お願いします。それでは。

窓口の滝本太郎様。その他、カナリヤの会のみなさまへ。2001.7.3 しーらかんす


20−○ 『オウムをやめた私たち』の感想−67号から

−2000年10月18日 女性、30代、ハンドルネイム「きょんじゃ」

「オウムをやめた私たち」を、読ませていただいた。座談会の司会・進行を担当した松本さんからは、第1回目の座談会の時点で噂話を聞いていた。その時は正直、”大丈夫かしらん?”と、先行きを案じた覚えがあることを告白しておく。しかし、皆さんがとてもしんどい作業に敢えて取り組まれ、このように充実した、言葉の一つ一つがとても重みを持つ「作品」が仕上がった。その勇気に敬意を表したい。

私は1988年に統一協会を脱会して以来、多くのカルト脱会者と接している。実際に統一協会に関わったのは正味8ヶ月程度だから、脱会者キャリアの方がはるかに長い「ベテラン脱会者」である。そんな立場から共感したのは、おそらく座談会メンバーの中でもっとも立場の似ている永岡辰哉くんの言葉だ。

彼が脱会したての人間に対して感じる苛立ちは、私にも理解できるものだった。彼らは直接犯罪行為に関わったわけではないし、第一、そんな事実を知る由もなかった。そのことに本人の責任はない。けれど、メンバーとして属していたということは、間接的にそれに加担したことになることを気づいて欲しい。しかし、自分だってそうそう簡単に心の整理を済ませたわけではない。それを考えたら、ちゃんと待ってあげなければ、と歯止めをかけようとも思う。「先輩脱会者」はそんな2つの気持ちの間で揺れ動く。自分も経験しているからこそ社会の誰よりも理解してあげたいと思う反面、当事者の弱さ、厭らしさもまた、見えてしまうのだ。

また、脱会歴が長くなるにつれ、周りとどう折り合いを付けるかが整理されてくるのだが、様々に経歴の異なるメンバーの談話から、その成長過程の時差や個人差が見えてきた。

私は以前、カルト脱会者の青年期課題について論文を書いたことがある。「カナリヤ」メンバーからも調査票回答にご協力いただいた。心理的にもしんどいはずの回答作業に丁寧に携わって下さり、心より感謝を申し述べたく思う。「青年期課題」というのは心理学の概念で、一方的に保護されることの多かった子ども時代から、社会の一員として独立していく際に対峙すると思われる課題を指している。青年期とは自分や親、社会に対しての考えを、子ども時代から大人へとシフトさせていく季節なのである。この座談会のメンバーも年齢的に、その課題と話題とが重なる部分が多かった。

例えば、親に対してより文句が多い人には、ある種の若さを感じた。それは親に期待し、応えてくれて当然と思っていることの証だ。しかし一定のレベルを超えると、「親だって人間だしな」という諦めとシンパシーも表現されてくる。これには実年齢も反映するが、オウムで過ごした年月や脱会してからの年月も反映する。

私は主宰するホームページ(『カルトに傷ついたあなたへ』

http://www.ne.jp/asahi/cult/kyongja/index.htmlに、諜報省にいた井上嘉浩くんの裁判傍聴記を記している。彼は実年齢において私とは一歳しか違わないが、法廷の彼は16歳の少年のままだった。なまじ言葉を操るのがうまく、理路整然と説明をするものだから、いかにも大人っぽい印象を与えそうだが、その実、観念だけが先走りして内面が伴わない青臭さを漂わせていることに気づくには、そう時間はかからなかった。実年齢30歳になるいい大人が16歳のままで留まったことには、オウムと拘留という2つの特殊な生活環境に要因を求めるのが妥当だろう。いずれも他者とのコミュニケーションから学ぶという要素を著しく欠いている。

もうひとつ別の話をしよう。私が統一協会を辞めた直後、協会員の女性が私を取り戻しにやってきた。その現場を取り押さえた私の母は、怒って彼女を警察に突き出した。取り調べた警官は、母に対して彼女のことを、「26歳にしては幼いね。ほんとに幼い」と何度も繰り返した。当時19歳の私は、それをどう理解してよいかわからなかったが、後に多くの脱会者と出会って、次第に解するようになっていった。統一協会では、上から言われたことを自分で吟味することなく行うよう指示される。そのため、やがて自分の行動を自分で決められない人間になっていく。だから、自分のとった行動への釈明を求められても、早い話が、「だって、パパがやっていいって言ったんだもん」という3歳レベルの受け答えしか出来なくなってしまう。それを警官は「幼い」と表現したのであろう。

つまり、カルトにいると、確実に人間成長は阻まれ、時には退行すらしてしまう。そして脱会した後も、のびのびすくすくと再成長を遂げるには、あまりに困難は多い。有名になってしまったオウムの看板を背負うならば、尚更である。そんな中、様々な個別の事情を担って一生懸命生きている様子が、ある時は実年齢に比べて幼さを感じさせる発言を通して伝わってきた。回りくどくなったが、そんなことを言いたかったのである。

この中で一番胸が痛いのは、子どもについての記述だ。なぜ胸が痛むのかと言えば、子どもがこの集団でもっとも「まとも」だからである。自分の子どもと入信していた渡辺恵美子さんの談話に、こんな内容がある。「無意識に自分の子どものそばに寄ってしまったら、それを見た、それまでおとなしかったはずの他の子どもが暴れるようになってしまった。それは、愛されるという感覚を自分たち親子に見出して、その愛情を自分が手に出来ない状況を初めて察したからであろう。」「逆に暴れないで、優しくなる子どももいた。自分の子どもを探していた時、自分の子どもより歳の大きい5歳くらいの子どもが、自分のところに連れて来てくれた。同じようなことが何回か続いた。それは、自分たちも親のところへ連れていって欲しい。自分より小さな子どもが親を探しまわる姿を見るのは辛いという意味だったのだと思う」

子どもは良くも悪くも正直で率直だ。教理を頭に詰め込み、観念で納得させる大人のように自分を制御できないから、とりあえず素直に反応してしまう。そういう意味で、もっとも「まとも」なのである。しかし、おそらく現実はそこに留まらない。子どもは素直だが、悲しいかな大人が思っているよりはるかに適応力がある。こんな教団まっぴらだ!と反旗を翻すほどの知恵もないし、第一そこを出たら生きてはいけない。だから、一度目は素直に反応しても、それが適えられないことに気づくと、与えられた環境に一生懸命順応するようになってしまう。渡辺さんは、今は問題なく過ごしている自分の子どもの将来に不安を抱える。「もしかして思春期になって、子どもの頃の葛藤が何かの形で出てきたら、それは親子一緒に背負っていこうと思う」という彼女の言葉は、実に重い。

ところで、統一協会出身の私に理解しがたいのは、オウムの神秘体験主義である。天野一人くんの指摘するように、オウムは統一協会のように詐欺的な勧誘をするケースは少ないが、反面、即席で信者を作るために実体験で人を釣る。もちろん、統一協会にも神秘体験を誇張する傾向はあるし、それが信仰のバロメータのように言われることもある。

しかし、それが絶対的な価値基準と捉えられることはない。私が社会心理学の教えを請うた恩師・西田公昭氏は井上嘉浩くんの心理鑑定をしたのだが、その際、拘置所で彼から腕に電気を流してもらったそうである。師はそれをいたく面白がっていたが、オウム信者を理解する際に、実体験がどれだけ彼らにリアリティを構築させるかをわかってあげないのは可哀想だ、とものたまった。わかってあげないと、というのは体験の真偽についてではもちろんなく、彼らの現実感に対して共感・理解を示すという意味においてである。体験は他者に共有されないから、周りには理解されない。だから第3者にとっては、「オウムなんて、わけのわからん奇妙な集団」となってしまう。しかし、信者は実体験を最大の根拠として、麻原の野望をも崇高な理念と信じる特殊な世界を作り上げたのだ。この本にも再三発言されているように、それだけ神秘体験主義は危険性を孕んでいるとも言える。

正直に言えば、私は神秘体験主義が嫌いである。その宗教的・信念的価値については、私は踏み込むつもりはない。ただ、人間が生きる際に何が必要かと考えると、それらの価値は私の中では極めて低い。なぜならば、それは自分の人生への責任を回避する手段に思えるからだ。修行をしない私に修行を云々する資格はないが、神秘体験を目的とする修行なんて本物だろうか?と思う。それは脳内麻薬を求めてさ迷うだけであって、違法行為をしてでも麻薬を手に入れたがる中毒者の姿と変わりなく見える。また、神秘体験は他者を求めない。しかし、人間の隣には必ず他の人間がいる。他の人間の信念は、自分と共有できるとは限らない。それでも人間は、他の人間と共に生きなければならない。だから、その現実から逃れて、神秘体験主義のシェルターに逃げ込むのはずるい。

少々辛辣なことも率直に書かせていただいたが、オウム脱会者や信者の家族と出会う度に、本当に重いものを背負ってここまでやってこられたのだと思う。現・カナリヤ編集長である沢木晃くんがテレビでインタビューを受けている映像に、とても奇妙な感覚を覚えたことがある。彼は私にとっては普通の友人だ。しかし、テレビに映る姿は「あのオウム」の元信者なのである。そのギャップをどう埋めてよいのか戸惑う。行方の知れない子どもを案じる信者の親御さんと会えば、他のカルト問題で困っている親御さんたちと接するのと変わらない気持ちで話しをする。しかし、そこから聞こえてくる情報は、いつかニュースで聞いたオウムの転居騒ぎに絡む地名だ。

やっぱり「あのオウム」なのである。言うなれば、オウムを笑えない立場にある私でも、すっかりステレオタイプ化された「オウム像」と実際の当事者との距離を測りかねている。私ですらそうなのだから、世間の第三者が当事者にシンパシーを抱くこともなく、「あのオウム」像を押し付けてくるのは想像に難くない。脱会者や親御さんたち、あるいは現・信者さんにしても、そんな社会とお付きあいしなければならないのである。カルト脱会者は自分の経験を滅多にカムアウトしない。最初のうちは話しても、あまりに周囲に理解されないことに気付くとやがて口を閉ざしてしまう。カルト一般ですらそう言えるのだから、オウムの看板を背負い、”社会の目”を痛いほど知らされるオウム当事者たちは、おそらくその何十倍も苦しく、苦い思いをしているはずだ。それを考えると、本当に胸が痛む。

私事になるが、私は社会心理学の立場から「脱マインド・コントロール」を研究したくて、この秋、大学院を受験した。あまりにも試験の出来が悪くて、合格発表を待つ間、不安でたまらなかった。夜な夜な江川紹子さんの裁判傍聴記を読んでは、被告や受刑囚の顔を思い浮かべて、涙を流した。悔やんでも悔やみきれない、二度と戻れない道を行ってしまった彼らの思いを、どこかで果たす必要があるのではないかと思えた。世間的には優秀と言われた彼らに比べ、私の能力のなんと乏しいことよと思いながら、それでも彼らには出来ないことを、代わりにしなければならないように思えた。

結果、合格通知をいただいた。カルト経験者という仲間同士、各々の立場で問題解決のために協力しあえたらよい。その中で、私にはこういう方法が与えられたのだと思う。もちろん、私の視野にあるのは、被告や受刑囚だけではない。彼らを生み出したものの構造はもっと大きい。しかし、一人の力は小さいけれど、協力しあって大きな問題に取り組めたらよいと思う。

最後に、今一度、再起のチャンスが与えられていることの重みを噛み締めたい。残酷にも、オウムの起した事件は多くの人々から再起のチャンスを奪い取った。被害者からも、そして被告や受刑囚からも。そんな中、今は希望が見えなくても、夜明けが遠くても、いつかきっと再起のチャンスが来るであろうことを、共に待ちわびたいと思う。それを大切にすることが、被害者としてチャンスを奪われた人々への償いとなり、ほんの少しの距離の差で加害者になってしまった被告や受刑囚の思いを担うものになると信じている。「オウムをやめた私たち」の未来がどう描かれるのか、今から密やかに、楽しみにしておこう。


19−○ もとヨガ講座申込者の不安 、返事とも

ー1999年12月7日 メールにて 第59号

はじめまして。活動のあらましは存じ上げておりましたが、今ほど切実な思いでお便りさせていただくことはありません。

「カナリヤの詩」のページも、昨今のものだけをかいつまんで拝見しているにすぎないのですが(つまり、かつての情報にはまったく疎いのですが)、オウム新法が成立したということで、あわただしくどういうことなのか調べている次第です。

小生は、昭和63年ごろに、雑誌かなにかで見て興味し、うかつにもオウムのヨガ講座を申し込んでしまった愚か者です。送られてきた通信教材の中身を見てそのお粗末さにうち捨ててしまい、それ以降の会費などいっさい支払ったことはないのですが、脱会手続きをしなかったために、事件の後まで名簿に名前が残されていて、平成七年の末頃に警察の訪問を受けてはじめて知ったような始末です。

警察は、事情が分かったから脱会をあえてする必要はないと申しましたが、脱会手続として内容証明郵便を送るべきという話を知り、平成八年○月になって、○○支部に送った次第です。

しかし、なにぶんにも入会は古いことでしたし、当時の郵便物など残っているはずもなく、またよしんばあったとしても、阪神大震災で全壊家屋の下に埋没し、入会日時、会員番号、入会時の住所地は不明のまま。

この件につき、○○支部に電話で問い合わせたところ、応対した信者は半ば自棄的になっていたか、「入会しただけで会費を払っていないんでしょ、だったらそれでいいじゃない、そんな人は多いんだから。どっちみち破防法ができれば脱会してもしなくても同じことだから無駄だよ」と反発され、私も二の句が継げず、やむなく入会の頃の住所地と思われる所を2か所併記して、なるべく感情を逆なでしないような文章にして、名前と住所とで調べて脱会手続きをとってくれるよう書いて、内容証明郵便を出した次第です。名前だけが明確で、その他があいまいゆえ、どうでしょう。

不誠実な教団に違いないので、脱会扱いになっているかどうかすら、内容証明の効力だけが頼りで現在に至っているような状態です。

この前、破防法が回避され、これで安心できると思っていたのに、急転直下こんな風になるとは、精神的にまいることばかりで、つくづくオウムには煮え湯を呑まされる気がします。

今回の新法によって、信者や元信者の財産にまで差し押さえが及ぶような話を聞きましたが、もしそうだとすれば、もうとてもこの世の出来事とは思えません。長い論議を重ねてこられたカナリヤ会の人たちには、もうお分かりかと思うわけですが、実際今後どうなるのでしょうか。法律によく分からないことが多く、先行きがまったく分かりません。お教えくださいませんでしょうか。

また、私のようなにわか入会者も少なくはないと思うのですが、実際のところどうなのでしょう。その人たちは、この不合理な現実(財産没収とか、村八分とかが身辺に迫っている現実)をいったいどう受けとめて日々を送っておられるのでしょうか。情報に疎く何事も遅きに失した私には、錯乱しそうな問題の発生ばかりで、どう生活を続けていけばよいのかさえ不透明になっております。

私ははじめから信者というには縁遠く、事件の後からは麻原はじめオウムを心底憎むものです。うかつにも入会したという一時の過ちが、生涯ついて回る烙印となったことに、深い慙愧の念でおります。

いま私は一市民として日々の労働にはげみ、人並み程度にもなりませんが、家を構え蓄財もいたしております。それも老後の蓄えとしてきたものばかりで、おかげで生活が維持できると思って参りました。

しかしそれが、どうなるのか、もう何もかも分からない成り行きに、非常な不安を感じております。妻子はおりません。しかし陰になり懸命に支えてくれた母親の老後を見取ることだけが大きな責務として感じ、生きがいとしております。また、母にとっても、私が生きて日々職務にはげんでいる様子を見ることが、唯一の生きがいのようです。

親が推進してきた古い人なりの美徳によって私の今があり、それにようやくこたえることで、母を安心させているのかと思う次第です。

しかし、母の生きざまと価値観をくつがえすような出来事が、この私の過失によって引き起こされるなら、母はこの世の残忍と無情に絶望するでしょうし、それを黙って座視することになる私は、万死をもって償ってしてもなお断腸の思いはなくならないでしょう。

母は、この世の仕組みについては、まったく無知です。今目前に迫っている家族の危機について分かっておらず、かといって私としてもあまりに非情なことゆえ、それを教える気にもなれないのです。

私たちの今までの苦労がこんなことでつぶれてしまうのかと思うと、何をしても無駄だったことになります。私一人で解決できるとなら、自殺も辞さない覚悟ですが、それが何も分からぬ母にしてみればどうかと思うと、これもにわかには。

小生ももうすぐ○○才、様々な気苦労をし、心臓を患いながらも一市民として他の人に遅れをとらじと朝から深夜まで働いておりますが、これからは国を相手にするのかと思うと途方もないことで、これに対抗するような気力も体力もありません。

小生を陰で支えてくれた母や妹には、多大な迷惑をかけることでしょう。今は穏便に済んでいますが、新法が発動すれば、当然近所の知るところとなり、近所や親戚はどう言って、私たちを非難することか。無知な母が、この事態に直面すれば、おそらく発狂することでしょう。小生はどうなろうと構いませんが、そんな悲惨な中に母親を置いていけるはずもないと思いあぐねる毎日です。

あのときに震災地に居れば、今ごろは安らかだったろうにと思うことしきりです。どうしてこんな皮肉な晩年が最後にあるのか。それこそ死者をうらやみ、この世とこのような運命を用意したオウム幹部と自自公を心の底から恨みのろいます。被災者の方たちには、まったくお気の毒な限りですが、同様に私もついに極限まできた被災者に違いありません。

しかも、国も国民も総スカンの中での、孤立無援の被災者であることが、致命的に思えます。

小生のこうした考え方は、間違いでしょうか。具体的に、なにが今後起きてくるのかお教え願えませんでしょうか。お願い申し上げます。

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その返事 メールにて

前略、
まあ心配はないと思いますが、警察がたずねてきたということは、警察が応酬した資料の中には、その時点ではあったということでしょう。

心配でしたら、内容証明郵便で、下記の破産管財人あてにでも出されればいいと思います。「○○頃、−ー下だけであり、実質上入信もしておらず、万一入信扱いしてあったとしてもとうに脱会していることを確認のために通知する」とか書くようでもしてください。

その際、氏名、生年月日の外、住所など書かねばなりませんが、同弁護士はオウムの信者ではなく、破産管財人ですし、オウム集団側に転送されますが、いまはオウム真理教は何も攻撃的なことをしていないので、ご安心ください。内容証明郵便のセットは、大きな文房具店でうってます。

その写しを、地元の公安警察に提出しておけば、よりよいかと思いますが。

せっかくの人生ですのに、心配しすぎてノイローゼにでもなったらもったいないです。
ではまた。

〒105−0003
港区西新橋1−21−8 弁護士ビル501号 
破産者オウム真理教破産管財人弁護士  阿部三郎

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なお、脱会通知の書き方は、このサイトの下記の下の方に載せましたので、ご参考に。

http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/1.html


18−〇 住民とのトラブルをみてーメールにて

女性、ホームページを見て
ー2000年2月2日 第59号

はじめまして。ご活躍とオウム脱会信者に対する支援の様子を拝見し、何か違和感を覚えてしまったのでお手紙します。ちなみに私はただの主婦で、オウムとは何の接点もなく、宗教そのものに何のつながりもありません。

連日報道されるオウムと地元住民のトラブルについて、これは何なんだと言う思いを抱かずにはいられないのです。世の法律家たちはこのまま公然と大人によるいじめが行われているのを、静観しているのかと。確かにオウムという団体は犯罪を犯し、人を苦しめた殺人団体でした。近くにいたら私も怖いかもしれない。でも、今のままで居住反対で追い出しを受けつづけたら、オウムは立ち直ることはできません。

オウムが過去の精算をするとき、それは自分たちで過ちに気づき心から河野さんや仮谷さんのご遺族はじめ、多くの被害者の方がたに謝罪することが本当の意味での更正だと思うからです。でも、このままでは善良なはずの人々が、ただオウムというだけで声を荒げ排斥することを黙認する社会になってしまう。そのことのほうが怖いと思います。子供たちは敏感に悟っています。悪い奴はいじめてもいいんだ、大人が悪いオウムをいじめてるから、と。

集団で住まうことが怖いなら、同じ席について条件を出し合えばいい。人数に制限をつけるとか、プレハブを作るときは報告するとか、学校に行くときは大人の信者はついてこないとか、居住地に対して被害者にどれだけ賠償が進んでいるか報告させるとか、そういう危険防止の方策を示してそれでもオウムが守らないときは出ていってもらうなど、対策はいくらでもあると思います。

カナリヤの会の方々の手記を拝見し、本来は純粋にある指導者に従っただけのまじめな人々が、その存在自体が悪であるかのような扱い、人権を全く無視してそれを社会が容認するこの自体にひどく戸惑いを覚えます。カナリヤの会は脱会信者を支えるためのものであると同時に、今の現役信者に対しても働きかける会である、そのために滝本氏がおられるのだと勝手に理解しましたが違うのでしょうか。せめて、いきり立つ住民たちに、違う方法もありますよと話しかけることはできないものでしょうか。

私には、二人の娘がいて長女はニュースをみて質問してきます。「どうして、出て行けなの」私は答えます「オウムという団体が前に人を殺したり苦しめたりしたから、それでもきちんとごめんなさいを言わなかったから、みんな、また同じ事するのかなと思ってこわがってるの。この人たちがそう言うことをしたわけではないけれど、同じ事を信じてたからみんな怖がってるの。でも、住むとこもなく出て行けって言われ続けたら、ほんとにごめんなさいって言えなくなっちゃうね。大人なんだからもっと話し合わなきゃね」本来やさしいおじさんおばさんが、怖い顔で出て行けとどなる姿子供はどう感じるか、あの映像を流すべきか、その点も疑問に感じます。

(以下転載の許可を頂いたおりに頂いた返信から)
カナリアの会のHPをまた拝見し、やはり安全なところで暮らしているものの無責任な発言だったのではと思いつつ、次第に追い詰められていくオウムの姿と追い詰めていく善良な人々をみるにつけ、どうしてもおかしいと思えるのです。

この平和に暮らし何の罪を犯してもいない太子町や藤岡市の人々にこんな真似をさせるのはおかしいのです。追い出したところで、彼らがもとの落ち着いた暮らしと穏やかな心をすぐに取り戻せるわけはないはずですし、この経験がいい方向に向くとは思いません。

彼らにそうさせるのはオウムを壊滅させて信者を救い出せなかった行政、司法、加えて社会を構成している一人一人なのであって、反オウムを掲げて追い出しをかけている人々を非難するつもりはありません。彼らがここまでしなければならないのがおかしいのだと思います。

このまま団体規正法なるものが適用されても、それほど効果があるとは思えないのです。信者を回心させること、被害者の方々に謝罪できる人間になること、後戻りさせないこと、このためにできることはなんなのか、またカナリヤの会のHPを拝見して、人の気持ちになって勉強したいと思います。ありがとうございました。                                      


17−〇 「普通の生活」ーメールにて

ー30代、女性
ー2000年2月2日 第59号

はじめまして、こんにちは。
今日、yahooの掲示板でオウムの掲示を見ていて滝本弁護士が発言されているのを発見して、リンクでカナリヤの会に行きました。

私は、オウムの信者に暴力的な方法で心を開いてもらうことは無理だと思っていますのでカナリヤの会のような団体があることに喜んでいます。

どんな犯罪者でも過去の軌跡を知ると同情の余地が有るとも思います。
松本チヅオについては精神を病んでいるとしか思えません。
松本はどうなるのでしょう?拘置所に居るということは税金を使っているということですよね?
人権は大切だと思いますが、どうも納得いきません。
拘置所や刑務所に入れただけで良いのでしょうか?全然事件の解明はされていないと思います。

人間とは弱いものだと思います。
犯罪を犯した人がナゼそのようになってしまったのかを解明するのが大切だと思います。

私は今、消費者問題のことについて勉強をしているのですが、犯罪と私利私欲は紙一重のところに有るとつくづく感じます。

私利私欲に悩み苦しんで自分の生きる道を探した結果、オウムや統一教会やその他
カルと集団に巻き込まれることは気の毒なことだと思います。
今日もライフスペースと言うカルトの信者が事件を起こしたようでTVに出ていました。

ナゼ、信仰したいと思うときに宗教のオカルティックな部分に騙されるのでしょう?
あの政権与党、公明党の母体である創価学会も聖教新聞の投書欄に奇跡じみた話を掲載していました。
やはり人間は、手っ取早く、楽で、華々しい道を好むものなのでしょうか?

ある人は「高徳な人と接することは楽だ、しかしどんな人とでも変り無く接するほうが大切である。」と、言っていました。
オウムで言う「出家」をして何の修行になるのだか私にはわかりません。
普通に生活すること、謙虚で質素に楽しく生活することのほうが、よほど難しく、なかなか出来ないことだと思います。
今、オウムの信者の人たちにも、松本チヅオが信仰に値しない人だということに早く気がついて欲しいと思います。これからも頑張ってください。応援をしています。


〇 「井上君のこと」(1)(2)(3)

−統一教会経験者の、とても素敵な傍聴記録が、下記の中に3つあります。
−1999年9月17日第53号に転載させてもらえました。
ー2000年2月2日 第57から58号中に転載させていただけるとのこと

http://www.ne.jp/asahi/cult/kyongja/


16−○ オ ウ ム と 私 ー30代、女性、読者より

ー1999年9月17日 第52号から

わたしはオウム事件が発生したとき、たいへんな衝撃を受けました。始めはどんな思慮の浅い、ばかなひとたちがやったのだろう、と思っていましたが、報道や本などで詳しく知るにつれ、かえって真面目で生きることの意味を真剣に考えたり、世の中の役に立ちたいと思っていたひと、あるいは、多大な苦しみがあって癒しを求めたようなひとたちだったということがわかり、たいへんなショックでした。

また、わたしと同世代のひとが事件の中心となった幹部に多いこともまた、衝撃を受けました。どなたかが、何かに書いていらっしゃいましたが、コスモクリーナー、という空気清浄機へのネーミングをみたとき、間違いなく、自分と同世代のひとたちが、そこにはいるのだということを実感させられ、さらに当時話題となった上祐さんが、自分と年齢、学年まで一緒であったこと、村井さん、青山さんともそう年齢が変わらないことを知りました。

さらに、坂本さんの事件の実行犯である中川智正さんや地下鉄サリン事件の広瀬健一さんとも同世代であることがわかりました。

 あの上祐さんでさえ、実は以前はおとなしくて正義感の強いひとだったことに驚き、中川智正さんは、オウムをからかいにいったのに入ってしまい、出家後間もなく坂本さんの事件の実行犯になったことは、どんなひとでもそうなり得るのだと実感しました。

● 最初に思ったこと
 どうしてこんなことになってしまったのか、とか、オウムに行く人達の心を知りたいと思い、オウムを扱った本を読み漁りました。そして、インターネットを2年くらい前に始めたとき、まずオウムの話題を扱ったところをさがし、そこをずっとみているということをしていて、そのうち、掲示板での書き込みも始めました。

 掲示板やチャットには、信者さんや元信者さんも参加され、そこで対話することができました。その頃は、信者さんたちの大半は、麻原さんやオウムのいい面ばかりみてきたため、事件をオウムがやったとは信じられず、オウムが事件をやったと知れば、きっと誤りに気がついてくれると思っていました。

● カナリヤの詩を購読
 そんなことをしているところに、滝本さんがインターネットに参加されてきたのです。滝本さんは精力的に掲示板やチャットに参加され、信者さんに辛抱強く語りかけていらっしゃいました。テレビでおみかけしたときは、たいへん厳しい方だと思っておりました。

そのご経験からそれは当然のことであろうとも思いましたが。しかし、インターネットでお会いした滝本さんは、厳しさはもちろんありますが、信者さんと雑談したり、柔軟に辛抱強く語りかけをなさっておりました。

 わたしたちは、オウムについて、真面目に考えたりもしますが、面白がって扱っているところもあり、不謹慎だと言われるかと思いましたが、そんなこともなかったです。我慢してくださっているのかもしれませんが。

 カナリヤの詩を購読することをためらわれたのは、恥ずかしいことですが、滝本さんと直接接触するのが怖かったというのがあります。オウムに対する姿勢を怒られると思っていましたから。滝本さんがインターネットに参加されて、その人間性をみせてくださったおかげで、思い切って購読の申し込みをすることができました。

● カナリヤの会についての認識と現実
 実際読んでみて、それまでカナリヤの会とカナリヤの詩というのは、どちらかというと現役の信者さんを脱会させるためのものという印象があったのですが、それに留まらないことがわかりました。過去のオウムでのことを書いて悔いる信者さんの心情が伝わってくる手記があったり、オウムをチベット密教などの面から検討していたり、報道されないような裁判の資料があったり。元信者さんたちが一生懸命なのが伝わってきます。今まで購読していなかったことを後悔しました。

 オフ会といわれる、インターネットに参加しているひとたちがそれを離れて実際に会う交流会を滝本さんが開いてくださり、実際に滝本さんとお会いすることができました。何回目かのときには、カナリヤの会の方も参加してくださいまして、その中には、滝本さんのオフ会だけではなく、オウマーといわれるオウムに興味があるひとたちの集まりにも参加してくださっている方もいらっしゃいます。

 実際、滝本さんやカナリヤの方にお会いして思ったのは、カナリヤの会のようなものがあるのは、元信者さんたちの交流の場として、とても大切なことなのではないかと思いました。

● 脱会というものを想像する
 オウムに全てを捨てて入り、全てをかけてやってきた方々がそれを失う。地獄の恐怖があったりする。一生懸命がんばっても、元オウムということで、なかなか受け入れられなかったりする。

 理解したいと思っても、経験のないわたしたちには、ほんとうにわかってあげることは、残念ながらできないのだろうと思います。元の方々にしても気持ちが伝わらず、辛い思いをされていることでしょう。

  そんなときに、同じ経験をし、同じ思いで必死で生きている方々が支えあえる場があるというのはすばらしいことですね。

● 現役と脱会者
 元の方には、とても事件について、深く責任を感じていらっしゃる方もいます。それはとても大切なことですが、ご自分の生活も大切にされることを願います。オウムをやめても幸せに生きている、ってこと自体が重要なのでないでしょうか。その上で、オウムの方に呼びかけられる方は呼びかけていただけたら、と思います。一時は同じ目的で一緒に修行してがんばっていらした元の方の心のほうが彼らに届くのでは、と思います。彼らの中には、落ちたひとたち、という突き放した見方をするひとも多く、たいへんなこととは思いますが。

 インターネットに参加したおかげで、元の方や現役の方と交流することができました。そして、わかったのは、事件をオウムがやったとわかればその誤りに気がつくと思ったことがいかに甘かったかということです。麻原さんが絶対であり、それに誤りがないと信じているひとたちには、あの事件でさえ、意味付けを考えてしまうということです。そして、長いタイムスパン。その中での今は非常に軽くなってしまっています。

●  ○○○さんのこと
わたしは今年、たいへん苦い経験をしました。去年の夏、オウム信者さんとメールや掲示板で対話をしていて、直接会わなければもう話が進まないと思い詰めて、会う決心をしました。ところが、そのころあった滝本さんのオフ会にいらしていた男性が、友人の元サマナの話として、会っても無駄だ、とかいろいろ話をしてくださったのですが、それでも気持ちは変わりませんでした。するとそのひとは、メールで自分が元サマナであったこと、元諜報省であったことまで明かして止めてくれたのです。

 そのとき、そのひとは、現世でがんばっていくつもりでしたから、素性明かすというのは、たいへんつらいことだったと思います。ですから、とても感動しました。元諜報省ということで、監視も厳しかったり、いろいろたいへんだったようですが、それでもあきらめずに資格をとるべく一生懸命勉強しており、ほんとうに感動してみていました。

ところが、その人は、今年の始めにオウムに戻ってしまいました。麻原さんに帰依があることは知っていましたが、坂本さんの事件が判明したときに出た、と言っていたので、これはもう戻ることはないだろう、と思っていました。麻原さんが好きだというのは心の問題だと、事件を起こすようなことを否定してくれればと。ところが離れたのは教団の命令で、丁度そのころ離れた、というだけのことでした。教団の姿勢に疑問があって戻らずにいたわけですが、今も昔も自分はグルに対する帰依に関しては微塵も変動はしていない、自分のこだわってきたことがオウムの内部から見ると、それほどのものではなかったことに気付いたと言い切って戻ってしまったのです。わたしたちと一緒に何度もお酒も飲んだりして、もう大丈夫だと思っていたのに。

 復帰したことをわたしは直接聞いたわけですが、その後、池袋道場に連れて行かれて、師のひととお話をすることができました。事件のことをぶつけるというとんでもないことをしたのですが、師のひとはことばでは何も言いませんでしたが、その穏やかな表情と目で、その考えているところを示唆してくれたと思います。つまり、あれは、救済なのだと。 あの事件を救済あるいは意味があったものと思わせてしまうほどの信仰、麻原さんへの帰依。これをみると、どうしたらいいのかと途方にくれてしまいます。麻原さんが大好きでもいい、事件を起こすようなことを否定してくれたら、教団として、事件の総括と心からの謝罪、被害者の方への賠償をしてくれたら、と思いますが、ほとんど不可能に近いようです。

● 裁判の傍聴ーその現実感と新しい信者 
去年、わたしはオウム裁判を3つほどみてきました。井上嘉浩さんの裁判で、広瀬健一さんと林郁夫さんが証人だったもの、同じく井上さんの裁判で早川紀代秀さんが証人だったもの、中川智正さんの裁判で林泰男さんが証人だったもの。

彼らをみながら、ほんとうにこんな真面目そうなひと、おとなしそうなひとが人を殺めたのか、という思いを持ちました。神秘体験がどれほど彼らにとって大きな意味をもったのかということ、修行にかけた思いなどが伝わってきました。
そして、どれだけ悔いているかというつらい思いも。皮肉なことに、殺人という、決して許されないことをして、多くのひとを苦しめ、自分も苦しまなければ、誤りに気づくことができなかったのかということに、暗澹たる思いです。

 あの事件をみてさえ、今も入ってしまう信者さんもいます。何考えているのだ、と思っていましたが、彼らと話してみるとそれなりに行ってしまう理由があるのだとわかりました。あの神戸を中心とした大地震で多くのひとの死をみ、たくさんの知人を亡くし、なぜ自分が生き残ったのだろうと考え、食料の取り合いなどひとの醜さをみてしまって辛い思いでいたところがオウムで癒されてしまったひと、家族問題をかかえていたひとなど。

報道では、親からもだれからも受け入れられず、オウム事件の報道で麻原さんを知り、このひとなら自分の気持ちがわかってくれる、麻原さんと少しでもつながっていたい、とオウムに入ってしまったひとの話が報道されていました。対話をしてみて、親子問題で辛い思いをしているひとには、親の愛情の話をしてもわかってもらえない、というのを実感しました。

以前、麻原さんの心情を推測した番組で滝本さんたちがまとめていらっしゃったように、経験のないものはわからないということです。オウムに社会問題という面もあり、親御さんはもちろんとして、社会的に何か、バックアップがある組織のようなものがない限り、ほとんど解決は不可能ではという気がします。

● 私とオウム
 その一方で、オフ会で信者さんの親御さんとお会いすることができました。インターネットでお話していたときも感じたのですが、ほんとうにいいおとうさまで、どんな家庭のひとでもオウムに行ってしまうことを感じさせられました。

 わたしは何度かオウムとすれ違っています。あるマンガに興味をもって設定が知りたいと思って仏教書をさがしていたとき、手にとったのは、麻原彰晃という人の本。手にとったけど買いませんでした。あのときは坂本さんの事件もまだ起きておらす、オウムも麻原さんも知りませんでした。 選挙のとき、会社の近くで、信者さんたちが白い服を着て踊っていました。表情が輝いていて、満ち足りているようでした。彼らは彼らなりに幸せなんだなぁ、と思ったことを憶えています。

● 伝えたいこと
 宗教が信じられないわたし。でも、そういうひともたくさん入っているオウム。自分がオウムに入らなかったのはほんの偶然。行ったひとと行かなかったひととの差は、麻原さんと出会ったか出会わなかったかの違いくらいしかないのでは、という気さえしてきます。うちの両親は自分を愛してくれるようなひとでした。でもそうでなかったら?

 オウムに入っていたら、人を殺めたり、その手伝いをしたり、あるいは一生懸命修行をしていたつもりが、実は組織は犯罪を行っていた、ということで苦しみをかかえていたのは自分かもしれません。 若い、一時期をオウムに捧げたことで、元信者さんたちの一生が規定されてしまうとしたら、それはとても悲しいことです。元の方々が広く世間に受け入れられ、幸福になってくださることを祈ります。少なくても、元オウムだなんてまったく気にしないひとが何人もいることは知って欲しいと思います。インターネットをみてみると、それがわかると思います。も不謹慎だと思われるかもしれませんが。元のひとが苦しみに耐えて社会でがんばっているのをみるととてもうれしいですし、自分もがんばらなければ、という気持ちになります。

 これからも、カナリヤの詩などをとおして、オウムだった方々が一生懸命生きていくのを見ていきたいと思います。


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